いのち集まる流域
小網代の森


私たちが生きる地球の持続可能性


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いのち集まる流域
小網代の森

小網代湾と小網代の森 (神奈川県三浦市三崎町小網代)


神奈川県・三浦半島の先端にある小網代(こあじろ)の森は、

「浦の川」の流れに沿って森林から湿原、干潟、そして湾へと

移ろいゆく自然の様子に触れることのできる関東で唯一の自然環境だといいます。



そこには、マテバシイなどの常緑樹林やアシなどの植物が生い茂り、

カワセミなどの鳥類、ホタルなどの昆虫類、

アカテガニを代表とする干潟周辺で暮らす生物、

そしてマダイ・メバル・アジなどの水中生物が集う、生命溢れる場所になっています。



※小網代の森と干潟、海を守って育む30年
  岸由二 先生(NPO法人小網代野外調整会議 代表理事・慶応義塾大学名誉教授)
 ・よこすか海洋シンポジウム2015 三浦の海を守り育む、そして私たちの暮らし 2015.10



○三浦半島の海と自然に触れて|半島に沿って相模湾から東京湾へ

○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川


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かながわらく楽ウォーキング小網代の森

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貴重な自然を後世に残す
森の保全

小網代の森 引橋入口


かつて小網代の森とその周辺地域には大規模な開発計画があったそう。



神奈川県では、この貴重な自然を後世に残す必要があると考え、

平成7年より協議を行った結果、小網代の森の保全を決定したそうです。



その後、地権者との話し合いを進め、土地の買い取りを進めたほか、

地権者による自主的な保全や寄付などにより、平成22年に保全に必要な用地の確保が完了。



平成23年から散策路等の整備を進め、平成26年7月に一般開放されました。



○いにしえの相模の国へ|現神奈川県


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豊かな森林域
中央の谷



引橋入口から木道の階段を下ると広がる森林域。



「中央の谷」と呼ばれるこのエリアには、

シダ類のアスカイノデが群生し、まるで熱帯ジャングルのようです。



○「迷信」の中を彷徨う|三浦半島の自然 大楠山

○三浦半島を横断 つながりの森

○太古からの生命が息づく奄美大島


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空を飛ぶ宝石といわれる
カワセミ



「小網代の森」でカワセミに出会いました。



日本全国に生息しているというカワセミは、

鮮やかな羽色、翡翠(ひすい)のような体色から、飛ぶ宝石といわれます。



○雄大な空の旅をする渡り鳥

○たおやかに熟成してきた白神の時間


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オギやヨシが広がる
湿原域



オギやヨシは、地下に茎を密にはわすことで土壌保全能力に優れ、

自然堤防上の典型的な植生だといいます。



オギとヨシの見分け方は、

オギはより乾燥した場所に生え、ススキのように葉が根本から上に伸び、

ヨシはより湿地を好み、葉が茎の横からでていることで分かります。



○サロルンチカプリムセ|釧路川キャンプ & カヌーツーリング

○黄金色に染まる尾瀬ヶ原|高層湿原の短い秋

○風が通り抜ける湿原 箱根仙石原


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まるでソーセージのような
ガマの穂



高さは1.5mから2mほどになる大型の多年草、ガマ。



ガマの穂と呼ばれるソーセージのような部分には、およそ35万個の種がつまっている

といわれます。種は時期がくると風に乗って運ばれ、新たな地に根付いていくそうです。



○季節のうつろいに触れて|夏から秋への移ろいを感じる9月

○未知を歩き、心を満たしてゆく上高地


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初夏に奏でる愛のささやき
ホタルの発光



小網代の森では、6月頃になるとホタルが舞う姿を見ることができるそう。



成虫となり、明滅しながら飛び回るオスのゲンジボタル。

この発光は求愛のシグナルだそうで、メスは水辺でオスの光に対して光で答えます。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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ホタルを通じて
身近な自然環境の保護と再生を考える

ホタルの餌としても知られるカワニナ


※ホタルを守るためにすべきことは何か / 日本ホタルの会名誉会長 矢島 稔
 (元上野動物園水族館館長、元多摩動物公園園長ほかを歴任)



