カムイありて我あり、我ありててカムイあり

釧路と網走をつなぐ釧網線の旅


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アイヌの人たちとともに
シャマンの仮面

北海道立北方民族博物館


3つの顔が描かれているシャマンの仮面。一番上の小さい顔は人間の世界を表し、

真ん中のフクロウは動物の世界、下の大きな顔は精霊を表しているといいます。



シャマンとは、超自然的存在と直接接触する役割を担う

呪術者や巫(かんなぎ≒神主)、祈祷師のことだそう。



アイヌは「人間」を意味し、アイヌ民族の祖先は、

北海道の地をアイヌモシリ(人間の静かなる大地)と呼んだといいます。



自然界をカムイ(神々)として謙虚に祈り、自然の恵みに感謝をし、

「カムイありて我あり、我ありててカムイあり」との互助精神で、

自然を改造・破壊・汚染することなく生活してきたそうです。



○サロルンチカプリムセ(鶴の舞)|釧路川キャンプ & カヌーツーリング

○人類の智の宝庫 大英博物館

○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム


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東北海道の中核都市
釧路

釧路駅


北海道の東部、太平洋岸に位置し、「釧路湿原」「阿寒」の

2つの国立公園をはじめとする雄大な自然に恵まれた釧路。



東北海道の中核・拠点都市として

社会、経済、文化の中心的な機能を担っているそう。



酪農を主力とする豊かな農業生産、豊富な森林資源を有する林業、

そして国内有数の水揚げ量を誇る水産業など、日本の食料基地といえる地域であり、

大規模な食品・製薬工場や製紙工場のほか、全国唯一の石炭鉱業所が操業しており、

地域の主力産業として地域経済の核になっているそうです。


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かけがえのない大自然
守られているのは私たち

釧路市動物園


世界的に数少ない動植物を育んできた釧路湿原と森林に

囲まれた地域にある釧路市動物園。



園内にある北海道ゾーンでは、

同じ地域で共に暮らしている動物について知ることができます。



そこから自然の成り立ちを理解することで、彼らにとって必要な自然を保全し、

どのような距離を置きながら接するのが良いのか考える機会となります。



自然の声に耳を傾けてみると、守られているのは私たちのようです。



○人と自然の共生|野外活動に触れ生きる力を研ぎ澄ます

○Thanks to …, and Thanks a lot|おかげで、そしてありがとう


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海は私達の憩いの場
釧路フィッシャーマンズワーフ MOO



釧路川に隣接するウォーターフロント、釧路フィッシャーマンズワーフMOO。



施設内には港町ならではの新鮮な魚介類、野菜や乳製品が並び、

地元食材を使ったレストランや地元スイーツなどの物産など

総合観光複合施設となっています。



○海運が支える日本の豊かな暮らし


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夏のヒアガーデンにカムヒア!!
釧路すえひろヒアガーデン

