水と生命

近代水道の歩みからみる人間の営み


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蛇口をひねれば水が出る時代に
生きる私たち

明治期、横浜の街頭に設置された水道栓
獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)|横浜水道記念館 


蛇口をひねればすぐに水が出る。今日では当たり前のように水が出る水道

ですが、開港当時の横浜には蛇口はおろか、水道管もなく、湧水などの水

を使用していました。



戸数わずか100戸ほどの小さな村であった横浜は、1859年(安政6年)の開港

を機に瞬く間に発展しました。当時の横浜は海を埋め立てて土地を広げた

ため水をもとめて井戸を掘っても、塩分を含む塩辛い水ばかり。飲める水が

出る井戸は当時二つしかありませんでした。



その為、多くの人は郊外の湧水などを汲んで売り歩く水売りに頼っていました。

ひしゃく一杯の水は現在のお金で約250円。一杯の水が貴重品、そんな時代

でもあったのです。



獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)は、ライオンの口から水が出るように

なっていることからこのように呼ばれ、明治20年に143基が横浜市内各所に

設置され、最盛期には約600基にもなりました。



※横浜市水道局より



○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に

○開放的で自由な街に、心地よい風が吹きぬける OPEN YOKOHAMA


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横浜水道130年 〜皆さまとともに安心を未来へ〜

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日本最初の近代水道が誕生した
横浜

旧野毛山配水池 (横浜市西区)


幕末期の開港とともに急激に発展した横浜は飲料水の確保が急務となり、

1887(明治20)年、日本で最初の近代式水道が完成します。



近代水道とは、川などから取り入れた水をろ過し、鉄管などを用いて有圧で

給水する水道の事で、横浜に次いで函館(1889年)、秦野(神奈川県・1890年)、

長崎(1891年)の順に整備されてゆきます。



日清戦争(1894-1895年)後から日露戦争(1904-1905年)前には、

大阪市、根室町、広島市、東京市、神戸市が整備されます。



東京は、明治を迎えても水道は依然として江戸時代のままでした。しかし、

上水路の汚染や木樋(もくひ⇒木製のとい)の腐朽(ふきゅう⇒腐って形が崩れる)

といった問題が生じ、また消防用水の確保という観点からも、近代水道の創設

を求める声が高まりました。



さらに1886(明治19)年のコレラの大流行は近代水道創設の動きに拍車をかけました。

こうして1888(明治21)年、近代水道創設に向けて具体的な調査設計が開始されます。



1898(明治31)年に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、

1911(明治44)年に全面的に完成しました。



※横浜水道130年の歩み|横浜市水道局
※東京の水道・その歴史と将来 | 東京都水道局



○潮風に導かれ、開国ロマン溢れる浦賀へ

○急激な近代化を遂げてきた日本|近代化の象徴 競馬

○気軽に訪れ、憩い、癒される|野毛山動物園


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開港によって急速に発展した横浜
埋め立てによって作られた中核地域

新鐫(しんせん)横浜全図 MAP OF YOKOHAMA
五葉舎万寿老人(尾崎冨五郎の号名) 1870(明治3年) 横浜市立図書館


開港当時の横浜地図。中央から下にみえる二本の弧を描いた堤防は、

横浜港発祥の地である「象の鼻」。そこから右に目を移すと内陸に向かって

海が入り込んでいるのがわかります。



地図を俯瞰(ふかん)してみると、中央部分は釣鐘型(つりがねがた)になっている

のがわかります。釣鐘の右には大岡川が流れ、左には中村川が流れています。

かつてこの釣鐘部分全てが海だったそうです。



釣鐘の上部(現在のJR京浜東北線より内陸)は吉田新田と呼ばれ、江戸時代初期

に木材商の吉田勘兵衛が大岡川河口部の入海(いりうみ)に新田を開発しました。

1667(寛文7)年に完成し、1669(寛文9)年に吉田新田と命名されます。



※横浜市中央図書館企画展示「吉田新田完成350周年」 2017年8月22日〜9月18日



○干拓によって生まれた広大な大地 八郎潟

○大井埋立地にみる森里海のつながり


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横浜に水を安定的に供給する
道志水源林

水源の森|山梨県道志(どうし)村


神奈川県の屋根、丹沢山塊の北側に位置する山梨県道志村は、横浜市民の

水源の一つ。道志村の水源林は「緑のダム」ともいわれ、雨水をたっぷりと吸収し、

良質な地下水に浄化するとともに河川への流量を調整したり、土砂の流出や

渇水を緩和する機能を持っています。



道志水源林は、清らかな道志川の水を横浜市民に安定して送り続けるため、

重要な役割を果たしています。



○相模湾を見渡す新緑のプロムナード|丹沢 鍋割山・塔ノ岳


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針葉樹と広葉樹が混生する森を目指す
道志水源林

水源の森|山梨県道志村
横浜市水道局 水源管理事務所によるご説明


道志水源林は、1916(大正5)年に横浜市が山梨県から購入したそうです。

約2,780haに及ぶ広大な水源林は、道志村総面積の36%にあたり、横浜市

水道局によって管理されています。



道志水源林のうち63%は自然林、残りの27%は人工林が占め、人工林は、

植林後の手入れが不十分だと保水能力が低下するため、下草刈り、間伐等、

森林の保護育成作業を行い、針葉樹と広葉樹が混生する「針広混交林」を

目指し管理しているそうです。



※横浜市水道局 水源林事務所・職員のご説明より



○丹沢の自然をもっと身近に|表丹沢三ノ塔 自然再生の現場を訪ねて

○森羅万象のいのちの満ちる森|白神山地


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緑と清流の郷
道志村

道の駅どうし


道志村は山梨県の最東端に位置し、北は道志山塊、南は丹沢山塊と1,000m

を超える山々に囲まれた自然豊かな村です。村の中央を流れる道志川は

日本有数の清流として知られ、その澄み切った水で育てられたクレソンが

特産品として知られます。


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水・森林が肌で感じられる
キャンプ場



水・森林が豊かな道志村には30以上のキャンプ場があり、

年間100万人を超える観光客が訪れるそうです。



○人と自然の共生|太古から営まれてきた野外活動


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道志川源流の一つ
山中湖

山中湖 (山梨県山中湖村)


