Carnevale di Venezia

聖マルコ・ルチアに導かれ新たに甦る有翼の獅子


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栄華を極めた
ヴェネツィア共和国

ヴェネツィア 海の玄関口 サン・マルコ
(サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼より)


※チャイルド・ハロルドの巡礼 第四歌 1818


  ヴェネツィアでは もうタッソ(⇒イタリアの詩人)の詩句を歌い交わす

  こともなく 歌をなくしたゴンドラ漕ぎがただ黙々と船をこぎ 町の館

  が水辺にくずれおちてゆき 音楽が奏でられないこともある。

  そういう日々は過ぎ去ったのだ。それでもまだ美しさはここにある。






1797年、北イタリアに進入したナポレオン・ポナパルト率いるフランス軍に対して、

ヴェネツィアの貴族たちは統治権を放棄し、1300年あまり続いたヴェネツィア

共和国は消滅します。それ以降、約70年に渡り(-1866)フランスやオーストリア

の支配下におかれます。



※タッソ
 ・ベルナルド・タッソ(Bernardo Tasso, 1493-1569年)、ヴェネツィア生まれの
  詩人、代表作は「アマディス・デ・ガウラ」。
 ・トルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544-1595年)、詩人、ベルナルドの
  息子、代表作は叙事詩「エルサレム解放」、「リナルド」、歌劇「アミンタ」。

※ヴェネツィアの光と影 ヨーロッパ意識史のこころみ 鳥越輝昭 大修館書店 1994
 序章 ヴェネツィアの<美しさ>と文人たち p3
 第一章 バイロンとヴェネツィアの<自由>あるいは<圧政>
 一 ヴェネツィアの<自由> p15-16

※ヴェネツィア史 クリスチャン・ベック 仙北谷茅戸(訳) 白水社 2000
 第四章 栄華と凋落(ちょうらく) (16-18世紀) p90-133



○地中海の風に誘われて|宝石のような街並みへ

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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ヴェネツィアの象徴
有翼の獅子

ドゥカーレ宮殿 (Palazzo Ducale)


※15世紀終わりから16世紀初めに手書きで残された本より


  わたしは開いた本をもつ獅子だ。

  本には《聖マルコよ、汝に平和を》と書いてある。

  この成句が気に入らない者は、ページをめくって次の下りを読むがいい。

  「無人の地でさえ、わたしは<無敵の獣>と呼ばれている。

  なぜなら、わたしは全世界を制し、これを地に突き落としたからだ」。



※ヴェネツィア史 クリスチャン・ベック 仙北谷茅戸(訳) 白水社 2000
 おわりに ヴェネツィアの神話的イメージ p158



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面


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肉よさらば
四旬節が始まる前に行われる謝肉祭

サン・マルコ広場 (Piazza San Marco)


キリストの復活を記念するイースター(Easter:復活祭)は、キリスト教に

とって最も大切な日。そのイースター前には四旬節(しじゅんせつ:Lent)

とばれる準備期間があります。四旬節はイエスが荒野で40日間の断食

をしたことに由来し、この間は日曜を除いて肉を断つ義務があったとされます。



その四旬節が始まる前に行われるカーニバル(謝肉祭:しゃにくさい)。

カーニバルの語源は、ラテン語の「carne vale」に由来し「肉よさらば」という

意味があります。40日間にわたる禁制を前に、大いに肉を食べ、酒を飲み、

冬の陰気さを吹き飛ばす無礼講の習慣が生まれ、それがカーニバルとして

定着したといわれます。ちなみにカーニバルは教会とは関係のない行事だそう。



○春の訪れを告げるカーニバル|祭りに託した人間の願い


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Carnevale di Venezia
ヴェネツィア・カーニバル

2018年は1月27日〜2月13日の日程で開催されました
(サン・マルコ広場の特設ステージ)


イースター(復活祭)は春分後初の満月の次の日曜日に行われます。

四旬節はイースターの前日からさかのぼり安息日を除いた40日間。

四旬節の始まりは「灰の水曜日」と呼ばれています。



カーニバル(謝肉祭)は、灰の水曜日の前に行われます。

最終日となる火曜日(灰の水曜日の前日)は「太った火曜日」と呼ばれ、

イタリア語では「grasso:グラッソ⇒太った)と呼んでいます。



このようにカーニバルは毎年日にちが変わる移動祭日であり、

2018年のヴェネツィア・カーニバルは、1月27日〜2月13日(火)

の期間で行われました。




※2018年の日程

 ○カーニバル (謝肉祭) 1月27(土)〜2月13日(火)
 ○太った火曜日 (カーニバルの最終日) 2月13(火)
 ○灰の水曜日 (四旬節の初日) 2月14日(水)
 ○レント (四旬節) 2月14日(水)〜3月31日(土)
 ○聖木曜日(イエスが使途たちと最後の晩餐をとった日) 3月29日(木)
 ○聖金曜日(磔刑による受難) 3月31日(金)
 ○イースター (復活祭) 4月1日(日)


※2019年

 ○カーニバル 2月16日(土)〜3月5日(火)


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日頃の不満を解消する
仮面

ベストマスク・コスチューム コンテスト|Best Masked Costume Contest
Concorso La Maschera Piu' Bella


ナポレオンの命令により禁止されたヴェネツィアの仮面カーニバル。

復活したのはヴェネツィア共和国の終焉から約200年を経た20世紀後半。

禁止後最初の公式カーニバルは1979年に行われたそうです。



※ヴェネツィアの仮面カーニヴァル 海に浮く都の光と陰 勝又洋子 社会評論社 2016
  まえがき p17
  第1章 仮面とカーニヴァルの起源 仮面と変身願望 p54-55


ヴェネツィアにおいて祭りと仮面行列は切り離せないものとなり、制限されては

いたが、仮面の着用は社会に認知されていた。政府は仮面の着用は認めて

いたものの、「ヴェネツィア・カーニヴァルが始まる12月16日(聖ステァーノの

祝日)からファッシングの火曜日までと定めていた」。



この規制は、仮面を隠れ蓑にする犯罪を防ぐことだったが、実際はカーニヴァル

の仮面着用は社会から逸脱するエネルギーを内包するため、危機感を抱いた

教会や政府からしばしば禁止され、規制されていたのである。

というのも日常の抑圧を忘れさせるカーニヴァルの解放感と自由は度外れていて、

人々の節度を欠いた振る舞いは仮面による匿名性と結びついて、仮面をつける

ことでより一層大胆になったからだ。



仮面は素顔を隠すという特性があり、男女の区別だけではなく、社会的な立場や

階層など個人のもつ情報を覆い隠してしまう。仮面と仮装は身体を覆い隠すだけ

でなく、別の外的人格を表すために変身願望への傾向を強めたのだ。

別人に成り代わることで社会の秩序から逸脱し、個人ではあっても匿名化した

集団から生成される熱狂が秩序やシステムに対する反抗のエネルギーに高まる

のを支配層は恐れた。祭りやカーニヴァルの無礼講は、庶民の日頃の不満を

こうしたエネルギーに転化して解消させる機能を持っている。



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学


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変貌の誘惑にさらされてきた
人間の精神



衣服やアクセサリーなど装いは外見という姿かたちを変えるための変身願望

と深く関わっており、人は毎日さまざまなプチ変身をして、変身願望を満たし

ているといえるだろう。



仮面はなかでも最も大胆な変身のアイテムであり、ジャン・ルイ・ヘドゥアン

(Jean-Louis Bedouin, 1929-1996)は、「仮面の民俗学」(LesMasques, 1961)

のなかで、仮面と変身願望の関連について言及している。



「いつの時代でも、人間の精神というやつは、変貌の誘惑に曝(さ)されてきた

ように思われる。しかし、その記憶が、こんにちでは、まったく忘れ去られ、

無視されている、とまで言い切ることはできまい。むしろ、われわれは、そう

した誘惑を、ちがった仕方で体験しており、また、古代民族とはちがった仕方

でその誘惑に負けている、といったほうが正しいだろう」



※ヴェネツィアの仮面カーニヴァル 海に浮く都の光と陰 勝又洋子 社会評論社
 2016 第1章 仮面とカーニヴァルの起源 仮面と変身願望 p53-54



○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」

○個性化の過程|私が私になってゆく


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共和国時代の衣装をまとった
美しく、慎ましいマリアたち



伝統的な衣装をまとった女性は、2018年のマリアに選ばれた12名。

かつてヴェネツィア共和国の元首は、毎年、美しく慎ましい12名の

ヴェネツィア女性に対して、花嫁の持参金として壮大な宝石を与えたといいます。



マリアたちは、サン・ピエトロ・ディカステッロ教会からサン・マルコ広場まで行進し、

沿道の人々にお披露目されます。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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La Festa delle Marie

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人間はいくつもの役割を演じる
役者に過ぎない



All the world's stage, And all the men and women merely players.

