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新と旧・過去と未来が融合し 発展する横浜 第24回 よこはまシティウォーク |
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春風にのって 横浜の街並みへ |
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横浜から見た富士 | |||
いにしへの、人の植ゑけむ、杉が枝に、霞たなびく、春は来ぬらし ※柿本人麻呂歌集 巻10-1814 昔の人が植えたという、その杉の枝に霞がたなびいている。 春が来ているのだなぁ。 霞(かすみ)は春の季語だそうです。 ○開放的で自由な街に、心地よい風が吹きぬける OPEN YOKOHAMA ○人と人・人と自然との共存から未来を紡ぐ Life is a Journey |
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INVITATION to YOKOHAMA | |||
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一足早く春の訪れを告げる カンザクラ |
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カンヒザクラ(寒緋桜)と大島桜の雑種といわれるカンザクラ(寒桜)。 桜の中では一足早く春を告げるそうです。 ○新たな息吹に包まれる桜舞う頃 ○シーズンを通して豊富な花に囲まれる春 ○紙のような花びらが幾重にも重なる魅力的な花 ラナンキュラス |
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春の横浜の自然や歴史・文化に親しむ よこはまシティウォーク |
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第24回よこはまシティウォークのスタート/ゴール みなとみらい線 馬車道駅 地下フロアー |
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2014年、24回の開催を迎えるという「よこはまシティウォーク」。 10kmから30kmまでの4つのコースから、 自身の健康・体力の状況にあわせて選択し、 誰でも気軽に参加できるスポーツ・レクリエーションイベントだそうです。 3,000名近くの人々が参加したという24回大会のテーマは、 「みんなで感じよう!! 横浜最古ウォーキング」。 春の横浜の自然や歴史・文化に親しみながら、 健康維持増進を図ることを目的とし開催されているそう。 |
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輸出入品や外国人が乗った馬車が通行した 馬車道 |
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幕末横浜開港とともに生まれたという馬車道。 港と市街地を結ぶ往来として発展し、 輸出入の品々を運んだ荷馬車や外国人などが乗った馬車が 通行していたことから「馬車道」とよばれるようになったそう。 通りは多くの人たちが往来し、さまざまな商店が建ち並ぶ一方、 貿易会社や金融機関が軒を並べる通りでもあったそうです。 ○輸出入品や外国人が乗った馬車が通行した馬車道 |
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静かに佇んでいた時を経て甦った 赤レンガ倉庫 |
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ドイツで春の訪れを祝う春祭り「フリューリングス フェスト」 YOKOHAMA FRUHLINGS FEST 2013 |
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明治末期から大正初期に国の模範倉庫として 建設されたという赤レンガ倉庫。 創建当時から横浜港の物流拠点として活躍してきたそうですが、 新たにできた埠頭に物流機能を譲っていく中、徐々に利用されなくなり、 地区のシンボル的存在としてて静かに佇んでいたそうです。 ○函館の赤レンガ倉庫 |
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ここから港ヨコハマは始まった 象の鼻パーク |
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象の鼻パーク前を通る「ザ よこはまパレード」 2013年5月 | |||
大さん橋国際旅客ターミナルを望む約3.3haの象の鼻パークには、 イベント広場やカフェ&ギャラりーを備えた休憩所があります。 開港にあたり、この地に突堤が造られ、港として荷役が開始されたそうです。 |
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街の復興を願った よこはまパレード |
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パレードの先頭|旗は右から横浜商工会議所・神奈川県・横浜市 ザ よこはまパレード|開港記念みなと祭 国際仮装行列 |
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終戦から7年目を経た昭和27年、 接収されていた横浜中心街の土地は大巾に解除されたといいます。 廃墟さながらの横浜を一日も早く復興させる為に、 多くの人々が集まる一大名物として、昭和28年、 第1回の国際仮装行列が開催されたそうです。 それから62回を迎える2014年は、5月3日に開催されるそうです。 ○サンフランシスコを見つめる吉田茂像 |
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映像で見る横浜の接収と復興|開港百年記念ヨコハマ | |||
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海の女王 クイーン・エリザベス |
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象の鼻パークより 2014年3月 | |||
「海の女王」とも「世界で最も有名な豪華客船」ともいわれる 「クイーンエリザベス」。 船の高さがベイブリッチをわずかに超えているため、 干潮時の深夜に入港したそう。 ○空と海の間で暮らすような旅|日本一の客船寄航数 横浜港 ○Bon Voyage 地球一周の旅へ |
