あるがままの生の肯定

フリードリヒ・ニーチェ


| 歴史叙述への欲望 | ゾロアスター教 | アケメネス朝ペルシア | ユダヤ人の解放 | ツァラトゥストラ |
| 人生の意味の模索 | 積極的ニヒリズム | 精神的な復讐 | 防衛機制 | 祖先に対する負債感情 |
| 宝戒寺の建立 | 原罪観念 | 離婚と自立 | 手足を縛られた上での自由 | 人生の意味を問う |
| 生の肯定 | ディオニュソス | 悲劇の誕生 | オイディプス王 | 自由を手に入れる戦い | 永遠回帰 |
| 肯定的態度への変換 | 人間の最後の自由 | ナクバ | アーミナの婚礼 | 人間であり続ける |
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現代の苦難に胸を締めつけられる者は
歴史叙述に欲望を抱く

ゾロアスター教の教祖 ザラスシュトラのフレスコ画 3世紀
シリア東部にある都市遺跡 ドゥラ・エウロポス


現代の苦難に胸を締めつけられ、何としても重荷を投げ捨てようとする者は、

批判的歴史、つまり裁き判決を下す歴史叙述に対する欲望を抱く。



※「反時代的考察」 ニーチェ 生に対する歴史の利害 第2節



○自らの地位を改善しようと苦闘している状態こそ人間の正常的状態


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善と悪の対立構造をもつ
ゾロアスター教

ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダ(智恵の主)
ペルセポリス(イラン) 世界遺産


紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシアが成立した時には、

王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉していた

といわれるゾロアスター教。



世界最古の預言者といわれるザラスシュトラが教祖とされています。



ゾロアスター教は、唯一絶対神を信仰した西洋と異なり、

善神である「アフラ・マズダ」、悪神である「アンラ・マンユ」の対立構造の他、

多くの神が存在するところに特徴があるといいます。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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寛大な統治により支配領域を広げた
古代アケメネス朝ペルシア

古代アケメネス朝ペルシアの都
ペルセポリス(イラン) 世界遺産


イランはかつてペルシアと呼ばれ、

ペルシア人は過去に何度も大帝国を建設したといいます。

その支配領域が最大であったのは古代アケメネス朝ペルシア帝国の時代。



その背景には、帝国の創始者であるキュロス大王が

国家統治手法を改革したことにあるとされます。



それまで征服者が都市を陥落させた場合、略奪や虐殺が行われたのに対し、

キュロス大王は被征服者の生命・財産・宗教を尊重したといいます。



○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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バビロンに囚われていた
ユダヤ人の解放

嘆きの壁(Wailing Wall, Western Wall)
エルサレム


紀元前586年、エルサレムを陥落させたバビロン(現イラク・ヒルラー近郊)

の王ネブカドネザル二世は、この都市の神殿を焼き、

有力者たちをバビロンに強制移住させます(ユダヤ人のハビロン捕囚)。



その後、アケメネス朝ペルシアによってバビロンは滅ぼされ、

囚われていたユダヤ人はキュロス大王によって解放されエルサレムに帰還し、

神殿を再建したと伝わります。



この神殿(第二神殿)は、後にローマ人によって破壊されますが、

その西壁の一部は現在も残り、「嘆きの壁」として知られます。



ユダヤ教の聖書(旧約聖書)には、ユダヤ人のバビロン解放について

以下のように記します。



  ペルシア王クロス(キュロス)はこのように言う、

  天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、

  主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。

  あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、

  ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。

  彼はエルサレムにいます神である。



※旧約聖書「聖書(口語訳)」1992年版 日本聖書協会
 エズラ記 第1章 第2〜3節 p651



○平安で平等な社会を築く意志 世界に広がるイスラーム


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ザラスシュトラのドイツ語読み
ツァラトゥストラ

 ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年-1900年)


19世紀ドイツの哲学者ニーチェが40歳の頃に書いたという

「ツァラトゥストラはこう言った」。



「ツァラトゥストラ」は、

ゾロアスター教の教祖「ザラスシュトラ」のドイツ語読みだといいます。



キリスト教の価値観に支配されていた当時のヨーロッパでは、

「慎ましいこと、貧しいこと」が良しとされ、

死んだ後は天国で幸せになることができ、

悪である権力者や裕福層は地獄に落ちると信じられていたといいます。



現実的にも支配層に抗うことができない市民層は、

強い他者(権力者や裕福層)を否定することで自己を認め、

思想を逆転することで「心理的な復讐」を果たすことができたよう。



そして、キリストの教えを守ることは善いことだと信じ、

聖書に従うことにより創造性が失われ「無難な善人」を生み出したようです。



ニーチェの有名な言葉「神は死んだ」は、そのような神への信仰を

「弱者のルサンチマン」として切り捨て、キリスト教的な価値観が

崩壊していることを人々に知らしめようとしたのだそう。




ルサンチマンは、フランス語で「ねたみ・うらみ・そねみ」を意味し、

どうすることもできない自分の苦しみを社会や他者などに向け

紛らせることだといいます。




「ねたみ」を繰り返すことで行き着く無気力状態を「ニヒリズム」と呼び、

ツァラトゥストラは最も軽蔑すべき人間を、憧れや創造性を持てず、

愛や夢もなく、安楽を第一とする人(The last man:末人)だと言っています。



○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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ニーチェが一貫して追い求めたテーマ
これからの人生の意味をどう見出すか

 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
ポール・ゴーギャン ボストン美術館


ニーチェの思想は、時期によって変化が認められといいますが、

その中で一貫して追い求めたテーマは、

ヨーロッパにおいてキリスト教の神がもはや人生の意義と価値を保証する

存在ではないと感じられるようになった時代において、

人生の意味はどのようにして見出されるか、にあったといいます。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか


