美しい日本に生まれた私

天地自然に身をまかせ


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人の世の哀しさと美しさ
雪国

「雪」 1940 上村松園 (1875-1949) 松柏美術館


頑(かたく)なに無為徒食(むいとしょく)に生きて来た主人公島村は、

半年ぶりに雪深い温泉町を訪ね、芸者になった駒子と再会し、

「悲しいほど美しい声」の葉子と出会う。

人の世の哀しさと美しさを描いて日本近代小説屈指の名作に数えられる。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 書籍案内より



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


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意図や故意のないさま
無為



「無為徒食(むいとしょく)」には以下のような意味があるそうです。

 @何もしないでぶらぶらしていること。また、そのさま。

 A自然のままに任せて、手を加えないこと。作為のないこと。また、そのさま。



無為(むい)とは「作為(さくい)が無いこと」であり、作為は、

「人が自分の意志で作り出すこと」、「事実であるかのように故意に手を加えること」

といった意味があるそうです。



中国古代の思想家である老子がいう「無為」は、「なにもしないでいること」ではなく、

「意図や故意のないさま」という意味があるようです。



○光を浴びて天上につながる場所|立山黒部アルペンルート


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長いトンネルを抜けると
雪国であった

土樽(つちたる)駅付近の風景 新潟県南魚沼郡湯沢町


国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

夜の底が白くなった。

信号所に汽車が止まった。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 冒頭


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トンネルのむこうは
不思議の町でした

映画「千と千尋の神隠し」 2001年 スタジオジブリ


2001年公開のスタジオジブリ映画「千と千尋の神隠し」。

主人公である10歳の少女「千尋」は、両親と共に引越し先へと向かう途中、

森の中の奇妙なトンネルから神々の世界へ迷い込んでゆきます。



○相手の名を奪って支配する湯婆婆|紛れ散らばる名もなき星


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生と死の境目にある
黄泉比良坂

黄泉比良坂(よもつひらさか) 島根県東出雲町


日本神話において黄泉比良坂(よもつひらさか)は、

生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉:よみ)との境目にある坂だとされます。



※古事記上巻 伊耶那岐の命・伊耶那美の命


  伊耶那美の命(イザナミのミコト)が国産み・神産みの最中に、

  火の神・火の迦具土(ほのかぐつち)の神を生んだために、

  火傷を負い、病気となり、遂には黄泉の国へとお隠れになってしまった。



  黄泉(よみ)の国に去ってしまった妻・イザナミを追いかけて、

  夫・伊耶那岐の命(イザナギのミコト)は黄泉の国を訪れる。



  イザナミを見つけたイザナギは、まだ国産みの途中であるからと言って、

  妻に戻ってきて欲しいと訴える。イザナミは黄泉の国の神に相談するので、

  その間、イザナギには外で待っててほしい、「決して私のことを覗かないよう」

  に言い置いて、宮殿に入ってゆく。



  しばらく待ってはいたものの、しびれを切らしたイザナギは部屋の中を覗いてしまう。

  そこで見たものは、これまで国土・神々を次々と産んできた

  母神・妻なるイザナミがもう一方で持つ暗い「死」の姿であった。



  身体中にはウジが湧き、雷が現われているのであった。

  驚いて逃げ出したイザナギを、イザナミは「我に恥見せつつ」と、

  黄泉醜女(よもつしこめ)や雷神やらをもって、そして最後には自ら追いかける。



  ようやく黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げのびたイザナギは、

  「千引(ちびき)の大岩」をもって道を塞ぎ、ここに死者の国たる「黄泉の国」と

  生者の国たる「葦原中国(あしはらのなかつくに)」の境ができた。



○日本人の神々を祀る伊勢神宮

○日本の成り立ちを語る雅楽

○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿


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上野国と越後国を結ぶ
清水トンネル

日本一のモグラ駅の愛称をもつ土合(どあい)駅の下りホーム
土合駅は清水トンネル内に信号所として開設されたそうです


群馬県(上野国)と新潟県(越後国)を結ぶ上越線の清水トンネルは、

JR上越線土合(どあい)駅と土樽(つちたる)駅の間にある

全長9,702mの山岳トンネルで、名峰そして魔の山としても知られる

谷川岳を盟主とする谷川連峰の真下を貫いています。



1922年(大正11年)から工事が始まり、1931年(昭和6年)8月に完成、

同9月1日に上越線水上〜越後湯沢間が開業し、上越線がここに全通しました。

当時は日本一、世界でも第9位の長さを誇っていました。

トンネルの名は、徒歩時代に上越国境越えに利用された

近くの清水峠から名づけられました。



東京から新潟へ鉄道で行く場合、清水トンネル開通前は、

高崎から信越線で長野・直江津を経由するか、

郡山から磐越西線で会津若松を経由する方法しかなく、いずれも遠回りでした。

信越線経由の場合、途中に碓氷峠という難所があったこともあって、

急行列車で11時間以上を要したそうですが、清水トンネルの開通によって、

距離で約98km、時間にして約4時間の短縮が図られ、

7時間ほどで新潟へ到達することが可能になり、利便性が大きく向上しました。



※JR上越線清水トンネル(南魚沼郡湯沢町・群馬県利根郡みなかみ町)/
 にいがた土木構造物めぐり /公益社団法人 土木学会関東支部新潟会より



○いちばん美しい夏に出会う|自然と文化の宝庫 信州

○旅人が歩いたかけらを拾いに|木曽路 馬籠宿・妻籠宿


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上野国と越後国を最短でつないだ
清水峠



谷川連峰をまたぎ上野国(群馬県)と越後国(新潟県)をつないだ清水峠。

国境をつなぐ最短のルートであることから昔は「直越(すぐごえ)」と呼ばれたそうです。



現在、登山・ハイキングを楽しむ人などが訪れるそうですが、

全線にわたって通行することは難しいようです。



○利根川源流に位置する水上|キャニオニング&ラフティング・キャンプ

○上信越の山々を望む 赤城キャンプ

○千年も万年も生きる|石段街の温泉地 伊香保


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厳しい雪国の風土が育んだ織物
ちぢみ



2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録された染織技術、

「小千谷縮・越後上布(おぢやちぢみ・えちごじょうふ)」。

新潟県魚沼地方では、古来より農閑期の冬仕事として受け継がれてきたそう。



冬の間に大量に降り積もる雪、そこから発生する豊富な湿り気、きれいな空気と水、

そして何より、何か月も雪に閉ざされる生活の中で培われた人々の忍耐力と誠実さ。

それらが相まって「縮(ちぢみ)」は生まれたといわれます。



江戸時代の随筆家、鈴木牧之(すずきぼくし、1770-1842年)は、

著書「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」の中で縮(ちぢみ)について以下のように記しています。



