セクシュアリティとジェンダー
文学にみる女性観


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夫の世話と子育てに専念する
家庭の天使

The Bunch Of Grapes(1868) William Adolphe Bouguereau
葡萄の一房 ウィリアム・アドルフ・ブグロー


19世紀 イギリス・ヴィクトリア朝時代。



当時、女性の理想像は「家庭の天使」という言葉に象徴され、

社会的な活動を遠慮して、

もっぱら夫の世話と子育てに専念することであったといいます。



○大英帝国の黄金時代 ヴィクトリア朝


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A Room of One's Own
自分だけの部屋

大英博物館のグレートコート
かつて大英図書館があった場所


イギリスの女性小説家・ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年-1941年)

の小説「自分だけの部屋(A Room of One's Own),1929年」。



小説に登場する女性は、

女子学生をまえに「女性と小説」というテーマの講演をすることになり、

資料を探すために大英博物館の図書館を訪れます。



そこには、女性をテーマとする本が溢れ、

男性は資格があろうとなかろうと女性について本を書いているが、

女性が男性について書いた本が見つからないことに呆然とします。



歴史的にみて、そもそも女性はものを書く人ではなかったそう。

それは女性が男性に関心がないのではなく、

本を書く機会に恵まれた女性がほとんどいなかったからだといいます。



ウルフは、女性が女性のことを語るのであれば世間は大目に見てくれるが、

女性が男性作家を辛辣に批評したりすると、厄介な問題になると語っています。



○人類の智の宝庫 大英博物館


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男性に都合のよい社会秩序
理想のレディ

Diana de Gabie 通称「ギャビーのディアナ」 ルーヴル美術館


ヴィクトリア朝時代の理想のレディ(淑女)は、礼儀作法をわきまえた

品位ある女性であるとともに、人文的な素養があり、フランス語など

外国語を習得し、ピアノ、絵画などの芸術的な技能も身につけて

いなければならなかったといいます。



そのような立派な女性たちが、

社会的活動は遠慮して夫の世話と子育てに専念し、

控えめに「家庭の天使」という役割を務めなければならなかったそう。



○美しくも残酷な処女神 アルテミス


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「家庭の天使」を殺さなければならなかった
ヴァージニア・ウルフ

イギリスの女性小説家 ヴァージニア・ウルフ
(Virginia Woolf, 1882年-1941年)


自分のなかにある「家庭の天使」を殺さなければならなかった、

そうしなければ自分は「天使」に殺されていた、

職業人としての作家にはなれなかった。



ウルフはこう述懐したそうです。



○イギリスの物語と街並みに触れる Books about Town


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離婚と自立
わたしは一人前の女になった



※わたしの修業時代 シドニー=ガブリエル コレット,工藤庸子(訳)


  なにしろ逃げる気はなかったのだ。

  どこへ行って、どうやって生活しろというのだろう?

