困難を伴う自我の開放

森鴎外「舞姫」にみる生の哲学


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意志を貫こうと決意するが…
舞姫

「ムーラン・ルージュの舞踏会」 トゥルーズ=ロートレック
「Bal au Moulin Rouge」(1890) Henri de Toulouse-Lautrec


※「舞姫」 森鴎外 あらすじ (ホームページ管理者作成)


  幼い頃より郷里で厳しい教育を受けた主人公の太田豊太郎(おおたとよたろう)。

  父を早くに亡くし、母は一人息子の成長だけを楽しみに生きている。

  豊太郎は東京に出て大学法学部に入り成績はいつも一番であった。



  大学卒業後は官庁に入り、ヨーロッパ留学の命令を受けてドイツに降り立つが、

  そこで見たもの全てが驚きであり、自由な街、自由な大学の風は、

  これまでの自分が自分でなかったように感じ憤りを覚える。



  父の遺言を守り、母の教えに従い、神童ともてはやされるのがうれしくて怠けず学び、

  いい人材を採用したと上司に褒められて真面目に働くうちに、自分がただ受動的、

  あやつり人形のような自分になっていることに気がつく。



  ある日、豊太郎は町を歩いていると、泣いている少女エリスに出会い、親密になってゆく。

  このことは公使館にも知られることとなり、豊太郎は公使館を解雇されてしまうが、

  東京時代の親友・相沢謙吉(あいざわけんきち)の助けで新聞社の仕事を得てなんとか凌ぐ。



  その後、相沢が天方(あまがた)大臣に随行してベルリンにやってくる。

  相沢のお陰で、天方大臣のためにドイツ語の通訳を担当する。

  相沢から、学識才能あるお前が一人の少女にかかわって

  目的の無い生活を続けてどうするのだと説得され、

  豊太郎は相沢にエリスとの関係を絶つと約束する。



  ある日、エリスは嬉しそうに子を身ごもったことを豊太郎に告げる。

  その数日後、大臣から自分と一緒に日本に帰る気持ちはないかと尋ねられる。

  豊太郎はこのチャンスを逃せば名誉を挽回する機会を失ってしまうと考え、承諾する。



  エリスは相沢から豊太郎が帰国を承諾した事情を聞かされ、卒倒し精神を患ってしまう。

  豊太郎は生ける屍(しかばね)のようになったエリスに何度も涙をながしつつも、

  エリスの母に生計を営むに足る金銭を渡し、

  生まれてくる子どものことを頼み帰国の途に着いた。



○イノベーションは内生的・自発的に生まれる|健全な経営を目指す会社

○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」


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ドイツから日本に帰還する船の中
心苦しみ、これまでを回想する

初代「常陸丸」 日本郵船
ヨーロッパ航路用として建造された国産最初の大型貨客船だそうです


※「舞姫」 森鴎外


東(ひんがし)に還(かえ)る(⇒日本にかえる)今の我(⇒僕)は、

西に航(こう)せし(⇒ヨーロッパに向かった)昔の我ならず、

学問こそ猶(なほ)心に飽き足らぬところも多かれ、

浮世のうきふし(⇒世の中のつらさ)をも知りたり、

人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。



(中略)


世を厭(いと)ひ、身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻(きゅうかい)すともいふべき

惨痛(さんつう)をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、

一点の翳(かげ)とのみなりたれど、文(ふみ)読むごとに、物見るごとに、

鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧(かいきゅう⇒昔)の情を喚び起して、

幾度(いくたび)となく我心を苦む。



嗚呼(ああ)、いかにしてか此恨を銷(しょう)せむ(⇒どうやってこの恨みを消そうか)。

若(も)し外(ほか)の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すがすがしくもなりなむ。

これのみは余りに深く我心に彫(え)りつけられたればさはあらじと思へど、

今宵はあたりに人も無し、房奴(ぼうど⇒ボーイ・給仕)の来て

電気線の鍵を捩(ひね)るには(電気を消して消灯になるまでは)

