個性化の過程

自分が自分になってゆく


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言ってはいけない
残酷すぎる真実

「大きな魚が小さな魚を食う」 1557 版画 ピーテル・ブリューゲル


この社会はきれいごとがあふれている。

人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない−

だが、それらは絵空事だ。往々にして、努力は遺伝に勝てない。

知能や学歴、年収、犯罪歴も例外ではなく、美人とブスの「美貌格差」は約3600万円だ。

子育てや教育はほぼ徒労に終わる。

進化論、遺伝学、脳科学の最新知見から、人気作家が明かす「残酷すぎる真実」。

読者諸氏、口に出せない、この不愉快な現実を直視せよ。



※「言ってはいけない 残酷すぎる真実」 橘玲 新潮新書 2016 書籍案内より




最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。

だから、気分よく一日を終わりたいひとは読むのをやめたほうがいい。

だったらなぜこんな本を書いたのか。それは、世の中に必要だから。

テレビや新聞、雑誌には耳障りのいい言葉が溢れている。

メディアに登場する政治家や学者、評論家は「いい話」と「わかりやすい話」しかしない。

でも世の中に気分のいいことしかないのなら、

なぜこんなに怒っているひとがたくさんいるのだろうか。−

インターネットのニュースのコメント欄には、

「正義」の名を借りた呪詛(じゅそ⇒のろい)の言葉ばかりが並んでいる。

世界は本来、残酷で理不尽なものなのだ。

その理由を、いまではたった1行で説明できる。




ひとは幸福になるために生きているけれど、

幸福になるようにデザインされているわけではない。



※「言ってはいけない 残酷すぎる真実」 橘玲 新潮新書 2016 冒頭より



○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識

○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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もう何もかもが詰まらない
傘屋の吉三

「メランコリー」 エドヴァルド・ムンク ムンク美術館、オスロ
「Melancholy」(1893) Edvard Munch Munch Museum, Oslo


※「分かれ道」 樋口一葉 「下」 1896年(明治29年)


あゝ詰らない面白くない、己(おの)れは本當(ほんと)に何と言ふのだらう、

いろいろの人が鳥渡(ちょいと)好い顏を見せて

直樣(すぐさま)つまらない事に成つて仕舞ふのだ、

傘屋の先(せん⇒先代)のお老婆(ばあさん)も能(よ)い人で有つたし、

紺屋(こうや⇒染物屋)のお絹さんといふ縮れつ毛の人も可愛がつて

呉(く)れたのだけれど、お老婆さんは中風(ちゅうふう⇒半身不随)で死ぬし、

お絹さんはお嫁に行くを厭やがつて裏の井戸へ飛込んで仕舞つた、

お前は不人情で己れを捨てゝ行(いく)し、最(も)う何も彼(か)もつまらない、



何だ傘屋の油ひきなんぞ(⇒吉三の職業)、百人前の仕事をしたからとつて

褒美の一つも出やうでは無し朝から晩まで一寸法師の言(いわ)れつゞけで、

夫(そ)れだからと言つて一生立つても此(この)背が延びやうかい、

待てば甘露(かんろ)といふけれど己れなんぞは一日一日厭やな事ばかり降つて來やがる、



○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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全ての責任を一人で引き受け
生きなければならぬ人間の姿

和傘作り
傘の骨組みである竹に和紙を張り、防水に植物油を塗って作ったそうです


※「分かれ道」 樋口一葉 1896年(明治29年) あらすじ (ホームページ管理者作成)


吉三(きちぞう)は傘屋に奉公(ほうこう)する16歳の小僧。

見た目はそれより幼く見え、肩幅は狭く、顔は小さく、目鼻立ちはきりりとして

利口そうだが、背が低いので周囲からは嘲(あざけ)りで一寸法師と呼ばれていた。



吉三は両親の顔を知らない孤児で、今は亡き傘屋のお松に拾われてきた。

お松に可愛がられた吉三は、大人三人前の仕事を一手に引きうけるほど精を出したが、

お松が亡くなると主人とその妻・息子と合わず、仲間からはいじめられ、

町内からは火の玉のような乱暴者と怖がられ、涙を呑み込む悲しい思いをしていた。



吉三は慰めてくれる人がいない苦しさから、そのような人が現れるのを切望していた。

ある日の夜更け、吉三は一人住まいのお京の家を訪ねる。

お京は20歳余りの意気な女性で、吉三はお京を姉のように慕(した)い、

お京も吉三を弟のように慕った。



吉三は、奉公先でのつらさや親類のいない寂しさ、

ひょっとして親兄弟が現れるのではないかという望みを語り、お京はそれを励ました。



12月30日の夜、吉三は仕事帰りに後(うしろ)からやさしく目隠しされる。

「お京さんだろ」と言い当て、振り返るとお京はいつもより良い服をきていた。

吉三にお京は明日引っ越しすると告げる。

驚いた吉三は「やはり妾に行くという噂は本当なのか」と彼女をなじる。

彼女は「仕方ないのだ」とさびしく笑い、吉三を家に連れて行く。



吉三は怒り、かつ落胆し、もう逢わないと言い放ち、羽がいじめに抱き止めるお京に

「後生だから此肩(ここ)の手を放しておくんなさい」と言って振り切ろうとする。


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社会のどん底に生きる
人間の姿

樋口一葉 (1872(明治5年)-1896(明治29年)


