日本人の心を形成してきたもの

古人に学び、これからを生きる指針となるものを探る


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日本のことが解らない
日本人

東京丸の内


※韓国人はなぜ日本を嫌うのか 2015.11.21 産経ニュース
 拓殖大国際学部教授 呉善花 先生(オ・ソンファ:韓国生まれ、日本帰化) 講演
 「韓国は甘えている」「日本人は自信持ち主張を」「韓流ドラマに価値観の違い」



  私も反日教育を受けた世代です。『日本人は野蛮人』と教えられました。

  しかし、日本に来ると、思いやりがあり、親切で貧富の格差も少ない。

  自然が美しい。治安が世界で最もいい国で平和ボケしている。

  だが、実際の日本人の心のあり方がつかめない、精神の根本がつかめないため、

  反日感情をぶつけるのです。



  日本人は八百万の神々の信仰を尊んでいます。

  ヨーロッパのような一神教、韓国のような儒教、朱子学の国では自然の神を

  拝むのは未開人とみます。

  韓国では『八百万(はっぴゃくまん)の邪鬼を追い出せ』といいます。



  自然信仰のままでは、科学は発展しない。なぜ、日本は発展したのか?

  日本人に聴いても答えられない。日本人は答えをもっていない。

  自信を持っていない。

  価値観をはっきりさせないといけないというのは韓国人の考え。

  韓国人は『日本人はおかしい』と感じる。

  日本人自身が日本のことをわかっていないのは問題。

  日本人は自信を持たないといけない。



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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人間存在の本質的な意義を示唆する
日本文化

渋谷道玄坂 金王八幡宮例大祭


千数百年の歴史を有し、

今日まで多くの優れた芸術・文化が生み出されたきた日本。



私たちは無意識のうちに日本文化を呼吸し生きていますが、

その文化に触れ、その背景を理解することは、

人間存在の意義について大切なことを教えてくれ、

人生は世間的な欲求充足の為にだけあるのではないということを実感します。



○渋谷、秋の風物詩 金王八幡宮例大祭

○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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人間に生きる力を与える
八百万の神

熊野古道 中辺路


日本では古くから、山の神や木の神、石の神、川の神、米の神など、

自然のもの全てに「神」が宿ると考えてきたそうです。



そのような「神」とは何を意味したのか、

江戸時代の学者・本居宣長は、著書「古事記伝」にて以下のように指摘します。



  さて凡(すべ)て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえの みふみ ども)に見えたる

  天地(あめつち)の諸(もろもろ)の神たちを始めて、

  其(そ)を祀(まつ)れる社(やしろ)に坐(ましま)す御霊(みたま)をも申し、

  又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余(そのほか)何にまれ、

  尋常(よのつる)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、

  可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云ふなり。



  神とは、古事記・日本書紀などの古典に出てくる

  諸々の神から始まり、

  神社にお祀りされている神霊のことをいい、

  人間、動植物、海山といった自然など、何であれ

  普通ではない優れた徳があって

  恐れ多いものを神というのである。





本居宣長による「神」は、

「普通ではない優れた徳をもった存在であって、恐れ多いもの」であるよう。



今日でいう「徳」は、倫理的道徳的な意味で用いられますが、

日本書紀では「イキホヒ」と訓(よ)み、

古代においては「勢い」や「力」を示したといいます。



「勢い」は、活力が盛んに活動してあたりを覆うことであり、

「息(イキ)」と「生き(イキ)」は存在の活力を意味し、

神は「勢い」であり、「息」であり「生き」でもあり、人の生命力・活力となる存在であるよう。



生命の本質は呼吸することであり、

息を吸い・吐くことで人間は生きてゆくことができるようです。



○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


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山に宿る神
立山信仰

日本三霊山の一つといわれる立山を望む


立山に 降りおける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし

※万葉集 巻17、4001番 大伴家持



立山に降り積もった雪をずっと見ていても飽きることがない。神の山だからであろう



山は、未知と危険とに満ちた存在です。その存在が、

四季の美しい装いをもって、人々に限りない魅力をなげかけます。

山は日本人の生活に深く結ばれていました。山の信仰が生まれ、

説話が生まれ、文学と歴史が生まれるのはそのためだったのです。



殊(こと)に、立山に関しても自然と人間の共生の中で、言い換えれば、

自然のこころをわれわれ人間の生きざまの中にとりこんできたのが

「立山信仰」なのです。



平安時代の中ごろから立山信仰は、地獄信仰と結びつき、

日本中の亡霊がここに集まるものと考えられようになりました。



さらに鎌倉時代には、阿弥陀如来の山中浄土がこの山に展開しているという

山中に地獄と浄土が併存する他界信仰が形づくられていったのです。



※富山県立山博物館 立山信仰の世界-第2展示室より



○空と雲に出会い光を浴びて天上につながる場所|立山黒部アルペンルート

○移り行く景色に時間を忘れる霊峰大山

○津軽の人々に愛される岩木山


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屋久島に宿る神
里に山神の霊力をもたらす岳参り

白谷雲水峡 屋久島


稀有(けう)な山岳島である屋久島には古くから山岳信仰があり、

500年ほど前から山に祠(ほこら)を祀って参詣(さんけい)するようになったのが

「岳参(たけまい)り」の原点とされています。



年に1回ないし2回(春と秋)、各集落の代表者(トコロガン)がそれぞれのご神山へ登り、

山の神「神道名/彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・

仏教名/一品法寿大権現(いっぽんほうじゅだいごんげん)」に

集落の繁栄や平和を祈願します。

個人のお参りではなく、集落の行事であることが大きな特徴です。



トコロガンは、山の神へ海や里の幸である塩・米・酒(焼酎)などの

お供えと共に浜の砂を届けます。



また、山からは石楠花(しゃくなげ)や榊(さかき)など精霊宿る草木を持ち帰って

集落民に配り、里に山神の霊力をもたらします。



※屋久島・宮之浦集落の岳参り 2016.02
 講師 渡邉剣真 先生 宮之浦岳参伝承会
 会場 新宿明治安田生命ホール
 主催 国立歴史民俗博物館
 歴博映像フォーラム10 屋久島の森に眠る人々の記憶



○色鮮やかなつつじ・しゃくなげ


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アイヌに宿る神
人間の静かなる大地

シャマンの仮面 北海道立北方民族博物館


3つの顔が描かれているシャマンの仮面。一番上の小さい顔は人間の世界を表し、

真ん中のフクロウは動物の世界、下の大きな顔は精霊を表しているといいます。



シャマンとは、超自然的存在と直接接触する役割を担う

呪術者や巫(かんなぎ≒神主)、祈祷師のことだそう。



アイヌは「人間」を意味し、アイヌ民族の祖先は、

北海道の地をアイヌモシリ(人間の静かなる大地)と呼んだといいます。



自然界をカムイ(神々)として謙虚に祈り、自然の恵みに感謝をし、

「カムイありて我あり、我ありててカムイあり」との互助精神で、

自然を改造・破壊・汚染することなく生活してきたそうです。



○釧路と網走をつなぐ釧網線の旅

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


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火の神を崇拝する
ゾロアスター教

ゾロアスター教文化の中心地 ヤズド(イラン)


紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシアが成立した時には、

王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉していた

といわれるゾロアスター教。



世界最古の預言者といわれるザラスシュトラが教祖とされています。



ゾロアスター教は、唯一絶対神を信仰した西洋と異なり、

善神である「アフラ・マズダ」、悪神である「アンラ・マンユ」の対立構造の他、

多くの神が存在するところに特徴があるといいます。



○人間は創造的に生きよ|キリスト教的価値観を覆そうとしたニーチェ


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メラネシア・ポリネシアに宿る神
マナ

テガノ湖 レンネル島(ソロモン諸島) メラネシア
世界遺産


メラネシアやポリネシアにみられる原始的な信仰概念、マナ(mana)。

マナは、神や人間だけでなく河川や岩石などの自然物のなかにも含まれ、

それは、ある存在から別の存在へと移動する傾向があるといいます。



カヌーが早く進むのはマナがあるからだとされ、

戦士の槍が敵を倒したのは戦士の力が強かったからではなく、

槍に強いマナがあるからと考えられたそう。

また、村がうまくいくのは首長にたくさんのマナがあるためであり、

逆に、病気や死などの災厄(さいやく)が続いて起きるのは、

首長にマナがなくなったからだといいます。



このように多神教の神は非人格的な神であり、

超越的な領域における力の作用と効果として語られますが、

人格者ではないため教義は明示しない特徴があるようです。



○自然の美しさ、ゆったりと流れる時間 タヒチ


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現実を超えた領域へ
認知を広げた人類

ネアンデルタール人 ネアンデルタール博物館(ドイツ)


認知考古学者S.マイスンによれば、現生人類の出現に先立つ約20万年の間、

石器を用い、言語を操っていたネアンデルタール人の脳では、

原語領域、社会領域、技術領域などの脳内の諸領域が分化していた為、

ありのままでしか物事を捉えることができなかったといいます。



「石」を見たなら見たなり、「木」を見たなら見たなりのものとして理解できたが、

それ以上のことを行うことはなかったよう。



ところが、現生人類の脳にはそれぞれの領域を隔てる壁が崩れて

ニューロン(神経組織)が組み換えられた結果、

それらをつなぐ新たな回路が作られ、その回路をとおして

諸領域を横断する流動的知性が作動するようになったといいます。



そうした高次の知性の発達によって、現生人類はいくつもの意味の領域を

重ね合わせて、言語を介して、「比喩」や「象徴」を持つようなり、

現生人類の脳はさまざまな存在や事象に関する知識を結び合わせて、

石や木などの無生物にも意思や意識のようなものがあると直感的に捉える

ようになったそうです。



このことは、現生人類が現実的な領域だけでなく、

現実を超えた領域まで広がる認知能力を得たことを示しているようです。



○人と人・人と自然との共存から未来を紡ぐ|Life is a Journey


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教義がはっきり存在しない
神道

食物・穀物を司る神である豊受大御神(とようけだいじんぐう)
が祀られる伊勢神宮 外宮


神社を中心とする宗教である神道(神社神道)は、

「古事記」「日本書紀」などに見える古来の神を基とする日本固有の宗教だといいます。



神道には、キリスト教にみられる聖書や仏教でみられる各宗派の教え、

儒教でみられる「論語」などとは異なり、教義がはっきり存在しない特徴があるそう。



このことについて江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、

「鈴屋答問録」にて以下のように指摘します。



  「神道に教えの書なきは、これ真の道なる證也(しるしなり)。

  凡(およ)そ人を教えておもむかするは、もと正しき経(つね)の道にあらず。(中略)