猶程(なおほど)もあるべければ、いで、その概略を文に綴(つづ)りて見む。




○海運が支える日本の豊かな暮らし

○混沌とした中に躍動感があふれるベトナム


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教えを守り、家に尽くそうとした
太田豊太郎

大正期学生(書生)のイメージ


※「舞姫」 森鴎外


余(⇒僕)は幼き比(ころ)より厳しき庭の訓(おしえ)を受けし甲斐(かい)に、

父をば早く喪(うしな)ひつれど、学問の荒(すさ)み衰ふることなく、

旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌(⇒よびこう)に通ひしときも、

大学法学部に入りし後も、太田豊太郎(とよたらうと)いふ名は

いつも一級の首(はじめ⇒いつもクラスで一番)にしるされたりしに、

一人子(ひとりご)の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし(⇒慰められた)。



十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてより(⇒始まってから)その頃までに

またなき名誉なりと人にも言はれ、某(なにがし)省に出仕して、

故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三(み)とせ(⇒3年)ばかり、

官長の覚え殊(こと)なりしかば、洋行(ようこう⇒ヨーロッパに留学)して

一課の事務を取り調べよとの命を受け、

我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞ(⇒今だ)とおもふ心の勇み立ちて、

五十を踰(こ)えし母に別るゝをもさまで(⇒それほど)悲しとは思はず、

遙々(はるばる)と家を離れてベルリンの都に来ぬ。


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色彩豊かな世界と自由な風にあたり
隠し切れない自分の本性が現れる

ライヒスターク (国会議事堂) ドイツ・ベルリン


※「舞姫」 森鴎外


余は(⇒僕は)模糊(もこ)たる(⇒漠然とした)功名の念(⇒成功への想い)と、

検束(けんそく⇒自分を律する)に慣れたる勉強力とを持ちて、

忽(たちま)ちこの欧羅巴(ヨーロッパ)の新大都の中央に立てり。

何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。

(⇒僕の目に入ってくる景色は、なんという美しさか)


(中略)


かくて三年(みとせ)ばかりは夢の如くにたちし(⇒経った)が、

時来れば包みても包みがたきは(⇒隠しても隠しきれない)

人の好尚(こうしょう⇒嗜好・このみ)なるらむ、

余は(⇒僕は)父の遺言を守り、母の教に従ひ、

人の神童なりなど褒(ほむ)るが嬉しさに怠らず学びし時より、

官長の善き働き手を得たりと奨(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、

たゞ所動的(⇒受動的)、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、

今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、

心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、

やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。



余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜(よろ)しからず、

また善く法典を諳(そらん)じて獄を断ずる法律家になるにも

ふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。



余は私(ひそか)に思ふやう、我母は余を活(い)きたる辞書となさんとし、

我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。

辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど(⇒堪えられるけど)、

法律たらんは忍ぶべからず(⇒耐えられない)。



○イノベーションは内生的・自発的に生まれる|健全な経営を目指す会社

○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識|ルソー「人間不平等起源論」


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一目で心を貫く
踊子エリスとの出会い

ベルリン・ミッテ区にあるティーアガルテン大公園
豊太郎はこの公園を散歩して下宿に帰る途中、エリスに出会います


※「舞姫」 森鴎外


…声を呑みつゝ泣くひとりの少女をとめあるを見たり。

年は十六七(16,7歳)なるべし。被(かむ)りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、

薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。

我足音に(私の足音に)驚かされてかへりみたる面(おもて⇒顔)、

余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。

この青く清らにて物問ひたげに愁(うれひ)を含める目(まみ)の、

半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おほ)はれたるは、

何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。

(なぜ一目見ただけで、用心深い私の心の底までつらぬいたのだろうか)


(中略)


彼(⇒彼女)は優れて美なり。

乳(ち)の如(ごとき)き色の顔は(⇒ミルクのような色の顔は)

燈火に映じて微紅(うすくれなゐ)を潮(さ)したり。


(中略)


嗚呼(ああ)、何等(なんら)の悪因ぞ。(⇒ああ、これが苦悩の始まりになるとは)

この恩を謝(しゃ)せんとて、自ら我僑居(けうきよ⇒下宿)に来(こ)し少女は、

(⇒豊太郎の恩に礼を言おうと、私の下宿に来た少女は)

シヨオペンハウエル(ショーペンハウアーの本)を右にし、

シルレル(シラーの本)を左にして、

終日(ひねもす)兀坐(こつざ)する我読書のそう下(さうか)に、

(⇒一日こもって本ばかり読んでいる私の部屋に)

