人類の智の宝庫

世界各地の文明が残した偉大な遺産を収めた
大英博物館


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人類の智の宝庫
大英博物館

The British Museum


イギリスが産業革命を目前に控えた大国への道を歩みつつあった1753年。

大英博物館は、世界初の公共の国立博物館として創設されたそう。



王族の担当医や王立学士院院長を務めた医師ハンス・スローンが集めた

8万点のコレクションを、政府に遺贈したことから始まるといいます。



やがて強大な国力を背景に大英博物館には、古代エジプトのミイラ、

キャプテン・クックが航海から持ち帰った太平洋諸島の民族資料など、

全世界から人類の至宝がもたらされたそうです。



○共に居ること、創ること|影響を受け、影響を与えてきたイギリス

○Bon Voyage 地球一周の旅へ


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光が溢れる開放的な中庭
グレートコート

かつては大英図書館だった場所
イギリス建築界の巨匠と呼ばれるノーマン・フォスターが手掛けたそう


正面玄関を入って直進すると、

光が溢れる開放的な中庭グレートコート(Great Court)に出ます。



2000年に改修されたというグレートコートには、

案内カウンター、ミュージアムショップ、カフェ、レストランなどが集まり、

各展示室を訪れる起点ともなっています。



かつてこの場所は大英図書館として、世界中の研究者に公開され、

マルクスは30年あまり閲覧室に通い「資本論」を書き上げたといわれます。



日本人では、博物学者・民俗学者である「南方熊楠(みなかた くまぐす)」は、

東洋関係文物の整理を依頼されたそう。



1997年、図書館はキングス・クロス駅近くに移転し、

新たに大英図書館 British Libraryになっています。



○大英博物館から移転したという大英図書館


○英国500年の美術に触れるテート・ブリテン


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古代エジプト文明 解読の鍵
ロゼッタストーン

Rosetta Stone


謎の古代エジプト文明解読のきっかけになったという「ロゼッタストーン」。



1792年、宿敵イギリスの交易拠点であるエジプトを占領するため、

フランス軍総司令官ナポレオン・ボナパルトはエジプトに向かい、

ナイル川河口のロゼッタでこの石碑を発見したそう。



発見から時を経た1822年、古代エジプト文字「ヒエログリス」は、

フランスの学者シャンポリオンによって解読され、

紀元前196年、プトレマイオスの第1回戴冠記念日に制定された

古代エジプト国内の神殿の運営に関する法令などが

刻まれていることが明らかになったそうです。



※週刊世界の美術館 9 大英博物館@より引用


○人と人・人と自然との共存から未来を紡ぐ Life is a Journey


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古代エジプト 絶頂期の王
ラムセス2世

Upper half of a colossal statue of RAMESSES U
ラムセス2世の胸像 高さ2.67m 重さ7.25t


紀元前13世紀、古代エジプト絶頂期のファラオ、ラムセスU。

現人神として崇拝されたそうです。



ファラオを頂点とする古代エジプト社会は、大多数を占める農民に支えられ、

ナイル川の水量の増減によって肥沃の土地が生まれ、その恩恵によって

農耕は安定したといいます。



王の来世への旅を手助けした者は、その恩恵に浴すると信じられ、

農民は王墓の建設にもあたったそう。


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文明を育んだ
ナイル川



全長6,695kmもの長さがあるというナイル川(the Nile)。



雨季にもたらされる洪水は栄養豊富な土壌を作り、

小麦や綿花などの作物を育てることができたそう。



川は輸送経路ともなり、エジプトはナイル川のおかげで、

古くから人が住み、文明が育まれたといいます。



○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川

○水が大逆流する銭塘江


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生と死の堺にある
プタハシェプセスの偽扉

Limestone false door of Ptahshepses


エジプトの創造神、不死なる統治者プタハの司祭を務めていたという

プタハシェプセス。



偽扉は死者の魂が遺族が捧げた供物を受け取るために、

埋葬室から礼拝室へ抜けるときに通ると考えられていた扉だそう。



○生と死のはざ間にある「時」を歩む


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霊魂の不滅を信じた古代エジプト
狩猟の図

Nebamun hunting birds in the marshes 紀元前1350年頃


   「日々を楽しめ。

   喜びだけを思い起こすのだ、沈黙を愛する土地に接岸する日まで。」



※古代エジプトの祭礼の歌「たてごとひきの歌」より