明治5年、東京(現千代田区)に生まれた樋口一葉(本名:奈津)。



17歳の時に父親が他界し、

一葉は女戸主(おんなこしゅ)として母親と妹を養うため、

小説を書いて生計を立てよう決意しますが、

男尊女卑という封建社会の中で女性が小説を書いて

原稿料を手にいれることは極めて困難な時代だったといいます。



代表作の一つ「たけくらべ」は、母親と妹の三人で龍泉寺町(現台東区竜泉)に住み、

荒物駄菓子店を営みながら生活をした、その体験を素材にして書かれた小説だそう。



社会のどん底に生きる人間の姿に接し、

お店に来る子どもたちを鋭く観察した人間洞察、社会認識を深めた体験は、

作家・樋口一葉を大きく飛躍させたといいます。



○名作「たけくらべ」の舞台となった地に建つ 一葉記念館


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先人者の努力の上に成り立つ現代
女性の自立が困難だった時代



※「こわれ指輪」 清水紫琴(しみずしきん) 1890年(明治23年) あらすじ
  (ホームページ管理者作成)


主人公の女性は、離婚しても玉を抜いた壊れた指輪をつけている。

指輪にはこれまでの幾多の苦しみと嘆きが託され、

女性の志気を鼓舞し、勇気を増す仲立ちとなっている。



明治の初期、東京ではようやく女子教育が始まった頃であったが、

女性が住んでいた地方では、東京よりも遅れていた為、

相変わらず日本古来の仕来(しきた)りを守っていた。

その考えでは、女性にとって夫というものは、どのような人が当たるか分からず、

吉でも凶でも結婚したものは仕方なく、ただただ天命に任せ、

自分は自分の義を守り、生涯を潔く送るまでの事と覚悟していた。



女性は、婦人の運命は憐れではかないものと思い、どうか一生嫁がないで気楽に

過ごす事を願ったが、15,6歳になるとしきりに父母から結婚を勧められるようになる。

初めは嫌だとの一点ばりで押し通していたが、18歳になると拒絶する訳にもゆかず、

桜の咲く頃に結婚を済ました。



女性は結婚しても夫に馴染むことができず、ただただ故郷にいた時のことを

思い出していたが、ある日下女がもってきた手紙から夫には以前妻がいたことを知る。

夫は出かけることが多くなり、ついには、3日も4日も帰らないようになった。


ある晩、夜遅くに帰ってきたので門の扉を開けると、「さっきから戸が破れるほど

叩いたじゃないか、なぜ開けない、夫を戸外に立たせておいて、ゆうゆうと熟睡していとは、

ずいぶん気楽なものだ」と叱責される。女性はこのような憂き目に不覚にも涙を流す。



ある時、女性は里に帰ると、母は娘の境遇を察し涙を流す。

その母はしばらくして亡くなった。



それから、女性は世の中の悪しき風潮に怒り嘆き、日本の婦人も、

今少し天賦の幸福をまっとうするようにならねばいう考えが起こってきた。

それまでは、ただ何事も偲んでさえいればよい、自分の幸福さへ犠牲にすれば

よいという消極的な覚悟だったが、この時からはそれに満足ができず、

私の不幸はとにかく、夫の行いをため直して、

人の夫として恥ずかしくない夫にならせたいという、一歩進んだ考えになった。

しかし当時の女性の力ではどうにもならず、とうとう不本意ながらも別れることとなった。



離婚後は、世の中のために働く決心をし、記念の為に指輪の玉を抜きさり、

この指輪のために働いて、可憐なる多くの乙女たちの行く末を守り、

玉のような乙女たちに、私のような轍を踏まないように望んだ。



父は私の多年の苦労を憐れんで私を慰めてくれた。

女性は夫の手によって再び元の指輪になることを願うが、未だ叶わない。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観

○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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素朴で清楚な美しさ
一筆の朝がお

「洗濯をする小間使い」(1737) ジャン・シメオン・シャルダン
ストックホルム国立美術館


※「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」 夏目漱石 須永の話 二十六 1912年(明治45年)