一輪の名花を咲かせてけり。



○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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奴隷のような職業
踊子

「三人の踊り子」(1873) エドガー・ドガ 私蔵
「Trois Danseuses」 Edgar Degas


※「舞姫」 森鴎外


彼(⇒彼女・エリス)は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、

十五の時舞の師のつのり(⇒募集)に応じて、

この恥づかしき業(わざ)(⇒自分を晒す職業)を教へられ、

「クルズス」果てゝ後(⇒踊子の訓練を修了した後)、

「ヰクトリア(⇒ヴィクトリア)」座に出でゝ、今は場中第二の地位を占めたり。



されど詩人ハツクレンデルが当世の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。

薄き給金にて繋がれ、昼の温習(⇒練習)、夜の舞台と緊きびしく使はれ、

芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏へ、

場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、

親腹からを養ふものはその辛苦(しんく⇒つらい苦しい思い)奈何(いかに)ぞや。

されば彼等の仲間にて、賤(いや)しき限りなる業に堕(お)ちぬは稀(まれ)なりとぞいふなる。



○踊り子の画家 エドガー・ドガ


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金で縛られる
個性を奪われた踊子

「エトワール」(1878年頃) エドガー・ドガ オルセー美術館
「Ballet - L’etoile」 Edgar Degas


舞台に走り出てきて、脚を上げポーズを決めるバレリーナ。

チュチュ(透けた薄布を重ねたスカート)が美しさをさらに引き立てます。



エトワールは、フランス語で「スター」を意味し、

最高位のバレリーナ(プリマ・バレリーナ)のことだそう。



現代を生きる私たちにとって、バレエは洗練された芸術だと理解していますが、

当時、働く女性は軽蔑された時代だったといわれます。



この時代の貴族や紳士などの裕福層は働かず、

貧しく生活を強いられた人々が働かざる得なかったようです。

踊子志願の少女たちのほとんどは労働階級出身であり、

少しでも良い暮らし、わずかでも這い上がるためには、

バレエ芸術の真髄を極めるよりも、良いパトロンを掴まえる方が優先されたそうです。




華やかに踊るバレリーナの後ろに見え隠れする黒い男は、バレリーナのパトロンだといわれます。



※怖い絵 中野京子 朝日出版社 2007
 作品1 ドガ「エトワール、または舞台の踊子」 p10-20



○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識|ルソー「人間不平等起源論」

○「ロメオとジュリエット」観劇に出かけましょう


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苦境に陥る
職を失った上に母の死を知る

在ドイツ日本国大使館 ベルリン・ミッテ区


※「舞姫」 森鴎外


その名を斥(さ)さんは憚(はゞかり)あれど(⇒その人の名前までは言えないが)、

同郷人の中に事を好む人ありて、

余(よ⇒豊太郎)が芝居(⇒劇場)に出入して、

女優と交るといふことを、官長の許(もと)に報じつ(⇒報告した)。



さらぬだに(⇒そうでなくとも)

余が頗(すこぶ)る学問の岐路(きろ)に走るを知りて憎み思ひし官長は、

(⇒私が職務より学問ばかりに夢中になっているのを知って憎んでいる長官は、)

遂に旨を公使館に伝へて、我官を免じ、我職を解いたり。



公使がこの命を伝ふる時余に謂(い)ひしは、

御身(おんみ)若(も)し即時に郷に帰らば、路用を給すべけれど、

(⇒あなたがもし直ぐに日本に帰るならば、旅費は出すけれど、)

若し猶こゝに在らんには、公の助をば仰ぐべからずとのことなりき。

(⇒もしなおここに滞在するならば、公費はあてにするなとのこと)



余は一週日の猶予を請(こ)ひて(⇒お願いして)、とやかう(⇒あれこれ)と思ひ煩(わずら)ふうち、

我生涯にて尤(もつと)も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ(⇒届いた)。

この二通は殆ど同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、

一は親族なる某(なにがし)が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書(ふみ)なりき。

余は母の書中の言をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り来て筆の運はこびを妨ぐればなり。


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捨て難きエリスとの愛
しかし、友の忠告を受け入れる

ブランデンブルク門 ベルリン


※「舞姫」 森鴎外


大洋に舵(かぢ)を失ひしふな人が、遙(はるか)なる山を望む如きは(…中略)

