象徴天皇制と平和主義

国事に関する行為が行われる宮殿


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崇高な理想と目的の達成
象徴天皇制と平和主義

アメリカ副大統領(当時)ディック・チェイニー・リン・チェイニー夫妻、
天皇皇后両陛下 皇居・宮殿「正殿 竹の間」 2004.4.13


○日本国憲法 第1条

  天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、

  この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。



○日本国憲法 前文

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を

 深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、

 われらの安全と生存を保持しようと決意した。



 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去

 しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。



 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、

 平和のうちに生存する権利を有することを確認する。



 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して

 他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、

 普遍的なものであり、この法則に従うことは、

 自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。



 日本国民は、国家の名誉にかけ、

 全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。



○日本人の心を形成してきたもの

○法をもっと身近に|縁遠いようでとても身近な法律に触れて


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国事に関する行為が行われる
宮殿

長和殿(ちょうわでん)と東庭(とうてい)


皇居内にある宮殿は、昭和43年に完成し、翌年から使用を開始したそうです。



大屋根と柱・梁(はり)で構成される日本古来の建築美を活かして造られ、

また、その建築資材のほとんどが国産のものだといいます。



深い軒の出を持つ勾配屋根をかけた鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上2階、

地下1階、延べ面積24,175平方メートル(7,326坪)の建物で、

正殿(せいでん),豊明殿(ほうめいでん)、連翠(れんすい)、長和殿(ちょうわでん)、

千草・千鳥の間(ちぐさ・ちどりのま)など7つの棟から構成されているそう。



※宮内庁より



○皇居案内 動画 (Windows Media Player) 宮内庁

○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下にさしあげる
信任状捧呈式



信任状捧呈式(しんにんほうていしき)は、新任の外国の特命全権大使が

信任状を天皇陛下に棒呈する儀式だそうです。



天皇陛下の国事行為として行われるものであり、

外務大臣または他の国務大臣が侍立(じりつ)することとされています。

※侍立 (身分の高い人や神聖な物のそばなどにつき従って立つこと。)