They have their exits and their entrance,

And one main in his time plays many parts.


※Shakespeare : As you like it. Arden 2006, p.227.





この世界はすべて、一つの舞台だ、男や女たちはみな、役者にすぎない。

現れては、消えてゆく。

誰もが持ち時間のなかで、いくつもの役回りを演じて行く。



※戯曲「お気に召すまま」 シェイクスピア 第2幕7場 ジュークイズの台詞
※ヴェネツィアの仮面カーニヴァル 海に浮く都の光と陰 勝又洋子 社会評論社 2016
 終章 −海に浮く都の光と陰− p195-196



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」


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様々なイベントが開催される
ヴェネツィア・カーニバル

DJ Set Red Bull in Piazza San Marco


カーニバル期間中は、水上パレード(La Festa Veneziana sull’acqua)、

マリアたちの行進(Corteo e Festa delle Marie)、

天使の飛翔(Il volo dell’angelo)のほか、

子どもたちによるパレード、大道芸など本土側のメストレ地区も含み、

様々なイベントが開催されていました。



写真はサン・マルコ広場での夜のイベント、DJ Set。


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Creatum Civitas Ludens i DJ Set Red Bull in Piazza San Marco

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空路の玄関口
マルコ・ポーロ空港

マルコ・ポーロ空港に着陸する飛行機から見たヴェネツィア


※マルコ・ポーロ 東方見聞録 月村辰雄・久保田勝一(訳) 岩波書店 2012
 1 プロローグ p3


  この世界のさまざまな地域のまぎれもない真実を知りたいとお望みなら、

  どうかこの書物を取り上げて朗読をお命じになっていただきたい。

  そうすれば皆さまは、この中に記された大アルメニアやペルシアやタタール

  人(モンゴル族)やインドや、さらにまたほかの数多くの地域につての大いなる

  驚異を、この書物が順序立てて詳しく語るそのままに見出されることであろう。

  これはヴェネツィアの賢く名高い市民マルコ・ポーロ殿が、実際に自分で

  目にしたことを語ったものである。もっとも、中には自分で目にしなかった

  ことも含まれているが、その場合でもマルコ殿は確かな人物から真実として

  耳にしたのである。






ヨーロッパに東洋の様子を伝えたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロ(Marco Polo,

1254-1324)。17歳だったマルコは1271年、父ニコロと叔父のマフェオに伴われ

東方に旅立ちます。陸路を経て元(中国)に至り、初代皇帝クビライ・カーンの庇護

のもと中国各地を旅します。帰路は海を経て1295年にヴェネツィアに帰国。

その後ジェノヴァとの戦いで捕虜となったマルコは、獄中において旅行を口述し、

ルスティケッロ・ダ・ピサが書物に記します。



「東方見聞録」には、日本に関する記述がみられますが、マルコ自身が日本を

訪れたのではなく、元(中国)で聞いた話を記したとされ、西洋世界に日本の

存在を最初に伝えた文献だといわれます。


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陸路の玄関口
ローマ広場

コスティトゥツィオーネ橋(Ponte della Costituzione)より見た
ローマ広場(Piazzale Roma)


※「ヴェニスに死す」 トオマス・マン 実吉捷郎(訳) 第三章
  「DER TOD IN VENEDIG」 Thomas Mann


この共和国が、近づく航海者たちのうやうやしいまなざしにむかってかかげてみせる、

幻想的な建築物のあのまばゆい構図を見たのである。――宮殿の軽快な華麗さと

ためいき橋と、水ぎわの獅子と聖者のついた円柱と、童話めいた殿堂のきらびやか

に突き出ている側面と、門道と大時計を見とおすながめと――そしてかれは、じっと

見やりながら、陸路をとってヴェニスの停車場に着くというのは、一つの宮殿の裏口

からはいるのにひとしい、そして人はまさに、今の自分のごとく、船で、大海を越えて、

都市のなかでの最も現実ばなれのしたこの都市に到達すべきだ、と考えた。





※宮下孝晴の徹底イタリア美術案内1 北イタリア ヴェネツィア・ミラノ
 美術出版社 2000 T ヴェネツィアとアドリア海の町 第1日 p18


アドリア海に向かって開かれた群島ヴェネツィアの表玄関といえば、ドゥカーレ宮殿

とサン・マルコ教会のある小広場(ビアッツェッタ)でした。ヴェネツィアを訪れる者は

誰でも、堤防のような形をしたリド島の間を縫って、サン・マルコの船着場から上陸

したわけです。でも、今それをしようと思ったら、船旅をするかモーターボートを雇う

しかなくて、大変な費用がかかってしまいます。うつうは列車で渡潟橋を渡ってヴェ

ネツィア・サンタ・ルチア駅に入るか、飛行機でマルコ・ポーロ空港に入ります。



イタリア本土とヴェネツィア群島に橋を架けることは、ヴェネツィアの自然の要塞を

無意味にしてしまうことになりますが、1864年には全長4キロの渡潟鉄道橋が、

そして1928年には自動車橋が完成しました。それまでの裏玄関が表玄関になり、

表玄関のサン・マルコ広場が裏玄関になったわけです。


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メストレとヴェネツィア島をつなぐ
トラム

ローマ広場


自治体(コムーネ)としてのヴェネツィア市(Comune di Venezia)は、

潟(ラグーナ)の島々のほか、イタリア半島(本土側)に位置するメストレ

(Mestre)などを含み、面積はおよそ400 km2、人口は26万人ほどだそう。



写真は、本土のメストレ地区とヴェネツィアを結ぶトラム。

ヴェネチィア島までは2015年に開業したそうです。

レールは2本ではなく1本で、車輪はゴムタイヤだそうです。


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鉄道の玄関口
ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅

サンタ・ルチア駅前


ヴェネチィアへの鉄道の玄関口サンタ・ルチア駅。駅名のサンタ・ルチア(Santa

Lucia)は、シチリア島のシラクサで殉教したとされる聖人ルチアに由来するそう

です。



駅のある地にはかつてサン ジェレミア エ ルチア教会(Chiesa dei Santi Geremia

e Lucia)があったそうで、ここには第4次十字軍遠征に参加したヴェネツィア共和国

がコンスタンティノープルから持ち帰った聖ルチアの遺骸を祀ったとされます。

(サン ジェレミア教会は駅の近隣に移動)



「Lucia」には光という意味があるといいます。わたしたちも常に「目を覚ましている」

ことができるよう、聖ルチアの取り次ぎを願いたいと思います。


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サンタ・ルチア駅前を流れる
大運河

カナル・グランデを航行する水上バス「ヴァポレット」|サンタ・ルチア駅前


駅を出ると目の前には大運河(カナル・グランデ)が流れ、

水上バス「ヴァポレット(Vaporetto)」の停留場フェローヴィア(Ferrovia)があります。



カナル・グランデは、サンタ・ルチア駅からサン・マルコ広場まで約3.8kmあるそうです。



○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


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新しい人生の扉
ベニスで恋して

サン・タルチア駅前のヴァポレット停留場
Ferrovia(フェローヴィア)