  縮は右村里(新潟県魚沼郡の村々)の婦女らが雪中に籠り居る手業也(てわざなり)。

  およそは来年売るべきちぢみをことしの十月より糸をうみはじめて

  次の年二月なかばに晒(さら)しをはる。

  白縮(しろちぢみ)はうち見たる所はおりやすきやうなれば、

  ただ人は文(あや:模様)あるものほどにはおもわざれども、

  手練(しゅれん⇒熟練した技)はよく見ゆるもの也(なり)。

  村々の婦女たちがちぢみに丹精を尽くす事なかなか小冊(しょうさつ)には尽くしがたし。


  (中略)


  雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す。雪ありて縮あり、

  されば越後縮は雪と人の気力相半(あいなか)ばして名産の名あり。

  魚沼郡の雪は縮の親といふべし。



※北越雪譜 鈴木牧之 岩波文庫


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【4K】越後上布の雪さらし(南魚沼市塩沢地区)

 
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雪国
川端康成

カバー 中野達彦


※雪国 川端康成作 あらすじ Wikipediaより(一部編集)


12月初め、島村は雪国に向かう汽車の中で、病人の男に付き添う恋人らしき

若い娘(葉子)に興味を惹かれる。島村が降りた駅で、その2人も降りた。



旅館に着いた島村は、芸者の駒子を呼んでもらった。

島村が駒子に出会ったのは去年の新緑の5月、

山歩きをした後、初めての温泉場を訪れた時のことであった。

芸者の手が足りないため、島村の部屋に来たのが、

三味線と踊り見習いの19歳の駒子であった。



駒子はその後まもなく芸者になっていた。

島村は駒子に誘われ、彼女の住んでいる踊の師匠の家の屋根裏部屋に行った。

昨晩車内で見かけた病人は、師匠の息子・行男で、付添っていた葉子は

駒子と知り合いらしかった。行男は腸結核で長くない命のため帰郷したという。

島村は按摩から、駒子は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと

聞かされるが、駒子は否定した。



島村は、駒子が独習で覚えたという三味線の音に感動を覚えた。

島村が帰る日、行男が危篤だと葉子が報せに来るが、

駒子は死ぬところを見たくないと言い、そのまま島村を駅まで見送った。



翌々年の秋、島村は再び温泉宿を訪れた。

去年の2月に来る約束を破ったと駒子は島村をなじる。

あの後、行男は亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は嫌がる駒子と墓参りに行った。

墓地には葉子がいた。



駒子はお座敷の合い間、島村の部屋に通ってきた。

忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。

島村は葉子と言葉を交わし、魅力を覚えた。

葉子は島村に「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と言いつつも、

「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と泣きながら言った。



天の河のよく見える夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になり、

島村と駒子は駆けつけた。人垣が見守る中、一人の女が繭倉の2階から落ちた。

落ちた女が葉子だと判った瞬間にはもう、地上でかすかに痙攣し動かなくなった。

駒子は駆け寄り葉子を抱きしめた。

駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように島村には見えた。

駒子は「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」と叫んだ。


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かたくなに無為徒食に生きて来た
島村

「和事」を代表する「廓文章 吉田屋」
左:夕霧(坂東玉三郎)、右:藤屋伊左衛門(片岡仁左衛門) 
歌舞伎座 平成21年4月2日〜26日


島村は東京の下町育ちなので、子供の時から歌舞伎芝居になじんでいたが、

学生の頃は好みが踊や所作事(しょさごと:長唄を伴奏として歌舞伎の舞台で

踊られる舞踊)に片寄って来て、そうなると一通りのことを究(きわ)めぬと

気がすまないたちゆえ、古い記録を漁(あさ)ったり、家元を訪ね歩いたりして、

やがては日本踊の新人とも知り合い、研究や批判めいた文章まで書くようになった。



そうして日本踊の伝統の眠りにも新しいた試みのひとりよがりにも、

当然なまなましい不満を覚えて、もうこの上は自分が実際運動のなかへ

身を投じて行くほかはないという気持ちに狩り立てられ、日本踊の若手からも

誘いかけられた時に、彼はふと西洋舞踊に鞍替えしてしまった。


(中略)


西洋の印刷物を頼りに西洋舞踊について書くほど安楽なことはなかった。

見ない舞踊などこの世ならぬ話である。

これほど机上の空論はなく、天国の詩である。研究とは名づけても

勝手気儘(きまま)な想像で、舞踊家の生きた肉体が踊る芸術を鑑賞するのではなく、

西洋の言葉や写真から浮かぶ空想が踊る幻影を鑑賞しているのだった。

見ぬ恋にあこがれるようなものである。しかも、時々西洋舞踊の紹介など書くので

文筆家の端くれに教えられ、それを自ら冷笑しながら職業のない彼の心休めと

なることもあるのだった。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p26-27



○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力


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山気(さんき)に染まって生き生きとした
駒子

「蛍」(1913) 上村松園 (1875-1949) 山種美術館


「島村さぁん、島村さぁん。」と、甲高く叫んだ。

「ああ、見えない。島村さぁん。」

それはもうまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった。


(中略)


「いけない、いけない。帰る、帰る。」

「歩けるもんか。大雨だよ。」

「裸足で帰る。這って帰る。」

「危ないよ。帰るなら送ってやるよ。」


(中略)


「あんたは寝てなさい。さあ、寝なさいったら。」

「君はどうするんだ。」

「こうやってる。少し醒まして帰る。夜のあけないうちに帰る。」と、

いざり寄って島村を引っぱった。

「私にかまわないで寝なさいってば。」

島村が寝床に入ると、女は机に胸を崩して水を飲んだが、

「起きなさい。ねえ、起きなさいったら。」

「どうしろって言うんだ。」

「やっぱり寝てなさい。」


(中略)


「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あなたが負けたのよ。

あんたが弱いのよ。私じゃないのよ。」


(中略)


「あんた笑ってるわね。私を笑ってるわね。」

「心の底で笑っているでしょう。今笑っていなくっても、きっと後で笑うわ。」と、

女はうつぶせになってむせび泣いた。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p35-40



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観

○大人に成長してゆく思春期を描いた樋口一葉の「たけくらべ」


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哀しいほど美しい声の
葉子

「娘深雪」(1914) 上村松園(1875〜1949) 足立美術館


「ええ。」と、うなずくはずみに、葉子はあの刺すように美しい目で、島村をちらっと見た。

島村はなにか狼狽(ろうばい)した。

これまで幾度も見かける度ごとに、いつも感動的な印象を残している、

この娘がなごともなくこうして彼の前に坐っているのは、妙に不安であった。

彼女の真剣過ぎる素振りには、いつも異常な事件の真中にいるという風に見えるのだった。



「いそがしそうだね。」

「ええ、でも、私はなんにも出来ません。」


(中略)


