多忙で画一化された余裕のない時代
足元に目を向けるゆとり


秋田美人


| ハーヴェスト | あきたこまち | 干拓事業 | 八郎潟 | 困難をともなった入植 | 大潟村 |
| 野鳥の楽園 | 豊かな水と土壌 | 農村と都市の交流 | なまはげ | 竿燈祭り | ユタカな国へ |
| 秋田新幹線 | 佐竹氏 | 秋田城 | 海外との外交 | 秋田市 | 秋田大学 | 秋田県立美術館 |
| ブラウブリッツ秋田 | 日常生活にあるゆとり | ルールを尊ぶ悲しさ | 富士に似合う月見草 |
| 山岳信仰 | たつこ像 | 小野小町 | ババヘラ・アイス | 春琴抄 | エリザベート | ダイアナ |
| 田沢湖 | 秋田駒ヶ岳 | コマクサ | マタギ | 乳頭温泉 | キャンプ | 角館 | 雄物川 |
| 大曲花火 | 参考情報 |

HOME


ハーヴェスト
天地の豊穣を願った二百十日



黄金に色づき、まもなく収穫を迎える稲穂。

秋は天地に豊穣を与える季節であるとともに、

台風が相次いで発生し農作物に被害を与える時期でもあります。



「二百十日」は立春から数えて210日目、例年9月初旬のこと。

暦(こよみ)に載せることで災害への注意を促し、天地の豊穣を願ったそうです。



○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質

○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして


トップに戻る



秋田で成育したおいしい米
あきたこまち

八郎潟の田んぼ (大潟村)


全国屈指のお米の産出処である秋田県。

収穫量は1位の新潟県、2位の北海道に次ぐ第3位。



秋田県の総人口は約104万5千人で、そのうち農家人口は16万4千人と15.8%を占め、

全国平均4.2%と比較すると、農家比率は非常に高いといえます(平成26年)。



秋田県の農業生産物の1位はお米で全体の52%を占め、

稲作を中心とした農業県であることが伺えます。



私たちがおいしいお米を食べられるのは、

秋田県を代表とする穀倉地帯のおかげなのですね。


トップに戻る



食料の増産・失業者の受け入れ
干拓事業

寒風山から見た八郎潟 (男鹿市)


昭和20年代の農業は、戦後の混乱の中で収量は上がらず、

生産資材の欠乏等で食料の備蓄が底をついて連合国の食料援助により、

かろうじて大量の餓死者を出さずにすんだとも言われ、

こうした食料不足と復員引揚者の受け入れ対策が緊急の課題であった。

このため政府は、緊急開拓食料増産対策を進め、

食糧の増産と失業者の受入を図るため干拓・開墾事業を重点的に推進した。




当時、琵琶湖に次いで二番目に大きな湖だった八郎潟(はちろうがた)。

シラウオやワカサギなどの漁業が営まれていましたが、

干拓の有用性が認められ、1957年(昭和32年)より国営の干拓事業が開始されます。



総事業費約852億円の巨費を投じ、20年の歳月を経た1977年(昭和52年)に完了。

八郎潟の湖底は1万7,203haの新生の大地に生まれ変わりました。



※昭和20年代戦後の復興と食料の増産対策/千葉県 - 千葉県ホームページ
※八郎潟干拓工事 | 大潟村百科事典


トップに戻る



琵琶湖に次ぐ2番目の湖だった
八郎潟

干拓前の八郎潟(はちろうがた) 大潟村干拓博物館 昭和32年撮影


干拓前の八郎潟は面積がおよそ22,000ha(1haは10ku)、

当時日本で琵琶湖に次いで二番目に大きな湖であり、「琴の湖」とも呼ばれていました。

船越水道で日本海とつながっていた汽水湖で、最深部でも4〜5mと非常に浅く、

湖底は平坦な湖で、地元では「潟」と呼ばれていました。



また、干拓前の八郎潟は漁業資源の宝庫であり、

大正11年には約3000トンの水揚げがあったといわれています。

そのうち、ワカサギやハゼ、シラウオなどは佃煮等の加工用として奨励されていました。

湖面が凍る冬季にも、漁民は厚い氷に穴をあけ、

氷の下で網を広げて魚を採る「氷下漁業」が行われていました。



さらに、浅い八郎潟は湖底まで日光が届くため、藻類がきわめて豊富でした。

これらは地元では「モク」と呼ばれ、田畑の肥料としてだけでなく、布団の綿の代わり、

椅子の芯や掃除布の代用としたり、落とし紙として使われており、

日常生活の中で欠かすことのできないものでした。



※干拓前の八郎潟 | 大潟村百科事典より



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する

○フェルメールの作品で訪れる「水の国」ネーデルランド


トップに戻る



困難をともなった入植
「農業機械が亀になった」

大潟村干拓博物館


入植初期の頃は、トラクターやコンバインが作業中に底土に埋まり、

動けなくなってしまう事態が相次ぎました。キャタピラーが空回りし、

泥をはね上げるとどんどん沈下し、自力脱出が困難になります。

そのさまが、泥でのたうつ亀のようだったので、「亀になる」といわれました。

それを救うために、ワイヤーをかけてトラクターやブルドーザーで

引き上げる光景がひんぱんに見られました。



※大潟村干拓博物館 案内文より



○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


トップに戻る



6世帯わずか14人で始まった
大潟村

大潟(おおがた)村干拓博物館 平成10年撮影


八郎潟干拓により、湖底から生まれ変わった新生の大地に村がつくられることとなり、

村名は全国から募集され、将来に大きな理想と躍進をこめて「大潟村」と命名されました。

こうして村は、1964年(昭和39)10月1日に秋田県で第69番目の自治体として名乗りを

あげました。6世帯わずか14人の人口でのスタートでした。



全国各地からの入植希望者のなかから選抜された入植者は、

干拓の目的である「日本農業のモデルとなるような生産および

所得水準の高い農業経営を確立し、豊かで住みよい近代的な

農村社会をつくる」ことを担ったパイオニアといえます。



※大潟村の歴史 | 大潟村公式ホームページより



○森と湖が広がる北欧の国フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ


トップに戻る



多くの野鳥が飛来生息する
八郎潟

チュウヒ(タカの一種)