標高1,000m、富士山に一番近い湖である山中湖は白鳥の湖として知られ、

オオハクチョウやコハクチョウが越冬にやってきます。



道志村から山中湖へは車で約30分。

山中湖は道志川の源流の一つとなっています。



○日本人の心を映す優美な富士

○雄大な空の旅をする渡り鳥|各国にて大切にされている国際親善大使


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道志川から横浜へ
水の経路

道志川 (両国橋より)
神奈川県(相模原市緑区)と山梨県(道志村)の県境


道志川から横浜市に送られる水は、相模原市の鮑子(あびこ)取水口から

一日172,800m3取水し、青山沈でん池を経て、自然流下(ポンプなどを利用

せず自然の高低差を利用する方式)によってトンネルや管路を通り、29km先

の川井浄水場(横浜市旭区)へ送られています。



※横浜市水道局 青山水源事務所によるご説明より


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取水口から沈でん池をつなぐ
青山ずい道

青山沈でん池 (相模原市緑区)


鮑子(あびこ)取水口で取り入れた道志川の水は、864mのレンガ造りのずい道を

通り、青山沈でん池に運ばれます。


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自然の力を利用して薬を混ぜ合わせる
混薬水路

青山沈でん池 (相模原市緑区)


コンクリートの壁によって水の流れが左右に蛇行する混薬(こんやく)水路。

降雨などにより水が濁った時には、ここで凝集剤(PAC)を加えるそうです。

微粒の濁質(だくしつ)は凝集剤に吸着され大きく重くなることで沈降し、

濁(にご)りを取り除きます。



混薬水路は自然の力を利用して凝集剤と水が混ざるように工夫されています。


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約9時間かけてゆっくりと流れる
青山沈でん池

青山沈でん池 (相模原市緑区)


混薬水路を通り抜けた水は約9時間かかって沈でん池を通過します。

この間に水中の泥などが沈み、濁りが取り除かれます。


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国の有形文化財に指定される
旧青山沈でん池

青山沈でん池 (相模原市緑区)


1887(明治20)年に誕生した横浜の近代水道。その後も横浜の人口は増え続け、

誕生から11年を経た1898(明治31)年に第1次の拡張工事が行われます。

旧青山沈でん池はその時に作られたものだそう。


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広域水系の総合運用
導水路

左の建物は宮ヶ瀬ダムから道志川に水を送る津久井導水路の吐出口(国土交通省)
(道志川は城山ダムに注ぎ相模川に合流します)


相模川水系には、水道利用のダムとして大きく分けて宮ヶ瀬ダムと相模ダム・

城山ダムの3つのダムがあります。宮ヶ瀬ダムは水を多く貯えることができる

反面、水の集水面積が狭く、相模ダム・城山ダムは集水面積は広いものの

貯水量は比較的小さいそうです。



その為、宮ヶ瀬ダムは水を貯めるのに時間がかかります。相模ダム・城山ダム

は水があっても貯水量を超えてしまうと放流する必要があり、また、水が不足

した場合は、比較的早く貯水量が減ってしまいます。



これを補っているのが2本の導水路。

道志導水路は道志ダム(道志川にあるダム、発電利用)から宮ヶ瀬ダムに送る

約8kmの導水路。津久井導水路は宮ヶ瀬ダムの水を城山ダムに送る約5kmの

水路トンネルです。



このような導水路によってダムを連携して運用し、貴重な水資源を有効活用、

河川環境の改善や水道用水の確保を効率良くおこなっています。



※相模川水系広域ダム管理事務所 | 国土交通省 関東地方整備局より



○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川


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ろ過膜を使用した先進の浄水場
川井浄水場

川井浄水場「セラロッカ」 (横浜市旭区)


青山沈でん池を経た水は、約29kmある城山ずい道を通って川井浄水場

「セラロッカ」に届きます。



1901(明治34)年に創設されて以来100年以上にわたり水を供給してきた

川井浄水場は、2014(平成26)年に先進の浄水場「セラロッカ」として

生まれ変わりました。



「セラロッカ」は、「セラミック」と「ろ過」からとった合成語で、

セラミック製の膜モジュールを使用した日本最大級の膜ろ過施設。



浄水場と聞くと、大量の水が蓄えられた大きな池を想象しますが、ここでは

直接水を目にすることはなく、上記写真の装置の中で浄水が行われています。



○自然と動植物に触れ、優しさに触れる|横浜ヒルサイド

○絆よ再び|高齢化率38%を超える大型団地が示唆するもの


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横浜の基幹的な役割を担う
西谷浄水場

西谷浄水場 (横浜市保土ヶ谷区)|横浜水道記念館 屋上より撮影


中心市街である西区・中区・鶴見区・神奈川区・保土ヶ谷区・南区方面に

給水している西谷浄水場は、横浜の基幹的な役割を担っています。



水源は相模川の上流にある相模湖(相模ダム)で、相模湖の約4km下流に

ある沼本ダムで取水し、導水路を経て、自然流下で西谷浄水場へ送られています。



現在は使用していませんが、大正4(1915)年の第2回拡張工事で築造された、

ろ過池整水室上屋等が、国の登録文化財となっています。



※横浜市水道局より



○海道五十三次 4番目の宿場 保土ケ谷


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西谷浄水場内にある
横浜FCのトレーニングセンター

横浜FC LEOCトレーニングセンターの入口


西谷浄水場内にある3号配水池(浄化した水道水を貯蔵する池)の上部は

サッカーグランドとして整備され、Jリーグに所属する横浜FCの練習場に

なっています(2017年現在)。



横浜FC・LEOCトレーニングセンターには、クラブハウスと天然芝グラウンド、

人工芝グラウンド、体育館施設があるそうです。



○HAMABLUE 三ツ沢を青にそめよう

○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指す|スポーツクラブ・マネジメント


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メダカを利用した
毒物監視装置

右側の水槽にはメダカが飼われています
川井浄水場セラロッカ(横浜市旭区)