2000年に公開されたロマンティック・コメディ映画「ベニスで恋して, Pane e tulipani)。

(監督: シルヴィオ・ソルディーニ, 出演:リーチャ・マリエッタ, ブルーノ・ガンツ, イタリア)



イタリアの地方都市ペスカーラに住む主婦ロザルバ。家族旅行中にはぐれてしまった

彼女は、ようやく連絡がついた家族から冷たくされ、すっかり落ちこんでしまう。

仕方なく、ヒッチハイクで我が家へ帰ることにしたロザルバだったが、ひょんなことから

昔からの憧れの街ベニスを一人旅することに。



そこで人生に絶望を感じている、親切なトラットリアの主人フェルナンドと出会う。

彼の家に居候することになったロザルパは、独身時代の特技を生かして花屋で

働き始める。ロザルバは自由を満喫し、徐々にフェルナンドに惹かれていくのだったが…



※KINENOTE, 他より


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カナル・グランデに寄り添うように集まった
60の小島からなるリアルト群島

カナル・グランデ


生粋の<都市>であるヴェネツィアは、人間が自然から作り出した傑作である。

その自然はしかし、もともと町づくりに適していたわけではなく、むしろきびしい

条件を呈していた。



<ヴェネツィアの潟(ラグーナ)>は、静かであまり深くはないが潮の満干の絶え

ない水を滔々(とうとう)とたたえている。昔はこの泥沼の真ん中に、ムラーノ、

ブラーノ、トルチェッロなどの大きい島々と、およそ60の小島からなるリアルト

群島が姿を見せていた。これらの小島は、曲がりくねって流れる、古くからの

河(のちの大運河(カナル・グランデ))のまわりに寄り集まって、水面に見え隠

れしていた。



どこへ移動するにも船で運河を行くしかなかったため、ヴェネツィアの地勢は

侵略を受けにくく、かなりの安全が保証されていた。住民が独立することが

できたのは、何世紀にもわたって侵略がつづき、のちには数々の政治的変動

にゆれたイタリア本土から外れて位置していたおかげである。資源の欠乏が

彼らを海へ向かわせ、彼らはそこで塩や魚を採ったり、それを売りさばいた

りするようになる。そして、その過程で遭遇したさまざまな困難が、彼らの

進取(しんしゅ)の気性や共同体精神や愛国心をさらに育てていったのである。



※ヴェネツィア史 クリスチャン・ペック 仙北谷茅戸(訳) 白水社 2000
 第一章 起源 T 泥と砂と水と p10-11


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現代芸術の国際展覧会
ヴェネツィア・ビエンナーレ

Ca' Sagredo Hotel (カ サグレド ホテル)を支える手|カナル・グランデ
Lorenzo Quinn's support sculpture braces ca' sagredo hotel
at the venice art biennale 2017


2年に1回(奇数年)に開催される芸術の祭典、ヴェネツィア・ビエンナーレ(Biennale

di Venezia)。1895年に初めて開催され、2017年は122年目となる第57回祭典が

開催されました。



大運河(カナル・グランデ)の畔に建つ、カ サグレド ホテル(Ca' Sagredo Hotel)

を支える2本の巨大な手は、イタリア人芸術家 ロレンゾ・クイン(Lorenzo Quinn)

による作品。(Biennale di Venezia 2017)



地球温暖化によって水面上昇の恐れのあるヴェネツィアの建物を巨大な両手

で支えているそうです。



○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける


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リアルトから始まった
ヴェネツィアの街づくり

リアルト橋


(ヴェネツィアの)本格的な都市の建設は、ここに首都が移った9世紀の初頭

から始まった。市場のある今のリアルトあたりがその中心で、土地がやや

高くなっていたため、Rivoalto(高い岸)と呼ばれ、ここから街づくりが始まった

のである。しかし古い時代には、カナル・グランデを挟んだ両側の広い範囲

をリアルトと呼んでいたようだ。



※ヴェネツィア 栄光の都市国家 饗庭孝男, 陣内秀信, 山口昌男 東京書籍 1993
 第3章 迷宮都市としてのヴェネツィア
 特異な立地条件 p146, 大運河とリアルト市場 p187-198


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この地に大理石と黄金の
百もの神殿が聳え立とう!

ヴァポレットの停留場「リアルト」


※イタリア・ルネサンスの文化 ヤーコプ・ブルクハルト. 新井靖一(訳) 筑摩書房 2007
 第1章 精緻な構築体としての国家 十五世紀のヴェネチア p84-85



ヴェネチィアは自らを不可思議な、神秘に満ちた被造物であると認め、

その中では昔から人間の知恵とはなにか別なものがなお働いていた

のだと考えていた。この都市の厳かな創設については一つの神話があった。



413年の3月25日の正午の頃、パドヴァからの移民者たちがリアルト島に

市の礎石を置いた、かくして、蛮族のために引き裂かれたイタリアの中に

難攻不落の、神聖な避難場所ができたのである、という神話が。



後世の人たちは、これら創設者の心のうちにはこの都市が将来偉大なもの

になるのだという予感がすべて込められていたのだと考えた。

この出来事を流麗な六脚韻の詩で賛美したマルコ・アントニオ・サベッリコは、

都市奉献式を失効する神官を仰いでこう呼ばわらせている。



「いつの日かわれら重大事を敢行する時あらば、よき首尾を与えたまえ!

今われらは粗末な祭壇の前に跪いている。されど、われらの誓願空しからずば、

神よ、いつの日からこの地に大理石と黄金の、百もの神殿が聳え立とう!」


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過去最低レベルまで下がっている
ヴェネツィアの人口

リアルト橋からの眺め


ヴェネツィアの町の人口は、16世紀の終わりには10万人以上に達している。

ヨーロッパじゅうで猛威をふるったペストが去った1346年には、5万人に落ち

込みはしたものの、キオッジャとの戦争が終わった1382年には6万人、1422

年には8万5000人、と増加し、1563年には17万人(なんと現在の2倍以上!)

にまでなった。



※ヴェネツィア史 クリスチャン・ベック 仙北谷茅戸(訳) 白水社 2000
 第3章 黄金時代 (13-15世紀) \ ヴェネツィア社会 P75



Official census figures show the city's permanent population was 59,984

as of last week. The population has been sliding for years, from 174,000

in 1951 to 70,000 in 1996, prompting fears that the city's days as a

sustainable community are numbered. The figure of 60,000 was regarded

as the next significant benchmark in the demographic decline.



※Venice population falls to lowest level in centuries - Telegraph
  26 Oct 2009


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仮面に頼らず個性を重視した
カルロ・ゴルドーニ

リアルト橋に隣接するサンバルトロメオ広場


サンバルトロメオ広場の中央にあるカルロ・ゴルドーニ像。ヴェネツィア出身

の劇作家カルロ・ゴルドーニ(Carlo Osvaldo Goldoni, 1707-1793年)は、

喜劇に革新をもたらしたそうです。



従来の喜劇(コメディア・デラルテ)では、登場人物が例えば、ケチでスケベな

ヴェネツィア商人バンタローネ、学識を鼻にかける頓馬な法律家ドットーレ、

つぎはぎだらけのボロをまとった下僕アルキッキーノ、でっぷりとした下僕

プルチネッラといったように類型化されていました。役者は、類型化された人物

の仮面を用いて、大まかな台本を元に即興的に演じたといわれます。



それに対してゴルドーニは、類型人物が持つステレオタイプを排除して、

人間的な個性を持つ登場人物が繰り広げる性格喜劇を確立し、台詞は

台本に従って行うようにしました。


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社会と人間を見つめる眼差し
イル・カンピエッロ

トレンティーニ教会前の小広場 (Campo dei Tolentini)
ワインを立ち飲みしています


カルロ・ゴルドーニ原作の喜劇「イル・カンピエッロ(Il Campiello)」。

「Il」は英語では「The」、「Campiello」は「小広場」という意味があり、

ヴェネツィアにある小さな広場を舞台に繰り広げられる物語。



結婚を夢見るガスパリーナとナポリの騎士アストルフィの恋物語を中心に、

カンピエッロの周りに住む人々との騒動・笑いといった、人間味溢れる場面

が展開されてゆきます。



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○風刺や失敗談など「滑稽」を表現する狂言


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中世の
聖遺物に対する崇拝

サン・マルコ寺院 (Basilica di San Marco)