八郎潟干拓地は野鳥の楽園と言われるほど、多くの野鳥が飛来生息しています。

このことは、干拓地の生態系の頂点をなす鳥類にとって非常に過ごしやすい環境であり、

かつ、エサとなる昆虫などの小動物が非常に豊富であることを意味します。

そして、この小動物の重要な住みかの一つが田んぼです。

田んぼは干拓地の7割以上を占め、ここでは農薬の投入量が全国平均の2/5程度に

抑えられています。つまり、八郎潟干拓地においては、生物の豊かさと人間の営みとが

非常に密接な関係にあり、営農における環境への配慮が際立っていることが生き物の

豊富さに繋がっているのです。



※大潟村(八郎潟干拓地)の環境の特徴|大潟村干拓博物館



○雄大な空の旅をする渡り鳥|各国にて大切にされている国際親善大使

○大井埋立地にみる森里海のつながり|広い視野で捉え、できるところから


トップに戻る



豊かな水と土壌が育む
稲作

六郷湧水群 御台所清水 (美郷町)


おいしいお米作りの要素として豊かな水と土壌が挙げられます。



奥羽(おうう)山脈のすそ野、仙北(せんぽく)平野に位置する美郷(みさと)町は湧水の町。

路地のかたわら、民家の裏庭、あるいはお寺の境内など、

町内のいたるところに静かな泉となって涌き出ており、その数は60以上におよびます。

美郷町は、上水道のない町だそうで全家庭が地下水によって生活を営んでいるそう。



豊かな水と土壌に恵まれた美郷町は、秋田県内有数の穀倉地帯を形成しています。



○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


トップに戻る



農村と都市の交流
もう一つの「ふる郷」づくり

美郷町都市農村交流推進事業「ごはんの教室&農業体験のすすめ」
大田区池上会館 調理室 2017.10


秋田県美郷町(みさとちょう)は、友好都市を結んでいる東京都大田区にて、

ごはんをおいしく食べる方法を紹介する教室を開催されています(2017年現在)。



お米の水洗いは、一回目は米についたほこりやゴミを落とすために、

軽くまぜてすぐに捨て、二回目からは水をひたひたに注いで軽くかき

混ぜるようにして洗い、水を足して混ぜ水を捨てると良いそうです。

最近は精米技術が高まっているため、ゴシゴシ洗う必要はなく、

あくまで軽く洗う程度にとどめるのがコツ。お米を洗いあげたら、

水を浸してひと休みするのもおいしく炊くために必要不可欠なステップ

だそうです。



今回のお米は、農薬や化学肥料を抑えた特別栽培米「ゆめおばこ」と

玄米「金のいぶき」。「おばこ」は東北地方で少女・娘といった意味が

あるそうです。炊飯用の水は湧水の町・美郷町の清水を利用しました。



厚手の鍋を使い、強火⇒弱火⇒強火⇒蒸らしを経て炊きあがった

お米はとてもおいしい。醤油をたらして焼いたシイタケ、いぶりがっこ、

豆腐カステラ、芋煮汁が食を進めます。

デザートはマスカットとりんご。食材はすべて三郷町でとれたものだそう。



三郷町では、田んぼや畑での農作業といった都会では味わえない田舎暮らし

の体験を通して、地元住民との交流を深める「ふる郷体験ツアー」や

三郷町の食を届ける「ふるさとオーナー制度」を行っているそうです。



※ごはんの教室&農業体験のすすめ 2017.10
 講師 篠木郁子 先生 (秋田県五つ星お米マイスター)
     吉方 先生、 佐々木 先生 (三郷町都市農村交流推進協議会)
 会場 大田区池上会館
 主催 大田区 国際都市多文化共生推進課
     秋田県美郷町 農政課農業振興班



○大田・品川ノスタルジア|東京湾・京浜運河シーカヤック・ツーリング

○大井埋立地にみる森里海のつながり|広い視野で捉え、できるところから


トップに戻る



田畑の実り・山の幸・海の幸をもたらす来訪神
なまはげ

各集落のなまはげ、男鹿半島では80近くの集落で行わているそうです
なまはげ館 (男鹿市)


大晦日の晩、それぞれの集落の青年たちが「なまはげ」に扮して、

「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」

「ここの家の嫁は早起きするがー」などと大声で叫びながら地域の家々を巡ります。



男鹿(おが)の人々にとって「なまはげ」は、怠け心を戒め、無病息災・田畑の実り・

山の幸・海の幸をもたらす、年の節目にやってくる来訪神です。ナマハゲを迎える

家では、昔から伝わる作法により料理や酒を準備して丁重にもてなします。



ひとくにちなまはげと言っても付ける面の材料や、身にまとう装束・持ち物などは

さまざまで、各地区により異なった特徴を持っています。



※なまはげ館 案内文より



○来る年の幸運を祈る|のし餅&正月飾り作り

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


トップに戻る



厄除け、みそぎ、五穀豊穣を願った
竿燈祭り

東北三大祭りの一つ 竿燈(かんとう)祭り (秋田市)


竿燈(かんとう)祭りは、真夏の病魔や邪気を払う、ねぶり流し行事として

宝暦年間(1751年から1764年)にはその原型となるものが出来ていたとされます。



ねぶり流しは、五穀豊穣や技芸上達を願って翌7月7日に行われる七夕とともに、

陰暦7月15日のお盆を迎えるための一連の行事でもあり、

厄よけ、みそぎ、五穀豊穣を願ったそうです。



○春の訪れを告げるカーニバル|祭りに託した人間の願い


トップに戻る


竿燈まつり 2017 Kanto Festival, Akita Japan [4K60p]

トップに戻る



足元を見つめ、大切なものに気づく
ユタカな国へ

ユタカな国へ あきたびしょん(AKITA VISION) あんべいいな 秋田県
モデル:三上洋子 撮影:木村伊兵衛 (1953年)