毒物監視装置とは、原水に毒物等の混入を自動的、連続的に監視する

自動計測機です。魚が口をパクパクさせたり、エラ蓋を動かしたり、ある

いは泳いだりした時に、水中に電位が発生します。水槽内に取り付けた

センサーにより、魚の活動時に起こる電位を検出し、活動量を測定します。



この活動量が前もって決めた正常時の上限値を越えた時、魚が毒物により

狂乱しているものと判断して通報する予報と、活動量がゼロになった時、

魚が致死したと判断してアラームを発信します。川井浄水場ではクロメダカ

を80〜100匹放し監視しています。


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万物の根源
水とわたしたちのからだ

西谷浄水場「いこいの広場」からみた横浜市街地


水は万物の根源、生命の源です。

私たちの体も、水なくしてはなんの働きもできません。

人は体重の64%〜71%(約2/3)が水分です。

そのうちの12%〜20%が失われると生きていけません。

人間は、水なしでは、4〜10日で死んでしまうといいます。



※横浜水道記念館より


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万物の起源は水である
人類最初の哲学者タレース



紀元前6世紀、当時のギリシアの人々は、自然を理解するにあたって

神話と結びつけるのが一般的であり、太陽はアポロンと結びつけ、

海原を眺めればポセイドンを想い出し、雷が鳴ればゼウスのお告げ

を読み取ったといいます。



そのような時代に活動した哲学者タレースは「万物の起源は水である」

と語ったとされます。このような発想は当時の人々からみれば、

驚くべき革新的なことだったのでしょうね。



水は今日においても生命の源であり、

氷などの「固体」・雨などの「液体」・雲などの「気体」といった

物質の三態を私たちに身近に示してくれるものであり、

タレースが自然の起源を水と捉えたことは、納得できる真理が含まれているよう。



タレースは、プラトンやソクラテスより以前の紀元前6世紀、

イオニアのミレトス(当時ギリシアの植民地、現トルコ・アナトリア)で

活動した人類最初の哲学者とされます。



紀元前5世紀(約100年後)の歴史家ヘロドトスによれば、タレースは日食を予言し、

また、ピラミッドの高さを実測によらず三角法を用いて示した人物とされ、

そこには、バビロニアの天文学やエジプトの測量術の影響が認められるそう。



タレースは、自然の個々の領域についての知識をもっているだけでなく、

自然が全体として何であるかを考えたことで、哲学者としてふさわしい存在とみなされ、

彼に続く哲学者は自然哲学者と呼ばれています。



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ

○自分の専門に閉じこもることを拒否するオネットムの普遍性


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日本最古の上水道
小田原用水



小田原用水は、北条氏康(1515-1571)が小田原を支配した頃に、小田原城下に

水を引き入れるために造られたものと考えられており、日本最古の上水道といわ

れています。



小田原用水は、箱根の芦ノ湖を源とする早川の水を小田原市板橋の水取入口

から取り入れ、旧東海道に沿って水路をつくり、城下内へ流した上水道です。

飲料水に充てた他、非常用やかんがい用水としても使用していました。



江戸にも玉川上水や神田上水などがありますが、これは、豊臣秀吉の小田原攻め

に参陣した徳川家康が、小田原用水の影響を受けて造ったといわれます。



※小田原用水|神奈川県より



○城下町・宿場町として栄えた小田原

○緑深い首都圏のリゾート 箱根温泉郷

○江戸にひかれた水道 玉川上水


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世界の水道の起源
インダス文明と古代ローマ

インダス文明の都市モヘンジョダロ(Moenjodaro) パキスタン


世界の水道の起源とされているのは、インダス文明の古代都市遺跡である。

モヘンジョダロ(BC2500〜BC1800)である。モヘンジョダロには、大小の街路

によって区画整理された市街地が形成されており、明確な意図を持って計画

的に設計・築造された古代都市として、現代にも繋がる綿密な都市計画が

存在したと考えられている。



市街には数多くの井戸が深く垂直に掘られ、揚水された井戸水は各戸に給水され、

各家には浴室や今で言う水洗便所が備えられているなど、複雑な給排水システム

が常備されていた。そのほか、宗教施設との見解もある大浴場も整備されており、

およそ4000年も前の古代都市とは思えない上下水道が存在したことが知られている。

ただ、モヘンジョダロには未だ解明されていない謎も多く、全容の把握は今後に

委ねられている。



その後、約1500年にも及ぶ悠久のときを経て、より本格的で大規模な水道が

古代ローマにおいて築造されることになる。古代ローマの水道として最古のものは

アッピア水道(BC312)であるが、3世紀のアレクサンドリア水道(AD226)に至るまで

11にのぼる水道が築造されている。帝政期には、増大した都市ローマの人口は

100万人以上に達し、こうした水需要に対応するために水道の給水能力は日量

100万m3を超えていたとされる。



古代ローマの水道は、遠く離れた水源からローマ市内まで自然流下により導水する

もので、導水路の総延長は約500qに達した。そのためには緻密な傾斜角度と強度

を確保する必要があることから、今に残る連続アーチ型の水道橋が造られるとともに、

落差のある窪地などを通る際にはサイフォンの原理が用いられた。



また、沈澱糟が設けられ浮遊物等を除去した後に、配水槽を経て石造水路のほか

陶管や鉛管により、公衆浴場・泉・噴水・住宅などに給水されていた。このように古代

水道の基本技術は、「自然流下の開水路、水路橋、トンネルといった水輸送主体の

土木技術」(丹保憲治『水の危機をどう救うか』)と評され、それは近世まで続くこと

になる。



※宇都宮市水道百周年下水道五十周年史 - 宇都宮市
 序章「世界と日本の水道・下水道の起源」
 第1節 水道の歴史 2.水道の起源|世界の水道の起源 p10-11



○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム

○人類の智の宝庫 大英博物館


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世界最初の近代水道
ロンドン

1830年代のサマセットハウス(Somerset House) ロンドン


世界最初の近代水道は、18世紀にイギリスのロンドンにおいて始まります。

1829年には砂ろ過池による浄水処理が行われ、19世紀にはヨーロッパに

普及していきました。



上水道が普及し始めた頃のイギリスの下水道事情について、ドイツの

社会思想家 フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels、1820-1895)は

以下のように述べています。



※イギリス労働者階級の状態(エジンバラの惨状) F. エンゲルス
 「マルクス=エンゲルス全集」第2巻 大内兵衛・細川嘉六(監訳) 大月書店 1960


  街路はしばしば非常にせまいので、一軒の家の窓からむかいの窓にはいりこむ

  ことができる。そのうえ、家屋は何階にも高く積み重ねられているので、そのあいだ

  にある囲い地や横町には、日光がほとんどさしこむことができない。



  都市のこの地区には、下水溝もなければ、そのほかそれぞれの家に付属した排水

  施設も便所もない。そこで、すくなくとも五万人の人たちからでるいっさいの廃物、

  くずおよび糞尿が、毎晩どぶ溝のなかに投げ込まれる。そのため、どんなに街路を

  清掃しても、ひからびた糞便のかたまりや、鼻もちのならない臭気が生じるので、

  視覚が害されるだけでなく、居住者の健康もまたはげしく危険にさらされている。



  このような場所で、健康や、風紀や、ごくふつうの礼儀さいもまったくかえりみられ

  ないのが、はたして驚くべきことだろうか。(「ジ・アーティザン 1843年10月号」)