釧路市栄町平和公園


2015年8月3日〜8月28日の期間で開催された「釧路すえひろヒアガーデン」。

当日の釧路の気温は19℃で、

札幌は21℃、東京26℃、那覇30℃、甲子園は30℃だったそう。



涼しい釧路の夏の夜を楽しむイベントとして、

ビールのほか熱かんが販売され、防寒のためベンチコートの貸出もありました。


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人気ラーメン店が大集結
釧路ラーメン元気横丁



釧路の繁華街 末広にある釧路ラーメン元気横丁。

4つの人気ラーメン店が軒を連ねています。



店内は繋がっていて、どこか1つの店舗で、

みんな別々のラーメンを食べることができます。


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ここから始まる釧網線の旅
釧路駅

釧路駅の改札


釧路駅には、滝川と根室をつなぐ根室本線(釧路−根室間は花咲線)、

釧路と網走をつなぐ釧網線(せんもうせん)が乗り入れています。



ここから釧網線の旅が始まります。


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心癒される、森と水の楽園
ノロッコ号



5月〜10月の期間に運行されるという「釧路湿原 ノロッコ号」。



釧路駅から塘路駅までをつなぎ、釧路湿原をゆっくり走る車窓からは、

ここでしか見ることのできない大自然や動物たちに出会います。



○都営荒川線に乗って|偏見を取りはらい理性を自立させる


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雄大な湿原をゆっくり眺める
ノロッコ号の展望車



ノロッコ号は、広い窓から雄大な湿原をゆっくり眺めながら走る列車です。



機関車の後ろには5両の車両が連なり、2〜5号車はノロッコ特性の展望車両。

6人掛けのボックス席と、2人掛けのベンチ席があります。


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日本最大の湿原
釧路湿原

細岡展望台


日本に遺された最大の湿原という釧路湿原。



ヨシ・スゲ湿原、ミズゴケ湿原やハンノキ林、蛇行した河川や湖沼(こしょう)など、

多彩な姿をもつ湿原には、タンチョウ、イトウ、キタサンショウウオ、

エゾカオジロトンボといった希少な野生生物が生息しているといいます。



○黄金色に染まる尾瀬ヶ原|高層湿原の短い秋

○風が通り抜ける湿原 箱根仙石原

○たおやかに熟成してきた白神の時間


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太古の昔
海だった湿原域

釧路川上空を飛ぶオジロワシ


約1万年〜6千年前は気温の上昇により、現在の湿原域は海だったといいます。

その後、約6千〜4千年前にかけて、海水の下に泥炭などがたまり湿原ができはじめ、

約3千年前〜現在にかけて海水は引いていき、現在の湿原の姿になったそう。



※環境省より


○青き惑星 地球|海洋・地球・生命の統合的理解への挑戦

○太古からの生命が息づく奄美大島

○最後の清流 高知・四万十川


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屈斜路湖を源とする154kmの川
釧路川

釧路川の源流域


阿寒国立公園にある屈斜路湖から流れ出る全長約154kmの釧路川。



弟子屈原野を流れ、標茶町において釧路原野に入ってからは、

オソベツ川、久著呂川などを合わせ、岩保木において新釧路川となり、

釧路市で太平洋に注ぐそう。



急流の多い日本の川にあって、釧路川は、

上下流の標高差が120m程度しかない穏やかな川だそうです。



古くから釧路内陸と釧路を結ぶ交通路として栄え、明治に入ってからは、

人や硫黄、木材、食料などが往来する道としての役割を果たしてきたといいます。



昭和6年の釧網線(せんもうせん:釧路−網走)の開通により、

釧路川の交通路としての役割は終わりを告げ、現在では、

かつての汽船に代わって、大勢の人がカヌーでの川下りを楽しんでいます。



※国土交通省 北海道開発局より



○サロルンチカプリムセ(鶴の舞)|釧路川キャンプ & カヌーツーリング

○カヤックに乗ってみなと横浜の海を散策

○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川


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夜空を横切る星の川
天の川



夜空を横切る光の帯、天の川。

七夕の夜に織姫と彦星はこの川を渡って1年に1回だけ会うという

伝説が生まれたように、天の川は夏の夜空に見えるそうです。



天の川が星の集団であることが確かめられたのは、いまから約380年前、

はじめて望遠鏡で天体観測したガリレオによって。

約150年前には、イギリスの天文学者ハーシェルが星の方向をチェックする

ことによって「星は凸レンズのような範囲のなかに分布している」という説を

唱えたそうです。



銀河系の構造が正しくわかってきたのは、電波による観測が進んできてから

だといいますが、その結果、銀河系の形はハーシェルの説の通り、

横から見ると薄い凸レンズ状なのだそうです。



上からみると、渦巻き状で、直径は10万光年、中心部の厚さは1万5000光年。

地球は、銀河系の中心部から3万光年離れて中心部を約2億年かけて公転しており、

中心部から離れた地球から、星がよく見える中心部を見るには夏がいちばん。



冬は銀河系の外側をみているため、天の川が見えにくのだそうです。



※星空ウォッチングと四季の星座 双眼鏡ではじめる星空探検
  アストロフリーク 2000/編 日東書院 より



○湘南に夏の訪れを告げる平塚・七夕まつり


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ノロッコ号の終着
塘路駅



ノロッコ号で釧路から40分強、終着である塘路駅に到着です。

塘路は、アイヌ語で「沼の所」を意味する「ト・オロ」からついたそうです。


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有数の自然に囲まれた路線
釧網線

JR釧網線 塘路駅


釧路から網走まで160kmあまりの距離がある釧網線は、

沿線に国立公園3つ、国定公園1つを有するそうです。

道内でも有数の自然に囲まれた路線ということを肌で感じます。


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漁業が営まれる
塘路湖



塘路湖には、イトウ、ワカサギ、コイ、ウグイなどが生息しており

漁業が営まれているそうです。