信任棒呈式に際して、大使一行の皇居への送迎には、大使の希望により、

皇室用の馬車か自動車が提供されるそう。



大使の送迎に使用される儀装馬車は、二頭曳き座馭式(ざぎょしき)と呼ばれ、

そのほとんどが明治の終わりから昭和の初めに製造されたもので、

美術品的価値も有しているといいます。



新任大使の送迎に馬車を使用している国は、

英国やスペインなど数か国あるといいます。



○馬の博物館に展示される儀装馬車|日本初の西洋式競馬場・根岸森林公園


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平成25年 信任状捧呈式 アメリカ合衆国全権大使

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一般参賀の際には入門することができる
皇居正門

江戸城 西丸大手門


天皇誕生日と新年の一般参賀の際には、この正門から入ることができます。



正門は、江戸時代には「西丸大手門」と呼ばれ、

西の丸は、徳川家康の隠居所として築造されたそうで、

家康が駿府に移ってからは将軍世継ぎの居城として活用されてきたといいます。


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【皇室】 昭和59 [1984年] 春の皇居

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正門から宮殿に至る濠の上に掛かる
正門鉄橋



皇居前広場から正門を経て宮殿に至る濠の上にかかる橋、正門鉄橋。

かつて木造作りの二重構造であったことから二重橋と呼ばれていたそうです。


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正門鉄橋からみた
皇居外苑

丸の内方面
濠に掛かる橋は「正門石橋」


皇居外苑は、江戸時代には、西の丸下などと呼ばれ、有力譜代大名や

老中・若年寄などといった幕閣を担う大名の屋敷が置かれていたそうです。



明治維新後は、官衛や兵営として利用され、

昭和24年に旧皇室苑地の一部を国民公園として開放されたといいます。


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江戸城の面影を残す
伏見櫓

正門鉄橋より


江戸城の面影を残す伏見櫓(ふしみやぐら)。

その両袖には、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの建物である

多聞櫓(たもんやぐら)を備えていますが、このような形は、

ここだけしか残っていないそうです。



江戸城には、当時19もの櫓(やぐら)が存在したといいますが、

現在では、伏見櫓、桜田二重櫓と富士見櫓の3基を残すだけだそう。


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宮殿の入口
中門

正門鉄橋より


二重橋からみた宮殿の入口にあたる中門。

世界各国の要人たちがここを通って宮殿に向かわれたと思うと

静粛な気持ちになります。


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拝謁や茶会、記者会見などに使用される
長和殿



南北に連なる163メートルにおよぶ建物、長和殿。



宮殿の玄関にあたる南車寄(みなみくるまよせ)から

参殿者の休所にも使用されるという南溜(みなみだまり)、

拝謁や茶会、記者会見なとに使用されるという

波の間、松風の間、春秋の間、石橋(しゃっきょう)の間、北の間、

そして北溜(きただまり),北車寄(きたくるまよせ)といった施設からなるそうです。



○智恵を司る仏の使い獅子が舞い世を祝福する 石橋


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新春・天皇誕生日に行われる
一般参賀

東庭からみた長和殿


毎年、新年と天皇誕生日には、

天皇陛下は、皇后陛下・皇族方とご一緒に長和殿中央部のベランダにお立ちになり、

一般国民からの祝意を受けられ、お言葉をお述べになっています。


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吉祥としての強い松の生命力
松の塔

松の塔(左)の後ろは長和殿の北車寄


国内の賓客が宮殿に参入される際の玄関となる北車寄(きたくるまよせ)。

そのほど近くにある「松の塔」は、若松の葉をかたどり、

吉祥(きちじょう:めでたい兆し)としての松の強い生命力を表現した照明灯だそうです。



○障がいを越えて共に生きる


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皇室関係の国事事務を司る
宮内庁

宮殿に隣接する宮内庁庁舎


宮内庁は、内閣総理大臣の管理の下にあって、皇室関係の国家事務を担い、

御璽(ぎょじ:天皇の印章)・国璽(こくじ:国家の表徴として押す印章)を保管して

いるそうです。



皇室関係の国家事務には、

天皇皇后両陛下を始め皇室の方々の宮中における行事や

国内外へのお出まし、諸外国との親善などのご活動や

ご日常のお世話のほか、皇室に伝わる文化の継承、

皇居や京都御所等の皇室関連施設の維持管理などがあるそうです。


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春雨に烟(けぶ)る満開のソメイヨシノ
