子どもたちに会いにいく旅

遊びの中に未来がある こどもの国


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あそびのなかに、未来がある
こどもの国

こどもの国 正面入口 (横浜市青葉区)


都心から約30km、横浜市青葉区にある「こどもの国」は、

多摩丘陵の雑木林をそのまま生かした自然の遊び場です。



園内には、動物園や牧場、アスレチック、サイクリングコース、

プール(スケート場)、キャンプ場、植物園などがあり、多くの人々で賑わっています。



「こどもの国」は、

児童福祉法に基づく次世代を担うこどもの健全育成のための施設で、

1959年(昭和34年)の皇太子殿下(2017年現在 天皇陛下・平成時代の天皇)の

ご結婚を記念して開園したそうです。



○新と旧・過去と未来が融合し発展する横浜


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健康を増進し、情操をゆたかにする
児童厚生施設

正面入口広場(らくがき広場) こどもの国
チョークが置いてあり自由に落書きすることが出来ます


○児童福祉法 第四十条

  児童厚生施設は、児童遊園、児童館等児童に健全な遊びを与えて、

  その健康を増進し、又は情操をゆたかにすることを目的とする施設とする。



○児童福祉法 第一条

  全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、

  その生活を保障されること、愛され、保護されること、

  その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られること

  その他の福祉を等しく保障される権利を有する。



○豊かな情操・たくましさを培う成長空間|赤城キャンプ


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生まれながらにして動く生物
人間

中央広場で行われていた大道芸 こどもの国
人間の究極的な技に感動します


「動物界 脊椎動物門 哺乳綱 霊長目 ヒト科 ヒト属 ヒト」に分類される人間。



人間は生物学上、どのように捉えられているかみてみると、

植物ではなく動く生物(⇒動物界)であって、

背骨があり(⇒脊椎動物門:せきついどうぶつもん)、

乳を飲ませて子を育てる特徴をもち(⇒哺乳綱:ほにゅうこう)、

進化の頂点にある動物で(⇒霊長目:れいちょうもく)、

チンパンジーやオラーウタンなどを含む中の(⇒ヒト科)、

ホモ・サピエンス(⇒ヒト属)に位置づけられているそうです。





※人間は生まれながらにして動く生物である|身体運動の意味と意義
 教養としての身体運動・健康科学 東京大学身体運動科学研究室 東京大学出版会 2009
 大築立志 先生 東京大学大学院総合文化研究科教授


  動物であるということは、読んで字の通り、動く生き物であるということであり、

  生まれながらにして動くことを運命づけられた生物であるということである。

  もしわれわれの身体がほんの少しでも動かなかったら、

  見た目には生きているのか死んでいるのかわからない。

  眠っている間も、呼吸に伴う胸郭の拡大縮小運動は絶えまなく続いており、

  手を触れれば心臓の脈拍を感じることができる。



  人間は動くことによってはじめて自分の存在を確立し、他者に対する自己表現

  を行うことができるのである。このように、人間は動くことによって自分を表現し、

  生活を営み、文化を創造しつつ生存してきた。そして、これらの活動を支える

  基盤として健康な身体が重要であることもまた、すでに広く認識されている。


  (中略)


  言葉を話せない幼児は、動き回り、手足を動かして物に触れることによって

  周囲の物事を学んでゆく。このように、他の動物同様、人間は動くことによって

  外部の情報を収集し、外部環境に働きかけることによって生活しているのである。



○Life in Green 緑の命を未来へつなごう|小石川植物園


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次第に動物力を失う
人間

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892(明治25)年-1927(昭和2)年


大正期を代表する作家、芥川龍之介。

昭和2年7月、36歳となった芥川は自宅で睡眠薬を多量に飲んで自殺を図ります。

亡くなる前、旧友に宛てた手記のなかで、動物である人間について以下のように記しています。



※「或(ある)旧友へ送る手記」(部分) 芥川龍之介 (昭和2年7月、遺稿)


