人類から遠く離れた孤独の中に住む

世界の本質


| 世界の本質 | 見えないものへの価値 | 生命体の本質 | 他者の犠牲 | 利益と損 | 世界の隠された物語 |
| アフリカとヨーロッパ | 固定的なイメージ | 意味づけの拒絶 | 現代女性のリアルな声 | ウリック・マヤン |
| ルサルカ | リトルマーメイド | 竹取物語 | 傷ついた女神 | 人と人との間にある幸福 |
| 現代日本における多様な身体 | 相反するエネルギー | イデア | 詩人追放論 | 語り掛ける「詩」 |
| 悲劇 | 狂言 | 雅楽 | ロバート・フック | ドゥニ・ディドロ | ポンパトゥール夫人 | ルーヴル美術館 |
| ディドロの画家たち | なにかがはじまるとき | 大地の一部 | 勿忘草 | 参考情報 |

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人類から遠く離れた孤独の中に住む
世界の本質

遡上するサーモンを捉えようとしている
ハイイログマ(Grizzly)


The only true wisdom lives far from mankind, out in the great loneliness,

and can be reached only through suffering.

− Caribou Eskimo, Shaman −




唯一の正しい智恵は、人類から遥か遠く離れた大いなる孤独の中に住んでおり、

人は苦しみを通じてのみそこに辿り着くことができる。

− カリブエスキモー、シャーマン −



※森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 世界文化社 1996年
 消えゆくトーテムポールの森で p26





「唯一の正しい智恵」を他に言い換えるならば、

世界(世の中)の本質、真理、真実、実体、道理、理念、概念、普遍、超自然、神、森羅万象、

古代ギリシアの哲学者プラトンのいうイデア、

新プラトン主義でいう最高位の存在、一者(トヘン)、

臨済宗がいう「仏が語られた言葉のその奥にある心」、

真言密教がいう「秘密荘厳心 (ひみつしょうごんしん)」などが思い浮かび、

形式や事象では表せない目に見えない存在であって、

善と悪、光と影、喜びと苦しみ、そして孤独を通して、

魂の目によってみることができるもののようです。



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ

○アイヌの人たちとともに シャマンの仮面


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目に見えないものに
価値を置く社会

カリブー(Caribou、トナカイ)の移動


目に見えるものに価値を置く社会と、

見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは思った。

そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。

夜の闇の中で姿の見えぬ生命の気配が、より根源的であるように。



※森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 世界文化社 1996年
 消えゆくトーテムポールの森で p39
※最後の楽園―Michio’s Northern Dreams〈3〉 星野道夫 PHP研究所 2002 p56



○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に

○いのち集まる流域 小網代の森|私たちが生きる地球の持続可能性


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生命体の本質
他者を殺して食べること

イヌイットにとって重要な食糧となっているクジラ
ハワイで冬を過ごしたザトウクジラは、
4,000kmの旅を経てアラスカの海にやってくるのだそう


私たちが生きてゆくということは、

誰を犠牲にして自分自身が生きのびるのかという終わりのない日々の選択である。

生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。

近代社会の中では、見えにくいその約束を最もストレートに

受け止めなければならないのが狩猟民である。

約束とは、言い換えれば、血の匂いであり、悲しみという言葉に置き換えてもよい。

そして、その悲しみの中から生まれたものが、古代からの神話なのだろう。



つまり、この世の掟であるその無言の悲しみに、

もし私たちが耳をすますことができなければ、

たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、

人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのではないだろうか。

人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、

より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき、

人の心はその自然から本質的に離れてゆくのかもしれない。



※旅をする木 星野道夫 文春文庫 1999



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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他者の犠牲の上に成り立つ
私たちの暮らし

食肉市場の様子(国外)


品川駅からほど近い場所にある食肉市場(東京都中央卸売市場)は、

東京都で唯一の肉を取り扱う市場。



主に牛と豚の枝肉や内臓等を生産する「と場(屠場)」と、

これらの製品を取引する「市場」の二つの部門から成り立ち、

東京都民をはじめとする多くの消費者に、安全で安心な食肉を安定的に供給しています。



○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質


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私たちの社会と世界
一方の利益は他方の損

フランスを代表する哲学者・モラリスト・懐疑論者・人文主義者
ミシェル・ド・モンテーニュ(Michel de Montaigne, 1533-1592)


商人は、若者たちの無駄遣いがあってはじめて商売がうまくいく。

農民は小麦の値が高ければよい。建築家は家々がこわれればよい。

裁判所の役人たちは人びとの訴訟、紛争があればよい。



宗教にたずさわる聖職者たちの名誉と実務も、

われわれの死とわれわれの不徳のかずかずがあって成り立つ。

「友人たちについてさえ、その健康を喜ぶ医者はいない」と

古代ギリシアの喜劇作家(⇒フィレモン)は言っている。

自分の町の平和を喜ぶ兵士はいないし、その他も同様だ。



そしてもっとわるいことには、だれもが自分の内心をおしはかってみれば、

われわれの心の内側のかずかずのねがいは、たいていの場合、

他の者の損害の上に生まれ育つものだということが見てとれるだろう。



このように考えてみたときに、この事柄でなんと自然はその全般の支配について

すこしも矛盾をおかしていないのだろう、という思いがわたしに訪れた。

というのは、自然の研究者(フィジシャン)たちは、ひとつのものの誕生、

成育、増殖は、もうひとつのものの変化、腐敗であるとはっきり言っているからだ。



つまり、なにかが変質してその限界を踏み出すとなると、

すぐさま以前に存在していたものの死となる。



※「エセーV−社会と世界」 モンテーニュ 荒木昭太郎(訳) 中央公論新社 2003
 一方の利益は他方の損だ 社会の組みたて p20-22



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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カラダが語りだす
世界の隠された物語