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Creative Thinking カップヌードルミュージアム |
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よこはまシティウォーク参加者は当日無料で入場できたそう | |||
人生すべてを新しい"食"の創造に捧げたという日清食品の創業者、安藤百福氏。 96年間の生涯を通じて持ち続けたのは、 「クリエイティブな発想」と「最後まであきらめない執念」だったといいます。 みなとみらい地区にあるカップヌードル・ミュージアムは、 子どもたちひとりひとりの中にある創造力や探究心の芽を吹かせ、 豊かに育てるための体験型ミュージアムだそう。 安藤百福氏のクリエイティブシンキング創造的思考を 数々の展示を通して体感することが出来るそうです。 ○混迷の中から新たな絆を紡ぐ |
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日本初のフローティングレストラン ぷかりさん橋 |
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みなとみらいにある浮体式ターミナル、ぷかりさん橋。 マリーンルージュやマリーンシャトル、シーバスなど 客船の発着所になっており、1階には待合室、 2階にはフローティングレストラン「海鮮びすとろ・ピア21」があるそうです。 ○カヤックに乗ってみなと横浜の海を散策 ○プレジャーボートに乗って横浜を散歩 ○港ヨコハマ・ベイエリアを海から散歩|水上バス「シーバス」に乗って |
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二枚貝をイメージしたという国際会議場 国立大ホール |
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東日本唯一の「国立」会議場という国立大ホール。 二枚貝をイメージした特徴的な外観を持つ同施設は、 パシフィコ横浜のメイン施設だそう。 約5,000席の世界最大級の国際会議場は、 国際会議のほか、コンサート、記念式典、企業インセンティブなど 様々なイベントに利用されているそうです。 |
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水と緑に溢れた公園 臨港パーク |
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臨港パークは、海に面した開放感のある水と緑に溢れた公園。 広々とした芝生広場や潮入りの池から海に目を向けると、 横浜港をゆきかう船やベイブリッジを臨み、 陸地に目を向けると、みなとみらい地区のビル群を臨みます。 |
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現代アートの国際展 横浜トリエンナーレ |
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フルーツツリー チェ・ジョンファ(韓国) 横浜トレエンナーレ2001 臨港パーク |
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たわわに実った果物や野菜たち。フルーツツリーの題名があるこの作品は、 2001年の横浜トリエンナーレに出品されたものだそう。 横浜トリエンナーレは、横浜市で3年に1度行なわれる現代アートの国際展。 2001年に第1回展が開催され、今年(2014年)は第5回展を迎えるそうです。 (2014年8月1日から11月3日、横浜美術館・新港ピアほか) アートを通して、まちにひろがり、世界とつながり、 横浜のまちづくりに寄与しつつ、 新しい価値を世界に発信することを目指しているそうです。 |
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横浜の港を鳥のように羽ばたき 臨む景色 |
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Yokohama Sky Cruise | |||
横浜の港を鳥のように羽ばたき、望む景色。 プロポーズや誕生日、感謝の気持ちを伝える場面などにも利用され、 大切な人と、大切な時間をいつまでも思い出とに残る宝物として お届けしているそうです。 ○雄大な空の旅をする渡り鳥|各国にて大切にされている国際親善大使 ○大空高く舞い上がる|JAL SKY MUSEUM |
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海の見えるコンサートホール 横浜みなとみらいホール |
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音楽専用の横浜みなとみらいホール。 国内外のアーティストが公演するシューボックス型の大ホール正面には、 輝くような明るい音色にふさわしく「光」を意味する"ルーシー"という 愛称のついた、パイプオルガンがあり、ホールのシンボルになっているそうです。 ○みなとみらいホールのシンボル、パイプオルガン「ルーシー」 |
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良き師・良き友に出会い 飛躍する |
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横山大観展 良き師、良き友 2013年10月5日-11月24日 横浜トリエンナーレ主会場の一つ 横浜美術館 |
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近・現代美術の鑑賞と市民の創造活動に寄与し、豊かな市民文化 の形成に役立つことを目標に、1989年に開館したという横浜美術館。 2013年には特別展として「横山大観展 良き師、良き友」が開催されていました。 近代日本画壇を代表する巨匠・横山大観は、 良き師・岡倉天心から薫陶をうけ、大正期に共に歩んだ良き友4人、 今村紫紅、小杉未醒、小川芋銭、冨田溪仙との交流から、 作風を飛躍的に発展させたといいます。 ○横山大観が描いた美しい富士の景色 富嶽飛翔 ○国際人としての先駆的な存在 岡倉天心 ○花と女性のコントラスト 今村紫紅の護花鈴 ○大地に宿る命|移ろい行く時の狭間に力の限り咲く花 |
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ほら、ここが、ランドマークです MARK IS |
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建設中だった頃の「MARK IS」 | |||
