より良い社会へ 変えていく人たちを育てる 文教の府 文京区 |
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| 湯島聖堂 | 文京区 | 東京ドーム | 後楽園ホール | ラ・クーア | 東京大学総合図書館 | | 小石川植物園 | 教育の森公園 | 筑波大学 | お茶の水女子大学 | 跡見学園 | 拓殖大学 | | 樋口一葉 | 小石川後楽園 | 六義園 | 占春園 | 日本医師会 | ホテル椿山荘東京 | ホタルの夕べ | | 永青文庫 | 罪と罰 | パブリックの精神 | ブタに歴史はありますか | 真実は権力よりも重い | | 嫉妬心 | 優れた人を称賛できる心 | 愛の讃歌 | ソクラテスの死 | 教育の目的 | 参考情報 | |
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近代教育発祥の地 湯島聖堂 |
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文京区湯島 | |||
1690年、徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、 湯島の地に聖堂を創建したことに始まるという湯島聖堂。 1797年には、幕府直轄学校として 「昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)」が開設されたそうです。 明治期に入り、1871年(明治4年)には、 日本で最初の博物館(現東京国立博物館)が置かれ、 翌1972年、東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、 1874年には東京女子師範学校が設置されたといいます。 東京師範学校は筑波大学へ、東京女子師範学校はお茶の水女子大学へ と発展し今日に繋がっているそうです。 ○本物の作品で日本の文化史がたどれる東京国立博物館 ○日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存 国立国会図書館 |
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文教の府 文京区 |
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文京区役所・区議会・シビックホールからなる 文京シビックセンター |
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徳川家康が江戸城に入り、江戸城下の開発が進められ、 現文京区には、大名屋敷、武家屋敷が置かれ、 次第にまちが形成されてきたといいます。 江戸時代には、文京区内の大半が武家地によって占められていたため、 町人町の拡大は武家地によって妨げられていたそう。 明治時代に入り広大な武家屋敷の跡地は、 大学などの教育機関などに転用されてきたそうです。 ○多様な人材が信頼関係で結ばれ、安心して暮らせる街|世田谷区 ○未来を創る つながりのはじまり|臨海副都心 ○日本を代表する繁華街 銀座ストリート |
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日本初の屋根付き球場 東京ドーム |
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文京区後楽 | |||
1988年(昭和63年)に開場したという東京ドーム。 完成から早いもので30年近くになるのですね。 |
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格闘技の聖地と呼ばれる 後楽園ホール |
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後楽園ホールは、ボクシングやプロレス、キックボクシングなど 格闘技の興行で頻繁に使用されることから、「格闘技の聖地」と呼ばれるそう。 格闘技以外では、「笑点」の公開放送なども行われているそうです。 ○闘争と叡智、畏敬が宿るラクビー ○Discover Tomorrow 新たなスポーツ文化の確立 |
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水をテーマにした総合アミューズメント ラクーア |
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東京・後楽園、東京ドームに併設されたスパを中心とした 水がテーマの総合アミューズメント施設「LaQua」。 都会の真ん中で夜景を楽しみながらお湯を楽しみ、 極上の癒しが手に入るスパ・ラクーアをはじめ、 併設されたショッピングセンターでは有名ブランドのショッピングや レストランで食事が楽しめます。 ○緑深い首都圏のリゾート 箱根温泉郷 ○熱海の海岸散歩する|古くからの温泉地 熱海 ○万葉の時から人々に親しまれてきた石段街の温泉地 伊香保 |
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知の宝庫 東京大学総合図書館 |
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東京大学本郷キャンパス (文京区本郷) | |||
東京大学総合図書館には、紀州徳川家より寄贈された「南葵(なんき)文庫」 をはじめ、「青洲文庫」、「鴎外文庫」など、多くのコレクションがあるそうです。 東京大学に所属していなくとも、 一定の条件・手順のもとで利用することができます。 ○人類の智の宝庫 大英博物館 ○青き惑星 地球|海洋・地球・生命の統合的理解への挑戦 |
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植物学の研究・教育を目的とする 小石川植物園 |