「駒ちゃんはいいですけれども、可哀想なんですから、よくしてあげて下さい。」

早口に言う、その声が終わりの方は微かにふるえた。

「しかし僕には、なにもしてやれないんだよ。」

葉子は今に体までふるえて来そうに見えた。

危険な輝きが迫ってくるような顔から島村は目をそらせて笑いながら、

「早く東京へ帰った方がいいかもしれないんだけれどもね。」

「私も東京へ行きますわ。」

「いつ?」

「いつでもいいですの。」

「それじゃ、帰る時連れて行ってあげようか。」

「ええ、連れて帰って下さい。」と、こともなげに、しかし真剣な声で言うので、島村は驚いた。

「君のうちの人がよければ。」

「うちの人って、鉄道へ出ている弟一人ですから、私が決めちゃっていいんです。」

「東京になんかあてがあるの?」

「いいえ。」

「あの人に相談した?」

「駒ちゃんですか。駒ちゃんは憎いから言わないんです。」


(中略)


「女中に使っていただけませんの?」

「なぁんだ、女中にか?」

「女中はいやなんです。」

「この前東京にいた時は、なにをしてたんだ。」

「看護婦です。」

「病院か学校に入っていたの。」

「いいえ、ただなりたいと思っただけですわ。」


(中略)


「それじゃ今度も看護婦の勉強がしたいんだね。」

「看護婦にはもうなりません。」

「そんな根(こん)なしじゃいけないね。」

「あら、根なんて、いやだわ。」と、葉子は弾き返すように笑った。

その笑い声も悲しいほど高く澄んでいるので、白痴じみては聞こえなかった。

しかし島村の心の殻を空しく叩いて消えてゆく。

「なにがおかしいんだ。」

「だって、私は一人の人しか看病しないんです。」

「え?」

「もう出来ませんの。」

「そうか。」と、島村はまた不意打ちを食らわされて静かに言った。

「毎日君は蕎麦畑(そばばたけ)の下の墓ばかり参ってるそうだね。」

「ええ。」

「一生のうちに、外(ほか)の病人を世話することも、外の人の墓を参ることも、

もうないと思っているのか?」

「ないわ。」

「それに墓を離れて、よく東京に行けるね?」

「あら、すみません。連れて行って下さい。」

「君は恐ろしいやきもち焼きだって、駒子が言ってたよ。

あの人は駒子のいいなずけじゃなかったの?」

「行男さんの?、嘘、嘘ですよ。」

「駒子が憎いって、どういうわけだ。」

「駒ちゃん?」、と、そこにいる人を呼ぶかのように言って、葉子は島村をきらきら睨んだ。

「駒ちゃんをよくしてあげて下さい。」

「僕にはなにもしてやれないんだよ。」

葉子の目頭に涙が溢れて来ると、畳に落ちていた小さな蛾を掴んで泣きじゃくりながら、

「駒ちゃんは私きちがいになるというんです。」と、ふっと部屋を出て行ってしまった。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p139-144



○みずみずしく、愛らしい姿「娘深雪」|浄瑠璃・歌舞伎の演目「朝顔日記」

○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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私はここにいますという囁き
三味線が奏でる勧進帳



「この秋、譜(ふ⇒楽譜)で稽古したのね。」

勧進帳であった。

忽(たちま)ち島村は頬から鳥肌立ちそうに涼しくなって、腹まで澄み渡って来た。

たわいもなく空(から)にされた頭のなかいっぱいに、三味線の音が鳴り渡った。

全く彼は驚いてしまったと言うよりも叩きのめされてしまったのである。

敬虔(けいけん)の念に打たれた、悔恨(かいこん)の思いに洗われた。

自分はただもう無力であって、駒子の力に思いのまま押し流されるのを

快いと身を捨てて浮かぶよりしかたがなかった。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p74



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay


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長唄 勧進帳 〜滝流し 〜

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魂をなぐさむ「遊び」
歌舞伎の音楽として成立した長唄

「序の舞」(1936) 上村松園(1875〜1949) 東京藝術大学


今の世の中はスピードと合理性が求められ、能率的に目的を達成する能力を持った

人々が多く現れています。しかしその反面、マナーの乱れや心の貧困さなど人間の

本来あるべき姿の欠如も見逃せません。



時間は止めることはできませんが、過ぎ去った時間は心の中で振り返ることはできます。

日本の古来より伝承されてきた文化や作法・しきたりの中には現代人の忘れかけている

大切な「心」や「教え」「知恵」が伝統として息づいています。



18世紀初頭の頃に歌舞伎の音楽として江戸で成立した長唄。

そこには日本人の美に対する考え方や表現が散りばめられ、

「魂をなぐさむ」の意味で使われている「遊び」の中に和の伝統を見い出すことができます。



※長唄〜遊びの文化・歌舞の菩薩
 講師 神宮寺淑子 先生 二期会会員・岡安会会員
 放送大学神奈川学習センター



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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精いっぱい生きているしるしから遠ざかる
雪国から雪のないところへ



国境の山を北から登って、長いトンネルを通り抜けてみると、

冬の午後の薄光りはその地中の闇へ吸い込まれてしまったかのように、

また古ぼけた汽車は明るい殻をトンネルに脱ぎ落して来たかのように、

もう峰と峰との重なりの間から暮色の立ちはじめる山峡を下って行くのだった。

こちら側にはまだ雪がなかった。


(中略)


島村はなにか非現実的なものに乗って、時間や距離の思いも消え、

むなしく体を運ばれて行くような放心状態に落ちると、単調な車輪の響きが、

女の言葉に聞こえはじめて来た。それらの言葉はきれぎれに短いながら、

女が精いっぱいに生きているしるしで、彼は聞くのがつらかったほどだから

忘れずにいるものだったが、こうして遠ざかって行く今の島村には、

旅愁を添えるに過ぎないような、もう遠い声であった。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p89-90


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人間と自然とが継ぎ目なく入りまじる
定めない人間のいのちの瞬間

雪虫 (トドノネオオワタムシ)