企画展「BODY/PLAY/POLITICS」
横浜美術館 2016年10月01日〜2016年12月14日


「BODY/PLAY/POLITICS」は、

人間の身体を表すと同時に、集団という意味を併せもつBODYと、

社会の中での役割を演じるという意味でのPLAY、

社会形成のために人が他者と行う関係性構築、

すなわち「人間の政治性」を表すPOLITICSという言葉の組み合わせから成り立ちます。



ある一人の身体や、集団的な行動、霊的な存在など、

さまざまな形で現れる身体的なイメージには、

歴史を通して多様な役割や関係性が付与されてきました。



肌の色、民族や宗教、性差や生活様式など、異なる文化や価値観を背景に持つ

人々が同居する世界では、個々の身体か持つ色や形状、振る舞いなどに、

長い時間の中で価値の差別化が生じ、不幸な歴史へ繋がったことも少なくありません。



本展で紹介する6作家の作品には、それぞれに歴史を引き受けた「身体」が登場します。

詩的に、時にユーモア溢れる表現で、他者との関係性によって構築されてきた

歴史と向き合う彼らの作品には、現代の世界の様相を捉えなおし、

未来へ向けて新たな意味を見出していこうとする姿が見えてくることでしょう。



※企画展「BODY/PLAY/POLITICS」 開催にあたってのごあいさつ(部分)
 横浜美術館館長 逢坂恵理子 2016年10月



○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム

○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ

○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性


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大航海時代以来の
アフリカとヨーロッパの関係性

奥の映像作品:「さようなら、過ぎ去った日々よ」 2011年
手前の作品:「蝶を駆るイベジ(双子の神)」
インカ・ショニバレ MBE 横浜美術館


1962年、ロンドンに生まれ、ナイジェリアのラゴスで育った

インカ・シュニバレMBEの作品、「さようなら、過ぎ去った日々よ」では、

アフリカとヨーロッパとの間の複雑な関係が示唆されています。



アフリカ更紗(さらさ)で作られた

19世紀フランス風のデザインによるドレスを纏った黒人の歌手が、

ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」のヒロインであるヴィオレッタに扮して、

アリア「Addio del Passato(さようなら、過ぎ去った日々よ)」を歌いあげます。



ヨーロッパ植民地から独立する際にはアフリカ更紗を身に纏うことが

アイデンティティの象徴だったといいますが、その一方で、

アフリカ更紗の多くがヨーロッパで大量生産された輸入品だったといいます。



※企画展「BODY/PLAY/POLITICS」 横浜美術館 作品案内文より



○アフリカから始まった人類


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椿姫 第3幕 アリア「Addio del Passato(さようなら、過ぎ去った日々よ)」
Anna Netrebko: "Teneste la promessa... - Addio del passato" (subt. italiano)

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他者に対して無意識に抱く
固定的なイメージ

ビルが建ち並ぶナイジェリア最大の都市 ラゴス
(LAGOS NIGERIA)


アフリカと聞くと、ある人たちは、「貧困」「エイズ」「内戦」など、

ネガティブなイメージをすぐに思い浮かべるかもしれません。



ナイジェリア生まれの女性作家のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェは、

アメリカに留学した際に、「アフリカから来た」というだけで、

ルームメイトから憐みの目を向けられたことに驚いたと語っています。



また、アフリカは「大自然」「サバンナ」「野生動物」などの

一見ポジティブに見えるイメージにも問題がない訳ではありません。

現実のアフリカ諸国においては人口の多くが近代的な都市で暮らしているにも関わらず、

「機械文明からはほど遠い農村部で不便な生活を送っている人々」

という間違ったイメージを持っていることがあるといいます。



アディーチェはこのことを「シングルストーリー」という言葉で表現します。

シングルストーリーとは、他者に対して知らず知らずのうちに抱いてしまう

ステレオタイプ(ものの見方が固定的)な物語のこと。



シングルストーリーは、無数の差異に満ちた多様な現実を、

単純でわかりやすくただ一つの物語に還元し、現実の複雑さから目をそむけさせ、

思考の努力を放棄させてしまう側面があるようです。



○一部だけで、その人の全体と捉える ラべリング


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座りのよい理性的な意味づけを拒絶する
マルシアル

コンゴ共和国出身の小説家・劇作家
ソニー・ラブ=タンシ(Sony Labou=Tansi、1947-1995)


独立以降のアフリカ諸国の現代史において、独裁者が圧制で民衆を虐(しいた)げ、

内戦によっておびただしい数の死者や難民が存在していたことも

否定しがたい事実だといいます。



コンゴ共和国出身のソニー・ラブ=タシンの小説「一つ半の生命」は、

架空の国カタマナラジーを舞台にした政治風刺小説。

《摂理の指導者》という名の独裁者が、反体制派のマルシアルという人物を

惨殺(ざんさつ:むごたらしい方法で殺すこと)する場面から始まります。



拷問によって「父ぽろきれ」となったマルシアルは、喉をナイフで突き刺され、

腹を引き裂かれ、そこから内臓が垂れ出ているのに、なおも死なない。



  すると、《摂理の指導者》は中尉の拳銃を取って装填し、

  銃口を父ぽろぎれの左耳にあてて次つぎと撃ち込んだ。

  どの弾も右耳から出て壁にあたった。

  「こんな死に方はしたくないものだ」

  父ぽろきれはなおも言った。



残虐に切り刻まれて人間としての形をとどめていないにもかかわらず

マルシアルは声を発し続ける。

《摂理の指導者》は、さらに亡骸を冒涜するように口にシャンペンを注ぎ入れる。



  液体は喉を過ぎ、ナイフの穴から出て裸の上半身に流れ、

  ずたずたの肉雑巾にまじって、タイル張りの床に作りものの血のようにしたたり落ちた。

  《摂理の指導者》は待った。長い沈黙が続く。

  だが、またもしばらくすると、半ば口から、半ばナイフの穴から、声が漏れてきた。



※一つ半の生命 ソニー・ラブ=タンシ 樋口裕一(訳) 新評論 1992 p9-10、12-13


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超自然的存在としての身体を通じて現れる
現代女性たちのリアルな声