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分類標本園 (文京区白山) 小石川植物園 - 東京大学大学院理学系研究科附属植物園 |
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世界でも有数の歴史をもつといわれる「小石川植物園」。 正式名称は、東京大学大学院理学系研究科附属植物園といい、 植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設だそうです。 ○Life in Green 緑の命を未来へつなごう|小石川植物園 |
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筑波大学の前身があった 教育の森公園 |
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旧教育大跡地 (文京区大塚) | |||
2015年現在、「教育の森公園」となっているこの地は、 徳川光圀の弟、徳川頼元が屋敷とした場所だったそう。 明治36年東京高等師範学校が御茶ノ水(現医科歯科大学の所在地)より この地に移転し、戦後、東京教育大学⇒筑波大学へと発展したそうです。 ○横浜最大の緑地 つながりの森 |
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開かれた大学 筑波大学 |
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筑波大学東京キャンパス文京校舎(文京区大塚) 放送大学東京文京学習センター |
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私たちを取り巻く環境は、激変するグローバル社会の中で、 混乱の度合いを増しているといいます。 グローバル社会の中では、汚染物質や感染症、金融危機やテロリズム などを例に取るまでもなく、問題は国境を超えて瞬く間に広がっていきます。 エネルギーや環境の問題,産業と経済の活性化の問題など、 解決すべき課題は地球規模で共有しなければならない問題であり、 解決に向けては従来型の発想を越えたイノベーションが必要だといいます。 従来の大学は、ややもすれば狭い専門領域に閉じこもり、 教育・研究の両面にわたって停滞し、固定化を招き、 現実の社会からも遊離しがちであったそう。 筑波大学は、この点を反省し、あらゆる意味において、 開かれた大学であることをその基本的性格とし、 創造的な知性と豊かな人間性を備えた人材を育成するとともに、 学術文化の進展に寄与することを目的としているそうです。 ○開放的で自由な街に、心地よい風が吹きぬける OPEN YOKOHAMA |
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女性の自立と社会的活躍 お茶の水女子大学 |
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文京区大塚 | |||
「お茶の水女子大学は、学ぶ意欲のあるすべての女性にとって、 真摯な夢の実現される場として存在する。」 常に時代の変化に敏感でありつつも普遍的な真理を追究し、 女性も男性も自由かつ対等に活躍できる多様で豊かな人間社会 の実現を目指しているそうです。 ○「For Others」の精神を持つフェリス |
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新しい女子教育の源流 跡見学園 |
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文京区大塚 | |||
創立者・跡見花蹊は、日本の誇る伝統文化を踏まえ、 豊かな教養と自由な精神を持つ自立した女性を育ててきたそうです。 跡見女学校の創立者・跡見花蹊(あとみかけい)は、 教え子たちを実の娘のように慈しみ、女性の美徳や品格、 人生をよりよく生きるための知恵、学問や芸術を学ぶ姿勢、 そして将来妻や母になった時の心得など、 女性として、人としてのあり方を教え導いたといいます。 ○誰かのために、まず私から始めましょう|東洋英和女学院大学 |
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人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし 拓殖大学 |
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文京区小日向 | |||
拓殖大学は明治33年(西暦1900年)、 台湾協会学校として台湾開発のために「地の塩」となって 貢献しうる人材の育成を目標に創立されたそう。 以来、一貫して「積極進取の気概とあらゆる民族から 敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為な人材の育成」 という建学の精神のもとに、多くの卒業生が世界各地で活躍する “国際大学”のパイオニアとして大きな足跡を残してきたといいます。 時代はさらなる国際化、グローバル化を推し進め、 政治・経済・文化のあらゆる活動が国の枠を超え、 単なる国際交流ではない、異なる生活様式の人々と共に生きること。 つまり一つの地球上に共生する同じ人間としての共通意識の上に たった視点をもつ人材が必要とされているといいます。 校歌にも謳われる「人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし」。 拓殖大学では、創立百周年を経てこの建学の精神をいま一度確認すると共に、 アジアへ世界へと羽ばたき、貢献できる真の国際人を育成してゆくそうです。 ○台湾 故宮博物院の美術 |
