開放的で自由な街に、心地よい風が吹きぬける

OPEN YOKOHAMA


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横浜三塔
KING , QUEEN & JACK TOWER



キングの塔と呼ばれる神奈川県庁本庁舎、

ジャックの塔と呼ばれる横浜市開港記念会館、

クイーンの塔と呼ばれる横浜税関。



大正から昭和初期に建てられた3つの歴史的建造物は、

横浜三塔と呼ばれているそうです。



○新たな絆から夢が膨らむグローバル人材

○横浜の変わりゆくこと 変わらないこと

○まるごと横浜|港ヨコハマのブルーに染まって

○自然と動植物に触れ、優しさに触れる横浜ヒルサイド


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キングの塔として親しまれる
神奈川県庁舎

帝冠様式の建物


「キングの塔」の愛称で親しまれている神奈川県庁本庁舎。

日本趣味のある洋風建築で、昭和初期に流行した

「帝冠様式」建築の先駆けだそうです。



昭和3年(1928)に建てられ、知事が執務する現役の庁舎としては、

大阪府庁本館に次いで全国で2番目に古いものだそう。



○帝冠様式の本館、東京国立博物館

○空高くそびえる摩天楼|東京都庁がある西新宿

○ビジネスと憩いの融合 発展し続ける街、新横浜


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港湾行政を担った役所
神奈川運上所跡

史跡の後ろは神奈川県本庁舎


神奈川県庁本庁舎の敷地内にある神奈川運上所跡の碑。



開港に伴い、この地に外交事務や関税の取り仕切り、

港湾行政などを担う総合的な役所があり、

この地を境に西側が日本人居住地、東側が外国人居留地と分けられていそうです。



「運上」は現在でいう税金のことだそう。



○神奈川運上所を支配していた神奈川奉行所跡


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いのち輝くマグネット神奈川
知事室



本庁舎3階にある知事室。

壁には「いのち」とかかれた書が飾られています。



神奈川県では、県民が生きる喜びを実感し、

生まれてよかった、長生きしてよかったと思えること、

人やものを引き付けるマグネットの力を持ち、

住んでみたい、何度も訪れてこたいと思う魅力にあふれる

「いのち輝くマグネット神奈川」を推進しているそうです。



県民一人ひとりのいちのを輝かせるとともに、

人やものを引き付ける魅力を持った神奈川の実現をめざしているそう。


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旧大会議場



かつて県議会議場であったという旧大会議場。

新しい県議会場は新館に移っているそうです。


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和風と洋風を融合された
旧貴賓室



貴賓室として使われていたという第三応接室。



和風と洋風が融合された格式を感じさせる空間には、

歴代知事の写真が飾られていました。


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より充実し開かれた議会を目指す
神奈川県議会

県議会議員在庁表示板


神奈川県議会は、民意を代表する議員の多彩な議会活動を通じて、

県民の多様な意見を集約し、県政に適切に反映させることを使命としているそうです。



○唯一の立法機関である国会議事堂


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神奈川県庁大食堂
シーガル

目の前にクイーンの塔(横浜税関)が見えます


神奈川県庁新庁舎の12階にある食堂シーガル。

横浜港を望む景色が広がります。



メニューには県立保健福祉大学栄養学科と連携して開発した健康メニュー、

「県立大学シーラボ☆ランチ」などがあるそうです。



○天空からみた港ヨコハマ


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クイーンの塔
横浜税関



3つの大きな目標、

 ○適正かつ公平な関税等の徴収
 ○安全・安心な社会の実現
 ○貿易の円滑化

を掲げ、取り組んでいるという税関。



横浜税関は、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、

一部を除く千葉県、神奈川県の6県を管轄しているそうです。



イスラム寺院を想わせる緑青色のドームは、

「クイーンの塔」の愛称で親しまれているそうです。


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ジャックの塔
横浜市開港記念会館

国指定重要文化財


横浜開港50周年を記念し、

市民の寄付金により大正6(1917)年に創建されたという

横浜市開港記念会館。



横浜の代表的建造物の一つとして「ジャックの塔」として親しまれているそうです。


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黒船の旗艦船
ポーハタン号

横浜市開港記念会館(ジャックの塔)