冬は全面結氷した氷の一部が盛り上がる「御神渡り」が見られたり、

氷上でワカサギ釣りなどを楽しむことができ、

かつては自動車で乗り入れることができたそう。


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海だった頃の名残り
海跡湖

シラルトロ湖


かつては海だったという釧路湿原。

気温の低下に伴い海水面の後退によって平野部は湿原化しますが、

一部水が取り残され、そこに海跡湖がつくられたそうです。



シラルトロ湖や塘路湖はその名残なのだそう。


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タンチョウの来る駅
茅沼

茅沼(かやぬま)駅 標茶町


タンチョウの給餌場の一つという茅沼駅。



昭和39年の水害によって餌場を失ったタンチョウに、代々の駅長が餌付けをして

成功したのがきっかけで、以降、毎年タンチョウが飛来するようになったようです。


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湿原に宿る神
タンチョウ



昔から「瑞鳥(おめでたい鳥)」として親しまれてきたというタンチョウ。

アイヌの呼び名「サルルンカムイ」は、「葺原内にいる神」を意味するそうです。



乱獲や開発による生息地の減少などにより1880年代後半(明治時代)には

絶命したと思われていましたが、大正時代に釧路湿原で十数羽が再発見

されてから、地域住民を中心に大切に保護されてきたといいます。



冬季の餌資源を給餌(きゅうじ)に依存することで近年は個体数が1,000羽を

超えるまで劇的に回復しましたが、新たな保護の取り組みが必要になって

きているとの事です。



※TREASURES of Our Natural Heritage 環境省より


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摩周湖の玄関口
摩周駅



かつては弟子屈(てしかが)という駅だった摩周駅。

1990年(平成2年)、観光振興のために改称したそうです。


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世界最高の透明度を記録した
摩周湖

摩周湖に浮かぶカムイシュ島
アイヌ語で「神老婆」という意味があるそうです


摩周湖は高さ300m程の崖に囲まれたカルデラ湖で、

国立公園特別保護地区にしてされており、湖への立ち入りは厳しく制限され、

湖岸までの道路もないそうです。



毎年、特別な許可をとり、水深211mの最も深い位置で

湖水を深さ別に採水・調査するそう。

調査には、湖岸までの急峻な崖を人がかついで必要な道具を降ろし、

帰りには採取した試料とともにこれらを待ちあげるという重労働が伴っているそうです。



このような調査の結果、1931年には世界最高の透明度41.6mが記録されたそう。

現在の透明度は、およそ20m前後だといい、水質の悪化が心配されていますが、

それでもなお日本を代表する高い透明度を誇る湖だそうです。



※摩周湖のふしぎ−摩周湖を科学する−
 独立行政法人 国立環境研究所 地球環境研究センター


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囚人を働かせた
川湯硫黄鉱山

背後に硫黄山を望む川湯温泉駅


かつては硫黄鉱山であった川湯。

当時、硫黄はマッチなど火つけに用いられたといいます。



明治時代、安田財閥によって開発されたという川湯硫黄鉱山(跡佐登:あとさのぼり)は、

標茶町にあった釧路収治監(くしろしゅうじかん≒監獄)の囚人を働かせたそうです。


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鉱業から温泉観光へ
人々の暮らしの中にある硫黄山



硫黄山(アトサヌプリ)はアイヌ語で「裸の山」を意味するそうです。

硫黄山と人との出会いはアイヌの人々が硫黄山の硫黄を

たきつけに使っていたことに始まるといいます。



明治時代には硫黄の採掘事業が始まり、これをきっかけに、

釧路を含む道東開拓が加速し、川湯が世の中に知られるようになったそう。



時代が変わり硫黄の需要が減少し採掘は中止されますが、

川湯は強酸性成分をもつ温泉湯治場として注目されるようになります。



硫黄山は阿寒国立公園・川湯地域のシンボル的な存在ですが、今では、

川湯で生活する日と比土には温泉の源として旅行者には観光地として

親しまれています。



※川湯エコミュージアム 案内文より


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硫黄山の爆裂火口
熊落し



数百年前に噴火したと考えられている硫黄山の爆裂火口は、

「熊落し」と呼ばれているそう。



活火山などで有毒な硫気(りゅうき)が噴出している周辺には、

特異な植生発達(硫気孔原(りゅうきこうげん)植生)することが知られ、

「熊落し」から麓を見ると植物の変化がわかるそうです。


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自然の造形
硫黄成分の結晶



今も大小合わせて1,500ヶ所以上の噴気孔から火山性ガスを

含んだ水蒸気が上っている硫黄山。



噴気孔の周辺には硫黄の成分の結晶が付着し、

内部にせっせと硫黄を蓄積しているそうです。


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クマ目撃により閉鎖されている
つつじヶ原自然探勝路

川湯温泉


川湯温泉から硫黄山までをつなぐ約2.5キロの散策路、

つつじヶ原自然探勝路。



2015年夏は、熊の目撃により入林禁止となっていました。

地元の方のお話では、この近辺は熊の通り道だそうで、

熊からみたら人間がまた居たと思っているのでは、との事でした。



○色鮮やかな花を咲かせる つつじ・しゃくなげの小路


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エサやりがクマを殺す
クマに近づかないで



コードネーム97B−5,またの名はソーセージ。



初めて出会ったのは 1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。

翌年の夏、彼女はたくさんの車が行きかう国立公園入口近くに姿を現すようになった。



その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。

観光客が彼女にソーセージを投げ与えていたというのだ。

それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。