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変化の理に従う 樋口一葉 |
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樋口一葉 1872-1896 | |||
明治5年、東京に生まれ文京区にゆかりのある文学者、 樋口一葉(本名:樋口奈津)。 数えの12歳で小学高等科を終了した後、家事に携わるかたわら、 明治19年に中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、和歌と古典と書道を学び、 その教養が小説家へと飛翔する翼になったといいます。 「然りとて、三十一文字の古体に従ひて、汽車・汽船の便りある世に、 一人、牛車、ゆるゆるとのみあるべきにあらず」 「いかで、天地の自然を基として、変化の理に従ひ、風雲の捉え難き、 人事の様々なる、三寸の筆の上に呼び出だしてしがな」 ※塵中日記 明治26年12月1日 世の中は常に変化しており、その変化するということが、この世の現実である。 だから文学においても、和歌であれ散文であれ、自然を根底に置いて、 刻々と変化する捉えがたい世の中の多様な出来事を、何とかして自分の 筆で書き留めたい。 この3年後、樋口一葉は肺結核により24歳の短い生涯を閉じたそうです。 ○新橋−横浜間をつないだ日本初の鉄道 初代横浜駅(現桜木町駅) |
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天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ 小石川後楽園 |
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八ッ橋 | |||
東京ドームに隣接する小石川後楽園は、 水戸徳川家の江戸上屋敷内の庭園だったといいます。 園名の「後楽園」は、岳陽楼記の 「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から 徳川光圀が命名したと伝わります。 心配事は世の中の誰もが気づかない先から心がけて その問題を解決する事に努め、楽しみ事は政治が立派に行われ 世の中のすべての人が楽しむようになった後に楽しむ。 ○燕子花の名所、八ッ橋を描いた燕子花図屏風 |
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和歌の思想を基調とした繊細で温和な日本庭園 六義園 |
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文京区本駒込 | |||
僅か五百三十石の俸禄から出発したという柳沢吉保。 川越藩主を経て甲府藩主となり、十五万石の大名になったといいます。 大老に準じ、五代将軍・徳川綱吉の側用人として絶大な権力を掌握し、 大名庭園の最高傑作のひとつである六義園を造営したそうです。 柳沢吉保は、変容する社会情勢に対応し、安定した世界を維持・発展させるべく、 和歌の思想を主軸の一つに据え、武家文化の基礎固めを一気に成し遂げた といわれます。 |
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ホトトギスの名所だったという 占春園 |
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文京区大塚 | |||
筑波大学東京キャンパス文京校舎に隣接する占春園(せんしゅんえん)。 この辺りは、幕末までの200年ほどの間、徳川光圀の弟を藩祖とする 陸奥守山藩松平家の上・中屋敷があったといいます。 占春園は、この屋敷内にひらかれた庭園の名残りだそう。 |
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人間の尊厳が大切にされる社会の実現を目指す 日本医師会 |
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文京区本駒込 | |||
日本医師会は、医師としての高い倫理観と使命感を礎に、 人間の尊厳が大切にされる社会の実現を目指す学術専門団体だそう。 「医道の高揚、医学及び医術の発達並びに公衆衛生の向上を図り、 社会福祉を増進すること」を目的に、さまざまな活動・提言を行っているそうです。 |
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世界をもてなす、日本がある ホテル椿山荘東京 |
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文京区関口 | |||
四季折々の美しい景観に恵まれ、都会のオアシスと賛えられる 椿山荘の庭園に囲まれたホテル椿山荘東京。 ヨーロッパの伝統を受け継ぐエレガントな雰囲気とともに、 一つ一つに細心のサービスを心がけ、 多忙を極める都会の中でかけがえのないくつろぎの場を提供しています。 ○世界の人々をもてなすホテルニューオータニ |
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瞬く光が幽玄の弧を描きだす幻想的な光景 ホタルの夕べ |
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ほたる沢 椿山荘 | |||
ホテル椿山荘東京には、ゲンジボタルとヘイケボタルが棲んでいるそう。 瞬く光が幽玄の弧を描きだす幻想的な光景は、2014年に60回目を迎えたそうです。 |
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戦国を生き抜いた知恵 永青文庫 |
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文京区目白台 | |||