  日本人は珍しいものが好きで人が見たものは自分も見たい欲求にかられ、

  その衝動を抑えられない事が多いのではないだろうか。

  長い間動物園のスタッフであった私の体験がそれを忘れがたいものにしている。



  中国から来たパンダに長蛇の列ができ、年間1,100万人が入園した。

  これほどではないが、コアラもラッコも入場整理にどれ程苦労したか。

  今ではパンダが目の前にいてもほとんど立ち止まらない。

  すべては一過性の騒ぎであった。つまり、目玉になるものが必要で、

  にぎわうお祭りを好む人が多いといえるのかも知れない。



  幸か不幸か発光する昆虫−ホタルは、古くから日本人の心をとらえ、

  初夏には無くてはならぬ対象である。

  闇夜に光って乱舞する様は心に浸みわたり、あらゆる分野でテーマにされてきた。

  それは、デリケートな発光のリズムを感性で受け止める日本人らしい特徴といえるだろう。



  ところが、こうしてホタルが発生していた環境が、人口増加に伴って宅地になり、

  川は下水化され、人間の快適な生活を実現するために

  あらゆる方法で自然は壊されていった。

  50年以上前の都市とその生活を知る者にとっては、もはや比べようもない事実である。



  日本ホタルの会を創ろうと志を立てたとき、私の心にあったのは生きもののすみかを

  確保し、どこまでが限界なのか、どういう方法で共生が可能かを探ろうとしたことである。



  ホタルをたくさん出そうとか、それだけを人工的に守ることは不可能だということを

  一人でも多くの人に知ってもらいたいという事であった。



○丹沢の自然をもっと身近に|表丹沢三ノ塔 自然再生の現場を訪ねて


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北原白秋が死の淵に訪れた
三浦

えのきテラス 小網代の森


「寂しさに油壺から小網代へ 歩みかへせど昼ふかみかも」


※歌集「雲母集(きららしゅう)」 1915年(大正4年)より
※「雲母(うんも)」は鉱物の一種。光沢があることから「きらら」とも




三浦にゆかりのある詩人、北原白秋(1885年(明治18年)-1942年(昭和17年))。

1909年(明治42年)の処女詩集「邪宗門」、その2年後には詩集「思ひ出」を発表し、

名実ともに詩壇の第一人者になったそうです。



その一方、実家の破産や、別居中の人妻・松下俊子と恋に落ちますが、

夫から姦通罪により告訴され、白秋の名声は堕ちていったといいます。



大正2年1月、白秋27歳の時、苦しい境遇に死を覚悟して三崎を訪れます。



  一月の二日に私は海を越へて三崎へ行つた。死なうと思つたのである。

  恐ろしい心の嵐が凡(すべ)ての優しい哀情を無残にも吹き散らして了(しま)つた。

  (雑誌『朱欒(ザンボア)』3巻2号余録)



そして、三浦で出会った海や山の素朴で豊かな自然に触れ、死を思い止まります。



  私は海を見た、ただ波ばかりがうねつてゐた、山には紅い椿が咲いてゐた、

  私はあきらめられなかつた、どんなに突きつめても死ねなかつた、

  死ぬにはあまりに空が温く日光があまりに又眩しかつた。

  (雑誌『朱欒』3巻2号余録より)




歌集「雲母集(きららしゅう)」は、東京から移り住んだ三浦の生活から生まれた

556首が収められ、その歌は、煌(きら)めきをはなつ「雲母(うんも)」のように

再生していく過程のようにも思えます。



※三浦市/死の淵にいた北原白秋を救った三崎と三崎ゆかりの作品
※北原白秋記念館|公益財団法人 北原白秋生家記念財団(福岡県)



○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語

○後に北原白秋が過ごした小田原


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干潟でダンスをする
チゴガニ



干潟に目を凝らしてみるとチゴガニがハサミを上下させ、

さながらダンスしているような光景を見ることができます。



この行動は「Waving」と呼ばれ、オスのみが行うことから

他のオスに対する威嚇とメスに対する求愛と考えられているそうです。


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チゴガニ(稚児蟹) 三浦半島 小網代の森

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森の中に生息する
アカテガニ



甲羅の大きさが3cmほどの大きさになるアカテガニは、

干潟ではなく森の中に生息する珍しいカニで、

干潟にはない餌を獲得できるよう進化したものだそう。



しかし、子どもは森の中で育つことができない為、

放仔(ほうし)期になるとメスは海に向かい水中で卵(幼生)を解き放ちます。



一匹の母ガニから生み落とされる幼生の数は数万といわれ、

この中から陸に戻ってこれるのはほんの僅かだといいます。


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アカテガニ

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生命の営み
アカテガニの放仔(ほうし)

