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琳派を代表する絵師 尾形光琳 国宝「紅白梅図屏風」所蔵名品展 MOA美術館 |
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流れのほとりに咲く白梅・紅梅 紅白梅図屏風 |
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紅白梅図屏風(国宝) 尾形光琳 18世紀 MOA美術館 | |||
17世紀後半から18世紀にかけて活躍した琳派を代表する絵師、 尾形光琳。 京都の呉服商、雁金屋の当主・尾形宗謙の次男として生まれ、 実家が裕福であったために少年時代から能楽、茶道、書道などに 親しんだといわれています。 生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送り、 相続した莫大な財産を湯水のように使い果たし、 弟の尾形乾山からも借金するようなありさまだったそうです。 光琳晩年の作といわれる紅白梅図屏風は、 中央に水流をおいて、左側に白梅、右側に紅梅が描かれています。 ○梅がきれいな荏柄天神社 ○様々な「美」に触れて |
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千手観音の使途といわれる 風神雷神図屏風 |
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風神雷神図屏風(重文) 尾形光琳 18世紀 東京国立博物館 | |||
千手観音の使途といわれる風神、雷神。 上の絵は、俵屋宗達が描いた「風神雷神図屏風」を、 尾形光琳が模写したものだそうです。 2008年、東京国立博物館で開催された「大琳派展」では、 元となった俵屋宗達の作品、尾形光琳の模写、 さらに酒井抱一、鈴木其一が尾形光琳の作品を模写した4種が 展示されていました。 ○俵屋宗達の風神雷神図屏風がある京都・建仁寺 ○本物の作品で日本の文化史がたどれる東京国立博物館 |
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燕子花の名所、八橋を描いた 燕子花図屏風 |
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燕子花図(右隻) 国宝 尾形光琳 18世紀 根津美術館 | |||
総金地の六曲一双屏風に、 濃淡の群青と緑青によって鮮烈に描きだされた燕子花の群生。 背後には、「伊勢物語」第9段の東下り、 燕子花の名所・八つ橋で詠じられた和歌があるそうです。 ○花に囲まれる季節、シーズンを通して豊富な花に囲まれる春 |
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伊勢物語第9段東下りの場面 八橋蒔絵螺鈿硯箱 |
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国宝 尾形光琳 18世紀 東京国立博物館 | |||
「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」 着慣れた唐衣のように慣れ親しんだ妻が都にいるので、 はるばるとやってきた旅の遠さがしみじみと思われることだ。 八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)は、 「伊勢物語」第九段三河国八橋の情景を描いた硯箱だそうです。 ○鎌倉・明月院の花菖蒲 |
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紅白梅図屏風を展示する MOA美術館 |
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相模灘を見渡す高台に建つ「海の見える美術館」。 国宝3点、重要 文化財65点を含む約3500点を所蔵しているそう。 例年、梅の咲く時期に、 尾形光琳の「紅白梅図屏風(国宝)」が展示されているそうです。 ○今を生きる...相田みつを美術館を鑑賞して |
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熱海を見渡す高台にたつ 海の見える美術館 |
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美術館のメインロビーからは海に 浮かぶ初島や伊豆大島が一望でき、 大パノラマが見る人の心を癒してくれます。 ○熱海の海岸散歩する、小説「金色夜叉」に描かれた熱海 |
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パリ・シャンゼリゼ劇場に同じ彫刻がある アポロンと瞑想、走りよる詩神たち |
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エミール・アントワーヌ・ブールデル フランス | |||
フランスの彫刻家、エミール・アントワーヌ・ブールデルの作品。 中央が「アポロンと瞑想」、左右が「走りよる詩神たち」。 パリ・シャンゼリゼ劇場のファザード上部に同じ作品があるそうです。 エミール・アントワーヌ・ブールデルは、ロダンの助手としても働いたそう。 ○パリ、凱旋門とシャンゼリゼ大通り ○「深く、恐ろしく真実を語るものであれ」、近代彫刻の父オーギュスト・ロダン |
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静寂な竹林を通り抜け 人との心を通わせる茶苑へ |
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MOA美術館内には、 尾形光琳屋敷や一白庵などからなる茶苑があります。 静寂な竹林を通りぬけ、人との心を通わせる茶苑へ。 ○竹の寺 鎌倉・報国寺 |