  それにいつものことだがシド(母親の愛称)が心配だった…。



  わかっていただきたいのだが、わたし自身は無一文だった。

  さらにわかっていただきたいのが、動物であれ、人間であれ、

  囚われの身にあるものが、たとえ外見はどうであろうと、つまり、

  格子のうしろで行ったり来たりして、壁の彼方の遠くにむけて、

  物思わしげなまなざしを投げたりしていも、だからといって、

  ひっきりなしに脱出を夢見ているわけではない…。



  それはむしろ習慣ゆえに、牢獄のかぎられた寸法ゆえに、

  自然と身についてしまった反射運動なのだ。



  リスか、鹿のような野生動物か、あるいは小鳥であってもよい、

  日頃から彼らが目でばかり、身体を押しつけ、哀願しているよう

  に見える扉を、不意に開けてごらんなさい。



  あなたが期待するように、前に跳びだし、飛んでいってしまうことは、

  ほとんどなくて、それどころか動物はとまどって

  身動きせず、むしろ檻のおくへとあとずさりするだろう。



  わたしたちはありあまるほど考える時間があり、

  しかもしょっちゅう聞かされていたのである。

  尊大で嘲るようなあの言葉、締めつける輪のようにぎらぎらしたあの言葉を。



  「要するに、あなたはまったく自由なんだよ…」



  逃げるって?…どうやって逃げることができるだろう。

  わたしたち田舎育ちの娘というものは、1900年のあの当時、

  結婚生活から逃げ出すということに関しては、

  なにか途方もない厄介なものという感じしかもっていなかった。



  逃げる…そうはいっても、わたしの血管のなかに流れている

  一夫一妻制への執着が、なんと邪魔になることか…。



  逃亡という言葉、その蛇のようなささやきが、ほかならぬこの血によって、

  わたしに吹き込まれるはずはないのである。






意を決して、ついに独りになったとき、若き時代の「修業」が終わり、

一人前の女になることができたようです。


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女性からの離婚
縁切寺

東慶寺 北鎌倉


鎌倉幕府 第9第執権の北条貞時が建立したという

北鎌倉にあるお寺、東慶寺。



明治36年(1903年)までは尼寺で、

「縁切寺」「駆け込み寺」として知られていたといいます。



江戸時代、離婚を言い出せるのは夫にしか認められてなく、

夫と縁を切りたい女性は、東慶寺で3年(のち2年)修行を

すれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があったそう。



当時、幕府公認の縁切寺として、

江戸から多くの女性が東慶寺を目指したといいます。



○春の鎌倉 東慶寺・浄智寺

○晩秋の鎌倉 北鎌倉から大仏ハイキングコースを抜けて長谷へ


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生きがいを見出す
紫式部

源氏物語の作者 「紫式部図」 土佐光起 江戸時代 石山寺


日本文化の至宝といわれる「源氏物語」の作者、紫式部。



藤原為時(ためとき)の娘として生まれ、家系は政治の中心からは遠く、

受領階級(ずりょうかいきゅう:中下流貴族)としての地位は定着していたそう。



幼くして母を亡くした紫式部は、

成長とともに優れた才能を開花させていったそうですが、

当時、女性にとって学問は無用のものであり、

なまじ学問好きの女性は敬遠されたといいます。



その為、紫式部は人前では漢字を書こうとせず、

詩句も読めないかのように振る舞ったそう。(紫式部日記)



父・為時は、紫式部が男子であったらと嘆いたといいますが、

もし紫式部が男子であったら、学問は官人として出世していくために

必要な実用学となり、源氏物語は存在しなかっただろうといわれます。



結婚については、藤原信孝と結ばれますが、

信孝は既に40代の半ばで、何人かの妻妾(さいしょう)との間に

26歳の長男をはじめ何人かの子女がおり、積極的ではなかったよう。



そして結婚生活は、夫の死去により二年余りで終焉を迎えたそうです。



紫式部は、わびしい自己の実人生とは別の

輝かしい可能性を持った人生を虚構の物語として創作することによって、

生きがいを見出すことができたよう。



○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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女性の自立
ジェーン・エア

映画「ジェーン・エア」


※ジェーン・エア シャーロット・プロンテ 小尾美佐(訳) 光文社古典新訳文庫 2006


   「不公平だ!−不公平だ!」と私の理性は、苦痛に満ちた激情に押し流され、

   たとえいっときにせよ年不相応な力を得てそう言った。



   そうしてやっと奮い起こした決意が、この耐えがたい苦難から逃れるには、

   ある奇妙な手段をとれと唆(そそのか)した。



   ここから逃げ出すか、それがかなわないならば、

   飲まず食わずの断食をして死を待つか。




イギリスの小説家、シャーロット・ブロンテ(Charlotte Bronte、1816年-1855年)

の小説「ジェーン・エア(Jane Eyre)。



幼くして両親を亡くしたジェーンは、裕福な伯母リード夫人に養われますが、

横暴な従兄のジョンに刃向ったため薄暗い部屋に閉じ込められてしまいます。



鏡に映った自分の顔を「半分妖精で半分小鬼の小さなお化け」のようだといい、

子ども心に反抗心がふつふつとわいてくる場面。ジェーン10歳の時だそう。



ヴィクトリア朝時代の社会に反抗した主人公は、

新しい女性像を提供し、当時、大きな反響を呼んだといいます。



○移ろいゆく映画の灯り|人間が持ちあわせている想いに出会う


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自由を求めて
祈りの言葉をつぶやいた

ハクガン(白雁)


※ジェーン・エア シャーロット・プロンテ 小尾美佐(訳) 光文社古典新訳文庫 2006


  自由が欲しい。自由を私は渇望した。

  自由を求めて祈りの言葉をつぶやいた。




リード夫人の家を出たジェーンは、ローウッド学院という寄宿学校で

孤独な少女時代を過ごしますが、またしても彼女は出てゆくことを決断します。



○雄大な空の旅をする渡り鳥


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姦通小説
ボヴァリー夫人



フランスの小説家ギュスターヴ・フローベル(Gustave Flaubert,1821年-1880年)

の小説「ボヴァリー夫人(Madame Bovary),1857」。



片田舎に住む農民の家に生まれたエンマ(後にボウァリー夫人)は、

都会の修道院の寄宿学校に入り「お嬢様風」の教育を受けます。



年頃になって出会った男性シャルル・ボヴァリーは、

こちらも小市民の出身で凡庸を絵に描いたような人物。



なんの波乱もなく、そこそこの相手に嫁いで「ボヴァリー夫人」と

呼ばれる身になったエンマは、新婚生活のなかで、

得体の知れない不満や苛立ちを覚えてゆきます。



作者のフローベルは、結婚生活への不適応という深刻な問題は、

当時の女子教育に起因していると考えていたようです。


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情熱のときめきもない平凡な日々に
苛立つ女性



※ボヴァリー夫人 ギュスターヴ・フローベール,山田爵(訳) 河出文庫 2009


  シャルルの口から出る話といえば、歩道のように平々凡々、

  そこを世間の相場どおりの思想が、平服のままの一列縦隊で

  進んでゆくだけだから、感動も笑いも夢もありはしない。



  ルーアンに暮らしていたあいだ、パリから来た俳優を見に芝居へ行こう

  などという酔狂は思いもよらなかった、と彼は言う。

  水泳も知らず、フェンシングもできず、ピストルも撃てない。

  ある日などは、エンマが小説のなかに出てくる馬術用語をきいたが、

  答えられなかった。



  男はそんな者でないはずだ。知らぬこととてなく、競技百般に通じ、

  わきたぎる情熱の世界にも、洗練された生活の楽しみにも、

  あらゆる秘密への手引きをしてくれるべきものではなかろうか?