霊魂の不滅を信じていたという古代エジプト人は、

死後の幸福を願い、その墓に自分が望む暮らしを描いたそうです。



テーベ(Thebe:現ルクソール周辺)の書記官ネブアメンは、

死後の世界での狩猟風景を墓の壁画に残したそう。



ネブアメンは、妻子とともにパピルス製の船に乗り、

鳥や猫、魚に囲まれ狩りをしているところが描かれています。


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生と死を象徴する
ルクソール

ルクソール神殿 Luxor Temple Thebe, Egypt


ギリシアの詩人ホメロスが「百門の都」と謳った

古代エジプトの首都テーベにある宮殿都市ルクソール。



日が昇るナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など

生命と成長の源を意味する「生の都」があり、

日が沈むナイル川の西岸には、ツタンカーメン王の墓がある王家の谷や

王妃の谷などがあり、生命の衰退を意味する「死者の都」と考えられていたそうです。



○時空を超える旅に出かける世界遺産


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光のスペクタクル
アブ・シンベル神殿

4体からなるラムセス2世の坐像
Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae


テーベから南へ540km、アスワンから南へ280kmのヌビア地方、

ラムセス2世によって建てられたこのアブ・シンベル神殿の壁には、

神となったラムセス2世の巨大な坐像が4体据えられています。



建設にはエジプトに住むヘブライ人が動員され、

その中には弾圧を恐れ砂漠に身を隠していたヘブライ人の長(おさ)

モーセの姿があったといいます。



不死身を信じたラムセス2世に死が訪れたことを知ったモーセは、

エジプトに戻り、ヘブライの民を連れてファラオの国を出たそう。

「旧約聖書 出エジプト記)



偉大な王を失ったエジプトは混乱に陥り、

ラムセス2世の死後40年足らずで、第19王朝は幕を閉じたと伝わります。



アブ・シンベル神殿は1年のうち、10月22日と2月22日の2日だけ、

朝日が東から西へ真直ぐに差し込み、

一番奥の至聖所の4体の像を照らす神秘的なスペクタクルがあるそう。



○古代エジプトの頃、日本では|縄文晩期に東北で成熟した土の美術


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肖像画を通して永遠性を獲得する
アルテミドロスのミイラ棺

Mummy of Artemidorus in Painted stucco case


ミイラが収められている赤塗りのお棺。

顔の部分には写実的な肖像画が描かれています。



CTスキャンの結果、肖像画が示すように

18歳から21歳の若い頃に亡くなったと考えられているそうです。


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自然風化によってミイラ化したという
ジンジャー

Gebelein Man
Gebelein, Egypt, Predynastic period, around 3500 BC
A naturally preserved mummy in a reconstructed pit-grave.


髪の毛や皮膚の色から「ジンジャー」と名づけられたたミイラ。

テーベの近郊で発見されたもので、

紀元前3400年頃の成人男性のミイラと言われています。



臓器を取り除いたりと手間のかかるミイラになれるのは、

一部の富裕層だったといわれますが、ジンジャーは熱砂で急速に乾燥したため、

バクテリアが生育することなく腐敗を免れ、ミイラ化したものだそう。



CTスキャンの結果、ジンジャーは背後から刃物で刺され殺されたことが

解っているそうです。



○日本を代表する映画監督・小津安二郎氏のお墓に刻まれる「無」


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天秤にかけられる死者の魂
アニの死者の書

アニの死者の書|死者の審判の図
Papyrus from the Book of the Dead of Ani
The judgement of the dead in the presence of Osiris


古代エジプトでは、死者の旅には多くの困難が伴うと考えられていたよう。

「死者の書」は、死んでから道中で唱える呪文と旅の様子を記した書。



テーベの書記官アニの墓にあった「死者の書」には、

真実の象徴であるダチョウの羽と、死者の魂が秤にかけられる

様子が描かれています。



もっとも厳しいといわれる冥界への入国審査。

天秤が釣り合えば現世での善行と潔白が証明されるそうです。



この考え方はギリシヤ・ローマを経由してヨーロッパに取り込まれ、

キリスト教の死生観にも影響を与えたそう。


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死者の代わりに働く
シャプティ

青のファイアンスのシャプティ
Blue-glazed faience shabits of the high priests of
Amun and members of their families