すべての世話は作(さく)という小間使がした。

鎌倉から帰って、始めてわが家の膳(ぜん)に向った時、

給仕のために黒い丸盆を膝(ひざ)の上に置いて、

僕の前に畏(かし)こまった作の姿を見た僕は

今更(いまさら)のように彼女と鎌倉にいる姉妹との相違を感じた。



作は固(もと)より好い器量の女でも何でもなかった。

けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、

僕にはいかに慎(つつ)ましやかにいかに控目に、いかに女として憐(あわ)れ深く見えたろう。

彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると

思い定めた様子で、おとなしく坐(すわ)っていたのである。



僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。

彼女は十九だと答えた。

僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。

彼女は赧(あか)い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。

僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利きいた事がなかったのである。

僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、

自分の家に使っている下婢(かひ⇒召使の女、下女)の女らしいところに気がついた。

愛とは固(もと)より彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。

僕はただ彼女の身の周囲(まわり)から出る落ちついた、気安い、

おとなしやかな空気を愛したのである。



僕は僕の前に坐すわっている作(さく)の姿を見て、

一筆(ひとふでがき)の朝貌(あさがお)のような気がした。

(⇒さっと一筆で書いた朝顔の画のように素朴で清楚で淡白な美しさ。)





※「彼岸過迄」 夏目漱石 須永の話 三十


僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代(よ)に生れたように、

卑(いや)しい召使の位置を生涯(しょうがい)の分(ぶん⇒身の程)と心得ているこの作と、

どんな人の前へ出ても貴女(レデー)としてふるまって通るべき

気位(きぐらい)を具(そな)えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。



○プリマヴェーラ 春の訪れ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」

○古都鎌倉の自然を楽しむ|六国見山ハイキングコース


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人に嫌われる
たしなめるような反問を受ける

A child dying on the sidewalk of the Warsaw Ghetto, September 19, 1941
ユダヤ人の強制居住区 ワルシャワ・ゲットー(ポーランド)


※「彼岸過迄」 夏目漱石 松本の話 三


市蔵(⇒須永市蔵:すながいちぞう)はしばらくして

自分はなぜこう人に嫌(きら)われるんだろうと突然意外な述懐をした。

僕(⇒松本、市蔵の叔父)はその時ならないのと

平生(⇒普段)の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。

なぜそんな愚痴(ぐち)を零(こぼ)すのかと窘(たし)なめるような調子で反問を加えた。



「愚痴じゃありません。事実だから云うのです」

「じゃ誰が御前を嫌っているかい」

「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」



僕は再び驚ろかされた。

あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、

僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、

全然彼に対する嫌悪の念から出たと受けているらしかった。

僕は極力彼の誤解を打破(だは)しに掛った。

「おれが何で御前を悪(にく)む必要があるかね。

子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな」



市蔵は叱られて激した様子もなくますます蒼(あお)い顔をして僕を見つめた。

僕は燐火(りんか)の前に坐(すわ)っているような心持がした。



○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


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愚かさを見抜かれることを恐れ
驕りから相手を見下す

ルシファー(Lucifer) : 堕天使
黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、
あなたは切られて地に倒れてしまった。(旧約聖書「イザヤ書」14:12)


※「彼岸過迄」 夏目漱石 松本の話 四


「おれは御前の叔父だよ。どこの国に甥(おい)を憎む叔父があるかい」

市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄い唇を反らして淋しく笑った。

僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透(すか)し見た。



自白するが、彼は理解の上において僕よりも優れた頭の所有者である。

僕は百もそれを承知でいた。

だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるような愚(ぐ)を

なるべく慎んで外に出さない用心を怠(おこた)らなかった。



けれども時々は、つい年長者の傲(おご)る心から、

親しみの強い彼を眼下(がんか)に見下(みくだ)して、浅薄(せんぱく)と心付(こころづき)ながら、

その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。



賢(かしこ)い彼は僕に恥を掻(か)かせるために、自分の優越を利用するほど、

品位を欠いた所作(しょさ)をあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都度(つど)

彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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矛盾に背を向け
自分の愚かさを相手のせいにする

ルシファー(堕天使)の失墜 「失楽園」(1866) ギュスターヴ・ドレ


※「彼岸過迄」 夏目漱石 松本の話 四


僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。

「そりゃ広い世の中だから、敵同志(かたきどうし)の親子もあるだろうし、

命を危(あや)め合う夫婦もいないとは限らないさ。

しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋つながっている以上は、

繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。



御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻(ひがみ)があるよ。

それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。傍(はた)から見ていても不愉快だ」



「だから叔父さんまで嫌っていると云うのです」



僕は返事に窮(きゅう)した。

自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」


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「自分で考えてみろ」
極めて不親切な対応

「息子ポリュネイケスを呪うオイディプス」(1786) ヨハン・ハインリヒ・フュースリー
「Oedipus Cursing his Son, Polynices」 Henry Fuseli