皇居乾通り

道灌濠(どうかんぼり) 2016年春
濠の向こうには天皇皇后両陛下がお住まいになる吹上御苑があるそうです


天皇陛下の傘寿を記念して2014年に開催されたという皇居乾通り一般公開。

その後、毎年開催されているそうです。



当日はあいにくの雨でしたが、

春雨に烟(けぶ)る満開のソメイヨシノは素敵でした。



江戸城を築いたとされる太田道灌(おおたどうかん)の名がつけられる

道灌濠(どうかんぼり)の向こうは、天皇皇后両陛下がお住まいになる

吹上御苑があるそうです。



○新たな息吹に包まれる桜舞う頃


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大きな使命と伝統をもつ
皇宮警察

旧枢密院庁舎を使用する皇宮警察本部


皇宮警察本部は、天皇皇后両陛下や皇族各殿下の護衛と皇居、御所、

御用邸などの警備を専門に行う警察だそう。



○安全で安心して暮らせる地域社会の実現|神奈川県警察の取り組み


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天守閣の代用として活用された
富士見櫓



櫓(やぐら)とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、

かつて江戸城には19の櫓があったそうです。



今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っていますが、

富士見櫓はその中で唯一の三重櫓だそうです。



明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、

将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。



○日本の姿勢を伝える大相撲|両国国技館

○古い街並みと新しい街並みが融合する 品川


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皇居東御苑からみた
富士見櫓



日本一の広大な城だったという江戸城。

全国の大名を駆り出し、工事につぐ工事を重ね、

50年の月日をかけて完成したといいます。



その後、火事など幾たびもの災害に見舞われ、

明治維新後の取り壊しや関東大震災などを経てきたそう。



今では芝生となっているこの場所には、

将軍への謁見、儀式などが行われたという「表(おもて)」、

将軍の住居兼仕事場であったという「中奥(なかおく)」、

将軍の私邸であり、奥さんである御台所を中心に子どもや

奥女中が生活したという大奥、そして天守閣と

広大な建物があったといいます。



○時の風に触れて、時の風に乗って


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赤穂浪士の討ち入りにつながった
松之大廊下跡



赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、

浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の

吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなが)への刃傷(にんじょう)事件

(1701年・元禄14年)のあったところだそうです。



廊下に沿った襖戸に松と千鳥が得かがれていたのが名前の由来といわれます。

江戸城内で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものだったよう。


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羽ばたく鳥が描かれる
桃華楽堂



昭和天皇の皇后である香淳皇后の還暦を祈念して建てられたという音楽堂、

桃華楽堂(とうかがくどう)。香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名されたそうです。



八角形の建物の屋根はテッセンの花弁が象られ、

八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ

@風水日、A春夏秋冬、B鶴亀、C雪月花、D楽の音、

E松竹梅、F日月星、G衣食住をイメージした図柄が陶片で描かれています。



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○明日への架け橋|新しい芸術 アール・ヌーヴォーの時代


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宮内庁楽部
雅楽演奏会



ほぼ10世紀に今日の形に完成したいという「雅楽」は、

日本で最も古い古典音楽といいます。



雅楽は、その起源によって、

日本古来の歌謡と舞に基づいた「国風歌舞(くにふりのうたまい)」、

朝鮮・中国などから伝来した音楽舞踊に基づいた「大陸系の楽舞(がくぶ)」、

大陸系の音楽の影響を受けて作られた「歌物(うたいもの)」

の3種類があるそうです。



○日本の成り立ちを語る雅楽


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平安時代の声楽
朗詠 池冷

宮内庁楽部


○朗詠 池冷(ろうえい いけすずし)