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これまでの価値が無価値になる
神の死

死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア
ピエタ サン・ピエトロ大聖堂


「神は死んだ! 神は死んだままだ! それも、俺たちが神を殺したのだ!」


※悦ばしき知識 ニーチェ, 信太正三(訳) ちくま学術文庫 1993
 125節 気のふれた人




近代における科学的合理精神の台頭が神への信仰を衰退させ、

これまで信じていた価値が無価値化することでニヒリズム(虚無主義)がもたらされる。

その中で我々は「生」の方向を見失うのではないかとニーチェは指摘します。



ニヒリズムは、ラテン語の「ニヒル(無)」に由来する言葉で、

「生存を導く価値が動揺し解体して行く必然的で不可逆的な歴史的プロセス」

とされます。



このような歴史的プロセスに対して否定的に捉える立場を、

ニーチェは「消極的ニヒリズム」と呼び、

「生」と敵対する「無」への意志を核とするキリスト教は、

消極的ニヒリズムな宗教であるとします。



神の死は、キリスト教の長きにわたるヨーロッパ支配の終焉の始まりを意味し、

それは他ならぬキリスト教自体の育成した知的誠実性という徳によって

その虚偽性・欺瞞性が見抜かれ、打倒されることであり、

ニーチェは基本的に悦ばしい事態と受け止めています。



○そよ風に乗ってローマの街並みへ


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既存価値を否定する
積極的ニヒリズム

ロシアを代表する文豪 イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ
1818年-1883年


生存を導く価値が動揺し解体していく歴史的プロセスを否定的に捉える

「消極的ニヒリズム」に対して、このプロセスを加速させることに

自ら手を貸そうとする態度は「積極的ニヒリズム」と呼ばれています。



19世紀半ば、ロシアの作家ツルゲーネフの小説「父と子(1862)」に

描かれる社会主義者たちは「ニヒリスト」(≒積極的ニヒリズム)」と呼ばれ、

既存の政治体制・道徳・権威・宗教を否定します。



○暗く覆いかぶさっているものを光で照らす|啓蒙主義


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善と悪という道徳的概念の生成
強者に対する精神的な復讐

「シナゴーグ(集会所)で祈るユダヤ人(1878年)」 マウリツィ・ゴットリープ
「Jews Praying in the Synagogue on Yom Kippur」 Maurycy Gottlieb


ニーチェは、「善と悪」・「よいとわるい」という道徳的概念の生成は、

自分を良い(優良)とみる自己肯定を本質とする「貴族的評価様式」を

転倒(逆転)する形で「僧侶的評価様式」、すなわちキリスト教道徳が登場したと考えます。




※貴族的評価様式 (自分を優良だとみる自己肯定) G.M.1.2

  高貴な者たち、強力な者たちが…(中略)…自己自身と自己の行為を

  よいと感じ よいと評価する、つまり第一級のものと感じ そう評価する




※僧侶的評価様式 (貴族的評価様式に対する精神的な復讐) G.M.1.7

  僧侶的民族であるユダヤ人は、自分たちの敵対者や制圧者に仕返しするのに、

  結局はこれらの者の価値転倒によってのみ、つまり最も精神的な復讐という

  所業によってのみやらかすことを心得ていた。




※「善と悪」・「よいとわるい」という道徳概念の生成 G.M.1.10

  道徳上の奴隷一揆は、ルサンチマン(妬み・恨み・嫉み)そのものが

  創造的となって価値を生み出すようになったとき、はじめて起こった。




ニーチェは、ユダヤ民族を強者に苦しめられる弱者として捉え、

ユダヤ人の鬱積したその心理(妬み・恨み・嫉み)が創造的となって

「精神的な復讐」が起きたと考えたようです。



そして、キリスト教の聖職者は、その「精神的な復讐」を利用して

新たな価値体系である「僧侶的評価様式」を生み出したと指摘します。



この体系においては、「高貴な者たち、強力な者たち」は責めを負うべき悪人となり、

悪人とは異なる者たち、すなわち「惨めな者のみが善き者である。

貧しき者、無力の者、下級の者のみが善き者である」

という弱者の自己肯定を可能にしたといいます。



弱者のルサンチマンを源泉とした道徳上の奴隷一揆によって

生まれた僧侶的評価様式は、弱者の生に有効な功利道徳という側面を持っているよう。



※「道徳の系譜」 ニーチェ 第一論文 「善と悪」・「よいとわるい」



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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自分の心を守る
防衛機制

精神分析の創始者 ジークムント・フロイト
フロイトは少なからずニーチェの影響を受けているといいます


人は欲求不満や葛藤による破局を予感すると、不安になり、

そのような状態を前もって避け、自己を防衛しようとする反応を

表すことがあるといいますが、それは無意識な過程であり、

オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトによって

「防衛機制」として明らかにされています。



防衛機制の一つ、「合理化(理屈づけ)」は、

理論化して考えることにより自己を正当化しようとする防衛機制。

その例としてイソップ寓話の「すっぱいブドウ」が知られています。

キツネは木になるブドウを取ろうとしますが、高くて届かないため、

届かない位置にあるブドウはすっぱいブドウだと口実をつけ自分を正当化します。



また「投影」は、自分がもっている社会的に望ましくない感情を

相手がもっていることにして責任を転嫁する防衛機制。

例えば、「私があの人を嫌い」と思っているのに、それだと自分の良心に責められるため、

「あの人が私を嫌っている」と相手のせいにすることが挙げられます。



ビジネスの世界では「防衛機制」は取引の対象になっています。


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神観念の生成
祖先に対する負債感情

靖国神社


キリスト教における神観念は、先史時代以来の共同体と祖先の間の

債務・債権関係に起源があるとニーチェはみています。



現在の私たちの生活は、祖先の犠牲と事跡(じせき:成し遂げられた成果の跡)