  それなのにこの人はなにも教えてくれない。

  いや、そもそもなにも知っていないし、なにも望んでいない。



  彼はエンマをしあわせだと信じている。

  しかしエンマには、彼がこんな安閑と落ち着いているのが、

  はればれと、しかも重々しく構えているのが、

  あげくは自分が彼に幸福を味わわせていることまでがくやしく思えるのだった。


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理想の自分を実現できない苛立ち
ボヴァリスム

Femme piquee par un serpent Auguste Clesinger Musee d'Orsay
蛇に咬まれた女 オーギュスト・クレサンジェ オルセー美術館


ある批評家は、小説「ボヴァリー夫人」を読み解く鍵として

「ボヴァリスム」という概念を提案しているそうです。



ボヴァリスムは、現にある自分とは違った自分を想像して、

これを実現できない無力感にいらだつことを指し、

エンマはまさにこのボヴァリスムの虜になっているよう。



夫であるシャルルに不満を覚え、気弱な青年レオンに思いをよせ、

プレイボーイのロドルフの愛人となるも裏切られ、

再会したレオンと逢引きを重ねてゆきますが、

なぜか深く幻滅し、期待を裏切られたと感じてしまいます。



エンマは果てなく募る不満を、物欲を満たすことでごまかそうとし、

無用な贅沢品を買いあさり借金地獄にはまってゆきます。


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魔力を使ってリナルドを引き止める
アルミーダ

「リナルドとアルミーダ」 アンニーバレ・カラッチ カポディモンテ美術館
Rinaldo e Armida(1601) Annibale Carracci Museo di Capodimonte


1581年に出版されたタッソの「解放されたエルサレム」が

モチーフになっているという「リナルドとアルミーダ」。



エルサレムに向かう途上の十字軍騎士リナルドは、

若いサラセン人(イスラム教徒)のアルミードによって誘惑され、

魔法の宮殿に引き留められようとしている場面。



リナルドを救うためにやって来たクロタルコとウバルドは左側から顔を出し、

美女の足下で恋に溺れるリナルドの姿を目の当たりにします。



○交流するイスラーム世界 十字軍遠征

○競争に勝てなければ死|アタランテとヒッポメネス


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Rinaldo di George Frideric Handel_Regia Pier Luigi Pizzi
オペラ「リナルド」 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

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美の裏にある毒に冒され
破滅に向かう男たち

「死刑囚に毒を試すクレオパトラ」 アレクサンドル・カバネル
1887年 アントウェルペン美術館 ベルギー
「Cleopatra Testing Poisons on Condemned Prisoners」
Alexandre Cabanel  Royal Museum of Fine Arts, Antwerp


エジプトのプトレマイオス朝、最後の女王「クレオパトラ7世」。



その美貌と贅を尽くした饗宴(きょうえん)で知られ、

また、ローマの政治家で軍の指導者でもあった

マルクス・アントニウスとの関係において、

しはしば悪女の権化としての姿が絵画化されているそうです。



絵の左側には、苦しみ悶えている姿と死んで運ばれていく姿。

そして、それを平然と眺めるクレオパトラが描かれています。

ちなみにクレオパトラの足元にいる豹(ひょう)は、王権の象徴だそうです。



○生と死のはざ間にある「時」を歩む


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騙されて、海に飛び込むお人好し
品川心中

旧品川宿
落語の演目の一つ「品川心中」は品川宿が舞台になっています


江戸時代、幕府公認の遊郭は吉原のみでしたが、

非公認の遊郭も栄え、その代表が品川宿だったといいます。



「飯盛り女(めしもりおんな)」の名目で遊女を抱える旅籠(はたご)が軒を並べ、

多くの男性を誘惑したといい、天保の改革(1841〜43)では

1,000人以上の遊女が検挙されるほどの規模があったそうです。



落語の演目の一つである「品川心中」は、そんな品川宿を舞台にした滑稽話。



品川の「白木屋(しろきや)」で板頭(いたがしら)を張る女郎(じょろう)