※「彼岸過迄」 夏目漱石 松本の話 四


「僻(ひが)みさえさらりと棄すててしまえば何でもないじゃないか」

と僕はさも事もなげに云って退(の)けた。

「僕に僻みがあるでしょうか」と市蔵は落ちついて聞いた。

「あるよ」と僕は考えずに答えた。

「どういうところが僻んでいるでしょう。判然(はっきり)聞かして下さい」

「どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ」

「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう」

「そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう」



「あなたは不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。



僕はまずその調子に度(ど)を失った(⇒ひどくあわてて心の平静を失った)。

次に彼の眼の色を見て萎縮(いしゅく)した。

その眼はいかにも恨(うらめ)しそうに僕の顔を見つめていた。

僕は彼の前に一言(いちごん)の挨拶さえする勇気を振い起し得なかった。



○ギリシヤ悲劇の最高傑作といわれるオイディプス王


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頭も身体も続かなくなるまで考えてきた
深い思慮

「十字架を担うキリスト」 ヒエロニムス・ボス (1450年頃-1516年)
「Christ Carrying the Cross」 Hieronymus Bosch


※「彼岸過迄」 夏目漱石 松本の話 四


「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。

おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。

誰も教えてくれ手がないから独(ひとり)で考えていたのです。

僕は毎日毎夜考えました。

余り考え過ぎて頭も身体(からだ)も続かなくなるまで考えたのです。

それでも分らないからあなたに聞いたのです。



あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。

それで叔父だから他人より親切だと云われる。

しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、

他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」



僕は頬(ほお)を伝わって流れる彼の涙を見た。

幼少の時から馴染(なじ)んで今日に及んだ彼と僕との間に、

こんな光景(シーン)はいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。

したがってこの昂奮(こうふん)した青年をどう取り扱っていいかの心得が、

僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。

僕はただ茫然(ぼうぜん)として手を拱(こま)ぬいていた。

市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕を有(も)たなかった。



○彼は死に勝ち甦る、神への感謝・賛美|オラトリオ「メサイア」


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残酷な拒絶
生涯の敵としてあなたを呪う

「イワン雷帝と皇子イワン」 イリヤ・レーピン(1849年〜1930年)
トレチャコフ美術館


※「彼岸過迄」 夏目漱石 松本の話 四


「僕は僻(ひが)んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。

あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。

僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。

僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。

いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。

ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。

僕は世の中の人間の中(うち)であなたを一番信用しているから聞いたのです。

あなたはそれを残酷に拒絶した。

僕はこれから生涯の敵としてあなたを呪います」



市蔵は立ち上った。

僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


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もがき苦しみ
受容されていたことに気がつく

地獄草紙 東博本 雨炎火石 東京国立博物館


夏目漱石の小説「彼岸過迄」に見られる須永市蔵と松本のやりとり。

私自身、このような場面にどれだけ出遭ってきたことか…



松本はとっさに真実に向き合うことを決心しますが、

残念ながらそのような展開に至るケースは稀なように思えます。



私自身の経験を振り返ってみると「このような場面」での相手の対応は、

反問(反論)するか、上からの視点で諭そうとするか、

「自分で考えろ」といった意味合いの言葉を投げかけるか、

優位性のある話題、もしくは別の話題にすり替えるか、

罠に陥れようとするか、取引をするか、隠れるか、逃げるか、無視するか、

が多かったように思えます。



相手の対応を受けて、私はいつまでも考え続けました。

相手が真実に向き合っていない事が腑に落ちた時の驚き、人間というものへの不信。

殺される心理状態にもがき苦しみ、自分の精神を患わないよう努めてきました。




そのような心理的な孤独を通して、

相手が私を受け入れようと努めていた事実にも気がつかされます。


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自分の感受性を心から信じる
愛と孤独

GATAG|フリー画像・写真素材集より


※愛と孤独 クラーク・E・ムスターカス 片岡康・東山鉱久(訳) 創元社 1984



  この本は、机上の考えをまとめたものではなく、

  私自身の心の旅を経て出来上がったものである。



  喜びに震え、美しさに感激し、驚きに言葉を失ったあの時。

  人々との会話に鋭い非難の矢を感じた時。

  病や死を目の前にしたあの時。

  偽られ、裏切られて人を信ずることができなくなり、人間的な魂を失った時。



  そんな様々な私の体験を掘り下げ、その意味を探求する旅を経て、

  この本は出来上がった。



  静寂に身を任せ黙想し、自分自身と自然とを相手に、

  沈黙の対話を行うことによって、私は、芸術、音楽、文学、そして

  人々の出会いのなかに人生の美しい意味を見出せるようになった。



  そのおかげで、私は今、どんな時でも、本来の自分を取り戻し、

  人間的な魂を大切にして、力強く勇気を持って日々の暮らしに

  戻ってゆくことができる。



  自分自身で選択し、決定し、行動しなければならないような時、

  自分の感受性を心から信じる度胸を私に与えてくれ、

  人間の潜在力と人類愛への信念とを抱きつづけてゆく勇気を

  私に与えてくれた「自分自身」に、私は感謝の念で一杯である。


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固定した色に染まらない
自分が自分であるという信念



※彼岸過迄に就(つい)て 夏目漱石
 (明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言)