  教えのなきこそ尊とけれ」



  神道に教えがないのは、これが真の道である証拠であり、教えがないからこそ尊い。




世の中は仏教の教義でないと治まらない時代もあり、

儒教でなくてはうまくいかない時代もある。

宣長は、すべての物事をある一つの宗教の教義のみで議論し判断する

当時の日本社会にすでに広くあった近代合理主義を批判します。



神道は、ある時は仏教の衣装を着け、ある時は儒教の衣装を着け、

独自の形態を示さず、他の思想と習合するというところに特徴があるようです。



○日本人の神々を祀る伊勢神宮

○日本の姿勢を伝える大相撲


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深い哲学的・思想的意義がある
日本仏教

Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
仏教の開祖・釈尊(しゃくそん)が生まれたとされるネパール・ルンビニ


仏教の開祖といわれる釈尊(しゃくそん)=釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)。

釈迦(しゃか)は種族の名前だそうで、釈尊は釈迦族の首長の長男として生まれ、

一度、結婚した後、29歳のとき生老病死の苦悩の解決を求めて出家し、

やがて35歳のとき菩提樹のもとで覚りを成就したといわれます。



釈尊の教えは、南アジアや西アジアなどに伝播し、その後、

中国、北朝鮮を経て538年に日本へ伝わったとされます。



仏教というとインドが最も中心であると考えがちですが、

インドではヒンドゥ教が主流となっていること、

中国では主に政治的な理由による仏教の衰退が挙げられ、

実はインド仏教や中国仏教を学ぶこと以上に、

日本仏教を学ぶことの哲学的・思想的意義は深いものがあるそうです。


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自分の問題解決だけでなく、他者とともに実現を目指す
小乗仏教から大乗仏教へ

釈尊が初めて説法を行ったとされるダメーク・ストゥーパ
(Dhamekh Stupa , India)


インド・サールナートにある仏教聖地の一つ、ダメーク・ストゥーパは、

釈尊が初めて説法を行った場所とされています。



ストゥーパは仏塔のことで、入滅した(にゅうめつ:亡くなった)釈尊が

荼毘に付された際の遺骨などを納めた場所のことだそう。



釈尊の入滅後は、弟子たちはそれぞれの地域で、

一つの教団に属しているという意識のものに修行に励んだといわれますが、

社会情勢も変化し、釈尊が制定した戒律も実情に合わなくなってきたことから

教団は分裂してゆきます。




分裂した各部派は、釈尊の言葉を研究して体系的な整理を行ってゆきますが、

その一方、こまごまとした教理研究に没頭する部派仏教を批判して新たな仏教

が興きます。



新仏教は、我だけでなく諸法(一切のもの)は

常住(じょうじゅう:永遠不変)の本体を持つものではなく空であると説き、

自己中心的な考え方と固定的な考え方を断じて、

自分自身が仏になることを他者とともに目指そうとします。



新仏教は、自分の問題解決だけを求めている伝統的な仏教を劣っているとして

小乗仏教と呼び、自らを偉大な大乗仏教と呼んだといわれます。


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仏教を推進した
聖徳太子

「唐本御影(とうほんのみえい)」として知られる聖徳太子像
奈良時代・8世紀 法隆寺献納宝物 御物(ぎょぶつ:皇室私有品)


6世紀、用明天皇の第二皇子として生まれたとされる聖徳太子。

当時、蘇我氏と物部氏の抗争は激烈をきわめ、

蘇我馬子が物部守屋を倒して蘇我氏が勝利を得たものの、

その後も皇位をめぐって陰惨ともいうべき抗争が続いたといいます。



やがて推古天皇のもとで摂政についた聖徳太子は、高句麗から渡来した高僧に

仏教の教理を学び、当時の東アジア諸国が仏教を用いて先進的な文明国家を

築こうとしていた状況を知り、国内において仏教の推進に努めます。



○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿


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日本固有の神道と外来仏教との融合
神仏習合

興福寺と深い関係にあるという春日大社


外来から入ってきた仏教は、神道と深刻的な対立にならず、

日本人が古くから信仰ししてきた「神」観念の枠組みの中に位置づけられます。



日本書記では、仏を「蕃神(あだしくにのかみ)⇒よその国の神」や

「仏神⇒(仏という神)」などと表記し、仏は神の一種であり

仏教は日本における最新の宗教形態として受けとめられたよう。



このような受容から奈良時代(8世紀)に神仏習合

(しんぶつしゅうごう:神と仏が習い合う)現象が起こります。



このことは、日本古来の神が外来の仏法を悦び、その供養を受け、これを護ることを意味し、

同時にその実際は、仏法が神道に優越する立場であることを容認する

本地垂迹:ほんちすいじゃく)につながってゆきます。



本地垂迹は、仏教を本地(ほんち:根本・本質)として神道を垂迹(すいじゃく:仮の姿)とし、

仏は日本人を救うために在来の神となって現れたと説きます。



具体的には、春日大社の御祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)の

本地仏(ほんちぶつ)は、興福寺の不空絹索観音(ふくうけんさくかんのん)であり、

伊勢神宮の御祭神・天照大神(あまてらすおおかみ)の本地仏は大日如来といった

例が挙げられるそうです。



○いにしえから今を生きる私たちへの伝言|千三百年の時空を超える「奈良」


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法相宗の思想
自己中心的・固定的な見方からの解放

法相宗大本山 興福寺(奈良) 左:東金堂(国宝)・右:五重塔(国宝)


法相宗の根本教義といわれる唯識(ゆいしき)は、この世の事物・現象は、

客体として実在しているのではなく、人間の心の根源である阿頼耶識(あらやしき)

が展開して生じたものとされます。



唯識(ゆいしき)は、「@目識(げんしき⇒視覚」、「A耳識(にしき)⇒聴覚」、

「B鼻識(びしき)⇒嗅覚」、「C舌識(ぜつしき)⇒味覚」、「D身識(しんしき)⇒触角」

からなる「前五識⇒五感」と、「E意識(知覚・知性)」、「F末那識(まなしき)」、

「G阿頼耶識(あらやしき)」の8つの識からなるそうです。



「@目識(げんしき)」から「E意識」までは私たちが自覚している世界で、

その下に絶えず「意識」に影響を与えている我執(がしゅう:自分中心の考え方)

である「F末那識(まなしき)」があり、さらにその下に、

生死輪廻してきたすべての経験が蓄積されている蔵、

「G阿頼耶識(あらやしき)」があるとします。



唯識(ゆいしき)では、本体を持つような我や物は存在せず、一切は空であることを説き、

私たちを我執(がしゅう:自己中心的な考え方)や

法執(ほっしゅう:固定的な観念)から解放してくれるようです。


○唯識を学んだ三蔵法師が翻訳に取り組んだ場所 慈恩寺大雁塔


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無意識の領域を明らかにした
精神分析学

精神分析学の創始者 ジークムント・フロイト
(Sigmund Freud、1856年-1939年)


精神分析の創始者・フロイトの最も斬新な功績は、

人の心をめぐって意識の領域では説明することができない「無意識」の領域に

抽象論ではなく光をあてたことだそうです。



人間の心には、本人が意識している領域だけでなく、無意識の領域があり、

そしてその無意識の領域が意識的な領域に大きな影響を与えているといわれます。



人には、体の内部から駆り立てられる本能的な欲動があり、

そのことをフロイトは心的構造論で「エス」と呼び、

「エス」は社会的なルールや価値規則を無視して、

ひたすら快楽原則に従い、即自的満足をいつも求める特徴があるのだそう。



一方、この「エス」に対して、道徳的規範でそれを禁止しようとする力を「超自我」と呼び、

「エス」と「超自我」の間で発生する心の葛藤を調整するのを「自我」と呼んでいます。




フロイトが精神分析の研究を行ったのは19世紀後半から20世紀初頭にかけて。

法相宗の起源である唯識(ゆいしき)思想が大成されたのは5世紀頃といわれ、

この時代に無意識の研究がされていたことに驚きます。



○精神分析を創始したフロイトの終の棲家|フロイト博物館


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天台宗の思想
一隅を照らす、これ即ち国宝なり

天台宗総本山延暦寺 根本中堂(国宝)


※山家学生式(さんげがくしょうしき)(六条式) 冒頭


  国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。

  道心ある人を名づけて国宝となす。

  故(ゆえ)に古人言わく、径寸十枚(けいすんじゅうまい)、是れ国宝にあらず、

  一隅を照す、此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと。



  国の宝とはなにか。宝とは道を修めようとする心である。

  道心ある人を名づけて国宝という。

  中国の古い人(中国天台宗の僧侶・荊渓湛然(けいけいたんねん))はいった。

  直径一寸(約3cm)の玉(宝石)、10個が国の宝ではない。

  社会の一隅を照らす、すばらしい人こそ国の宝であると




  古哲(こてつ)また云(い)わく、

  能(よ)く言いて(⇒助動詞can、言う能力があって⇒学問があって)