○周囲から影響を受け、影響を与えてきたイギリス

○英国500年の美術に触れるテート・ブリテン


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シェイクスピアが生きた頃の
イギリス



イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスビア(1564-1616年)の生きた頃、

ロンドンには上下水道は整備されていませんでした。



当時、イギリスには職人法(徒弟法、1563年発布)があり、職人は街でなければ

営むことができなかった為、ロンドンには多くの職人が集まりました。街では

ハンマーなどのトンチンカンという音が鳴り響き、うるさくて汚い街だったといいます。



上記の絵画は、その頃のイギリスの様子が描かれたもの。

左端には馬車が見えます。

馬車はシェイクスピアが生まれた1564年に、オランダからもたらされたといいます。

馬車の右隣りでスコップをもっている人が処理しているのは汚物。

中央辺りにも黒くこんもりした汚物が2ヵ所見えます。

汚物と汚物の間を流れているのはドブ川。下水は川に直接流されていました。

ドブ川にしゃがんでいる人物は用を足しているようです。

その右側には豚が残飯を食べています。

豚の後ろで2人に担がれた人物は偉い人で、汚れた道を歩いていません。

後ろの建物の2階に目を移すと、窓からゴミ(糞尿)を捨てているのが伺えます。




この頃のロンドンは16歳未満が約40%を占め、年齢の中央値は22歳。

若い街であったとともに、長生きするのは難しかったことが伺えます。

それこそ人生は夢幻のようだった事と想像されます。



※シェイクスピアのロンドン−過ぎゆくもの、変わらざるもの− 2017.10
 講師 玉泉八洲男 先生 (東京工業大学名誉教授)
 司会 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授)
 会場 日本学士院会館
 第67回日本学士院公開講座



○横浜の変わりゆくこと 変わらないこと


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川が縦横に流れていた
明治期の横浜

改良横浜全図 尾崎富五郎 明治23年(1890) 横浜市立図書館


1891(明治24)年の横浜市街の様子。下は海(横浜港)で、船が集まっている

ところに弧を描いた堤防「象の鼻」が見えます。右下の海から出ている道は

新橋(現汐留)−横浜(現桜木町駅)をつないだ鉄道路(明治5年間業)。

現在の横浜駅周辺は当時 海であり線路は海の上を走っていました。



当ページの冒頭にある「新鐫(しんせん)横浜全図 MAP OF YOKOHAMA」と比較

すると、明治3年にはあった内陸部の入り江は明治23年には埋め立てられている

ことが分かります。



現在ではほとんどの川が埋め立てられていますが、明治23年頃には街の中に

川が縦横に流れていたことが伺えます。


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空想を楽しむ
運河が張り巡らされた水の都 横浜

ヴェネツィア・イタリア


※「イタリア紀行」 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


  わたしは、ゴンドラにのり、陽光のかがやくなかで潟を進んでいた。

  ふたりの船頭たちはわたしのゴンドラの前後に立ち、色鮮やかな服を着て、

  ゆらゆらと浮かんでいかのように船を漕いでいる。船頭たちのすがたは

  水面の薄緑のうえで、青色の空を背景にあらわれている。

  このとき、わたしはヴェネチィア派のいちばんできのよい、描きあげられた

  ばかりの絵を見ているような気がしていた。陽光はここの色をまぜあわせ

  ながら同時に際立たせていた。日蔭の側ですらずいぶん明るく、これが絵

  であれば、明るい部分として通用しそうなほどだった。おなじことは、

  きらきら反射している緑の海水についてもいえた。

  すべてが明澄(めいちょう)ななかでひたすら明澄にえがきだされていた。



※ヴェネツィアの光と影 ヨーロッパ意識史のこころみ 鳥越広輝昭 大修館書店 1994
 第十章 ヴェネツィアにかんするゲーテの古典主義性とベックフォードのロマン主義性
 p267-268



○Carnevale di Venezia|新たに甦る有翼の獅子

○春の訪れを告げるカーニバル|祭りに託した人間の願い


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空想を楽しむ
もう一つのルネサンス

Canal at the Rozenhoedkaai ブリュージュ・ベルギー


ベルギー北西部、フランドル(フランデレン)地方の都市、

ブルージュ(英:Bruges、オランダ語:ブルッヘ Brugge)。



中世において商業や文化の中心地として活況を呈したブルージュは、

市内に張り巡らされた水路網を通じて各地から多彩な商品が運び込まれ、

街は豪奢(ごうしゃ)で美しいゴシック建築で満ち溢れてゆきます。



こうした都市空間の整備と文化の振興は、フランドル絵画に代表される

「もう一つのルネサンス」の華々しい開花をもたらします。



ルネサンス(Renaissance)は、ラテン語で「再生」を意味し、一般的には

14〜16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起こった革新的な文化運動を指します。



※ブリュージュ フランドルの輝ける宝石 河原温 中公新書 2006、他より



○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ

○フェルメールの作品で訪れる「水の国」ネーデルランド


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埋め立てられた横浜市街を
船で巡る

横浜港発祥の地「象の鼻」からみた大さん橋


江戸時代初期には全て海であった横浜の中核市街。かつての入海(いりうみ)の

際(きわ)であった大岡川・中村川を船で巡りながら当時の様子を想象してみます。



※吉田新田一周ツアー 2017.11
 象の鼻よりチャーター船に乗り、大岡川〜中村川〜堀川〜横浜港をめぐる
 主催 一般社団法人 横浜港振興協会
 運航 京浜フェリーボート梶@「かなもえ」