黒船ポーハタン号来航の様子を題材としたステンドグラス。



ペリーはこの船を旗艦として来航し、

日米修好通商条約はこの船の船上で調印したのだそうです。



○ペリー上陸を記念するペリー公園

○日露戦争にて連合艦隊旗艦を務めた「三笠」


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光を通して浮きでるような絵画
ステンドグラス

横浜市開港記念会館(ジャックの塔)


横浜市開港記念会館の特長の一つでもあるステンドグラス。



関東大震災時に焼失したそうですが、

昭和2年に当初のものを尊重して復旧したそうです。



○ステンドグラスに差し込む光 サント・シャペル


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東京美術学校の設立に尽力したという
岡倉天心生誕之地



横浜市開港記念会館の脇にある「岡倉天心生誕之地」碑。



日本美術の振興に努め、

後に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の設立に尽力したという岡倉天心は、

1862(文久2)年、この地に開業していた商館・石川屋に生まれたそうです。



○国際人としての先駆的な存在 岡倉天心

○東京藝術大学構内にある岡倉天心像


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横浜の町政を執った
横浜町会所跡



岡倉天心の父勘右衛門が支配人をしていた石川屋の後、

1874(明治7)年、横浜の貿易商の集会所として建設されたという横浜町会所。



横浜市制施行の明治22年まで横浜の町政を執ったそうです。


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横浜商工会議所
発祥の地



町会所内に設置されたという横浜商工会議所の前身、横浜商法会議所。

横浜を日本の一大貿易港へ発展するにあたり「生糸」は大きな原動力となったそうです。


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横浜商工会議所がある
産業貿易センター



横浜港に面して建つシンボリックな白亜の産業貿易センタービルは、

国際的な貿易都市・横浜の産業と貿易の振興に寄与するためにできたそうです。



ビル内には、

経済団体の中枢機能を担う、横浜商工会議所や神奈川商工会議所連合会、

国際的活動を支援するパスポートセンターやジェトロ、

港湾事業の振興・支援をする横浜市港湾局などがあるそうです。



横浜商工会議所は、

「商工会議所法」という法律に基づいて設立された地域総合経済団体であり、

商工業の振興と地域の発展のために活動しているそうです。



○全国の商工会議所を会員にする日本商工会議所


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日本の近代化に貢献した生糸
シルク博物館



開港から昭和の初めまで輸出品の多くは生糸だったそう。



1909年には、日本は中国を抜いて世界一の生糸輸出国となり、

日本の経済を支え、近代化に大きく寄与したそうです。



○生糸貿易で財を成した実業家、原三溪によって造られた庭園|三溪園

○以前は生糸検査所であった横浜第二合同庁舎

○ローマに続くシルクロードの起点 西安


シルクセンター 絹と女
後ろは桑の木
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日本で初めての西洋式街路という
日本大通り



横浜スタジアムのある横浜公園から

横浜港発祥の地であるという像の鼻パークを結ぶ日本大通り。



日本で始めての西洋式街路という通りには、

神奈川県庁、日本銀行、裁判所、検察庁など、重要な施設が立ち並んでいます。



○落葉の絨毯を踏みしめながら|日本大通りのイチョウ並木


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歴史をひもとくと、日本の野球の歴史がある
横浜スタジアム