  行うこと能(あた)わざる(⇒can't、行うことができない人)は国の師なり。

  能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり、

  能く行い能く言うは国の宝なり。

  三品(さんぼん)の内(うち)、唯(ただ)言うこと能わず、

  行うこと能わざるを国の賊(ぞく)と為(な)す。



  中国の古い人はまた言た、

  学問のみに優れた者は地方の国師に、

  実践のみに優れた者は国の働きをなす者として用い、

  実践にも学問にも優れた者は国の宝である(最澄が育てようとした人物像)。

  三種のうち、学問も実践もしないものは国の賊であると。



  乃(すなわ)ち道心あるの仏子(ぶっし)、西には菩薩(ぼさつ)と称し、

  東には君子(くんし)と号す。

  悪事(おじ)を己に向え、好事を他に与え、

  己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。



  実践にも学問にも優れた道心ある人をインドでは菩薩と称し、

  中国では君子という。

  嫌なことは自分でひきうけ、良いことは他人に与える。

  自分を忘れて他の人のためになるのは、本当の慈悲である。






「山家学生式(さんげがくしょうしき)」とは、天台宗(山家)の学行をなす者の規則だそうで、

818年に嵯峨天皇に上奏した「天台法華宗年分学生式(六条式)」、

「勧奨天台宗年分学生式(八条式)」、

819年に上奏した「天台法華宗年分度者回小向大式(四条式)」

の三つを総称したものだといいます。



天台宗の開祖・最澄(さいちょう)が天皇に上奏した最大の目的は、

大乗戒壇(大乗仏教専門の道場)の独立にあったそう。



当時、僧侶になるには具足戒(ぐかいそく:小乗仏教の戒律)を受ける必要があり、

戒律を受ける戒檀(≒学校)は全国に三ヶ所(奈良東大寺、下野⇒栃木県下野市の薬師寺、

筑紫⇒福岡県の観世音寺)しかなく、最澄は「六条式」の中で、新たに比叡山に戒檀を設け、

そこで天台宗の年分度者(各宗派割当ての国家給費学生僧)を大乗の戒律で

受戒できるよう求めたといいます。


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真言密教の思想
グローバルな視点、他思想との比較体系化

不動堂(国宝) 高野山真言宗総本山金剛峯寺


中国より真言密教を伝えたという日本真言宗の開祖 空海。

密教とは、空海が記したとされる「弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)によると、

釈尊が説いた経典はすべて顕教(けんきょう)の仏教であり、

密教は、仏が相手をおもんばかることなくすべてを包み隠さず明らかにしたもので

顕教の限界を超える優れた教えなのだそうです。



これを聞いてふと連想するのですが、最近、インターネットやメディアでは、

「表(おもて)⇒顕」に対する「裏(うら)⇒密」の領域を明らかにすることが

一つの関心になっているようにも思えます。



空海の思想が記されているという「秘密曼荼羅十住心論」は、

人間の心を10段階に分け、

それぞれ当時の代表的な思想を配置することによって体系化を行い、

真言密教こそが人間の心の到達できる最高の境地としています。



○秘密曼荼羅十住心論

 第一住心 異生羝羊心 (いしょうていようしん)  煩悩にまみれた心
 第二住心 愚童持斎心 (ぐどうじさいしん)  道徳の目覚め・儒教的境地
 第三住心 嬰童無畏心 (ようどうむいしん)  超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地
 第四住心 唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)  小乗仏教・声門の境地
 第五住心 抜業因種心 (ばつごういんしゅしん)  小乗仏教・縁覚の境地
 第六住心 他縁大乗心 (たえんだいじょうしん)  大乗仏教・ 法相宗の境地
 第七住心 覚心不生心 (かくしんふしょうしん)  大乗仏教・三論宗の境地
 第八住心 一道無為心 (いちどうむいしん)  大乗仏教・天台宗の境地
 第九住心 極無自性心 (ごくむじしょうしん)  大乗仏教・ 華厳宗の境地
 第十住心 秘密荘厳心 (ひみつしょうごんしん)  真言密教の境地



第一住心の「心異生羝羊心(いしょうていようしん)」は、

人間であるにもかかわらず、ただ食事やセックスのことしか考えていない

本能のままに生きるあり方で、人間以外の動物と変わらない状態を指し、

第二住心の「愚童持斎心(ぐどうじさいしん)」は、日頃の自己の生き方を反省し、

社会のために役立つ人間になりたいと思い立つようなあり方だとされます。



○新たな絆から夢が膨らむグローバル人材


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浄土宗の思想
不安定な時代を生きる民衆の希望

浄土宗総本山知恩院


平安末期になると、政治の実権が鎌倉に移り大変革を迎えたことや、

洪水・飢饉・疫病・戦乱等が相次ぎ不安定な時代だったようです。



その上、釈尊の入滅後、年代が経つにつれて正しい教えが衰滅し、

修行も悟りも得られなくなるとする「末法思想」が不安定に拍車をかけ、

民衆は救いと希望を切実に求めていたことと思います。



そうした中、易行(いぎょう:誰でもたやすく行える修行)としての念仏により

どんな人でも救われるという新しい仏教を唱えたのが日本浄土宗の開祖

法然だったといいます。




法然の主著「選択本願念仏集」は16章からなり、

浄土教がいかに確かな救いの道であるかを論証しようとしたものだそう。



※選択本願念仏集 16章 三選の文
 ※日本思想体系 10 大橋俊雄校注 法然・一遍 岩波書店 1971


  すなわち、仏教には自力聖道門と他力浄土門とがあるが、

  すみやかな救いの道は、浄土門にこそある。

  浄土門の中でも、とりわけ阿弥陀仏を頼るのが正行といえる。

  阿弥陀仏とその浄土を説く浄土三部経は、まさにその極楽浄土への

  往生の道こそをもっぱら勧めるからである。

  その正行には、礼拝・読誦・観察・賛嘆供養・称名の五念門があるが、

  なかでも称名念仏によるべきである。

  それこそが、阿弥陀仏の極楽浄土に確かに往生できる行である。



○古都・京都を巡って


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臨済宗の思想
仏が語られた言葉のその奥にある心

舎利殿(国宝)特別公開 2012.5.5
臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺


栄西(えいさい:1141-1215年)によって日本に伝えられたという禅宗。

しかしその後、法系は途絶えてしまい、今日の臨済宗のほとんどは、

中興の祖と呼ばれる江戸時代の白隠禅師(はくいんぜんじ)の流れを汲むとされます。



臨済宗の特徴は、

公案(修行者に課せられる問題)を用いて修行していくことにあるそうです。



公案集の一つである「無門関(むもんかん)」は、

中国南宋時代の禅僧・無門慧開(むもんえかい:1183-1260年)によって

1228年に成立した悟りへの入門書だそうで、古来の公案の内から48則を厳選し、

それに対して評釈などを加えたものだといいます。



※無門関 第一則 趙州狗子(じょうしゅうくす)


  趙州和尚(じゅうしゅうおしょう)、因(ちな)みに僧問う。

  狗子(くす⇒犬)に還って仏性有りや也(ま)た無しや。

  州云く、無。


  修行僧は趙州和尚(じょうしゅうおしょう)に質問した。

  命あるものすべては仏性を持っているといわれますが、

  犬にも仏性はあるのでしょうか。

  趙州和尚は「無い」と答えた。




この「無い」とは何かが問題として修行者に与えられるそうです。



※第75回円覚寺夏期講座 2010.07
  無門関提唱 円覚寺派管長 横田南嶺 老師



○花を忘れまい|北条時宗が開いた北鎌倉の座禅道場 円覚寺


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曹洞宗の思想
自我意識を捨てる心身脱落

鶴見のまちの大遠忌 精進料理Festa in 大本山總持寺 2015.10
峨山韶碩禅師本法要 (神奈川県横浜市鶴見区)


曹洞宗の宗祖・道元は、1200年に京都の貴族の名門に生まれたといわれ、

早くに父と母を亡くしたことから世の無常を感じて仏門を志したといいます。

14歳で比叡山にて勉学に励み、一つの疑問に出会います。



  顕密二教(けんみつにきょう)ともに談ず、本来法性、天然自性と。

  若しくかくの如きんば、即ち三世の諸仏、なにによりてか更に発心して菩提を求むるや



  顕教・密教ともに、仏教においては人間はもともと仏性を持ち、

  そのままで仏であると教えているはずだ。

  それなのに、われわれはなぜ仏になるための修行をせねばならないのか?




道元はこの疑問を比叡山の学僧たちにぶつけますが、

誰も満足な答えを与えてくれません。

そこで彼は比叡山を下りて、諸方の寺々に師を訪ねて歩きます。

それでも求める答えが得られないので、ついに彼は宋に渡ります。

道元が24歳のときでした。



けれども、宋においても、なかなかこれといった師に出会えかった。

道元は諦めかけて日本に帰ろうとしますが、そのとき、

天童山に新たに如浄(にじょう)禅師が人住されたことを聞き、天童山を再訪します。



1225年のある日、大勢の憎が早暁坐禅をしているとき、

1人の雲水が居眠りをしていたのを如浄が叱り警策(けいさく)を加えます。



  参禅はすべからく身心脱落なるべし。

  只管(しかん)に打睡していん恁麼(なに)を為すに堪えんや



  何のために坐禅をするかといえは、身心脱落のためだ。

  それを、おまえはひたすら居眠り(只管)ばかりしている。

  そういうことで、どうなるというのだ。




道元は、その瞬間に悟りが開けたといわれます。



では、「身心脱落」とは、どういうことでしょうか……?