網へ張りつけたように、やはり蛾が一匹じっと静まってした。

檜皮色(ひわだいろ:黒みがかった赤褐色)の小さな羽毛のような触角を突き出していた。

しかし翅(はね)は透き通るような薄緑だった。女の指の長さほどある翅だった。

その向こうに連(つらな)る国境の山々は夕日を受けて、もう秋に色づいているので、

この一点の薄緑はかえって死のようであった。



前の翅(はね)と後ろの翅との重なっている部分だけは、緑が濃い。

秋風が来ると、その翅は薄紙のようにひらひらと揺れた。

生きているのかしらと島村が立ち上がって、金網の内側から指で弾いても、

蛾は動かなかった。拳でどんと叩くと、木の葉のようにぱらりと落ちて、

落ちる途中から軽やかに舞い上がった。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p91-92



○移ろいゆく映画の灯り|人間が持ちあわせている想いに出会う

○秋を聴く|移ろいゆくコントラスト


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自分の小さい影が映し出される
あざやかな天の河の大きさ



ああ、天の河と、島村も振り仰いだとたんに、

天の河のなかへ体がふうと浮き上がってゆくようだった。

天の河の明るさが島村を掬(すく)い上げそうに近かった。

旅の芭蕉が荒海の上に見たのは、このようにあざやかな天の河の大きさであったか。

裸の天の河は夜の大地を素肌で巻こうとして、直ぐにそこに降りて来ている。

恐ろしい艶(なま)めかしさだ。

島村は自分の小さい影が地上から逆に天の川へ写っていそうに感じた。

天の河にいっぱいの星が一つ一つ見えるばかりでなく、

ところとごろ光雲の銀砂子(ぎんすなご)も一粒一粒見えるほど澄み渡り、

しかも天の河の底なしの深さが視線を吸い込んで行った。



※雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p173



○地球の未来を読み解く 南極観測|私たちが存在している自然環境の解明


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親しい人に会えない
想いに触れる

芭蕉行脚図(ばしょうあんぎゃず) 1693 森川許六(きょりく) 天理大学付属天理図書館
松尾芭蕉(1644-1694)と河合曾良(かわいそら)とされる肖像


※「おくの細道」 松尾芭蕉  越後


  酒田の余波(なごり)日を重ねて、北陸道の雲に望む。

  遥々(ようよう)の思ひ胸をいたまして、加賀の府まで百三十里と聞く。

  鼠の関(ねずのせき)を越ゆれば越後の地に歩行(あゆみ)を改めて、

  越中の国市振(くにいちふり)の関に到る。

  この九日(ここのか)、暑湿(しょしつ)の労に神(しん)をなやまし、

  病(やまい)おこりて事をしるさず。

  文月(ふみつき:7月)や六日も常の夜には似ず

  荒波や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)





松尾芭蕉の「奥のほそ道」は、門人(もんじん)の河合曾良(かわいそら)を伴い、

1689年、江戸深川から奥羽(おうう:東北地方)を経て北陸路をたどり大垣(岐阜)

に至るまでを記した紀行文。



芭蕉の生きた寛永から元禄は、徳川家でいえば家光(3代将軍)から家綱(4代)・

綱吉(5代)の時代にあたり、江戸幕府が盤石の体制を築き上げた頃。

五街道が整備され、庶民にとって旅がしやすい環境が整ってきた時期だったようです。

とはいえ、今日と比べれば道路や宿泊事情は良いとは言えず、地図は乏しく、

橋のない川を渡ることもある中、徒歩で旅をするのは困難が伴ったことと思います。





冒頭の句は酒田(山形)を後にした場面。芭蕉が北陸道で望んだ雲には、

酒田の名残りを惜しみつつも、無常に過ぎゆく時の流れを受け入れようとする

気持ちが託されているように思えます。



視線はこれから目指す加賀の府(金沢)に移り、ここから130里(約520km)の

道のりに前途遥かな思いに捉われながらも、国境である鼠の関(ねずのせき)

を越えて越後(新潟)に入り、国市振(糸魚川市)に辿り着きますが、

暑さと湿気に悩まされ病を患い、9日間、何も書く気がしなかったといいます。



七夕の前夜である7月6日。

空を見上げると、天の河が佐渡の方へ横たわるかのように見えます。

荒波で知られる日本海に浮かぶ佐渡は、順徳院や日蓮、世阿弥らが

流人として送られた別離の島でもありました。



二つの星が出会う七夕の日に、親しい人と会えない日々を過ごす

佐渡の流人たちは、どのような気持ちで天の河を見上げているのだろうか。



故郷を遠く離れ、親しい人に会うことができない芭蕉だからこそ、

他者の想いに触れることができたようにも思えます。



※おくのほそ道 荻原恭男(監修) 青春出版社 2013
※すらすら読める奥の細道 立松和平 講談社 2004
※芭蕉の旅はるかに 海野弘 アーツアンドクラフツ 2005
※おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶 名句集
 井本農一・久富哲雄・堀信夫・山下一海・丸山一彦 小学館 2008



○加賀百万石の城下町 金沢


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真・善・美の極致に達した本格的な美人画
上村松園

「砧(きぬた)」 上村松園 1938(昭和13)年 山種美術館
企画展「上村松園−美人画の精華−」 2017年8月29日〜10月22日


※企画展「上村松園−美人画の精華−」 山種美術館
 2017年8月29日〜10月22日


  真・善・美の極致に達した本格的な美人画を描きたいと語り、

  女性の美に対する理想やあこがれを表現することに挑み続けた女流画家、

  上村松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)-1949年(昭和24年))。



  その美術は従来の美人画のように表面的な美貌や艶(つや)やかさを重視する

  ものではなく、清澄(せいちょう⇒澄みきっていて清らか)で品格あふれる

  女性の内面までも描き出し、美人画に新境地をひらきました。



※上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後 求龍堂 2010 初出:1943


  私はたいてい女性の絵ばかり描いている。しかし、女性は美しければよい、

  という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、

  清澄な感じのする香高(かおりたか)い珠玉(しゅぎょく)のような絵こそ

  私の念願とするところのものである。

  その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまに心を持っている人でも、

  その絵に感化されて邪念が清められる、といった絵こそ私の願うところの

  ものである。芸術を持って済度する(さいど⇒迷い苦しんでいる人々を救う)。

  これ位の自負を画家は持つべきである。

  良い人間でなければよい芸術は生まれない。

  これは絵でも文学でも、その他の芸術家全体にいえる言葉である。

  良い芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来一人もいない。

  みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。

  真・善・美の極致に達した本格的な美人画を描きたい。

  私の美人画は、単にきれいな女の人を写実的に描くのではなく、

  写実は写実で重んじながらも、女性の美に対する理想やあこがれ

  を描き出したい−という気持ちから、それを描いてきたのである。




※砧(きぬた)
 洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、
 しわをのばすための道具。

※砧(きぬた)
 世阿弥の作といわれる能楽作品。
 都にいる夫を想いながら砧をたたく女性が表現されています。



※砧(きぬた)」
 上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後 求龍堂 2010 初出:1943