828年、イスラム教徒の猛威に怯えるエジプトのアレキサンドリアから、

二人のベネツィア商人が聖マルコの遺体を持ち帰り祀ったことに遡る

サン・マルコ寺院。



現在のような科学がなかった当時、悪魔はキリストとその弟子たちの力に

よって1000年の間は鎖につながれているが、その後は復活して猛威を振る

うと信じられていました。



悪魔の復活に怖れをなした市民は、聖人の遺体を身近に置き、祈り捧げる

ことで自らを守ろうとしたそうです。



○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム


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聞く耳のある者は聞くがよい
マルコによる福音書

ヴェネツィアの繁栄を象徴するパラ・ドーロ(Pala d’Oro, 黄金のつい立)
第4回十字軍に参加したヴェネツィアが戦利品として持ち帰ったとされます
サン・マルコ寺院


※マルコによる福音書 第4章


イエスは譬(たとえ)で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、

「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた

種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。

そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために

枯れてしまった。ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさい

でしまったので、実を結ばなかった。ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、

育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。

そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。(2-9節)



イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬に

ついて尋ねた。そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられ

ているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。それは『彼らは見るには見るが、

認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。

(10-12節)



また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくる

ことがあろうか。燭台の上に置くためではないか。なんでも、隠されているもので、

現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。

聞く耳のある者は聞くがよい」。(21-23節)


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ヴェネツィア共和国の中枢
ドゥカーレ宮殿

Palazzo Ducale


サン・マルコ寺院の南側、大運河に面して建つドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア

の最高権力者であった元首(doge. ドージェ)の官邸であり、国会・裁判所・牢獄・

武器庫などを備えた総合庁舎だったそうです。


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共和国の最高議決機関
大評議の間



ドゥカーレ宮殿の中でひときわ大きい部屋は「大評議の間 (Sale del Maggior

Consiglio)」。

次第に強くなる元首の力を抑えるため1143年に代表制が取り入れたそうです。

当時、20歳になった貴族の男子すべてが共和国国会の議員の資格を得たと

いわれます。



正面の壁、総督の座の背後には、ティントレット(Tintoretto, 1518-1594年)による

絵画「天国(Paradiso)」。雲海を埋め尽くす無数の人々がダイナミックに上昇して

いる様子が描かれています。



天上中央には、パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese、1528-1588年)の「ベネチア

の勝利」。周囲の壁の上部には元首の肖像画76枚が掲げられているそうです。


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現世に別れを告げた橋
溜息の橋

ドゥカーレ宮殿(左)と牢獄(右)をつなぐ「溜息の橋(Ponte del Sospiri)」


宮殿と16世紀半ばに新設された牢獄とをつなぐ溜息の橋。

宮殿内の裁判所で判決を受けた囚人が牢獄に連れて行かれる時に

渡った橋だそうです。概観は美しい大理石で造られていますが、

内部は木造の質素なつくりになっています。



この橋から外を見渡し、この世に別れを告げて溜息をついたことから

この名がついたそうです。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


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この世で最高に怖ろしい罰
無益で無意味な作業への従事

「溜息の橋」の内側


※「死の家の記録」 ドストエフスキー 望月哲男(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
  第一部 第二章 最初の印象 p50-51


ここの労働がつらい懲役だという理由は、難しい作業を絶え間なくやらされる

からというようりは、むしろそれが強制された義務としての労働であり、棍棒

(こんぼう)でどやされながら働かされるからなのである。



おそらく娑婆(しゃば)にいる百姓のほうがはるかに労働量は多いし、時には、

とりわけ夏場など、毎日夜中まで働いている。しかしそれは自分の仕事であり、

理にかなった目的があって働いているのだから、囚人が強制されて、まったく

自分の利益にならない仕事をさせられているのに比べれば、はるかに楽なのだ。



…もしも一人の人間をすっかり押し潰し、破滅させてやろうというつもりで、

どんな残忍な人殺しでも聞いただけで身震いして腰を抜かすような、最高

に怖ろしい罰を課すとしたら、ただ単に一から十までまったく無益で無意味

な作業をさせればいいのだ。



…もし同じ囚人に、たとえば一つの桶から別の桶に水を移し、その桶から

またもとの桶に移すとか、ひたすら砂を槌(つち)で叩くとか、一つの場所

から別の場所に土の山を移して、また元に戻すといった作業をやらせて

みれば、きっと囚人は何日かで世をはかなんで首を吊るか、それとも

そのような屈辱、羞じ、苦しみから逃れるためならいっそ死んでもいいと、

自棄(やけ)になって犯罪をし散らかすことだろう。


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人間は自由である
心と膝を折り曲げよ

ドゥカーレ宮殿の牢獄(Prigioni)
「回想録」で知られるカサノヴァは、魔術を悪用し、青年女子を堕落させた
嫌疑によって、ドゥカーレ宮殿の牢獄に入れられとされます


※カザノヴァ回想録 第1巻 少女たちの誘惑 ジャック・カザノヴァ. 窪田般弥(訳)
  河出文庫 1995 はじめに p9-10


わたしはまず読者の皆さんに、次のことをはっきりと申し上げておきたい。

わたしは生涯にわたって良いこと、悪いこと、あるゆることをしてきたが、

わたしは自分が自由な人間であると信じざるを得ないのだと。



(…)わたしは、あらゆる形のあるものの創造者であり、主人でもある、姿なき

神の存在を信じている。わたしが神の存在を絶対に疑ったことのない証拠には、

わたしはいつも神の摂理をあてにし、窮地におちいったときには祈りをささげて

神にすがり、つねに願いがかなえられたと思っているのである。



絶望は人を殺すが、祈りは絶望をとりはらう。そして、人間は祈りをささげたとき

には、自信を得て行動する。救いを哀願する人たちの切迫した不幸をそらすべく

神が用いる手段は、そのいかなるものも、人間の理性の力をうわまわるほど深く

考えぬかれたもので、人間は、神の摂理の不可解なことを見たその瞬間に、

たちまち神を崇めざるを得なくなるのである。



われわれの無知は、困難を切りぬけるための唯一の方策である。

ほんとうに幸せな人とは無知を大切にすることだ。



(…)人間は自由である。しかし、もし自分の自由を信じなければ、人間は自由

ではなくなる。というのは、人間は<運命>の力を考えれば考えるほど、<理性>

を分かち与えてくれた神から授けられた己の力が信じられなくなるからである。

理性というものは創造主の神性の小部分にすぎない。



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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人は常に自分の不幸をつくる職人
我が姿を見る

ジャコモ・カサノヴァ(Giacomo Casanova、1725-1798年)
絵画:アントン・ラファエル・メングス(Anton Raphael Mengs)


※カザノヴァ回想録 第1巻 少女たちの誘惑 ジャック・カザノヴァ. 窪田般弥(訳)
  河出文庫 1995 はじめに p19


  官能の喜びを深めることが、つねにわたしの主要な仕事だった。それ以上

  に重要な仕事は何もなかった。自分は女性のために生まれてきたのだと

  自覚し、つねに女性を愛し、できる限り女性に愛されようとつとめた。

  わたしはまた、熱狂的にご馳走を愛し、好奇心を刺激するあらゆるものに

  対して、情熱を燃やした。




ヴェネツィア出身のジャコモ・カサノヴァ(ジャック・カサノヴァ)は、巧みな弁舌

を用いて、外交官・軍人・司祭・哲学者・医師などの様々な身分を演じて各国の

社交界を渡り歩き、数多くの女性遍歴をもったとされます。晩年に記した「回想

録(Histoire de Ma Vie)」は、自由人の真実、18世紀ヨーロッパ風俗を知る貴重

な資料になっています。


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我は過ぎて人はゆく、憂いの府(まち)に
地獄

「Inferno(地獄)」 部分 ドゥカーレ宮殿


※新曲 地獄篇 ダンテ 三浦逸雄(訳) 角川ソフィア文庫 2013 (改版)
 第5歌 p52-53 第二圏谷 好色者の獄
 (魂の罪の重さによって、それぞれの地獄の谷へ突き落とされる場面)