美しい人。

空青き水田に、米を育てる人

雪深い秘湯に、身をあずける人

祭りの灯りに、心躍らせる人

古蔵の酒に、一生を捧ぐ人

昔から紡ぎ継がれる

くらしのなかに

シアワセが潜んでいた。

「どこまでもニッポンでいよう!」

あきたひじょん。




足元を見つめ直してみると見えてくるもの。

秋田美人とは、秋田の大切なものを守り続ける全ての人々を指すそうです。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


トップに戻る



東京から約4時間
情熱の秋田へ

秋田新幹線「スーパーこまち」(E6系) JR秋田駅


1997年に開業した秋田新幹線。2017年は開業20周年を迎えたそうです。

東京駅から約4時間。スーパーこまちのボディカラーである「赤」には、

朝焼けに真っ赤に染まる空の色、竿燈祭りの提灯の明かり、なまはげの面、

名産のりんご、四季を彩る花の色など、秋田の風土に息づいてきた情熱が

表現されているそうです。



○自然に学び、自然に近づいた 500系新幹線


トップに戻る


【新幹線PV】2017年冬 豪雪の秋田新幹線と山形新幹線

トップに戻る



秋田の地を治めた
佐竹氏

久保田城があった千秋公園に建つ佐竹義堯(さたけよしたか)公像
出羽久保田藩 最後の藩主(初代秋田県知事) 


江戸時代、出羽国久保田藩(でわのくに・くぼたはん⇒秋田藩)を治めた佐竹氏。



安土桃山時代(織田信長から豊臣秀吉の時代)には、

常陸国(ひたちのくに:現茨木県)を統一し、

豊臣秀吉旗下の大名として54万8000石を与えられたといわれます。



慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦おいて、佐竹氏は東西両軍に対し

明確な態度を示さなかったため、徳川家康の命(1602年)により、

出羽国秋田へ国替えとなり、20万5800石の減封(げんぽう)となります。



それ以降、12代にわたり秋田の地を治め、明治4年(1871年)の廃藩置県に至ります。





2017年現在、秋田県の知事は、

佐竹氏の末裔にあたる佐竹敬久氏(元秋田市長)が務められています。



○戦国から江戸へ転換する時代を生きた梅津憲忠

○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


トップに戻る



大和朝廷の地方官庁
秋田城

東門(復元) 秋田城跡史跡公園 (秋田市)


秋田には、奈良時代から平安時代にかけて、

大和朝廷の地方官庁である秋田城が設置されたそうです。



秋田城は、律令国家の支配が及ばない北東北や

北海道の蝦夷(えみし・えぞ)に対する支配や交易、

大陸(中国・朝鮮半島)との外交など、重要な役割を担っていたと考えられています。



※秋田城跡 ガイドさんより



○いにしえから今を生きる私たちへの伝言|千三百年の時空を超える「奈良」

○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿


トップに戻る



海外との外交を担ったと考えられている
秋田城

秋田城の中枢部・政庁があった場所 秋田城跡史跡公園 (秋田市)


秋田城が設置された時代、近隣諸国には遣唐使でよく知られる「唐(とう)」や、

朝鮮半島に「新羅(しらぎ)」、現在の中国東北からロシアにかけては

「渤海(ぼっかい)」という国々があったとされます。



当時、新羅(しらぎ)と渤海(ぼっかい)・日本の関係は悪化していたと言われ、

その為、朝鮮半島経由ではなく沿海州・サハリン・北海道を経由する「北回り航路」や

日本海を直接横断するルートをとって外交が行われていたと考えられています。



※秋田城跡 ガイドさんより



○唐王朝の首都がおかれた西安

○朝鮮王朝の王都 韓国ソウル

○SO HAPPY 大連|北方の良港と呼ばれる港街


トップに戻る



秋田県の県庁所在地
秋田市

秋田市街地


秋田市は、秋田県の日本海沿岸地域の中央に位置する中核都市。

秋田市発展の嚆矢(こうし⇒はじめ)は、奈良時代に大和朝廷が

地方官庁として秋田城を設置したことにさかのぼるといいます。



その後、1602年に佐竹氏が常陸から秋田へ国替えとなり、

現在の千秋公園の地に久保田城を築城したことから城下町が形成されていきます。



2017年の秋田市の人口は約31万人。

秋田県の人口(約100万人)の1/3弱を擁する都市となっています。



○秋田県に隣接する青森県|行くたび、あたらしい 活彩あおもり


トップに戻る



師範学校・鉱山学校を母体とする
秋田大学

秋田大学 正門 (秋田市)


秋田市の中心部に位置する秋田大学。

師範学校、鉱山専門学校を母体として昭和24年に国立大学として発足したそう。

2017年現在、国際資源学部、教育文化学部、理工学部、医学部の

4学部と大学院が設置され、5,000人あまりの学生が在籍しているそうです。



国際資源学部は、平成26年新設の文理融合型学部。

資源の探査・開発からリサイクルまでを一貫して学ぶことができる

日本でも唯一の学部だそうです。



また、キャンパス内には放送大学秋田学習センターがあります。



○持続可能な循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける

○豊かな放送文化を創造する人とメディアの未来|NHK技研 & 放送大学の放送施設



トップに戻る



秋田の街・人・文化の創造と共生
美の国あきた

秋田県立美術館 (秋田市)


2013年に新たな建物で再オープンした秋田県立美術館。

館内には藤田嗣治(レオナール・フジタ)の大壁画「秋田の行事」が飾られています。



秋田の祭りと祈り・暮らし・産業・歴史が、祝祭と日常の対比のなかに、

色彩豊かに描かれています。



○様々な「美」に触れて


トップに戻る



地域の活性、スポーツ文化の発展
秋田の誇りとなるチームを目指して

Jリーグクラブ 「ブラウブリッツ秋田」のホームグランド
あきぎんスタジアム(秋田市八橋運動公園球技場)