○空と海の間で暮らすような旅|横浜港

○海から横浜を散歩

○カヤックに乗ってみなと横浜の海を散策


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大岡川に沿って建つ
ハーモニカ横丁

横浜市中区野毛|大岡川の上流に向けて航行


大岡川に沿って建つ都橋商店街。かつてこの辺りまでが陸地だったようです。

写真には写っていませんが左側には福富町や伊勢佐木町があり、

それらが全て海だったと想象すると驚きます。



横長の建物である都橋商店街には約60店舗の飲食店が入居しているそう。

ハーモニカに見えることから「ハーモニカ横丁」と呼ばれます。



ハーモニカ横丁は、昭和39年開催の東京オリンピックに向けて、本通りをきれい

に見せる為、通りに並んでいた露店や屋台を収容するために建てられたそうです。



○横浜の中心部を流れる大岡川の源流域|つながりの森

○日本を代表する歓楽街として栄えた伊勢佐木町


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首都高速の下を流れる
中村川

首都高速神奈川3号狩場線の下を流れる中村川|海(横浜港)に向けて航行


大岡川から中村川に入り、入海(いりうみ)だった反対側の際(きわ)を巡ります。

中華街や横浜スタジアムがある場所はかつて海でした。



○日本最大の中華街 横浜中華街

○ファッション発信の街 横浜元町


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中村川に係留されている



中村川に係留されている船。

浮かんでいるというより船底は川底に着いてしまっているようです。



以前、中村川には多くの船が係留されていて、住居や宿泊所・飲食店

となっていました。水上生活をしている子どもたちには日本水上小学校

と呼ばれる学校もありました。



船は徐々に撤去され、現在(2017年11月)ではこの一隻となっています。

利用されていない様子でひっそりとしています。


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世界への扉
横浜港

氷川丸


中村川から横浜港に出ました。横浜港が開港したのは1859(安政6)年。

空の玄関口である羽田空港が開港したのは1955(昭和30)年の事。

それまで世界への渡航は船であり、横浜港からは多くの人々が世界へ

渡ったそうです。



○海運が支える日本の豊かな暮らし

○大空高く舞い上がる|日本の空の歴史 JAL SKY MUSEUM

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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東京湾
埋め立ての歴史

横浜で唯一自然海岸が残る野島公園(横浜市金沢区)


東京都・神奈川県・千葉県の1都2県に囲まれる東京湾。

自然干潟の90%は埋め立てられ、自然海岸は海岸線の5%となっています。



横浜の埋め立ての歴史は江戸時代初期(1667年)の吉田新田に始まり、

江戸末期から明治にかけて、現在の中華街や関内近辺が埋め立て

られてゆきます。



大正から昭和初期にかけて鶴見・川崎の大規模な埋め立てが行われ、

高度成長期には本牧・磯子・杉田へと広がってゆきます。



コンテナ時代を迎えた1970年代には本牧ふ頭・大黒ふ頭・金沢が整備され、

80年代以降にはみなとみらい地区・八景島、

そして2017年現在、南本牧ふ頭の埋め立てが行われています。



※東京湾〜地勢、自然・環境・それを取り巻く社会とその変遷、そしてこれから!〜
 講師 中村由行 先生 横浜国立大学 統合的海洋教育・研究センター 教授
 神奈川の海を学ぶ 2017
※東京湾環境データブック 東京湾港湾連携推進会議 2000
※横浜港の歴史 横浜市港湾局



○明治時代の別荘地 風光明媚な金沢八景

○持続可能なモビリティ社会を目指して|日産追浜グランドライブ体験試乗

○成長と成熟の調和による持続可能なまち川崎


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都市と農業の調和
横浜の農業力

横浜市の農業専用地区となっているモモ畑(青葉区元石川町)


横浜といえば海や港・工業地帯などが浮かび、農業のイメージはあまりないよう

に思えますが、横浜市の農地面積は約3,000ha、農家戸数は約4,500人であり、

神奈川県では面積・戸数共に最大なのだそう。



横浜18区のなかで農地がないのは西区(横浜駅周辺やみなとみらい地区が

がある区)だけで、それ以外の区には農地があり、市域面積の約7.5%を占め

ています。



横浜には国に先駆けて独自の農業振興策(農業専用地区制度)があったことから、

まとまった農地が確保されているのも特徴です。横浜は実は全国でも例を見ない

農地と住宅地が混在した都市なのです。



※現代の農業食料システムとAFN2 2017.11
 講師 池島祥文 先生 (横浜国立大学 大学院国際社会科学研究院 准教授)
 会場 横浜国立大学教育文化ホール
 現代の食料・農業・農村〜日本・中国・インド

※AFNは「Alternative Food Network」の略で日本語では「代替的食料ネットワーク」。
 グローバルな規模でコモディティ化(商品の同質化)を進める現代の農業システム
 に対して、地域特性を踏まえた農業の維持や地域経済との結びつきを志向する
 食料・農業のあり方の模索、取り組みの総称。

※よこはまの農業力|横浜市環境創造局



○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質


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農業・食料の多元的価値と
市場論理との大きな食い違い

横浜市戸塚区の田んぼ(農業専用地区)、右に流れる川は境川(対岸は藤沢市)
正面を横切るの橋は、相模川(寒川)から取水した水を小雀浄水場につなぐ境川水路橋
小雀浄水場(戸塚区)は、横浜市内のほか横須賀市の水道水の5割程を担っています


2013年の日本の食料自給率はカロリーベースで39%。

世界に目を向けると、アメリカ 130%、カナダ 264%、ドイツ 95%、スペイン 93%、

フランス 127%、イタリア 60%、イギリス 63%、韓国 42%。



食料を輸入に大きく依存する日本は世界的にみても異例のようです。



日本の食料需給率を品目別にみると、小麦 13%、牛肉 43%、豚肉 52%、

魚 59%、果物 39%、野菜 79%、大豆 5%、米94% となっています。



農業・食料を考えるにあたっては「経済価値」だけに留まらず、

「生態環境価値」や「社会的・文化的価値」の側面から捉える視点

が大切だといわれます。



「経済価値」は、安定した良質・安価な食糧供給や地域経済の活性化、

雇用の場といった視点。

「生態環境価値」は、国土や水の保全、生物多様性、アメニティの保全

といった視点。

「社会的・文化的価値」は、社会的交流・心身形成の場や福祉的・教育的

機能といった視点。



このように農業・食料には多元的な価値がありますが、市場論理との

間には大きな齟齬(そご⇒食い違い)があると指摘されています。



※世界と日本の食料・農業 2017.11
 講師 久野秀二 先生 経済学研究科 教授
 京都大学「東京で学ぶ 京大の知」シリーズ26
 国際社会の中の日本−世界との関係・日本の現状− 第2回

※知ってる?日本の食料事情|農林水産省
 〜日本の食料安全保障と食糧自給率・食料自給力〜



○東海道五十三次 5番目の宿場町|生まれ変わる戸塚

○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川


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進む食の外食化
「もったいない」の国の実態



スーパーの食品コーナーを訪れると、棚には生鮮品のほかに惣菜やお弁当

といった加工品が数多く並んでいます。加工品は味もおいしく、調理をせず

に食べられることからとても便利です。



日本人の食費支出の変遷をみると、生鮮品購入の割合は徐々に下がり、

加工品や外食への支出が増加し、食の外部化が進んでいるといいます。



一方で、日本の食品ロスは年間500〜800万トンといわれ、日本のお米収穫量

約850万トン(2012年)に匹敵し、世界全体の食品援助量 約400万トンの2倍に

あたるそうです。



食品ロスは、食べられるにもかかわらず廃棄されてしまう食品を指し、

外食産業やスーパーにおける売れ残り、家庭から出る賞味期限切れの

食品や食べ残しなどが当てはまるそうです。



※現代の農業食料システムとAFN2 2017.11
 講師 池島祥文 先生 (横浜国立大学 大学院国際社会科学研究院 准教授)
 会場 横浜国立大学教育文化ホール
 現代の食料・農業・農村〜日本・中国・インド