こうして、わたしは第一の圏谷(たに)から、谷底の第二の圏谷へ降りたった。

そこは輪が窄(せま)くなっているだけに、苦痛もはるかに激しくて、呻(うめ)き

の声が刺すようだ。そこにはミノスが恐ろしげに歯をむいて立っている。

入口で魂の罪業をしらべると、身に巻きつけた尾の数で罪をきめて下獄させている。



幸(さち)うすく生まれでた魂は、その前に出てその身の泥をあらいざらい吐き出すと、

罪業応報のことにくわしいこのミノスが、罪に見合った地獄の場所を自分の尾を身

に巻きつけるその数で、魂をおとす圏谷(たに)の数を示すということだ。

ミノスの前には、いつも魂たちが群がって立ちはだかっている。ひとりひとり順ぐり

に裁きをうけに行って罪を告白し、刑罰をきいたとたんに、地獄の谷へ突きおとされ

ているのだ。


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人間とはなにか
人間の罪とはなにか

ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri, 1265-1321年)
絵画:サンドロ・ボッティチェッリ


フィレンツェ出身の詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリ。教皇に謁見するため

ローマへ滞在中にフィレンツェでクーデターがおこり、ダンテは汚職の罪で永久

追放となります。亡命生活を余儀なくされたダンテは、その後、祖国フィレンツェ

に戻ることは叶わず、1321年の9月13日、ヴェネツィアからの帰路にマラリアに

かかり、ラヴェンナで没したとされます。



時獄編・煉獄(れんごく)編・天国編から成るダンテの代表作「神曲」。1300年の春、

復活祭の木曜日に暗黒の森に迷い込んだダンテは、険しい道である地獄への旅

に身を委ねることができるか心配になります。そこに天上の三人の淑女(恋人ヴェ

アトリーチェ・聖マリア・聖ルチア)の頼みでダンテの危機を救うために遣わされた

古代ローマの詩人ウェルギリウスが現れます。



ダンテはヴェルギリウスに導かれ、生き身のまま地獄の門をくぐり九つの圏谷を

降りてゆくことに。肉欲、欺瞞、異教、裏切り…地上での罪により呵責(かしゃく)を

受ける魂の叫びにダンテは怖れ慄(おのの)きながらも言葉を交わします。そして、

神が造った人間とは何か、その人間の罪とは何かに気づいてゆきます。



※神曲 地獄篇 ダンテ 三浦逸雄(訳) 角川ソフィア文庫 2013 (改版)



○人間の弱さと限界、そこからの可能性パスカル「パンセ」


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ゲーテが見たヴェネツィア
陽光の輝くなかを進むゴンドラ



ドイツの詩人・劇作家ゲーテは、1786年9月28日から10月14日まで、

およそ2週間ヴェネツィアに滞在したといわれます。



※「イタリア紀行」 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


  わたしは、ゴンドラにのり、陽光のかがやくなかで潟を進んでいた。

  ふたりの船頭たちはわたしのゴンドラの前後に立ち、色鮮やかな服を着て、

  ゆらゆらと浮かんでいかのように船を漕いでいる。船頭たちのすがたは

  水面の薄緑のうえで、青色の空を背景にあらわれている。

  このとき、わたしはヴェネチィア派のいちばんできのよい、描きあげられた

  ばかりの絵を見ているような気がしていた。陽光はここの色をまぜあわせ

  ながら同時に際立たせていた。日蔭の側ですらずいぶん明るく、これが絵

  であれば、明るい部分として通用しそうなほどだった。おなじことは、

  きらきら反射している緑の海水についてもいえた。

  すべてが明澄(めいちょう)ななかでひたすら明澄にえがきだされていた。



※ヴェネツィアの光と影 ヨーロッパ意識史のこころみ 鳥越広輝昭 大修館書店 1994
 第十章 ヴェネツィアにかんするゲーテの古典主義性とベックフォードのロマン主義性
 p267-268


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水の上を行く馬車
美しいゴンドラ

スクェーロ (ゴンドラ造船所)


ゴンドラは船ではなく、水の上を行く馬車である。それは、次のことを考えて

みればわかる。船にはみな名前がついているが、ゴンドラにはないのだ。

船で一番大事なのは効率性だが、ゴンドラの場合は美しいことが条件となる。

そして、ゴンドラが馬車であるなら、ゴンドリエーレは御者である。船乗りには

経験や勇気や行動力が求められるが、ゴンドラ漕ぎに要求されるのは、─昔

なら─お仕着せを完璧に身につけ、詩を朗唱できること(現代なら各国語に

通じていること)である。それから、船乗りはあくせく働くが、ゴンドリエーレは

汗さえかかない。



※ゴンドラの文化史 運河をとおして見るヴェネツィア
 アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ 和栗珠里(訳) 白水社 2010
 1 ゴンドラは馬車である p9


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サンフェリーチェ運河にかかる
手摺のない橋



かつてヴェネツィアの橋は手摺がなかったそうです。橋の上では庶民の祭り

として、互いに殴り合い運河に落とすイベントが開催されていたといいます。



現在、手摺のない橋はヴェネツィア島内では1ヵ所しか残っていないそうで、

カンナレージョ地区のサン・フェリーチェ運河で見ることができます。


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ヴェネツィア派のコレクション
アカデミア美術館

アカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)


カリタ広場にあるアカデミア美術館。元々はカリタ教会の一部だったそうです。

1756年にティエポロが初代校長となって美術学校が創設されたのが始まり

だといわれます。



ジョヴァンニ・ベリーニ、ティツィアーノ、ティントレット、パオロ・ヴェロネーゼ

などヴェネツィア派のコレクションに触れることができます。



2017年9月29日から2018年4月2日までは、アカデミア美術館創立200年を祝う

「Canova, Hayez, Cicognara. L'ultima gloria di Venezia」展

(カノーヴァ、アイエツ、チコニャーラ ヴェネツィアの最後の栄光展)

が開催されています。



※アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova, 1757-1822年) イタリアの彫刻家
※フランチェスコ・アイエツ(Francesco Hayez, 1791-1882年)、ミラノの画家
※レオポルド・チコニャーラ(Leopoldo Cicognara, 1767-1834年)、詩人・美術愛好家


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美しい魔女に魅了され
虜になるリナルド

「Rinaldo e Armida」 (1913) Francesco Hayez Gallerie dell'Accademia
「リナルドとアルミーダ」 フランチェスコ・アイエツ アカデミア美術館


イタリアの詩人、トルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544-1595年)の第一回

十字軍を描いた叙情詩「解放されたエルサレム」に登場する「リナルドとアルミーダ」。



キリスト教の聖地であるエルサレムを奪還するべく派遣された十字軍の勇士リナルド

は、十字軍を壊滅するよう命を受けたムスリムの美しい魔女アルミーダの美貌に魅了

され、虜になってしまいます。


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不死鳥
フェニーチェ劇場



ヴェネツィアの歌劇場、フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)。

イタリア語の「Fenice」は、英語では「phoenix」にあたり、不死鳥の意味だそうです。

1792年に開場してから1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼しますが、

2004年に写真の劇場が再建されます。



玄関の上に刻まれる「SOCIETAS MDXXCII」の「SOCIETAS(ソキエタース)」は、

ラテン語で「親交・友愛・絆・会社」を意味し、その下の「MDXXCII」は、開場した

年である「1792」を表す文字。



日本でも馴染みのあるジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「椿姫」や「リゴレット」、

「エルナーニ」は、フェニーチェ劇場で初演が行われたそうです。


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甘く華やかな 大人の恋の物語
メリーウィドウ

フェニーチェ劇場


2018年2月、フェニーチェ劇場で上演されたウィンナ・オペレッタ

「Die lustige Witwe (原語・独)」、

(La Vedova Allegra(伊), The Merry Widow(英), 陽気な未亡人)。



※喜歌劇「メリーウィドウ」 フランツ・レハール
 4 Auftrittslied (第4曲 ダニロ 登場の歌)


祖国よ! 昼間はおまえのために苦労している!

