哲学からみた人間理解

自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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万物の起源は水である
人類最初の哲学者タレース



紀元前6世紀、当時のギリシアの人々は、自然を理解するにあたって

神話と結びつけるのが一般的であり、太陽はアポロンと結びつけ、

海原を眺めればポセイドンを想い出し、雷が鳴ればゼウスのお告げ

を読み取ったといいます。



そのような時代に活動した哲学者タレースは「万物の起源は水である」

と語ったとされます。このような発想は当時の人々からみれば、

驚くべき革新的なことだったのでしょうね。



水は今日においても生命の源であり、

氷などの「固体」・雨などの「液体」・雲などの「気体」といった

物質の三態を私たちに身近に示してくれるものであり、

タレースが自然の起源を水と捉えたことは、納得できる真理が含まれているよう。



タレースは、プラトンやソクラテスより以前の紀元前6世紀、

イオニアのミレトス(当時ギリシアの植民地、現トルコ・アナトリア)で

活動した人類最初の哲学者とされます。



紀元前5世紀(約100年後)の歴史家ヘロドトスによれば、タレースは日食を予言し、

また、ピラミッドの高さを実測によらず三角法を用いて示した人物とされ、

そこには、バビロニアの天文学やエジプトの測量術の影響が認められるそう。



タレースは、自然の個々の領域についての知識をもっているだけでなく、

自然が全体として何であるかを考えたことで、哲学者としてふさわしい存在とみなされ、

彼に続く哲学者は自然哲学者と呼ばれています。



○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


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魂の目によって見ることができる
イデア

 左:プラトン 右:アリストテレス
アテナイの学堂(Scuola di Atene)(部分) ラファエッロ・サンティオ バチカン


古代ギリシアの哲学者プラトンは、

ソクラテスの弟子、そしてアリストテレスの師に当たるといいます。



「真理」や「理念」と訳されるイデア(Idea)は、プラトン哲学の中核をなす概念であり、

ギリシア語では「見える姿」「見える形」という意味があるそうです。

それは、肉体の目によって見ることができるものではなく、

魂の目によって見えることができるとされています。



プラトンは「イデア」を「エイドス(eidos)⇒形相」、

または「ウーシア(ousia)⇒実体・真実在」ともいい、

いずれも私たちが肉体のうちに具えている感覚を超えた知性によって

捉えることのできる知識だとしています。



○そよ風に乗ってローマの街並みへ


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ものごとは心で見なくてはよく見えない
いちばん大切なことは、目に見えない

サン=テグジュペリが砂漠の中継基地キャップ・ジュビー
滞在中に飼っていたという「フェネック」


サンテグジュペリの童話「星の王子さま」。

キツネと出会った王子さまは、「おいで、僕と遊ぼう」とキツネに声をかけます。



  君とは遊べない。なついていないから。


  なつくってどういうこと。


  ずいぶん忘れられてしまっていることだ。それはね、絆を結ぶということだよ。

  君はまだ、僕にとっては、他の十万の男の子と何も変わない男の子だ。

  だから、僕は別に君がいなくてもいい。

  君も、別に僕がいなくてもいい。

  君にとっても僕は、他の十万のキツネとなんの変わりもない。

  でも、もし君が僕をなつかせたら、僕らは互いに、なくてはならない存在になる。

  君は僕とって、世界で一人だけの人になる。

  僕も君にとって、世界で一匹だけのキツネになる。



  なつかせたもの、絆を結んだものしか、本当に知ることはできないよ。

  人間たちはもう時間がなくなりすぎて、

  ほんとうには、何も知ることができないでいる。

  なにもかもができあがった品を、店で買う。

  でも友だちを売っている店なんてないから、

  きみも友だちがほしいなら、ぼくをなつかせて!



 どうすればいいの。



 我慢強くなることだ。


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臨済宗の思想
仏が語られた言葉のその奥にある心

舎利殿(国宝)特別公開 2012.5.5
臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺


栄西(えいさい:1141-1215年)によって日本に伝えられたという禅宗。

しかしその後、法系は途絶えてしまい、今日の臨済宗のほとんどは、

中興の祖と呼ばれる江戸時代の白隠禅師(はくいんぜんじ)の流れを汲むとされます。



臨済宗の特徴は、

公案(修行者に課せられる問題)を用いて修行していくことにあるそうです。



公案集の一つである「無門関(むもんかん)」は、

中国南宋時代の禅僧・無門慧開(むもんえかい:1183-1260年)によって

1228年に成立した悟りへの入門書だそうで、古来の公案の内から48則を厳選し、

それに対して評釈などを加えたものだといいます。



※無門関 第一則 趙州狗子(じょうしゅうくす)