アカテガニの生息環境を保全するアカテガニ広場


夏の大潮の晩。アカテガニは大挙して森から干潟の水辺に出てきて、

体を震わせながらお腹に抱えた幼生「ゾエア」を海に放ちます。


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日本固有の宗教
神道

小網代の森にある白髭神社


「航海安全」「大漁満足」の神として古くから崇拝されてきたという白髭神社。

神社を中心とする宗教である神道(神社神道)は、

「古事記」「日本書紀」などに見える古来の神を基とする日本固有の宗教だといいます。



神道には、キリスト教にみられる聖書(新約聖書)や

仏教でみられる各宗派の教え、儒教でみられる「論語」などの教義が

はっきり存在しないという特徴かあるのだそうです。



このことについて江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、

「鈴屋答問録」にて以下のように指摘します。



  「神道に教えの書なきは、これ真の道なる證也(しるしなり)。

  凡(およ)そ人を教えておもむかするは、もと正しき経(つね)の道にあらず。(中略)

  教えのなきこそ尊とけれ」



  神道に教えがないのは、これが真の道である証拠であり、教えがないからこそ尊い。



世の中は仏教の教義でないと治まらない時代もあり、

儒教でなくてはうまくいかない時代もある。

宣長は、すべての物事をある一つの宗教の教義のみで議論し判断する

当時の日本社会にすでに広くあった近代合理主義を批判します。



神道は、ある時は仏教の衣装を着け、ある時は儒教の衣装を着け、

独自の形態を示さず、他の思想と習合するというところに特徴があるようです。



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性

○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅

○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム


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小網代にある水族館
京急油壺マリンパーク

神奈川県三浦市三崎町小網代


サメなどが遊泳する大回遊水槽や、イルカやアシカのショーが見られる

屋内型劇場「ファンタジアム」などがある水族館、京急油壺マリンパーク。



「すいぞくかん学園」では、水中生物とのふれあい体験を通して、

海について学ぶことができます。



○Dolphin Memory イルカとともに過ごした時間


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世界で最も歴史の古い臨海実験所の一つ
東京大学臨海実験所

神奈川県三浦市三崎町小網代


京急油壺マリンパークに隣接する東京大学臨海実験所は、

世界で最も歴史のある古い臨海研究所の一つだといいます。



今日まで日本における生物学の発展に貢献し、

世界的にも、海産動物研究の歴史に大きな足跡を残してきたそうです。



※東京大学三崎臨海実験所 130年の歴史と海洋生物学の研究
  講師 赤坂甲治 先生 東京大学大学院理学系研究科教授・附属臨海実験所所長
 ・よこすか海洋シンポジウム2015 三浦の海を守り育む、そして私たちの暮らし 2015.10



○Life in Green|「時」を知りに小石川植物園へ

○より良い社会へ変えていく人たちを育てる|文教の府 文京区


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世界初の真珠養殖技術開発の舞台
東京大学臨海実験所

アコヤ真珠


東京大学臨海実験所は、世界初の真珠養殖技術開発の舞台だったそうです。



真珠養殖の開発は、実験所の初代所長である箕作佳吉(みつくりかきち)教授と、

ミキモトの創業者・御木本幸吉(みきもとこうきち)氏の共同研究に始まったといいます。



そんな歴史ある実験所で、ミキモトと東京大学三崎臨海実験所は、

2010年より「真珠を育む海を知ろう」を開催し、磯の生物の採集と観察、

真珠を育むアコヤ貝への「核入れ」体験を行なっているそうです。



※東京大学三崎臨海実験所 130年の歴史と海洋生物学の研究
  講師 赤坂甲治 先生 東京大学大学院理学系研究科教授・附属臨海実験所所長
 ・よこすか海洋シンポジウム2015 三浦の海を守り育む、そして私たちの暮らし 2015.10