どんな外交官にとっても夜は必要なもの!

1時には執務室にしてもすぐに姿をくらます。

一日中、執務室にいることはできやしないさ!

たいてい自分からは上司への報告はしない。

面会時間も遵守しない。

外交官は口が重くなくてはいけない。

周りは書類の訳 やたらと書類が多すぎる

自分で筆は執らないが 仕事の煩わしさに巻き込まれる!

こんなに仕事が多ければ夕方に一息ついて

夜になって骨休みをするのは無理もないこと。

だから僕はマキシム(⇒パリのキャバレー)に行く

気の置けない場所へ

親しい女性ばかりで みんな愛称で呼んでいる

ロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフルってね

みんな、大切な祖国のことを 忘れさせてくれるのさ!

シャンパンを酌み交わし カンカンを踊り

かわいい娘たちとイチャつき キスをする

ロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフルたちとね

忘れられるのさ!



※小学館DVD BOOK 第16巻 魅惑のオペラ 2008
 メリー・ウィドウ フランツ・レハール メルビッシュ湖上音楽祭 1993
 訳 大治はるみ、石田淳子



○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術|ミュージカル


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La Vedova Allegra

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アドリア海の女王
聖マリアと聖ルチア

フェニーチェ劇場


※※喜歌劇「メリーウィドウ」 フランツ・レハール
 16 SchluBgesang (第16曲 終曲の歌)


そう、女たちの研究は難しいもの…

ああ、女よ、女たちよ!

男性を疲労困憊させる!

女の心も体も 決して知ることはないのさ…

女、女、女、女!

優しくて 金髪で 誠実な青い瞳でも 黒髪でも赤毛でも

男はみんな虜になってしまう!


※小学館DVD BOOK 第16巻 魅惑のオペラ 2008
 メリー・ウィドウ フランツ・レハール メルビッシュ湖上音楽祭 1993
 訳 大治はるみ、石田淳子


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ヴェネツィアのプロサッカーチーム
ヴェネチィアFC

ヴェネツィアFCの本拠地
スタディオ・ピエルルイジ・ペンツォ(Stadio Pierluigi Penzo)


2017-18シーズン、セリエBに所属するプロサッカーチーム、ヴェネチィアFC

(Venezia F.C.)。セリエBには22チームが参戦し、9月から5月までの日程で

行われるそうです。



2017-18シーズン、ヴェネツィアFCは26節を終わった段階で6位となっています。



本拠地は、ヴェネチィア島内にあるピエルルイジ・ペンツォ・スタジアム。

スタジアムの収容人数は約7,000人だそうです。



○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指す|スポーツクラブ・マネジメント


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Venezia FC - Serie B promozzione | 15 Aprile 2017

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すべてのユダヤ人は一緒に住まうこと
ユダヤ人強制居住区

ユダヤ人強制居住区ヴェネツィア・ゲットー (Ghetto di Venezia)
Campo di Ghetto Nuovo


イタリア半島における「ゲットー発祥の地」ヴェネツィアでは、16世紀初頭まで

都市内(⇒ヴェネツィア島内)でのユダヤ人の居住は認められていなかった。



(…)こうした状況は、16世紀初頭に大きく変化する。スペインとオーストリアを

支配するハプスブルク家と、両国に挟まれたフランスの間で断続的に戦われた

イタリア戦争において、自国領の拡張を図って反発を買ったヴェネツィアは、

イタリア諸国やオーストリア、フランスなどによるカンブレー同盟軍と戦った

1509年のアニャデッロの戦いで決定的な敗北を喫して、トレヴィーゾを除く

本土領のほとんどを失った。このとき、ヴェネツィア本島に流入した多くの

避難民のなかには、本土領都市のユダヤ人も含まれていた。



(…)こうしたユダヤ人の存在は、逼迫する戦時経済における課税対象としても、

都市民の金融需要を満たす上でも有用であった。



しかし、ユダヤ人が公然と市内に居住し、金融業や古物商を営むことは、

戦況の悪化を神罰と解釈する聖職者や都市民の反ユダヤ感情を刺激した。



(…)1516年3月、貴族Z・ドルフィンが(…)ユダヤ人の隔離案をコッレージョ

(⇒十人委員会, Consejo dei Diexe)に提出した。(…)この法案は元老院で

可決され、強制的なユダヤ人居住区が決定した。



※はじめて学ぶ イタリアの歴史と文化 藤内哲也(編著) ミネルヴァ書房 2016
 第U部 テーマから探るイタリアの歴史と文化 第12章「ゲットーの時代」のユダヤ人
 3 「ゲットーの時代」 ヴェネツィアにおけるゲットーの創設 p323-325



○現代世界に生きる人間の普遍的な悲劇 ナクバ


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表と裏の関係
世界を貫く堕天使の魔王

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から見た
ジュデッカ島


ジュデッカ運河を隔ててヴェネツィア本島に添うように浮かぶ細長い島、

ジュデッカ島(Isola della Giudecca)。島にはかつてユダヤ人強制居住区

ゲットー(Ghetto)が置かれたそうです。

ジュデッカ(Giudecca)の語源は「Djudios(ユダヤ人, 英:Jews)ともいわれます。



※神曲 地獄篇 ダンテ 三浦逸雄(訳) 角川ソフィア文庫 2013 (改版)
 第34歌 p373-384
 地獄の底である第九圏谷のどんづまり第四円(ジュデッカ, 主を裏切った者)


  おまえ(⇒ダンテ)はまだ、ある中心の向こう側のわしが邪悪な虫(⇒ルチフェロ)

  の毛にしがみついていた所にいると思っているが、その虫は穴をうがって世界

  を貫いているのだ。



  おまえがあちら側にいたのは、わし(⇒ヴェルギリウス)が降りていた間のことだ。

  わしが引っくりかえったとき、おまえも中心を通り過ぎたのだ。そこでは重力に

  八方から引っぱられていただろう。



  おまえはいま、乾いた土がひろびろとおおい、その天頂の真下(エルサレム)で

  罪なくして生まれて生きたお人(キリスト)が殺されたもうた、あそことは反対の

  (南)半球の底にたどりついたのだ。いまおまえの足が立っている小さい球は、

  ジュデッカ(ユダの国)の真裏になっている。あちらが晩なら、ここは朝だ。




  (…)師(⇒ウェルギリウス)をさきに、わたし(⇒ダンテ)はあとにしたがって、

  登りについた。そこの円い穴をとおして、天上にある美しいもの(星)がいっぱい

  見えた。そして、そこから外に出て、わたしたちはふたたび星を仰ぎ見たのである。



※ルチフェロ
 ルチフェロは、地獄の底である第九圏谷のどんづまり第四円(ジュデッカ)にいる
 堕天使の魔王。地の中心に埋もれていて上半身だけ出しているが、下半身は
 中心点を通り越して、南半球へ向けて埋まっている。天上から追われる前は
 美貌の天使であった。


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何もかも
キリスト教徒とそっくり同じではないか

ジュデッカ島|ヴァポレット「Palanca(パランカ)」停留所付近


※「ヴェニスの商人」 シェイクスピア 安西徹雄(訳) 光文社古典新訳文庫 2007
 13 (三幕一場) p100-101 (ユダヤ人の金融業 シャイロックの台詞)


やつめ、わしにさんざ恥をかかせやがった。大枚の儲けを邪魔しやがって、

わしが損をしたといっては嘲(あざ)笑い、得をしたといっては嘲(あざけ)り、

われらユダヤの民を嘲弄(ちょうろう)し、わしの商売を妨げ、わしの友情には

水を差し、仇(かたき)の憎しみは煽(あお)り立て─何のためだ?