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生活排水をきれいな水に再生して海に返す
水再生センター

神奈川水再生センター(横浜市神奈川区)


横浜港に隣接する神奈川水再生センターは、

2016年現在、11ある横浜市の水再生の中で最大の処理水量を持ち、

横浜市の人口の約1/7の下水を処理しているそうです。



施設には、りんや窒素を取り除く高度設備を有し、

汚れた生活排水をきれいな水に再生してから横浜港に返しているのだそう。



※下水道施設・横浜港海上見学会 2016.08
 ・見学先 神奈川水再生センター・横浜港海上見学(マリーンシャトル)
 ・主催 横浜市環境創造局
 ・協力 横浜市港湾局


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ごみ収集の変遷
手車や牛車による収集

明治時代から昭和40年まで行われた
手車(大八車)によるごみの収集


明治時代の横浜では、手車によってごみの収集を行ってきました。

それぞれの家から手車で収集したごみを地域毎に集め、

これを牛車に積替えて処分場まで運んでいたほか、

河川を利用したごみ運搬船による水上輸送を行っていました。



昭和4(1929)年には自動車による収集が導入され、

昭和20(1945)年代の後半になるとごみの運搬はトラックによって行うようになり、

昭和31(1956)年にごみ運搬船は終了しました。



※横浜市資源循環局 旭工場 ごみ収集の変遷より



○持続可能な循環型社会の基盤にあるもの


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持続可能な循環型社会を目指して
人間の弱さを認める

関東大震災(1923(大正12)年)によって甚大な被害を受けた横浜
横浜市中央図書館


※T.S. エリオット 伝統論より

  伝統とは、単に昔の通りのことを反復し繰り返すのではなく、

  昔の精神、古典主義的なものから何かを学び取って、

  それによって新たに展開するもの




日本では、これまで災害が発生するごとに規制強化や公費投入が行われ、

災害に対応する形で、より安全な今日の社会を築いてきたのだそう。



過去を振り返ってみると、

日本人は経験してきたことや対応可能な事象への対応は迅速だった一方、

経験していないことや対策不可能な事象へは目を背けてきた側面があるといいます。



日本人は、問題解決を重視してきた結果、安全の本質よりも答えを求める姿勢が強く、

目前の課題や自分が担当する課題の解決に注力する傾向があり、

その課題対応によって発生する新たな課題に対して関心が薄かったり、

把握する技術がなかったりする場合が多いのだそうです。



また、施策の是非については、推進したい場合にはメリットを強調し、

止めさせたい場合にはデメリットを強調するといったように、

片一方のみに偏る傾向があるとされます。



今後、更なる安全・安心な社会を築いていくためには、

問題解決を迅速にしてきた「強さ」ばかりでなく、目を背けてきた「弱さ」を認める姿勢、

メリットやデメリットの一方を強調するのではなく、両面から捉えていく姿勢が大切の

ようです。



※ダンカン・ワッツ 偶然の科学より

  興味深いことや、劇的なことや、悲惨なことが起きるたびに、

  われわれは、無意識のうちに説明を探すのだが、

  出来事があってはじめて説明を求めるせいで、

  「起こってもおかしくなかったが起こらなかったこと」よりも、

  「実際に起こったこと」の説明に偏り過ぎる



※阪神淡路大震災・東日本大震災から学ぶべきこと
 −再発防止から未然防止へ− 2016.11
 講師 野口和彦 先生 リスク共生社会創造センター長
 YY講座 多角的リスクのマネジメント
 横浜国立大学・読売新聞横浜支局



○持続可能な循環型社会の基盤にあるもの

○新と旧・過去と未来が融合し発展する横浜


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本能や肉体が抑圧された時代
近代

1887(明治20)年、横浜の近代水道創設を記念して当時の横浜停車場
(現桜木町駅)の広場に設置された「横浜水道創設記念噴水塔」
(2017年現在 横浜水道記念館にて保存展示)


近代とは、社会や公共生活の表面から本能や生(なま)の肉体に関わるもの、

つまり暴力、性、糞尿といったものの一切が抑圧、隠蔽(いんぺい)された時

に誕生した時代です。



時期的にいえば、16世紀を分水嶺として、ヨーロッパ文化が農村型・民衆型な

方向から都市型・宮廷的なそれへと流れをかえた時に始まり、19世紀いっぱい

かかって「市民文化」の成熟とともに完成をみたといってもよいでしょう。



これは私流のいい方ですが、ホッブズが社会契約説で、N・エリアスが「文明化」

の概念で、M・ダグラスが「禁忌(きんき)」や「汚穢(おあい)」という言葉で、

M・フーコーが「狂気の歴史」や「性の歴史」で語りたかったこととも、

大した径庭(けいてい⇒へだたり)はないと思います。



ホイジンガのいう中世の秋に現れた「美しい生活への憧れ」、イタリアは

ウルビーノのF・ダ・モンテフェルトロの宮廷が抱いた清潔志向とか

そこで誕生した礼節文学が目指したのも、方向性は同じでしょう。



※シェイクスピアのロンドン−過ぎゆくもの、変わらざるもの− 2017.10
 講師 玉泉八洲男 先生 (東京工業大学名誉教授)
 司会 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授)
 会場 日本学士院会館
 第67回日本学士院公開講座



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ

○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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飼い慣らされた
どこかの島

「飼い慣らされた島(日本)−愛の島」 マップオフィス 2017
「Domesticated Island(Japan)−Island of Love」 MAP Office
ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」 横浜美術館


※1Q84 村上春樹 新潮社

  「集まり」の中で暮らす大人たちは、その外にある世界のあり方を嫌っている。

  自分たちの住んでいる世界は、シホンシュギの海の中に浮かんだ美しい孤島

  であり、トリデなのだ、と彼はことあるごとに言う。




※毎日新聞 村上春樹インタビュー 2008年5月12日より


  僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による「精神的な囲い込み」

  のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐え

  られない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込み

  があって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。



  物語というのは、そういう「精神的な囲い込み」に対抗するものでなくてはいけない。

  目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。

  深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです。



○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質

○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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「接続性」と「孤立」から
世界のいまをどう考えるか?