の上に共同体の繁栄があるために、祖先に対する負債と畏怖の意識は

時の経過とともに高まり、ついに祖先は神に変容したといいます。



祖先が神に変容した後も負債の意識は数千年にわたって増大し、

こうして「これまでに到達された最大の神としてのキリスト教の神の出現は

それゆえにまた最高度の負債感情を地上にもたらした」とします。



※道徳の系譜 第二論文 「「負い目」・「良心のやましさ」・及びその類」



○人間に生きる力を与える八百万の神


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北条一族の霊を弔うために建立された
宝戒寺

宝戒寺 神奈川県鎌倉市


神奈川県鎌倉市にある天台宗のお寺、宝戒寺(ほうかいじ)は、

萩のお寺としても知られます。



宝戒寺は、1333年、北条氏滅亡後その霊を弔うため、

後醍醐天皇の命をうけた足利尊氏によって、

北条氏歴代執権屋敷跡である地に建立されたといいます。



鎌倉を攻め滅亡に導いた当事者である後醍醐天皇・足利尊氏が、

敵である北条氏の霊を弔ったのは、

自らに呪いがかかり不幸が訪れないようにする為だったといわれ、

自らの繁栄は先人の犠牲の上に成り立つ負債と畏怖の感情が

影響したようにも思えます。



○150年の歴史に幕を閉じた鎌倉幕府終焉の地


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原罪観念と禁欲主義的理想
線で引かれた円から出ることのない雌鶏

無原罪の御宿り(Maria Immaculata) 1660-1665頃
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ プラド美術館


人類の祖先とされるアダムとイヴは、蛇にそそのかされ、

禁断の木の実(智恵の実)を食べてしまい、

神の命令に背いた罪を負い楽園を追放されます。

アダムとイヴの子孫である人類は、その罪を生まれながらにして背負い、

そこから逃れることはできないよう(⇒原罪)。



このように人は、唯一絶対の神に対して個々人が贖(あがな)いきれない罪責を負い、

外部に発散することを妨げられた本能は、

とりわけ「敵意、残忍、迫害や襲撃や変革や破壊を喜び」

といった攻撃的なものになるとニーチェは強調します。



外部の敵や抵抗を見失い内へと向けられた攻撃的本能は、

心いらだって自らを引き裂き、責めたて、噛みかじり、いじめつけることから、

人間は自己自身を苛(さいな)む動物となり、これが良心のやましさの起源であるとします。



このような意識に至るためには、自己自身に苦しむ人間に

苦しみの原因と意味を知らせる聖職者の介入が必要であったとし、

その様子を次のように描いています。



  彼(苦しむ人間)は彼の魔術師、すなわち禁欲主義的聖職者から

  彼の苦しみの原因についての最初の暗示を受ける。

  曰く、おまえは、自らの苦しみの原因を自己自身のうちに、

  負い目のうちに、過去の一片のうちに求めるべきだ、

  おまえはおまえの苦しみそのものを一つの刑罰の状態だと心得るがよい、と。


  (中略)


  彼は、この不幸な者はこれを聞き、これを理解した。

  今や彼は、身の回りに線を引かれた雌鶏(めんどり)のようになる。

  彼がこの線で描かれた円の外へ出ることは二度とない。

  こうして病者は罪人にされたのである。



※道徳の系譜 第二論文 「「負い目」・「良心のやましさ」・及びその類」



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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離婚と自立
わたしは一人前の女になった



※わたしの修業時代 シドニー=ガブリエル コレット,工藤庸子(訳)


  なにしろ逃げる気はなかったのだ。

  どこへ行って、どうやって生活しろというのだろう?

  それにいつものことだがシド(母親の愛称)が心配だった…。



  わかっていただきたいのだが、わたし自身は無一文だった。

  さらにわかっていただきたいのが、動物であれ、人間であれ、

  囚われの身にあるものが、たとえ外見はどうであろうと、つまり、

  格子のうしろで行ったり来たりして、壁の彼方の遠くにむけて、

  物思わしげなまなざしを投げたりしていも、だからといって、

  ひっきりなしに脱出を夢見ているわけではない…。



  それはむしろ習慣ゆえに、牢獄のかぎられた寸法ゆえに、

  自然と身についてしまった反射運動なのだ。



  リスか、鹿のような野生動物か、あるいは小鳥であってもよい、

  日頃から彼らが目でばかり、身体を押しつけ、哀願しているよう

  に見える扉を、不意に開けてごらんなさい。



  あなたが期待するように、前に跳びだし、飛んでいってしまうことは、

  ほとんどなくて、それどころか動物はとまどって

  身動きせず、むしろ檻のおくへとあとずさりするだろう。



  わたしたちはありあまるほど考える時間があり、

  しかもしょっちゅう聞かされていたのである。

  尊大で嘲るようなあの言葉、締めつける輪のようにぎらぎらしたあの言葉を。



  「要するに、あなたはまったく自由なんだよ…」



  逃げるって?…どうやって逃げることができるだろう。

  わたしたち田舎育ちの娘というものは、1900年のあの当時、

  結婚生活から逃げ出すということに関しては、

  なにか途方もない厄介なものという感じしかもっていなかった。



  逃げる…そうはいっても、わたしの血管のなかに流れている

  一夫一妻制への執着が、なんと邪魔になることか…。



  逃亡という言葉、その蛇のようなささやきが、ほかならぬこの血によって、

  わたしに吹き込まれるはずはないのである。






意を決して、ついに独りになったとき、若き時代の「修業」が終わり、

一人前の女になることができたようです。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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手足を縛られた上での
自由

「ソクラテスの死(La Mort de Socrate)」 1787
ジャック=ルイ・ダヴィッド メトロポリタン美術館


※日本国憲法 (昭和二十一年十一月三日憲法)