ただ、わたしがユダヤ人だからという、ただそれだけのため。



ユダヤ人には、目がないのか。ユダヤ人には、手がないのか。胃も腸も、

肝臓も腎臓もないというのか。四肢五体も、感覚も、感情も、激情もないと

いうのか。同じ物を食い、同じ刃物で傷つき、同じ病(やまい)で苦しみ、同じ

手当で治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでもいうのか。

何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。針で突けば、わしら

だって血が出るぞ。くすぐられれば、笑いもする。毒を盛られれば、死ぬ

ではないか。



それならば屈辱を加えられれば、どうして復讐しないでいられる。何で

あろうと、わしらがあんたたちと同じであるなら、復讐することだって違い

はない。もしユダヤ人がキリスト教徒に辱(はずかし)めを加えたらキリ

スト教徒は何をする? 右の頬を打たれたら、黙って左の頬を出したり

するか? いいや、復讐だ。



もし、キリスト教徒がユダヤ人に辱めを与えたら、ユダヤ人は何をする?

キリスト教徒の忍従の倣(なら)って、ただ黙って耐え忍ぶのか?

いいや、復讐だ。悪いか? だが、この悪いことを教えてくれたなぁ、ほか

ならぬ、あんたらじゃねえか。わしはただ、その教えを実行するだけ。

見ておるがいい。必ず、教えられた以上に、立派にやってのけてやるからな。


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ヴェネツィアのトイレ事情
日本のトイレに感謝

1.5ユーロを支払う有料トイレ|ムラーノ島


ヴェネツィアの公共トイレは有料で、さほど多く設置されていないように感じます。

私は美術館やお店を利用した時に済ますことが多かったのですが、緊急事態や

頻尿の人は困りそう…



日本のトイレは、無料の上に様々な場所で利用でき、清潔でウォシュレットもあり、

恵まれた環境なのだと実感します。


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新鮮な印象を受ける
船の救急車



車が乗り入れできないヴェネツィアは、当然ですが救急車も船となります。

サイレンを鳴らして緊急航行する救急船に対して、周囲の船は停船して

航路を譲る光景はとても新鮮な印象を受けます。


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新鮮な印象を受ける
船の八百屋さん



運河に留まる船の上には、裸のままの野菜や果物が積み上げられています。

かつて日本では野菜や果物は八百屋さんで購入するのが普通だったと思い

ますが、今日では小分にしてラッピングされているものをスーパーで購入する

ことが多くなったように感じます。


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ヨーロッパに伝えられた
日本

マルコ・ポーロが埋葬されたというサン・ロレンツォ教会
(Chiesa di San Lorenzo Venezia)


※マルコ・ポーロ 東方見聞録 月村辰雄・久保田勝一(訳) 岩波書店 2012
 8 日本とシンの海 サパングの島について p197


サパング(日本国、他のフランス語写本でジパング)は東方の島で、大洋の中にある。

大陸から1500マイル離れた大きな島で、住民は肌の色が白く礼儀正しい。また、

偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。

しかし、大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、

そのため法外の量の金であふれている。



この島の君主の宮殿について、私は一つ驚くべきとを語っておこう。その宮殿は、

ちょうど私たちキリスト教国の教会が鉛で屋根をふくように、屋根がすべて純金

で覆われているので、その価値はほとんど計り知れないほどである。床も2ドワ

の厚みのある金の板が敷きつめられ、窓もまた同様であるから、宮殿全体では、

誰も想像することができないほどの並外れた富となる。また、この島には赤い鶏

がたくさんいて、すこぶ美味である。多量の宝石も産する。



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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迷える子(ストレイシープ)
自由気ままな都会育ちの女性



※三四郎 夏目漱石 八 1908(明治41)年


長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、

しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。

「ベニスでしょう」

これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗って

みたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。

それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければ

すまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る

家の影と、影の中にちらちらする赤い片(きれ)とをながめていた。

すると、「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。

三四郎にはこの意味が通じなかった。

「兄さんとは……」

「この絵は兄さんのほうでしょう」

「だれの?」

美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。

「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」

三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。

同じように外国の景色けしきをかいたものが幾点となくかかっている。

「違うんですか」

「一人と思っていらしったの」

「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。

そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、

しかもいちだんと調子を落とした小声になって、「ずいぶんね」と言いながら、

一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。

三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。

先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。

女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」

○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」

○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして


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広い世界観と見識・確かな哲学と高い志
それらに基づく柔軟な思考



日本はありとあらゆる物資を世界に頼っています。日本の伝統的な料理である

蕎麦でさえ、原材料の多くは海外に依存しています。もはや日本は一国だけ

では生きてゆくことはできず、相互依存の姿勢がより求められています。



世界に開かれている日本ですが、その一方で日本人は極めて内向き(Domestic)

な側面があるといいます。JICA(国際協力機構)で、世界への開発援助をしてきた

木邨洗一(きむら・せんいち)先生 (京都大学大学院 総合生存学館特定教授)は、

日本人の特徴についてこう述べています。



  日本人は、海外で日本人が危険に晒される可能性に対してセンシティブである

  一方、NGOの人々などこれまで海外で命を落とした人々が少なからずいるが、

  それについて注目することは多くない。



  また、海外で活動して命を落とした人を英雄扱いする傾向がある一方で、

  騒動に巻き込まれ帰国した人に対してはバッシングしがちである。



私たちが生きる地球社会は、今、数々の複合的・構造的な諸問題に直面している

そうです。これらは、文化・産業・経済・国家などの複雑で巨大なシステムに関わる、

多種多様でグローバルな課題であり、解決のためには持続可能で創造力のある

社会システムが不可欠だとされます。



その為には、多様な価値観、広い世界観と見識、確かな哲学と高い志、それらに

基づく柔軟な思考が求められています。



京都大学 大学院総合生存学館では、俯瞰的・総合的な視点から課題解決の

ための問題設定力・分析力・実践力を備えた真のグローバルリーダーの育成

に取り組んでいるそうです。



※グローバル人材育成と開発援助−総合生存学館の試み−
 講師 木邨洗一 先生 京都大学大学院 総合生存学館 (思修館) 特定教授
 会場 京都アカデミアフォーラム in 丸の内
 国際社会の中の日本−日本の果たす役割−東京で学ぶ 京大の知シリーズ27



○海運が支える日本の豊かな暮らし

○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○食・農・里の新時代を迎えて

○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神


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#Enjoy Respect
Venezia



ヴェネツィアで行われているキャンペーン「#Enjoy Respect Venezia」。

ヴェネツィアに住む人々へ配慮しつつ、ヴェネツィアを楽しみましょう。


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イタリア初の民間鉄道会社が運営する
高速鉄道イタロ

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に停車するイタロ


2008年に開業した民間会社NTVの高速鉄道「イタロ(itaro)」。

線路は国鉄のものを利用し、イタリアの主要都市をつないでいます。



写真はヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に停車するイタロ。

ローマ・テルミニ駅までをつなぎます。


○停車駅

 @VENEZIA SANTA LUCIA(ヴェネツィア・サンタ・ルチア)
 AVENEZIA MESTRE (ヴェネツィア・メストレ)
 BPADOVA (パドヴァ)
 CFERRARA (フェラーラ)
 DBOLOGNA CENTRALE SOTTERRANEA AV (ボローニャ中央)
 EFIRENZE SANTA MARIA NOVELLA (フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ)
 FROMA TIBURTINA (ローマ・ティブルティーナ)
 GROMA TERMINI (ローマ・テルミニ)



フィレンツェSMNまでの所要時間は2時間5分、

終点ローマ・テルミニまでは3時間45分程でつなぎます。



○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ

○そよ風に乗ってローマの街並みへ


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イタリア半島を縦断するアペニン山脈の
景勝地

アッペンニーノ・トスコ=エミリアーノ国立公園にある
ピエトラ・ディ・ビズマントヴァ (Pietra di Bismantova)