江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の 一隅にある永青文庫。 細川家は室町幕府三管領の一つとしての家柄で、 現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まるといいます。 多くの戦功を挙げて、3代忠利のとき肥後熊本五十四万石を与えられ、 強力な外様大名として幕末に至ったそう。 永青文庫では、細川家に伝来する歴史資料や美術品等の 文化財を管理保存・研究し、一般に公開されています。 |
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人間が人間であるための境界線を教えてくれる 罪と罰 |
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フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー | |||
貧しい青年ラスコーリニコフ。 苦学して名門ペテルブルグ大学に通っていましたが、 学資滞納により大学を除籍処分になってしまいます。 ラスコーリニコフの下宿の近所には、金貸しの老婆がいました。 老婆は強欲で、義理の妹を女中のようにこき使っていました。 人の生き血を吸うことしかしない老婆に、生きる価値などあるのか。 老婆を殺せば、借金に苦労している人が救われる。 金を奪えば、閉ざされようとしている自分の将来も開ける。 そんな恐ろしい考えが、ラスコーリニコフの心をとらえていきます。 恐怖と孤独、喜びと希望、そして許し。人間の心の奥底にひそむ 根源的ともいうべき感情を、本を通して体験することで、 人間が人間であるためのぎりぎりの境界線を教えてくれる作品といえるようです。 ○愛と孤独 クラーク・E・ムスターカス ○霧の中で遠くに感じる小さな光|夜と霧 ヴィクトール・エミール・フランクル |
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個々の集団を超越するパブリックの 精神が育たなかった日本 |
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ロシアの閉鎖都市 セヴェルスク市入口にあるゲート | |||
「甘えの構造」の著者である土居健郎先生は、 「内」と「外」の違いには「遠慮の有無」があるといい、 身内にベタベタ甘える者に限って、他人に対しては傍若無人、 冷酷無比な態度にでることが多いよう観察されていることを述べています。 日頃甘えに慣れている人は、甘えられないと「人を食った態度」や 「呑んだ構え」をするといいますが、逆にいえば相手を威嚇しているのだそう。 また、日本では「場」を重視してきたことから、 集団から独立して個人のプライベートな領域は認められず、 個人の人格統合に対する価値は認められてこなかったといいます。 日本には集団から独立した個人の自由が確立されていないばかりでなく、 個人や個々の集団を超越するパブリックの精神が乏しく、 そのような精神が育つ訳はなかったのだそう。 |
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ブタに 歴史はありますか |
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○某大学の先生は学生時代の卒業論文で、自分の出身地である 地方農村について書こうと思い、担当教授に相談に行ったそう。 話をしたところ教授は黙ったままだったので、 聞こえなかったのかと思いもう一度その旨を伝えたところ、 こうおっしゃったそうです。 「豚に歴史はありますか」 ○ビジネス誌にて、某大手メーカーにて成功を収めた プロジェクトに関するドラマ仕立ての特集記事を拝見しました。 指導したのは、その会社のトップだったそう。 当プロジェクトのことを知っている社員にお聴きしたところ 実態はだいぶ異なっているようでした。 ○中島みゆき ヘッドライト テールライト 歌詞を一部引用 語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ 紛れ散らばる星の名は忘れられても 足跡は降る雨と降る時の中へ消えて 称える歌は英雄のために過ぎても |
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真実は権力よりも 重い |
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Portrait of Galileo Galile Justus Sustermans | |||
イタリアの天文学者であったというガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)。 地動説を訴えた事により異端審問にかけられ、 地動説を放棄する旨の異端誓絶文を読み上げた後に、 「それでも地球は回っている」とつぶやいたという逸話は有名です。 元本田技研工業にてエンジン開発に携わり、 後にホンダF1総監督を務めた桜井淑敏先生。 慶応義塾大学工学部を卒業後、本田技研工業に就職し、 「H1300」の開発チームに計算係として配属されたそうですが、 「クランクシャフトが7000回転に達すると5分で折れる」という問題が発生。 本田宗一郎氏から、クランクシャフトの強度計算をしていた桜井氏も呼ばれ、 理由を問われたところ、思わず多くの言い訳を並べ立てたそう。 それを聴いた本田宗一郎氏は、桜井氏に向かって、 「真実は権力よりも重いんだぞ」と述べたといいます。 桜井氏はこの言葉がうれしく、 その後の考え方に大きな影響を及ぼしたそうです。 ○深く、恐ろしく真実を語るものであれ|近代彫刻の父 オーギュスト・ロダン |
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人間がもつ感情のひとつ 嫉妬心 |