横浜公園内


明治時代、この地には居留外国人のクリケットグランドがあったそう。



その後、明治29年に日本初の国際野球試合が行われ、

昭和9年には、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック率いる

米大リーグオールスター来日。全日本は4対21の大敗だったそうです。



また昭和23年には、日本プロ野球初のナイトゲームが開催されたそう。



○この街には、横浜F・マリノスがある|発展し続ける街、新横浜

○横浜の海から生まれ、世界に羽ばたくバスケチーム|横浜ビー・コルセアーズ


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大火がきっけかでできた
横浜公園

横浜公園内の日本庭園


この地には、江戸の吉原に似た港崎(よみざき)遊郭があったそう。

横浜公園誕生のきっかけは、

幕末の1866年に横浜を襲った大火(豚屋火事)だったそうです。



開港場のおよそ三分の一を消失した火災を受けて、

幕府と諸外国の間で約書が結ばれ、

大火で全焼した旧太田屋新田の港崎遊郭の跡地に、

外国人と日本人の双方が利用できる公けの遊園を設置することが

定められたそうです。



○公許の遊女屋が集まる遊廓があった吉原

○江戸の大半を焼失した明暦の大火が起源|両国回向院


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市民活動・生涯学習・地域活動などをサポートする
なか区民活動センター