われわれはみんな、〈俺が、俺が……〉といった意識を持っています。

〈わたしは立派な人間だ〉〈わたしは品行方正である〉と思うのが自我意識です。

一方で、〈わたしなんて、つまらない人間です〉というのだって自我意識。

自我意識があるから、自分と他人をくらべて優越感を抱いたり、

劣等感にさいなまれたりします。



そういう自我意識を全部捨ててしまえ!というのが「身心脱落」です。



※「心身脱落」「只管打座」 〜 道元のたどりついた悟りとは
  ひろ ちさや 先生|PHPオンライン 衆知|PHP研究所
※[新訳]正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある
 道元, ひろ さちや (訳) PHP 2013年



○元気な日本を知ろう|京浜工業地帯をつなぐ鶴見線

○未来に夢をのせて|持続可能な最幸のまち かわさき


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鶴見のまちの大遠忌
精進料理Festa in 大本山總持寺

鶴見のまちの大遠忌 精進料理Festa in 大本山總持寺 2015.10
峨山韶碩禅師本法要 (神奈川県横浜市鶴見区)


總持寺にて2015年10月に行われた

二祖(にそ)峨山韶碩禅師(がさんじょうせきぜんじ)650回大遠忌(だいおんき)。



峨山韶碩禅師(がさんじょうせきぜんじ)は、總持寺の住職として42年間勤め、

曹洞宗の教えを全国に展開する基盤を形成した人だそう。

大遠忌(だいおんき)は、大本山の発展に深く関わった祖師方の法要のことで、

50年毎に行われるそうです。




仏殿前では全国曹洞宗青年会による「精進料理フェスタ」が開催されていました。

メニューは、

「おくずがけ」・「豆乳プリン」・「ゼンパスタ(しらたき:冬瓜と豆乳のクリームパスタ風)」・

「ハーブ塩うどん」「黒枝豆とトウモロコシのかき揚」「とろろ焼き」。



おいしく頂きました。

開催にあたっては多くの手間暇がかかったことと思います。感謝申し上げます。


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日本人の大きな財産
自己と他者の救済を求める視点

富士と相模湾を見渡す吾妻山公園(神奈川県二宮町)に咲く菜の花


涅槃経(ねはんぎょう)にて説かれる草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)

の思想は、インドや中国にはなく日本で作られた考え方だといいます。



そのまま読めば、「草や木、国土は悉(ことごと)く皆、成仏する」となり、

草木や国土のような非情(人間や動物以外の存在)なものにも、

心があり成仏できるという意味があるとされます。



日本人は仏教の思想に出会うなかで、

自己と他者の救いを真剣に考えられるようになったことは大きな財産なのだそうです。



現代のように多元化した社会においては、異なる立場とそこに立つ人々の人格を

敬意をもって尊重していくことが求められていますが、

日本人にはそのような素地が既に備わっているようです。



○相模湾を見渡す高台に咲く菜花|海と山と やさしさと 湘南にのみや

○河津桜と菜花の共演|富士山・箱根連山・相模湾が望めるパノラマ

○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来


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能楽にみる
全てのものに心がある捉え方

第30回MOA美術館 薪能 2014.08 (静岡県熱海市)


14世紀・室町時代初期に成立したといわれる能楽には、

しばしば「草木国土悉皆成仏」の句や思想が説かれているといいます。



代表的なものに「鵺(ぬえ)」・「墨染桜(すみそめざくら)」・「芭蕉」・

「杜若」・「六浦」なとが挙げられるそう。



日本文化の背景を理解することは、こうした伝統文化を楽しむ素地ができ、

人生の味わいが深まってゆくように感じます。



○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力

○琳派を代表する絵師 尾形光琳|「紅白梅図屏風」所蔵名品展 MOA美術館

○熱海の海岸散歩する、金色夜叉に描かれた熱海


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飾りやおごりを捨てる姿勢
わび茶

茶室の入口にあたる「にじり口」


抹茶は、日本臨済宗の開祖である栄西によって伝えられたそう。

伝来当初、禅の修行の際に眠気を覚ます薬などとして用いられ、

その後に茶会が流行すると、作法の中に他者との精神的交流や

自己の精神修行が盛り込まれていったといわれます。



茶室の入口にあたる「にじり口」は、人ひとりが頭を下げてにじって

ようやく出入りできる高さと幅に定められいるそうで、

武士は刀をはずして中に入ったといいます。



わび茶の「わび」は、

飾りやおごりを捨てた、欲望にとらわれない、静かで落ち着いた姿であり、

執着を断ち切り絶対的自由を求める姿勢が込められているそうです。


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遊びのなかで文化を生み出してきた
人間



「皮下脂肪 資源にできれば ノーベル賞」  イソノ家

※第28回サラリーマン川柳ベスト1|第一生命保険株式会社



「遊び」は余暇や趣味と結びつき、労働や真面目さの対極にあると捉えがちで、

特に国際的にも労働時間が長いとされる日本人にとっての現代の「遊び」には、

本来の職責からの逃避、または生活に本質的には重要でない贅沢や暇つぶしと

いった感さえあるといいます。



江戸時代、「遊び」は連歌や川柳などの言葉遊びから、音楽や舞、神楽、茶道、

廓遊び、とさまざまな領域に及び、遊び上手な人は粋人(すいじん)として

評価されたそうです。



現代でも「遊びがある」とは物事やシステムにゆとりがあることを指し、

ゆとりがあって洒落が通じる「遊び心がある」人とは、物事を距離をもって

眺めることができる精神的余裕がある人のようです。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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ますます「ゆとり」がなくなっている現代社会
無駄とゆとりの科学

全体の約2〜5割のアリは餌を運ばないそうです


私は長年渋滞について研究をしていますが、これは車の渋滞だけでなく、

人の混雑や物流の停滞など、社会に生じている様々な流れの滞りを

対象にしています。数学や物理学の新しい理論を生かしながら渋滞の

解消方法を日々研究していますが、そこで分かってきたことがゆとりの大切さです。



現代社会は残念ながらますますゆとりが無くなってきているように思えます。

そして家庭や会社組織から国家までのあらゆるスケールにおいて、

無駄の排除と効率化の名の下に本来必要なゆとりまでもが失われつつある

ように感じます。



そしてその過剰さがかえって大きな無駄を生んでしまうこともあります。

そこで、ゆとりとは何か、また無駄とは何かということについてきちんと考える

必要を感じ、現在ムダどり学会の会長を仰せつかりながら様々な分野の人々

とこれまでに議論をしてきました。



無駄を定義するのは極めて難しい。そこで我々が注目したのは、

人によって無駄の認識が異なるのは何故か、という問題です。

様々な事例を数百以上にわたって分析した結果、以下の2つの重要な

視点が当事者間の認識でズレていることが分かりました。



まず一つ目は「目的」です。ある目的では無駄だとしても、別目的で役に立つ、

ということがあります。これはアリの有名な例を引用してみましょう。



アリは餌場から餌を巣に運ぶのが大事な仕事の一つですが、

このときに全体の約2割から5割程度のアリは餌を運びません。

全員で餌場と巣の間を往復した方が、効率は良いはずですが、

実際にそうなっていません。



それではこの働かないアリ達は無駄か、というと、ウロウロしているうちに偶然に

新しい餌場を探し当てたり、また餌場と巣の間のより短いルートを探しだしたりします。

つまり餌の運搬という目的ではこの2割のアリは無駄ですが、巣全体の存続、

という目的では無駄ではありません。この目的をきちんと話し合わず、

暗黙のうちに議論してしまうことで意見が食い違うのです。



二つ目は「期間」です。これはたとえば無駄だから捨てよう、という人に対して、

それがいつか役に立つかもしれないと考えている人は捨てることに反対します。

そこで、期間設定を例えば一週間などと当事者間で定めれば、無駄かどうか

判断しやすくなるのです。



そして無駄の最終判断は、その設定した期間の終了時点でのみ行うべきです。

いったん期間を決めたならば、その途中でマイナス益を出してもその事業は

中止してはダメで、最後に挽回しさえすれば良いのです。

いま無駄に見えていることをしていても、それが将来に効用を生んだという例は、

誰でも思い当たる節はあるでしょう。



これは期間設定の問題で、期間を短くとれば確かに無駄かもしれませんが、

長くとれば決して無駄ではないこともあるのです。

このように、長期的視野でみたときの一時的な無駄こそが「ゆとり」と捉える

ことができます。このように目的と期間を組織で共有することこそが真の無駄

の排除にきわめて有効なのです。



※第123回(平成28年春季)東京大学公開講座 2016.06
 無駄とゆとりの科学 西成活裕 先生 先端科学技術研究センター教授



○多様な人為生態系を作り出してきた人間


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人間のもって生まれた本性をつきつめる
儒教の考え方

湯島聖堂にある孔子像(東京都文京区)


中国では人間のもって生まれた本性のことを「性」の一字で表します。

この「性」はどのようなものかという議論が大変好まれ、儒教では歴史を通じて

盛んに説かれてきました。これを「性説」もしくは「人性論」などと呼びます。



儒教は孔子(こうし)からはじまるとされます。彼の言行録である「論語」には、

今日にも十分に通じる魅力的な言葉が数多く残されています。

しかし、人間の平等性については問題のある発言も多かったようです。

普通の人の「性」はだいたい同じだが、普通ではない特別に優れた「上知」と、

特別に愚かな「下愚」の存在を語り、上中下の三種類あるとします。

これがその後の性説に大きな影響を及ぼします。



孔子から200年近く後に現れた孟子(もうし)は孔子とは異なり、

全ての人の「性」は同じであり、善であるという「性善説」を説きました。

この楽天主義的な主張は後世の人々に喜ばれ、性説としては、

孔子に勝るとも劣らぬ影響を与えることになります。



その後、荀子(じゅんし)が現れて「性悪説」を説きました。

荀子は戦国時代末の緊迫した世にあって現実主義に徹し、「礼(社会的な規範と制度)」

の設定による国家社会の安定を最重要課題として主張していました。



その理由をいくつか説くなかで、個々の人間の欲望のぶつかり合いこそ

社会が混乱する大きな一因だとして、人の「性」が悪だと説いたのです。

荀子にあたっては、人間の道徳性への凝視や、善悪そのものに対する

形而上(けいじじょう)的思索よりは、政治的・社会的視点の方が重視された

と言えましょう。



荀子の後に、揚雄(ようゆう)が現れて「性」には善悪が混在すると述べました。

その後、やはり儒教の開祖である孔子の言葉は強い影響力を持ち、

魏晋南北朝以降の帰属制による身分秩序の固定化とあいまって、

「性」すなわち人間の生まれつきを三ランクに分ける考え方が一般化します。

唐代の韓愈(かんゆ)が説いた「性三品説」はその典型です。



しかし、唐末に貴族制が崩壊し、次の宗代には身分室所から解放された

庶民層が社会に大きく進出します。すると、だれもが努力次第で栄達がかない、

果ては聖人にも成り得るとさえ言われるようになります。

この平等で希望に溢れた雰囲気の中で、孟子の「性善説」を真理とみなす

思想家が続出し、その後の定説となります。



宋代以降は、これを基準としつつ、荀子の性悪説や、孔子の性説には

どういう意味があったのかと、改めて説明が考え出されることになってゆきます。



※第121回(平成27年春季)東京大学公開講座 「悪」 2015.05
 ・性悪説─中国思想の考え方」 横手裕 先生 人文社会系研究科教授
 ・東京大学本郷キャンパス