(遊女の中でも上位ランク)のお染。



かつては店一番の売れっ子でしたが、年には勝てず、

馬鹿にされたり冷やかされるようになります。

いっそ死のうと思い詰めるお染は、誰かと心中して、

せめて浮き名(うきな)を立ててやろうともくろみます。



心中の相手に選ばれたのは貸本屋の金蔵。

「一緒に死のう」と打ち明けられて金蔵は戸惑いますが、

お染の色仕掛けでまるめ込まれてしまいます。



いよいよ心中の段、腹が決まらず間抜けなことばりか言う金蔵に対して、

腹が据わっているお染。



その男女の明確な描き分けが笑いを誘います。



○古い街並みと新しい街並みが融合する品川

○大田・品川ノスタルジア|東京湾・京浜運河シーカヤック・ツーリング


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才気と美貌、傲慢で虚栄をつらぬく藤尾の悲劇
虞美人草

ケシ科の一年草 ヒナゲシ(雛芥子)は、
クビジンソウ(虞美人草)とも呼ばれているそう


ケシ科の一年草というヒナゲシは、

別名「虞美人草(ぐびじんそう)」とも呼ばれるそうです。



中国に伝わる虞姫(ぐき)が、周りを包囲され自決したときの血が、

この花になったと言われています。



夏目漱石の小説のタイトルとなっている「虞美人草」。

才気と美貌をかね備え、傲慢で虚栄をつらぬく藤尾の

自滅的な悲劇を描いた作品だそうです。



○プリマヴェーラ 春の訪れ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」

○内面の美が備わった花 芍薬

○眩しい日差しを浴びながら海風にそよぐ花 ハイビスカス・ブーゲンビリア


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栄華を極めた過去の想い出にすがる
グリザベラ

Elaine Paige as Grizabella in the 1998 Cats video


イギリスの詩人・劇作家であるトマス・スターンズ・エリオット

(Thomas Stearns Eliot、1888年-1965年)の詩集、

「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法

(The Old Possum's Book of Practical Cats )」は、

ミュージカル「CATS」の原作だそう。



ミュージカル「CATS」に登場する猫グリザベラ(原作には存在せず)は、

破れたコートを纏(まと)い裏街を歩く年老いた娼婦猫。



かつては魅力的な娼婦猫でしたが、美貌を失い、

今や受け入れられることだけを望んでいます。



○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術 ミュージカル

○ノーベル文学賞作家 T.Sエリオットが暮らしたマンション


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Cats Musical - Memory

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悲惨な死の責任を負わされる
女性

ブルキナファソ パトリック・ザックマン JICA横浜


アフリカ大陸、サハラ砂漠の南に位置する内陸国、ブルキナファソ。



人間の魂を食いつくといわれるマンジューズ・ダム。

ブルキナファソのワガドゥーグーに住むこの女性は、

邪悪な力を持つとみなされ、村八分にされているそうです。



マンジューズ・ダムと呼ばれるのは一般に閉経後の女性で、

悲惨な死の責任を負わされるそう。


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おとぎ話で語り継がれてきた
母性の否定的側面

インド神話の女神 カーリー 血と殺戮を好む黒い母


母親の優しさと肯定的側面が強調され、

母親を大切にすることが倫理として強い社会においては、

母性の否定的側面は公の場で語られることなく、

認識されないこととなり、昔話や御伽噺の世界でそっと生き続け、

語り継がれてきたといいます。



日本ではもともと西欧文明に比べて、母性的な風土文化があるといわれ、

制度上では家父長制という父性原理をとってバランスをとり、また、

家制度の下、女性には嫁ぎ先の母である姑がいて、

否定的な母性の経験も縁遠いものではなかったそう。



昨今、日本の家族は激しく変化し、

家父制度や古い家制度の弊害から核家族制度へ、

両性の合意にのみ基づく民主的家族へと変わってきています。



それは、過去に比べて母性の否定的側面を意識し、

認識しなければならなくなってきたともいえるそうです。


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男性の被害的意識と自虐的な欲望が生んだ
ファム・ファタル

Salon Rue des Moulins(1894) Toulouse-Lautrec
ムーラン通りのサロン アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック


フランス語で「ココット」と呼ばれる女性たちは、日本語では「高級娼婦」と訳され、

男性の相手をすることで生活の資を得る女性たちを指すといいます。



また「ファム・ファタル」は「宿命の女」と訳され、

男を破滅させる「魔性の女」を意味するそう。



コレットの小説「私の修業時代」には、ザザと呼ばれるココットが登場します。

男はザザをファム・ファタルと疑ったことで、ザザはファム・ファタルを演じ、

ついにはその男を骨抜きにしてしまう場面が描かれています。



ザザは、のんびりした口調で、ファム・ファタルなどというのは、

男性の被害者意識と自虐的な欲望が生んだ幻想にすぎないのであって、

女がその気になれば演じることも可能な役割のようなものだと教えてくれます。



○モンマルトルに建てられたダンスホール ムーラン・ルージュ


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動物学・生物学からみた
女性が性的に魅力的になった訳

繁殖牝馬


ヒトは他の動物に比べて早産なのだそう。

ウマやウシなどの新生児は生まれてすぐに立って歩くといいますが、

ヒトは立って歩けるようになるのに一年間もかかり、

それだけ早く生まれているといいます。



これは、ヒトが直立二足歩行をした結果、骨盤が変化し難産となり

胎児を十分お腹の中で育てることができなくなって未熟な状態で

生むことになってしまったからだといわれます。



そうなると母親はつきっきりで赤ちゃんの面倒を見ることとなり、

自分で餌を獲りに出向くことが十分できない為、

必然的に父親に餌を持ってきてもらうようになったことが

「結婚」の始まりと考えられているよう。



イギリスの進化生物学者であるロナルド・フィッシャーは、

猿の社会を観察することによって発情期の雌が餌をもらえることから、

ヒトで性的休止期間がなくなったのは、

オスから餌をもらうための代償であると考えたそう。



また、サルは発情期になると生殖器の周りが赤く充血するといいますが、

ヒトは直立二足歩行によって生殖器が見えにくくなったことで

唇や胸に惹かれるようになったのではと考えられているそうです。



イギリスの動物学者 デズモンド・モリスは、

女性の胸が必要以上に大きいのはお尻の擬態であると述べています。



いずれにしてもバストに惹かれるのは他の動物から見ると異常なことなのだそう。



○困難の上に誕生する新たな生命

○ただの風変りなサルの一種 ヒト

○急激な近代化を遂げてきた日本|近代化の象徴 競馬


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無名の人々から人生を学んだ
エリートの対極にある女性の視点