人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、

彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。

そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。




我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。

かつて北米の国立公園では、餌付けられたクマが悲惨な人身事故を

起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。

我々は彼女を必死に追い払い続け、厳しくお仕置きした。

人に近づくなと学習させようとしたのだ。

しかし、彼女はのんびりと出歩き続けた。



翌春、ついに彼女は市街地にまで入り込むようになった。

呑気に歩き回るばかりだが、人にばったり出会ったら何が起こるかわからない。

そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べはじめた。



もはや決断のときだった。

子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。



私は近づきながら弾丸を装填した。

スコープの中の彼女は、一瞬、『あっ、』 というような表情を見せた。

そして、叩きつける激しい発射音。ライフル弾の恐ろしい力。

彼女はもうほとんど動くことができなかった。

瞳の輝きはみるみるうちに失われていった。



彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻って行くはずだった。

それは、たった 1本のソーセージで狂いはじめた。

何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。

けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、

失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えて欲しい。



※知床財団
※川湯エコミュージアム 案内文 より


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ヒグマの寿命を縮める
人馴れ



熊は人間と近い距離で出会ったり、人間から食べ物をもらったりすると、

ヒトの存在を恐れないようになり、人馴れしてしまうそうです。



人慣れした熊は、白昼から人家付近に出没するようになり、

生ゴミや干し魚を食べてしまう機会が増えるそう。



一旦このような人為的食物を食べたヒグマの行動は、急激に変化するといいます。



自然には無い魅力的な味の餌を求めて、人間を追いかける、車に侵入する、

あるいは人家や倉庫に侵入するような個体になってしまうそうです。



餌付けや生ゴミなどによって野生本来の行動をゆがめられてしまった「危険なヒグマ」は、

人身事故防止のため、最終的に殺されてしまう運命にあるといい、

過度の人馴れは、ヒグマの寿命を縮めてしまうそうです。



彼らに愛情を感じているならば、彼らを長生きさせるためには

どのような距離感で接すれば良いか、真剣に考える必要があるといいます。



※知床財団 ヒグマに対する私たちの考え方と取り組み


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厳粛な儀礼
クマの霊送り

北海道立北方民族博物館


森林で狩猟する北方の人々の多くは、

クマを獣のなかでもっとも崇高な存在とみなしてきたそうです。



「クマの霊送り(イヨマンテ)」は、

毛皮や肉などをアイヌの人たちに届ける役割を果たすために、

アイヌモシリ(人間の静かなる大地)を訪れたクマの霊を

それが住む世界へ送り返すための儀礼だといいます。



クマを殺したときには、その頭の骨を高い木の上に安置したり、

美しく飾って祭壇の柱に掲げたり、専用の小屋に納めるなどして、

丁重な霊送りを行ってきたそう。



このようなクマの霊送りは、北方ユーラシアから北アメリカにかけての

多くの民族に共通した共同体の重要な儀礼となってきたそうです。



※アイヌの人たちとともに−その歴史と文化− アイヌ文化財団
※北海道立北方民族博物館 案内文 より


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川湯出身の名横綱
大鵬

大鵬相撲記念館


不滅の名横綱とたたえられる第48代横綱大鵬。

川湯温泉は大鵬が少年時代を過ごし、大きな夢を育てた郷里だそうです。



優勝32回、そのうち全勝優勝8回、六場所連続優勝は2回。

大鵬相撲記念館は、相撲史上に数々の金字塔を打ち立てた

大鵬の偉業を後世に伝えています。



○日本の姿勢を伝える大相撲


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日本最大のカルデラ湖
屈斜路湖

砂湯


周囲57km、最大深度117.5mの湖、屈斜路湖。



面積では、琵琶湖・霞ヶ浦・サロマ湖・猪苗代湖・中海(なかうみ)に次ぐ第6位、

カルデラ湖では日本最大の湖だそう。



屈斜路湖の東側、道道52号=クッシー街道沿いにある「砂湯」は、

名前の通り屈斜路湖畔の砂浜を掘ると温泉が出て露天風呂になります。


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国の特別天然記念物
阿寒湖のマリモ



マリモは、水深2〜3mの浅い湖底の、ごく限られた場所にいるそうです。

今から40年ほど前までは、観光客を船にのせてマリモがいる場所へ出かけ、

湖底のマリモを見ることができたそう。



しかし、生活排水などで湖の水が汚れ、水面からマリモをみることが難しくなり、

今では、マリモを保護する考えから、船がマリモのいる場所の上を通ることは

禁止されているそうです。



※国の特別天然記念物 ”阿寒湖のマリモ”公式ホームページ「マリモWeb」より


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湖と森とマリモの街
阿寒湖

阿寒湖温泉街


阿寒湖畔の南岸に位置する温泉街には、

ホテル・旅館をはじめ飲食店やお土産屋さんが建ち並んでいます。


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アイヌ古式舞踊を見学できる
阿寒湖アイヌコタン



阿寒湖温泉街の西にあるアイヌ民族のコタン(集落)。

アイヌの神々がデザインされたモニュメントが並び、

アイヌ料理を味わえるお店や民芸品などが軒を連ねています。



アイヌシアターイコロでは古典舞踊を鑑賞できるほか、