  趙州和尚(じゅうしゅうおしょう)、因(ちな)みに僧問う。

  狗子(くす⇒犬)に還って仏性有りや也(ま)た無しや。

  州云く、無。


  修行僧は趙州和尚(じょうしゅうおしょう)に質問した。

  命あるものすべては仏性を持っているといわれますが、

  犬にも仏性はあるのでしょうか。

  趙州和尚は「無い」と答えた。




この「無い」とは何かが問題として修行者に与えられるそうです。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○花を忘れまい|北条時宗が開いた北鎌倉の座禅道場 円覚寺


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人間性の完成を目指す学問
人文主義

叡智的なものへの愛にかられ、肉体を奴隷と感じているとみなされる
「反抗の奴隷」 ミケランジェロ ルーヴル美術館


人文主義はラテン語のフマニタス(humanitas)の訳語だそうで、

英語ではヒューマニズム(humanism)にあたるそう。



ルネッサンス期におけるヒューマニズムは、人間という意味の

ホモ(homo)の研究を指し、古代ギリシア、ローマの古典文献を

通じて人間性の完成を目指す学問であったといいます。



新プラトン主義によれば、この世界は、

最高位にある無制約的存在者から流出してできたものであり、

この一者(トヘン)から距離に従って階層秩序をなすものとして捉えられています。



最高位には「一者(トヘン)⇒神」、

次に「理性(ヌース)⇒天使」、

さらに「魂(プシュケー)⇒人間」と続くとされ、

この「魂」が物体的なものである「質料(ヒュレー)」と結合して「有機体身体」が構成される。

そして最下位の所には「質料」のみがあり、それは暗黒の世界だといいます。

流出してきたものは、自らの源泉である「一者」のもとへと立ち返ることを乞い願う。

そこで「魂」は、叡智的なものへの激しい愛にかられる時、

物体的なものとの混合物である肉体を自らにとっての牢獄と感じるに至るといいます。


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真言密教の思想
人間の心の到達できる最高の境地

 不動堂(国宝) 高野山真言宗総本山金剛峯寺


中国より真言密教を伝えたという日本真言宗の開祖 空海。

密教とは、空海が記したとされる「弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)によると、

釈尊が説いた経典はすべて顕教(けんきょう)の仏教であり、

密教は、仏が相手をおもんばかることなくすべてを包み隠さず明らかにしたもので

顕教の限界を超える優れた教えなのだそうです。



空海の思想が記されているという「秘密曼荼羅十住心論」は、

人間の心を10段階に分け、

それぞれ当時の代表的な思想を配置することによって体系化を行い、

真言密教こそが人間の心の到達できる最高の境地としています。



○秘密曼荼羅十住心論

 第一住心 異生羝羊心 (いしょうていようしん)  煩悩にまみれた心
 第二住心 愚童持斎心 (ぐどうじさいしん)  道徳の目覚め・儒教的境地
 第三住心 嬰童無畏心 (ようどうむいしん)  超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地
 第四住心 唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)  小乗仏教・声門の境地
 第五住心 抜業因種心 (ばつごういんしゅしん)  小乗仏教・縁覚の境地
 第六住心 他縁大乗心 (たえんだいじょうしん)  大乗仏教・ 法相宗の境地
 第七住心 覚心不生心 (かくしんふしょうしん)  大乗仏教・三論宗の境地
 第八住心 一道無為心 (いちどうむいしん)  大乗仏教・天台宗の境地
 第九住心 極無自性心 (ごくむじしょうしん)  大乗仏教・ 華厳宗の境地
 第十住心 秘密荘厳心 (ひみつしょうごんしん)  真言密教の境地



第一住心の「心異生羝羊心(いしょうていようしん)」は、

人間であるにもかかわらず、ただ食事やセックスのことしか考えていない

本能のままに生きるあり方で、人間以外の動物と変わらない状態を指し、

第二住心の「愚童持斎心(ぐどうじさいしん)」は、日頃の自己の生き方を反省し、

社会のために役立つ人間になりたいと思い立つようなあり方だとされます。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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「肉体への愛」と「イデアへの愛」が託された
ヴィーナスの誕生

ヴィーナスの誕生 サンドロ・ボッティチェルリ ウフィツィ美術館


ルネサンス期のイタリア・フィレンツェに生まれた

サンドロ・ボッティチェルリの代表作「ヴィーナスの誕生」。



「ヴィーナス」は、ローマ神話に登場する愛と美の女神。

絵画は、地上に存在する肉体への愛という性格を持つ一方、

天上のイデア界への愛という側面があるといいます。



プラトンは、イデア界への愛を美しい人への愛に例えて説明しています。



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅

○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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真実・実体である
考える私