フランスの小説家 シドニー=ガブリエル・コレット


フランスの小説家、シドニー=ガブリエル・コレット

(Sidonie-Gabrielle Colette, 1873年-1954年)は、

「自分だけの部屋」を書いたヴァージニア・ウルフとほぼ同時代を生きたといいます。



ウルフが知的特権階級に属していたのに対し、

田舎育ちのコレットは、学歴は中学卒業程度であり、

パリにでてからは劇場の裏舞台や怪しげな出版の世界に身をおいたそう。



ベル・エポック(美しき時代)のパリで、

「レディ(淑女)」とも「家庭の天使」とも無縁な環境に生きるコレットは、

エリートの対極にあるマージナルな視点から独自の文学世界を立ち上げたといいます。



社会的に貶(おとし)められた職業にたずさわる人々の日常生活や、

身体の微妙な感覚、束の間の印象、秘められた官能の悦び、

ひそかな性的欲望などが、小説の素材として、

いかに豊潤であるかを作品の創造を通して証明したといわれます。



コレットの小説「わたしの修業時代」の冒頭で語り手は、

自分は無名の人々から人生を学んだと述べ、

記憶に残る風味ゆたかな友人との交流が紹介されています。



「わたしの修業時代」は、晩年のコレットが自らの出自と

自立の過程を振り返った回顧録のような作品なのだそう。


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社会のどん底に生きる人間の姿
たけくらべ



樋口一葉の代表作の一つ「たけくらべ」は、

母親と妹の三人で龍泉寺町(現台東区竜泉)に住み、

荒物駄菓子店を営みながら生活をした、その体験を素材にして書かれた小説だそう。



物語の舞台は、 龍泉寺町界隈や吉原で、

美登利(みどり:女性)とお寺の息子・藤本信如の想いのすれ違ちがいを通して、

大人へと成長していく子こどもたちの様子が、

季節ごとの行事を織おり交まぜながら描がかれています。



吉原一帯は「遊郭(ゆうかく)」と呼ばれ、

お客とともに一夜を過ごしたりする遊女(ゆうじょ)と呼ばれる女性たちがいました。

遊女の多くは借金の形として連れてこられ、

美登利もいずれは遊女になる運命にありました。



社会のどん底に生きる人間の姿に接し、

お店に来る子どもたちを鋭く観察した人間洞察、社会認識を深めた体験は、

作家・樋口一葉を大きく飛躍させたといいます。



○名作「たけくらべ」の舞台となった地に建つ一葉記念館


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一部だけで、その人の全体と捉える
ラべリング



1960年代にハワード・S・ベッカーによって提唱された

ラベリング理論(Labeling theory)。



ラベリングとは、ある人や事柄のごく一部を見ただけで、

そのごく一部分が表現されるような名称を与え、

それがその人や事柄の全てであると決めつけることだそうです。



あの人は○○学校出身だから、○○会社に勤めているから…

あの人は○○地域の出身だから、○○という病気だから…



ある地域に勤めている学校の先生のお話では、

親の特徴から子どもが「ラべリング」されることもあるといいます。



ベッカーは、社会から逸脱した行為を行う人は、

その人の逸脱行為の動機や原因を問題とするのではなく、

周囲の人がその人にラベリングすることによって逸脱者になっていくと考えたそう。


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社会の中の色
ジェンダーの視点

公共トレイ入口の標識


ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別を示すセックス(sex)に対して、

社会的・文化的に形成される性別を指し、作られた男らしさ・女らしさともいえるそう。



世界の多くの文化が男女を基準に二分しながらも、

その分類は文化により多様で、男女の二項図式が根強く残るものもあれば、

分類境界の曖昧なものまで幅広く、流動化も起こっているといいます。



学校制度、会社組織など、近代社会に特有な領域で、

ジェンダーによる区分が行われ、それにともなう色にまつわるルールができ、

ジェンダーを識別する色が文化的・社会的に決められ、

色濃く継続しているものも多いそう。



その中でも、時代とともに、社会的規範を逸脱する動き、あるいは、

社会的規範からの解放もあり、ジェンダーにおける多様化と画一化

の混在が見られるようです。




上記の画像は、おなじみの公共用トイレの入口にある

男性用と女性用を区別する標識(ピクトグラム:pictogram)。



男性用トイレは、青字か黒字でズボン姿の男性シルエット、

女性用トイレは、赤字でスカート姿の女性シルエットで表示され、

日本では色と形で表現し、共通理解となっているようです。



しかしながら、海外の公共トイレ標識は、黒字あるいは単色で

形のみであらわされていることが多いのだそう。



○光は闇の中で輝く|世代とジェンダーを越えて発展する


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ジェンダーの視点
ベビー用品

公共トレイ入口の標識


子ども誕生のお祝いにベビー用品を探しに行くと、

売り場は男の子用・女の子用にコーナーが分かれていて、

男の子は淡いブルー系、女の子は淡いピンク系の

グッズが並べられていることが多いといいます。



プレゼントの包装にも、店員から

「男のお子さんですか、女のお子さんですか?」と尋ねられ、

性別を答えると、包装紙やリボンなども、やはり、

男の子用にはブルー系、女の子用には赤やピンク系で

コーディネートされることが多いそう。



このように子ども誕生の時点より、

周囲から「男の子は〜」「女の子は〜」と固定的な見方をされ、

性別に即した対応をする傾向が強く、ジェンダー意識を植えつけ、形成しているよう。



しかし近年では、性別に関係なく色を好む場合もみられるといいます。


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暖かい心臓が脈打つ
純粋な愛の宿る心

Un coeur simple (2008) 映画「純な心」


ギュスターヴ・フローベルの短編小説「純な心(Un coeur simple),1877年」。



主人公の女性フェリシテは、両親と死に別れ、妹たちとも生き別れ、

幼い時から飢え死にしない為に働き、女性の色気や潤いとはまったく無縁の人間。



ある時オバーン夫人と出会い、家政婦としてその家に住み込みます。

未亡人のオバーン夫人には、ポールとヴィルジニーという幼い子どもがおり、

その子たちの成長を見守ることがフェリシテの生き甲斐になってゆきます。



※フェリシテの人物像  「純な心」 フローベル 工藤庸子(訳)