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小網代の森に眠る
特攻艇基地跡

特攻艇「震洋(しんよう)」


網代湾の海岸に面した崖に、ぽっかりと3つの洞窟が口を開けています。

今は静かなカニの楽園になっている小網代湾ですが、

アジア・太平洋戦争末期には、アメリカ軍の本土上陸に備え、

特攻艇「震洋(しんよう)の出撃基地が作られていました。



小網代湾周辺だけで大小十数本のトンネル(地下壕)が掘られ、

現在でもその存在を確認することができます。



ここ小網代に配備された第27震洋隊は、

震洋艇25隻、搭乗員(特攻隊員)50名を含む総員184名の部隊で、

相模湾内で演習を繰り返していました。



敗戦が迫った1945年7月29日には特別任務(特攻)を受け、

震洋艇3隻(搭乗員6名)が出撃しました。

しかし、翌日、相模沖で米軍機の攻撃を受けて全員が戦死しています。



※「小網代の森」に眠る特攻艇基地跡 - 神奈川県三浦市



○特攻隊の出撃地 知覧


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三浦半島の由来となった
三浦一族

穏やかな小網代湾のヨットハーバー


鎌倉時代に源頼朝の重鎮として名を馳せ、

三浦半島と三浦市の名前の由来ともなった三浦一族。



現在、東京大学三崎臨海実験所や京急油壺マリンパークがある場所には、

三浦一族が最後の砦として守った新井城があったそうです。



伊豆国から相模国を含む南関東全体に勢力を伸ばそうとする

北条早雲(小田原城)に攻めたてられた三浦一族は、新井城に籠城して

3年にもわたり対抗したものの、最後は壮絶に散ったといわれます。



新井城の敷地の約半分は、国有地(東京大学三崎臨海実験所)となっているため、

開発を免れ空堀、高やぐらなどの遺構が比較的よい状態で残っているそうです。



※三浦市/三浦一族〜油壺周辺の歴史散歩〜より



○150年の歴史に幕を閉じた鎌倉幕府終焉の地

○東国の重要拠点であった北条家の居城 小田原城


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水温の上昇が進んでいるとみられる
相模湾

小網代湾(相模湾内)にあるシーボニアマリーナにて
NADIEN(葉山鐙摺ヨットクラブ)


地球の温暖化によって種々の海洋環境が大きく変わることが予測されている。



既存の知見を取りまとめた結果によると(岸田,1994)、

温暖化が進むと、海水温の昇温は北大西洋の北西部で最も激しく、

約3℃上昇し、鉛直方向の温度勾配が大きくなり、

冬季の鉛直混合が弱まり栄養塩類の補給が減少するという予測が

多いことを報告している。



さらに、深層からの栄養の補給が減少すれば,基礎生産力が低下し、

魚類の再生産力は減少してくるという。



相模湾の2月の海水本報は、

相模湾の2月の海水温が明白に上昇傾向にあることを明かにした。



この結果から相模湾の表面水温が周年にわたって上昇しているかどうかは

結論づけることができないが、日本周辺海域で1980 年前半から昇温傾向が

続いている(気象庁1992)ことからみて、相模湾でも水温の上昇が

進んでいると考えられる。



※相模湾の温暖化に関する一見解 - 神奈川県農林水産情報センター
  神水研研報第 5 号(2000) 考察より



○船に乗り海を越えて、見たこともない未知へ|自然の力を味方にするヨット


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科学的にみて疑う余地のない
地球温暖化

網代崎を挟んで小網代湾の反対側にある油壺湾


科学的にみて気候システムの温暖化には疑う余地はなく、その要因は、

人為起源の温室効果ガスの排出が主な原因(95%の可能性)だといいます。



21世紀末の気温上昇は、現在と比較して、

厳しい温暖化対策が取られなかった場合、2.6〜4.8℃上昇するとみられています。



※IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル) 第5次評価報告書 2013


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世界で予測される
気象変動の影響

油壺湾に隣接する諸磯(もろいそ)湾


気温上昇が続くと、グリーンランド氷床が融け、

世界平均海面で最大7mの上昇をもたらす可能性があり、

沿岸域の氾濫や海岸浸食の悪影響が懸念されています。



また、世界平均気温が上昇することにより、陸上生態系への影響、

食糧安全保障リスクが増大すると考えられています。


※IPCC WGU AR5 SPM
※気候変動・地球温暖化への取り組みとエネルギーのありかた 2015.12
 ・地球規模の気候変動への取り組み、及び原子力発電のこれから
  南川秀樹 先生 (横浜国立大学リスク共生社会創造センター客員教授・元環境省事務次官)