  第23条  学問の自由は、これを保障する。




某国立大学の元学長は、学問の自由は、手足を縛られて水の中に放り込まれ、

自由に泳いで良いといわれたようなものだと語ったそうです。



○混迷の中から新たな絆を紡ぐ

○世界の美術が凝縮されたメトロポリタン美術館


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苦しみに満ちた
人生の意味を問う

古代ユダヤの予言者ヨハネから洗礼を受けるキリスト
ヨハネはユダの荒野で禁欲的な隠遁生活をしていたとされます
「キリストの洗礼(The Baptism of Christ)」 1472年-1475年頃
ヴェロッキオ、ダ・ヴィンチ他


ニーチェのみるところ、キリスト教という聖なる神を戴く禁欲主義的理想は、

悩み苦しむ人間たちに苦しみの意味を教え、それによって人間たちを救済してきた一方、

その本質は生を否定し無を意志する病的なニヒリズムであり、

救済は生を蝕み、生を損ない、苦しむものの病いはより重篤になったと指摘します。




※道徳の系譜 第三論文 G.M.3.28


  人間は自己存在の意味の問題に苦しんだ。

  だが、苦しみそのものが彼の問題だったのではなく、「何のために苦しむのか?」

  という叫びにも似た問いに対する答えが欠けていることこそが問題であった。



  人間、この最も勇敢で苦しみに慣れているこの動物は

  苦しみそのものを否(いな)みなどしない。

  いな、苦しみの意味、苦しみの目的が示されたとなれば、

  人間は苦しみを欲し、苦しみを探し求めさえする。

  これまでの人類の頭上に広がっていた呪いは、

  苦しみの無意味ということであって苦しみそのものではなかった。

  しかるに禁欲主義者的理想は人類に一つの意味を供与したのだ。


  (中略)


  その理想によって苦しみは解放された。あの巨大な空所は埋められるよう見えた。

  あらゆる自殺的ニヒリズムに対し扉が閉ざされた。

  だが、この解釈は−疑いの余地なく−新たな苦しみをもたらした。

  それは、より深く、より内面的で、より多くの毒を含み、生を蝕む苦しみであった。

  その解釈は、あらゆる苦しみを罪責というパースペクティブ(遠近)の中に

  引き連り込んだのである。



○自らの意思で戦地へ赴く|第一次大戦に歓喜する市民

○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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苦しみに満ちた生の肯定
ディオニュソス 対 十字架に架けられた者

磔刑図 1459年 アンドレア・マンテーニャ


ニーチェは、苦しみに満ちた生をも肯定するために、

「二つの典型、すなわちディオニュソスと十字架に架けられた者」において、

キリスト教と対比しながら方向性を明確に語っています。



※「ニーチェ全集第U期第11巻」 14(89) (K.S.A. Bd13 14[89])


  「ディオニュソス」対「十字架に架けられた者」。

  ここには対立がある。殉職という点では違いはない。

  ただ、殉職が異なった意味を持っているのだ。



  ディオニュソスの場合には、生それ自体は、

  つまり生の永遠の豊穣と回帰は絶滅への意志や破壊や苦悶を前提としている。



  それに対し後者では、「罪なきもでありながら十字架を架けられた者」が、

  つまりその苦しみが、この生に対する異議となり生を断罪する定式となっている。



  おわかりであろう、問題は苦しみの意味なのだ。

  つまり、キリスト教的意味か悲劇的意味か、ということである。

  前者(キリスト教的意味:十字架に架けられた者)では、

  苦しみは聖なる存在へ至る道たるべきものである。



  後者(悲劇的意味:ディオニュソス)の場合には、存在そのものが、

  巨大な苦しみをもなお是認するほど十分神聖だと見なされている。

  悲劇的人間は最も苛烈な苦しみをも肯定する。

  彼は、それを為し得るほど十分に強く豊かで神化されているからである。



  キリスト教的人間は地上での最も幸福な運命をも否定する。

  彼(人間)は、どのような形であれ生に苦しまざるを得ないほど

  弱く貧しく見放されているからである。

  十字架に架けられた神は生への呪誼(じゅそ:のろい)であり、

  おのれをこの生から救い出すようにという指示である。



  八つ裂きにされたディオニュソスは生の約束である。

  ディオニュソスは、永遠に再生し、破壊から立ち返ってくるであろう。



○自らの意思で戦地へ赴く|第一次大戦に歓喜する市民

○光は闇の中で輝く|世代とジェンダーを越えて発展する

○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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存在の永遠の豊穣と回帰のシンボル
ディオニュソス

「ディオニュソス」 カラヴァッジョ 1595年頃 ウフィツィ美術館
植物の生長と豊穣を司る神であるとともに狂気を引き起こす神


ぶとうの栽培とぶどう酒の醸造を人間に教えたとされる

植物と生長と豊穣を司る神、ディオニュソス(英語ではバッカス)は、

音楽や文学の神としても崇拝されたといわれます。



ギリシア人は、音楽や文学はぶどう酒の酔いに似る霊感から

生まれたと考え、それは神が人間に乗り移った一種の狂気の状態を意味し、

優れた文学を生み出すこともあれば、動物を引き裂いて生肉を食べるという

荒々しい行為に駆り立てることもあるといいます。



ディオニュソスに仕え、鹿の毛皮を身につける女たち、マイナデス(バッカイ)は、

ディオニュソスによって狂乱状態に陥り鹿であるディオニュソスを殺して食べ、

その毛皮を身にまとうことによって、ディオニュソスと一体化するといいます。



※ぶどう酒色の海−西洋固定小論集− 岡道男 岩波書店 2005




それは神が人間のうちに入り込むことであり、

神が素晴らしい芸術作品を人間に吹き込み、授けることを意味するとされます。


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悲劇の誕生と生の肯定
悲劇観賞によって生じる強い歓喜

ギリシヤ悲劇が上演されたというディオニソス劇場
アテネ


※悲劇の誕生 ニーチェ G.T.21


  ディオニュソス的芸術(ギリシア悲劇)はまた、生の永遠の快楽を

  われわれに確信させようとする。ただし、われわれはこの快楽を

  現象の中にではなく、現象の背後に求めるべきである。



  どのようなものも、すべて発生した以上は、苦悩に満ちた没落を

  覚悟せねばならないということをわれわれは認識すべきである。



  われわれは個体として存在していることの恐怖をいやでも覗き込まされる。

  しかし、そこで立ちすくんではならない。

  形而上学的慰めが、転変するもののひしめく混雑からわれわれを

  一瞬救い出してくれるからである。


  (中略)