  彼女は夜明けとともに起き、欠かさずミサに列席し、

  夕暮れまで休みなく働くのだった。

  そして夕食がすむと、食器をきちんと片づけ、しっかり戸締りをして、

  残り火を灰に埋めて、暖炉のまえでロザリオを手にしたまま、うとうとしはじめる。

  買い物で値切るとなれば、彼女ほどに頑としてゆずらぬ者はない。

  きれい好きにかけても、彼女がぴかぴかに磨き上げた鍋釜は、

  よその女中たちを到底かなわぬという気にさせた。

  しまり屋の彼女は、ゆっくりと食べ、テーブルのうえのパン屑を指で拾うのだった。



  十二斤もあるそのパンは、わざわざ自分用に焼いたもので、

  二十日はもつという代物だった。

  いつの季節にも、インド更紗のスカーフを肩にかけ、ピンで背中に留めていた。

  頭巾ですっかり髪をおおい、灰色の靴下に赤いスカーフをはき、

  胴着のうえには病院の看護婦のように胸当てのあるエプロンをつけていた。



  顔は痩せすぎで、声は甲高い。二十五歳のときに四十ぐらいに見えた。

  五十をすぎたら、もう何歳か見当もつかなくなった。

  しかも、いつも無口で、背筋をぴんと伸ばし、動作は測ったかのように正確で、

  まるで機械仕掛けの木の人形のようだった。


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心優しい者だけがもつ
想像力

First Communion(1896) Pablo Picasso Museu Picasso, Barcelona, Spain
初聖体拝領 ハブロ・ピカソ ピカソ美術館


子どもが7歳頃に行うキリスト教徒になるための儀式、

初聖体拝領(はつせいたいはいりょう:First Holy Communion)。

儀式に参列する少女たちは、「キリストの花嫁」をあらわす

純白のドレスとヴェールに身を包みます。



フェリシテは、清らかで美しい少女ヴィルジニーの初聖体拝領を見守ります。



※「純な心」 フローベル 工藤庸子(訳)


  ミサのあいだじゅう、不安で胸がしめつけられるようだった。

  ブーレさんが邪魔になって、祭壇前の席がよく見えない。

  でも正面には、ヴェールをおろし頭に白い冠をのせた少女たちの一団がいて、

  まるで雪におおわれた原っぱのようだった。

  そして可愛いお嬢様の姿は、だれよりも華奢な首筋とひとしお敬虔な様子から、

  遠くにいてもそれとわかるのだった。



  鐘の音が鳴った。みなが頭(こうべ)を垂れた。静寂が訪れた。

  オルガンが響きわたり、聖歌隊と会衆一同が

  「神の子羊(アニュス・デイ:Agnus Dei)」を朗読した。

  それから少年たちが列になってすすみでた。つづいて少女たちが立ち上がった。

  一歩一歩、両手を合わせて、光に照らされた祭壇に近づいてゆき、

  壇の一段目にひざまずいて、おのおのの聖体を拝領すると、

  そのまま列をくずさず、祈祷台に戻る。



  ヴィルジニーの番になったとき、フェリシテは身をのりだして見つめたのだった。

  本当に心優しい者だけがもつ想像力のおかげだろう、

  彼女は自分がそのまま少女であるかのような気持ちになった。

  少女の姿が自分の姿にかさなって、少女の服が自分をつつみ、

  少女の心臓が自分の胸で高鳴っていた。

  目を閉じて唇を開けた瞬間に、気の遠くなるような感じにおそわれた。



  翌日、彼女は早起きをして教会の聖具室におもむいた。

  司祭さまに頼んで聖体を拝領するためだ。

  深い信心をこめて頂いたのだけど、同じような喜悦を味わうことはできなかった。



○ピカソが創始した多面的な見方 キュビズム

○システィーナ礼拝堂でのみ歌うことが許された「ミゼレーレ」


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Agnus Dei. (Cordero de Dios) W.A.Mozart.San Pedro en Vaticano.
神の子羊(アニュス・デイ) モーツァルト サンピエトロ大聖堂 バチカン