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国連気象変動交渉がまとまらない
理由

透明度の高い小網代沿岸(相模湾)


2015年11月30日から12月11日まで、フランス・パリで開催された

気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)。



国連気象変動交渉がまとまらない理由には、

会議が全会一致制であることや、

国連には強制力がなく町内会組織的な役割であること、

温暖化の原因と考えられる炭素制約の実施は、

自国の経済成長の妨げになることなどが挙げられるそうです。



○気候変動・地球温暖化への取り組みとエネルギーのありかた 2015.12
 ・誤解だらけの電力問題 今後の温暖化対策とエネルギー
  竹内純子 先生 (NPO法人国際環境経済研究所理事・主任研究員)
 ・主催 横浜国立大学リスク共生創造センター



○透明度が高い三浦半島 油壺シーカヤック

○三浦半島 歴史探索シーカヤック

○大田・品川ノスタルジア|東京湾・京浜運河シーカヤック・ツーリング


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広大な面積を誇る
北極圏の海氷

北極海 ボーフォート海(Beaufort Sea)


北極海に張る海水の厚さは通常2〜3mで、その面積は500万〜1600万Kuくらいある。

日本の面積が約28万Ku、アメリカ合衆国が940万Kuなので、

いかに海氷が広大か分かるだろうう。



それから海だけでなく、陸地にも氷河と呼ばれるたくさんの氷がある。

北極圏のなかでもとりわけ、グリーンランドは分厚くて大きな氷河に覆われている。

その氷河の厚さは最大で3,000mにも達する。


※北極と南極 生まれたのて地球に息づく生命たち
  田邊優貴子(国立極地研究所 助教) 文一総合出版


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温暖化の影響により
溺れ死ぬ子グマ



※シロクマ、長距離の泳ぎ強いられる 溺れ死ぬ子グマも 地球温暖化で氷溶け
  産経ニュース 2011.8.13



  地球温暖化の影響で夏の時期に北極海の氷が溶けたために、

  シロクマが別の氷に移動する際に長距離の泳ぎを強いられているほか、

  子グマが途中で相次いで溺れ死んでいることが明らかになった。



  (省略)



  WWFの調査担当者は「シロクマは人間と同じで、

  荒い波の状況下で鼻からの呼吸を(長時間)完全に止めることはできない。

  子グマたちが生き抜くのはかなり大変だ」と指摘する。

  子グマは母グマに比べて体脂肪が少なく、冷たい海の中で長時間泳ぐことが

  不可能で、命を落としやすいとう。



○エサやりがクマを殺す クマに近づかないで|北海道知床


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北極の変化に影響を受ける日本
北極圏ルート

Northern Sea Route (Russian Council)


これまで、北極海は一年を通して暑い氷が海面を覆っているため、

民間商船による海上輸送は難しいとされてきましたが、

地球温暖化で氷が減り、通航が現実になってきたといいます。



北極海航路が開発されれば、

例えば横浜からオランダのロッテルダムまでの運行距離は、

スエズ運河経由ルートの約6割となり、

それに伴い燃料費や人件費などの運航コストを

3割から4割も削減することが可能になるそうです。



○海運が支える日本の豊かな暮らし

○人類の未来を切り開く|地球深部探査船「ちきゅう」

○森と湖が広がる北欧の国フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ


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地球・環境・生命の探究
南極観測船「しらせ」

第57次南極観測に出発前の「しらせ」 2015.11.15
「しらせ」の母港、海上自衛隊横須賀地方総監部にて


南極圏に人が足を踏み入れるようになったのは18世紀になってからだそう。

冒険心に富んだ航海者が南極大陸の姿を求めて南の海を目指し、

その一人、ジェームズ・クックが1773年、ついに南極圏突入を果たします。



日本の白瀬隊が南極に到達したのは1912年1月28日。



その後、恒久的・組織的な調査・研究を行う、観測の時代が始まり、

内陸の気候や、オーロラのメカニズム、ペンギンの生態など、

ほとんど知られていなかった南極特有の現象が次第に明らかにされ、

現在もなお探検・調査が続けられているそうです。



※南極サイエンス基地|国立極地研究所より



○船の科学館に展示される初代南極観測船「宗谷」

○よこすかスプリングフェスタ & 護衛艦いずも特別公開

○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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メジロ押しのような地球
資源・環境の持続可能性