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鎌倉|黄色いバラの花言葉は「嫉妬」 | |||
人間がもつ感情のひとつ、嫉妬心。 男の嫉妬は女性のそれよりも恐ろしいといいます。 ○鎌倉文学館のバラ ○歩く姿は百合の花|自然を愛するすべての人へ ○春風、肌に心地よい季節|芽吹きの春 |
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自分よりも優れた人を 称賛できる心 |
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トーマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795年 - 1881年) | |||
「自分よりも優れた人を称賛できる心。 それが人間が持ちうる最も素晴らしい心である。」 ヴィクトリア朝時代のイギリスを代表する歴史家・思想家、 スコットランドに生まれ、エディンバラ大学の学長などを務めた トーマス・カーライル(Thomas Carlyle 1795年-1881年)は、 多くの名言を残したそう。 ○トーマス・カーライルが住んだ家 |
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愛の讃歌 コリント人への第一の手紙 |
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カトリック東京カテドラル関口教会 (文京区関口) | |||
※新約聖書 コリント人への第一の手紙 第13章 THE FIRST EPISTLE OF PAUL TO THE CORINTHIANS (CHAPTER 13) .たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい=使者)たちの言葉を語っても、 もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち=鳴物) と同じである。 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる 知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、 もし愛がなければ、わたしは無に等しい。 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、 自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、 いっさいは無益である。 愛は寛容であり、愛は情深い。 また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、 知識はすたれるであろう。 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも 一部分にすぎない。 全てものが来る時には、部分的なものはすたれる。 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、 また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、 幼な子らしいことを捨ててしまった。 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。 しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。 わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、 わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。 このうちで最も大いなるものは、愛である。 ○彼は死に勝ち甦る、神への感謝・賛美 オラトリオ「メサイア」 ○愛と結婚、最愛の人 旧約聖書 雅歌 ○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術 ミュージカル |
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単に生きるのではなく、善く生きる ソクラテスの死 |
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The Death of Socrates Jacques-Louis David 1787年 MET | |||
古代ギリシアの哲学者、ソクラテス。 神を否定し、アテネ政府から信条を捨てるか、死を選ぶか 選択を迫られ苦悩するソクラテスと弟子たち。 「自身の知への愛(フィロソフィア)」と 「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、 左手で天を指し、右手は毒杯に手を差し伸べている場面だそう。 ○世界の美術が凝縮されたメトロポリタン美術館 |
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教育の目的 より良い社会へ変えていく人たちを育てる |
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古代ギリシャの哲学者が一堂に会した「アテナイの学堂」 ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi) バチカン宮殿 |