アイヌ文化に触れる様々なプランがあります。



○日本の成り立ちを語る雅楽|日本で最も古い古典音楽

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力


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神々と一緒になって楽しむ
アイヌの踊り



アイヌの人たちは儀式のとき、親しい人たちが集まったとき、あるいは

仕事をしているときなどには必ずといっていいほど歌い、踊ったそう。



踊りにはリムセ、ウポポ、ホリッパと呼ばれる大きな輪になって踊るもの、

神々への祈りを表したもの、遊びの要素を含んだもの、

悪い神を追い払う儀礼から生まれたもの、豊漁猟を祈願するもの、

労働の様子を表したもの、動物の動きを表したものなど、

様々な種類がありますが、そのほとんどは女性を主として踊られるもので、

男性だけり踊りはごくわずかだそうです。



アイヌの人たちに踊りとは、自分たちが踊って楽しむものであり、

また神々もまた一緒になって楽しむものだったといいます。



※アイヌの人たちとともに−その歴史と文化− アイヌ文化財団より



○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術 ミュージカル

○自分の中にその存在を認める|オペラ「ドン・カルロ」にみる人間観


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健康的に生活するための心理的要素
音楽

北海道立北方民族博物館


北方地域のシャマンが超自然的な世界の神霊や精霊と接触するために、

我を忘れたトランス状態になるためには、太鼓が不可欠だったそうです。



一方で、家のなかに閉じこもりがちな長い冬の間、

人々が健康的に生活するための心理的要素として、

音楽の存在はみのがせないといいます。



※北海道立北方民族博物館 常設展示 案内文より



○新たな響きが奏でる未来|日本人の音楽的アイデンティティ

○命から生まれた嘆き・希望・美しさ|世界の民族音楽

○忘我の境地に達するイスラームの儀式 セマー


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民族のアイデンティティを示す
衣類

北海道立北方民族博物館


伝統文化が急速に失われつつあるなかで、衣類はその民族のアイデンティティを

示す役割をもつち、現在も機会あるごとに着用されているそうです。



人々は限られた動物・植物資源の性質を活かし、

現代の衣類に勝るとも劣らないものを作ることによって

北方の寒さに適応してきたのだそう。


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アザラシの腸から作られた
防水服

北海道立北方民族博物館


水上での猟や船旅の際に着用する防水性に富んだこの衣服は、

おもにアザラシの腸から作られているそうです。



チュクチ(シベリア北東)やアリュート(アリューシャン列島)、イヌイト(カナダ北部)

など北大西洋から北極海沿岸で海獣狩猟を行う民族に多くみられ、

腸の継ぎ目は水の侵入を防ぐよう厳重に縫い合わされているといいます。


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網走モヨロアイヌの貞操帯
ウプソル

網走郷土博物館


ラ・ウンクッ(下帯)とも呼ばれ、

婦人を守るものとして一人前の女性になった時、

母が娘に締め与え、その製法も教えたのだそう。



○セクシュアリティとジェンダー 文学にみる女性観


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願いをつなげる四島(しま)のかけ橋
北方領土

国後島 古釜布(ふるかまっぷ)
ロシア語ではユジノクリリスク


北方領土は、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)、色丹島(しこたんとう)、

歯舞群島(はぼまいぐんとう)を指すそうです。



北海道本島から肉眼で見ることのできる国後島(くなしりとう)は、

根室半島と知床半島との中間、北海道本島の沖合16kmの地点に

位置する全長122kmの島。

面積は1,489.3kuで沖縄本島のおよそ1.2倍だといいます。

(北方領土最大の択捉島は沖縄本島のおよそ2.6倍)



第二次世界大戦の末期まで、島々には多くの日本人が住んでいたそう。



※独立行政法人 北方領土問題対策協会より


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オホーツク海に面する
浜小清水

釧網線 浜小清水駅 小清水町


オホーツク海に面する釧網線の駅、浜小清水(はまこしみず)駅は、

止別川の支流「ポンヤンペッ」(小さな冷たい川)を意訳して村名としたものだそう。



かつては、アイヌ語の「丘のきれている所」を意味する「古樋(ふるとい)」

という駅名だったそうです。


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野鳥の楽園
濤沸湖



濤沸(とうふつ)はアイヌ語の湖の口を意味する「トプッ」からきているそう。



夏は、濤沸湖周辺に広がる湿性草原にヒオウギアヤメが咲き、

砂丘の小清水原生花園とは違った花畑が見られます。

湖のほとりには牛や馬が放牧され、のんびりと草を食むのどかな情景が広がります。

厳しい冬の前には、南へ渡るオオハクチョウやさまざまなカモなど

50種類を超える渡り鳥がここに立ち寄り羽を休めます。



四季を通じて250種ほどの野鳥が見られる野鳥の楽園なのだそう。



○雄大な空の旅をする渡り鳥|各国にて大切にされている国際親善大使


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最も大きなサギ
アオサギ



全長90cm程になるという大型の鳥、アオサギ。

ツルと勘違いしてしまいますが、ツルは木にはとまらないのだそう。



釧路湿原へは3月中旬に渡ってきて、湿原や周辺の水辺で9月頃まで

姿を見ることができるといいます。

塘路湖畔には集団営巣地であるコロニーが形成されているそうです。


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花が咲く時期に停車する臨時駅
原生花園駅



オホーツク海を臨む原生花園駅は、例年、

5月から10月までの営業となっている臨時駅だそう。



1970年代に廃止され、

1980年代に原生花園の周辺整備とともに復活したといいます。


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オホーツク海と濤沸湖に挟まれた細長い砂丘
小清水原生花園