フランスの哲学者 ルネ・デカルト(Rene Descartes、1596-1650)
ルーヴル美術館


「近代哲学の父」とも呼ばれるルネ・デカルトは、数学史における天才であり、

算術と幾何学とを統一する「普遍数学」の体系化を試み、

独創的な発見を行ったことでも知られます。



ある時、デカルトは人間の認識能力一般を疑うとともに、

一切の事物の存在の確かさにも疑いを向けるようになります。



私たちが目で見、手で触れていることによって知っている対象の知識は、

本当に確かなものであろうか。

それは、いつも錯覚の危険にさらされているのではないだろうか。



全てを疑い続け、その極限に達した時、

「こうして考えている私というものは存在しているという思いは去らない」という

「われ想う、ゆえにわれ有り(cogito ergo sum)」の境地に至り、

思惟する私(考える私)が、明晰判明(めいせきはんめい)に考えた

ことならば真実であるはずだという思想を導き出します。


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深く、恐ろしく
真実を語るものであれ

近代彫刻の父 フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン
(Francois-Auguste-Rene Rodin、1840年-1917年)


肝心なのは、

感動すること、愛すること、望むこと、身ぶるいすること、生きること。



深く、恐ろしく真実を語るものであれ。

自分の感じることを表現するのに決してためらうな。



おそらく最初君たちは理解されまい。



けれどもひとりぼっちであることを恐れるな。

友はやがて君たちのところに来る。



なぜといえば、一人の人に深く真実であるものは、

いっさいの人にもそうなのだから。



※オーギュスト・ロダン 「ロダンの言葉」 高村光太郎



○近代彫刻の父 オーギュスト・ロダン


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「リヴァイアサン」にみる人間理解
知識の成立

旧約聖書に登場する怪物 リヴァイアサン
ポール・ギュスターヴ・ドレ


イギリスの哲学者トーマス・ホッブズの最も知られた著作「リヴァイアサン(1651)」。

リヴァイアサンは、旧約聖書・ヨブ記などに出てくる海中に棲む巨大な怪物。



ホッブズは、国家(コモンウェルス)をこの怪物にたとえて、その正体を明らか

にしようとしますが、それ以前に、国家を形づくる個人としての人間について

考察しています。



ホッブズは人間の知識の成立について、感覚(センス)の段階に遡って分析しますが、

センスとは、対象的物体が感官(感覚)に与えた圧力が頭脳と心臓に

伝達されて生じる、外的実在に関する想像(ファンシー)のことだといいます。

それが人間の目なり、耳なり、皮膚などの感官に受容されると、

心には色、光、感覚、熱などというファンシーとして知覚されます。



また、人間は眼前の対象が取り去られても、

その対象についての意識が残りますが、これを心像(イメージ)と呼び、

一つのイメージが他のイメージを呼び起こす連想作用が

私たちには備わっているといいます。



個々の感覚(センス)や心像(イメージ)を言葉に表現しようとすることを理性(リーズン)といい、

この理性によって学問(サイエンス)が形成されると指摘します。


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意欲の対象が善であり、嫌悪の対象が悪である
自然権

イングランドの哲学者 トーマス・ホッブズ(Thomas Hobbes、1588-1679)


ホッブズの人間の実践についての考察では、実践に臨む個人の意思を、

もっぱら自己保存へと方向づけられた情念(パッシオン)に支配されたもの

とみなしています。



人間は、自分の生存にとって都合の良いものが意欲の対象となり、

都合の悪いものが嫌悪の対象となる。

ここでは、法律も国家も存在する以前の自然状態が想定されており、

この一見全く利己的なあり方も自然から個人に平等に与えられた権利、

自然権(ナチュラルライト)であるとします。



しかし、このような利己的情念が制御されない自然状態では、

個人同士は戦争状態に置かれることになってしまい、

そこでは、力と欺瞞のみが支配し、人々の間には正義も財産も安らぎもなく、

自然権はかえって損なわれることになってしまいます。



しかし、その死の恐怖のなかで人間の理性が目覚め、この理性に従って、

各人は、自分の自然権の一部を断念して、契約を交わし、法を作り、

それに基づいて国家(コモンウェルス)を作る決意をしたとされます。


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人間の最大の悲惨
「気晴らし」なしではいられないこと

フランスの哲学者 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623-1662)