  今やわれわれには、もろもろの現象における闘争や苦悩や破壊などは

  むしろ必然的なもののように思われてくる。

  われわれはこれらの苦しみの凶暴な棘で突き刺される。

  だが、同じ瞬間に、いわばわれわれは生に対する計り知れない根源的喜悦と一体となり、

  この喜悦を不滅と永遠とをディオニュソス的恍惚のうちに予感するのである。



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力


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ギリシア悲劇
オイディプス王

スフィンクスの謎を解くオイディプス ドミニク・アングル
ルーヴル美術館 1805


ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソフォクレスによって作られた戯曲、

オイディプス王。



テーバイの国に疫病が襲っていることを知ったオイディプス王は、

その原因を調査するため神託を聞きますが、その答えは、

ライオス王を殺害した罪人が処罰されれば、この疫病は治まるというものでした。



そこで自ら先頭に立って罪人の探索が始まりますが、

次第に見えてきたものは、父であるライオス王を殺害したのは自分自身であり、

しかも、産みの母と交わって子を儲けていたことを知るに至ります。



それを知った妻であり母であるイオカステは首をつって自害し、

オイディプスは針で自らの両眼をつき失明した上に、テーバイを去り放浪の旅に赴きます。




この物語の主人公オイディプスは、あくまでも自分の信念を貫き、

自分自身の保身よりは真実の探求を重んじる立派な人物として描かれており、

そのような人物が、自分の悪行や悪徳ではなく、過失のゆえに不幸に陥ってゆきます。



しかし、自らが破滅をかけて真実の探求へと突っ走る時、

また自らの手で自分の目を突いて放浪の旅へ赴く決意をする時、

単なる運命に翻弄される受け身の自分であることを越え、

能動的で生彩に富んだ人間性を示しているようにも思えます。



悲劇が私たちの心に訴える力を持つのは、それが、人間愛の思い、同情の念、

恐怖の情を私たちの心に呼び起こし、主人公の受難が、かえって私たちに、

心の浄化(カタルシス)に伴う快感をもたらすからだといわれます。



○自分の中にその存在を認める|オペラ「ドン・カルロ」にみる人間観


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自らの運命を自ら決定する
自由を手に入れる戦い

戦車の横を歩く少女と弟 1951年
朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)


1910年から1945年までの35年間にわたって朝鮮半島を統治した日本。

1945年8月15日、朝鮮は日本の植民地支配から解放されます。



1945年から50年までは解放期といわれ、朝鮮の人々は日本からの解放に

諸手をあげて喜ぶよりも、今後、どうなるともわからぬ不安を抱えていたといいます。



その後、38度線を境に社会主義・ソ連が支援する北朝鮮と

自由主義・アメリカが支援する韓国とに分割され、朝鮮戦争が勃発します。



崔仁勲(チェ・インフン)の長編「広場(1960)」は、

解放直後から朝鮮戦争時代を背景とした文学。



主人公の李明俊(イ・ミョンジュン)は戦争捕虜となりますが、

送還先として北(北朝鮮)も南(韓国)も選択することができず、

第三国に移送中の船上から大海に身を投げて自殺します。



それは、自らの運命を自ら決定する自由を手に入れる戦いでもあったようです。



○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


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永遠回帰思想と生の肯定
ツァラトゥストラ

ニーチェが過ごしたスイスの山岳リゾート地 シルス
ここで多くの着想を得たといわれます


※「ツァラトゥストラはこう言った」の冒頭部分


  ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、そのふるさとを去り、

  ふるさとの湖を捨てて、山奥にはいった。

  そこでみずからの知恵を愛し、孤独を楽しんで、

  十年ののちも倦(あぐ)む(⇒もてあます)ことを知らなかった。



  しかしついにかれの心の変わるときが来た。

  ある朝、ツァラトゥストラはあかつきとともに起き、

  太陽を迎えて立ち、つぎのように太陽に語りかけた。



  偉大なる天体よ! もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、

  あなたははたして幸福といえるだろうか!

  この十年というもの、あなたはわたしの洞穴をさしてのぼって来てくれた。

  もしわたしと、わたしの鷲と蛇とがそこにいなかったら、

  あなたは自分の光にも、この道すじにも飽きてしまったことだろう。



※ツァラトゥストラはこう言った(上) ニーチェ 氷上英廣(訳) ワイド版岩波文庫 1995
  第一部 ツァラトゥストラの序説−超人と「おしまいの人間」たち− P9




ニーチェは、「ツァラトゥストラ」の根本概念である永遠回帰思想を、

「およそ到達し得る限りの最高のこの肯定の定式」であると述べています。



※この人を見よ ニーチェ



○自身の知への愛|単に生きるのではなく、善く生きる 「ソクラテスの死」

○いのち集まる流域 小網代の森|私たちが生きる地球の持続可能性

○日本の山岳リゾート|未知を歩き、心を満たしてゆく上高地


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否定的態度から肯定的態度への変換
あるがままの生の肯定

釧路湿原を流れゆく釧路川


ニーチェの永遠回帰思想は、

万物はまったく等しい諸状態での繰り返しというあり方で存在しているといい、

このような事態に対して、人間はどのような態度を取りうるかを問題にしています。



※ニーチェ全集第U期第9巻 5[71]

  生存は、あるがままに意味も目的もなく、しかし不可避的に回帰する、

  無という終局もなく。

  すなわち「永遠回帰」これはニヒリズムの最も極端な形式である。

  無(無意味なもの)が永遠に!