  池冷(いけすずし)しくしては水三伏(みずさんふく)の夏無(なつな)し

  松高(まつたか)くしては

  風 一聲(いっせい)の秋有り



  池の水が涼しいので、夏の厳しい暑さも感じられない。

  松の樹が高いので、

  吹き下ろす風から秋の爽やかな響きが伝わってくる。





「朗詠」は、平安時代(794年〜1192年)に大陸系の音楽の影響のもと作られ、

唐楽器(笙、篳篥、龍笛)の伴奏で歌われるようになった声楽だそう。

平安中期には200曲あまりあったといわれていますが、現在では14曲だけが

伝えられているそうです。



「池冷(いけすずし)」は、和漢朗読集の納涼の部に納められた

源英明(みなもとのふさあきら)の詩に曲をつけたものだそうで、

詩は池の畔の樹陰(じゅいん)に炎暑(えんしょ)を避けている光景を

詠んだものだといいます。



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力


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眞子さま
雅楽ご鑑賞

眞子さまがお座りになった2階中央席


雅楽演奏会では、秋篠宮文仁親王と同妃紀子様の第1女子、

眞子さまがご鑑賞されていました。


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宮廷文化の一部としてのオペラ
劇場の中心存在である観客

ヴェルサイユ宮殿内にある18世紀に建設されたオペラハウス
格子を閉めた状態の国王ボックス席からの光景


ヨーロッパにみられる馬蹄形型の劇場は、17世紀前半に定型化し、

その後2世紀にわたってほとんどの劇場がこの形式を踏襲したといいます。



※劇場 S.ティドワース, 白川宣力, 石川敏男(訳) 早稲田大学出版部 1989年


  (馬蹄形のオペラハウスが歴史的に長く存在した理由の)一つには、

  社会の圧力であったと考えられる。17世紀から18世紀にかけて、

  観客が劇場にやって来た理由は観劇であると同時に

  他の観客に注目されたいためでもあった。

  もしも座席がどれも同じ方向を向いていたら、

  誰ひとりとして他の観客を見ることができなかったのである。

  劇場の両脇の座席がなくなるのはワグナーのバイロイト(祝祭劇場:ドイツ)からである。

  これ以上の考察は集団心理学の領域であろう。




※オペラの運命 岡田暁生 中央公論新社 2001年


  オペラ劇場の客席構造は、

  それがもともと社交を目的とする空間だったことをはっきり示している。

  まず最も高貴な人物のための席は2階中央の貴賓席である。

  だがここがすべての座席で最も高価なのは、

  それが最も舞台をよく見ることが出来る座席だからではない。

  むしろ貴賓席は、そこから劇場中の観客を睥睨(へいげい)し、

  かつ彼らの視線を一身に浴びることが出来る位置であるからこそ、

  そこに国王が座ったのである。

  つまり、貴賓席はオペラ劇場の「もう一つの舞台」なのだ。

  それは純然たる鑑賞目的の座席ではない。

  自らも役者の一人として満場の観客の視線に身を晒す覚悟のある人間だけが、

  ここに座る資格があるのである。


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日本の自立を主張する歴史書
日本書紀



712年、元明天皇に献上された日本最古の歴史書といわれる「古事記」。

そして、720年に成立したといわれる日本最古の正史「日本書紀」。


その間、わずか8年という短い間に2つの歴史書が書かれたのは、

その目的が異なっていたからと考えられているそうです。



「古事記」は日本という地域の天皇について書かれたものであり、

「日本書紀」は当時の世界に通じるものとして公の書であったと考えられ、

中国という大帝国に対して、いわば小帝国としての日本国の自立を

主張する歴史書であったいいます。



当時、朝鮮半島においては「日本書紀」のような歴史書を作ることや、

独自の元号を制定することは、中国王朝から原則として許されていなかったそう。



○西周から秦・漢・隋・唐、中国古代諸王朝の都 西安

○明・清時代の皇帝の居城 紫禁城


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最後の仕上げを行う存在
われ意志す

ドイツの哲学者 G.F.W. ヘーゲル
Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年-1831年


近代国家・近代社会の形成に深い考察がなされているという

ヘーゲルの「法の哲学 (Grundlinien der Philosophie des Rechts)」。



自由の問題を所有と法の側面から追及する第一部「抽象法」、

行為に臨んで心の内面における動機の側面から追及する第二部「道徳」、

家族・市民社会・国家という具体的な人間関係の側面から追及する第三部「人倫」

の3つの段階で展開されるそうです。



第三部「人倫」では、国家は「君主権」「統治権」「立法権」の三権から成ると考え、

「君主権」については以下のように記しています。



  完成した有機的組織においては、ただ形式的決定の頂点のみが問題である。

  そして、君主には、「Ja(ヤー:英語ではYes)」といい、最後の仕上げを行う人間

  であることのみが必要なのである。(280節補遺)




君主は、国家の頂点に座すといっても、実際に権力を揮(ふる)うわけではないといい、

君主は、議会での審議等を経て国家が決断を下す時に、

その内容に署名することによってそれに「われ意志す」という形式を与える

役割を演じるだけであって、それ以上の存在である必要はないと指摘されています。


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戦前に想定されていた
象徴天皇制

和辻哲郎(わつじてつろう 1889年-1960年)