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聖人になることを目指す学問
朱子学

南宋時代に首都機能が置かれた杭州
中国人の美意識から生まれた理想郷といわれる西湖


朱子学は、南宋の朱子(朱熹:しゅぎ)によって再構築された儒教の新しい学問体系。

朱子学の存在理由の根本となるのは、中国思想の古くからの伝統である

「天人合一(てんじんごういつ)」の考え方で、天を根源として人間が存在する思想だそう。



天人合一を完全に実現した人間を聖人と呼び、

朱子学の目的は、この聖人になることを目指す学問だそうです。



他者であれ、物であれ、すべてが自己であり、自己の血が行き通い、

自己の神経が達している。他者の痛みはすなわち自己の痛みである。

物の無秩序は自己の無秩序である。



普通の人は、壊れた椅子を修理することはできるが、

すべての存在をあるべき秩序にもたらすことは聖人にしかできない。

このような「万物一体の仁」の立場を実現するのが聖人なのだそうです。



○月夜の晩に眺めた景観美 三譚印月

○山水画から抜け出た風景 桂林


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儒教と神道の融合
儒家神道

 江戸時代初期の朱子学派儒学者 林羅山


天と人は一体である「天人合一(てんじんごういつ)」思想がある朱子学。

神と人は一体である「神人一体(じんしんいったい)」思想がある神道。

初期の日本朱子学は常に神道と習合思想を形成していたそうです。



神道における神は、例えば、「御井(みい)の神」は水の神であり、

「豊宇気毘売(とようけびめ)の神」は米の神であり、

伊勢神宮・外宮に祀られる「豊受大御神(ようけのおおみかみ)」は、

天照大御神の食事を司る神であるように、直接的には食物を指し、

さらにこれを抽象化した「生命力・活力」のような根源的な観念にあるようです。



私たちは水や米・食料がないと生きていくことができないように、

神とは人の生命力にあたり、人は外部である神に依存して存在することから、

神の物である「神物」、神と一体である「神人一体」であるといいます。



朱子学では「天人合一(てんじんごういつ)」思想のもと、聖人を目指しますが、

神道では、聖人になるのではなく、神を心に受け入れるところに違いがあるようです。



○SO HAPPY 大連|北方の良港と呼ばれる港街


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儒教から形成された
日本の近代教育制度

近代教育発祥の地といわれる湯島聖堂 (東京都文京区)
孔子を祀る大成殿


湯島聖堂は、徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、

1690年に湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった

廟殿と林家の家塾をここに移したことに始まるといいます。



その後、およそ100年を経た1797年に幕府直轄学校として、

「昌平坂学問所」が開設されたそう。



明治4年(1871)には日本で最初の博物館(現東京国立博物館)が置かれ、

翌5年(1872)には東京師範学校、明治7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、

両校は現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展したそうです。



○本物の作品で日本の文化史がたどれる東京国立博物館

○より良い社会へ変えていく人たちを育てる|文教の府 文京区


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日本の教育改革
できる者を限りなく伸ばす教育



※日本の教育改革
  教育改革と新自由主義 斎藤貴男 寺子屋新書 2004年


  「できん者はできんままでけっこう。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかり

  に注いできた労力を、これからはできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。

  百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。

  限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいて

  もらえればいいんです」



  2000年7月、私のインタビューに答え、

  教育課程審議会の前会長だった三浦朱門氏はこういいました。



  (中略)



  「国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、

  すごいリーダーも出てくる。

  日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。

  それが、"ゆとり教育"の本当の目的。

  エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」



  個人的な考えなのか、教育審全体の考えなのか問うと、

  「いくら会長でも、私の考えだけで審議会は回りませんよ。

  メンバーの意見はみんな同じでした」という明確な答えが返ってきました。



○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ


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世界を理解する姿勢
儒教と仏教の融合

収蔵している文化財の虫干しを兼ねて展示する宝物風入 2009.11
臨済宗建長寺派大本山 建長寺(鎌倉五山)の総門


中世において文化の中心だった京都五山と鎌倉五山の僧侶は、

朱子学を中国の新しい学問として認識し積極的に関心を持ったといわれます。



相模国鎌倉に生まれた中巌円月(ちゅうがんえんげつ:1300-1375年)は、

建長寺・円覚寺に参禅した後、元(中国)に渡り儒教に触れ、

仏教を内典とし、儒教を外典とすることで内典に行きつくとし、

世界を理解するには禅宗だけでは不足であったことを明確に表したそうです。



○いにしえの相模の国へ|飛鳥時代に成立したといわれる国(現神奈川県)

○鎌倉五山第一位 建長寺の宝物風入れ


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明治以降に広く知られるようになった
一神教

「最後の晩餐(1498)」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会


日本人が一神教の神観念を広く知るのは、

明治以降の近代化と西洋思想の学習によるそうですが、

そのことは多神教の神観念を日本人が誤解することにもなったと指摘されます。



日本人は、神は一神教の神も多神教の神も同じであると理解し、

多神教の神は一神教の神が複数集まったものと受けとめ、

今日、神様というと漠然とイエス・キリストのような存在を思い浮かべることが多いよう。



多神教の神は、非人格的な力の観念であり、多数の神々として現れますが、

人格はないため教義を明示しないという特徴があり、これに対して、

キリスト教やイスラム教などの一神教においての神は、実体があり、超越者であり、

唯一無二の存在であることから、人々に「十戒」のような教義を指示します。



多神教と一神教では、根本的に神に対する考え方が異なっているようです。



○地中海の風に誘われて、宝石のような街並みへ

○欧米人の精神性の根底にあるキリスト教


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太平洋戦争に伴い盛んに研究された
イスラム

第二次大戦前の1938年、日本政府・軍部・財界の支援によって
建設されたという東京ジャーミイ・トルコ文化センター(代々木上原)


日本人がイスラム世界の実情を知るようになったのは、幕末から明治にかけて、

ヨーロッパに派遣された日本人たちが中東を経由したことに始まるそうです。



第二次大戦では、中国大陸での戦争を優位に進めるため、

ムスリムを見方につける必要があったことから、イスラム研究が盛んとなりますが、

敗戦とともに研究した資料は雲散霧消してしまったそうです。



日本で再びイスラムに注目が集まったのは1973年の石油危機以降であり、

80年代にはバブル経済とともに多くのムスリムが日本に流入したといいます。



今日、日本人にとって身近な存在となりつつあるムスリムと

新たな関係を築いていく為には、譲るべくは譲り合い、どうしても譲れない点は、

お互いに尊重しあうという態度が求められているようです。



○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム


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祖国に殉じた人を斉(ひと)しく祀る
靖国神社



明治2年(1869)、明治天皇の思し召しによって建てられたという靖国神社。

国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、

その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社だそうです。



国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、

身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)

として斉(ひと)しくお祀りされているそうです。



○伝統とモダンが交差する東京へ


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身分により区画・規模が異なる
旧陸軍の墓地

旧陸軍墓地にある慰霊碑


現在も日本各地に残るという旧陸軍の墓地。



将校・下士官・兵卒などによって区画の場所が異なり、

お墓の広さや墓石の高さも異なるそうです。


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近代国家の支柱
軍隊と学校

大阪高等商業学校(現・大阪市立大学)の学校教練


近代国家は、軍隊と学校が大きな支柱だった。

全ての児童が入ることを義務づけられていたのは学校であり、

全ての男児が義務づけられていたのが軍隊である。



この2つをくぐらなければ、

社会人としての存立すら危ういとする観念が近代初頭に成立する。



もちろん、よく知られているように日本の徴兵制は、

甲種合格になった20歳の男子全員が入営するのではなく、

受検人員全員の20%前後が現役兵として入営するにすぎなかった。



加藤陽子氏(東京大学教授)によれば、根こそぎ動員のイメージが作られるのは、

1940年代のことであり、それが戦後社会の軍隊イメージになっている。



徴兵制の実態はそうであるのに、社会には通過儀礼としての徴兵検査、

さらに徴兵の観念が成立していた。まさに軍隊抜きでは日本近代は語れない。



※「万骨枯る」空間の形成 : 陸軍墓地の制度と実態を中心に
 原田敬一 先生 佛教大学教授 文学部論集 1998年



○国内・地域、そして世界の平和と繁栄を願う自衛隊

○よこすかスプリングフェスタ & 護衛艦いずも特別公開


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当時の教育の凄まじさ
沖縄戦における集団自決の構造

阿波連ビーチと沖のハナレ島 渡嘉敷島


太平洋戦争の末期、沖縄では集団自決と呼ばれる

一般住民が集団で自殺する行為が発生します。



日本の戦争責任について研究されている関東学院大学教授

林博史 先生によれば、「集団自決」とは、

「地域の住民が、家族を超えたある程度の集団で、もはや死ぬしかないと

信じ込まされ、あるいはその集団の意思に抗することができず、

自決また相互に殺し合い、あるいは殺された出来事」とされています。



「集団自決」が起きた要因には、地域社会における支配構造が背景にあり、

第1に、捕虜になることは恥であるという宣伝・教育が繰り返されたこと。



第2に、米軍に捕えられると男は戦車でひき殺され、

女は辱めを受けたうえで、ひどい殺され方をするとくりかえし宣伝・教育したこと。



第3に、米軍に投降しようとする者は非国民・裏切者とみなされ、

殺しても当然という意識が植えつけられ、

実際に戦場では投降しようとする日本人を日本軍が殺害していたこと。



第4に、日本軍とともに住民も玉砕するのだという「軍官民共生死の一体化」

意識が叩き込まれていたこと。



第5に、あらかじめ日本軍あるいは日本軍将校が住民に手榴弾を配布し、

いざというときはこれで自決せよと命令あるいは指示・勧告していこと、

などが挙げられるそうです。



※沖縄戦 強制された「集団自決」 林博史 吉川弘文館 2009
 なぜおきたのか「集団自決」の構造



○みんなで創る美ら島|大切にしてきた「うちなー」のアイデンティティ


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身分に関わりなく
一律に弔われる英連邦戦死者墓地

英連邦戦死者墓地 (横浜市保土ケ谷区)