されどこの山は猶ほ重霧の間に在りて、いつ往きつかんも、

否、果して往きつきぬとも、我中心に満足を与へんも定かならず。



貧きが中にも楽しきは今の生活なりはひ、棄て難きはエリスが愛。

わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、

姑(しばら)く友の言(こと)に従ひて、この情縁を断たんと約しき。



余は守る所を失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵すれども、

友に対して否とはえ対(こた)へぬが常なり。



○混迷の中から新たな絆を紡ぐ

○光る海に霞む船の汽笛を遠くに聞きながら|夏の葉山⇔伊勢湾ヨットクルーズ


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豊太郎の帰国を知り
精神を病むエリス

Ophelia 1851-1852 John Everett Millais 1829-1896 テートブリテン


※「舞姫」 森鴎外


余(⇒豊太郎)が相沢に与へし約束を(エリスが)聞き、

またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、

(⇒また大臣に伴って日本に帰ることを豊太郎が承諾したことを知り、)

俄にはかに座より躍り上がり(⇒エリスはにわかに椅子から躍り上がり)、

面色さながら土の如く(⇒顔色はさながら土のよう)、



「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」

(⇒私の豊太郎、そこまで私をだましていたのね!!)



と叫び、その場に僵(たふ)れぬ。


(中略)


暫(しばら)くして醒(さ)めしときは、目は直視したるまゝにて傍(かたわら)の人をも見知らず、

我名(⇒豊太郎の名)を呼びていたく罵(ののし)り、髪をむしり、

蒲団(ふとん)を噛みなどし、また遽(つい)にはかに心づきたる様にて物を探り討(もと)めたり。

母の取りて与ふるものをば悉(こと)ごとく抛(なげう)ちしが、

机の上なりし襁褓(むつき⇒おむつ)を与へたるとき、

探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。



これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆ほとんど全く廃して、

その痴(ち)なること赤児(あかご⇒赤ちゃん)の如くなり。

医(⇒医者)に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし

「パラノイア(⇒偏執病)」といふ病(やまひ)なれば、治癒の見込なしといふ。



○英国500年の美術に触れる テート・ブリテン


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大きな困難を伴う
自我の開放

「メランコリア I」 (1514) アルブレヒト・デューラー 銅版画


※「舞姫」 森鴎外


余が病は全く癒えぬ。

エリスが生ける屍(しかばね)を抱きて千行(ちすぢ⇒とめどなく)の涙を濺(そゝ)ぎしは幾度ぞ。

(⇒生けるしかばねになったエリスを抱いて、とめどもない涙を何度流ことか)



大臣に随(したが)ひて帰東(⇒日本に帰る)の途に上ぼりしときは、

相沢と議はかりて(⇒相沢と相談して)

エリスが母に微(かすか)なる生計(たつき)を営むに足るほどの資本(⇒お金)を与へ、

あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。



嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。

されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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仮面の人生ではなかったかと疑い続けた
森鴎外

森鴎外 1862(文久2年)-1922(大正11年)


明治維新の6年前、石見国(いわみのくに⇒現島根県)に生まれた森鴎外。

森家は代々津和野藩のお抱え医者だったそうですが、

明治維新後は藩からの給料はなくなり、

森家は優秀な長男である鴎外に一家の望みをかけたといわれます。



東京に出た鴎外は、明治政府がつくったばかりの東京医学校(東京大学医学部の前身)

に入り、西洋医学をドイツ人の先生から習ったそうです。

卒業後は陸軍に入り、ドイツ帝国陸軍の衛生制度を調べるため、ドイツ留学を命じられます。

念願が叶った鴎外の胸は躍り、到着してからはライブチヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンで

医学のみならず広く先進国ドイツの学問、文化を精一杯吸収したといわれます。



そして、若き鴎外はドイツの女性と恋に落ち、26歳で帰国した彼を追って、

実際に来日したドイツ人女性がいたことが知られていますが、

彼の出世に一族の命運をかけている森家の認めるところとはならず、

女性は説得され一ヶ月滞在ののち帰国したそうです。

この経験が「舞姫」に投影されているといわれます。



その後、軍医総監まで上り詰めた鴎外。

最晩年は、帝室博物館総長や帝国美術院長をつとめながら、

「渋江抽斎(しぶえちゅうさい)」「井沢蘭軒(いざわらんけん)」などの史伝もの

を新聞に発表します。仕事に対する責任感は最後まで強かったといわれますが、

いままでの自分の人生はなまじ優秀に生まれたために本当にやりたいことが

できなかった仮面の人生ではなかったか、と疑い続けたそうです。



大正11年7月9日、60歳で亡くなるとき、死に対するすいかなる栄典名誉も拒否し、

一人の石見人として死にたいと遺言に残します。

そのため東京三鷹市の禅林寺にある小さな墓には「森林太郎墓」としか刻まれていません。



※舞姫 森鴎外珠玉選 作:森鴎外、現代語訳:森まゆみ、絵:土屋ちさ美
 講談社 青い鳥文庫 2011 解説、他より



○より良い社会へ変えていく人たちを育てる|文教の府 文京区

○平和と独立を守る防衛省|すべての国々、すべての方々に感謝の気持ちを


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余は石見人 森 林太郎として死せんと欲す
森鴎外の遺書

森鴎外のお墓 黄檗宗 霊泉山 禅林寺


※森鴎外の遺言
 (原文は縦書き、カナ部分はひらがなに変更、注釈を括弧にして追加、改行は原文と異なる)


  余(私)は少年の時より老死に至るまで

  一切秘密無く交際したる友は 賀古鶴所(かこつるど:陸軍軍医)君なり

  ここに死に臨んで賀古君の一筆を煩(わずら)わす

  死は一切を打ち切る重大事件なり

  奈何(いか)なる官憲威力(かんけんいりょく:官庁の権力)と雖(いえども)

  此(これ)に反抗する事を得す(えず:できない)と信す

  余(私)は石見人(現島根県) 森 林太郎として 死せんと欲す

  宮内省陸軍皆縁故あれども 生死別るる瞬間

  あらゆる外形的取扱いを辭(じ⇒辞退)す

  森 林太郎として死せんとす

  墓は 森 林太郎墓の外(ほか)一字もほる可(べか)らす

  書(遺書)は中村不折(なかむら ふせつ:洋画家)に依託し

  宮内省陸軍の榮典(えいてん:国家が与える称号など)は絶對に取りやめを請(こ)う

  手續(てつづき)はそれぞれあるべし

  これ唯一の友人に云ひ殘(のこ)すものにして

  何人(なにびと:いかなる人)の容喙(ようかい:口出し)をも許さす(ゆるさない)



  大正十一年七月六日 (亡くなったのは7月9日)



○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張

○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○芥川龍之介の遺書|或旧友へ送る手記


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森鴎外の美しい文章
平安時代から利用されてきた文語体

森鴎外記念館 ドイツ・ベルリン


独特の美しさがある森鴎外の文章は、平安時代以来、

長きにわたって利用されてきた「文語体」で書かれています。



21世紀を生きる私たちにとっては読みにくいところがありますが、

それもそのはず、現代の日本の教育では「文語体」を学ぶ機会は多くないようです。



現代のように口で話す文字と書く言葉とを区別しないようになったのは、

明治時代以降、ここ150年ほどのことで、日本の近代文学を切り拓いた

明治の小説は、私たちが利用している「口語体」の母体を形成した時期。



日本語は中国から伝わった漢字(漢文)(⇒漢の国の字、漢の国の文)に始まり、

漢文訓読に基づく文語体が生まれ、

平安時代、主に女性が平仮名で表現した和文体(ex.源氏物語)、

二葉亭四迷を代表とする言文一致体を経て、

現在の口語体が作り出されてきたといわれます。



時代風俗や言語感覚などを手掛かりに読み難い部分を克服しながら、

現在の文章を形成した母体を訪ねてみると、

これまでは見えなかった日本語の美しさに触れることができます。



○人間の幸不幸を凝視する物語文学|源氏物語

○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ

○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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生命の跳躍
エラン・ヴィタール

フランスの哲学者 アンリ=ルイ・ベルクソン
(Henri-Louis Bergson、1859-1941)