中区役所のお隣にあるなか区民活動センター。

区民や横浜市民の自主的な活動をサポートする施設だそうです。



○生涯に亘り学ぶ|新たな絆から夢が膨らむグローバル人材


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銀行券の発行、通貨及び金融の調節を担う
日本銀行

日本銀行横浜支店


日本で唯一お札を発行しているという日本銀行。



平成22年度に日本銀行横浜支店から払い出されたお札は2.9兆円だそうで、

全て一万円券として積上げると富士山の約8倍の高さになるそうです。



○日本唯一の中央銀行 日本銀行本店

○アイヌの守神シマフクロウが見守る旧日本銀行小樽支店


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横浜地方・簡易裁判所



日本は、正しい裁判を実現するために三審制度を設け、当事者が望めば、

原則的に3回までの反復審理を受けられる制度を採用しているそうです。



地方裁判所は、一般的に訴訟の第一審を行う裁判所だそうです。



○法をもっと身近に|縁遠いようでとても身近な法律に触れて


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厳正公平に、人権の尊重を基本とする
検察庁

横浜地方検察庁


警察から送致された事件の取調べや捜査などを行い、

最終的に裁判所に公訴するかしないかを決定するという検察庁。



また、起訴した事件について公判で立証し、裁判所に適正な裁判を求めたり、

裁判の執行を指揮監督するのも検察官の重要な仕事だそうです。



検察は、国家社会の治安維持に任ずることを目的に、

常に不偏不党・厳正公平を旨とし、事件処理の過程において

人権を尊重すべきことを基本としているそうです。


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日本で初めて電報の取扱いが行われた
電信創業の地

横浜地方検察庁に建つ石碑


横浜地方検察庁入口に建つ「電信創業の地」の石碑。



明治2年、この場所にあった横浜電信局と東京電信局の間で

日本初めての電報の取扱いが行われたそうです。



当時、紙に書かれたメッセージが電信線を通って相手に伝わるということが

信じがたく、何かの魔法かと思い石を投げたりする人もいたほどだそう。



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電報から21年後
電話交換創始之地



明治23年(1890年)、この場所にあった横浜電話交換局において、

横浜と東京間および市内に日本で初めて電話交換業務が開始されたそうです。



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新聞博物館・情報ライブラリーがある
情報文化センター



横浜情報文化センターは、

日本新聞博物館(ニュースパーク)や放送ライブラリーなどからなる複合施設だそうです。



1階フロアーには、新聞を印刷する大きな輪転機が展示されています。


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初期の
新聞オフセット輪転機

情報文化センター内


情報文化センター内に展示されている初期の新聞オフセット輪転機。



1979年に静岡新聞社に納入されてから1997年まで使用され、

1時間当たり最高15万部の新聞を印刷できたそうです。


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日本大通りのオープンカフェ



海へと続くイチョウの並木道の左右には西洋建築が建ち並び、

まるでヨーロッパのような景観が広がる日本大通り。



港街ならではの海の香りが漂う中、

ゆったりとした時間が流れるオープンカフェがとても似合います。


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日本の開国を約した
日米和親条約が締結された地

横浜開港広場


1853年、アメリカの使節ペリーは黒船4隻を率いて

江戸湾の入口である浦賀に現われたそう。



江戸幕府は長崎へ回航するよう要求したそうですが、ペリーはこれを拒否。

江戸湾深く入り測量を行ったため、脅威を覚えた幕府は、

久里浜にてフィルモア大統領の親書を受け取ったそうです。



翌年、7隻の軍艦で再び来航し江戸湾内へ入港。

錨を降ろしプレッシャーをかけたそう。



幕府は横浜村を会見地にしたいと申し入れ、ペリーとの交渉がスタート。



4回の交渉の末、

下田・函館の開港、アメリカ船への薪水・食料・石炭の供給など12条を

取り決めた日米和親条約が結ばれたそうです。



○東京湾・浦賀 歴史探索シーカヤック

○日米和親条約によって開港した函館

○ペリーが来航する際に陣容をととのえた香港


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横浜の港がはじまった
象の鼻

神奈川県庁本庁舎より撮影


大さん橋国際客船ターミナルのつけねから左手方向へ延びている防波堤。

上から見ると象の鼻に似ていることから、「象の鼻」と呼ばれているそう。



横浜の港はこの地から始まったそうです。



○開港ともに国外の影響を受けて発展してきた街 上海


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港を支えた
艀荷役

岩波写真文庫<復刻ワイド版71>「横浜1956」より


港の荷役の形態は、現在では、大型船・高速船によるコンテナ輸送が主流であり、

ガントリークレーンやフォークリフトによる機械荷役が中心となっていますが、

明治期から昭和40年代にかけては、艀(はしけ)を使った荷役が港湾の主役だったそう。



艀は、重い貨物を積むために造られた平底の船舶で、

多くはエンジンを積んでいないため、主に引き船に牽引されて航行し、

沖合いに停泊した貨物船から降ろされる貨物を岸壁などに運送したそうです。


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危険を伴う過酷な作業を担った
沖仲仕



昭和30年代までは、港湾の労働は人力作業が中心で、

貨物船から艀を経由して荷揚げされる貨物だけでなく、

岸壁に直接荷揚げされる貨物についても、

人力によって荷役が行われていたそうです。



これらの仕事は沖仲仕(おきなかし)と呼ばれた港湾労働者が行っていたそう。

危険を伴う過酷な労働条件であったにもかかわらず、

常雇い4千人、日雇い2万人とも言われる港湾労働者が港を支えていたそうです。