フランスの哲学者、数学者としても知られるブレーズ・パスカルは、

39歳という短い生涯を過ごします。

パスカルの遺稿である「パンセ」は、フランス語で「考える」という意味があるそう。



※人間の気晴らし 「パンセ」 ブレーズ・パスカル


  彼らが気晴らしをしているものを取り除いてみたまえ。

  彼らは退屈のあまり身をすり減らしてしまうだろう。

  そこで彼らは、そうとは気がつかないまでも、自分の虚無を感じるだろう。

  自分というものを眺めるほかなく、そこから気晴らしをすることができなくなるや、

  堪えがたい悲しみに陥ることこそ、まさに不幸であるからである。





権勢を誇る国王でさえも、自分の荘厳な栄光を眺めて満足するより、

臣下と催す舞踏会のためにダンスのステップを上手にとることの方に

心が占められていると指摘します。



仮に国王を一人ぼっちにし、何の気晴らしも与えないでおいたら、

彼はみずからの虚無に向かい合う悲惨な人間に陥ってしまうため、

そのような状態を避けるようにと細心をつくし、その役目を果たすならば、

他愛ない遊びであろうと、重大な国務であろうと同じことのようです。



このようなパスカルの言葉は、日々スマートフォンにしがみつき、

イベントに群れ集う現代人の心のありようをえぐりだしているようにも見えます。



○仕事や心配事に集中している気持ちを紛らわせる活動|気晴らし

○自分の専門に閉じこもることを拒否するオネットム(紳士・教養人)の普遍性

○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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ひ弱な存在でありながら、宇宙を包み込む尊さ
人間は考える葦である

パンパスグラス(しろがねよし)


人間は一本の葦(あし)にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。

しかし、それは考える葦である。

彼らをおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。

蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。

だが、たとえ宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。

なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。

宇宙は何も知らない。



※「パンセ」 206 ブレーズ・パスカル



○季節のうつろいに触れて|夏から秋への移ろいを感じる9月


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「感情」を重要視した18世紀スコットランド哲学
善による快の感情・悪による不快の感情

 スコットランドの哲学者 デイヴィッド・ヒューム(David Hume、1711-1776)


18世紀にスコットランドに生まれた哲学者、テイヴィッド・ヒューム。

この時代のスコットランドは、ヒューム以外に、フランシス・ハチスンや

アダム・スミスという哲学者を輩出したといいますが、その共通する特徴は、

「感情」というものをとりわけ重要視したことが挙げられるそうです。



道徳の問題が扱われているヒュームの「人生論」第三編では、

道徳的善悪の区別は理性に起因するのではなく、

道徳感官(モラル・センス)に起因するものであり、

善によって快の感情がもたらされ、悪によって不快の感覚がもたらされる

ということこそが重要な要件であると明言しています。



○イングランドとの戦いの歴史を刻んできたスコットランド

○英国500年の美術に触れるテート・ブリテン|ありのままの人間の営み


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目新しい自然対象が
私たちの心に及ぼす作用

 イギリスの経済学者・神学者・哲学者
アダム・スミス(Adam Smith、1723-1790)