  思いを内にうちにと秘めて、地熱のごとき女の愛情を一本の砧にたくして、

  タンタンタンタンと都に響けとそれを打つところ、

  そこに尊い日本女性の優しい姿を見ることが出来るのではないでしょうか。

  口に言えぬ内に燃え上がる愛の炎……その炎を抱いているだけに、

  タンタンタンタンと打つ砧の音は哀々切々たるものであろうと思います。

  私の《砧》の絵は、いま正に座を起って、夕霧がしつらえてくれた砧の

  座へ着こうとする妻の端麗(たんれい)な姿をとらえたものであります。

  昭和13年の文展出品作で《草紙洗小町》の次に描いたものです。

  謡曲には時代はハッキリ明示してありませんが、

  私は元禄時代(5代将軍徳川綱吉の治世、1688〜1704を中心とする時代)

  の風俗にして砧のヒロインを描きました。砧打つ炎の情を内面にひそめている

  女を表現するには元禄の女のほうがいいと思ったからであります。



○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして


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真実からかけ離れる
自己

防衛機制(ぼうえいきせい)を明らかにしたオーストリアの精神医学者
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856-1939)、ユダヤ人


人は欲求不満や葛藤による破局を予感すると、不安になり、

そのような状態を前もって避け、自己を防衛しようとする反応を

表すことがあるといいますが、それは無意識な過程であり、

オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトによって

「防衛機制」として明らかにされています。



「投影(とうえい)」は、自分がもっている社会的に望ましくない感情を

相手がもっていることにして責任を転嫁する防衛機制。

例えば、「私があの人を嫌い」と思っているのに、それだと自分の良心に

責められるため、「あの人が私を嫌っている」と相手のせいにすることが

挙げられます。



また「同一視(どういつし)」は、ある対象の考え方や感情、行動などを無意識

に取り入れ、その対象と同じような傾向を示すようになる心理的過程のことで、

権威のある個人や集団を同一とみなし、自己の評価を高めようとする防衛機制。

例えば著名な人たちと知り合いであることを偉ぶったり、

出身校や所属する組織、その組織での役職を自慢したりする例が挙げられています。



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」


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両面から捉える
「強さ」ばかりでなく「弱さ」を認める

「関東の水がめ」といわれる八木沢ダム(利根川水系) 群馬県みなかみ町


病気や怪我になって痛感する健康の大切さ。

水不足になって気がつく水のありがたさ。

人間は、満たされているとそれは空気のような存在となり、

満たされていない目先に関心が行きがちのようです。



また人間は、自分にとって都合が良い場合にはメリットを強調し、

都合が良くない場合はデメリットを強調するといったように、

片一方のみに偏る傾向があるとされます。



自分の「強さ」ばかりでなく、目を背けてきた「弱さ」を認める姿勢、

メリットやデメリットの一方を強調するのではなく、

両面から捉えていく姿勢が問われているようです。



太平洋戦争が終結してから静寂な時を重ねてきた日本。

日本のために力を尽くした先人者に敬意を表すとともに、

潤いのある生活が成り立つ「静寂」がいつまでも続くことを心より祈ります。



○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと

○平和と独立を守る防衛省|すべての国々、すべての方々に感謝の気持ちを


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天地自然の働きに身を任せて
生きているありよう

道家の始祖 老子


※老子

  道(みち)は常(つね)に無為にして、而(しか)も為(な)さざる無し。

  (道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。)



天や地は意思をもたないから常に「無為」の状態といえますが、

無為でありながらも、その働きは常にこの世界全体に行きわたっています。

季節はめぐり、太陽は大地を照らし、雲は雨を降らし、

大地の上では植物や虫や動物がそれらの恩恵を受けて育っていく。

つまり「なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為している」

ということになるわけです。



そう考えていくと、「老子」でいう「無為」とは、意図や意思、主観をすべて捨て去って、

「道」(天地自然の働き)に身を任せて生きているありようを意味しているといえます。

「老子」はこの「無為自然」を理想のあり方としました。



※老子 蜂屋邦夫 先生 東京大学名誉教授 100分 de 名著 2013年8月


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美しい日本の私
我にともなう冬の月



「道を出でて我にともなふ冬の月 風や身にしむ雪や冷めたき」

※明恵上人(みょうえしょうにん、鎌倉時代、華厳宗の僧、1173-1232)



「Winter moon, coming from the clouds to keep me company,

Is the wind piercing, The snow cold?」

※translated by Edwaed G. Seidensticker (英訳:エドワード・G・サイデンステッカー)



エドワード・G・サイデンステッカー先生の英訳を、

さらに日本語に意訳してみるならば…


  「雲から顔を出す冬の月は私に優しく寄り添っている。

  風が身にしみないか? 雪は冷たくないか?」




川端康成 先生は、揮毫(きごう)を求められた折に明恵上人のこの歌を

書くことがあったそうで、1968年のノーベル文学賞受賞講演にて

明恵上人の歌について以下のように述べています。



※美しい日本の私 川端康成 (c) The Nobel Foundation 1968
 美しい日本の私 川端康成 角川ソフィア文庫 p13-15


  明恵が山の禅堂に入って、宗教、哲学の思索をする心と、月が微妙に

  相応じ相交わるのを歌っているのですが、私がこれを借りて揮毫しますのは、

  まことに心やさしい、思いやりの歌とも受け取れるからであります。

  雲に入ったり雲を出たりして、禅堂に行き帰りする我の足もとを明るくしてくれ、

  狼の吼(ほ)え声もこわいと感じさせないでくれる「冬の月」よ、

  風が身にしみないか、雪が冷たくないか。

  私はこれを自然、そして人間に対する、あたたかく、深い、こまやかな思いやりの

  歌として、しみじみとやさしい日本人の心の歌として、人に書いてあげています。


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美しい日本
自然との合一

川端康成 先生
1946年、鎌倉市長谷の自宅にて撮られたものだそう


私の作品のうちでこの「雪国」は多くの愛読者を持った方だが、

日本の国の外で日本人に読まれた時に懐郷(かいきょう)の情を一入(ひとしお)

そそるらしいということを戦争中に知った。これは私の自覚を深めた。




「雪国」が愛読されるにつれて、場所やモデルを見たがる物好きもあり、

温泉場の宣伝にも使われるようになった。

モデルがあるという意味では駒子は実在するが、小説の駒子はモデルと

いちじるしく違うから、実在しないと言うのが正しいのかもしれぬ。

島村は無論私ではない。つまるところ駒子を引き立てる道具に過ぎないのだろう。




「雪国」の場所は越後の湯沢温泉である。

私は小説にあまり地名を用いない流儀だった。

地名は作者ならびに読者の自由をしばるように思うからである。

また地名を明らかにすると、その土地を確実に書かねばならぬように思うからである。



※雪国 あとがき 川端康成 岩波文庫 緑81-3



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○150年の歴史に幕を閉じた鎌倉幕府終焉の地

○風が吹き抜ける森と湖|国際観光都市 函館・大沼


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苫小牧合唱団 「ふるさとの山に向ひて」
作詞:石川啄木 作曲:新井満