「ポンティアナックを想いながら:曇り空でも私の心は晴れ模様」 2016
ビデオ・インスタレーション(3面) イー・イラン 横浜美術館
「Imagining Pontianak: I've Got Sunshine on A Cloudy Day」


マレーシア・クアラルンプールを拠点に活動するイー・イランの作品が

描きだすのは、東南アジアの民間伝承ではよく知られた女性の

幽霊であるポンティアナックの姿を借りた、現代女性たちのリアルな声。



長髪を振り乱し、白い衣装をまとった女性の怪物の姿で現されるポンティアナックには、

さまざまな言い伝えがあり、妊娠中や出産中に亡くなった、あるいは死産した女性、

強姦された女性の魂などといわれ、男性の内臓を貪り食い、性器を引き裂くともいわれます。



古くから小説やホラー映画などにもしばしば登場するポンティアナックは、

現世に対して憎しみや悲しみの感情を残し、言葉にすることができないまま

死んでいった女性たちの象徴とも捉えられるそう。



イー・イランは、本作のために20〜30代のマレーシアに住む女性たち14人を招き、

7名ずつの2組に分け、ポンティアナックの姿に扮して台本の無い自由に会話をさせました。

7名という人数には、作家の祖母の出身地であるサバのカダザン・ドゥスン族における

精霊信仰の儀式を執り行うために必要な巫女の数との相関関係があるといいます。



女性たちが語るのは、彼氏や夫との関係、セックスや結婚観、自分の身体や出産のこと。

女性同士で繰り広げられる赤裸々な話の端々には、

女性の身体に役割や意味を持たせようとすることへの違和感、

男性や家族のため、女性の身体が自分以外のためにあることを

求める社会通念に対する疑問が見え隠れします。



自分の身体は自分だけのために存在するものであり、

子供を産んでも産まなくても、女性の価値は変わらない。

ただそれだけのことも、言葉にし続けなければならない、

現代のポンティアナックたちの生の声が聞こえてくる作品です。



※企画展「BODY/PLAY/POLITICS」 横浜美術館 作品案内文より



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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不安に苛まれた女性の心情が託された
ウリック・マヤン

民族衣装を着たマレーシアの女性


イー・イランの作品「ポンティアナックを想いながら:曇り空でも私の心は晴れ模様」の中で、

ある女性はマレー語で民謡「ウリック・マヤン」を歌います。



ウリック・マヤンは、海に住む7人姉妹の姫のうちの1人が、

地上に暮らす漁師と恋に落ちるも、

住む世界の違いから2人の仲が引き裂かれてしまう異類婚姻譚。

(いるいこんいんたん:人間と異なった種類の存在と人間とが結婚する話)



そこには、不安に苛まれた女性の心情をが託されているようにも思えます。


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スラヴ神話にみる異類婚姻譚
水の精「ルサルカ」の悲恋

「ルサルカ」 1877 ウィトルフ・プルツコウスキー(ポーランド)
「Rusalka」 Witold Pruszkowski(1846〜1896)


※異類婚姻譚(いるいこんいんたん)…人間と異なった種類の存在と人間とが結婚する話




チェコやスロバキア、ポーランドなどに伝わるスラヴ神話に登場する

水の精霊、ルサルカ(Rusalka)。ドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」は、

この神話を題材に妖精と人間の王子との恋の物語が描かれています。



  人間の王子に恋をした森に棲む妖精ルサルカは、魔法使いのイェジババと、

  自分の声を失うことを条件に人間になれる契約をします。

  そして、もし王子が裏切れば、二人とも破滅すると伝えられます。



  王子は美しいルサルカと森で出会い恋に落ち、城に連れて帰りますが、

  口をきかないルサルカから愛情は薄れ、別の公女に移ってしまいます。



  嘆き悲しむルサルカの前に、水の精ヴォドニクが現れ、

  ルサルカを裏切った王子に呪いをかけ、ルサルカを湖に連れて帰ります。

  人間でも精霊でもなく永遠にさまよい続けなければならなくなったルサルカ。



  魔法使いが現れ、ルサルカに短剣を手渡し王子の血によって

  水の精に戻れると教えますが、王子への想いが断ち切れない

  ルサルカは短剣を湖に捨てます。



  呪いに苦しむ王子が湖に現れ、ルサルカに許しを乞う。

  ルサルカは、自分の接吻は王子に死をもたらすものだと言うと、

  王子は自分の不実を償うためルサルカに口づけをし、

  安らかに息絶え、ルサルカは湖の底に沈んでゆきます。



○「生きる力」を奏でるクラシック

○明日への架け橋|新しい芸術 アール・ヌーヴォーの時代


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ドヴォルザーク オペラ「ルサルカ」より アリア「白銀の月」
Antonin Dvorak - Rusalka - Song to the moon
(Anna Netrebko) ロシア人・ソプラノ アンナ・ネトレプコ