西洋哲学の研究のみならず、日本を含む文化的教養全般から

思想的自己主張を行ったという、和辻哲郎 先生。

皇后美智子様がお后になる際には教育を担当されたといいます。



和辻先生の最初の哲学的作品は「ニイチェ研究(1912年)」であり、

その後西洋の哲学を追っていくだけでなく、奈良に遺(のこ)る仏教美術の遺産を通じて、

日本とは何か、日本人とは何かを明らかにしようとする「古寺巡礼(1918)」や

「日本古代文化(1920)」を発表したそうです。




まだ大日本帝国憲法下であった1920年(大正9年)発表の「日本古代文化」の中では、

象徴天皇制に近いものを想定していたようです。



  神に近い君主すらも自らの判断を示さずして団体心の沸騰に頼るのである。

  そうしてこの団体心の帰向は、団体自身の心から出たものとしてではなく、

  超人的な威力に投射せられて、外から彼らに与えられたものとして受け取られる。

  それに従う民衆は、神の心として現れた団体自身の心に従っているにほかならない。

  そうしてこの神の心、すなわち団体の心が、君主において象徴せられるのである。




古事記・日本書記の神話の分析を通じて天皇についての独特の定式化を行い、

それは、誰も明確に自己の意志表示をしない人々からなる集団において、

全体の統合の象徴としてのみ機能し、

具体的支配権力を揮(ふる)わない君主として規定されています。



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅

○キリスト教的価値観を根底から覆そうとしたニーチェ


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孤独とも思える
天皇のお立場

カナダをご訪問される天皇皇后両陛下
2009年(平成21年)7月10日


※産経ニュース 2013年12月23日



2013年12月23日に80歳の誕生日を迎えられた天皇陛下。

誕生日に先立ち、皇居・宮殿で会見に臨まれた。



80年を振り返って、最も印象に残っている出来事として「先の戦争」を挙げ、

「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、

本当に痛ましい限りです」と述べ、戦後の復興に努力した人々に

感謝の気持ちを示された。



これからの歩みについては「年齢による制約を受け入れつつ、

できる限り役割を果たしていきたいと思っています」と語られた。



天皇という立場について、「孤独とも思えるもの」との心情も吐露された。

一方で、「私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に

思ってくれる伴侶を得ました。

皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、

これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と述べ、

皇后さまへの謝意を示された。



○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


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皇居東御苑に植えられる
都道府県の木

「都道府県の木」碑 皇居東御苑


昭和43年(1968)の皇居東御苑公開に際し、

都道府県から寄贈された各「都道府県の木」が植えられました。



沖縄県の木(リュウキュウマツ)は本土復帰した昭和47年(1972)に植樹され、

現在31樹種の木々が植えられているそうです。



○たおやかに熟成してきた白神の時間


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戦後の再生 豊穣を祈る
昭和天皇

昭和天皇 武蔵野陵(むさしののみささぎ) 平成29(2017)年1月7日


東京都八王子市にある武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)には、

昭和天皇・香淳皇后、大正天皇・貞明皇后が眠られています。



この日は昭和天皇ご命日。崩御から28年の月日が経ちました。



※「昭和天皇実録」を読む 読売新聞 2014.10


  宮内庁は2014年9月9日付で、昭和天皇(1901〜1989年)の生涯を記録した

  「昭和天皇実録」の1万2000ページを超える全部を公開しました。

  これまで明らかにされていなかった、天皇の間近で仕えた侍従らの日誌

  「お手元文書(皇室文書)」が引用されたことで、

  満州事変や太平洋戦争での軍部暴走への苦悩など、

  その時々の昭和天皇の心情が判明。

  原爆投下から終戦に至る重大な局面などについても

  正確な時系列で明らかになりました。

  幼少期の教育や言動もつまびらかにされています。

  実録について宮内庁は、確実な史料に基づき編修したと説明しており、

  昭和天皇の日々を日誌形式で示した第一級の史料となっています。

  宮内庁外で新たに発掘された約40件を含む3000件超の史料が用いられ、

  その公開が進めば昭和史研究がさらに深まることが期待されています。



○日本人の神々を祀る伊勢神宮


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平成の皇室へ続く道<
受け継がれた祈りと思い

今上天皇(平成時代の天皇)の弟宮にあたる
常陸宮正仁親王と常陸宮妃がお乗りの車


昭和天皇ご命日であるこの日。

皇族方がお参りに訪れていました。



○いにしえから今を生きる私たちへの伝言|千三百年の時空を超える「奈良」


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参  考  情  報


○宮内庁

○皇宮警察本部-IMPERIAL GUARD HEADQUARTERS-

○皇居参観ガイド

○(公財)昭和聖徳記念財団ホームページ

○公益財団法人菊葉文化協会

○千代田区観光協会

○一般財団法人国民公園協会

○本居宣長記念館

○江戸城|IN MY LIFE CONTENTS

○フリー百科辞典Wikipedia

○天皇陛下傘寿記念 宮殿特別参観 宮内庁 2015.10
 ・皇居 桔梗門より入門、窓明館
 ・宮殿
  北車寄、北溜
  石橋の間
  春秋の間
  豊明殿
  正殿 梅の間
  正殿 松の間
  正殿 竹の間
  回廊
  南溜、南車寄
 ・東庭
 ・中門、鉄橋