○ため息を春風に変えて|自然からの贈り物 春の花言葉

○天高く馬肥ゆる秋|実をつけて燃え、生を喜ぶ季節


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現代の繁栄の礎を築いた
艀荷役

艀からの登校風景 日本水上学園所蔵


艀荷役は高度成長期における横浜港の発展を支え、

現在の繁栄の礎を築いてきたといっても過言ではなく、

なかでも象の鼻地区は、とりわけ多くの艀が活動した象徴的な場所だったそう。



○「生きる力」を奏でるクラシック


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横浜港
港湾労働者供養塔



象の鼻パークにある「横浜港港湾労働者供養塔」。


横浜港は戦後の経済復興期、着岸待ちの貨物船で混雑し、

長時間・重労働・危険作業の港湾労働が行われていたそうです。



港湾労働者は「象の鼻」から通船で沖合に向かい、

停泊中の貨物船で荷役作業を行っており、

作業中に不慮の事故で亡くなる人が少なくなかったという。



横浜港150年の発展の過程で港湾荷役などに従事して亡くなった人や

その家族2,822柱の御霊が祀られているそうです。


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機械荷役に変わった
港湾

本牧埠頭BCコンテナターミナル・ビルの屋上から


大型船・高速船によるコンテナ輸送となり、

ガントリークレーンやフォークリフトによる機械荷役が中心となっている港。



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横浜港大さん橋
国際旅客ターミナル

横浜シンポジアより撮影


現在の「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」が竣工したのは2002年だそう。



「にっぽん丸」、「ふじ丸」、「ぱしふぃっくびいなす」など

3万トンクラスまでの客船は4隻、

「飛鳥U」、「サファイア・プリンセス」などそれ以上のクラスの客船は

2隻の同時着岸が可能だそうです。



○空と海の間で暮らすような旅|日本一の客船寄航数を誇るという横浜港


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横浜港を母港とする日本最大の客船
飛鳥U



「飛鳥U」は横浜港を母港とする、

日本船籍では最大規模の客船だそうです。



○大さん飛に停泊する鳥Uの前身「飛鳥」

○大さん桟に停泊する界最大級の豪華客船|サファイヤ・プリンセス


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出港する飛鳥U

英一番館|神奈川県民ホール6階より撮影


大きな汽笛を鳴らし、大さん橋を後にする飛鳥U。



○Bon Voyage 地球一周の旅へ

○船に乗り海を越えて、見たこともない未知へ


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横浜三塔を望む
ビューポイント

大さん橋旅客ターミナル


横浜三塔を望む大さん橋旅客ターミナルのビューポイント。



○天空からみた港ヨコハマ


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横浜から見た
富士

大さん橋旅客ターミナルより撮影


赤レンガ倉庫の後ろ、ビルとビルの間に富士山が見えます。



○日本人の心を映す優美な富士

○日本の姿勢を伝える大相撲


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かけがえのない環境を未来へ
ハマウイング



横浜市では、自然エネルギーの利用促進や地球温暖化対策の一環として、

風力発電事業を進めているそうです。



市民、企業のみなさまと協働で事業を進め、

この風車が「環境行動都市ヨコハマ」のシンボルとなることをめざしているそうです。


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日本初の救急車
消防救急発祥之地



昭和8年、キャデラック製救急自動車が

当時の神奈川県警察部山下町消防署に配置され、

日本で始めて消防機関による救急業務がスタートしたそうです。


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旧居留地消防隊
地下貯水槽



横浜では、現在の末広町付近の豚肉屋から出火し外国人居留地と

日本人街の大半が焼失してしまったという「豚屋火事」があったそう。



この貯水槽は、明治4年から明治32年までここを本拠地とした

居留地消防隊の防火貯水槽として建造したものだそうです。



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参  考  情  報


○横浜三塔──関内の歴史的建造物をめぐる [横浜の観光・旅行] All About

○神奈川県ホームページ

○神奈川県議会 - 神奈川県ホームページ

○横浜税関 Yokohama Customs

○横浜市開港記念会館 会館トップページ

○シルク博物館

○横浜商工会議所ホームページ

○産業貿易センター

○横浜スタジアム

○なか区民活動センター

○裁判所|横浜地方裁判所・横浜家庭裁判所

○横浜地方検察庁

○検察庁

○法令データ提供システム

○日本銀行横浜支店

○日本新聞博物館 NEWSPARK

○放送ライブラリー

○公益財団法人 横浜企業経営支援財団

○横浜市 - 市役所トップページ

○横浜市港湾局 ホームページ

○横浜市 環境創造局 風力発電(ハマウィング)

○横浜市都市計画マスタープラン

○横浜開港資料館

○ペリー艦隊の沖縄来航|NHK 解説委員室

○一般社団法人日米協会

○横浜港大さん橋国際客船ターミナル

○客船「飛鳥II」による快適な海の旅を | 郵船クルーズ株式会社

○英一番館 | 夜景がきれいな横浜の老舗フランス料理レストラン

○総務省消防庁

○横浜市救急救命士会

○横浜の歴史 タイムスリップよこはま

○横浜開港150周年 みんなでつくる 横濱写真アルバム

○二ヶ領散歩道

○小さな資料室

○魅力溢れる街並み 神奈川

○OPEN YOKOHAMA
 あらゆるものを受け入れる、もっと開かれたヨコハマへ。
 新しいものを次々と生み出せるヨコハマへ。
 開放的で自由な街に、心地よい風が吹きぬける。
 OPEN。それはみんなで創る未来のヨコハマの合言葉!

 横浜市


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