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想像から生まれる、その人の物語
本の扉を開けて旅に出る



「わたしのママはしずかさん」「アッチ コッチ ソッチのちいさなおばけシリーズ」

など数多くの作品を生み出してきた児童文学作家の角野栄子 先生。

スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」の原作者としても知られます。



「魔女」はドイツ語では「ヘクセ(Hexen)」と言い、

その語源には「垣根の上に立つ人」という意味があるそうです。



昔の村は外敵を防ぐために城壁に囲まれ、

夜なると城壁の外は真っ暗闇、内はランプが灯って明るくなります。

その城壁の上に立って、明るい見える世界と暗くて見えない世界を

想像でつないでいたのが魔女だといわれています。



暮らしの中で、見えるものを見ながら、

その中に隠れている見えないものを見ようと心を動かしていくのが魔女なのです。



キキは、宅急便という仕事を通して、昔々の魔女の心を表しています。

彼女は、預かった物の中にある物語を想像して運びます。

何かを想像してより良いものに工夫して生きていきたい。

そこに生活の潤いや冒険する心、わくわく感があるのではないかと思います。

そのような魔法の力は、誰にでもあるのではないでしょうか。



本の扉を開けて旅にでる。本を読みながら次の展開を想像する。

その時点で本は作者の手を離れその人の物語になっています。



※第24回 市民に贈る文化講演会 「魔女の宅急便と私」 2015.11
 講師 角野栄子 先生 童話作家・日本福祉大学客員教授
 会場 横浜市教育会館ホール
 主催 (公財)横浜市教育文化研究所
 共催 横浜市PTA連絡協議会
 後援 横浜市教育委員会、神奈川新聞社


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星空まで届く梯子
虚偽と真実の見分けがつけられる人間

2016年ノーベル文学賞を受賞したボブ・デュラン
Bob Dylan performing at Finsbury Park, London, June 18, 2011


川端康成 先生がノーベル文学賞を受賞したのは1968年。

それから約50年を経た2016年にノーベル文学賞を受賞したのは

アメリカのミュージシャン、ボブ・デュランでした。



ボブ・デュランは、アシュケナージ(Ashkenazi:東欧に定住したユダヤ人の子孫)

だといい、祖父母の時にアメリカに移住したといわれます。



代表作の一つ「Forever Young」に出てくる歌詞、"May you grow up to be righteous"

の"righteous(ライチェス、right-eous)"は、正義や有徳と訳され、

その正義の道は、自分の正義ではなく神の示した道(≒人間の本質)のことであり、

合理主義的・機械的な人間像とはかけ離れたところにあるようです。



※「Forever Young」(部分) Bob Dylan
 日本語訳:三國隆志 先生 神奈川県立国際言語文化アカデミア 所長


  神様がいつもあなたを祝福し、願いごとすべてがかないますように。

  いつもひとのために尽くすようにしなさい。

  ひともあなたのために尽くしてくれます。

  星空まで届く梯子を作りなさい。

  たゆまず一歩ずつ上がっていきなさい。

  とこしえに若くあることを祈ります。

  いくつになろうと若木のように生き生きとありなさい。

  悲しみを前にしても、いつも朗らかにしていなさい。

  神様が示す正義の道を歩む人間になって欲しい。

  裏も表もない真正な人間になって欲しい。

  虚偽と真実の見分けが瞬時につけられる人間に。

  万物には神聖な火花がひそんでいます。

  火花は全力をあげてあなたに近づこうとしているのです。

  だから、つねに勇気をもって生きなさい。おびえてはなりません。

  だから、つねに胸を張って行きなさい。ひるんではなりません。

  とこしえの若木のように生き生きと生きることを祈ります。

  年齢を幾つ重ねようとこころが朽ちることはありません。

  つねに神聖な火花を上昇させる人間でありなさい。

  …



※多文化国家アメリカの断面
 −ユダヤ系移民はいかにアメリカ社会に溶け込んだか 2017.02
 講師 三國隆志 先生 神奈川県立国際言語文化アカデミア 所長



○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性

○命から生まれた嘆き・希望・美しさ|世界の民族音楽

○心躍る軽快なリズム|アメリカ軽音楽の巨匠といわれるルロイ・アンダーソン


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Bob Dylan - Forever Young - 12/04/88 - Oakland Coliseum Arena (OFFICIAL)

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お前はこの世のどこにいるのか?
自己の正義を超えた領域へ

オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者・社会学者
マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878-1965)


ユダヤ教の基本となる考え方であるハシディズム(Hasidism)は、

「敬虔(けいけん)なる者」に由来するとされ、18世紀ポーランド、

バール・シェム・トブ(Baal Shem Tov⇒実在した人物かは不明)

によって始まったとされます。



「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓(ひら)けていく「対話の哲学」

を展開したユダヤ系宗教哲学者・社会学者マルティン・ブーバーの著書

「Tales of the Hasidim(ハシディズムの物語)」には以下のような記述があります。



※「ハシディズムの物語」 マルティン・ブーバ 1947
 日本語訳は原文通りではなくホームページ管理者の意訳


  ペテルブルクの牢獄に囚われているユダヤの指導者シュノー・ザルマン。

  憲兵隊の隊長はザルマンを試そうと彼の牢獄を訪れキリスト教の聖書について尋ねます。

  「全てを知っているはずの神がアダムに「汝はどこにいるのか?」

  と言ったのをお前は信じられるか?」



  ユダヤの指導者は答えます。「キリスト教の聖書は、あらゆる時代、

  あらゆる世代、あらゆる人にあてはまるのではないか。」



  「そう信じるよ。」と、隊長は言った。



  「それならば」と、ユダヤの指導者は言った。

  「あらゆる時代、神はあらゆる人に問いかけるだろう。

  お前は与えられた多くの時間を費やし、どこまで辿り着いたのか?

  神はこのように言うだろう。

  お前は46年の時を費やした。お前はどこまで進んでいるのか?」



  憲兵隊の隊長は、自分の年齢を言い当てたのを聞いてはっと気づかされ、

  ユダヤの指導者の肩に手を置いて「すばらしい!」と叫んだ。

  しかし彼の心は震えていた。




※「Tales of the Hasidim」 M Buber, 1947


Rabbi Shneur Zalman, the rav of Northern White Russia, was put in jail in Petersburg,

because the mitnagdim had denounced his principles and his way of living to the government.



He was awaiting trial when the chief of the gendarmes entered his cell.

The majestic and quiet face of the rav, who was so deep in meditation

that he did not at first notice his visitor, suggested to the chief,

a thoughtful person, what manner of man he had before him.