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ハッピーエンドを迎える異類婚姻譚
リトルマーメイド

「THE LITTLE MERMAID」 DISNEY


ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」を題材にしたといわれる

ディズニーの映画・ミュージカル「リトルマーメイド」。



  人魚姫であるアリエルは、人間の王子エリックに恋をします。

  アリエルは、海の魔女アースラーと、自分の声と引き換えに、

  3日間だけ人間になれる契約をします。

  そして、3日の間に王子からキスされなければ、

  一生アースラーの奴隷となることを約束します。



  人間の姿を手に入れ浜辺にあがったアリエルは、

  エリックと再会するも、アースラーの手下たちに邪魔されキスには至りません。

  3日間の時間が過ぎ、アースラーに連れ戻されてしまうアリエル。



  アースラーは、兄であり、アリエルの父であるトリトンに、

  娘を返す代わりに、トリトンの力を要求しますが、

  アースラーの力の源泉である「貝の魔法」を破壊し、平和が戻ってきます。



  そして、アリエルとエリックは結ばれるのでした。



○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術|ミュージカル


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Kiss the Girl - The Little Mermaid - Kiss de Girl - Lyrics

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日本に見られる異類婚姻譚
竹取物語

Taketori no Okina takes Kaguya-hime to his home,
Drawn by Tosa Hiromichi, c. 1600


9世紀から10世紀初頭にかけて成立した「竹取物語」は、

日本で最古の物語だと考えられています。



竹から生まれ美しく育ったかぐや姫が、5人の求婚者を退け、

地上の最高権力者である帝からの求愛にもなびかず、

月の世界に帰ってゆくという内容は広く知られます。



人間にとって幸福の源泉である「かぐや姫」は、まさに超越的な美質を帯びた存在。

宝物であるヒロインが、周囲の人間に対して富や命(長寿)などの具体的な宝物

を分かち与える一方、かぐや姫という宝物を獲得したいと願う求婚者たちは、

自分たちが玉や枝などの具体的な宝物を手に入れる能力の持ち主であることを

証明するよう求められます。



竹取物語の読者を含めた人間たちは、

「かぐや姫」と接しているうちに様々な宝物の獲得と喪失にかかわり、

徐々に人間の幸福と不幸についての認識を深めていくようです。



○人間の幸不幸を凝視する物語文学|源氏物語


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大きくひび割れた存在
傷ついた女神

かぐや姫が月に帰る場面が示唆される「月宮迎」
月岡芳年 「月百姿」の中の一枚


かぐや姫を迎えに来た月の王は、翁(おきな)に向かって次のように語ります。



  「かぐや姫は罪を作り給(たま)へりければ、かく賤(いや)しき己(おのれ)が許(もと)に、

  暫(しば)し御座(おは)しつるなり。罪の限り、果てぬれば、かく迎えふるを」



かぐや姫は、月の世界で罪を犯してしまったので、

賤(いや)しい自分が許されるよう、しばらく人間の世界に居ましたが、

その罪が果てたため、迎えにきたといいます。



かぐや姫は、実は完璧な存在ではなく、

瑕(きず)を負い、大きくひび割れた存在であったよう。

そして、本人が傷つき、救いを求めてきたからこそ、

周囲の人の「幸せになりたい」という願望に共感することができ、

周囲の人を幸福にしたいと熱望することができたように思えます。



そのあげく、他人を幸福にした宝物であるヒロインは、

他人の苦しみを引き受け、さらなる苦悩を抱え込むことになるようです。



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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傷ついた女神に
託されたもの

「満月を背景に羽ばたく渡り鳥の群れ」
新月と満月を反復し、永遠に満ち欠けを繰り返す月は、
古来、不死のシンボルと考えられていたそう


マレー語の民謡として伝わる「ウリック・マヤン」、

スラヴ神話に伝わる水の妖精「ルサルカ」、

アンデルセンの「人魚姫」を題材にしたディズニーの物語「リトルマーメイド」、

そして日本に伝わる「竹取物語」。



そこに描かれるヒロインの共通点は「傷つた女神」のよう。

「リトルマーメイド」はハッピーエンドを迎えますが、人魚姫アリエルは、

父であるトリトンに自分の気持ちを理解してもらえず傷ついていました。



このことは、

現実の世界で悩みもがく「苦しむ女性」の姿を示唆しているようにも思えます。



物語は、人間の心、そして何が人間を幸福にし、何が人間を不幸にするのかを

凝視する文学であり、作者と読者は、幸福は人と人との結びつきの中にあり、

人と人が切り離されている孤独な状態は不幸である、という前提を共有しています。



自分の居場所、すなわち人間のアイデンティティは、

人間関係のネットワークを、

自由自在に構築できる能力を持つことで初めて見出されます。



幸福は、人と人との間にあるというのが物語文学の教えのようです。



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay

○雄大な空の旅をする渡り鳥

○華麗なるコンチェルト|ベートーヴェン ピアノ協奏曲 全5曲


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Beethoven Moonlight Sonata (Sonata al chiaro di luna)
ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 「月光」