秋田市を中心に秋田県をホームタウンにしているJリーグクラブ、ブラウブリッツ秋田。



2017年8月現在、J3リーグに所属し首位を走っていますが、

J2昇格には、1万人収容可能なスタジアム整備などの課題があり、

来季のクラブライセンス申請を見送ったそうです。



その為、このまま首位をキープしたとしてもJ2昇格はならず、

2019年以降の昇格を目指してチャレンジしていくそうです。



○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指す|スポーツクラブ・マネジメント

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


トップに戻る



多忙な、画一化された、余裕のない時代
足元に目を向けるゆとり

「明治150年 夏目漱石と秋田」展 あきた文学資料館
2017年生誕150周年を迎える夏目漱石、日本近代文学史上に
燦然と輝く文豪と秋田ゆかりの人物との交流を探る


夏目漱石の作品の中には、日常生活で目に触れた事柄を描写したり、

折々の感想をまとめた静かでゆとりのある小品(しょうひん)と呼ばれる

作品群があります。代表作には「永日小品(えいじつしょうひん)」、

「文鳥」、「夢十夜」、「硝子戸の中」などが挙げられています。



※「永日小品」の中の一遍 「火鉢」 あらすじ


  眼が覚めると窓の外には昨日の雪がそのまま残り、風呂場は氷でかちかちに

  光っている。ようやくの事で温水摩擦(おんすいまさつ)を済まして、茶の間で

  紅茶を飲もうとすると、二つになる男の子が例の通り泣き出す。

  今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。

  そのうちまた雪になる。

  ストーブを焚こうかと思うが、妻(さい)に去年の炭代を聞いて諦める。

  女中が腹痛で苦しんでいるというので、医者を呼ぶように言う。

  仕事は山ほどあるのに、人が来る。一人は金の相談、もう一人は身の上話をして泣く。

  その間に医者が来る。

  やっと客が帰ると、子どもがまた泣き出す。とうとう湯に入った。




主人公は、内心いらいらしながら、

とても自分の仕事をする気になれない一日を過ごしたようです。

それは裏返せば、自分のこと以上に他者を気遣っていたようにも思えます。




※「永日小品(えいじつしょうひん)」 「火鉢」 最後の部分 夏目漱石


  湯から上ったら始めて暖(あ)ったかになった。晴々(せいせい)して、

  家(うち)へ帰って書斎に這入ると、洋灯ランプが点(つ)いて窓掛が下りている。

  火鉢には新しい切炭(きりずみ)が活(い)けてある。

  自分は座布団の上にどっかりと坐った。

  すると、妻が奥から寒いでしょうと云って蕎麦湯を持って来てくれた。

  お政さん(女中)の容体を聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそう

  ですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れて

  やるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。

  妻が出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜(よ)である。

  泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎麦湯を啜(すす)りながら、

  あかるい洋灯ランプの下で、継ぎ立ての切炭のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、

  赤い火気(かっき)が、囲われた灰の中で仄(ほのか)に揺れている。

  時々薄青い焔(ほのお)が炭の股から出る。

  自分はこの火の色に、始めて一日の暖味(あたたかみ)を覚えた。

  そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」


トップに戻る



ルールがあって欲しいと願う日本人
無いものをつくる創造の心がけ

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の付属施設
能代ロケット実験場 (能代市)


個人が一様に多忙な、画一化された、余裕のない生活を強いられる時代。



これまで日本は、物事に取り組む際にルール遵守を求めてきたことから、

日本人はルールから逸脱することに苦手となり、

ルールを尊び、ルールがあって欲しいと願う傾向があるといいます。



イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で星空を観測したのは15世紀前半。

地動説を唱えたガリレオは宗教裁判にかけられ、

「それでも地球は動いている」とつぶやいたとされる逸話は有名です。



ローマ教皇がガリレオの宗教裁判の誤りを認めたのは、それから数世紀を経た1983年。

地動説を公式に認めたのは、さらに25年後の2008年のことでした。



日本の裁判制度に目を向けてみると、最高裁判所の判事は司法試験を受けなくとも

務めることができ、それは、法律が社会科学による創造の上に成り立っていることに

由来するといいます。



地球環境に視野を広げてみると、122℃でも増殖可能な超好熱菌や、

pH(ペーハー)が高い火山酸性の水中で増殖する好酸菌も知られ、

かつての常識では考えられなかったことが明らかにされてきています。



どうやら人間の考え方をあらかじめ規定することは合理的ではないようです。

無いものをつくる創造の心がけ。

高い塔を建ててみなければ新たな水平線は見えてこなさそうです。



※太陽系大航海時代。社会と人間ドラマ 2017.08
 講師 川口淳一郎 先生 宇宙飛翔工学研究系教授
 会場 東京国立近代美術館フィルムセンター
 JAXA相模原キャンパス特別公開



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面

○イノベーションは内生的・自発的に生まれる|健全な経営を目指す会社

○地球の未来を読み解く 南極観測|私たちが存在している自然環境の解明


トップに戻る



富士の山と立派に相対峙し、みぢんもゆるがず
富士には、月見草がよく似合ふ

富士山


※「富嶽百景」 太宰治 (昭和14年)


  三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あひたいぢ)し、みぢんもゆるがず、

  なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐた

  あの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。




  ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。

  月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。

  私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。

  あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽(かす)かに生きてゐる喜びで、

  さうしてまた、そつとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、

  あした、天気だからとて、別段この身には、なんといふこともないのに、と思へば、

  をかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。

  くるしいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、その苦しさよりも、

  いや、運筆はかへつて私の楽しみでさへあるのだが、そのことではなく、

  私の世界観、芸術といふもの、あすの文学といふもの、謂(い)はば、

  新しさといふもの、私はそれらに就いて、未まだ愚図愚図、思ひ悩み、

  誇張ではなしに、身悶えしてゐた。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○ひ弱な存在でありながら、宇宙を包み込む尊さ|人間は考える葦