He began to converse with his prisoner and brought up a number of questions

which had occurred to him in reading the Scriptures.



Finally he asked: “How are we to understand that God,

the all-knowing, said to Adam: ‘Where art thou?’ ” “Do you believe,”

answered the rav, “that the Scriptures are eternal and that every era,

every generation and every man is included in them?”

“I believe this,” said the other.



“Well then,” said the zaddik, “in every era, God calls to every man:

‘Where are you in your world?

So many years and days of those allotted to you have passed,

and how far have you gotten in your world?’

God says something like this: ‘You have lived forty-six years.

How far along are you?’ ”



When the chief of the gendarmes heard his age mentioned, he pulled himself together,

laid his hand on the rav’s shoulder, and cried, “Bravo!”



But his heart trembled.



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ

○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム


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お母さん、お父さん、僕は大きくなりました
もう一度、人間に戻って!

雁の群れ


川端康成 先生 以来の日本人2人目となるノーベル文学賞を受賞した大江健三郎 先生。

不幸な大戦のさなかにあった幼少期に読んだ「ニルス・ホーゲルソンの不思議な旅」は

心底魅惑された本の一つだったといいます。



※1994年12月7日、ストックホルム、ノーベル賞受賞記念講演
 (c)The Nobel Foundation 1994
 「あいまいな日本の私」 大江健三郎 岩波新書 1995 p1-2


  ニルスはなによりもスウェーデンを横切る旅によって、また友人である雁たちと協調し、

  かれらのために戦うことをつうじて、いたずら坊主の性格を改造し、

  無垢(むく)な、しかも自信にみちた謙虚さをかちえてゆきます。



  ついに帰郷したニルスは、懐かしい家のなかの両親に呼びかけます。

  その言葉にこそ最上の喜びがあったということができるかも知れません。

  自分もまたニルスとともにその声を発しているという、

  浄(きよ)められ高められる感情をあじわいえたのですから。



  仏訳から引用すれば、それはこういう呼びかけでした。

  "Maman, Papa! Je suis grand, je suis de nouveau un homme!"

  つまり、かれは叫んだ

  −お母さん、お父さん、僕は大きくなりました。もう一度、人間に戻って!

  私がとくに魅きつけられたのは "je suis de nouveau un homme!"

  というフレーズによってでした。



  しかもその後、私自身が、様ざまなあり方での苦難との闘いを、

  家庭内の規模に始まり、日本の社会との関わりにおいて、

  また二十世紀後半のこの世界に生きること自体において、

  ひとつの連続性において経験しながら

  −それは当の経験を小説に書きつつ生き伸びることであったのですが−、

  私はしばしば嘆息(たんそく:嘆いたため息)するように、

  この叫びを繰りかえしてきたと思います。



  "je suis de nouveau un homme!" (もう一度、人間に戻って!)



○死が満ちているからこそ、人間であり続ける|アーミナの婚礼

○雄大な空の旅をする渡り鳥|各国にて大切にされている国際親善大使


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生まれる国は誰も選択できない
近代国家論の祖ホップズ

イングランドの哲学者 トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes、1588-1679)


われわれは、好むと好まざるとにかかわらず、いずれかの国家の一員として生まれる。

出生地はだれも選択できない。

であれば、自由で豊かな国に生まれた人は幸福であろうし、

独裁国家や軍事国家に生まれた人は身の不幸といわざるをえない。

では、国家とはいったい何なのか。

国家は、国民の生命・自由・財産を守ってくれる護民官なのか。

それとも、少数の権力者の利益のために、暴力をもって国民や

他の民族を抑圧する悪魔なのか。

結論から言えば、民主主義国家は護民官であり、独裁国家は悪魔であるが、

どちらの国家に住めるかは、国民の努力次第である。

その意味で、人間の歴史は、人間が自分たちの権利と自由を

獲得するために闘ってきた歴史の積み重ねであった、といえよう。



※ホッブズ 田中浩 Century Books―人と思想49 清水書院 2014
 はじめに−近代国家論の祖ホップズ p3



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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生きているだけで
あなたは社会に貢献している

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler. 1870-1937)
オーストリア出身の精神科医・心理学者、ユダヤ人


競争する相手は他者ではなく自分である

今より優れたいと思うのは、人間の普遍的な欲求である

みんながそれぞれ「一歩一歩前に進む」ことが重要である

われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。

人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成できない。

自分自身の幸福と人類の幸福を実現すために、最も貢献するのは「共同体感覚」である。



共同体感覚:他者との結びつき

「生きているだけで、あなたは社会に貢献している。」



※アルフレッド・アドラー



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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参  考  情  報


○公益財団法人川端康成記念会

○松伯美術館

○足立美術館|ADACHI MUSEUM OF ART

○日本画の専門美術館 山種美術館(Yamatane Museum of Art)

○青空文庫:上村松園

○名著22 『老子』:100分 de 名著

○NHKテキストビュー | 生活に役立つNHKテキストの情報サイト

○国立国会図書館デジタルコレクション

○文化遺産オンライン

○歌舞伎への誘い 〜歌舞伎鑑賞の手引き〜

○湯沢町公式ホームページ

○越後湯沢温泉観光協会

○えちご南魚沼いいとこ自慢

○JR上越線清水トンネル/公益社団法人 土木学会関東支部新潟会

○矢木沢ダム - 独立行政法人 水資源機構

○小千谷縮・越後上布 技術保存同人会ウェブサイト

○森を育み生命を運ぶ、利根川源流の町「みなかみ町」

○魔女の宅急便ホームページ

○Nobelprize.org

○The Official Bob Dylan Site

○フリー百科辞典Wikipedia

○雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 1952 (2003改訂)

○美しい日本の私―その序説 川端康成
 エドワード.G・サイデンステッカー(英訳) 講談社現代新書 1969

○美しい日本の私 川端康成 角川ソフィア文庫 2015

○北越雪譜 鈴木牧之, (改訂) 京山人百樹, 岡田武松 ワイド版岩波文庫 1991

○おくのほそ道 萩原恭男(監修) 青春新書 2013

○すらすら読める 奥の細道 立松和平 講談社 2004

○芭蕉の旅はるかに 海野弘 アーツアンドクラフツ 2005

○おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶 名句集
 井本農一・久富哲雄・堀信夫・山下一海・丸山一彦 小学館 2008