  我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れている。

  所謂(いわゆる)生活力と云うものは実は動物力の異名に過ぎない。

  僕も亦(また)人間獣の一匹である。

  しかし食色(≒食欲)にも倦(あ)いた(⇒あきた)所を見ると、

  次第に動物力を失っているであろう。

  僕の今住んでいるのは氷のように透(す)み渡った、病的な神経の世界である。



  僕はゆうべ或(ある)売笑婦(ばいしょうふ⇒娼婦)と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、

  しみじみ「生きる為に生きている」我々人間の哀れさを感じた。



  若(も)しみづから甘んじて永久の眠りにはいることが出来れば、

  我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違いない。

  しかし僕のいつ敢然(かんぜん⇒覚悟して)と自殺出来るかは疑問である。



  唯自然はこう云う僕にはいつもよりも一層美しい。

  君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。

  けれども自然の美しいのは僕の末期(まつご)の目に映るからである。

  僕は他人よりも見、愛し、且又(かつまた)理解した。

  それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。



  どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措(お)いてくれ給(たま)え。

  僕は或(あるい)は病死のように自殺しないとも限らないのである。



  附記(ふき)。

   僕はエムペドクレス(古代ギリシアの自然哲学者)の伝(⇒伝記)を読み、

   みづから神としたい欲望の如何(いか)に古いものかを感じた。

   僕の手記は意識している限り、みづから神としないものである。

   いや、みづから大凡下(だいぼんげ:身分の低い者)の一人としているものである。



   君はあの菩提樹(ぼだいじゅ)の下に「エトナ(現イタリア・シチリア島)の

   エムペドクレス」を論じ合った二十年前を覚えているであろう。

   僕はあの時代にはみづから神にしたい(⇒神になりたい)一人だった。


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運動不足による
身体の危機

110mローラーすべり台 こどもの国


現代の生活では、動物としての動きがきわめて少なくなり、

かつ労働や日常生活での運動も減少してきている。

昔は生きるために食料、あるいは食料を買う資金を手に入れるために、

かなりの肉体労働を必要としたし、日常生活においても通勤・通学や

買い物のための歩行量をはじめ、日常生活行為における身体運動の

総量は生物としてのヒトの機能を維持するために十分なものであった。



しかし、歩いて数分の便利店(convenience store)で何でも買えるようになって

しまった現代では、普通の生活をしていたのでは生物としての身体機能を

維持することができなくなりつつある。



かつて成人病と呼ばれた高血圧、高脂血症、動脈硬化、冠動脈性心臓疾患は、

日常の運動不足による消費カロリーに対する摂取カロリー過剰をはじめとする

種々の生活習慣に起因していることから、最近では生活習慣病と呼ばれるようになっている。



日本のみならず、先進国といわれている国の人々が今置かれているこのような状況は、

人類がその歴史上かつて一度も経験したことのない、まったく新しい状況である。

労働という名の運動のしすぎによって疲労困憊(ひろうこんぱい)していた人びとを救うべく、

20世紀の科学技術は総力をあげて努力してきた。



しかし、その結果、楽になりすぎてさまざまな身体問題が浮上してきたのである。

したがって、生物としてのヒトの機能を正常に保つために、遊びや舞踊・スポーツ、

健康のためのエクササイズを生活に取り入れ、運動不足を補わなければならなく

なってきているのである。特に、生命の危険を回避する素早く激しい動きなどは、

現代ではスポーツの中にのみ残存していると言っても過言ではない。



※運動不足による身体の危機|身体運動の意味と意義
 教養としての身体運動・健康科学 東京大学身体運動科学研究室 東京大学出版会 2009
 大築立志 先生 東京大学大学院総合文化研究科教授



○Discover Tomorrow|新たなスポーツ文化の確立


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肉体的・精神的・社会的に良好な状態
健康

スケート場 こどもの国


古来より健康とは単に「病気のない状態」を表すものとしてのみ捉えられているのではない。

例えば、健康の概念を示すものとしてよく引用されるWHO(世界保健機構)の定義には、

「健康とは、単に病気あるいは虚弱ではないというだけではなく、肉体的、精神的、社会的

に完全に良好(well-being)な状態である」と記されている。



また、猪飼(※)は体力をストレスに対して耐えていく抵抗力(防衛体力)と

積極的に仕事をしていく作業力(行動体力)とを合わせたものとし、

前者を生存能力、後者を生産能力として位置づけ、

「健康とは生存性の充実した状態」であると述べている。



さらに池上(※)は健康についての概念を要約する中で、

「健康とは、環境に適応し、かつその人の能力が十分に発揮できるような状態」

という考え方を提示している。



すなわち、「健康とは」、単に「病気にかかっていない状態」

という消極的になものではなく、「良好な状態」であり、

かつ「十分に能力の発揮できる状態」といった積極的な概念である。

換言すれば、健康とは生存性(防衛体力)が充実し、また生存しているだけでなく

生産性(行動体力)をもっている状態ということになる。



そこに体力と健康を切り離して考えることのできない事情が生まれる。

特に現代では、運動不足による体力低下が単に生産性や活動力の

低下としてだけでなく、健康障害の誘因になると考えられており、

健康の基盤を構成する身体的能力として、体力のもつ今日的意義は大きい。



※猪飼道夫、「体力と疲労」、「身体運動の生理学」 杏林書院 1979
※池上春夫、「新版運動処方 理論と実際」 朝倉書店 1990
※「体力」「健康」とは|健康と体力
 教養としての身体運動・健康科学 東京大学身体運動科学研究室 東京大学出版会 2009
 金久博昭 先生 東京大学大学院総合文化研究科