横浜美術館の前に2013年6月にオープンしたという ライフエンターテイメントモール「MARK IS」。 地下4回から地上6階に全189店ものお店があるそうです。 生活の中心地、そして礎とにるために、街とともに成長し、 ここから長く深く愛されつづける街と人のランドマークになっていきたい。 "MARK is here" ほら、ここが、ランドマークです。 そんな想いを込めて「MARK IS」と名づけたそうです。 |
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新橋−横浜間をつないだ日本初の鉄道 初代横浜駅 |
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現 JR桜木町駅 | |||
みなとみらい地区や野毛地区の玄関口となっている桜木町駅。 新橋−横浜間に日本最初の鉄道が開通した1872年(明治5年)、 その横浜駅として産声を上げたそうです。 ○新橋SL広場の象徴 蒸気機関車C11 |
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洋風で豪華な駅舎だった 初代横浜駅 |
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現 JR桜木町駅 | |||
初代横浜駅は、アメリカ人建設家のR.Pブリジェンスによって設計され、 同時に開通した新橋駅とは同じデザインの洋風で豪華な建物だったといいます。 |
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横浜駅から桜木町駅へ 本線は通らなくなった桜木町 |
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1950年頃 人々で賑わう桜木町駅 | |||
1915年(大正4年)、横浜駅が現在の高島町に移転、2代目横浜駅となり、 それまでの初代横浜駅は桜木町駅に改称されたそうです。 これにより、東海道線の列車は桜木町駅に立ち寄ることなく 西に向かっていったそう。 ○東海道本線から外れた小田原の希望を乗せて走った 箱根登山鉄道 |
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浜っ子の喜びや悲しみを乗せて走った 市電 |
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1957年(昭和32年) 桜木町駅付近 | |||
1957年12月、多くの市電が走っている桜木町駅付近の様子。 市電は国鉄の終着駅だった桜木町駅を中心に放射線状に伸びていたといいます。 ○開港から目まぐるしい変化を遂げた横浜の変わらないこと |
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ランドマークタワー建設前の みなとみらい |
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帆船日本丸が見えます | |||
横浜ランドマークタワーが建設される前のみなとみらい地区の様子。 第一ドライドック(横浜船渠第一号船渠)には、帆船日本丸が佇んでいます。 その右側には、現在ドックヤードガーデンとなっている第二ドライドック。 まだ「よこはまコスモワールド」もありません。 |
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現在の様子 日本丸メモリアルパーク |
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ランドマークタワー70Fから見た日本丸 | |||
横浜ランドマークタワー70階。 横浜ロイヤルパークホテル「スカイラウンジ シリウス」から見た日本丸。 ○横浜の発展を見つめる帆船 日本丸 ○天空からみた港ヨコハマ |
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海風が心地よいプロムナードに変わった 汽車道 |
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桜木町から両サイドに海辺が広がり新港地区へ続く汽車道。 今では、海風が心地よいプロムナードに整備されていますが、 以前は港に続く貨物列車の路線だったそう。 プロムナードには当時の臨港鉄道のレールやトラス橋、 石積護岸などが残され、当時を垣間見ることができるそうです。 |
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野毛山動物園の人気者 レッサーパンダ |
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第24回「よこはまシティウォーク」のチェックポイント 野毛山公園に隣接する野毛山動物園 |
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野毛山動物園の人気者、レッサーパンダ。 主食は、竹類の葉やタケノコで、木の実・キノコなども食べるそうです。 野毛山動物園は無料で入場することができます。 ○気軽に訪れ、憩い、癒される、野毛山動物園 ○世界一周の動物旅行 横浜ズーラシア ○コアラに会える横浜・金沢動物園 |
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後世に伝える 横浜市電保存館 |
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第24回「よこはまシティウォーク」のチェックポイント 滝頭会館に隣接する横浜市電保存館(横浜市磯子区) |
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1904年(明治37年)に開業し、1972年(昭和47年)に全廃されるまで 約70年間走り続けたという横浜市電。 浜っ子の喜びや悲しみを乗せて走り続けた姿を後世に伝える為、 横浜市電保存館は開館したそうです。 館内には、当時の市電展示や、鉄道模型コーナー、 横浜市営地下鉄シミュレーターなどがあり、子どもから大人まで 楽しみめる施設となっています。 ○港ヨコハマのブルーに染まって|横浜市営地下鉄ブルーラインの旅 |
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脳血管疾患医療の中心的な役割を果たす 横浜市立脳血管医療センター |
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横浜市磯子区 | |||