河津桜に留まるメジロ 三浦市にて


スズメ目の一種であるメジロは、緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、

目の周りの白い輪に特徴があることから「目白(めじろ)」と呼ばれるそうです。



メジロは群れをなして押し合いへし合いして木に止まる性質があることから

「メジロ押し」という言葉が生まれ、転じて、

多くの人が込み合って押し合うことの意でも用いられます。



国連の推計によると2014年7月時点での世界人口は71億6212万人といい、

世界の人口が10億人に達するまでには25万年かかったそうですが、

50億から60億人へは11年、60億から70億人へは13年の期間で達したそうです。

今後、2050年には95億5094万人、2062年に100億人、

2100年に108億5385万人になると予測されています。



まさにメジロ押しのような地球。

多くの人々が生活を営むためには、資源・環境の持続が欠かせないようです。



○河津桜と菜花の共演|松田山ハーブガーデン

○新たな息吹に包まれる桜舞う頃|移ろいゆく時の狭間に咲く瞬間の華

○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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参  考  情  報


○NPO小網代野外活動調整会議/三浦半島・小網代の森

○小網代の森について - 神奈川県ホームページ

○公益財団法人かながわトラストみどり財団

○小網代の森へ遊びにいくよ! - ほぼ日刊イトイ新聞

○神奈川県三浦市

○七福神めぐり−三浦七福神 公式サイト トップページ

○東京大学三崎臨海実験所

○京急油壺マリンパーク

○シーボニアマリーナ | ヨット・クルーザー・ハーバー・マンション

○Koaziro Yacht Club 小網代ヨットクラブ

○ABURATSUBO YACHT HARBOR|油壺ヨットハーバー

○油壷ヨットクラブ

○油壺京急マリーナ

○葉山鐙摺ヨットクラブ - Hayama Abuzuri Yacht Club

○葉山ヨットクラブ Hayama Yacht Club

○ウインドスター

○日本ホタルの会

○三浦市|北原白秋記念館

○小田原市 | 白秋童謡館

○北原白秋記念館|公益財団法人 北原白秋生家記念財団(福岡県)

○北原白秋 雲母集 - 青空文庫

○神奈川県農林水産情報センター

○国立環境研究所

○NPO法人 国際環境経済研究所

○NHK for School

○IPCC 第5次評価報告書 特設ページ

○外務省: 北極〜可能性と課題のもたらす未来

○国立極地研究所

○南極サイエンス基地

○田邊優貴子 WEB - The End of the Wonderful Earth

○語源由来辞典

○フリー百科辞典Wikipedia

○よこすか海洋シンポジウム2015
 三浦の海を守り育む、そして私たちの暮らし
 ・小網代の森と干潟、海を守って育む30年
   講師 岸由二 先生
      NPO法人小網代野外調整会議 代表理事・慶応義塾大学名誉教授
 ・東京大学三崎臨海実験所 130年の歴史と海洋生物学の研究
   講師 赤坂甲治 先生
      東京大学大学院理学系研究科教授・附属臨海実験所所長
 ・講師との交流トーク・質疑応答
   デモレータ 牧野光琢 先生 水産総合研究センター中央水産研究所・
   経営経済研究センター漁業管理グループ長・横浜国立大学客員准教授
 ・主催 よこすか市民会議(YCC)
 ・ヴェルクよこすか 2015.10

○第20回海洋教育フォーラム  私たちの海「海をまもる」 2016.03
 ・開会挨拶 海洋教育推進委員会委員長 小林正典 先生
 ・海の海賊に気をつけろ!
  杉原耕二 先生 元海上自衛隊 インド洋派遣部隊指揮官
   三菱重工竃h衛・宇宙ドメイン艦艇事業部顧問
 ・海の生き物たちをまもれ! 保科正樹 先生 水産庁増殖推進部長
 ・海の中をのぞいてみよう 浦環 先生 東京大学名誉教授
   九州工業大学社会ロボット具現化センター センター長
 ・講師との交流トーク
 ・閉会挨拶 海洋教育推進委員会東京支部主査 北澤大輔 先生
   東京大学 生産技術研究所 機械・生体系部門 海洋生態系工学 准教授
 ・司会 木原一 先生 防衛大学教授
 ・ビデオ上映「語り継ぐ想い」
 ・会場 記念艦「三笠」講堂
 ・主催 (交社)日本船舶海洋工学会 海洋教育推進委員会
 ・協力 (交財)三笠保存会、よこすか市民会議(YCC)
 ・後援 横須賀市教育委員会、教育新聞社