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こぼれ出るその人の人生
現代日本における多様な身体

「Portraits 2013-2016」 石川竜一
企画展「BODY/PLAY/POLITICS」 横浜美術館


「あの頃はいつも死のうと思っていて、どんな死に方がいいか、

そんなことばかり考えていた。

でも、いろいろ言い訳をつけては死に切れなかった。」



写真に出会う前、生きる意味を見い出すことができず、

自殺することばかりを考えていた時期があったと語る石川竜一。



2015年の日本の自殺者は24,025人(内閣府発表)、

統計による差異はあるものの、

日本は世界的に自殺率が極めて高い国の一つであり、

とりわけ若年層と高齢者の割合が突出しているといわれます。



なぜこの国では、ただ生きることがこれほどに難しいのでしょう。



10年前、石川が初めて手に入れた中古カメラは壊れていて、

何も写らなかったといいます。

思い通りにならないもどかしさからどんどん写真にのめりこんでいった

石川にとって、写真は人も自然もひっくるめたあらゆる外界との

コミュニケーションを象徴する手段であり、

生きることの意味と向き合うための方策になっていたのでしょう。



沖縄、東京、大阪、石川、長野、北海道。

石川竜一は、「Portraits 2013-2016」で、これまで彼が撮り続けてきた

沖縄だけでなく、初めて彼にとっての「県外」を含む日本各地で出会った

人々のポートレートを発表しています。



現代の日本における多様な身体。



石川が声をかけた人々の姿や表情には、

どこか社会の中で生きることへの不器用さや懸命さが見え隠れします。

ファインダーを通して石川が見ているのは、外面的な特徴ではありません。

ふとした瞬間にその佇まいや表情からこぼれ出るその人の人生であり、

その生に対する石川の共感です。



※企画展「BODY/PLAY/POLITICS」 横浜美術館 作品案内文より



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと

○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針を探る


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相反するエネルギーが
拮抗する状態

アピチャッポン・ウィーラセタクン《炎(扇風機)》2016年
シングル・チャンネル・ビデオ・インスタレーション 横浜美術館
Apichatpong Weerasethakul, Fireworks (Fans), 2016


1970年、バンコクに生まれ、チェンマイを拠点に活動する作家

アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品「炎(扇風機)」。

ここにあるのは、相反するエネルギーが拮抗した状態を示す抽象的なイメージです。



「炎(扇風機)」では、球体状に組み合わせれた3台の扇風機が、

炎を吹き出しながら回り続けています。扇風機の風で炎は勢いを増し、

あるいは逆に吹き消されそうになる瞬間が交互に訪れます。



本作は作家にとって、魅惑的なものと脅威とが共存する

自身の家に対する暗いイメージを反映するものであるといいます。



※企画展「BODY/PLAY/POLITICS」 横浜美術館 作品案内文より



○美しいアンダマン海に面したプーケット

○混沌とした中に躍動感があふれるベトナム


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魂の目によって見ることができる
イデア

「パルテノン神殿の西ペディメントを飾った彫刻群」
女神アテナイと海神ポセイドンが都市の守護者たる立場を
争った様子が描かれているそうです 大英博物館


古代ギリシアの哲学者プラトンは、

ソクラテスの弟子、そしてアリストテレスの師に当たるといいます。



「真理」や「理念」と訳されるイデア(Idea)は、プラトン哲学の中核をなす概念であり、

ギリシア語では「見える姿」「見える形」という意味があるそうです。

それは、肉体の目によって見ることができるものではなく、

魂の目によって見えることができるとされています。



プラトンは「イデア」を「エイドス(eidos)⇒形相」、

または「ウーシア(ousia)⇒実体・真実在」ともいい、

いずれも私たちが肉体のうちに具えている感覚を超えた知性によって

捉えることのできる知識だとしています。



○人類の智の宝庫 大英博物館

○地中海の風に誘われて 宝石のような街並みへ


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芸術への激しい敵対心
プラトンの詩人追放論

上段左から3人目、青い服を着て天を仰ぎ見るのは詩人ホメロス
The Parnassus Rafael (バナッソス ラファエロ バチカン)


プラトンの代表作「国家(ポリーテイアー)」は、

正義を中心にして理想国家についての考察がなされている対話形式の著書。



その第10巻の中で、プラトンは、

詩人や画家、そのほかのミーメーシス(模倣・再現)する人々(⇒芸術家)を、

真実の世界から遠く隔たった低劣なものを作品として創造する人々であると非難し、

理想国家への受入れを拒否します。



その背景には、詩人ホメロスへの批判があったとされます。



当時のギリシアの人々は、ホメロスに対して、

「あらゆる技術を、また徳と悪徳にかかわる人間すべてのこと、

さらには神のことまでも、みな知っている」という印象をもっていたとされ、

ホメロスの芸術作品こそは、ギリシアの人々にとって、

いかに生きるべきか、また、いかに生きてゆくべきか、という点において、

思想的にも実践的にも基本的な指針を示すほどの重要なものであったといいます。



ホメロスの詩は、公共的な場であるお祭りの広場や劇場など通して

朗読されますが、それゆえプラトンは、その群衆の中に混じっている、

人生の様々な経験を未だ経ていないために正しい判断をもっていない未成年の人々や、

成人であっても様々な理由によって正しい判断力をもっていない人々にとって、

詩が危険で有害な作用をもたらしかねないことを危惧したとされます。



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ

○そよ風に乗ってローマの街並みへ


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プラトンの芸術哲学
超自然が語りかける「詩」

プラトン(左)とアリストテレス(右)
アテナイの学堂(部分) ラファエロ バチカン


それは(詩、芸術は)、技術として君(イオン)の所にあるわけではないのだ、

ホメロスについてうまく語る、ということはね。

それはむしろ、神的な力(イデア、真理、本質、超自然、森羅万象…)なのだ、

それが君を動かしているのだ。



それはちょうど、エウリピデスがマグネシアの石と名付け(⇒磁石)、

他の多くの人々がヘラクレイアの石と名付けている、

あの石にある力(磁力、神、イデア、真理、本質、超自然…)のようなものなのだ。



つまりその指輪の中へ一つの力を注ぎ込んで、

それによって今度はその指輪が、ちょうどその石がするのと同じ作用、

即ち、他の指輪は引く作用を、することができるようになるのだ。

(磁力を持っていない指輪が、磁石に接することで磁力を帯び他の指輪を引きつける)