オホーツク海の向こうに見える陸地は知床半島


小清水原生花園は、オホーツク海と濤沸湖(とうふつこ)に挟まれた

約8kmの細長い砂丘だそう。



クロユリの神秘的な花がオホーツクの短い夏の到来を告げると、

濤沸湖の湖畔にセンダイハギ、ヒオウギアヤメの群生が広がります。


7月になると、町花であるエゾスカシユリやエゾキスゲ、ハマナスなどの

代表的な花が咲きそろい、黄色やピンク、紫といった色とりどりの天然の

花畑がみられます。



6月から8月にかけて、約40種類の花がその時々で楽しむことができ、

6月中旬から7月下旬がもっとも美しい時期となり、

色鮮やかな花々で原生花園が賑わいます。



※小清水町役場より



○歩く姿は百合の花|自然を愛するすべての人へ

○飾らない美しさ 透かし百合

○美瑛に広がるパッチワークの丘


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ギリシヤ語の鶴に由来するという
ハマフウロ



フウロソウ科の多年草、エゾフウロ

(浜風露、Geranium yesoense var. pseudo-palustre)。



属名の Geranium はギリシャ語の「geranos(鶴)」に由来し、

種小名の yesoense は「北海道の」という意味があるそうです。



○小さな想いを秘めるスミレ


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晩夏の季語になっている
ハマナス



バラ科の落葉低木、ハマナス(浜茄子)。

花は乾燥してお茶に利用され、果実はジャムやお菓子などに利用されているそう。



○真夏に濃淡な紅の花を咲かせるサルスベリ


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生薬として利用される
ツリガネニンジン



キキョウ科の多年草、ツリガネニンジン(釣鐘人参)。

和名の由来は、花が釣鐘状で、根が朝鮮人参に似ているところからきているそうです。

春の若芽は山菜として親しまれ、太い根茎は生薬として利用されるそう。



○内面の美が備わった花 芍薬

○穏やかで優しげな風情 花菖蒲

○花びらが幾重にも重なる魅力的な花 ラナンキュラス


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オホーツク海に面し湖と山に囲まれた自然豊かな町
網走

先住民族モヨロ人の像 網走駅


網走は流氷のイメージからなのか、寒くて雪もたくさん降る厳寒の地という

印象を持っている人が多いといわれますが、

実は北海道の中では雪も少なく冷え込みも穏やかなのだそう。



一年を通して晴天が多く、年間降水量・功績量も少ない地域で、

災害も少ない過ごしやすい場所だといいます。


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モヨロ人のムラの跡
モヨロ貝塚

竪穴住居跡


網走川の河口にあるモヨロ(最寄)貝塚は、今から約1300年前の網走に

暮らしたモヨロ人のムラの跡だそう。

北からの渡来民族であったモヨロ人の暮らしは「オホーツク文化」と

呼ばれる独特なものだったといいます。



昭和22〜23年、ここで東京大学や北海道大学などの研究者によって

発掘調査が行われ、大型の住居祉や特異な埋葬形態のは墓、貝塚など、

きわめて豊富な資料が発見されたそうです。



それまで土器、骨角器など、断片的な資料によっていたオホーツク文化の研究は、

この調査を境にして飛躍的に発展したといいます。


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モヨロ貝塚にある
墓の特徴

モヨロ貝塚にある墓域


墓は住居に近い墓地に穴を掘ってつくられたそう。

このとき、頭の向きは北西方向に向け、

死者の顔を覆うように、壺を逆さまにして被せたといいます。


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頭に壺を被せる
オホーツク人独特の埋葬

モヨロ貝塚8号墓


死者は、住居のそばや、住居からやや離れたところに葬られたそう。

埋葬にあたっては、手や足の関節を折り曲げたり、

頭の置く方向を一定にするなどのきまりがあったといいます。



死者には生前に愛用していたものと思われる玉や耳飾りなどの装身具、

刀や小刀などの金属製品、土器、石器などがそえられていたそうです。



※北海道立北方民族博物館 常設展示 案内文より



○生と死のはざ間にある「時」を歩む


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北海道を切り開いた囚人
網走監獄

博物館 網走監獄


網走国定公園の景勝天都山網走湖側に位置する「博物館 網走監獄」。

明治以来、網走市と深く関わりを持っていた網走刑務所旧建造物が

保存公開されています。



北海道開拓といえば屯田兵や入植団の活躍が知られていますが、

開拓の礎となったのは囚人労働だったといいます。


明治時代の初め、政府はロシア帝国の南下政策に備えるため、

北海道の開拓を急ぐ必要がありました。



一方、国内では混乱が続き、氏族反乱などから数多くの政治犯、思想犯が

収監されたそうです。そこで、北海道に監獄(集治監:しゅうじかん)を設置し、

囚人を労働力として使うことが考え出されたといいます。



北海道の大地を貫く道路や鉄道も、港も、農地も、

最初に切り拓いたのは囚人だったそう。