この作を公(おおやけ)にするにあたって、自分はただ以上の事だけを

言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識

だの主張だのは今述べる必要を認めていない。



実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。

近頃しばしば耳にするネオ浪漫派(ローマンは)の作家ではなおさらない。

自分はこれらの主義を高く標榜(ひょうぼう)して路傍(ろぼう)の人の注意

を惹(ひ)くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという

自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。



ただ自分は自分であるという信念を持っている。

そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、

ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。



自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴(ふいちょう)する事も好まない。

今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーと

それから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。



自分はすべて文壇に濫用(らんよう)される空疎な流行語を藉(か)りて

自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。

手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気(げんき⇒見せびらかし)

があって自分以上を装(よそお)うようなものができたりして、

読者にすまない結果を齎(もたら)すのを恐れるだけである。



東京大阪を通じて計算すると、

吾(わが)朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。

その内で自分の作物(さくぶつ)を読んでくれる人は何人あるか知らないが、

その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路(ろじ)も覗(のぞ)いた経験はあるまい。

全くただの人間として大自然の空気を真率(しんそつ)に呼吸しつつ穏当に生息している

だけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公にし

得る自分を幸福と信じている。



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学


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日本人に独特の心的秩序
空気

 衛星からみた日本


2000年代後半に広く知られるようになったといわれる「KY(ケイワイ)」。

「KY」は「空気を読む」の頭文字をとった言葉であり、

その場の雰囲気や状況を察することを意味し、

主にそういったことを察しない人に対して使われる言葉だそうです。



「お前はKYだな」と言った場合、それは、

「お前はその場の雰囲気や状況を察していない」という意味であり、

言い換えれば、その場の雰囲気や状況に合わせることを暗に示唆しているようです。



かつて「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という言葉が流行しましたが、

その意味は、禁止されていることも集団でならば心理的な抵抗もなく実施

できるといった意味合いがあり、このように空気は、

その場にいる人々を支配する合意の絶対性、もしくは、

正当性を創造する力があるようです。





※「空気」の研究 山本七平 文春文庫 1983 書籍案内文より


 昭和期以前の人びとには「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があった。

 しかし、現代の日本では空気≠ヘある種の絶対権威≠フように驚くべき力をふるっている。

 あらゆる論理や主張を超えて、人びとを拘束することの怪物の正体を解明し、

 日本人に独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探った古典的名著。




※日本は世界に何を伝えるか 2017.06
 講師 橋爪大三郎 先生 社会学者・東京工業大学名誉教授
 会場 時事通信ホール
 内容
  1.「何を」「なぜ」、伝えるか
   1)「何を」伝えるか…日本の経験 ユニークな一回限りの経験の中に、普遍が宿る
   2)「なぜ」伝えるか…日本の経験が、非ヨーロッパ圏の人びとの参考になる
  2.日本はどこがどう、ユニークか
   3)「空気」と聖霊
   4)日本はなぜ、近代化できたのか
  3.世界の誰に、伝えるか
   5)グローバル化のアリ地獄
   6)いま苦しむ国々に、日本の遺伝子を伝える
 国際高等研究所シンポジウム「激動する地球時代をいかに生きるか」



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ

○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来


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個人としてのアイデンティティをもつ人間
自己と他者の相対関係

からゆきさん(唐行きさん)|江戸時代末から明治・大正・昭和初期にかけて
東アジア・東南アジアに渡って娼婦として働いた日本人女性


人間はそれぞれが個人としてのアイデンティティをもつ。

この個別性・独自性は、個人のみならず集団についても重要であり、

それが多様性の源泉である。

またアイデンティティは他者との相対関係で決まるものであり、

そこから相互の関係が表出し、同時に相互尊重の重要性が導かれる。



多様性を考えるにあたっては、自己と他者の存在が前提であり、したがって、

それぞれの主体(個人から集団まで)がその主観的な評価・判断とともに、

客観的な評価・判断も探ることになる。



自己と他者を区別するものはなにか。国家か、民族か、宗教か、

階級か、性別か、勤務する会社か、出身大学か、応援する野球球団か。

自分が帰属していると意識する集団は単一とは限らない。

もし、複数の集団にアイデンティティを持つ場合、

そのうちのいずれの集団へのアイデンティティがもっとも強いか。


自分が帰属すると意識する集団内において、人々は、どの程度、参加・参画

していると感じているのだろうか。いいかえると、取り残されていないだろうか。

この場合、現実に取り残されていかという客観的事実の問題と

そのように感じるという主観の問題を区別して考察することは大切である。



世界には、多様な価値観、倫理観、宗教、考え方を持つ人々がいる。

このような多様性世界は平和かというと、必ずしもそうでもない。

むしろ、人間には、自らと異なるものを拒否する姿勢があり、

相異なる集団間で、紛争・対立を繰り返してきた。

しかし、現代では多様性に対する考え方に少しずつ変化が生じてきている。



※多様性世界の平和的共生の方策 2017.06
 公益財団法人 国際高等研究所 「多様性世界の平和的共生の方策」研究会
 序章 目的と中核要素 位田隆一 先生 国際高等研究所副所長・滋賀大学長
 第1章 基軸概念 大芝亮 先生 青山学院大学国際政治経済学部教授