「善と悪の境界はひどく縮れている」 ジョコ・アヴィアント
「The border between good and evil is terribly fuzzy」 Joko AVIANTO
ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」 横浜美術館


いま、世界は、これまでの枠組みを超えてネットワークが急速に拡大する一方で、

紛争や難民・移民の問題、英国のEU離脱やポピュリズムの台頭などで大きく

揺れています。



また、人間の処理能力を大幅に超える情報が氾濫し、高度に複雑化する環境の中、

SNS等のコミュニケーションツールの急速な発達により、ネット上の小さなコミュニティ

やグループの中だけに身を置くような、世界の島宇宙化が進んでいるようにも見受け

られます。さらには、これまでの大国や中央集権の論理に抗うかのような、さまざま

な小規模共同体の動きも活発化しています。



このような状況を踏まえ、ヨコハマトリエンナーレ2017(8月4日‐11月5日)では、

「星と星座とガラパゴス」というタイトルのもと、「接続性」と「孤独」をテーマに、

約40組のアーティストを厳選して展覧会を開催します。

あわせて幅広い分野の専門家が参加する公開対話シリーズ「ヨコハマラウンド」で

討論を重ねます。こうして、視覚と対話の両面からテーマを掘り下げることで、

「共有と共生」の多様な機会となることを目指します。



参加アーティストたちが扱うテーマは、個人と社会、私と他者の関係、国家や

境界の問題について、あるいは異なる歴史観や人類の営み、文明への問いから、

日本社会における孤立の問題まで多岐にわたります。それぞれが異なる小さな

個展の集合体のような展示は、星が緩やかに繋がる星座や島が点在する多島海

をイメージしています。鑑賞者の皆さんは、それらを自由に巡りながら、世界の複雑

さや流動性について、複眼的な視点で思考を深めていただければ幸いです。



先行きの見えないこの時代に、人間の勇気と想像力・創造力がどのようなヴィジョン

や可能性を拓くことができるのか。多くの人々とともに考え、開港の地・横浜から

新たな視点を発信します。



※ヨコハマトリエンナーレ2017 ディレクターズ
 三木あき子、逢坂恵理子、柏木智雄

※ヨコハマトリエンナーレ2017を読み解く! 2017.09
 講師 逢坂恵理子 先生 横浜美術館館長
 会場 横浜美術館レクチャーホール
 主催 横浜美術館協力会 美術講演会


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自然科学と精神科学の
両側面

神名川横浜華郭之光景(かながわ よこはま はなくるわのこうけい) 五雲亭貞秀 1860
横浜スタジアムの場所にあった港崎遊廓(よみざきゆうかく)


17世紀に、西欧に一大変動が起こります。今日歴史家が、単数形で科学革命

と呼ぶものです。近代を生んだのはネルネサンスではない。ルネサンスはある

意味で、中世期に繰り返された復古運動の再現に過ぎない。近代を生んだのは

宗教改革でもない。宗教改革もまた原始キリスト教への回帰運動の再現に過ぎ

ない。科学革命こそ近代最大の変動である。



以上は、よく知られた、バターフィールドという一般史家の見解ですが、しかし

17世紀に私たちが現在考える自然科学がただちに成立したのではない。

18世紀の啓蒙時代を経て、19世紀に科学がいよいよ制度化され、やがて体制化

されることで今日いう自然科学が出来上がったという見方がありえます。

その意味で、19世紀とは、端的に今日私たちが考える自然科学の時代です。



ですが、同時にしかし自然科学の時代は、その裏面としてドイツ語の文脈を引き

寄せて言えば、一方でまさに精神科学の時代であり、他方で文化科学の時代で

あったわけです。そのことを例えば、前世紀ドイツで、最大の哲学史家の一人で

あったヨアヒム・リッターが、もうすでに半世紀前に書いた論文の中で問題として

います。19世紀というのは、実は自然科学の時代であったのではない。精神科学

の時代だったのでもない。正確に言えば両科学、自然科学と精神科学、二つの

時代だったのだとリッターは認定します。



※基調講演「時空の近代、人文知の時空 あるいは、国家と資本と文化について」
 3.「近代」における人文知の意味と役割−近代における記憶の抹消と回復の装置−
 19世紀の科学論的意味−自然科学と精神(文化)科学
 講師 熊野純彦 先生 (東京大学文学部長)
 第14回東京大学ホームカミングデイ文学部企画「文学部がひらく新しい知」 2015.10

※自然科学(しぜんかがく)
 自然現象を対象とする諸科学の総称。物理学・化学・生物学・天文学・地質学など

※精神科学(せいしんかがく)
 精神に関する諸科学の総称。19世紀後半、ドイツの哲学者ヴィルヘルム・ディルタイ
 らによる概念。独語は「Geisteswissenschaften」、人文科学や文化科学とも。
 心理学・倫理学・言語学・法学・経済学・歴史学・社会学など。



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面

○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識


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科学と精神
精神の自由と悦び

みなとみらい21地区 (横浜市西区)


※カラマーゾフの兄弟(中) ドストエフスキー 原卓也(訳) 新潮文庫
 第2部 第6編 ロシアの修道僧 3.ゾシマ長老の法話と説教から
 (E) ロシアの修道僧と、考えられうる意義についての数言 p126-131


  彼ら(民衆)には科学があるが、科学の中にあるのは人間の五感に隷属

  (れいぞく)するものだけなのだ。人間の存在の高尚(こうしょう)な半面で

  ある精神の世界はまったく斥(しりぞ)けられ、一種の勝利感や憎しみさえ

  こめて追い払われているではないか。世界は自由を宣言し、最近は特に

  それがいちじるしいが、彼らのその自由とやらの内にわれわれ(修道僧)

  が見い出すものは何か。ただ、隷属と自殺だけではないか!



  修道僧の道はまったく異なる。贖罪(しょくざい)のための勤労とか、精進とか、

  祈祷(きとう)などは、笑いものにさえされているが、実際はそれらの内にのみ、

  本当の、真の自由への道が存するのである。余分な不必要な欲求を切りすて、

  うぬぼれた傲慢(ごうまん)な自己の意思を贖罪の労役によって鞭打(むちう)ち

  鎮め、その結果、神の助けをかりて精神の自由を、さらにそれとともに精神的

  法悦を獲(か)ち得るのだ!