高速鉄道「イタロ」は、ボローニャからフィレンツェにかけて、

北アペニン山脈(Appennino settentrionale)を貫くトンネルを通ります。



アペニン山脈はイタリア半島を縦断する山脈で、北・中央・南と分けられ、

最高峰は中央に位置するコルノ・グランデ山(Corno Grande, 2912m) 。



写真は北アペニン山脈、レッジョ・エミリア県のアッペンニーノ・トスコ=エミリ

アーノ国立公園にある景勝地、「ピエトラ・ディ・ビズマントヴァ」。


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参  考  情  報


○イタリア政府観光局(ENIT)公式サイト

○Comune di Venezia

○Carnevale di Venezia 2018 - Creatum Civitas Ludens - sito ufficiale

○Basilica di San Marco

○Palazzo Ducale | Doge's Palace | Venice

○Teatro La Fenice

○Gallerie dell'Accademia di Venezia

○Venezia F.C. Sito ufficiale

○La Biennale di Venezia

○500 anni del Ghetto di Venezia(ベネツィア・ゲットー500年公式サイト.2016)

○Italo S.p.A. | Sito Istituzionale | Italo

○Parco Nazionale dell'Appennino Tosco-Emiliano

○The Telegraph

○メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド

○映画鑑賞記録WEBサービスKINENOTE(キネノート)-キネマ旬報社

○コトバンク [ 時事問題、ニュースもわかるネット百科事典 ]

○山下太郎のラテン語入門

○マイたび@イタリア旅行ガイド

○Wikipedia

○ミラノ ヴェネツィアと湖水地方 2018-19 地球の歩き方

○フィレンツェとトスカーナ 2017-18 地球の歩き方

○イタリア紀行 ゲーテ , 相良守峰(訳) 岩波文庫 1960

○イタリア・ルネサンスの文化 ヤーコプ・ブルクハルト. 新井靖一(訳)
 筑摩書房 2007

○ヴェニスの商人 シェイクスピア 安西徹雄(訳) 光文社古典新訳文庫 2007

○オセロー―シェイクスピア全集〈13〉 ウィリアム シェイクスピア, 松岡和子(訳)
 ちくま文庫 2006

○図解 ヨーロッパの祭り 谷口幸男, 遠藤紀勝 河出書房新社 1998

○はじめて学ぶ イタリアの歴史と文化 藤内哲也(編著) ミネルヴァ書房 2016

○ヴェネツィア史 クリスチャン・ベック 仙北谷茅戸(訳) 白水社 2000

○ヴェネツィア 栄光の都市国家 饗庭孝男, 陣内秀信, 山口昌男 東京書籍 1993

○ヴェネツィアの仮面カーニヴァル 海に浮く都の光と陰 勝又洋子 社会評論社
 2016

○ヴェネツィアの光と影 ヨーロッパ意識史のこころみ 鳥越輝昭 大修館書店 1994

○宮下孝晴の徹底イタリア美術案内1 北イタリア ヴェネツィア・ミラノ
 美術出版社 2000

○ゴンドラの文化史 運河をとおして見るヴェネツィア
 アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ 和栗珠里(訳) 白水社 2010

○カザノヴァ回想録(全12巻) ジャック・カザノヴァ. 窪田般弥(訳) 河出文庫 1995

○マルコ・ポーロ 東方見聞録 月村辰雄・久保田勝一(訳) 岩波書店 2012

○ゴルドーニ劇場 カルロ・ゴルドーニ, 田之倉稔(訳) 晶文社 1983

○神曲 地獄篇 ダンテ 三浦逸雄(訳) 角川ソフィア文庫 2013(改版)

○新生 ダンテ 平川祐弘(訳) 河出文庫 2015

○饗宴 ダンテ

○アエネーイス (上下) ウェルギリウス. 泉井久之助(訳) 岩波文庫 1997

○Die lustige Witwe|La Vedova Allegra|The Marry Widow 2018.02
 ・会場 フェニーチェ劇場
 ・作曲 フランツ・レハール
 ・台本 ヴィクトール・レオン&レオ・シュタイン
 ・指揮 Stefano Montanari
 ・演出 Damiano Michieletto
 ・舞台装置 Paolo Fantin
 ・衣装 Carla Teti
 ・照明 Alessandro Carletti
 ・ハンナ・グラヴァリ Nadja Mchantaf
 ・ダニロ・ダニロヴィッチ Christoph Pohl
 ・管弦楽 フェニーチェ劇場管弦楽団及び合唱団
 ・合唱指揮 Claudio Marino Moretti
 ・字幕 イタリア語、英語

○小学館DVD BOOK 第16巻 魅惑のオペラ 2008
 メリー・ウィドウ フランツ・レハール メルビッシュ湖上音楽祭 1993

○イル・カンピエッロ(Il Campiello) 2018.03
 作曲 エルマンノ・ヴォルフ=フェッラーリ
 原作 カルロ・ゴルドーニ
 台本 マーリオ・ギザルベルティ
 会場 新国立劇場 中劇場
 新国立劇場オペラ研修所修了公演

○オテロ 2010.02
 原作 ウィリアム・シェイクスピア「オセロ (Othello)」
 作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ
 指揮 ロベルトリッツィブリニョーリ
 演出 白井晃
 管弦楽 東京都交響楽団
 合唱 二期会合唱団
 会場 東京文化会館

○仮面舞踏会(Un ballo in maschera)
 作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ
 台本 アントニオ・ソンマ

○自然と人生と愛 アントニン・ドヴォルザーク
 第1曲「自然のなかで」作品91
 第2曲「謝肉祭」作品92
 第3曲「オテロ」作品93

○西洋文化との出会い 2018.02
 ・イエスズ会にとっての日本
  講師 中島ベルナルド 先生 国際言語文化アカデミア教授
 ・西洋音楽の魅力
  講師 茂木一衛 先生 放送大学教授・横浜国立大学名誉教授
 ・会場 放送大学神奈川学習センター
 ・神奈川県立国際言語文化アカデミアと放送大学の連携

○旅人のもてなし方〜スペインと日本のホスピタリティの類似点と相違点
 2018.02
 講師 中島聡子 先生 東京大学非常勤講師
 会場 神奈川県立国際言語文化アカデミア

○イタリア音楽紀行−春の祭りカーニバルの音楽と踊り− 2017.09
 講師 金光真理子 先生 (教育学部准教授)
 会場 横浜国立大学教育文化ホール
 主催 横浜国立大学教育学部

○レクチャーコンサート:ピアノ曲からみた音楽と社会 2017.09
 交響曲をピアノのソロで!?−編曲の世界
 講師 金光真理子 先生 (教育学部准教授)
     森野かおり 先生 (教育学部講師)
 会場 横浜国立大学教育文化ホール
 主催 横浜国立大学教育学部

○グローバル人材育成と開発援助−総合生存学館の試み− 2018.02
 講師 木邨洗一 先生 京都大学大学院 総合生存学館 (思修館) 特定教授
 会場 京都アカデミアフォーラム in 丸の内
 国際社会の中の日本−日本の果たす役割−東京で学ぶ 京大の知シリーズ27

○伝統文化講座 2018.02
 ・「風書」で伝える日本のこころ〜地球を旅して墨で描く〜
  講師 月風かおり 先生 風書家
 ・世界を動かす音の力〜女性が創る未来の伝統〜
  講師 松澤祐紗 先生 筝曲家
 ・京都アカデミアフォーラム in 丸の内
 ・京都光華大学 女性キャリア開発研究センター 公開講座 in 東京

○MEMO
 ・マダガスカル(Madagascar) 2005
 ・マダガスカル3(Madagascar3: Europe's Most Wanted) 2012
 ・クルードさんちのはじめての冒険(The Croods) 2013
 ・シャーク・テイル(Shark Tale) 2004
 ・ジュピター(Jupiter Ascending) 2015
 ・きみがぼくを見つけた日(The Time Traveler's Wife) 2009
 ・オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express) 2017
 ・ナミヤ雑貨店の奇蹟 2017
 ・家族はつらいよ2 2017


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