○芭蕉の紀行文
 ・野ざらし紀行
 ・鹿島詣(かしま紀行)
 ・笈の小文(おいのこぶみ)
 ・おくのほそ道

○あいまいな日本の私 大江健三郎 岩波新書 1995

○共に生きるアーツ
 −障がいのある子供たちと芸術家によるコンサートと展示会− 2017.03
・プログラム
 ・美術作品の展示
 ・金澤翔子 書道のパフォーマンス 「煌」
 ・障がい者アーティストとの対談
 ・コンサート
  ・ヨハン・シュトラウス
   ラディツキー行進曲
   春の声
  ・マスネ タイスの瞑想 (ヴァイオリン 川畠成道)
  ・会場のみんなで歌おう!
   ・春の小川
   ・ふるさと
   ・ベートーヴェン 交響曲第9番より第4楽章の抜粋
    (合唱 東京都八王子特別支援学校生徒)
  ・オーケストラに入って聴こう!
   幻想曲「通りゃんせ」
・指揮・お話 松下功 先生
・演奏 藝大卒業生有志オーケストラ
・合唱 藝大有志4名 アンサンブル東風
・主催 文化庁
・共催 一般社団法人日本作曲家協議会
・協力 東京藝術大学
・会場 文部科学省 3階講堂

○老子 蜂屋邦夫 100分 de 名著 2013年8月 NHKテレビテキスト

○老子 蜂屋邦夫(訳) 岩波文庫 2008

○国土交通 142 2017.2〜3
 現場力 北陸地方整備局 長岡国道事務所 湯沢維持出張所

○序の舞 宮尾登美子 中公文庫 1985

○長唄〜遊びの文化・歌舞の菩薩 2017.06
 講師 神宮寺淑子 先生 (岡安喜三淑 先生) 二期会会員、岡安会会員
 テーマ
 ・神をよぶ歌 〜歌うことは頭と体の運動〜
 ・白拍子の役割 長唄鑑賞と解説「元禄花見踊」
 ・三味線の構造説明と奏法・譜面の読み方 実技
 ・長唄鑑賞と解説「汐汲」「元禄花見踊」の前弾きの実技
 ・遊女の世界 長唄鑑賞と解説「松の緑」「元禄花見踊」実技
 ・「元禄花見踊」の前弾きの実技と口三味線
 ・長唄鑑賞と解説「吾妻八景」、「元禄花見踊」の前弾きの実技
 ・「元禄花見踊」の前弾きの合奏とまとめ
 放送大学神奈川学習センター

○長唄の歴史と音楽 2017.08
 講師 配川美加 先生 東京芸術大学非常勤講師
 テーマ
  ・初期の長唄《京鹿子娘道成寺》等の鑑賞
  ・変化舞踊の長唄《越後獅子》等の鑑賞
  ・松羽目物の長唄《勧進帳》等の鑑賞
  ・鑑賞用の長唄《鶴亀》等の鑑賞
  ・幕末の長唄《土蜘》等の鑑賞
  ・吾妻能狂言の長唄《船弁慶》等の鑑賞
  ・明治前期の長唄《鏡獅子》等の鑑賞
  ・明治後期の長唄《紀文大尽》等の鑑賞
 放送大学文京学習センター

○魔女の宅急便と私 講師 角野栄子 先生 童話作家 2015.11
 第24回 市民に贈る文化講演会
 会場 横浜市教育会館ホール
 主催 (公財)横浜市教育文化研究所、
 共催 横浜市PTA連絡協議会
 後援 横浜市教育委員会、神奈川新聞社

○日米の歴史から見る異文化との出会いと受容 2017.02
 ・日本人は西欧文明とどう向き合ってきたか-国際化と開発協力の過程から
  池田龍彦 先生 放送大学神奈川学習センター所長
 ・多文化国家アメリカの断面
  -ユダヤ系移民はいかにアメリカ社会に溶け込んだか
  三國隆志 先生 国際言語文化アカデミア所長
 ・会場 神奈川県立国際言語文化アカデミア

○ボブ・デュラン−音楽に文学を重ねた男− 2017.01
 講師 佐藤良明 先生 放送大学教授
 会場 放送大学文京学習センター

○「Tales of the Hasidim」 Martin Buber 1947

○我と汝・対話 新装版 マルティン・ブーバー, 田口義弘(訳) みすず書房 2014

○ユダヤ教の霊性―ハシディズムのこころ 手島佑郎 教文館 2010

○Pale of Settlement(ユダヤ人居住許可地域) 1835-1917
 旧ロシア帝国の一部、現ポーランド・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア

○「Yekl: A Tale of the New York Ghetto」 Abraham Cahan. 1896
 「イェクル:ニューヨークのゲットーの物語」 エイブラハム・カーハン

○「The Imported Bridegroom」 Abraham Cahan, 1898
 「輸入された花婿」 エイブラハム・カーハン

○不浄の血 アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選
 西成彦ほか訳 河出書房新社 2013

○ホッブズ 田中浩 Century Books―人と思想49 清水書院 2014

○先輩には、後輩が成長をするための環境を作る義務や責任がある。
 岡村甫(おかむらはじめ) 先生 高知工科大学理事長・東京大学名誉教授

○本当のリーダーとは、多くのことを成し遂げる人ではなく、
 自分をはるかに超えるような人を遺す人である。
 世界で最も貧しい大統領としても知られる、ホセ ムヒカ 元ウルグァイ大統領

○神奈川R&D特別企画
 ノーベル化学賞受賞者 根岸英一博士特別講演会 2012.11
 ・第1部
  「知っていそうで知らないノーベル賞の話」
  元住友商事ストックホルム事務所長 ノーベル賞研究家 北尾利夫 先生
 ・第2部「触媒の不思議な力」
  根岸英一 先生 米国パデュー大学特別教授 2010年ノーベル化学賞受賞者
 ・会場 神奈川県民ホール
 ・主催 神奈川県、神奈川R&D推進協議会
 ・共催 神奈川県産業技術交流協会
 ・協力 ソニー株式会社

○知っていそうで知らないノーベル賞の話 北尾利夫 平凡社新書 2011

○南十字星の空に巨大望遠鏡を向けて
 -オーストラリア天文学者が語る宇宙の姿- 2014.04
 ・ブライアン・シュミット教授 オーストラリア国立大学 名誉教授
  2011年 ノーベル物理学賞受賞
 ・ブライアン・ポイル教授
  オーストラリア・スクエア・キロメートル・アレイ オフィスのディレクター
 ・顕彰状授与 毛利衛 先生(日本科学未来館館長)
 ・企画・ファシリテーション
  早川知範 先生 日本科学未来館 科学コミュニケーター
 ・会場 日本科学未来館 みらいCANホール

○学び直しでノーベル賞 大村智氏の異色の研究人生をたどる 2016.04
 講師 馬場錬成 先生 科学ジャーナリスト
 主催 神奈川県産業技術センター
 共催 神奈川県産業技術交流協会
 後援 海老名市

○企画展「上村松園−美人画の精華−」 山種美術館
 2017年8月29日〜10月22日


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