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すれ違う想い
尾崎紅葉「拈華微笑(ねんげみしょう)」

尾崎紅葉 1868(慶応3年)-1903(明治36年)


※「拈華微笑(ねんげみしょう)」 尾崎紅葉 1890年(明治23年) あらすじ


主人公は、25,6歳の下級官吏(かんり⇒下級の役人)づくりの男。

色は白く、眼は可愛く、八の字をした髭(ひげ)を持っている。

雨の日も風の日もいつもと同じように、休むこともなく市ヶ谷近辺を歩いて通勤している。



ある時、同じ時刻・同じ場所で人力車に乗った美しい女性に会うようになった。

男は馬鹿律儀なタイプだったので、美しい人に出会ってもどうという気はしていなかったが、

毎日のように出会うと、自然に眼がつくようになってその人の顔が懐かしくなり、

その姿を見ない日は物足りないと思うようになった。



二か月ほどが経ち、ある朝、女性は男に微笑み、男も笑みをかえすようになった。

偏屈者の男でも、これは万更(まんざら)悪い気がせず、

人力車が行き過ぎた後も独りまた笑みを浮かべた。



秋の神嘗(かんなめ)祭、男は用事があって銀座に行くと、

鹿鳴館で人力車に乗るその女性に出会った。

次の日からは、これまでの笑顔に挨拶も加わり親密になっていった。



男はこの女性とどうにかならないかという思いに駆られてゆく。

その女性のことを思っては想像が膨らむ男。

課長の小言、同僚の悪口、母親の遠回しな非難も愉快に思えてくる。

しかし男はいまだに女性の名前も住所も知らない。

そこで男は仕事を休んで人力車を追跡するが失敗してしまう。

彼女に怪我の無いように人力車が倒れて、しかも車には傷がつかず、

ついでに車夫は気絶するという状況が起きれば、彼女を介抱しつつ、

告白できると考えるが、そんなことは起こるはずもない。



11月の2日、男は父の命日に妹と墓参りにでかけたところに、その女性に出会う。

女性は別の男と一緒で、男は亭主がいたと思いがっかりする。

後に聞けば、女性は毎日道で出会う男に惹かれていたが、

男と一緒にいた妹を妻と勘違いしてがっかりしていたことを知る。



その女性は幼友達と結婚することになった。



○熱海の海岸散歩する、尾崎紅葉「金色夜叉」に描かれた熱海


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一輪の花に託す真理
無門関「拈華微笑(ねんげみしょう)」

紫紺野牡丹(シコンノボタン) 円覚寺 大方丈前にて撮影


※無門関(むもんかん) 第六則 世尊拈花(せそんねんげ) 口語


釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん⇒お釈迦様)が、昔、霊鷲山(りょうじゅせん)で

説法された時、一本の花を持ち上げ、聴衆の前に示された。

すると、大衆は皆黙っているだけであったが、

唯だ迦葉尊者(かしょうそんじゃ⇒釈迦十大弟子の一人)だけは

顔を崩してにっこりと微笑んだ。



そこで世尊は言われた、

私には深く秘められた正しい真理を見る眼(⇒正法眼蔵:しょうほうげんぞう)、

説くに説くことのできる覚(さと)りの心(⇒涅槃妙心:ねはんみょうしん)、

そのすがたが無相である(⇒実相無相:じっそうむそう)ゆえに、

肉眼で見ることのできないような不可思議な真実在というものがある。



それを言葉や文字にせず(⇒不立文字:ふりゆうもじ)、

教えとしてではなく別の伝え方で(⇒教外別伝:きょうげべつでん)

摩訶迦葉(まかかしょう)にゆだねよう。



※「無門関提唱」 世尊拈花(せそんねんげ)
 講師 横田南嶺 老師 円覚寺派管長
 第76回 円覚寺夏季講座 第二日 2011.07
※無門関 西村恵信 訳注 岩波文庫 1994 p43-46
※口語で読む禅の古典 無門関を読む 秋月龍a PHP 1990 P59-62