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母なるものの典型的なイメージ
グレートマザー

大江湿原 尾瀬


春になると植物が新しい生命を芽吹かせ、

夏を経て秋の実り・豊穣をもたらし、

そして、冬の訪れと共に、植物がいわば死んで帰るという大地。



ギリシヤ神話における女神ガイアは大地の象徴で、

「母なるもの」の典型的なイメージの一つだそう。



「母なるもの」には、「生命・出産」といった側面を持つとともに、

他方で「死・冥界」という側面を持っているそうです。



○大地に宿る命|移ろい行く時の狭間に力の限り咲く花

○凝縮された尾瀬の季節

○風が通り抜ける湿原 箱根仙石原


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異質なものを排除する社会
悪いセックス、悪い身体



近代における<セクシャアリティ>の発明は、身体の特定のあり方や用い方を

道徳的、さらには医学的な<悪>と結びつけることと密接にかかわっていました。



ミッシェル・フーコーや彼の影響を受けたセクシュアリティの

歴史の研究家たちの考察に従うなら、より正確には、

時に露骨に道徳的で時にその道徳性の装いの裏に潜ませつつ

特定の様相をもちあるいは特定の用いられ方をする身体を

<悪>と名指すことを通じて身体を管理する、

そのような政治によってうみだされたのが近代の<セクシュアリティ>であった、

というべきかもしれません。



したがって、「セクシュアリティ」を考えるとは

<悪い>セックス、<悪い>身体を考えることでもありますし、

近代の「セクシュアリティの政治」は<悪い>セックス/<悪い>身体と

<良い>セックス/<良い>身体とを分かつ境界線をめぐる政治であったとも言えます。



<良い><悪い>の身体を分かつこの境界線は、

<悪い>、あるいは少なくとも<良い>・わけではない_側におかれた身体に対して、

しばしば文字通り破壊的な結果をもたらしてきました。



そちらの側に置かれたのは、例えば女性の、あるいは異民族/異人種の、

あるいは病や障害をもつ身体などでしたが、いわゆる性的少数者

(ジェンダー/セクシュアル・マイノリティー)の身体もそこに含まれます。



性的少数者の<悪い>身体の破壊は、

とりわけ制度的かつ大規模なものだけに限っても、

ナチス・ドイツにおける同性愛者の強制収容、

精神医学の名のもとにおこなわれた様々な「同性愛治療」、

1980年代のいわゆる西側先進国のAIDS流行への対応の不備などに、

その例を見出すことができます。



このような歴史を背景として、周縁化されたあるいは非規範的なジェンダーや

セクシュアリティにかかわるアクティビズムと思考とは、

<悪い>身体と<悪い>セックスをめぐって、

少なくとも表面上はほとんど逆の方向をめざすふたつの流れを

内包するものとなっていきます。



ひとつは、<悪い(とされてきた)>身体やセックスを<悪く>ないもの、

<良い>ものとして主張する流れ。

性的少数者の権利獲得運動はどちからといえばこの流れにあたるものです。



もうひとつは、<良い(とされる)>セックス、<良い(とされる)>身体から

時にはむしろ意図的に遠ざかり、<悪い>として周縁化れた状態に留まりながら、

<悪い>身体のよりわけを通じて<良い>身体を管理する

その境界線の設定それ自体の政治性を批判しようとする流れ。



80年代のAIDSアクティビスムから大きな影響を受けつつ派生した

クィアの運動や原理は、こちらの流れを強くひいたものです。



※<悪い>セックス、<悪い>身体
  東京大学総合研究科 準教授 清水晶子 先生より



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○新たな響きが奏でる未来|先人者に感謝を込めて


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補      足


○セクシュアリティ(Sexuality)

 ・「人々があるモノ・コトを性的と感じている事態そのもの」を指している言葉。
  生物学的な性別、性自認、性的指向、性的嗜好、生殖・・・などの様々な概念
  が含まれる。

 ・1999年の世界性科学会議(香港)で採択された「性の権利宣言」の冒頭

  “Sexuality is an integral part of the personality of every human being.”
  (セクシュアリティとは、人間ひとりひとりの人格に不可欠な要素である)

 ※性と人権ネットワーク ESTO(エスト)より


 ・ 「性にかかわる欲望と観念の集合・・・自然と本能ではなく、文化と歴史に帰属する」
  (女性学事典,岩波書店,2002)

 ・ 「セックスは両脚の間(性器)に、セクシュアリティは両耳の間(大脳)にある」
   (カルデローン,アメリカ性情報・教育協議会創設者)

 ・アメリカ心理学会の見解では、
 「セクシュアリティの構成要素」が以下の4つにまとめられている。

 1.性的指向(sexual orientation)
 2.生物学的性(biological sex)
 3.性自認(gender identity)
 4.社会的性役割(gender role)

 ※地域社会福祉学 ジェンダーとセクシュアリティ
  信州大学(現代GP) - 信州発“学び”のビッグバンプロジェクト -より



○ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926年-1984年)

 フランスの哲学者。代表作は「狂気の歴史」「監獄の誕生」「性の歴史(未完)」など。



○ナチス・ドイツにおける同性愛者の強制収容

 ナチス党政権下のドイツが行ったホロコースト(語源は古代ユダヤ教の祭事で
 獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)によって、ユダヤ人、政治犯、精神障害者、
 身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者などを収容・虐殺を行ったとされる。



○精神医学の名のもとにおこなわれた様々な「同性愛治療」

 医学として同性愛は「異常」であるとの考え方は19世紀にはあったよう。
 近代以降、同性愛者は治療・研究の対象として扱われ、
 からだじゅうに電極を付け、ヌード写真を次々と見せ、
 同性のヌードに反応したら電気ショックを与えるという治療もなされたといいます。

 1952年にアメリカ精神医学会が発行した「精神障害の分類と診断の手引」
 (DSM)(第1版)において、同性愛は精神障害とみなされ、
 社会病質人格障害の章で「性的逸脱」とされた。

 その後、旧東ドイツの医師ダーナーが、「母親が妊娠中にストレスを受けて
 男児に男性ホルモンが十分に分泌されないと、男児は男性としての脳が
 未発達のまま生まれ、男性同性愛者となる」という説を発表し、
 同性愛が病気であるというイメージが強まった。