その結果、時には、鉄片や指輪が、たがいにぶら下がりあって、

極めて長い鎖となることがある。

これらすべての鉄片や指輪にとって、その力は、かの石に依存しているわけだ。



これと同じように、ムッサの女神もまた、先ず自らが、神気を吹き込まれた人々をつくる。

すると、その神気を吹き込まれた人々を介して、その人々とは別の、

霊感を吹き込まれた人々の鎖が、つながりあってくることになるのだ。



即ち、叙事詩の作者たちで、優れているほどの人たちはすべて、

技術によってではなく、神気を吹き込まれ、神懸かりにかかることによって、

その美しい詩の一切を語っているのであり、その事情は、叙情詩人たちにしても、

その優れた人たちにあっては同じことなのだ。



詩人というものは、翼もあれば神的でもあるという、軽やかな生きもので、

彼は、神気を吹き込まれ、吾を忘れた状態になり、もはや彼の存在しなくなった

時にはじめて、詩を作ることができるのであって、それ以前は、不可能なのだ。



神は、彼ら詩人たちからその姿勢を奪い、信託を告げる者たちや

神の意を取り次ぐ聖なる人たちを召使いとして使用しているように、

詩人たちも召使いとして使用していることがあるが、その神の意図は、

聴衆である我々に、次のことをしせしめようとしているわけだ。



つまり、それほども値打ちのある数々のことを語るのは、

知性の不在沈黙にある彼らではない、むしろ、神自身らがその語り手であり、

神自らが、彼ら詩人たちを介して、我々に言葉をかけているのだ、ということをね。



※「イオン」 プラトン 森進一(訳) 「プラトン全集」第10巻 岩波書店 1975 p127-130



○森羅万象のいのちの満ちる森|たおやかに熟成してきた白神の時間

○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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アリストテレスの芸術哲学
悲劇は優れた人を再現する

最後は海の泡となって消える「人魚姫」


再現(ミーメーシス)の対象は行為する人である。

ところで行為する人は、必ず、その性格が高尚であるか下劣であるかに分類される。



喜劇は現に我々の周囲にいる人々よりも劣った人を再現しようと意図するが、

悲劇はより優れた人物を再現しようと意図する。



悲劇とは、一定の大きさ(長さ)で完結している、高貴な行為のミーメーシスには、

劇の構成部分の各々に従ってそれぞれ別々に用いられる、

様々な種類の快い味つけ(効果)を与えられた言葉が使われるのであるが、

しかし、朗詠によってではなく、役者の演技によって、

その行為はミーメーシスされるのであって、そしてあわれみとおそれの喚起をしながら、

このような諸感情のカタルシス(浄化)を、その行為のミーメーシスはなしとげるのである。



※アリストテレス全集 第17巻 今道友信(訳) 岩波書店 1972




カタルシス(浄化)は、古代ギリシアのヒポクラテス派の医学では、

人間の体内から、病気の因となるような過剰の体液を排泄することであり、

悲劇が、観客にとって一つの救済となりうるのは、

そもそも芸術が世界の本質をあらわにするからに他ならないといいます。



悲劇を鑑賞する観客は、現実から逃避するのではなく、その反対に、

現実により深く向き合うことになり、普段は意識下(無意識)に追いやっている、

現実世界の様々な困難とそれによる不幸・苦悩を、悲劇を見ることによって、

対象化し、それを意識下に追いやっていることへの重荷から解放されるよう。



人は、悲劇を経験することによって、世界を経験し、

一つの解放を経験することができるとされます。



○自分の中にその存在を認める|オペラ「ドン・カルロ」にみる人間観

○命から生まれた嘆き・希望・美しさ|世界の民族音楽

○はかなく消えやすいもののたとえ 泡沫|失われた25年から学んだこと


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風刺や失敗談など「滑稽」を表現する
狂言

人間の身勝手さが表現される
狂言「水掛聟(みずかけむこ)」


喜劇は現に我々の周囲にいる人々よりも劣った人を再現しようと意図するが、

悲劇はより優れた人物を再現しようと意図する。


※アリストテレス全集 第17巻 今道友信(訳) 岩波書店 1972




日本の伝統芸能である狂言は、主に科(しぐさ)と白(せりふ)によって表現する喜劇。

風刺や失敗談など滑稽な内容を表現するそうです。

それに対して能は面を使用する音楽劇で、内容は悲劇的なものが多いといいます。



○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力

○風刺や失敗談など「滑稽」を表現する 狂言

○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来


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日本の成り立ちを語る
雅楽

宮内庁楽部 雅楽演奏会


日本に古来からあった神楽(かぐら)歌などの舞と、

古代アジア大陸諸国の音楽が融合して10世紀頃に完成したという「雅楽(ががく)」。



皇室の保護の下に伝承され、

宮中の儀式、饗宴、春・秋の園遊会などの行事の際に演奏されているそうです。



○日本の成り立ちを語る雅楽

○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿

○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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様々な欠陥を有する人間
生得的な限界を超えた新たな世界観の獲得