○日本人の心を映す優美な富士|様々な場所からみた姿


トップに戻る



山岳信仰
「お山」から訪れるとされる「なまはげ」

「男鹿図屏風」 秋田県有形文化財 秋田県立美術館所蔵


民俗行事「なまはげ」が行われる男鹿(おが)半島は、古くから海との結びつきが強く、

海を通して自然の恵みがもたらされ、様々な文物が受け入れられてきました。



そこにそびえる山々は、日本海を行きかう人々にとっては航海の目印であり、

この地に暮らす人々にとっては神の宿るところでありました。

また、それらの山は信仰の場として栄え、多くの山伏修験者が生活していました。



男鹿のほとんどの集落では、

「なまはげ」は本山・真山と呼ばれる「お山」から訪れるとされています。



※なまはげ館 案内文より



○日本三霊山の一つ 立山|北アルプスを貫く立山黒部アルペンルート

○世界に広がるイスラーム|共存に向けて橋を渡し、お互いを知る


トップに戻る



人間の心の願い
永遠の美しさと若さ

たつこ像 田沢湖 (仙北市)


田沢湖の畔(ほとり)に建つ「たつこ像」。

美しい娘であった辰子は、その美しさと若さを永久に保ちたいと願い、

湖(みずうみ)深く沈んでいった伝説をモチーフにしているといいます。



たつこ像は船越保武氏の製作により1968年に設置され、

伝説の美少女たつこが、かすかな羞(はじ)らいを含んで

沐浴から上がって何かを待っている、そのような乙女心を表現しているそうです。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


トップに戻る



うつろいゆく時の流れ
絶世の美女として語り継がれる小野小町

「卒塔婆の月」 年老いた小野小町
月岡芳年 「月百姿」より


平安時代前期の女性歌人、小野小町(おののこまち)。

在原業平(ありわらのなりひら)らとともに六歌仙の一人に数えられ、

絶世の美女として能や歌舞伎に語り継がれています。



秋田県を代表とするお米「あきたこまち」や秋田新幹線の列車名となっている

「こまち」は、秋田県雄勝町(おがちまち)小野の里に生まれたと伝わる小野小町

にちなみ名づけられたといわれます。




※古今集 恋五 小野小町


  「今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり」


  今はもう私があなたにとって古びたものになってしまったので、

  時雨(しぐれ)が降って木の葉が紅葉するように、あなたの言葉も

  色変わりしてしまった。





※古今集 春下 小野小町


  「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」


  花の色は色あせてしまったことよ、長雨が降り続く間に。

  むなしく私もこの世で月日を過ごしてしまった、物思いにふけっている間に。





※小町伝説


  東国に下った在原業平が野原を通りかかると、眼窩(がんか⇒眼球が入っている穴)

  から薄(すすき)が生えている髑髏(されこうべ⇒頭蓋骨)に出会う。その髑髏が、

  「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」(⇒秋風が吹くにつけても、ああ目が痛い)

  と上の句を詠んだ。



  在原業平は、それを聞いて小野小町の髑髏(されこうべ)だと見抜き、

  「小野とは言はじ薄(すすき)生(お)ひたり」(⇒小野(野原)から薄(すすき)が

  生えるならとやかく言うまいが、目から薄が生えていのだから)と下の句を付けた。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


トップに戻る



親しみをこめた呼び名
80代の女性でも20代の女性でも「ババ」

ババヘラ・アイスの販売所


夏場、秋田の道端でよく見られるカラフルなパラソルでは、

「ババヘラ・アイス」と呼ばれる2色アイスが販売されています。



秋田では親しみを込めて、おばあさんのことを「ババ」と呼ぶそうですが、

「ババ」に年齢制限はなく、80代の女性でも20代の女性でも「ババ」なのだそう。

その「ババ」が金属製の専用ヘラでアイスを盛り付けて販売することから、

「ババヘラ・アイス」と呼ばれるようになったといわれます。



イチゴ風味の「ピンク」とバナナ風味の「黄色」の2色アイスは、

シャーベットのような食感で、とてもおいしいです。


トップに戻る



美貌を失い、人に見られることを拒む
春琴抄

箏を弾く女性 (1878年) 長谷川雪堤(はせがわせってい)


※「春琴抄(しゅんきんしょう)」 谷崎潤一郎 新潮文庫 1951 案内文より


  九つの時に失明し、やがて琴曲(きんきょく)の名手となった春琴(しゅんきん)

  美しく、音楽に秀で、しかし高慢で我が侭(まま)な春琴に、

  世話係として丁稚奉公の佐助があてがわれた。

  どんなに折檻(せっかん)を受けても不気味なほど献身的に尽くす佐助は、

  やがて春琴と切っても切れない深い仲になっていく。

  そんなある日、春琴が顔に熱湯を浴びせられるという事件が起こる。

  火傷を負った女を前にして佐助は―。

  異常なまでの献身によって表現される、愛の倒錯の物語。

  マゾヒズムを究極まで美麗に描いた谷崎潤一郎の代表作。





春琴に思いを寄せる者は密かに佐助の幸福を羨(うら)やんで、

佐助に憎しみをかけ春琴の美貌を破壊しようと企(たくら)み、春琴の顔に熱湯をかけます。



やけどを負った春琴は、その顔が人に見られることを頑(かたく)なに拒みます。



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力


トップに戻る



若さを失っていくにつれ人前に出ることを嫌った
エリザベート妃

オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后
エリザベート(1837-1898)


オーストリア・ハンガリー帝国、最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妃となった

エリザベート。

若さを失っていくにつれて人前に顔をさらすのを極端に嫌ったといわれます。



○絶世の美女 エリザベート皇妃の数奇な運命


トップに戻る



永遠の美しさと若さ
ダイアナ妃

ダイアナ妃の葬儀(Funeral of Diana, Princess of Wales)
1997.9.6


イギリス・チャールズ皇太子の妃となったダイアナ。

世界中から愛されたダイアナ妃は、1997年8月31日、パリにて36歳の生涯を閉じます。



○共に居ること、創ること|周囲から影響を受け、影響を与えてきた イギリス


トップに戻る



神秘的な雰囲気をたたえた湖
田沢湖

田沢湖と秋田駒ヶ岳 (仙北市)