○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指す|スポーツクラブ・マネジメント


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赤ちゃんでも扱える離乳食のような言葉
オノマトペ

搾乳・バターづくり体験、動物と触れ合うことができる
雪印こどもの国牧場


日本語は「ゲラゲラ笑う」「メソメソ泣く」のように、

オノマトペ(onomatope'e:擬音語、擬態語)をとても好む言語だと言われています。

「ガラガラ」(赤ちゃんのおもちゃ)を筆頭に、「ガチャポン」や「ガリガリ君」(商品名)、

「ピカチュウ」や「ヒコニャン」(キャラクター名)、「ペンペン草」「ミンミンゼミ」

「ガラガラヘビ」(動植物名)等々、オノマトペに由来している語がたくさんあります。

子供の童話にも「ワンワン」や「ニャンニャン」などのオノマトペが不可欠です。



オノマトペは、大人が小さい子どもに話す時ほど含まれる割合は高くなるとされ、

例えば、うさぎを見た際に大人は子どもに向かって、「うさぎさん、はねてるね」と

言うより、「うさぎさん、ぴょんぴょんしているね」と表現することが多いようです。



オノマトペは音と意味が自然に結びついている特徴があることから、

生まれて初めて見聞きした子どもにとって、

「言葉の音は何かの意味を示している」ということに気がつきやすいといわれます。



※オノマトペの魅力と不思議 国立国語研究所 第10回NINJALフォーラム 2017.01
 ・趣旨説明 窪薗晴夫 先生 国立国語研究所副所長
 ・オノマトペはことばの発達に役立つか? 今井むつみ 先生 慶応義塾大学教授
 ・会場 一橋大学 学術総合センター 一橋講堂


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言語音と図形の視覚的印象との連想
ブーバー・キキ効果

どちらがブーバーで、どちらがキキ?
心理学者ヴォルフガング・ケーラー 1929年、命名はV.S.ラマチャンドラン 2001年


ギザギザの直線と丸い曲線とからなる2つの図形を被験者に見せ、

どちらか一方の名がブーバーで、他方の名がキキであると伝えます。

その上でどちらがどの名だと思うかを尋ねると、大多数の人は

「ギザギザ図形がキキで曲線図形はブーバ」と答えるそうです。



このことは被験者の母語に影響せず、また大人と幼児でもほとんど変わらないとされます。


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日本語の動物は副詞で鳴き、
英語の動物は動詞で鳴く

ヒツジの牧場 こどもの国


日本語の「羊がメーメー鳴く」は、英語では「A sheep bleat」になるそうです。

日本語の「メーメー」は動詞の「鳴く」を修飾することから副詞にあたり、

英語の「bleat」の品詞は動詞なのだそう。



人間が泣く場合にあてはめると、

英語では「cry」「weep」「sob」「blubber」「whimper」などの動詞がありますが、

日本語では「ワーワー泣く」「メソメソ泣く」「クスンクスン泣く」「オイオイ泣く」「シクシク泣く」

といったように副詞で泣いていることがわかります。



※日英比較語学入門 楳垣実 大修館書店 1961
※外国語にもオノマトペはあるか? 秋田喜美 先生 名古屋大学准教授
 オノマトペの魅力と不思議 2017.01
 国立国語研究所 第10回NINJALフォーラム 一橋大学 学術総合センター一橋講堂