19世紀末から20世紀にかけてのフランスにおいて、

「生の哲学」を展開したアンリ・ベルクソン(1859-1941)。



ベルクソンによると、

知性は、流動するものを嫌い、対象をことごとく固定させてしまう傾向を持ち、

あらかじめ描かれたプログラムが実現される過程のように描くものである限り

生命にふさわしくないとします。



生命は、知性の手から漏れ出るものであり、私たち自身も、

他のすべての事物も、純粋な持続のなかで進化しているものであるとし、

これを「生命の跳躍(エラン・ヴィタール)」という概念で提示します。



「生命の跳躍(エラン・ヴィタール)」は、一個の生命個体の枠に留まるものではなく、

個々の有機体個体を介しながら世代を通じて貫かれ、進化系統に分かれながら

存続していく。進化過程における諸変化は、生に備わる根源的衝動、根源的跳躍

に帰するとし、狭義の知性は無力であるとします。



「生命の跳躍(エラン・ヴィタール)」は、

予測不可能ではあるが単なる偶然ではないものであって、

自由という言葉によって置き換えられるにふさわしいものである。



意識は、この「生命の跳躍(エラン・ヴィタール)」の先端に位置するものである。

この生命の創造力と一致するために、意識は「さらに大きく開花し」、

「自らを深める」努力をしなければならない。



※ベルクソンの近代科学批判と生命概念
 近代哲学の人間像、15.生命概念のもとでの哲学の主張
 佐藤康邦 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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外からみる「科学の認識」
内からみる「哲学の認識」

第56回 科学技術週間ポスター 平成27年4月13日〜19日
内閣府・文部科学省


※形而上学入門
 ベルクソン全集7 思想と動くもの H.ベルクソン 矢内原伊作(訳) 白水社 2001


  第一の知り方は物の周りを回ることであり、

  第二の知り方はその物の中に入ることである。


  第一の知り方は人の立つ視点と表現の際に使う記号に依存し、

  第二の知り方は視点にはかかわりなく記号にも依らない。


  第一の認識は相対にとどまり、

  第二の認識はそれが可能な場合には絶対に到達するといってよい。






「第一の知り方」は、「物の周りを回り・記号に依存し・相対にとどまる」ことであり、

ベルクソンはこれを「科学の認識」と呼び、

「第二の知り方」は、「物の中に入り・記号に依らず・絶対に到達する」ことで、

これを「哲学の認識」だとします。



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国

○地球の未来を読み解く南極観測

○人類の未来を切り開く地球深部探査船「ちきゅう」

○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」


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科学の認識
外側から言葉と数値で捉える

ウィトルウィウス的人体図(Homo Vitruvianus)
レオナルド・ダ・ ヴィンチ


「科学の認識」は、例えば「人」にあてはめてみると、

人には頭があり、胴体と手と足があります。頭には髪の毛があり、

その色は黒色で、目と耳は二つ、鼻と口は一つといったように、

形・色・大きさといった要素に解体され、それらは言葉や数字で表現されてゆきます。



さらに解体すると、臓器、血液、遺伝子といった具合に細かく分けられ、

「ナノ」と呼ばれる領域では精密な数学言語で表現されてゆきます。



このように対象(ここでは人)を外部から捉え(⇒物の周りを回ること)、

それらを言葉や数字で表現(⇒記号に依存)する捉え方が「科学の認識」だといいます。



○豊かな放送文化を創造する人とメディアの未来

○持続可能なモビリティ社会を目指して|日産追浜グランドライブ体験試乗

○レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」


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哲学の認識
内側から直感で捉える

1900年頃のドレスデン(ドイツ)の様子
森鴎外は1885-86にかけてドレスデンに滞在したそうです


「哲学の認識」は、例えば、私たちは小説を読んでいる時、

その主人公に自分を重ね合わせ、主人公になりきるといったことがあります。

いくらその主人公を外側から眺めたとしても、当の人物に成りきる

ことで得られる生き生きとした感覚には追いつけないと感じます。




人の喜びや悲しみを理解するということは、外側から理解するということではなく、

その喜びや悲しみが自分自身の喜びや悲しみになることのようです。



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ

○想像から生まれる、その人の物語|本の扉を開けて旅に出る

○プリマヴェーラ 春の訪れ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」


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人間が対象の側へ応答する
認識と存在の表裏一体性

「氷の海」(1823-1824年) カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ ルーブル美術館


「第二の知り方(哲学の認識)」は、対象と共感すること、対象と一体となること、

対象に身を置くことといった、あたかも「もの」となって「もの」を知るかのように、

ものの側、存在の側に力点を置いた「一体性・直接性」として表現されています。



「直感」の最大の特徴は、認識と存在との表裏一体であり、

「知る側(認識する主体)」と「知られる側(認識される対象)」

との間の隔たりのなさ、無媒介的・直接的な認識だとされます。



重要な点は、人間の側が対象のあり方の是非を決定するのではなく、

逆に人間のほうがむしろ対象の側へと応答する対象中心の姿勢に変わることだとします。


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問うのではなく問われる
己の足元が崩れ去るような基盤喪失の経験