「国富論」は経済学の分野での最高の古典であり、

偉大な経済学者として知られるアダム・スミス。

しかし、スミスは初めから経済学者であったわけではなく、

哲学全般に関する研究者であり、教授であったといいます。



若き日の著作である「天文学史」では、目新しい自然対象が私たちの

心に及ぼす作用を分類・分析しています。



想像力が容易にその仕事をなし遂げられないような事態に遭遇した時に、

私たちは「驚愕(きょうがく)」を感じる。

そして、最初の「驚愕」が去った後にも、「なぜ」という「疑惑」の念は去らずに残る。

この「疑惑」の感情を解消するために、事象と事象との間に想像力を満足させるに

足る理論を橋を架けることが新しい天文学節の樹立を促す。



スミスにとって、ニュートンの架けた橋は、

完成の極みに達した人々の「感嘆」を呼び起こすものであったよう。



※目新しい自然対象が私たちの心に及ぼす作用
  驚愕 ⇒ 疑惑 ⇒ 感嘆



○万有引力を発見したニュートンの林檎|小石川植物園


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自愛心を超える共感
感情を一つにする

スコットランド エディンバラにあるアダム・スミス像
Statue of Adam Smith, High Street, Edinburgh


「共感」という言葉は、英語のシンパシー(Sympathy)の訳語であり、

ギリシア語で「感情」を意味する「パトス」を一つにするという意味があるといいます。



ともすれば、感情は自分が可愛いという自愛心によって支配され、

快いものを好み、不快なものを嫌うというのが基本傾向だといいますが、

スミスは、感情のなかに単なる自愛心を超える「共感」というものを見出します。



○共に居ること、創ること|周囲から影響を受け、影響を与えてきたイギリス

○世界に広がるイスラーム|共存に向けて橋を渡し、お互いを知る


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道徳感情論にみる
見えざる手

産業革命の原動力となった蒸気機関


アダム・スミスの有名な言葉である「見えざる手(invisible hand)」は、

国富論のほか、道徳感情論の中にも見られるそうです。



※金持ちの贅沢の効用 「道徳感情論」 アダム・スミス


  金持達は、貧乏人に比べてほんの少し多く消費するに過ぎないのであるし、

  また、彼らの生来の利己心と貪欲にもかかわらず、つまり彼らは自分自身の

  便宜を図っているだけに過ぎないにもかかわらず、そして、彼らが雇っている

  幾千の人々の労働にもとづいて目指している唯一の目的が自分自身の空虚で

  強欲な欲望の充足でしかないにもかかわらず、彼らは、自分が行う改良の

  すべての成果を貧乏人と分かち合うのである。

  金持達は、見えざる手に導かれて…生活必需品の分配をするであろうし、

  その結果、意図することなく、知ることなく、社会の利益を促進し、

  種の繁栄の手段を提供することになるのである。





お金持ちの贅沢は世間の良識から避難の的とされがちですが、

どんなグルメの金持ちであろうと、他人の何倍も食べられる訳ではありません。

グルメの美食も回り回ってそれに関する多くの人々の財布を潤すことになり、

そうであってみれば、そう目くじらをたてるほどのものではないようです。



○明日への架け橋|新しい芸術 アール・ヌーヴォーの時代


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人間のどのような能力によって
真理の認識は可能になるか

18世紀ドイツの哲学者 イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724-1804)


フランス革命を迎える啓蒙の時代を生きた

ドイツ(当時、東プロイセン)の哲学者イマヌエル・カント。

カントの哲学体系は、「純粋理性批判」・「実践理性批判」・「判断力批判」という

三つの批判書から成り立っていますが、

基本的には人間の心の働きを「認識」・「意欲」・「感情」に分け、

それぞれは「真理」・「善」・「美」を主題として構成されています。



これら「真理」・「善」・「美」の問題を、

「真理を認識する私」・「善を意欲する私」・「快を感じる私」

の側面から探究する姿勢がとられています。



○純粋理性批判
 ・対象とする心の働き ⇒ 認識
 ・主題 ⇒ 真理の探求
 ・探究姿勢 ⇒ 真理を認識する私

○実践理性批判
 ・対象とする心の働き ⇒ 意欲
 ・主題 ⇒ 善の探求
 ・探究姿勢 ⇒ 善を意欲する私

○判断力批判
 ・対象とする心の働き ⇒ 感情
 ・主題 ⇒ 美の探求
 ・探究姿勢 ⇒ 快を感じる私



探究するにあたって、例えば「純粋理性批判」では、真理とは何かというような問いが

なされるのではなく、科学による自然の真理の認識が人間のどのような能力によって

可能になるのかというように問われ、このように従来とは逆転した観点を取ることを、

カントは「コペルニクス的転回」と呼んでいます。


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真理の認識に至るまでの
プロセス

地動説の図


認識の出発点として、認識対象によって心が触発されるという契機があり、

カントはこれを「直感」と呼んでいます。

「直感」は、私たちの感覚器官(感官)が受け入れた外的物体による刺激が

心に受容されるということであり、受動的であるといいます。



次に「直感」されたものについて思惟する(しいする⇒考える)段階となり、

その機能を「悟性(ごせい)」と呼んでいます。

「直感」が受動的であったのに対して、「悟性」は能動的であるとされます。



認識の成立のためには、「直感」と「悟性」の二つの能力だけでなく、

この二つの能力を橋渡しする「構想力(イマジネーション)」が必要とされ、

それは、眼前に存在しない対象を再生するとともに、

多様な「直感」を「像」へと綜合する働きが託されているといいます。

この働きを「産出的構想力」と呼び、言語による「判断」を図式化した

ものを通して、私たちは真理を認識するに至るといいます。



※純粋理性批判

 @認識対象による心への刺激

 A認識対象を心に受容する
  ⇒直感「アプリオリ(経験に先だって生得的」
  ・受動的
  ・外的直観(心の外のものの直感)
   ・外的感官(心の器官)
   ・空間(私たちの心にある諸事物が並存することを可能にする形式
  ・内的直感(心自身についての直感)
   ・内的感官(心の器官)
   ・時間(私たち自身の心の状態を直感する形式)、継続的、無限に進む一本の線
  (ニュートンの「絶対時間」「絶対空間」との共通性)

 B直感したものについて考える
  ⇒悟性
  ・能動的
  ・主語・述語の言語形式に従う
  ・「悟性」に帰属する能力は「判断」の能力
  ・多様な表象
  ・判断表
   ・定言的判断
   ・仮言的判断
  ・カテゴリー表(アプリオリな総合判断)
  ・自我の同一性
   ・超越論的統覚(純粋統覚)、悟性の中心の場所に座を占める