○四季と出会える森の動物園|横浜・金沢動物園

○世界一周の動物旅行 横浜ズーラシア


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日本語の音声と外国語の音声
言われた通りを超えて考える

2016年キルギス共和国 日本語弁論大会


日本人で英語の発音が苦手な人は多いといいます。

その一方で日本語の発音は簡単だと考える人は多いようですが、本当にそうでしょうか。

そもそも、私たちは日本語の音声がどういうものであるか、知っているのでしょうか。



改めて日本語の発音を練習して考えてみると新たな視点が浮かび上がってきます。



発音をよくするための練習法として、モデル音声を聴いて即座に繰り返す

「シャドーイング」という方法があります。例えば、モデル音声が日本語で

「お先に失礼します」と話した場合、練習者は即座に「お先に失礼します」と

繰り返します。



実際に練習してみると、シャドーイングは発音を習得するのに効果があると

感じる一方で、モデル音声通りに繰り返そうとしていることに気がつかされます。



日常の会話では、同じ「お先に失礼します」というフレーズでも、大きな声や小さな声

で発音することによってニュアンスは変わり、また早く発音することで急いでいる様子

が伝わる場合があります。



日本人が外国語の発音を習得するにあたっては、母語である日本語を捨てる

ことはできず、母語を活用し、頭を使って考えることが大切だといわれます。



※日本語の音声と、外国語の音声と、外国につながる人の音声 2017.03
 講師 河野俊之 先生 横浜国立大学教育人間科学部教授
 会場 神奈川県立国際言語アカデミア


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ぽっくりぽっくり歩く
おうま

ポニー牧場 こどもの国


※童謡「おうま」 作詞:林柳波、作曲:松島つね


  おうまのおやこはなかよしおやこ いつでもいっしょに ぽっくりぽっくりあるく



○急激な近代化を遂げてきた日本|近代化の象徴 競馬


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親の言葉づかいが反映される
子どもの言葉づかい



子どもが使う言葉の基本になっているのは、一番身近な親の言葉です。

だから、子どもの言葉は自分の言葉だと思って、日頃から気をつけることが必要です。

だからといって、わざとらしく丁寧な言葉をいきなり使ったとしても、

心がこもっていなければダメです。

一番いいのは、自分が心から思っていることを、自分の言葉で話しかけること。

心がこもれば言葉はきちんと通じるし、逆に心がこもっていない言葉は通じません。

子どもの言葉づかいを直したい場合も、表面的に叱るのでは意味がない。

「どうして悪い言葉を使ってはいけないのか」ということを、気持ちをこめて

伝えることが大切なんです。



僕の娘は、よくペットの犬に向かって一生懸命話かけていました。

「ただいまー」とか「お腹すいた?」とかね。

その様子に僕は呆れていましたけど、犬と本気で向き合っている娘は

「ちゃんと通じている」と言いきっていました。

それと同じように、母親も赤ちゃんに向かって、なんでも話しかけるでしょ?

赤ちゃんはボーッと見ているだけなんだけど、自分に何かを話かけている

ことはわかっていて、それが心地よかったりするんです。

なぜなら、気持ちがこもっている言葉だから。

そうした"魂の言葉"に反応して、赤ちゃんは言語を獲得していくんです。

大人が30年以上かけて勉強しても英語が話せないのに、

赤ちゃんが1年もすれば話せるようになるのは、そういうことです。



※JPIC「辞書を読む」プロジェクト
 金田一先生が語る言葉の力がつく子どもの学習法 2017.03
 講師 金田一秀穂 先生 日本語学者・杏林大学教授
 会場 東京国際フォーラム
 主催 一般財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)
 協力 学研プラス、こどもゆめ基金助成活動