○花を忘れまい|北条時宗が開いた北鎌倉の座禅道場 円覚寺


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真理を悟った者に委ねる
絶対と相対の狭間

足なえたち ピーテル・ブリューゲル 1568年 ルーヴル美術館
The Cripples Pieter Bruegel


「無門関」の第六則「世尊拈花(せそんねんげ)」では、

お釈迦様(釈迦牟尼世尊)は真理を花に託し、

その心を悟った弟子の迦葉尊者(かしょうそんじゃ)に次を委ねます。



現実社会に目を向けてみると、次を委ねられる者は、生まれや序列に依存したり、

パワーバランスであったりと、相対的な要因で決まることが少なくないようです。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む|世界の本質

○障がいを越えて共に生きる


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人間の心が変容し続けるプロセス
個性化の過程

胎児と子宮のスケッチ (1510年頃) レオナルド・ダ・ヴィンチ


へその緒を通して母親から栄養や酸素を得ている胎児。

母親から分化したとはいえ、まだまだ一体の存在のようです。



生まれてからの赤ちゃんは、しばらくの間は一日中寝ていることが多く、

自分と母親の境界は曖昧で、意識というものはほとんど確立されておらず、

言わば、混沌とした無意識の状態にあるようです。



ここから長い時間をかけて、分化・分離のプロセスが進行し、

少しずつ、「自分はどのような人間であるのか」、「どのような特性を持ち、

どのような集団に所属し、どのような目的を持ち、どのような人生を歩もうとしているのか」

といったことを意識した存在へと成長してゆくことになります。

それは意識が確立されてゆくプロセスでもあるよう。



一方で、確立されてゆく意識は、ともすると、

自ら相容れないものに対しては排他的な姿勢をとりがちであり、

それどころか、無意識との境界にも「壁」を建設して「交流」を禁止することがあり、

言い換えれば、意識という「力」の圧政ともとれます。



分析心理学(ユング心理学)の創始者カール・グスタフ・ユングによれば、

このような状態の時、無意識の側からは様々な関係の試みが発生し、

孤立化・偏狭化しかけた意識が、無意識との関わりを通して、

時には心身の調子を崩しながら再び新たな意識が構築されてゆくとします。



誕生から死に至るまでのこのような「無意識と意識の絶えざる相互交渉」を通して、

人間の心が変容を続けるプロセスを、ユングは「個性化の過程」と呼んでいます。



※心理カウンセリング序説 主任講師 大場登 先生 放送大学教授 13.力・権力・権威
※ユング A・ストー 河合隼雄(訳) 岩波書店 1990 X 個性化の過程 p111-131



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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生命の尊さ、やさしさ
私が私になってゆく

芦北町立星野富弘美術館(熊本県)


冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって

ひとつの花が 咲くように 悲しみも 苦しみもあって 私が私になってゆく



※星野富弘「星野富弘全詩集 U 空に」 学研




詩人・画家であるという星野富弘氏。


1970年、中学校の教諭になったそうですが、クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し、

手足の自由を失ってしまったそう。



入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めたそうです。



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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参  考  情  報