 ※すこたんソーシャルサービス、および、ふらっと人権情報ネットワークより



○1980年代のいわゆる西側先進国のAIDS流行

 社会のなかで多数を占める異性愛者(straight= ストレート)の多くは、
 ゲイをモラルに反する行為にふける、性的楽しみだけを追求する享楽的で
 無責任な人々と考えていました。ゲイは、教会からは罪を犯した人、
 医師からは病人、家族からは生まれつき欠陥のある人と批判され、
 企業からは解雇され、社会的差別に苦しんでいたのです。
 (Newsweek, August 8, 1983: 26-31)

 ※世界のエイズ史 九州大学健康科学センター 山本和彦 より



○AIDSアクティビスム

 AIDSに対する偏見などを是正する活動。代表例の一つは、
 山下柚実さんの著書「ショーン―横たわるエイズ・アクティビスト」。
 作者はハワイ生まれのエイズ患者ショーンを介してエイズ・ボランティアに
 深く関わり、彼の死を通して、異質なものを排除する日本社会を指摘しています。



○クィア(Queer)

 〔奇妙な,風変りな,などの意〕

 同性愛者などを含むセクシャル-マイノリティーの総称。
 元来は同性愛者などに対する蔑称であったが、
 近年では肯定的な意味で用いられるようになった。



○ジョグジャカルタ原則 2006年11月 国連

 性的指向並びに性自認に関連して、我々、国際人権法専門家会議一同は、
 万人は尊厳と権利において自由で平等であり、性別、国籍、人種、皮膚の色、
 言語、宗教、政治的またはその他の意見、民族的または社会的出身、財産、
 出生、あるいはその他の身分によって差別されることなく人権を享受する権利
 があることを再確認する。 (前文抜粋)


○渋谷区「同性パートナーシップ条例」

 同性カップルのパートナーシップを結婚に相当する関係として認め、
 証明書を発行する東京都渋谷区の条例が2015年3月31日の区議会本会議
 で可決・成立。


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参  考  情  報


○eternel imparfait

○プチ仏文学史:So-netブログ

○映画『ジェーン・エア』公式サイト

○北鎌倉 松岡山東慶寺

○SHIMIZU Akiko(清水晶子)(@akishmz)さん | Twitter

○e-learning教材 地域社会福祉学
 信州大学(現代GP) - 信州発“学び”のビッグバンプロジェクト -

○世界のエイズ史|九州大学健康科学センター 山本和彦

○山下柚実 | Yuzu Journal

○渋谷区/渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例

○ESTO|トップ (性と人権ネットワークESTO)

○ふらっと 人権情報ネットワーク

○すこたんソーシャルサービス

○森鴎外 ヰタ・セクスアリス - 青空文庫

○宝塚歌劇公式ホームページ

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○自分だけの部屋 ヴァージニア・ウルフ. 川本静子(訳) みすず書房

○わたしの修業時代 シドニー=ガブリエル コレット,工藤庸子(訳) ちくま文庫

○ボヴァリー夫人 ギュスターヴ・フローベール,山田爵(訳) 河出文庫 2009

○恋愛小説のレトリック―『ボヴァリー夫人』を読む 工藤庸子
  東京大学出版会 1998

○源氏物語 現代語訳 秋山虔 学燈社

○たけくらべ 現代語訳・樋口一葉
 (訳)松浦理英子, 藤沢周, 阿部和重 他 河出文庫 2004

○樋口一葉が見た街並み〜明治の東京風景〜
 台東区立一葉記念館 2015.04.24〜6.21

○世界の名作を読む 放送大学
 主任講師 工藤庸子 (東京大学名誉教授)

○色を探求する 放送大学
 社会の中の色〜ジェンダーの視点を中心に〜 佐藤仁美(放送大学準教授)

○悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 鹿島茂 講談社現代新書

○パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ 鹿島茂 角川ソフィア文庫

○パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ 鹿島茂 角川ソフィア文庫

○絶頂美術館 名画に隠されたエロス 西岡文彦 新潮文庫

○落語 昭和の名人決定版1 三代目古今亭志ん朝 小学館

○キャッツ―ポッサムおじさんの猫とつき合う法
 T.S. エリオット, 池田雅之(訳) ちくま文庫 1995

○第80回円覚寺夏期講座 2015.07
 小泉八雲と夏目漱石の鎌倉
 早稲田大学社会科学総合学術院教授 池田雅之 先生

○新装アウトサイダーズ ラべリング理論とはなにか
 ハワード S. ベッカー 村上直之(訳) 新泉社

○女性の品格 坂東眞理子 PHP新書

○ショーン―横たわるエイズ・アクティビスト 山下柚実 小学館 1994

○セックスレスの精神医学 安部輝夫 筑摩書房

○ルーヴル美術館展-地中海 四千年のものがたり-
 東京都美術館 2013年7月20-9月23日 ギャビーのディアナ

○第121回(平成27年春季) 東京大学公開講座「悪」
 東京大学本郷キャンパス 安田講堂 2015.05
 「<悪い>セックス、<悪い>身体」 清水晶子 先生 総合文化研究科准教授

○ヒトはどのようにしてヒトになったのか 2015.09
 講師 種田保穂 先生(放送大学客員教授・横浜国立大学名誉教授)
 放送大学神奈川学習センター


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