脳血管医療センターは、脳卒中を中心とした脳血管疾患や、 高齢者に多い脊椎脊髄疾患等に対して、高度で専門的な治療を行う病院だそう。 脳血管疾患の多くは突然発症し、迅速に治療を行う必要があるといいます。 ○治療をする子どもたちに勇気を与えるファシリティドッグ ベイリー |
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日本最古のヨットクラブという 横浜ヨットクラブ |
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横浜市磯子区 | |||
横浜ヨットクラブの前身は、1886年(明治19年)、 横浜在留の外国人有志により設立されたYokohama Amateur Rowing Club を母体とし、以来100有余年の歴史を誇る日本最古のヨット・クラブだそう。 ヨットを通して、文化、教育の振興 及び青少年の健全な育成に寄与することを目的としているそうです。 ○光る海に霞む船の汽笛を遠くに聞きながら|葉山⇔伊勢湾ヨットクルーズ ○ひらり舞う蝶を追いかけ白い帆を揚げて ○横浜ベイサイドマリーナ フローティングヨットショー |
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磯子の逸品 タンシチュー |
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カフェ・レストラン 洗濯船(横浜市磯子区) | |||
ピカソやモディリアーニなどの画家が住んだという パリ・モンマルトルにあったアパート、洗濯船。 国道16号線沿い、磯子にあるカフェ・レストラン「洗濯船」に入ると、 画家たちの絵画やアンティークな調度品の数々が飾られています。 名物のタンシチューは、磯子ならではの「おいしい・匠の技」として 「磯子の逸品」に認定されているそうです。 また、レストランではシャンソン教室が開かれているそう。 ○パリ・モンマルトルにあった洗濯船 ○フランス語で「歌」を意味するというシャンソン |
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横浜最古のお寺 弘明寺 |
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横浜市南区 | |||
横浜最古のお寺という弘明寺観音。 本尊に祀られる十一面観世音菩薩立像は、平安時代の作品といわれます。 11の顔を持つとされる十一面には、 無限の光をもつといわれる阿弥陀如来、 慈悲の表情である菩薩面、 怒りの表情である忿怒面(ふんぬめん)、 称賛の表情である牙上出面(がじょうしゅつめん、 悟りの表情である仏頂面、 笑顔である大笑面(だいしょうめん)を頂き、 いつでも世の中を救うことができるよう、外界のすべての方向を見守っているといいます。 ○桜色に染まる門前町 弘明寺 ○日々の過ちを十一面観世音菩薩の宝前で懺悔する|東大寺二月堂 |
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桜に彩られる春の 三溪園 |
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よこはまシティウォーク参加者は当日無料で入場できたそう | |||
東京湾は望む横浜本牧に広がる広大な庭園、 三溪園(さんけいえん)。 生糸貿易で財を成した実業家の原三溪によって 造られた庭園には、歴史的な建造物が配置され、 国の名勝に指定されています。 また三溪園は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、 前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」など 近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれたそうです。 ○桜に彩られる春の三溪園 ○秋を聴く。紅葉に彩られた三渓園 |
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山手イタリア庭園 外交官の家 |
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山手イタリア山庭園に建つ「外交官の家」。 ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた 明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅だったそう。 アメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残す建物の中にある 家具や装飾は、アール・ヌーボー風の意匠とともに、 アーツ・アンド・クラフツ(19世紀イギリスで展開された 美術工芸の改革運動)のアメリカにおける影響が見られるといいます。 ○明日への架け橋|新しい芸術 アール・ヌーヴォーの時代 ○ファッション発信の街 横浜元町ショッピングストリート ○日本最大の中華街 横浜中華街 ○日本を代表する歓楽街として栄えた伊勢佐木町 |
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ヨコハマの丘の上から テニスが始まった |
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テニス発祥記念館 | |||
1876年(明治9)、ここ山手公園でわが国最初のローンテニスが行われ、 1878年にわが国最初のテニスクラブが誕生したそうです。 当時のテニスは、写真のような衣装を着て行われていたといいます。 テニス発祥記念館では、100年以上前の様々なテニスラケットや、 当時の様子を垣間見ることができます。 |
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日本最初の洋式公園 山手公園 |
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山手公園内に建つ山手68番館 | |||
横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、 明治政府はこの地を貸与したそうです。 公園の造成は居留民が行い、山手公園は明治3年に開園したそうです。 ○日本初の洋式競馬場が残る横浜・根岸森林公園 |
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丘の上に建つ カトリック山手教会 |
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ツツジと聖母像 | |||