イギリスの自然哲学者ロバート・フック(1635-1703)
が描いたコルクの細胞構造


17世紀の研究者ロバート・フックは、

中学理科で習う「フックの法則」や「細胞」の発見者として有名です。

彼が顕微鏡を作ってたまたまコルクを観察すると、小さな構造がたくさんあり、

それに「小部屋」という意味の「cell」という名前を付け、

そこから細胞生物学の研究が始まりました。



なぜフックはそのような研究をしていたのでしょうか。

細胞の発見について記述した著書「ミクログラフィア」の序論でフックは

元来完全な存在であったはずの人間は、さまざまな欠陥を有しており、

それは「感覚」「記憶」「理性」の3点であるとしています。

そこで人間が完全存在に近づくために、感覚の欠陥を補完する

光学機器などの「人工器官」を使おう、というのが彼の主張でした。



望遠鏡によって遠くのものが見えない欠陥を克服し、

顕微鏡によって微細な世界が見えない欠陥を克服する。

そのことによって、人間はより完全な存在に近づける主張をしています。



フックは細胞を発見するために顕微鏡を用いたのではなく、

感覚能力を拡張するために顕微鏡を用い、その結果細胞を発見するに至ったのです。

自らの認識能力を拡張することは、生得的な限界を超えた新たな発見を生み、

新たな世界観を獲得することに繋がるといえます。



※バーチャル化する身体 2016.10
 先端科学技術研究センター・教授 稲見昌彦 先生
 2016秋 東京大学公開講座 仮想と現実 より引用(部分)



○進化するテクノロジー 人間のフロンティア

○個々の領域だけでなく全体をも考えた自然哲学者


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真理を愛する
美術批評の祖 ディドロ

フランスの哲学者・作家 ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot、1713-1784)
Portrait by Louis-Michel van Loo, 1767 ルーヴル美術館


「百科全書」を作り上げたフランスの哲学者、ドゥニ・ディドロ。

ミシェル・バン・ローの描いた肖像画「ディドロ」を見て、

本人は以下のように述べています。



  おや、私だ。私はミシェルを愛する。しかし私はそれ以上に真理を愛する。




ディドロは画家のミシェルをよく知っていて、好んでいましたが、

この絵に関しては少し不満があったよう。



それは、外見としての姿はディドロ自身であっても、

真理としての私ではなかったようです。



○深く、恐ろしく真実を語るものであれ|近代彫刻の父 オーギュスト・ロダン


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真理を内に含む

ポンパドゥール夫人の肖像画
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール 1755年 ルーヴル美術館


ディドロが中心となって編纂した「百科全書」の助成を行ったポンパドゥール夫人。



王家の出身ではなく、市民層からフランス国王ルイ15世の公妾(こうしょう:

公(おおやけ)の妾(めかけ)⇒公の愛人)となったポンパドゥール夫人は、

国王の相談役として、また国の閣議にも出席するなど、

政治的・社会的に重要な立場にあったといわれます。



絵画は、18世紀のパステル画の中でも「美しい」作品の一つとして知られる

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの「ポンパドゥール夫人の肖像画」。



肖像画というと、本人に似ていることが大事だと思われがちですが、

それだけに留まらず、この肖像画には、市民層出身である夫人の

知性や地位、役割、重要性というものが内に含まれているようです。



夫人の右側にある机の上には本が並び、

背表紙には「ENCICLOPEDIE(百科全書)」と書かれています。

18世紀において「百科全書」は宗教界から目の敵にされた辞典であって、

宗教的というよりは真理・神羅万象を記す事典は、

宗教界からの強い要請によって発行禁止となります。



そのような辞典が、フランスにおいて重要な地位を占めるポンパトゥール夫人

の部屋に並べられていることは、民衆に対して大きなインパクトがあり、

夫人が「百科全書」を応援する存在であったことが内に含まれています。



○美貌と才覚を兼ね備えたポンパドゥール夫人


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主観ではなく実在のなかにある

ルーヴル宮殿(ルーヴル美術館)


※ドゥニ・ディドロ


  美しいものは、常にどんな場合でも美しい。

  変わるのは、私の感覚のみである。

  私がルーヴル宮殿の柱廊の前を、その柱廊を見ることなく通り過ぎる。

  その柱廊は、私が見ないということのゆえに、私にとって、より美しくなるであろうか。

  全然そんなことはないのだ。




人間は絵画や彫刻・音楽などの芸術に接したときに「美しい」と感じたり、

また、男性は女性に「美しい(可愛い)」と感じたり、

女性は男性に「美しい(恰好良い)」と感じたりしますが、

ディドロのいう「美しい」は主観的なものではなく、

人間がいてもいなくても、その人が思う・思わないに関わらず美しいものであり、

その存在が内に含む真理に人間が触れたときに認識できるもののようです。


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ますます美しい存在となる
一存在における多の再現

ルーヴル美術館には「ディドロの画家たち」と名づけられた
部屋(Room47)があります(画像の部屋はRoom39)


ある存在は、その内において多くの真理を再現すればするほど、

基本的には、ますます濃度の濃い充実した存在となり、

それだけますます美しい存在となるようです。






思想界にとって大きな存在であったばかりでなく、

美術界にとっても大きな存在であったディドロ。



ルーヴル美術館には「ディドロの画家たち」と名づけられた部屋がありますが、

ディドロは絵画や彫刻を製作する美術家ではなく、

そのような人物の部屋が美術館の中にあるのは他では見られないといわれます。



○内面の美が備わった花 芍薬


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なにかがはじまるとき
はじまりは常に新しい



また朝が来てぼくは生きていた

夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た

柿の木の裸の枝が風にゆれ

首輪のない犬が陽だまりに寝そべっているのを



百年前ぼくはここにいなかった

百年後ぼくはここにいないだろう

当たり前な所のようでいて

地上はきっと思いがけない場所なんだ



いつだったか子宮の中で

ぼくは小さな小さな卵だった

それから小さな小さな魚になって

それから小さな小さな鳥になって



それからやっとぼくは人間になった

十ケ月を何千億年もかかって生きて

そんなこともぼくらは復習しなきゃ

今まで予習ばっかりしすぎたから



今朝一滴の水のすきとおった冷たさが

ぼくに人間とは何かを教える

魚たちと鳥たちとそして

ぼくを殺すかもしれぬけものとすら

その水をわかちあいたい



※魂のみなもとへ 詩と哲学のデュオ 谷川俊太郎 長谷川宏 近代出版 2001
 「朝」 p12-17


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われわれは、みな、
大地の一部

ホッキョクグマ(ナヌーク)