  ロシアの救いは民衆にかかっている。ロシアの修道院は昔から民衆とともに

  あった。民衆が孤独であれば、われわれもまた孤独である。



  民衆の心を守らねばならない。静寂の中で民衆をはぐくみ育てることだ。

  これこそ、あなた方修道僧の偉大な仕事である。なぜなら、この民衆は

  神の体現者にほかならないからだ。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学

○個性化の過程|自分が自分になってゆく


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蛇口をひねれば水が出る時代
当たり前に感謝



「蛇口をひねったら水が出る。」 普段、当たり前に利用している水道ですが、

そこには先人者の努力、今日の水道事業に関わっている人たちの努力が

あるからこそ成り立っています。



「水」は人間の命を維持するために最も重要なものです。

安心して水を利用できることに感謝します。



とはいえ、災害時には水道が止まることも考えられます。平成23年3月11日に

発生した東日本大震災では、断水戸数が約257万戸に達するなど、東北地方

を中心に各地に甚大な被害をもたらしました。



断水時には、配水池や災害用地下給水タンク、緊急給水栓から給水されるので、

いざという時のために身近な災害時給水所を確認しておくのが良さそうです。



また、混乱の軽減、迅速な復旧に寄与するためにも、家庭などにおいて、

1人1日3リットル、3日分で9リットルの飲料水を備えておくことが推奨されています。

(4人家族の場合、3リットル × 4人 × 3日分 = 36リットル、2リットルPET 18本分)


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参  考  情  報


○横浜市水道局

○横浜水道記念館|横浜市水道局

○東京の水道・その歴史と将来 | 東京都水道局

○「宇都宮市水道百周年下水道五十周年史」の発行|宇都宮市上下水道局

○水道産業新聞社

○公益財団法人 水道技術研究センター

○水と生活の歴史

○道志村観光協会

○道の駅どうし 国道413号線沿いの道の駅

○山中湖 観光 Top | 山中湖村観光課 公式サイト

○吉田新田の開発を調べてみよう - 横浜市歴史博物館

○吉田新田ができるまで | 南吉田町町内会 横浜市南区

○都市横浜の記憶|横浜市立図書館デジタルアーカイブ

○日本水上学校 - 聖坂養護学校

○かつて水上生活を営んでいた人たちの生活環境とは?[はまれぽ.com]

○横浜で地産地消|横浜市環境創造局

○横浜FCオフィシャルホームページ

○ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス

○村上春樹『1Q84』 新潮社公式サイト

○無料の写真 - Pixabay

○パブリックドメインの写真 - フリー写真素材

○フリー百科辞典Wikipedia

○近代水道創設130年記念「川井浄水場・道志水源林 見学」 2017.10
 ・膜ろ過施設「セラロッカ」見学(川井浄水場)(横浜市旭区)
 ・青山沈でん池(青山水源事務所)(相模原市緑区)
 ・水源見学池(源流の森)(山梨県道志村)
・主催 横浜市水道局水源林管理所

○序編「世界と日本の水道・下水道の起源」 - 宇都宮市
  「宇都宮市水道百周年下水道五十周年史」

○吉田新田一周ツアー 2017.11
 「象の鼻よりチャーター船に乗り、大岡川〜中村川〜堀川〜横浜港をめぐる」
・主催 一般社団法人 横浜港振興協会
・運航 京浜フェリーボート梶@「かなもえ」

○横浜市中央図書館企画展示「吉田新田完成350周年」
 平成29年8月22日(火)〜9月18日(月・祝)

○神奈川の海を学ぶ 2017
 ・東京湾〜地勢、自然・環境・それを取り巻く社会とその変遷、そしてこれから!〜
  中村由行 先生 横浜国立大学 統合的海洋教育・研究センター 教授
 ・横浜、インナーハーバーを事例とした港湾における街づくり
  野原卓 先生 横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院 准教授
 ・相模湾の自然〜その地形・地質・環境・生物 そしてその成り立ち〜
  藤岡換太郎 先生 神奈川大学非常勤講師、放送大学非常勤講師
 ・神奈川県主要港湾(横浜港、川崎港、横須賀港)の海上物流〜その歴史と将来〜
  吉本亜土 先生 株式会社商船三井 経営企画部
             One MOL営業戦略推進室 主任研究員
 ・相模湾沿岸の海岸保全〜諸外国との比較〜
  宇多高明 先生 一般財団法人 土木研究センターなぎさ総合研究所 所長
・会場 クイーンズスクエア横浜
・主催 横浜国立大学 統合的海洋教育・研究センター
・共催 海洋都市横浜うみ協議会
・後援 横浜市
・助成 日本財団

○第67回 日本学士院公開講演会 2017.10
・講演1 シェイクスピアのロンドン−過行ゆくもの、変わらざるもの−
 講師 玉泉八州男 先生 (東京工業大学名誉教授)
 司会 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授)
・講演2 幼若ホルモンとフェロモンの話−化学で解き明かされる昆虫のくらし−
 講師 森健治 先生 (東京大学名誉教授)
 司会 常脇恒一郎 先生 (京都大学名誉教授)
・会場 日本学士院会館
・上野の山文化ゾーンフェスティバル講演会シリーズ

○現代の食料・農業・農村〜日本・中国・インド 2017.11
 ・現代の農業食料システムとAFN2
  講師 池島祥文 先生 (国際社会科学研究院 准教授)
 ・中所得段階の中国農業と食糧需給
  講師 張馨元(チョウシンエン) 先生 (国際社会科学研究院 准教授)
 ・インドの農村生活と農業
  講師 岡部純一 先生 (国際社会科学研究院 教授)
 ・会場 横浜国立大学 教育文化ホール

○世界と日本の食料・農業 2017.11
 講師 久野秀二 先生 経済学研究科 教授
 京都大学「東京で学ぶ 京大の知」シリーズ26
 国際社会の中の日本−世界との関係・日本の現状− 第2回

○ヴェネツィアの光と影 ヨーロッパ意識史のこころみ 鳥越広輝昭 大修館書店
 1994

○イタリア紀行 ゲーテ 相良守峰(訳) 岩波文庫 1960

○ブリュージュ フランドルの輝ける宝石 河原温 中公新書 2006

○女王陛下の興行師たち―エリザベス朝演劇の光と影 玉泉八州男 芸立出版
 1984

○コハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」
 横浜美術館・横浜赤レンガ倉庫1号館・横浜市開港記念会館 ほか
 2017年8月4日‐11月5日

○ヨコハマトリエンナーレ2017を読み解く! 2017.09
 講師 逢坂恵理子 先生 横浜美術館館長
 会場 横浜美術館レクチャーホール
 主催 横浜美術館協力会 美術講演会

○ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」 ガイドブック

○1Q84 村上春樹 新潮社


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