永遠回帰思想は、受け取る者次第では徹底したニヒリズムにもなりえる思想であり、

その一方、歓呼して受け入れる者にとっては生の肯定を用意する思想でもある。



ニーチェが「ツァラトゥストラ」で模索したのは、

永遠回帰に対する否定的態度から肯定的態度への転換であり、

それを通じてニヒリズムを克服し自分の人生を含めて

あるがままの生を肯定する境位を提示することであったよう。



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


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人間の最後の自由
起こる出来事に対する人間がとりうる態度

「死の門」
アウシュヴィッツ第二強制収容所(ビルケナウ)の鉄道引込線


オーストリア・ウィーンの精神科医であったヴィクトール・エミール・フランクル。



著書である「夜と霧(強制収容所における心理学者の体験)」は、

ユダヤ人という理由でとらえられ、過酷な強制収容所生活を

余儀なくされた経験が綴られています。



過重労働、飢餓、拷問、人体実験、伝染病などがはびここる

「この世の果て」ような場所で自分を守り、生き抜いていくために、

人々は「無感動」「無感覚」「無関心」の状態になったそうです。



そのような中、人々の「生」と「死」を分けた一つは、

「未来に対して希望を持ちえているか否か」であったと言います。



そして、どんなに極限状態であったとしても、

人間の最後の自由である「起こる出来事に対する人間がとりうる態度」は、

奪いとることができないそう。



収容所では、死にゆく仲間のパンや靴を奪い取る者がいた一方、

みずからが餓死寸前の状態にありながらも、自分のパンを与え、

励ましの声をかけた人がいた中、

どちらの態度をとるかは、個人の精神的な態度によるそうです。



○人と人・人と自然との共存から未来を紡ぐ Life is a Journey


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現代世界に生きる人間の普遍的な悲劇
ナクバ

2014年夏、パレスチナのガザ地区は51日間にわたり
イスラエルによる攻撃に見舞われ2,000人以上の命が奪われたといいます


20世紀、ナチス・ドイツによってヨーロッパのユダヤ人は大量虐殺に見舞われます。

一般に「ホロコースト」の名で知られるその出来事は、現代世界に生きる人間の

普遍的な悲劇と見なされています。



しかし、皮肉にも、そのヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに自分たちの国家を

持つことによって、その地に住んでいた70万〜100万ものパレスチナ人が祖国を失い、

故郷を追われ難民となりました。



「パレスチナ問題」と呼ばれるこの問題の起源には、1948年、

イスラエル建国に伴いパレスチナ人を見舞った民族浄化の悲劇があり、

この悲劇はアラビア語で「ナクバ」と呼ばれています。



ホロコースト生還者を両親にもつユダヤ系アメリカ人のサラ・ロイは

イスラエルの占領についてこう述べます。


  パレスチナ人に対するイスラエルの占領は、

  ナチによるユダヤ人の<ジェノサイド>と道徳的に等価であるわけではありません。

  でも、等価である必要などないのです。

  たしかにこれは大量虐殺ではありません。

  でも、これは抑圧であり残虐なものです。

  占領とはひとつの民族が他の民族によって支配され、奪われるということです。

  財産が破壊され、魂が破壊されるということなのです。

  占領がその核心において目指すのは、

  パレスチナ人が自分たちの存在を決定する権利、

  自分自身の家で日常生活を送る権利を否定することで、

  彼らの人間性をも否定し去ることです。占領とは辱めです。絶望です。



※サラ・ロイ 「ホロコーストとともに生きる ホロコースト・サヴァイヴァーの子供の旅路」
 「みすず」2005年3月号



○平和と独立を守る防衛省|すべての国々に感謝の気持ちを


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魂の破壊に抗して
アーミナの婚礼

パレスチナの女性


ヨルダン在住のパレスチナ人作家、イブラーヒーム・ナスラッラー(1954年〜)

の小説「アーミナの婚礼」は、イスラエルによる軍事攻撃で絶え間なく人間が

殺されてゆく死に満ちたガザ地区を舞台に、魂の破壊に抗して生きる人間の

姿を描いた作品。



ある朝、愛情深い女性である主人公のアーミナは、

隣の家の娘ランダに、自分の息子サーレフとランダの双子の姉ラミース

との縁談を持ち掛けます。



  あなたたちのお父さまがイスラエルの刑務所にいるのに結婚だなんて、

  というひとも中にはいるでしょう。でも、今だからこそ結婚しなくてはならないの。

  状況がよくなって、占領がなくなって、パレスチナが解放されて、

  この占領の前に占領された土地が解放されて戻ってくるのを

  待っていなくちゃならないとしたら、その方がずっと悲劇ではなくて?