 C多様な直感を綜合し、言語による判断を図式化する
  ⇒構想力・判断力
  ・産出的構想力
  ・図式(言語による判断を図式化したもの)

 D真理を認識する


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悟性の中心に据える
自我の同一性

カントが教授を務めたケーニヒスベルク大学
1930年撮影


「私は考える」という意識が、すべての私の表象には伴わなければならない。

※Kant, Kritik der reinen Vernunft, B 121 (カント 純粋理性批判 第二版 121頁)



自我同一の意識、自分が自分であるという意識があって、

はじめて対象認識も可能になるといいます。


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I am one with the wind and sky
「忘却巡り」の旅に出る

NADIEN 葉山鐙摺ヨットクラブ


私達はなにか大切な忘れものをしてはいないだろうか。

気がつかないまま先に進んでしまったり、ホントは気がついているのに、

知らないふりをして立ち去ったり。

そういう「忘却」の領域に反応する芸術表現がある。表現者がいる。



ヨコハマトリエンナーレ2014は、人生のうっかりした忘れもの、

人類の恒常的な忘れもの、現代という時代の特殊な忘れものを思い出すための、

いわば「忘却巡り」の旅である。



さまよい、とまどい、はっと感じとり、いろいろ想像し、

そしてしばし立ち止まって考える。



いざ、「忘却の海」へ。



※ヨコハマトレエンナーレ2014 アーティスティック・ディレクター 森村泰昌



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay


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人生の美しい意味を見出す
愛と孤独

Clark E. Moustakas 2006 (1923 - 2012)


※愛と孤独 クラーク・E・ムスターカス 片岡康・東山鉱久(訳) 創元社



  この本は、机上の考えをまとめたものではなく、

  私自身の心の旅を経て出来上がったものである。



  喜びに震え、美しさに感激し、驚きに言葉を失ったあの時。

  人々との会話に鋭い非難の矢を感じた時。

  病や死を目の前にしたあの時。

  偽られ、裏切られて人を信ずることができなくなり、人間的な魂を失った時。



  そんな様々な私の体験を掘り下げ、その意味を探求する旅を経て、

  この本は出来上がった。



  静寂に身を任せ黙想し、自分自身と自然とを相手に、

  沈黙の対話を行うことによって、私は、芸術、音楽、文学、そして

  人々の出会いのなかに人生の美しい意味を見出せるようになった。



  そのおかげで、私は今、どんな時でも、本来の自分を取り戻し、

  人間的な魂を大切にして、力強く勇気を持って日々の暮らしに

  戻ってゆくことができる。



  自分自身で選択し、決定し、行動しなければならないような時、

  自分の感受性を心から信じる度胸を私に与えてくれ、

  人間の潜在力と人類愛への信念とを抱きつづけてゆく勇気を

  私に与えてくれた「自分自身」に、私は感謝の念で一杯である。



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


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現在自分が持っている知識を一旦超えて
我が身を振り返って明らかにする

カントが過ごした東プロイセン・ケーニヒスベルクは、
現在、ロシア・カリーニングラードになっています (画像は2013年)


カントは自らの哲学を超越論的哲学と呼んでいますが、それは、

この世界を認識する主観としての私の探求にあたって、まず自分が現在持っている

この世界についての具体的知識を一旦超越し、認識活動がどのような条件のもとで

行われているのかを、我が身を振り返って明らかにすることを指しています。



○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ


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物事をはっきり区別する意味がある
「批判」

ロシアのカリーニングラードにあるカント像


「純粋理性批判」は、その使命が、私たちの心の能力を明らかにするとともに

その限界を明らかにすることであることから「批判哲学」とも呼ばれます。



「批判」の言語、クレティーク(Kritik)は、

ギリシア語の「物事をはっきりと区別する」という意味のクリシス(Krisis)に行き着き、

批判哲学という時の「批判」はそこに由来するそうです。


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私たちの心の能力の限界を
明らかにする

カントのお墓
Kant's tomb in Kaliningrad, 2007


カントは「批判哲学」において、

人間の認識能力の限界を厳格に定めることを要求しています。



それは、「理性」を高揚させ、「理性」に自信を与えるものは、

自らの能力を過大視することではなく、

逆に、「理性」が自らの限界をわきまえ、

それによって詭弁(きべん:一見正しそうに見えるが誤っている論理)