丘の上にあるカトリック山手教会。 カトリック教会の教えの根本は、 古くから唱えられてきた「使徒信条」の中に見ることができるといいます。 天地の創造主、 全能の父である神を信じます。 父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。 主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、 ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、 十字架につけられて死に、葬られ、 陰府(よみ)に下り、 三日目に死者のうちから復活し、 天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、 生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、 罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。 ○カトリック教会の総本山 サン・ピエトロ大聖堂 ○彼は死に勝ち甦る、神への感謝・賛美 オラトリオ「メサイア」 |
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的確な気象情報を提供し、生活向上に寄与する 横浜地方気象台 |
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1896(明治29)に、当時は神奈川県測候所として 設立されたという横浜地方気象台。 大正12年の関東大震災による焼失を経て、現在の地に移ったそう。 建築様式は1920年〜1930年頃に流行したアールデコと呼ばれる装飾様式で、 その面影は玄関上の装飾部分や柱の幾何学模様に見られるそうです。 ○アール・ヌーボーを駆け抜けたフランスの工芸家 ルネ・ラリック |
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世界の人形ふれあいクルーズ 横浜人形の家 |
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世界140か国以上、約1万3千体以上の民族人形と郷土人形を 収蔵しているという横浜人形の家。 「横浜発・世界の人形ふれあいクルーズ」をコンセプトに、 貴重な人形からスピリチュアルな人形、おめでたい人形まで 様々な人形を展示しているそうです。 |
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古いものと新しいものの調和 横浜アイランドタワー |
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歴史的建造物「旧横浜銀行本店別館」と 高層オフィスビルが融合した横浜アイランドタワー |
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みなとみらい線馬車道駅の出入口(野毛・桜木町口)にもなっている 横浜アイランドタワー。 歴史的建造物である旧横浜銀行本店別館の保存・復元を行うとともに、 新たな建物のデザインを調和させた地区のランドマークとしての景観を 形成しているそうです。 |
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新と旧が交錯する街に 過去と未来が融合する横浜 |
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よこはまシティウォークのゴール みなとみらい線 馬車道駅 地下フロアー |
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馬車道駅から出発し、 みなとみらい⇒桜木町⇒野毛⇒磯子⇒弘明寺⇒本牧⇒山手⇒山下 と周ったウォーキングも無事ゴール。 開港前の横浜は寒村だったといいますが、 開港を経て「もの」と「文化」が広がり、 関東大震災や第二次世界大戦では多くの犠牲が払われたそう。 戦後の復興期から、みなとみらい地区の開発に至るまで 新たなものを生み出してきた街。 新と旧が交錯する街に過去と未来が融合し発展しているようにみえます。 |
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多くの人々の協力の上に成り立っている よこはまシティウォーク |
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よこはまシティウォーク 30kmコース 完歩証 | |||
第24回よこはまシティウォークでは、ご縁があって、 スタート・ゴールとなった馬車道駅にて受付のお手伝いをさせて頂きました。 3,000名近い人々が参加するイベントを開催するにあたっては、 主催の横浜市体育協会をはじめとし、横浜市市民局、複数の協賛企業、 横浜市レクリエーション連合、ボーイスカウト、大学の方々などと 多くの人々が携わって成り立っていることを感じることができました。 貴重な機会を頂けました事に感謝致します。 ○孤独と死の恐怖から人の絆の有り難さを知ったというサン=テグジュベリ ○人間を超えた存在に出会い畏れかしこむ ○死に接する精神的・肉体的試練 通過儀礼 ○それでも人間、それだから人間 ○道を求めて ○私のささやかに生きてきた小さな道 ○悲しみも苦しみもあって、私が私になってゆく |
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横浜を走る、世界が変わる。 横浜マラソン |
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2015年、横浜マラソンは待望のフルマラソンへ | |||
「誰でも参加できるフルマラソンを実施して欲しい」との願いから 34年前(1980年)に署名活動を実施したところ、 集まった署名の数はなんと、10万人以上だったといいます。 その翌年の1981年、第1回大会が開催され、 当時は10kmと20kmのコースだったそう。 その後、ハーフマラソンや車いすマラソンが開催され、 2015年の第34回大会では待望のフルマラソンへ。 「走者の視野に広がる世界、いつもの横浜の風景が自分と一体化する。」 横浜マラソンはスポーツ振興や健康増進に寄与し、 経済波及効果やシティセール効果が期待できる、 「する、観る、支える」すべての人が楽しめる大会になることを願っています。 ○新たな絆から夢が膨らむグローバル人材 |
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YokohamaMarathon2015 | |||
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