横浜にある英連邦戦死者墓地。

かつてチャールズ皇太子・ダイアナ妃が訪れたことのあるこの地に、

2015年、子息ウィリアム王子が訪れ花輪を献花したそうです。



英連邦戦死者墓地は、大戦下にイギリス連邦として戦った

イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ共和国・

インド・パキスタン各国の戦没者を埋葬しているそうです。



墓地には、同じ形・大きさのお墓が並び、埋葬にあたっては、

戦没者の生前の身分、信条、人種、軍事上の階級に関わりなく、

平等かつ一律に弔われているそうです。



○スポーツ・文化・緑の環境・ビジネスを発信する「坂の街」 保土ケ谷

○周囲から影響を受け、周囲に影響を与えてきたイギリス

○ある夏の日曜日|フォトジェニックな港街 シドニー


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オアフ島にある国立太平洋記念墓地
パンチボウル

ハワイ・オアフ島 ホノルル
The National Memorial Cemetery of the Pacific


ハワイ・オアフ島にある国立太平洋記念墓地(通称:パンチボウル、Punchbowl)。

パールハーバー攻撃で命を落とした米軍兵士など約53,000人が眠っているといいます。



○潮風が駆け抜ける楽園 ハワイ・オアフ島


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戦死者に対する格差が解消していった
ヨーロッパ

ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache) ドイツ・ベルリン


フランス革命以前のヨーロッパでの戦争は、貴族によってお金で雇われた傭兵

(主に貧困層や犯罪者など)によって行われていたといいます。



その後、貴族に反抗して民主主義を目指したフランス革命では、

市民や義勇兵が英雄的存在となり、戦死者に対する身分差別は

徐々に解消していったそう。



第一次大戦では、自ら進んで戦地へ赴くことに熱狂した結果、

戦死者に対する格差は消滅してゆき、現在でもヨーロッパの街並みには、

無名戦士をかたどった彫刻を見かけることができるといいます。



※「絵葉書の戦争―第一次世界大戦と英霊崇拝の変容―」
 村上 宏昭 先生(西洋史学)
 平成27年度 筑波大学大学院人文社会科学研究科 公開講座 2016.02
 変革期の社会と人間V―「破壊」と「再生」の歴史・人類学―
 筑波大学 東京キャンパス文京校舎


○フランス革命の推進力となったサン・キュロット

○Liberty Leading People|民衆を導く自由の女神

○無知と貧困・愛と信念・誇りと尊厳|ミュージカル レ・ミゼラブル


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自らの意思で戦地へ赴く
第一次大戦に歓喜する市民

ミュンヘン「オデオン広場」で第一次世界大戦開戦のニュースに
歓喜する市民と、その中に写る無名時代のヒトラー ○印 1914


※わが闘争 アドルフ・ヒトラーより


  私は当時の時期を、青年時代のいらだたしい気持ちからの救済であったように感じた。

  私は今日でもはばかることなくいえることであるが、嵐のような感激に圧倒され、

  崩れ折れて、神がこの時代に生きることを許す幸福を与え給うたことに

  あふれんばかり心から感謝した。





1889年、一般家庭に生まれたアドルフ・ヒトラー。

中等学校では2度の留年を経験した後に退学となり、新たに通った学校も退学。

1907年には画家を目指しウィーンにある美術学校を受験するも不合格、

翌年、再受験するも不合格となっています。



両親から相続を受けていたこともあり、特に仕事には就かず、

絵を描いたり、劇場や図書館で過ごしたといわれ、

酒・タバコ・ギャンブルはやらず、彼女もいなかったといいます。



ヒトラーは硬直的な正規教育の課程を憎んでいたようで、

そのような中、第一次大戦が勃発します。


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英雄性の民主化
ヒトラー内閣の誕生

ヒンデンブルク大統領と握手するヒトラー首相(1933年3月)


プロイセン王国の貴族ユンカー家の長男として生まれたパウル・フォン・ヒンデンブルク。

第一次世界大戦のタンネンベルクの戦いにおいてドイツ軍を指揮して

ロシア軍に大勝利を収め、ドイツの国民的英雄だったといいます。



1933年、ついに内閣を樹立したヒトラーと握手を交わすビンデブルク大統領。

英雄の民主化を象徴するシーンだったといいます。


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ヒエラルキーに基づく社会関係から解放され、
再び健全な日常生活を取り戻す

中国・ベトナム・カンボジアなど多国籍の人々で踊る炭坑節
いちょう団地まつり 2015.10 (神奈川県横浜市)


宗教儀式・通過儀礼などの研究で知られる文化人類学者ヴィクター・ターナー。



彼のいうコミュニタスとは、日常的な構造のなかに見られる、

秩序付けられたヒエラルキーに基づく社会関係から解放されて、

非差別的・平等的・実存的であることを特徴とする「反構造」的な状態を指すそうです。



ターナーは、社会構造とコミュニタスという二つの異なった社会形態の双方を含む、

両者の弁証法的過程として「儀礼」を理解すべきであるといいます。



人間は日常生活のなかでしだいに社会統合を失う過程で

孤立・放埒(ほうらつ:勝手きまま)な状態に置かれ、社会生活の危機に直面するが、

反構造的なコミュニタス状態を通じて、

例外的な興奮状態のなかで融合・一体化して集合意識を再活性化させ、

ふたたび健全な日常生活を取り戻すと指摘します。



○個性を出し合いともに暮らせる「まち」|いちょう団地

○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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時代やジャンル、既存のヒエラルキーからの解放
玉石混交

「村上隆の脳内世界」と題される空間構成(展示室)
横浜美術館


現代日本を代表するアーティスト、村上隆のコレクションを紹介する展覧会、

「村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―」

(2016年 1月30日(土)〜4月3日(日) 横浜美術館)



「スーパーフラット」とは、平面性や装飾性といった造型的な意味のみ

に限定されるのではなく、時代やジャンル、既存のヒエラルキーから

解放された作品の並列性、枠組みを超えた活動そのものを示しており、

「芸術とは何か?」という大命題に様々な角度から挑み続ける

作家の活動全体(=人性)を包括的に表す広範かつ動的な概念だといいます。



展覧会では5つの空間構成を通して、

作家の美意識の源泉やコレクション行為の持つ意味、芸術と価値、

また政治、経済、社会との関係について広く考えさせられます。



上の写真は「村上隆の脳内世界」と題された空間構成。

巨大な人形彫刻から、木彫りの仏像、ネパールのお経、ズールー族の革スカート、

現代陶芸品、福助人形、三ツ矢サイダーのグラスなど、

ありとあらゆるものが等価かつカオティックに混在し、

展示室全体がひとつのインスタレーション作品のようです。



おもちゃ箱をひっくり返したように、あらゆるものが入り混じった様は、

ロジックやルールの遵守にばかり捉われていることに気づかされはっとします。



○混沌とした中に躍動感があふれるベトナム


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今は存在しない職業の出現と
既存職業の代替

ASIMOのデモンストレーション 2014.04
日本科学未来館


○2011年にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、

 大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう。


 デューク大学 キャシー・デビッドソン 先生 2011




○今後10〜20年で、アメリカの総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い。


 オックスフォード大学准教授 マイケル A. オズボーン先生 2013




○10〜20年以内に日本の労働者の約49%の仕事が、

 ロボットや人工知能の発達により代替できるようになる


 “2030年”から日本を考える、“今”から2030年の日本に備える。
 野村総合研究所 2015



○つながりのはじまり、地球を感じるジオ・コスモス


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さらなるフロンティアの追求
統合的視点からの理解

「ちきゅう」就航10周年記念イベント
地球深部探査船「ちきゅう」一般公開 2015.11


未知の領域が多いという海の世界。

海を理解することは、地球と私たちの将来を守ることにつながり、

海洋・地球・生命の統合的視点からの理解に挑戦してきたJAMSTECでは、

年間2,000にも上る論文を提出するといいます。



未知の領域を解明していくためには、物理や生物、化学、地学、地球史、

情報技術など多岐にわたる分野の知見や視点が求められるそうですが、

その教育の根底には、海に親しみことで海に興味をもち、海を利用して、

海を守る、海と人との共生にあるといいます。



その一方、日本は科学に対する関心が乏しいといわれ、その原因として、

初等教育における理科への興味喚起の不足や、

分野別教育が実態に合わなくなっていることが挙げられ、

新たな切り口からの教育が求められているようです。



これまで日本は、物事に取り組む際にルール遵守を求めてきたことから、

日本人はルールから逸脱することに苦手となり、今後、

ルール通りにやっていては、さらなるフロンティアの追及はおぼつかないようです。



その為には、教科書通りにできたことを評価するだけでなく、

教科書にないテーマを見出せることへの評価も大切なよう。



※さらなるフロンティアの追求 〜海洋科学技術の未来とそのビジョン〜
 パネルディスカッション
 ・川口淳一郎 先生 (JAXA シニアフェロー)
 ・成毛眞 先生 (元マイクロソフト日本法人社長)
 ・織田洋一 先生 (三井物産戦略研究所 シニアプロジェクトマネージャー)
 ・窪川かおる 先生 (東京大学 特任教授)
 ・竹内薫 先生 (サイエンス作家)
 ・堀田平 先生 (JAMSTEC 開発担当理事)
 平成27年度 海洋研究開発機構 研究報告会
 JAMSTEC2016 さらなるフロンティアを求めて 東京国際フォーラム 2016.03