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大磯の三井家別邸にあったという 唐門 |
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茶苑の入口にある唐門。 もとは神奈川県大磯町の三井家別邸、城山荘内にあったそうです。 ○茶室如庵があった大磯城山公園 |
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片桐門 | |||
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尾形光琳の屋敷を復元した 光琳屋敷 |
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江戸から京都に戻った光琳は、新町通りに屋敷を建てたそう。 その時の図面は今も残っており、 その図面を基に復元したのが、光琳屋敷だそうです。 ○鑑賞の余韻にひたりながらゆったり寛ぐミュージアム・レストラン |
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梅香るころ | |||
梅はバラ科の植物だそう。 花言葉は忠実・気品。 ○梅香る、富士の景色、曽我の梅林 ○小さな幸せに会いに、相模湾を見渡す高台に咲く菜の花 |
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能の大成者 世阿弥が残した言葉 初心忘るべからず |
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能楽堂 | |||
能は、奈良、平安時代から庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲や、 神への奉納の舞が集大成されできあがってきたそうです。 「初心忘るべからず」など、能の大成者・世阿弥の言葉は、 私たちの身近なところに息づいているそう。 MOA美術館にある能楽堂は、501席の座席を有し、 能の国際化に一役買うものとして注目を集めているそうです。 ○日本の伝統芸能を上演する国立劇場 ○風刺や失敗談など滑稽を表現する「狂言」 ○自然や酒、愛の歓喜を赤裸々に歌った世俗歌謡詩集、カルミナ・ブラーナ |
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舞台後方に広がる雄大な相模の海 MOA美術館 薪能 |
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MOA美術館ムア広場特設会場 奉納 |
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2014年は30回を迎えるというMOA美術館 薪能。 夏の夜を幻想的に彩るかがり火と、舞台後方に広がる雄大な相模の海。 そして、海上を照らす月の光…。 MOA美術館の薪能は、大自然の雄大なロケーションを生かした舞台 で演じられます。 ○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力 |
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絶世の美女に扮して帝の命を狙った 殺生石 |
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火入れ式 (MOA美術館 薪能) | |||
玄翁和尚という旅の僧が、下野国那須野の原(栃木県)に通りかかります。 能力から、鳥がその上を飛ぶだけで落ちるという不思議な巨石のことを 聞いた玄翁は、石のほとりへ歩みよります。 すると、里女が現れて、その石は那須野の殺生石(せっしょうせき)と呼ばれ、 人から鳥獣に至るまで触れれば命を失う恐ろしい石なので 近づかないようにと注意します。 玄翁が石の由来を尋ねると、女は、玉藻前(たまものまえ)という女官に化けて 鳥羽院に近づいた野干の精(妖狐)がこの野で討たれ、その怨霊が意思になった と語ります。 玄翁が女の素性を問うと、自分こそはその石魂だと明かし、 夜になれば懺悔の為に姿を現すと言い残して石の中に消えます。 日が暮れ、石に向かって玄翁が弔うと、石の中から恐ろしい姿の 野干(やかん)が現れます。野干は、天竺(インド)では斑足太子の塚の神、 大唐(中国)では幽王の妃褒似として国を乱したこと、 日本では玉藻前という美女に扮して帝の命を奪おうとしたものの、 陰陽師の安倍泰成に正体を看破されてこの野に隠れ住んだこと、 しかし三浦の介、上総の介の両人によって退治されたことを語ります。 死してなお執心を残し、殺生石となって人畜の命を奪い続けた野干は、 さきの玄翁の供養を受けたりで、以後一切の悪事をしないことを誓い、 姿を消します。 |
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参 考 情 報 | |||
○文化遺産オンライン ○e国宝 - 国立博物館所蔵 国宝・重要文化財 ○MOA美術館|MOA MUSEUM OF ART ○根津美術館 ○伊勢物語トップページ|関西大学図書館 電子展示室 ○表千家不審菴:茶の湯 こころと美 ○裏千家ホームページ 茶の湯に出会う、日本に出会う ○Japanese Noh Play. 能楽ポータルサイト:the能ドットコム ○フリー百貨辞典Wikipedia ○第30回 MOA美術館薪能 能 観世流「八島」 狂言 和泉流「梟山伏」 能 観世流「殺生石 白頭」 能 宝生流「百萬」 狂言 大蔵流「長光」 能 宝生流「岩船」 主催 MOA美術館 後援 熱海市、熱海市教育委員会、熱海市観光協会連合会、 熱海市温泉ホテル旅館協同組合連合会、熱海商工会議所、 エフエム熱海湯河原、伊豆急ケーブルネットワーク、熱海新聞、 伊豆毎日新聞 |
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