水深423.4メートル、日本一の深さをがあり、ルリ色の湖面とたつこ姫伝説に彩られた

田沢湖。神秘的な雰囲気をたたえた湖は、四季折々に表情豊かで、訪れる人々を

楽しませてくれます。



「神秘」には、人間の知恵では計り知れない不思議なことといった意味があります。



※吾(われ)疑う、故(ゆえ)に神(かみ)在(あ)り」 ―デカルトを読むジルソン


  デカルトの「方法序説」に記される「吾(われ)思う、故(ゆえ)に吾(われ)在(あ)り」。

  デカルトを研究したフランスの哲学者ジルソン(1884-1978)は、

  デカルトの思想について以下のように述べています。



    「私は考える、それゆえ私は存在する」というこの真理はかくも堅固で

    確実であることを(中略)みとめて、私はこの真理を躊躇なく、探しもとめていた

    哲学の第一原理として受け入れることができると判断したのである。


    それから私は「私が疑っている」ということ、したがって

    ―疑うより認識することのほうが完全性にあって大であると明晰に見てとったので、

    ―「私の存在はまったく完全ではない」ことを反省してみて…




数日前の天気さえ忘れている私。

花に対して、生きる世界に対して認識のない私。



「吾疑う、故に神在り」



自分自身を疑うということは、完全ではない自分を認識することのよう。

こう認識した時、完全な存在である神が人の心に宿り、

神を畏(おそ)れ敬うことで人は謙虚になることができるようです。



深い真実への扉は、この世界を、

多様で多層で様々な色をもった世界と捉え直した時に開かれるようです。



※降りつもる時の涯て−教養教育における人文学の意味 2017.06
  講師 熊野純彦 先生 (東京大学文学部教授)
  東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
  集英社高度教育寄付講座 第9回講演会「高度教養教育の現状と課題」



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」

○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


トップに戻る



もろくはかなくも、美しく華やかな様
過酷な生の現実を屈折して反映する

秋田駒ヶ岳(1,637メートル、秋田県の中で一番の高さ) 奥羽山脈


※もろくはかなくも、美しく華やかな様
 「草葉に宿る月」 正徹(しょうてつ、室町時代 臨済宗の歌僧)


  「秋の露やがて消えなば尋ねても草葉に宿る月やなからむ」


  秋の露はすぐにはかなく消えてしまう。

  そうしたらいくら探し求めても、草葉に宿る月の光は見つからないだろう。



  もろくはかない、あえかな(⇒壊れやすい、弱々しい)存在を惜しみつつも

  美しく華やかな様を湛(たた)えた秋の情感が託されているようです。




※男女の色模様「草の葉に」


  「草葉」を題材にしたものとして、江戸時代の端歌(はうた)「草の葉に」が

  連想されます。



  「草の葉に宿りし月も小夜(さよ)風に、憎やこぼれてはらはらと、

  露か雫か雫か露か、濡れて色増す野辺の色」



  艶(つや)っぽさ(⇒色気、なまめかしさ)が漂うこの曲は、

  河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)作詞の清元(きよもと⇒浄瑠璃の一種)

  「貸浴衣汗雷(かしゆかたあせになるかみ)」、通称「夕立」の聞かせどころ。

  「夕立」は男女が色模様を演じる芝居の余所事(よそごと)浄瑠璃として

  作られた曲だそう。




※「草葉に宿る月」の本歌、源氏物語「花宴(はなのえん)」


  正徹(しょうてつ)の「草葉に宿る月」は、源氏物語「花宴」の巻で

  朧月夜(おぼろづきよ)の女君(おんなぎみ)の歌を本歌にしたといわれます。



  源氏と一夜を過ごした朧月夜の女君は、

  源氏の「名のりし給へ(名前をおっしゃって下さい)」という問いにこう返します。



  「憂き身にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ」


  不幸せな身のまま名前を明かさないでこの世から死んでしまったなら

  野末の草の原まで墓を尋ねて来ては下さらないのかと思います

  (⇒名前を名乗ったところで、あなたは私のようなものを尋ねてはくれないでしょう)





源氏物語「花宴」の朧月夜の女君の歌を本歌として、

もろくはかなくも、人間の美しさ華やかな様を歌に託した正徹(しょうてつ)。

現実生活では京都にあった草庵が焼けてしまい、詠みためてきた詠草

(えいそう⇒詠んだ歌を書いたもの)は跡形もなく灰となってしまいます。

正徹の歌には、過酷な生の現実が屈折して反映されているようにも思えます。



○和歌・短歌を楽しむ 2017.07
 講演者 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授・日本学士院会員)
 聞き手 渡部泰明 先生 (東京大学文学部教授・国文学)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社高度教養寄付講座 第10回講演会



○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語

○キスによって覚醒する瞬間|ピュグマリオンとガラテア


トップに戻る



悲哀の川の底に沈んで、かすかにに光っている砂金
幸福

多年草の高山植物 コマクサ


※「斜陽」 太宰治 五


私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。

幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽(かす)かに光っている砂金のようなもの

ではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感

というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。



静かな、秋の午前。日ざしの柔らかな、秋の庭。

私は、編物をやめて、胸の高さに光っている海を眺め、

「お母さま。私いままで、ずいぶん世間知らずだったのね」と言い、それから、

もっと言いたい事があったけれども、お座敷の隅で静脈注射の支度など

している看護婦さんに聞かれるのが恥ずかしくて、言うのをやめた。



「いままでって、……」とお母さまは、薄くお笑いになって聞きとがめて、

「それでは、いまは世間を知っているの?」

私は、なぜだか顔が真赤になった。

「世間は、わからない」

とお母さまはお顔を向うむきにして、ひとりごとのように小さい声でおっしゃる。

「私には、わからない。わかっているひとなんか、無いんじゃないの?