死者と伴に埋葬されたという「青のファイアンスのシャプティ」。

シャプティは死者の国で主人に代って農作業や泥を運ぶ仕事など担うといいます。



ファイアンスは、今では失われてしまった物質だそうで、

粘土でなくガラスの原料である石英という石の粉を用いた

ガラスのような焼き物で、古代エジプトでは今から約6500年前に登場したといいます。



○秦始皇帝の陵墓を守る兵馬俑


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豊穣の女神バステトと同一された神聖な動物
ゲイヤー・アンダーソンの猫

Gayer-Anderson cat 紀元前600年頃 高さ42cm


猫は豊穣の女神バステトと同一視され、神聖な生き物だったそう。

その為、猫のミイラも数多くつくられ、

生後3ヵ月で絞殺された猫のミイラが販売されていたといいます。


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エジプト・アラブ共和国連邦の首都
カイロ

Cairo Capital of Egypt


アフリカ最大の都市というエジプト・アラブ共和国の首都カイロ。



地中海の香りと東洋の魅力をミックスした都会的な都市で、

ファラオ王朝、ギリシャ・ローマ時代、キリスト教及びイスラム教の

歴史的建造物が共存する町だそう。



ナイル川の東部流域に伸びるモカッタムの丘の上には

サラーハ・エル・ディーンの城塞が建っています。



○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム


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パルテノン神殿を飾った
大理石彫刻

The Parthenon Marbles


ギリシャのパルテノン神殿を飾った大理石彫刻が展示されるドゥビーン・ギャラリー。



彫刻群はイギリスに持ち帰った伯爵エルギン卿の名前をとって

エルギン・マーブル(Elgin Marbles)とも呼ばれるそう。



完成時のパルテノン神殿では、ペディメント彫刻のほか、

92面ものメトープ彫刻が外周を飾り、

内壁のフリーズ彫刻は全長163mにもおよんだといわれます。



4世紀、アテネが東ローマ帝国領になると、

キリスト教徒は破風彫刻などを異教の偶像として破壊。

17世紀、アテネを占拠したヴェネツィア軍が破風を取り外そうとして

地面に落とし、彫刻は砕け散ったといいます。



わずかな遺構を保護し、パルテノン神殿の彫刻家フェイディアスの名を

後世に残すきっかけになったのがイギリスの伯爵エルギン卿だったそう。



エルギン卿は、1800年、駐トルコ英国大使として、

当時ギリシアを支配していたオスマン・トルコの首都コンスタンティリーブル

(現イスタンブール)に赴くと、政府の許可を得てパルテノン神殿の調査に

乗り出しますが、だが、調査とは名ばかりで、

彫刻群を母国イギリスに持ち去り、略奪者として非難されたそうです。



現在、ギリシア政府は返還要求をしているといいます。


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ギリシア絶頂期の象徴
パルテノン神殿

Acropolis, Athens


アケメネス朝ペルシア帝国との戦いに勝利したアテネ。



政治家ペリクレスは100年以上続いた貴族派と民主派の争いに

決着をつけて民主政治を実現し、ギリシア最大級の神殿を造営します。



造営費には、ペルシアに対する安全保障体制「デロス同盟」の

150もの都市国家から集めた資金が充てられ、

ペリクレスの存在を絶対的なものにしたそう。



○地中海の風に誘われて宝石のような街並みへ


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女神アテナイの誕生を知らせる
パルテノン神殿のペディメント

東ペディメント The east pediment of the Parthenon


パルテノン神殿の屋根と梁の間にある三角部分にあたるペディメント。

日本では「破風(はふ)」や「切り妻」と呼ばれる部分にあたるそう。



この場所の左側には、酒神ディオニュソス、豊穣の女神デメテルと

娘ペルセフォネ、永遠の若さの精ヘベ。



右側には、炉の女神ヘスティア、母ディネオ、美と合いの女神アフロディーテ

が象られ、女神アテナイ誕生の知らせがオリュンポスの神々に伝わる様を

表しているといいます。


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女神アテナと海神ポセイドンの争い
西ペディメント

The West pediment of the Parthenon


女神アテナイと海神ポセイドンが都市の守護者たる立場を争った

様子が描かれた西ペディメント。



アテナイとポセイドンは中央で対峙し、

反らせたお互いの体躯を中心に対称を成しているそう。


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女神アテナイに捧げる大祭が描かれた
フリーズ



4年に1度、女神アテナイに捧げるパナテナイア大祭(Panathenaic Festival)