○天皇誕生日一般参賀 2015.12

○皇居乾通り一般公開 2016.04
 平成28年3月25日〜4月3日。期間中、508,010人の方々が来場したそうです

○雅楽演奏会 宮内庁楽部 2016.10
 ・管絃
  黄鐘調音取(おうしきちょうのねとり)
  平蠻楽(へいばんらく)
  鳥急(とりのきゅう)
 ・舞楽
  左方(さほう) 抜頭(ばとう)
  綾切(あやぎり)
 ・宮内庁式部職楽部

○雅楽演奏会 宮内庁楽部 2015.10
 ・管弦
  太食調音取(たいしきちょうのねとり)
  合歓塩(がっかえん)
  朗詠池冷(ろうえいいけすずし)
  長慶子(ちょうげいし)
 ・舞楽
  蘇莫者(そまくしゃ)
  進蘇利古(しんそりこ)
 ・宮内庁式部職楽部
 ・眞子内親王殿下 ご鑑賞

○雅楽演奏会 宮内庁楽部 2014.10
 ・管弦
  盤渉調音取(ばんしきちょうのねとり)
  千秋楽
  越殿楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんぺん)
  劔気褌脱(けんきこだつ)
 ・舞楽
  左方 還城楽(げんじょうらく)
  蘇志摩利(そしまり)
 ・宮内庁式部職楽部

○新聞「昭和」 (公財)昭和聖徳記念財団

○書の美、文字の巧
 宮内庁三の丸尚蔵館・書陵部 平成28年9月17日〜12月4日

○駒競べ−馬の晴れ姿
 宮内庁三の丸尚蔵館 平成28年7月9日〜9月4日

○北欧の工芸 自然(ナチュラル)が生み出す
 宮内庁三の丸尚蔵館 平成28年1月9日〜3月6日

○1920s-30s モダン・エイジ−光と影の造形美
 宮内庁三の丸尚蔵館 平成27年9月12日〜12月6日

○絵巻を楽しむ−≪をくり≫絵巻を中心に
 宮内庁三の丸尚蔵館 平成27年7月4日〜8月30日

○鳥楽園−多彩、多様な美の表現 宮内庁三の丸尚蔵館
 平成27年3月21日〜6月21日

○明治天皇 邦を知り国を治める−金他姓の国見と天皇のまなざし
 宮内庁三の丸尚蔵館 平成27年1月10日〜3月8日

○事例から学ぶ日本国憲法
 主任講師 岡田信弘 先生 放送大学客員教授・北海道大学大学院教授

○「古事記」と「万葉集」
 主任講師 多田一臣 先生 放送大学客員教授・二松学舎大学特別招聘教授

○古代文学の香具山 2015.12
 ・講師 駒澤大学教授 中嶋真也 先生
 ・シラバス
  ・古代文学への誘い
  ・『新古今和歌集』の香具山
  ・『古事記』の香具山
  ・『日本書紀』の香具山
  ・『風土記』の香具山
  ・『万葉集』の香具山1
  ・『万葉集』の香具山2
  ・まとめ
 ・放送大学神奈川学習センター

○舞台芸術への招待 青山昌文 先生 放送大学教授
 2.オペラの古典−社会との深い関わり−

○劇場 S.ティドワース, 白川宣力, 石川敏男(訳) 早稲田大学出版部 1989年

○オペラの運命 岡田暁生 中央公論新社 2001年

○昭和天皇実録 宮内庁

○当ページ先頭タイトル左右の写真
 左側は、宮殿内で最も格調高い部屋とされる「正殿 松の間」、
 右側は、宮中晩餐会が行われるという「豊明殿(ほうめいでん)」。
 画像は宮内庁ホームページより


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