○人類の未来を切り開く地球深部探査船「ちきゅう」

○いのち集まる流域 小網代の森|私たちが生きる地球の持続可能性

○豊かな放送文化を創造する人とメディアの未来


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真似るだけでは
腑に落ちない

記憶の固執 サルバドール・ダリ ニューヨーク近代美術館
The Persistence of Memory 1931 Salvador Dali MoMA


※「無門関」第三則 倶胝豎指(ぐていじゅし) 現代語訳
 ひろさちやのウルトラ禅問答「無門関」を読む 四季社 2005


 倶胝和尚(ぐていおしょう)は、誰を相手にしての禅問答であっても、

 ただ一本の指を立てるだけであった。

 この和尚のところに一人の童子がいた。

 あるとき、訪問客に問われた。

 「ここの和尚は、どのような教えを説いておられるのですか?」

 すると童子は一本指を立てた。

 このことを聞いた倶胝和尚は、そこで刃をもって童子の指を切断した。

 童子は痛みに号泣しながら逃げ去って行く。

 そのとき倶胝は、この童子を呼び止める。

 童子は振り向く。そうすると倶胝は一本指を立てた。

 その瞬間、童子は突然に大悟した。



 倶胝和尚が臨終を迎えたとき、集まった僧たちに言った。

 「わしは天龍和尚のところで一指頭の禅を教わったが、

 一生かかってもそれを使い尽くすことができなかった。」

 と、言い終えてすぐに息を引き取った。



○現代を見据えるニューヨーク近代美術館


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能動的で生彩に富んだ
人間性

 スフィンクスの謎を解くオイディプス ドミニク・アングル
ルーヴル美術館 1805


古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソフォクレスによって作られた戯曲、

オイディプス王。



テーバイの国に疫病が襲っていることを知ったオイディプス王は、

その原因を調査するため神託を聞きますが、その答えは、

ライオス王を殺害した罪人が処罰されれば、この疫病は治まるというものでした。



そこで自ら先頭に立って罪人の探索が始まりますが、

次第に見えてきたものは、父であるライオス王を殺害したのは自分自身であり、

しかも、産みの母と交わって子を儲けていたことを知るに至ります。



それを知った妻であり母であるイオカステは首をつって自害し、

オイディプスは針で自らの両眼をつき失明した上に、テーバイを去り放浪の旅に赴きます。




この物語の主人公オイディプスは、あくまでも自分の信念を貫き、

自分自身の保身よりは真実の探求を重んじる立派な人物として描かれており、

そのような人物が、自分の悪行や悪徳ではなく、過失のゆえに不幸に陥ってゆきます。



しかし、自らが破滅をかけて真実の探求へと突っ走る時、

また自らの手で自分の目を突いて放浪の旅へ赴く決意をする時、

単なる運命に翻弄される受け身の自分であることを越え、

能動的で生彩に富んだ人間性を示しているようにも思えます。



悲劇が私たちの心に訴える力を持つのは、それが、人間愛の思い、同情の念、

恐怖の情を私たちの心に呼び起こし、主人公の受難が、かえって私たちに、

心の浄化(カタルシス)に伴う快感をもたらすからだといわれます。



○自分の中にその存在を認める|オペラ「ドン・カルロ」にみる人間観

○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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「詰め込み」か、「ゆとり」かではなく
生きる力の教育



2008年、文部科学省は、学校・家庭・地域が力をあわせ、

社会全体で子どもたちの「生きる力」をはぐくむために

小・中学校の学習指導要領を改訂したそうです。



「生きる力」とは、知・徳・体のバランスのとれた力を指し、

変化の激しいこれからの社会を生きるためには、確かな学力、豊かな人間性、

健康・体力の知・徳・体をバランスよく育てることが大切だといいます。



※現行学習指導要領・生きる力:文部科学省より



○「生きる力」を奏でるクラシック

○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指すスポーツクラブ・マネジメント

○人類の智の宝庫|世界各地の文明が残した偉大な遺産を収めた大英博物館


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参  考  情  報


○神社本庁 | HOME

○神道を学ぶ(読みもの)|出雲大社紫野教会(京都市北区)

○日本の神社・寺院検索サイト - 八百万の神

○世界遺産 春日大社 公式ホームページ

○本居宣長記念館

○神々の故郷とその神話・伝承を求めて 小澤克彦-岐阜大学名誉教授

○ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 チベットハウス・ジャパン

○一隅を照らす天台宗

○高野山真言宗 総本山金剛峯寺

○お念仏のふるさと 浄土宗総本山知恩院

○時宗総本山 遊行寺

○臨済宗建長寺派大本山 建長寺

○臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺

○曹洞宗大本山總持寺

○「心身脱落」「只管打座」〜道元のたどりついた悟りとは | PHPオンライン 衆知

○能楽への誘い 〜鑑賞の手引き〜

○公益社団法人 能楽協会

○能における 『草木成仏』 の意味 - 日本文化研究センター

○無門関を読み解く

○超訳【無門関】目次|ぶんちん堂

○史跡湯島聖堂 昌平坂学問所|史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会

○東京ジャーミイ・トルコ文化センター

○MOA美術館

○国立歴史民俗博物館

○(公社) 屋久島観光協会 Official Website

○屋久島ナビ|山と渓谷社

○富山県[立山博物館]

○イラン旅行記 | 旅の空

○立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科・文化人類学(奥野克巳)

○池田 光穂 (IKEDA Mitsuho)|大阪大学教授のの日本語ポータルサイト

○地球システム・倫理学会

○環境イーハトーブの会

○100分 de 名著

○現行学習指導要領・生きる力:文部科学省

○多文化まちづくり工房 | いちょう団地

○無料の写真 - Pixabay

○コトバンク [ 時事問題、ニュースもわかるネット百科事典 ]

○フリー百科辞典Wikipedia

○伊勢神宮の衣食住 矢野憲一 角川ソフィア文庫 平成20年

○屋久島の森に眠る人々の記憶 2016.02
 ・本フォーラムの趣旨説明 柴崎茂光 先生(国立歴史民俗博物館准教授)
 ・民俗研究映像「屋久島の森に眠る人々の記憶」
 ・林業遺構に関する保存の現状−北海道の事例
   八巻一成 先生(森林総合研究所北海道支所主任研究員)
 ・宮之浦集落における岳参りの歴史
   渡邉剣真 先生(宮之浦岳参り伝承会 所願(トコロガン))
 ・参照映像 「復活した岳参り」
 ・島のモノサシ、外のモノサシ、その違い−民俗研究映像の可能性
   安藤潤司 先生(元南日本新聞社屋久島支局長)
 ・屋久島の生業・暮らしに関する映像今昔
 ・総合討論
  〈パネリスト〉八巻一成 先生、渡邉剣真 先生、安藤潤司 先生
  〈討論司会〉 柴崎茂光 先生
 ・閉会挨拶 総合司会 柴崎茂光 先生
 ・場所 新宿明治安田生命ホール

○第100回歴博フォーラム 申年のサル 2016.01
 ・サルの伝承 小池淳一 先生(民俗研究系)
 ・生活のなかのサル 山田慎也 先生(民俗研究系)
 ・サルの民俗芸能と信仰 川村清志 先生(民俗研究系)
 ・描かれたさる 大久保純一 先生(情報資料研究系)
 ・造形のなかのサル 日高薫 先生(情報資料研究系)
 ・古代東アジアの申 上野祥史 先生(考古研究系)
 ・主催 国立歴史民俗博物館
 ・場所 ヤクルトホール

○鶴見のまちの大遠忌 精進料理Festa in 大本山總持寺 2015.10
 峨山韶碩禅師本法要 曹洞宗大本山總持寺(神奈川県横浜市鶴見区)
 ・五観の偈(ごかんのげ)
  ・一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
  ・二つには己が徳行、全欠を忖って供に応ず。
  ・三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
  ・四つには正に良薬を事とすることは、形枯を療ぜんが為なり。

○二祖 峨山韶碩禅師(がさんじょうせきぜんじ)650回大遠忌(だいおんき) 正当
 曹洞宗大本山總持寺 2015.10

○[新訳]正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある
 道元, ひろさちや (訳) PHP 2013

○『無門関』を読む―ひろさちやのウルトラ禅問答 ひろちさや 四季社 2005

○無門関 西村恵信注 岩波文庫 1994

○無門関入門―禅の悟りとは何か 井上暉堂, 小池心叟(監修) 朱鷺書房 2006

○『無門関』の教え―アメリカで禅を説く 山川宗玄 淡交社 2005

○第30回 MOA美術館 薪能 2014.08
 能 観世流「八島」 梅若 玄祥
 狂言 和泉流「梟山伏」 三宅 右近
 能 観世流「殺生石 白頭」 山崎 正道

○オペラ「イル・トロヴァトーレ」 2016.02
 原作 アントニオ・ガルシア・グティエレス 『エル・トロバドール(吟遊詩人)』
 台本 サルヴァトーレ・カンマラーノ、レオーネ・エマヌエーレ・バルダーレ(補作)
 会場 東京文化会館
 主催 公益財団法人東京二期会・公益社団法人日本演奏連盟