に集まる行列の様子を表したといわれるフリーズ(Frieze)。



別々の方向から中心の神々のところに向かう行列には、

人物や馬、生贄として捧げら れる牛や羊などが彫刻されています。


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アテナイ着せ替えの儀式を執り行った
行列の中心

Central scene of the east frieze of the Parthenon


別々の方向から進んできた行列が向かい合う中心場面。

そこには女神アテナイ像に着せ替えを行う儀式の模様が描かれているそうです。


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古代から現代まで
日本ギャラリー



日本に関する案内に触れると、海外からはどのように見えているか

知ることができ、日本に対する理解が深まります。



※大英博物館 案内より


The Japanese islands have been inhabited for more than 30,000 years.

Over the centuries people developed from hunters living in pit houses

to rice farmers who made tools and ritual objects out of metal.

Permanent agricultural settlements followed.



Buddhism arrived from the Asian mainland during the sixth and

seventh centuries AD. With it came new forms of architecture,

sculpture, painting and the Chinese writing system.

New ideas of government were also introduced from elsewhere in Asia.



Openness to outside influence did not continue, however,

and in AD 1639 the samurai government established by the

Tokugawa shoguns banned Japanese from travelling.

It also carefully controlled foreign contact by having just

four gateways through which outsiders could enter the country.



Urban culture flourished during this period, but in 1868 the samurai

government was replaced by a new modernizing regime that

ruled in the name of the Meiji emperor.



This period saw Japan enjoy an atmosphere of cultural openness

when international influences were eagerly absorbed,

and urban life largely resembled that in the West.



Although the Asian-Pacific war brought a sense of national unity to some,

defeat left the population exhausted and the cities ravaged.

The Allied Occupation (1945-52) remodelled the Japanese political

infrastructure to ensure the democratic process.



Continuity and change have consistently shaped Japan.

Today it is a thriving modern, high-technology society that

continues to celebrate many elements of its traditional culture.



The British Museum has one of the most comprehensive collections

of Japanese material culture in Europe.

The collection of around 30,000 objects traces the history of Japan

from early archaeological material to twentieth century Manga comics.



In between, the collection takes in the arts of Buddhism, paintings,

prints and printed books, sculpture, Samurai warrior swords, textiles,

lacquerware, ceramics and tea ceremony wares and utensils.