いつまで経たっても、みんな子供です。なんにも、わかってやしないのです」



けれども、私は生きて行かなければならないのだ。

子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。

私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。



ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を

終る事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在

し得ないのではなかろうか。死んで行くひとは美しい。

生きるという事。生き残るという事。

それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。

私は、みごもって、穴を掘る蛇の姿を畳の上に思い描いてみた。

けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。

あさましくてもよい、私は生き残って、思う事をしとげるために世間と争って行こう。

お母さまのいよいよ亡くなるという事がきまると、私のロマンチシズムや感傷が

次第に消えて、何か自分が油断のならぬ悪がしこい生きものに変って行くような

気分になった。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○未知を歩き、心を満たしてゆく上高地


トップに戻る



奥羽山脈の恵み
狩猟を生業としてきたマタギ

秋田駒ヶ岳から見た乳頭山 奥羽山脈


東北地方の中央をほぼ南北に走る奥羽(おうう)山脈は、

青森県から栃木県の那須岳まで約450kmにおよぶ日本最長の山脈。



そこにはウサギやカモシカ、クマなど様々な獣(けもの)が生息し、

それらを追って生計を立てる「マタギ」と呼ばれる狩人がいたそうです。



※「最後の狩人たち 阿仁マタギと羽後鷹匠」 長田雅彦 無明舎 1980 序より


  狩猟は、マタギたちの生業だが、一歩間違えば死につながる。

  山神信仰と戒律は、厳しい冬山で生きる男たちの必要から生まれたと言える。

  マタギが自然と共生してきた文化と言われるゆえんは、

  山は山神様が支配するところであり、クマは山神様からの授かり物」という

  アニミズム(自然崇拝)の思想をもっているからである。



  意外だったのは、彼らの生活が徹底した自然保護思想で貫かれていたことだ。

  獲物を山の神の恵みとして感謝し、必要以上に乱獲せず、

  祈りとタブーで己を律して来たマタギ習俗の中に、奥羽山脈の厳しい自然と闘いながら

  先祖代々培った生活の知恵の凝集を見ることができた。

  日本列島で唯一の狩猟民族と言える彼らのおいたちへの興味も尽きなかった。



○たおやかに熟成してきた白神の時間

○日本三霊山の一つ立山|北アルプスを貫く立山黒部アルペンルート


トップに戻る



マタギが見つけたといわれる秘湯
乳頭温泉

乳頭温泉 鶴の湯 (仙北市)


乳頭山の麓(ふもと)には7つの温泉が点在し「乳頭温泉郷」と呼ばれています。



その中でも一番古くからあるといわれる「鶴の湯」。

マタギが見つけ、山の中で負った傷を癒したとされ、開湯は17世紀後半頃といわれます。



○千年も万年も生きる|石段街の温泉地 伊香保

○緑深い首都圏のリゾート 箱根温泉郷

○古くからの温泉地|熱海の海岸散歩する


トップに戻る



人と自然の関係を肌で感じる
キャンプ

乳頭温泉郷 休暇村キャンプ場


キャンプというと、家族や仲間で楽しむオートキャンプやバーベキュー、

山岳部が行う登山キャンプ、学校主催の林間学校、子ども会のキャンプなど、

自然環境の中で家族や仲間と一緒に生活したり、活動したりする様子を思い浮かべます。

その一方で、プロ野球や軍隊でもキャンプという言葉が使われています。



キャンプとは、もともとラテン語で「平らな」という意味があり、

昔は平らなところに砦(とりで)を築いて、そこに兵隊を置き訓練が行われたといわれます。



私たちが身近に行うキャンプは自然の中で行われる生活であり、

自然に親しみ、理解を深める機会を多く含んでいます。

キャンプは、人間が自然の中で生活していく中で、人間と自然の関係を

肌で感じることができ、環境への関心を深めるきっかけになっています。



○豊かな情操・たくましさを培う成長空間|上信越の山々を望む赤城キャンプ

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


トップに戻る



城下町として栄えた
角館

角館の武家屋敷通り (仙北市)


深い木立と重厚な屋敷が連なる角館の武家屋敷通り。

城下町としての角館は中世末期、戸沢盛安によって創建されました。

古城山に館を置き、その北側の山麓に城下町を築きました。



しかし、戸沢氏が国替えとなり、あとについた芦名義勝の代には、

その地が不利のため改めて元和6年(1620)に古城山の南側に新城下町を建設しました。

やがて芦名家は断絶。



明暦2年(1656)久保田城主佐竹氏の一族北家の佐竹義隣が「所預り」として

角館を支配しました。以降、明治の廃藩に至るまで、北家は11代200年余続く

ことになります。



慶応4年(1868)戊辰戦争がはじまり、角館の岩瀬川原も戦場となり

維新政府軍と旧幕府軍の激戦の末、明治維新を迎えることになります。



明治22年、城下町は岩瀬村と合併して角館町になり、

さらに昭和30年に中川村、雲沢村、白岩村が合併し、新しい角館町が発足しました。



平成17年(2005年)に角館町は、田沢湖町、西木村と合併し、仙北市となります。


トップに戻る



大きく変化している
河川を取り巻く状況

2017年夏、記録的な大雨により氾濫した雄物川(おものがわ)