○オペラ「さまよえるオランダ人」 2016.03
 作曲 ワーグナー
 指揮 沼尻竜典
 演出 ミヒャエル・ハンぺ
 装置・衣裳 へニング・フォン・ギールケ
 合唱 二期会合唱団・新国立劇場合唱団・藤原歌劇団合唱部
 管弦楽 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 会場 神奈川県民ホール

○大放言 百田尚樹 新潮新書 2015

○第121回(平成27年春季)東京大学公開講座 「悪」 2015.05
 ・性悪説─中国思想の考え方」 横手裕 先生 人文社会系研究科教授
 ・東京大学本郷キャンパス

○富士山の信仰と芸術−文人画家たちが見た富士 2016.03
 講師 出光佐千子 先生 (青山学院大学准教授)
 会場 横浜美術館レクチャーホール
 主催 横浜美術館協力会

○平成27年度 筑波大学大学院人文社会科学研究科 公開講座 2016.01〜02
 変革期の社会と人間V―「破壊」と「再生」の歴史・人類学―
 ・第1回「テロリストの原風景―血盟団事件と常陸三浜―」
      伊藤 純郎 先生(日本史学)
 ・第2回「津波とともに生きる人びと―東日本大震災被災地での
      フィールドワークから―」 木村 周平 先生(文化人類学)
 ・第3回「17世紀における日本社会の再編成と徳川将軍の「家」
      ―日光東照宮の研究から読み解く―」  山澤 学 先生(日本史学)
 ・第4回「20世紀における日本社会の再編成・社会調査と知識人
      ―民俗学者の例から読み解く―」 中野 泰 先生(民俗学)
 ・第5回「絵葉書の戦争―第一次世界大戦と英霊崇拝の変容―」
      村上 宏昭 先生(西洋史学)
 ・第6回「軍用地返還の経緯と跡地利用の実体験」 武井 基晃 先生(民俗学)
 【主催】 筑波大学 大学院人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻
 【会場】 筑波大学 東京キャンパス文京校舎

○破壊と再生の歴史・人類学−変革期の社会と人間−
 伊藤純郎・山澤学編 筑波大学出版会 2016年秋刊行予定

○わが闘争―民族主義的世界観 アドルフ・ヒトラー, 平野一郎(訳), 将積茂(訳)
 角川文庫 1973

○アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景 村瀬興雄 中公新書 1977

○第80回円覚寺夏期講座 円覚寺 2015.07
 ・無門関提唱 円覚寺派管長 横田南嶺 老師
 ・世界の山々をめざして 登山家 田部井淳子 先生
 ・日本文化の深層 鶴岡八幡宮 吉田茂穂 宮司
 ・置かれた場所で咲くために
  学校法人ノートルダム清心学園 シスター渡辺和子 先生
 ・小泉八雲と夏目漱石の鎌倉
  早稲田大学社会科学総合学術院教授 池田雅之 先生
 ・坂村真民という生き方 〜その人生と詩の魅力〜
  坂村真民記念館館長 西澤孝一 先生
 ・「ストレス時代を生きる」 〜元気になるための処方箋〜
  日本医科大学特任教授・心療内科医 海原純子 先生
 ・一期一会を心得る 裏千家 千宗室 家元
 ・「自分」の壁 解剖学者 養老孟司 先生

○面倒だから、しよう 渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長) 幻冬舎 2013

○「万骨枯る」空間の形成−陸軍墓地の制度と実態を中心に− 1998
 佛教大学文学部教授 原田敬一 先生

○村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―
 2016年 1月30日(土)〜4月3日(日) 横浜美術館

○JAMSTEC2016 さらなるフロンティアを求めて 2016.3
 平成26年度 海洋研究開発機構 研究報告会
 東京国際フォーラム
 ・開会挨拶 JAMSTEC理事長 平朝彦 先生
 ・来賓挨拶 文部科学省 副大臣 冨岡勉 先生
 【第1部】平成27年度成果報告
  ・平成27年度研究成果報告 白山義久 先生 (JAMSTEC 研究担当理事)
  ・〔特別報告〕「しんかい6500」が見た海底熱水活動と次世代有人潜水調査船
   川口慎介 先生 (JAMSTEC 深海・地殻内生物圏研究分野)
  ・「ちきゅう」による海底下生命圏の限界への挑戦
   〜石炭・天然ガスの形成プロセスを支える「海底下の森」の発見〜
   諸野祐樹 先生 (JAMSTEC 高知コア研究所 グループリーダー代理)
  ・「たいりくプロジェクト」が明らかにしたもの
   田村芳彦 先生 (JAMSTEC 海洋掘削科学研究開発センターグループリーダー)
  ・温暖化緩和目標・経路設定のための気候モデルと経済モデルの連携
   立入郁 先生 (JAMSTEC 統合的気候変動予測研究分野 分野長代理)
  ・土星の衛星エンセラダスの地下海に海底熱水活動があった
   渋谷岳造 先生 (JAMSTEC 海洋地球生命史研究分野)
 【第2部】キーノート(基調講演)
  私の考える海洋科学技術の未来 竹内薫 先生(サイエンス作家)
 【第3部】パネルディスカッション
  さらなるフロンティアの追求 〜海洋科学技術の未来とそのビジョン〜
  川口淳一郎 先生 (JAXA シニアフェロー)
  成毛眞 先生 (元マイクロソフト日本法人社長)
  織田洋一 先生 (三井物産戦略研究所 シニアプロジェクトマネージャー)
  窪川かおる 先生 (東京大学 特任教授)
  竹内薫 先生 (サイエンス作家)
  堀田平 先生 (JAMSTEC 開発担当理事)
 ・閉会挨拶 JAMSTEC 経営管理担当理事 篠崎資志 先生

○第20回海洋教育フォーラム  私たちの海「海をまもる」 2016.03
 ・開会挨拶 海洋教育推進委員会委員長 小林正典 先生
 ・海の海賊に気をつけろ!
  杉原耕二 先生 元海上自衛隊 インド洋派遣部隊指揮官
   三菱重工竃h衛・宇宙ドメイン艦艇事業部顧問
 ・海の生き物たちをまもれ! 保科正樹 先生 水産庁増殖推進部長
 ・海の中をのぞいてみよう 浦環 先生 東京大学名誉教授
   九州工業大学社会ロボット具現化センター センター長
 ・講師との交流トーク
 ・閉会挨拶 海洋教育推進委員会東京支部主査 北澤大輔 先生
   東京大学 生産技術研究所 機械・生体系部門 海洋生態系工学 准教授
 ・司会 木原一 先生 防衛大学教授
 ・ビデオ上映「語り継ぐ想い」
 ・会場 記念艦「三笠」講堂
 ・主催 (交社)日本船舶海洋工学会 海洋教育推進委員会
 ・協力 (交財)三笠保存会、よこすか市民会議(YCC)
 ・後援 横須賀市教育委員会、教育新聞社

○第44回日本交流分析学会 中央研修会 2016 春 2016.02
 誤解されてきた「自我状態」と「構造分析」
 〜カウンセリングでの「エゴグラム」の本当の用い方〜
 ・総合司会
  吉祥寺通り花岡クリニック 花岡啓子 先生
 ・開会挨拶
  日本交流分析学会 教育研修委員長・第44回中央研修会 実行委員長
  学習院大学学生相談室 細谷紀江 先生
 ・講義で学ぶ「エゴグラム」の本当の用い方
  神奈川大学保健管理センター 江花昭一 先生
 ・ケースで学ぶ「エゴグラム」の本当の用い方
 ・ケース提示
  エゴグラムを用いたアスリート理解と心理支援 法政大学 中澤史 先生
 ・コメント・総合討論
  東京大学 吉内一浩 先生
  福岡県立大学 杉田峰康 先生
  神奈川大学 江花昭一 先生
  法政大学 中澤史 先生
  司会・フロア参加者
 ・会場 日本大学文理学部 百周年記念館
 ・主催 日本交流分析学会・教育研修委員会

○エリック・バーンの交流分析 フロイト、ユング、アドラーを超える心理学
 イアン・スチュアート 日本交流分析学会(訳) 実業之日本社 2015

○仏教と儒教 −日本人の心を形成してきたもの−
 主任講師 竹村牧男 先生 (放送大学客員教授・東洋大学学長)
        高島元洋 先生 (放送大学客員教授・お茶の水女子大学大学院教授)

○歴史からみる中国('13)
 主任講師: 吉澤誠一郎 先生 (放送大学客員准教授・東京大学大学院准教授)

○文化人類学('14)
 主任講師 内堀基光 先生 (放送大学教授・一橋大学名誉教授)
        奥野克巳 先生 (立教大学教授)

○哲学への誘い('14)
 主任講師 佐藤康邦 先生 (放送大学客員教授・東京大学名誉教授)

○ドイツ哲学の系譜('14)
 主任講師 佐藤康邦 先生 (放送大学客員教授・東京大学名誉教授)
        湯浅弘 先生 (放送大学客員教授・川村学園女子大学教授)

○現代哲学への挑戦('11)
 主任講師 船木亨 先生 (放送大学客員教授・専修大学教授)

○精神分析とユング心理学('11)
 主任講師 大場登 先生  (放送大学教授)
        森さち子 先生 (放送大学客員准教授・慶応義塾大学准教授)

○イスラーム世界の歴史的展開('11)
 主任講師: 三浦徹 先生 (放送大学客員教授・お茶の水女子大学教授)

○世界の中の日本('15)
 主任講師 高橋和夫 先生 (放送大学教授)

○横浜商工会議所戸塚支部 産業視察見学会 2016.03
 山崎製パン 横浜第一工場・渇。浜リテラ 本社工場 見学会


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