○最後のロシア帝国皇帝、ニコライ2世

○北海道を中心に配備されたという90式戦車


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豊かなオホーツクに活気みなぎるまち
網走市街



母なるオホーツクの海に抱かれ、湖と森の美しい自然にかこまれた網走。

市民には、遠いむかしから風雪にたえぬいて、この地を切り拓いてきた、

たくましい先人の心がうけつがれているそうです。



海と山の深い緑をいつまでも美しく、豊かな心を育んできた人々は、

受け継いだ文化に学び、世界の人々と手をつなぎ、新たなオホーツク文化を創り、

人の命を大事にする明るく住みよい街づくりを目指してきたそうです。



※網走市民憲章 昭和47年7月17日制定 より


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ホタテガイ養殖発祥の地
日本最大の喫水湖 サロマ湖

幌岩山 サロマ湖展望台より


喫水湖では日本最大というサロマ湖は、ホタテガイ養殖発祥の地なのだそう。

現在では、湖面の50%以上がホタテガイとカキ養殖に利用されているほか、

沿岸域ではカレイ刺し網、ウニ桁網、エビ篭漁業などが行われているそうです。



またサロマ湖は外海へ放流するためのホタテ稚貝の生産漁場となっており、

この稚貝により外海では約7万トン余りのホタテガイが生産されているといいます。



※サロマ湖養殖漁業協同組合より


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原生植物の宝庫
キムアネップ岬



サロマ湖の東南に伸びているキムアネップ岬。

初夏から秋にかけて、次々と変化する色とりどりの草花は、

大地を赤く染めるサンゴソウをはじめ、ハマナス・センダイハギ・

ヒオウギアヤメなど約50種類が咲き乱れます。



○Life in Green 緑の命を未来へつなごう|小石川植物園


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日本一サンゴ草の群生地
能取湖



サンゴ草は塩分の多い湿地に生える葉のない一年草で、高さは10〜20cm。

多くの節がある茎が対生し、9月中旬から10月にかけて

サンゴのように美しい赤変をし、ヤチサンゴやアツケシ草とも呼ばれるそうです。



日本では網走国定公園に最も多くみられ、

とくに能取湖南岸の卯原付近の大群生は日本で最も美しい景観だといわれます。



静かな湖面に澄みきった空に映えサンゴ草が水辺に

深紅の絨毯を敷きつめたように広がり、

北国の秋をひときわ深く印象づける静閑で壮麗な風景です。


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ボリューム満点
オホーツク海の新鮮な魚介

サロマ湖 船長の家


ボリューム満点!

オホーツク海の新鮮な魚介類を満喫できました。


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あとから来る者の
ために

北見市常呂町


あとから来る者のために 田畑を耕し 種を用意しておくのだ

山を 川を 海を きれいにしておくのだ

ああ あとから来る者のために 苦労をし 我慢をし

みなそれぞれの力を煩ける(うるさける:見識をもって細かいところを気にする)のだ

あとからあとから続いて来る あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ



※「あとから来る者のために」 坂村真民全集8巻、念に生きる
 (坂村真民 先生 92歳のときの詩)
※第80回 円覚寺夏期講座 坂村真民という生き方 〜その人生と詩の魅力〜
 坂村真民記念館館長 西澤孝一 先生



○21世紀を生きる私たち

○花を忘れまい|北条時宗が開いた北鎌倉の座禅道場 円覚寺


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参  考  情  報


○ナヌーク 釧路川カヌーツーリング&ネイチャーツアー

○インターネット自然研究所

○北海道自然ch

○BIRD FAN | 日本野鳥の会

○北の道の駅

○eco旅ナビ 網走・釧路・根室をめぐる、エコツアーガイド

○釧路湿原・阿寒湖・摩周湖エリア・北海道東部の観光情報ポータルサイト

○摩周湖 屈斜路湖 川湯温泉【弟子屈なび】

○弟子屈町 大鵬相撲記念館

○屈斜路湖和琴半島近くにある小さな温泉宿・三香温泉

○アイヌ文化振興・研究推進機構

○アイヌ民族資料館

○アイヌ民族博物館|白老町

○公益社団法人 北海道アイヌ協会

○アイヌ文化振興法 | クリップ | NHK for School

○阿寒国立公園 川湯エコミュージアムセンター

○阿寒観光協会 -AKAN tourism info-

○阿寒湖のマリモ 公式サイト

○阿寒湖アイヌコタン・阿寒湖アイヌシアター イコロ

○阿寒国際ツルセンター[グルス]

○釧路湿原国立公園連絡協議会

○釧路湿原の歩き方

○釧路湿原カヌーの宿 ロッジシラルトロ

○釧路町観光博物館へようこそ!

○釧路湿原国立公園★塘路湖エコミュージアムセンター★あるこっと

○岸壁炉ばた | 釧路フィッシャーマンズワーフMOO

○釧路市動物園

○釧路市漁業協同組合

○釧路赤ちょうちん横丁公式ページ

○知床財団|世界自然遺産「知床」にある公益財団法人

○濤沸湖水鳥・湿地センター|北海道・網走市

○北海道立北方民族博物館公式サイト(網走)

○博物館 網走監獄へ ようこそ!