の越権行為を制限するよう自覚することだと指摘します。


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曹洞宗の思想
自我意識を捨てる心身脱落

曹洞宗大本山總持寺 大祖堂(横浜市鶴見)
二祖 峨山韶碩禅師 650回大遠忌 正当 2015.10


曹洞宗の宗祖・道元は、1200年に京都の貴族の名門に生まれたといわれ、

早くに父と母を亡くしたことから世の無常を感じて仏門を志したといいます。

14歳で比叡山にて勉学に励み、一つの疑問に出会います。



  顕密二教(けんみつにきょう)ともに談ず、本来法性、天然自性と。

  若しくかくの如きんば、即ち三世の諸仏、なにによりてか更に発心して菩提を求むるや



  顕教・密教ともに、仏教においては人間はもともと仏性を持ち、

  そのままで仏であると教えているはずだ。

  それなのに、われわれはなぜ仏になるための修行をせねばならないのか?




道元はこの疑問を比叡山の学僧たちにぶつけますが、

誰も満足な答えを与えてくれません。

そこで彼は比叡山を下りて、諸方の寺々に師を訪ねて歩きます。

それでも求める答えが得られないので、ついに彼は宋に渡ります。

道元が24歳のときでした。



けれども、宋においても、なかなかこれといった師に出会えかった。

道元は諦めかけて日本に帰ろうとしますが、そのとき、

天童山に新たに如浄(にじょう)禅師が人住されたことを聞き、天童山を再訪します。



1225年のある日、大勢の憎が早暁坐禅をしているとき、

1人の雲水が居眠りをしていたのを如浄が叱り警策(けいさく)を加えます。



  参禅はすべからく身心脱落なるべし。

  只管(しかん)に打睡していん恁麼(なに)を為すに堪えんや



  何のために坐禅をするかといえは、身心脱落のためだ。

  それを、おまえはひたすら居眠り(只管)ばかりしている。

  そういうことで、どうなるというのだ。




道元は、その瞬間に悟りが開けたといわれます。



では、「身心脱落」とは、どういうことでしょうか……?

われわれはみんな、〈俺が、俺が……〉といった意識を持っています。

〈わたしは立派な人間だ〉〈わたしは品行方正である〉と思うのが自我意識です。

一方で、〈わたしなんて、つまらない人間です〉というのだって自我意識。

自我意識があるから、自分と他人をくらべて優越感を抱いたり、

劣等感にさいなまれたりします。



そういう自我意識を全部捨ててしまえ!というのが「身心脱落」です。



※「心身脱落」「只管打座」 〜 道元のたどりついた悟りとは
  ひろ ちさや 先生|PHPオンライン 衆知|PHP研究所
※[新訳]正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある
 道元, ひろ さちや (訳) PHP 2013年



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


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私たちに備わる
存在の根本原理を追究する素質

アンドロメダ銀河


私たちの知性は、直感と悟性との二つの段階を経て

対象の認識に到達すればよいという所には止まらない知的素質、

すなわち、存在の根本原理を追求しようとする形而上学(けいじじょうがく)

の領域に突き進まずにはいられない「衝動」が備わっているといいます。


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さらなるフロンティアの追求
総合的視点からの理解

「ちきゅう」就航10周年記念イベント
地球深部探査船「ちきゅう」一般公開 2015.11


未知の領域が多いという海の世界。

海を理解することは、地球と私たちの将来を守ることにつながり、

海洋・地球・生命の総合的視点からの理解に挑戦してきたJAMSTECでは、

年間2,000にも上る論文を提出するといいます。



未知の領域を解明していくためには、物理や生物、化学、地学、地球史、

情報技術など多岐にわたる分野の知見や視点が求められるそうですが、

その教育の根底には、海に親しみことで海に興味をもち、海を利用して、

海を守る、海と人との共生にあるといいます。



その一方、日本は科学に対する関心が乏しいといわれ、その原因として、

初等教育における理科への興味喚起の不足や、

分野別教育が実態に合わなくなっていることが挙げられ、

新たな切り口からの教育が求められているようです。



これまで日本は、物事に取り組む際にルール遵守を求めてきたことから、

日本人はルールから逸脱することに苦手となり、今後、

ルール通りにやっていては、さらなるフロンティアの追及はおぼつかないようです。



その為には、教科書通りにできたことを評価するだけでなく、

教科書にないテーマを見出せることへの評価も大切なよう。



※さらなるフロンティアの追求 〜海洋科学技術の未来とそのビジョン〜
 パネルディスカッション
 ・川口淳一郎 先生 (JAXA シニアフェロー)
 ・成毛眞 先生 (元マイクロソフト日本法人社長)
 ・織田洋一 先生 (三井物産戦略研究所 シニアプロジェクトマネージャー)
 ・窪川かおる 先生 (東京大学 特任教授)
 ・竹内薫 先生 (サイエンス作家)
 ・堀田平 先生 (JAMSTEC 開発担当理事)
 平成27年度 海洋研究開発機構 研究報告会
 JAMSTEC2016 さらなるフロンティアを求めて 東京国際フォーラム 2016.03