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○ジョン・デューイ(John Dewey, 1859年 - 1952年) アメリカ合衆国 教育哲学者 「教育とは、 子どもたちに社会を作り直していく能力を身につけさせることである。」 ○カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年 - 1961年) 分析心理学を創始した精神科医・心理学者 「学問をするということは正しさを競う争いではなく、 認識を豊かにし深めるための作業だ、と私は考える。」 教育は、他者と比較するためのものではなく、良い意味で世の中を批判し、 より良い社会へ変えていく人たちを育てるためにあるようです。 ○そよ風に乗ってローマの街並みへ ○ギリシア絶頂期の象徴 パルテノン神殿 |
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参 考 情 報 | |||
○史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会 ○文京区 ホーム ○文京シビックホール 響きの森文京公会堂 ○文京ふるさと歴史館 ○東京大学総合図書館 ○庭園へ行こう。|東京都公園協会 ○東京ドームシティ公式サイト ○LaQua ○小石川植物園 - 東京大学大学院理学系研究科附属植物園 ○建築ミュージアム/東京大学総合研究博物館小石川分館 ○筑波大学 ○放送大学 東京文京学習センター ○お茶の水女子大学 ○拓殖大学 ○跡見学園女子大学 ○カトリック東京カテドラル関口教会 ○東京のホテルならホテル椿山荘東京 ○永青文庫 ○日本医師会 ○台東区立一葉記念館(樋口一葉) ○100分 de 名著 ○フリー百科辞典Wikipedia ○変革期の社会と人間U 「破壊」と「再生」の歴史・人類学 平成26年度 筑波大学大学院人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻 筑波大学 東京キャンパス文京校舎 ○出羽三山修行道の変革 湯殿山行者鐵門海とその弟子たち 山澤学 先生(日本史学) ○テロリストの原風景 血盟団事件と茨城 伊藤純郎 先生(日本史学) ○英霊礼賛−第一次世界大戦後のヨーロッパ− 村上宏昭 先生(西洋史学) ○第二次世界大戦とアメリカ社会 −ジェンダーと人種から戦争体験を読み解く− 佐藤千登勢 先生(西洋史学) ○近代中国における社会変動と移民 −僑郷と移民先からの考察− 山本真 先生(東洋史学) ○The Precarity of Being in Japan: Flexible Personhood and Cosmopolitan Connections. 日本における存在の不安定性 ポール・サイモン・ハンセン 先生(文化人類学) ○古墳の造営と地域社会 滝沢誠 先生(考古学) ○景勝地の風景美の変容 −近世・近代の松島を事例として− 中西僚太郎 先生(歴史地理学) ○変革期の社会と人間 「破壊」と「再」生の歴史・人類学 平成25年度 筑波大学大学院人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻 筑波大学 東京キャンパス文京校舎 ○日本の活火山と宗教観−「信州浅間山焼記」を事例に− 山澤学 先生(日本史学) ○津波とともに生きる人びと 木村周平 先生(文化人類学) ○20世紀における戦争・革命と民衆−中国の事例から読み解く− 山本真 先生(東洋学史) ○20世紀における日本社会の再編成・社会調査と知識人 −民俗学者の例から読み解く− 中野奏 先生(民俗学) ○二つの世界大戦とイギリス帝国 津田博司 先生(西洋史学) ○戦後沖縄の土地と生活 竹井基晃 先生(民俗学) ○柔道と人間力 −意思あれば道あり− 2015.01 講師 山口香 先生 筑波大学准教授(ソウル五輪女子柔道銅メダリスト) 放送大学 東京文京学習センター ○環境問題と持続可能性 2015.01 講師 共立女子大学教授 吉竹広次 先生 放送大学 東京文京学習センター ○戦後日本の教育とその問題点 2015.01 講師 上智大学非常勤講師 小原孝久 先生 放送大学 渋谷学習センター ○「ジャポニスム」の画家ホイッスラー 2014.12 講師 村田宏 先生 跡見学園女子大学文学部教授 横浜美術館レクチャーホール 横浜美術館協力会30周年記念講演会 ○145回日本医学会シンポジウム 2013.12 日本医師会館 I.【座長】池田正(帝京大学) 1.乳がんの疫学 2.乳がん検診:利益と不利益 II.【座長】藤原康弘(国立がん研究センター) 1.乳がん外科治療の現状 2.乳房温存療法における放射線治療 3.分子標的薬を中心とする薬物療法 III.【座長】平岡 真寛(京都大学) 1.乳がん術後の乳房再建 2.我が国における遺伝性乳がん・卵巣がんの現状と今後の対策 総合討論 ○がんと人間と社会 2014.03 垣添忠生 先生 日本対がん協会会長・国立がんセンター名誉総裁 神奈川サークル協議会・放送大学神奈川同窓会・放送大学神奈川学習センター ○第78回円覚寺夏期講座 2013.07 戦国を生き抜いた知恵 (公財)永青文庫理事長 細川護煕 先生 ○かながわの未来を担う産業人材育成フォーラム 2015.01 今、求められる管理職とは…人を動かすものは…モチベーションの醸成 ・潟戟[シング・クラブ・インターナショナル代表 桜井淑敏 氏(元ホンダF1チーム総監督) ・主催 神奈川県 公益財団法人はまぎん産業文化振興財団 かながわ人材育成支援ネットワーク ・後援 横浜銀行、株式会社浜銀総合研究所 ・県立産業技術短期大学校人材育成支援センター ○修羅場の極意 佐藤優 中公新書ラクレ ○新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 池上彰、佐藤優 文芸春秋 ○徒然草 島内裕子 ちくま学芸文庫 ○罪と罰 ドストエフスキー 亀山郁夫 光文社古典新訳文庫 ○罪と罰 ドイトエフスキー 江川卓 岩波文庫 |
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