「死の島」 1880 アルノルト・ベックリン(1827年-1901年)
バーゼル市立美術館(スイス)


私自身、今を生きながら「生きるとは何か」と問い続けてきました。

その答えを探すため、死生学に触れたり、宗教や哲学に興味をもち、

実際に人の死に遭遇して、そこから自分自身の「生」を捉えようとしてきたように思えます。

しかし、それは外側から捉えた「科学の認識」だったようです。



「生」みずからを意図的に問う前に、「生」がおよそいかなる理念や概念、

学的観念も打ち破って現れる動的・創造的なものと捉えるならば、

硬直した概念規定や一般的理念で自分自身を理解している「生」にとっては、

己自身の本来の柔軟な本質そのものが、この硬直した外皮を打ち破って

現れてくることのように思えます。



それは言い換えるならば、普段の「生」、日常的な「生」にとって、

生々しい「生」の実相が自分の足元からのぞき、

さらには「生」の狂気性さえもが己の内側に顔をのぞかせるということであり、

私が知らない私自身の「生」の現実に私が立ち戻らされる事態のようです。



「生」の全体は、それまでの日常的で自明な「生」がもはや自明でなくなるような、

その意味での非日常的な経験をかいくぐって現れる全体であり、

それは、己の足元が崩れ去るような基盤喪失の経験や、己を含むそれまでの

世界全体の意味や価値が崩壊するいわゆるニヒリズムの経験を経て

経ち現れる全体であり、それは、もはや他人ごとではない全体だといいます。



問うのではなく問われる。



期せずして己の「生」の根拠そのものがそれまで安定した意味基盤を失い、

己の生きる世界が己自身にとってもはや馴染み親しんだ存在ではなくなる形で、

己の赤裸々な姿が己自身にとって全体として明らかになること、

そうであるからこそ今度はむしろ逆にあるべき本来の自分への復帰への第一歩、

ひいては己を超えた己自身の可能性へと開かれる第一歩、

そして既成の公共世界における平均性への埋没から己を取り戻す第一歩

となることをうれしく思います。



※現代フランス哲学に学ぶ('17) 放送大学
 主任講師 戸島貴代志 先生 (東北大学教授) ・ 本郷均 先生 (東京電機大学教授)



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ

○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


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生命の尊さ、やさしさ
私が私になってゆく

詩人・星野富弘氏の作品を展示する
みどり市立富弘美術館 (群馬県みどり市)


冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって

ひとつの花が 咲くように 悲しみも 苦しみもあって 私が私になってゆく



※星野富弘「星野富弘全詩集 U 空に」 学研




詩人・画家であるという星野富弘氏。


1970年、中学校の教諭になったそうですが、クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し、

手足の自由を失ってしまったそう。



入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めたそうです。



○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○障がいを越えて共に生きる

○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指す|スポーツクラブ・マネジメント


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参  考  情  報


○森鴎外 舞姫 - 青空文庫

○森鴎外 かのように - 青空文庫

○森鴎外記念会 - @文京区立本郷図書館森鴎外記念室

○日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸

○森まゆみブログ

○科学技術週間 SCIENCE & TECHNOLOGY WEEK

○Gerhard Richter

○Christo and Jeanne-Claude | Home

○富弘美術館

○Die Kreuzungsstelle
〜交差点な人たち(ハーフ、ダブル、ミックス等と呼ばれる人たち)の「声」〜


○国際高等研究所

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○森家三兄弟−鴎外と二人の弟− 兄・鴎外を支えた、弟たちの物語
 文京区立森鴎外記念館 2017.07.07〜10.01