○日本の成り立ちを語る雅楽|日本で最も古い古典音楽


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親愛の象徴
カモ

木製のカモ 韓国ギャラリー


韓国では鴨(キロギ)は親愛の鳥として扱われているそう。

かつて結婚にあたって新郎は生きた鴨を新婦の母へ渡したといいます。



現在では、新郎は木彫りの鴨を一対、新婦に渡す儀式があるそうです。

鴨は一度つがいになると、一生相手を変えない習性があると言われ、

子供に対する愛情も深いそう。



○朝鮮王朝の王都 韓国ソウル

○戦争からつくられた渡り鳥の楽園|朝鮮半島の軍事境界線「38度線」


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闇を光で照らす
啓蒙主義

The Enlightenment Gallery(啓蒙主義ギャラリー)
Discovering the world in the 18th century


大英博物館の正面入り口を入り、グレートコートに辿り着いたら

右側にあるルーム1「啓蒙主義ギャラリー」。



以前ここは「キングス・ライブラリー」として、

ジョージ3世(1738〜1820)によって世界中から集められた本が並んでいたそう。



書籍は新たに建設された大英図書館に移され、2014年現在、ここには、

大英博物館創設の基になったハンス・スローン卿のコレクションなど、

「自然界」「考古学の誕生」「芸術と文明」「宗教と儀式」「交易と発見」

などにまつわる展示があります。



ギャラリーのテーマとなっている啓蒙主義。



「啓」は「ひらく」、蒙は「おおう・くらい」とも読み、

「暗く覆いかぶさっているものを開く」ことを指しているそう。



啓蒙には、自然の光を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、

人間本来の理性の自立を促すという意味があるそうです。



○理性を拒む愚かな男たち

○英知によって光に触れるコロンビア大学


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言葉や展示品が解らなくても安心の
マルチメディアガイド

日本語版


言葉や展示場所が解らなくても安心のマルチメディアガイド。

館内のみどころ展示品を音声と動画で解説をしてくれる上、

ルート案内もしてくれます。


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カジュアル感覚で楽しめる
コートレストラン



洗練された食事をカジュアル感覚で楽しめるコートレストラン。



新鮮な季節料理やアフターヌーンティのほか、

展示会にあわせた展示メニューなどを提供しているそうです。



○イギリスの物語と街並みに触れる Books about Town


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一休みするのに丁度良い
コートカフェ



できたてのサンドイッチからスナック、サラダ、デザート、ケーキ、

ホット/アイスドリンクまで種類豊富に揃っているコートカフェ。



一つの展示エリアを鑑賞した後、一休みするのに丁度良いです。



○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術|
 ミュージカル鑑賞に出かけましょう



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文明の偉大な遺産を収集する
大英博物館

ひっそりとした夜の大英博物館


世界各地の文明が残した偉大な遺産を収めた、

世界最大の博物館・大英博物館。



800万点を誇る収蔵品のうち、展示室で公開されているのは、

わずかに1%。残りの99%は収蔵庫に眠っているといいます。



大英博物館のバックヤードでは、そうした未公開の品々の科学分析をはじめ、

最先端の調査研究が、日々続けられているそう。



※NHKスペシャル 知られざる大英博物館より



○青き惑星 地球|海洋・地球・生命の統合的理解への挑戦

○未来を創るつながりのはじまり|夢と希望を育む魅力ある街 臨海副都心


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参  考  情  報


○British Museum - Welcome to the British Museum

○大英博物館 [ロンドン] All About

○大英博物館攻略法

○Foster + Partners|イギリス人建築家 ノーマン・フォスター

○エジプト大使館・観光局

○早稲田大学エジプト調査

○吉村作治のエジプトピア EGYPTPIA

○エジプトに暮らして

○Reading Egyptian Texts 古代エジプト史料館

○アテネ/パルテノンと考古学博物館|社団法人如水会

○日本西洋古典学会

○英国か? ギリシャか? 大英博物館の至宝 エルギン・マーブルの苦悩
 週刊「ジャーニー」 ジャパン・ジャーナルズ社

○ギリシャ政治 - Embassy of Japan in Greece

○現代ギリシャ政治の基礎知識 [社会ニュース] All About

○世界の様子(国別生活情報) | 各国における取り組み - JICA

○大学共同利用機関法人 人間文化研究機構|国立民族学博物館

○横浜ユーラシア文化館

○南方熊楠記念館 (和歌山県 白浜町)

○英国をもっと好きになるニュースダイジェスト

○フリー百科辞典Wikipedia

○Web Gallery of Art

○週間世界の美術館 9  大英博物館@

○週間世界の美術館 29 大英博物館A

○NHKスペシャル 知られざる大英博物館
 第1集 古代エジプト 民が支えた3000年の繁栄
 第2集 古代ギリシャ “白い”文明の真実
 第3集 日本 巨大古墳の謎

○パルテノン・スキャンダル 朽木 ゆり子 新潮選書

○古代エジプト 青の秘宝ファイアンス
 Faience: treasures of ancient Egypt
 横浜ユーラシア文化館 2011年10月8日〜2012年1月9日
 T ファイアンスの誕生 −紀元前4500年頃の時代−
 U 再生への祈り −青への憧れ−
 V 美と技の革新 −ファイアンスとガラス−
 W 永遠(とわ)の世界から現世へ −より豊かな生活を求めて−

○古代エジプト ファラオと民の歴史―東海大学の古代エジプトコレクション―
 Pharaoh and People in Ancient Egypt: Tokai University Collection
 横浜ユーラシア文化館 2015年1月31日(土)〜4月5日(日)

○大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史
 A History of the World in 100 Objects
 東京都美術館 2015年4月18日(土) 〜 6月28日(日)

○博物館概論('11) 放送大学
 吉田 憲司 (国立民族学博物館教授)

○博物館教育論('12) 放送大学
 寺島 洋子 (国立西洋美術館主任研究員)
 大 幸 (慶應義塾大学非常勤講師)

○博物館経営論('13) 放送大学
 佐々木 亨 (北海道大学大学院文学研究科教授)
 亀井 修 (国立科学博物館産業技術史資料情報センター参事)


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