2017年7月、記録的な大雨に見舞われた秋田県。

一級河川の雄物川は堤防を越えて水が住宅地まで流れ込み大きな被害をもたらしました。

被害額は226億円を超え、秋田県では過去最大の規模になったといわれます。

さらにその翌月(2017年8月)、記録的な大雨によりまたも雄物川が氾濫してしまいます。



近年、河川をとりまく状況は大きく変化しています。

河川流域では過去に幾度もの洪水や渇水に見舞われただけでなく、

最近ではこれまでに経験したことのない規模の豪雨や台風、

渇水による被害が全国各地で頻発しており、地球温暖化に伴う気候変動が

及ぼす影響についての懸念が増すとともに、産業の高度化、国民生活水準の向上、

少子高齢化、地球環境問題に対する関心の高まり、生物多様性基本法の制定等

といった社会経済情勢の変化に伴い、河川に対しても良好な環境の整備と保全を

求める国民のニーズが増大しています。



雄物川は、古くから人々の生活が営まれ、特に江戸時代以降の舟運の発達と、

その河港を中心とした集落形成により発展し、近年では、中上流部は全国でも

有数の穀倉地帯として、下流部は県産木材等を活用した工業の発展や、

秋田港を中心とした臨海工業地帯の発展等により、この地域の社会、経済、

文化の基軸としての役割を担っています。



雄物川の河川整備にあたっては、治水、利水の役割を担うのはもちろんのこと、

うるおいのある生活周辺環境としての役割も期待され、地域の風土や文化の形成、

動植物の生息・生育・繁殖の場等、多様な視点からの川づくりが求められています。



このような雄物川流域の自然、社会、歴史、文化を踏まえ、安全・安心が持続でき、

豊かな自然を次世代へ受け継ぎ、さらには流域の人と自然と社会が調和した活力ある

地域を創造する雄物川の整備が進められているそうです。



※秋田魁新報 ニュース
※雄物川水系河川整備計画(平成26年11月) - 国土交通省 東北地方整備局より



○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に

○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川

○大空高く舞い上がる|日本の空の歴史 JAL SKY MUSEUM


トップに戻る



行雲流水
自然のままに身を任せ

全国花火競技大会「大曲の花火」


2017年、第91回 秋田大曲・全国花火競技大会のテーマは、

「行雲流水 日々に新たに、又た日に新たなり」だそうです。



「行雲流水」は、空を行く雲と流れる水のように、執着することなく物事に応じ、

自然のままに身を任せるという意味があるそうです。



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ

○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ


トップに戻る


【4K】大曲の花火2017 大会提供「生命のまつり」Omagari Fireworks

トップに戻る



参  考  情  報


○秋田県観光総合ガイド あきたファンドッとコム

○秋田観光コンベンション協会

○秋田県観光ガイド「秋田の車窓から」

○ユタカな国へ あきたびじょん

○秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト

○秋田竿燈まつり-Akita Kanto Festival- 国重要無形民俗文化財

○全国花火競技大会「大曲の花火」オフィシャルサイト|大曲商工会

○秋田最強の大繁華街『川反』界隈を歩く | Nostalgic Landscape

○秋田市-佐竹史料館-

○秋田市立秋田城跡歴史資料館

○茨木県立歴史館

○ブラウブリッツ秋田 公式ホームページ

○大潟村干拓博物館 | 大潟村の歴史と今を語り継ぐ干拓博物館

○大潟村公式ホームページ

○出かけませんか? なまはげに出会う旅へ | なまはげ館

○阿仁熊牧場「くまくま園」 公式Facebook

○狩の文化|秋田県

○秋田県美郷町ホームページ

○秋田県美郷町観光協会

○美郷(みさと)くらぶ (ブログ)|三郷町都市農村交流推進協議会

○乳頭温泉郷へようこそ〜乳頭温泉組合

○全国花火競技大会「大曲の花火」オフィシャルサイト|大曲商工会議所

○二百十日 夏目漱石 - 青空文庫

○春琴抄 谷崎潤一郎 - 青空文庫

○富嶽百景 太宰治 - 青空文庫

○斜陽 太宰治 - 青空文庫

○無料の写真 - Pixabay

○パブリックドメインの写真 - フリー写真素材

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○るるぶ 秋田 角館 乳頭温泉郷 '18 JTBパブリッシング

○まっぷる 秋田 角館・乳頭温泉郷 '17-18 昭文社

○最北の古代城柵官衙遺跡(こだいじょうさくかんがいせき)
 史跡秋田城跡(しせきあきたじょうあと) 秋田市立秋田城跡歴史資料館

○なまはげの里 男鹿半島|秋田県男鹿市 観光パンフレット

○角館ガイドマップ

○清水の郷 探索マップ|秋田県美郷町

○六郷湧水とお寺の散歩道|秋田県美郷町

○ごはんの教室&農業体験のすすめ 2017.10
 講師 篠木郁子 先生 (秋田県五つ星お米マイスター)
     吉方 先生、 佐々木 先生 (三郷町都市農村交流推進協議会)
 会場 大田区池上会館
 主催 大田区 国際都市多文化共生推進課
     秋田県美郷町 農政課農業振興班

○五つ星お米マイスターによる「ごはんの教室&農業体験のすすめ」 2017.05
 大田区の友好都市である秋田県美郷町による講座
 会場 大田区民センター
 主催 大田区国際都市多文化共生推進課
     秋田県美郷町農政課

○最後の狩人たち 阿仁マタギと羽後鷹匠 長田雅彦 無明舎 1980

○マタギ聞き書き その狩猟民俗と怪異譚 武藤鉄城 河出書房新社 2017

○高度教養教育の現状と課題 2017.06
 ・ハーヴァード大学における人文学と教養教育
  ユキオ・リピット 先生 (ハーヴァード大学教授)
 ・降りつもる時の涯て−教養教育における人文学の意味
  熊野純彦 先生 (東京大学文学部教授)
 ・フランスにおける古典教育の諸相−ラテン語を学んで何ができるか
  マリアンヌ・シモン=及川 先生  (東京大学文学部准教授)
 ・日本の伝統芸能−学校教育と社会教育
  古井戸秀夫 先生 (東京大学文学部特任教授)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社高度教育寄付講座 第9回講演会

○和歌・短歌を楽しむ 2017.07
 講演者 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授・日本学士院会員)
 聞き手 渡部泰明 先生 (東京大学文学部教授・国文学)
 会場 東京大学本郷キャンパス文学部法文2号館2階1番大教室
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社高度教養寄付講座 第10回講演会

○惑星へ カール セーガン , 森暁雄(訳) 朝日文庫 1998
 Pale Blue Dot: A Vision of the Human Future in Space


トップに戻る

Copyright (C) 2017 MOON WATER All rights reserved