○日本近代短篇小説選 明治篇1 岩波文庫 2012
 編集 紅野敏郎, 紅野謙介, 千葉俊二, 宗像和重, 山田俊治

○明治の短編小説を読む 2017.06
 講師 山田俊治 先生 (放送大学客員教授/横浜市立大学名誉教授)
 主催 放送大学神奈川学習センター

○舞姫 森鴎外珠玉選 作:森鴎外、現代語訳:森まゆみ、絵:土屋ちさ美
 講談社 青い鳥文庫 2011

○ドガの時代 2010.12
 講師 中野京子 先生 早稲田大学 講師
 会場 横浜美術館

○ドガ展 横浜美術館 2010年9月18日〜12月31日

○怖い絵 中野京子 朝日出版社 2007

○「怖い絵」で人間を読む 中野京子 NHK出版 2010

○現代フランス哲学に学ぶ('17) 放送大学
 主任講師
  戸島貴代志 先生 (東北大学教授)
  本郷均 先生 (東京電機大学教授)

○形而上学入門  ベルクソン全集7 思想と動くもの H.ベルクソン
 矢内原伊作(訳) 白水社 2001

○星野富弘「星野富弘全詩集 U 空に」 学研

○「ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ――ロシア文学の鬱蒼たる森を探索する」
 8回文学部公開講座 2017.06
 講師 沼野充義 先生 東京大学 人文社会系研究科・文学部 教授 (現代文芸論)
 会場 東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室

○人文研アカデミー2017
  人種神話を解体する―「血」の政治学を越えて 出版記念 連続セミナー
 <第一回 表象と呼称をめぐる問題>
  ・「血」の政治学を越えて 竹沢泰子 先生(京都大学人文科学研究所 教授)
  ・呼称をめぐる議論と表象略史 岡村兵衛 先生(「ハーフ」表象の歴史研究者)
 <第二回 映画表象にみる人種・ジェンダー・セクシュアリティ>
  ・1930年代の「混血児」表象―『港の日本娘』『からゆきさん』を題材に
   高美 先生 (法政大学社会学部 准教授)
  ・沖縄という風景に抗して―『BLUES HARP』を題材に
   菅野優香 先生(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 准教授)
 <第三回 「混血」から歴史を読み直す>
  ・植民地統治下の白人性と「混血」―英領インドの事例から
   水谷智 先生 (同志社大学グローバル地域文化学部 教授)
  ・アメリカのスポーツと「混血」
   川島浩平 先生 (武蔵大学人文学部 教授
 <第四回 自分らしい生き方を求めて>
  ・「ハーフ」の若者たちの自己像―日本とパキスタンの国際結婚の子どもたち
   工藤正子 先生 (京都女子大学現代社会学部 教授)
  ・在日「ダブル」の歴史観――加害/被害の二元論の超克
   李洪章 先生 (神戸学院大学現代社会学部教員)
 <合評会>
  (岩淵功一 先生・成田龍一 先生・川島浩平 先生・竹沢泰子 先生ほか)
 会場 京都大学東京オフィス
 主催 京都大学人文科学研究所、科学研究費基盤研究(S)
     「人種のプロセスとメカニズムに関する複合的研究」

○人種神話を解体する3 「血」の政治学を越えて
 川島浩平(編集), 竹沢泰子(編集) 東京大学出版会 2016

○人種神話を解体する2 科学と社会の知
  坂野徹(編集), 竹沢泰子(編集) 東京大学出版会 2016

○人種神話を解体する1 可視性と不可視性のはざまで
  斉藤綾子(編集), 竹沢泰子(編集) 東京大学出版会 2016

○国際高等研究所シンポジウム 2017.06
 激動する地球時代をいかに生きるか−「けいはんな」からの発信−
 ・開会挨拶 長尾真 先生 国際高等研究所長
 ・基調講演
  日本は世界に何を伝えるか 橋爪大三郎 先生 東京工業大学名誉教授
 ・基調プログラム
  21世紀地球社会における科学技術のあり方 有本建男 先生
  人類存在の持続可能性を探求する 佐和隆光 先生
  多様性世界の平和的共生の方策 位田隆一 先生
  30年先の地域社会の姿を求めて 松本紘 先生
 ・総合討論
  モデレーター 長尾真 先生
  コメンテーター 広井良典 先生 京都大学こころの未来研究センター教授
 ・会場 時事通信ホール
 ・主催 公益財団法人 国際高等研究所


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