○人類の未来を切り開く|地球深部探査船「ちきゅう」

○進化するテクノロジー|人間のフロンティア

○持続可能なモビリティ社会を目指して|日産追浜グランドライブ体験試乗

○いのち集まる流域 小網代の森|私たちが生きる地球の持続可能性


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参  考  情  報


○Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ

○日本美学研究所 『プラトンの美学』イデアとは何か

○星の王子さま ウェブサイト

○宇宙情報センター / SPACE INFORMATION CENTER トップページ

○JAMSTEC | 海洋研究開発機構 | ジャムステック

○フリー百科辞典Wikipedia

○近代哲学の人間像('12)
 佐藤康邦 先生 放送大学教授

○ホッブズ―リヴァイアサンの哲学者 田中浩 岩波新書 2016

○ドイツ哲学の系譜
 佐藤康邦 先生 放送大学教授
 湯浅弘 先生 放送大学客員教授・川村学園女子大学教授

○哲学への誘い
 佐藤康邦 先生 放送大学教授

○哲学は面白い! 2015.07
 杉田正樹 先生 関東学院大学人間環境学部 教授
 ・内容
  「面白い」とは?
  哲学とは?
  モンテーニュの哲学観
  学校哲学の問題点
  考えることの面白さ
  「子どもの哲学」面白さ
  マンパンマンの哲学
  哲学は楽しい:ホラにつきあう
 ・放送大学神奈川学習センター

○海洋都市横浜うみ博2016
 〜海でつながる街・横浜〜 大さん橋ホール 2016.07

○201回公開セミナー 深海のトップ・プレデターのはなし 2016.07
 ・講師 河戸勝 先生 (JAMSTEC海洋生物多様性研究分野)
 ・会場 海洋研究開発機構 横浜研究所

○海底資源研究の新たな展開 2016.06
 ・テーマ
  ・海底資源概論
  ・総合海洋科学としての海底熱水鉱床研究
  ・深海底に拡がる鉱物資源 
   マンガンクラスト、ノジュールとレアアース泥の形成場とそのメカニズム
  ・海中ロボット最前線
  ・メタンハイドレート形成論
  ・海底下の生命活動と炭素循環
  ・海洋生態系の観測と評価
  ・海底鉱物資源開発と国際動向
 ・講師 (独)海洋研究開発機構
 ・主催 放送大学神奈川学習センター

○海の動物の観察 2016.06
 ・テーマ
  ・海岸動物の生態観察
  ・海岸動物の形態観察
  ・海岸動物の行動観察
  ・海洋プランクトンの採集
  ・海洋プランクトンの観察
  ・魚の比較解剖
  ・イカの解剖
  ・エビの体のつくりと複眼の観察
 ・講師
  ・種田保穂 先生 放送大学客員教授/横浜国立大学名誉教授
  ・菊池知彦 先生 横浜国立大学教授
  ・水井涼太 先生 横浜国立大学特任教員(講師)
 ・会場 横浜国大附属臨海環境センター
 ・主催 放送大学神奈川学習センター

○公開講座 神奈川の海を学ぶ 2016
 ・テーマ
  ・神奈川の海 -自然・環境・それを取り巻く社会-
   水井涼太 先生
   横浜国立大学 統合的海洋教育・研究センター特任教員(講師)
  ・深海生物の箱庭「相模湾」
   藤原義弘 先生 海洋研究開発機構 海洋生物多様性研究分野 分野長代理
  ・地元の海に潜る -横浜港の海域環境改善の取り組み-
   石井彰 先生 国際トライアスロンシリーズ
   横浜大会組織委員会 環境部会長、横浜市立大学 共同研究員
  ・都市臨海部における自然再生
   古川恵太 先生 統合的海洋教育・研究センター客員教授、
   笹川平和財団、海洋政策研究所 主任研究員
  ・海の境界線を考える− 東京湾・日本・世界 −
   中原裕幸 先生 横浜国立大学 統合的海洋教育・研究センター客員教授、
   海洋産業研究会 常務理事
 ・主催 横浜国立大学 統合的海洋教育・研究センター 
 ・共催 海洋都市横浜うみ協議会
 ・助成 日本財団
 ・後援 横浜市

○JAXA相模原キャンパス 特別公開 2016.07

○自分自身の悟性を使用する勇気を持て
 「啓蒙とは何か(1784)」 イマヌエル・カント


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