  そんなことをしたら、私たちの誰ひとり結婚なんてできやしないし、

  子どもだって生めやしないじゃないの。





結婚は、いずれの文化でも慶事だと思われますが、ナクバの苦難を生き続ける

パレスチナ人にとっては、一族が増えることは最大の喜びのよう。



しかし、アミーナの夫、息子、ランダの姉ラミースは殺され、

愛する者たちの死によって精神に変調をきたしたアーミナもまた

爆撃によって肉片と化します。



○暖かい心臓が脈打つ純粋な愛の宿る心


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死が満ちているからこそ、生の喜びを謳歌
人間であり続ける

我が子を食らうサトゥルヌス 1819-1823年 ゴヤ プラド美術館


生前アーミナの夫は、人間であり続けるということはどういうか、

アーミナに語りかけます。


  人間とはいつ、自ら敗れ去るか、ねえ、アーミナ、君は知っているかい。

  人はね、自分が愛する者のことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、

  自ら敗れ去るのだよ。

  たとえその瞬間、彼にとって大切なものは自分自身をおいてほかにないと、

  彼が思っていたとしてもね。

  それは本当のところ、街を空っぽにしてしまうんだ。

  人もいなければ、木々も、通りも、家すらなく、あるのはただ家の壁の影だけ、

  そんな空っぽの街に…




ニーチェに、「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

(善悪の彼岸 146節)」という言葉がありますが、

ナチス・ドイツによって人間性を否定され、

虐殺されたユダヤ人の祖国を標榜するイスラエルのユダヤ人が、

いま、パレスチナ人という他者の人間性を否定し、虐殺を繰り返しているように、

人間は気をつけないといつの間にか、敵の似姿になってしまうようです。



「アーミナの婚礼」の筆者イブラーヒーム・ナスラッラーは、

アーミナの夫の口を借りて、これこそ真の人間の敗北だと語りかけているよう。



彼らが私たちの人間性を否定するからこそ、私たちは人間であり続けなければならない。

占領という、人間性を破壊し魂を破壊する力の中に置かれているからこそ、

私たちは人間性を失ってはいけない。

死が満ちているからこそ、生の喜びを謳歌しなければならない。

他者を愛すること、他者の痛みに対する人間的共感を失ってはいけない。



○人間の光と影|画家ゴヤが見つめてきた光と影


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生は一回限りと捉える
欧米人の死生観

最後の審判 ミケランジェロ システィーナ礼拝堂


欧米人の精神性の根底にあるといわれるキリスト教は一神教であり、

死生観に関しては「生」は一回限りと捉え、

死後の世界は天国に行くか地獄に行くかの審判を受けると

二度と変えることができない特徴があるそうです。



天国は現世より幸せな場所であり、地獄は出ることのできない場所と

考えられていることから、キリスト教ではお墓参りの習慣はないのだそう。



欧米人の根底には、唯一絶対である「厳格さ」や一回限りの「生への強い関心」が

あるといわれ、イギリス系アングロサクソンは、

「計画性とそれを実現する執念」という精神性を持ち合わせているようです。


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死後は次に生まれ変わるまでの一時的な場所
日本人の死生観

お盆


538年に朝鮮半島を経て日本に伝えられたといわれる仏教。



あらゆる我欲を超越して完全なる自由・平等を得ようとする「解脱(げだつ)」、

死後は「輪廻(りんね)」して次に生まれるまでの一時的な居場所、

強い関心はないと考えるところに特徴があるそうです。



○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


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否定的態度から肯定的態度への変換
創造性を育む非凡な変人の育成

最新型 惑星探査ローバAKIの開発
JAXA相模原キャンパス特別公開 2016.07


学習の頂点を目指すだけでなく、その対極にある創造性を育む非凡な変人の育成、

急がず弛まず未知へ挑戦できる「やれる文化」の醸成、加点法的な評価が大切。




※神奈川県産業人材育成フォーラム 「成功へ導く 個性と閃き 信頼と忍耐」
 「はやぶさ」が挑んだ人類はじめての往復の宇宙飛行 その7年間の飛行のあゆみ
 講師 JAXAシニアフェロー 川口 淳一郎 先生  2013.01



○進化するテクノロジー 人間のフロンティア

○持続可能なモビリティ社会を目指して|日産追浜グランドライブ体験試乗


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さらなるフロンティアの追求
統合的視点からの理解

深海調査研究船「かいれい」船内にある無人探査機「かいこう」の操縦室
海洋都市横浜うみ博〜海でつながる街・横浜〜 大さん橋 2016.07


未知の領域が多いという海の世界。

海を理解することは、地球と私たちの将来を守ることにつながり、

海洋・地球・生命の統合的視点からの理解に挑戦してきたJAMSTECでは、

年間2,000にも上る論文を提出するといいます。



未知の領域を解明していくためには、物理や生物、化学、地学、地球史、

情報技術など多岐にわたる分野の知見や視点が求められるそうですが、

その教育の根底には、海に親しみことで海に興味をもち、海を利用して、

海を守る、海と人との共生にあるといいます。



その一方、日本は科学に対する関心が乏しいといわれ、その原因として、

初等教育における理科への興味喚起の不足や、

分野別教育が実態に合わなくなっていることが挙げられ、

新たな切り口からの教育が求められているようです。



これまで日本は、物事に取り組む際にルール遵守を求めてきたことから、

日本人はルールから逸脱することに苦手となり、今後、

ルール通りにやっていては、さらなるフロンティアの追及はおぼつかないようです。



その為には、教科書通りにできたことを評価するだけでなく、

教科書にないテーマを見出せることへの評価も大切なよう。



※さらなるフロンティアの追求 〜海洋科学技術の未来とそのビジョン〜
 パネルディスカッション
 ・川口淳一郎 先生 (JAXA シニアフェロー)
 ・成毛眞 先生 (元マイクロソフト日本法人社長)
 ・織田洋一 先生 (三井物産戦略研究所 シニアプロジェクトマネージャー)
 ・窪川かおる 先生 (東京大学 特任教授)
 ・竹内薫 先生 (サイエンス作家)
 ・堀田平 先生 (JAMSTEC 開発担当理事)
 平成27年度 海洋研究開発機構 研究報告会
 JAMSTEC2016 さらなるフロンティアを求めて 東京国際フォーラム 2016.03