○刑務作業のご案内|法務省

○モヨロ貝塚館|網走市立郷土博物館分館

○サロマ湖養殖漁業協同組合

○サロマ湖「船長の家」公式サイト

○北の異界 古代オホーツクと氷民文化|東京大学総合研究博物館

○環境省_国立公園

○環境省 自然再生ネットワーク

○国土交通省北海道開発局

○国立環境研究所

○星座を見つけよう …星座の探し方、星の名前、覚えてみませんか?

○花好きを応援!総合花サイトみんなの花図鑑

○更科源蔵 大地と自然と人間と…

○文学者掃苔録

○野田知佑の川遊び教室/Tomosuke Noda River Classroom

○日本ダッチオーブン・ライフ振興会

○峠を越えて

○北海道 エゾシカ対策課トップページ

○一般社団法人エゾシカ協会

○神戸宇孝さんの「野鳥観察に行こう!」

○アオサギを議論するページ

○WWFジャパン

○BE-PAL|アウトドア&キャンプのナンバーワン情報コミュニティ

○日本製紙クレインズ オフィシャルサイト

○坂村真民記念館 公式サイト | 癒しの詩人 坂村真民の世界

○臨済宗大本山 円覚寺

○独立行政法人 北方領土問題対策協会

○北方四島ポータルサイト|北海道・別海町

○フリー百科辞典Wikipedia

○アイヌの人たちとともに−その歴史と文化−
 公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(アイヌ文化財団)

○TREASURES of our Natural Heritage
  THE RARE WILDLIFE OF HOKKAIDO
  未来に遺すたからもの 北海道の希少な生きものたち 環境省

○オオワシ 〜海を渡る王者〜 環境省 北海道地方環境事務所

○タンチョウ そのすべて 正富宏之 北海道新聞社

○タンチョウ 湿原にはばたけ! 林田恒夫 平凡社

○鳥たちの私生活 デービッド・アッテンポロー 浜口哲一・高橋満彦(訳)
  山と渓谷社

○星空ウォッチングと四季の星座 双眼鏡ではじめる星空探検
  アストロフリーク 2000/編 日東書院

○第121回(平成27年春季)東京大学公開講座 「悪」
  宇宙の暗黒成分は善か悪か? 戸谷友則 先生 理学系研究科教授
  東京大学本郷キャンパス 安田講堂

○サルのことば 比較行動学からみた言語の進化 小田亮
  京都大学学術出版会

○比較行動学 −ヒト観の再構築− 放送大学
 主任講師 京都大学大学院教授 藤田和生 先生

○オオカミと生きる ヴェルナー・フロイント 日高敏隆(監修)
 今泉みね子(訳) 白水社

○動物たちの可愛いウンチ 今泉忠明 佐藤邦雄(絵) プラスアルファ

○イニュニック(生命) アラスカの原野を旅する 星野道夫 新潮文庫

○博物館概論('11) 放送大学
 主任講師 国立民族学博物館教授 吉田憲司 先生
 第12回 文化遺産と博物館

○博物館展示論('12) 放送大学
 主任講師
  佐々木利和 先生 (北海道大学特任教授)
  松原茂 先生 (根津美術館学芸部長)
  原田一敏 先生 (東京芸術大学教授)
 第13回 地域博物館の活動〜北海道白老町・アイヌ民族博物館〜

○るるぶ 知床 阿寒 釧路湿原 網走

○るるぶFREE Vol.01 '15 釧路・網走・知床

○北海道ロードマップ

○サロマブルーの道 サロマ湖周遊エリアマップ
  北見市常呂総合支所 産業課水産商工観光担当

○人と自然が響き合う ワッカ原生花園

○ワッカ原生花園コースマップ 北海道常呂高等学校ボランティア局 製作

○森と川の精霊とともに ロシア・アムール地方のアート&クラフト

○きっと、なかよくなれる 網走のハチ展
 網走市立郷土博物館 2015.8.1〜9.30

○摩周湖のふしぎ−摩周湖を科学する−
 独立行政法人国立環境研究所 地球環境研究センター

○阿寒国立公園 ぐるっと! 周遊ロードマップ

○くしろ観光ガイドブック ぐる得PASS くしろ圏観光キャンペーン推進協議会

○史跡北斗遺跡 釧路市教育委員会

○SKYWARD August 2015

○闇の中から再び生きる力を 2015.09
 講師 柳田 邦男 先生(ノンフィクション作家)
 会場 戸塚区民文化センター さくらプラザ
 社会福祉法人 横浜いのちの電話 35周年記念
 2015年 自殺予防のための厚生労働省補助事業 公開講座

○ヒトはどのようにしてヒトになったのか 2015.09
 講師 種田保穂 先生 放送大学客員教授・横浜国立大学名誉教授
 放送大学神奈川学習センター


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