○横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念 講演会・演奏会 2015.11
 ・記念映像「近代日本のルーツ 横須賀製鉄所」上映
 ・横須賀市・富岡市友好年提携締結式
 ・横須賀製鉄所からはじまる日仏交流 講師 外交評論家 磯村尚徳 先生
 ・神奈川ファルハーモニー管弦楽団による弦楽アンサンブル
  ・モーツァルト ディヴェルティメントK.136より第1楽章
  ・チャイコフスキー 弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48より第2楽章
  ・ビゼー 劇音楽「アルルの女」第1組曲より第3曲「アダージェット」
  ・ドヴォルザーク 管弦セレナーデ ホ長調 Op.22より第3楽章
  ・エルガー 管弦セレナーデ ホ短調 Op.20
 ・来賓 高円宮妃久子さま
 ・場所 横須賀芸術劇場

○気候変動・地球温暖化への取り組みとエネルギーのありかた 2015.12
 ・挨拶 野口和彦 先生 (横浜国立大学リスク共生創造センター長)
 ・講師
  南川秀樹 先生 (リスク共生社会創造センター 客員教授)
  奥真美 先生 (首都大学東京 都市教育学部 教授)
  竹内純子 先生 (NPO法人国際環境経済研究所理事・主任研究員)
 ・コーディネーター 澁谷忠弘 先生 (リスク共生創造センター准教授)
 ・主催 横浜国立大学リスク共生創造センター
 ・共催 一般財団法人日本環境衛生センター、安全工学会、
      一般社団法人日本高圧力技術協会、NPO法人YUVE
 ・場所 横浜情報文化センター 情文ホール

○国際資源・環境問題と持続可能性 2015.01
 ・講師 共立女子大学教授 吉竹広次 先生
 ・内容
  ・グローバリゼーションの進展
  ・新興国の台頭
  ・エネルギーの歴史と課題
  ・水資源・・・「21世紀は水の世紀」
  ・食料問題:世界の食料需給
  ・地球温暖化 ポスト京都のグローバル・ガバナンス
  ・国際環境問題
  ・2050年の世界と持続可能性(サステナビリィテー)
 ・放送大学文京学習センター

○北極と南極 生まれたての地球に息づく生命たち 田邊優貴子 文一総合出版 2005

○すてきな地球の果て 田邊優貴子 ポプラ社 2013

○石橋を叩けば渡れない 西堀栄三郎 生産性出版 1999

○仏教と儒教 −日本人の心を形成してきたもの−
 竹村牧男 先生 放送大学客員教授・東洋大学教授
 高島元洋 先生 放送大学客員教授・お茶の水女子大学大学院教授

○平成27年度 筑波大学大学院人文社会科学研究科 公開講座 2016.01〜02
 変革期の社会と人間V―「破壊」と「再生」の歴史・人類学―
 ・第1回「テロリストの原風景―血盟団事件と常陸三浜―」
      伊藤 純郎 先生(日本史学)
 ・第2回「津波とともに生きる人びと―東日本大震災被災地での
      フィールドワークから―」 木村 周平 先生(文化人類学)
 ・第3回「17世紀における日本社会の再編成と徳川将軍の「家」
      ―日光東照宮の研究から読み解く―」  山澤 学 先生(日本史学)
 ・第4回「20世紀における日本社会の再編成・社会調査と知識人
      ―民俗学者の例から読み解く―」 中野 泰 先生(民俗学)
 ・第5回「絵葉書の戦争―第一次世界大戦と英霊崇拝の変容―」
      村上 宏昭 先生(西洋史学)
 ・第6回「軍用地返還の経緯と跡地利用の実体験」 武井 基晃 先生(民俗学)
 【主催】 筑波大学 大学院人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻
 【会場】 筑波大学 東京キャンパス文京校舎

○本気で5アンペア 電気の自産自消へ 斉藤健一郎(朝日新聞記者) コモンズ


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