○人類の未来を切り開く地球深部探査船「ちきゅう」

○海運が支える日本の豊かな暮らし


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新しき海へ
未知の経験から新しい洞察を手に入れる

NADIEN(ナディーン) 葉山鐙摺ヨットクラブ
2016夏のヨット・クルージング(5日間)は貴重な経験でした
葉山港の皆様に感謝申し上げます


1882年3月、37歳のニーチェは、ふと思いついて旅に出ます。

当時、避寒のため滞在していた北イタリアのジェノヴァを離れ、

ニーチェが目指したのはシチリア島のメッシーナ。



ジェノヴァから帆船でシチリアに旅立ったニーチェは、

しばらくして、一篇の詩を作りノートに書き留めています。

のちに「新しき海へ」という表題で発表されるこの詩は、

当初、「新しきコロンブス」と名づけられていました。



アメリカ大陸を発見したコロンブスはジェノヴァ生まれ。

ニーチェは、ジェノヴァという地名が惹き起こす連想に誘われて、

ジェノヴァで冬を過ごした自らを哲学におけるコロンブスになぞらえ、

誰も踏み込んだことのない未知の経験へと足を踏み入れ、

新しい洞察を手にいれることへの期待を書き記したようです。



ニーチェ自身、自分の思想が新しさゆえにアクチュアリティ(現実性)を

獲得するまでには、少なくとも200年の歳月が必要であると語っています。



しかし、ニーチェが去った1900年からわずか百年余りしか経っていない今日、

ニーチェの思想は、アクチュアリティを早くも手に入れ、

現代思想によって受容され、消化されて、

歴史的文脈の内部に位置を与えられているように思えます。



※知の教科書 ニーチェ 清水真木 講談社選書メチエ 2003
 プロローグ−新しき海へ 哲学史のコロンブス P5〜6



○汽笛を遠くに聞きながら|夏の葉山⇔伊勢湾ヨットクルーズ 2013

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


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参  考  情  報


○Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ

○パレスチナ情報センター

○葉山鐙摺ヨットクラブ - Hayama Abuzuri Yacht Club

○Imagebase: Free Stock Photography

○フリー百科辞典Wikipedia

○ニーチェを学ぶ人のために 青木嘉隆 世界思想社 1995

○知の教科書 ニーチェ 清水真木 講談社選書メチエ 2003

○ニーチェ入門 生を肯定する哲学 ハヴロック・エリス,
 山本規雄(訳) 2010

○ツァラトゥストラはこう言った(上・下) ニーチェ 氷上英廣(訳)
 ワイド版岩波文庫 1995

○ツァラトゥストラ ニーチェ, 西研 NHK「100分de名著」ブックス 2012

○ニーチェの著作
 ・悲劇の誕生 1872
 ・反時代的考察 1873〜1876
 ・人間的な、あまりに人間的な 1878
 ・曙光 1881
 ・悦ばしき知識 1882
 ・ツァラトゥストラはこう語った 1883〜1885
 ・七つの序文 1886〜1887
 ・善悪の彼岸 1886
 ・道徳の系譜学 1887
 ・ヴァーグナーの場合 1888
 ・偶像の黄昏 1889
 ・反キリスト者 1895
 ・ニーチェ対ヴァーグナー 1895
 ・この人を見よ 1908

○ドイツ哲学の系譜
 佐藤康邦 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授
 湯浅弘 先生 放送大学客員教授・川村学園女子大学教授
  9章 ニーチェの伝統批判
 10章 ニーチェの生肯定の哲学
 11章 ニーチェと20世紀の思想

○近代哲学の人間像('12)
 佐藤康邦 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授

○哲学への誘い
 佐藤康邦 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授

○哲学は面白い! 2015.07
 杉田正樹 先生 関東学院大学人間環境学部 教授
 ・内容
  「面白い」とは?
  哲学とは?
  モンテーニュの哲学観
  学校哲学の問題点
  考えることの面白さ
  「子どもの哲学」面白さ
  マンパンマンの哲学
  哲学は楽しい:ホラにつきあう
 ・放送大学神奈川学習センター

○ベルクソン=時間と空間の哲学 中村昇 講談社選書メチエ 2014

○権力の館を考える 御厨貴 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授
 13章 ペルセポリス/権力の劇場 放送大学教授 高橋和夫 先生

○世界文学への招待('16)
 主任講師 宮下志朗 先生 放送大学特任教授
        小野正嗣 先生 立教大学教授
 7章 現代パレスチナ文学−魂の破壊に抗する文学
    岡真理 先生 (京都大学教授)

○夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録 V.E.フランクル,
 霜山徳爾(訳) みすず書房 1985年

○世界の名作を読む 放送大学
 主任講師 工藤庸子 先生 東京大学名誉教授

○わたしの修業時代 シドニー=ガブリエル コレット,工藤庸子(訳) ちくま文庫

○舞台芸術への招待('11)
 主任講師: 青山昌文 先生 放送大学教授

○ゴーギャン展 国立近代美術館 2009.7.3-9.23

○エル・グレコ展 El Greco's Visual Poetics
 東京都美術館 2013年1月19日(土)〜4月7日(日)

○カラヴァッジョ展 2016.04
 バロックという新時代の美術を開花させる原動力
 国立西洋美術館

○アフォリズム(Aphorism)
 物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。警句・金言

○JAXA相模原キャンパス 特別公開 2016.07
 ・最新研究成果の紹介
 ・銀河連邦物産展 ほか

○海洋都市横浜うみ博〜海でつながる街・横浜〜 2016.07
 ・会場 大さん橋ホール
 ・主催 海洋都市横浜うみ協議会

○夏のヨット・クルージング(5日間) 2016.08
 葉山⇒下田(東伊豆)(約8時間)
 下田⇒安良里(西伊豆)(約4時間)
  葉山港にゆかりのあるヨット、リブランス・ポコロコ・イマジン・
  トクヨ・ナディーンが安良里に集合。楽しいひと時を過ごすことができました。
 安良里⇒清水(台風の影響により伊東に変更)(約9時間30分)
 伊東⇒葉山(約5時間)


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