○樋口一葉 わかれ道 - 青空文庫

○清水紫琴 こわれ指環 - 青空文庫

○夏目漱石 彼岸過迄 - 青空文庫

○夏目漱石 現代日本の開化 ――明治四十四年八月和歌山において述――
 明治44年8月15日 和歌山県会議事堂での講演

○夏目漱石 作家別作品リスト - 青空文庫

○台東区立一葉記念館|我が国初の女性作家の単独文学館

○竹と和紙と植物油が織りなす和傘の世界|一般社団法人 日本植物油協会

○メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

○探検コムHOME

○e国宝 - 国立博物館所蔵 国宝・重要文化財

○国際高等研究所

○からゆきさんの小部屋

○国立研究開発法人 科学技術振興機構

○星野富弘美術館-芦北町

○富弘美術館

○青年団公式ホームページ

○GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0

○フリー百科辞典Wikipedia

○日本近代短篇小説選 明治篇1 岩波文庫 2012
 編集 紅野敏郎, 紅野謙介, 千葉俊二, 宗像和重, 山田俊治

○明治の短編小説を読む 2017.06
 講師 山田俊治 先生 (放送大学客員教授/横浜市立大学名誉教授)
 主催 放送大学神奈川学習センター

○樋口一葉「わかれ道」論 : 共生の夢と心の炎|塚本章子 先生 甲南大学教授

○彼岸過迄 夏目漱石 新潮文庫 な-1-11

○ひとを“嫌う”ということ 中島義道 角川文庫 2003

○ユング A・ストー 河合隼雄(訳) 岩波書店 1990

○心理カウンセリング序説
 主任講師 大場登 先生 放送大学教授
 13.力・権力・権威

○無門関提唱 第五則〜第八則
 講師 横田南嶺 老師 円覚寺派管長
 第76回円覚寺夏季講座 2011.07

○無門関提唱 第二九則〜第三二則
 講師 横田南嶺 老師 円覚寺派管長
 第82回円覚寺夏季講座 2017.06

○無門関 西村恵信 訳注 岩波文庫 1994

○口語で読む禅の古典 無門関を読む 秋月龍a PHP 1990

○「空気」の研究 山本七平 文春文庫 1983

○新装版 「常識」の研究 山本七平 文春文庫 2015

○「空気」の構造: 日本人はなぜ決められないのか 池田信夫 白水社 2013

○だから私は嫌われる ビートたけし 新潮文庫 1991

○やっぱり私は嫌われる ピートたけし 新潮文庫 1993

○星野富弘「星野富弘全詩集 U 空に」 学研

○国際高等研究所シンポジウム 2017.06
 激動する地球時代をいかに生きるか−「けいはんな」からの発信−
 ・開会挨拶 長尾真 先生 国際高等研究所長
 ・基調講演
  日本は世界に何を伝えるか 橋爪大三郎 先生 東京工業大学名誉教授
 ・基調プログラム
  21世紀地球社会における科学技術のあり方 有本建男 先生
  人類存在の持続可能性を探求する 佐和隆光 先生
  多様性世界の平和的共生の方策 位田隆一 先生
  30年先の地域社会の姿を求めて 松本紘 先生
 ・総合討論
  モデレーター 長尾真 先生
  コメンテーター 広井良典 先生 京都大学こころの未来研究センター教授
 ・会場 時事通信ホール
 ・主催 公益財団法人 国際高等研究所

○国際高等研究所 アニュアルレポート2016 2017年3月期

○21世紀地球社会における科学技術のあり方
 〜近代科学技術の何を持続し何を変えるか、具体的実践は何か〜
 公益財団法人 国際高等研究所

○人類存在の持続可能性〜2100年価値軸の創造〜
 公益財団法人 国際高等研究所

○多様性世界の平和的共生の方策
 公益財団法人 国際高等研究所

○けいはんな学研都市の30年後に向けて
 公益財団法人 国際高等研究所

○21世紀の科学・社会を支える新たな教養のあり方を考える
 政策セミナー「21世紀の科学的知識と科学技術イノベーション政策」シリーズ
 国立研究開発法人 科学技術振興機構 研究開発戦略センター

○人文研アカデミー2017
  人種神話を解体する―「血」の政治学を越えて 出版記念 連続セミナー
 <第一回 表象と呼称をめぐる問題>
  ・「血」の政治学を越えて 竹沢泰子 先生(京都大学人文科学研究所 教授)
  ・呼称をめぐる議論と表象略史 岡村兵衛 先生(「ハーフ」表象の歴史研究者)
 <第二回 映画表象にみる人種・ジェンダー・セクシュアリティ>
  ・1930年代の「混血児」表象―『港の日本娘』『からゆきさん』を題材に
   高美 先生 (法政大学社会学部 准教授)
  ・沖縄という風景に抗して―『BLUES HARP』を題材に
   菅野優香 先生(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 准教授)
 <第三回 「混血」から歴史を読み直す>
  ・植民地統治下の白人性と「混血」―英領インドの事例から
   水谷智 先生 (同志社大学グローバル地域文化学部 教授)
  ・アメリカのスポーツと「混血」
   川島浩平 先生 (武蔵大学人文学部 教授
 <第四回 自分らしい生き方を求めて>
  ・「ハーフ」の若者たちの自己像―日本とパキスタンの国際結婚の子どもたち
   工藤正子 先生 (京都女子大学現代社会学部 教授)
  ・在日「ダブル」の歴史観――加害/被害の二元論の超克
   李洪章 先生 (神戸学院大学現代社会学部教員)
 <合評会>
  (岩淵功一 先生・成田龍一 先生・川島浩平 先生・竹沢泰子 先生ほか)
 会場 京都大学東京オフィス
 主催 京都大学人文科学研究所、科学研究費基盤研究(S)
     「人種のプロセスとメカニズムに関する複合的研究」

○人種神話を解体する3 「血」の政治学を越えて
 川島浩平(編集), 竹沢泰子(編集) 東京大学出版会 2016

○人種神話を解体する2 科学と社会の知
  坂野徹(編集), 竹沢泰子(編集) 東京大学出版会 2016

○人種神話を解体する1 可視性と不可視性のはざまで
  斉藤綾子(編集), 竹沢泰子(編集) 東京大学出版会 2016

○発想の泉を掘り起こそう 2017.07
 講師 秋山仁 先生 東京理科大学教授
 会場  川崎市産業振興会館
 挨拶 福田紀彦 先生 川崎市長
     藤嶋昭 先生 東京理科大学学長
 第34回かわさき科学技術サロン

○わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か
 平田オリザ 講談社 2012

○快適被服を科学する−クールビズ・ウォームビズの実践− 2017.07
 講師 薩本弥生 先生 横浜国立大学教育学部教授
 会場 横浜国立大学 教育学部講義練

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