われわれは、みな、大地の一部。

おまえがいのちのために祈ったとき、おまえはナヌークになり、ナヌークは人間になる。

いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。

そのとき、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでも良いのだ。



※ナヌークの贈りもの 星野道夫 小学館 1996



○自然にとっては価値のない個体

○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


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もし見つけたら
大切に…大切に…

アラスカ州の州花 ワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)
英語では「Forget-me-not」、直訳すると「私を忘れないで」


短い一生で、心魅かれることに多くは出合わない。

もし見つけたら、大切に…大切に…



※旅をする木 星野道夫 文春文庫 1999



○新たな息吹に包まれる桜舞う頃

○天高く馬肥ゆる秋|実をつけて燃え、生を喜ぶ季節

○秋を聴く|移ろいゆくコントラスト


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参  考  情  報


○星野道夫公式サイト

○公益社団法人 日本食肉市場卸売協会

○と畜場法

○「お肉の情報館」案内|東京都中央卸売市場

○横浜美術館

○オペラ対訳プロジェクト | オペラの歌詞日本語対訳サイト

○大塚国際美術館|徳島県鳴門市にある陶板名画美術館

○GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0

○フリー素材・無料の写真| ピクト缶

○フリー百科辞典Wikipedia

○没後20年特別展 星野道夫の旅 2016.10
 アラスカの自然と動物、そこで暮らす人々をこよなく愛した写真家の、
 仕事と心の回顧展。
 ・会場 横浜高島屋ギャラリー
 ・主催 朝日新聞社、神奈川新聞社
 ・特別協力 星野道夫事務所
 ・協力 富士フィルムイメージングシステム

○アラスカ 光と風 星野道夫 六興出版 1986

○イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する 星野道夫 新潮文庫 1998

○旅をする木 星野道夫 文春文庫 1999

○森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 世界文化社 1996

○ノーザンライツ 星野道夫 新潮文庫 2000

○長い旅の途上 星野道夫 文春文庫 2002

○カヌー犬・ガク 野田知佑 小学館文庫 1998

○魂のみなもとへ 詩と哲学のデュオ 谷川俊太郎 長谷川宏 近代出版 2001

○詩の声 2017.06
 講師 谷川俊太郎 先生 (詩人)
 82回円覚寺夏期講座 円覚寺

○企画展「BODY/PLAY/POLITICS」
 横浜美術館 2016年10月01日〜2016年12月14日

○世界文学への招待
 5.「アフリカ」というステレオタイプを超えて−アフリカのフランス語文学−
 宮下志朗 先生 放送大学教授
 小野正嗣 先生 放送大学客員准教授・立教大学准教授

○一つ半の生命 ソニー・ラブ=タンシ 樋口裕一(訳) 新評論 1992

○メトロポリスクラッシクス
 華麗なる歌声&ノスタルジック・シンフォニー 2016.10
 ・モーツァルト
  オペラ「フィガロの結婚」より序曲 アリア「恋とはどんなものかしら」
 ・プッチーニ
  オペラ「ジャンニ・スキッキ」より アリア「私のお父さん」
 ・ビゼー
  オペラ「カルメン」より アリア「ハバネラ“恋は野の鳥”」
 ・オッフェンバック
  オペラ「ホフマン物語」より二重唱「舟歌」
 ・ドヴォルザーク
  オペラ「ルサルカ」より アリア「白銀の月」
 ・サン=サーンス
  オペラ「サムスンとデリラ」より アリア「あなたの声にわが心は開く」
 ・ドヴォルザーク
  交響曲第9番ホ短調op.95 「新世界より」
  チェコ組曲ニ長調作品39 第二曲「ポルカ」
 ○指揮 梅田俊明
 ○管弦楽 東京都交響楽団
 ○ソプラノ 幸田浩子
 ○メゾソプラノ 林美智子
 ○司会 朝岡聡
 ○会場 サントリーホール
 ○主催 公益財団法人 メトロ文化財団

○ミュージカル「リトルマーメイド」 四季劇場「夏」
 鑑賞:2016.11、2014.06、2013.10

○ミュージカル「アンデルセン」 四季劇場「秋」
 観賞:2009.05、他2回

○日本の物語文学
 島内裕子 先生 放送大学教授
 2.始まりとしての「竹取物語」 電気通信大学教授 島内景二 先生

○西洋芸術の歴史と理論
 青山昌文 先生 放送大学教授
 2.プラトン美学−文学の深い可能性−
 3.アリストテレス芸術哲学−演劇の哲学的普遍性−
 11.ロココ美術−ディドロ美学と市民の芸術−

○名画で読み解く ブルボン王朝12の物語 中野京子 光文社新書 2010

○季語百話―花をひろう 高橋睦郎 中公新書 2011

○哲学への誘い
 佐藤康邦 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授
 恋愛小説としてのプラトン、絵画と哲学

○国家(上・下) プラトン 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979

○オデュッセイアー(上・下) ホメーロス 呉茂一(訳) 岩波文庫 1971

○「エセーV−社会と世界」 モンテーニュ 荒木昭太郎(訳) 中央公論新社 2003

○第124回(平成28年秋季)東京大学公開講座「仮想と現実」2016.10-11
 ・バーチャル化する身体 稲見昌彦 先生 先端科学技術研究センター 教授

○クラーナハ展―500年後の誘惑
 2016年10月15日(土) 〜 2017年1月15日(日)
 国立西洋美術館

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