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言葉がいい加減に使われている
現代

「ローマのペスト」 1869 エリー・ドローネー (1828-1891) オルセー美術館
「Peste a Rome」 Jules Elie Delaunay


「美しい日本語」とはいいますが、僕はどんな言葉も心がこもっていなければ

「美しくない」と思います。丁寧な敬語をうまく使いこなせたとしても、

相手を敬う気持ちがなく、形だけ真似た言葉は美しくありません。

言葉には、その人の人生経験が出るから、上辺だけの薄っぺらな言葉はすぐにわかりますよ。



たとえば、入社したての新入社員が有能な先輩と話すとき、

敬語が多少たどたどしくても敬意が表れていたら、それでいいと僕は思うわけです。

言葉が美しいか美しくないかより、尊敬の気持ちが本物かどうかが大事ですから。



僕は最近、政治家たちの言葉に気持ちがこもっていないと感じることがあります。

かつて、孔子(こうし・中国・春秋時代の思想家)の弟子が政治家になるとき、

「政治にとって、最も大切なことはなんでしょうか?」と尋ねると、

孔子は「名を正せ」(論語子路遍)と答えたそうです。

「名を正す」とは「言葉を正確に使う」という意味で、

物の名をきちんと指す、そういう言葉を使えということです。

だから政治家というのは、誰よりも言葉を正確に使わないといけないんですよ。

よく「責任を取る」と言いますが、「責任」とはいったい何をすることなのか、

きちんと説明できているのか疑問ですね。



ともかく今は、言葉が乱れているというよりも、ちょっといい加減に使われすぎています。

たとえば「絆」という言葉も、消費されすぎたことで変に薄っぺらくなってしまい、

本来の価値をどんどん失っている気がします。



そんな時代に本当の意味で「美しい言葉」と言えるのは、子どもへの愛情のこもった

言葉です。親が子どもに心から伝えたい言葉、それが「美しい言葉」だと思います。

だからこそ、家庭内の会話って大切なんですよ。

子どもが思春期になると、話してくれなくなることもあるでしょう。

でも、沈黙や反発も立派なコミュニケーションで、親子にしかわからない気持ちが

伝わることもあります。それがお互いに理解できていれば、会話の量は少なくても

構わないと思いますよ。



※JPIC「辞書を読む」プロジェクト
 金田一先生が語る言葉の力がつく子どもの学習法 2017.03
 講師 金田一秀穂 先生 日本語学者・杏林大学教授
 会場 東京国際フォーラム
 主催 一般財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)
 協力 学研プラス、こどもゆめ基金助成活動


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健全な心と身体を培い、豊かな人間性をはぐくむ
食育

sumomojamさん フォト蔵より


私たちの食生活は、ライフスタイルの多様化などに伴って大きく変化してきました。

その中で食を大切にする心や優れた食文化が失われつつあります。

また、栄養バランスの崩れや不規則な食事の増加、

正しい知識を持たない人の増加といった様々な問題が生じており、

健全な食生活を取り戻していくことが必要となっています。



※食育の推進に向けて〜食育基本法が制定されました〜 農林水産省




食育基本法(平成17年)の成立に尽力されてきたという

服部幸應(はっとりゆきお) 先生によると、

「食」はもともと「人を良くする」と書き、「食育」は「人を良くする教育」だといいます。



   親が子どもに行う「食育」は、食の大切さやマナーを教える一生にかかわる

   大切なしつけといえます。しかし、それを成長してから伝えようとしても親や

   先生と子の人間関係がきちんとできていなければ、大切なことは伝えられません。

   近年、児童虐待や子どもが非行化する要因のひとつに、親子関係が十分に

   形成されていないことが挙げられていますが、これは子どもが大人になったとき

   にもニートや早期離職など社会参画へ影響を及ぼす可能性もあります。

   親子関係は、子どもが対人関係を築くうえでの基礎となり、

   一生にかかわるものといってもよいでしょう。



   親子関係を築くには3歳までが重要といわれていますが、(中略)

   そのときに大切となるのは、やはり食事の時間ではないでしょうか。

   「子どもが乳を飲む」ことは単なる食事ではありません。

   母親が授乳の際に分泌されるホルモン(オキシトシン)は母性行動を強め、

   絆を強くさせる働きがあるのです。


   (中略)


   生まれてから3歳までの食事の時間は、子どもの成長にも、

   人間関係の構築にも大切な時間ですので、子育てにおいてはこの時期をぜひ、

   大切にしてください。言うなれば子育ても食育も、

   人が最初に口にするお乳と食事から始まっているのです。



※日本の食育の現状と和食の役割 2017.01
 講師 服部幸應 先生 学校法人服部学園理事長
 会場 ローズホテル横浜
 主催 横浜商工会議所 青年交流会 第3回会員交流プラザ並びに新年交流会

※【校長コラム@】W食育WはW子育てWから!|服部栄養専門学校blog



○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質

○犯罪傾向が進んだ少年を収容する久里浜少年院|私たちは何ができるか考える


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子供の頃を忘れたかのように振る舞う
大人

園内バス「あかポッポ号」 こどもの国


誰にも子供の頃があったのに、大人に成ると子供の頃を

忘れたかのように振る舞う人が居ます。



教授にも学生の頃は有ったのに、

教授になると学生の頃を忘れたかのように振る舞う人が居ます。



また、一方、子供や学生には長い未来があることに対して、

大人や教授には未来が短いことで、

子供や学生に嫉妬する大人や教授も居ます。



私自身、自分が研修医時代を忘れないために、

研修医の頃の名札を時折見るようにしています。



※客員教授自身の学位取得経験と留学経験 2014.05
 放送大学 東京文京同窓会主催 講演会



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay


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罪深き存在
それでも人間、それだから人間

キャンプ場 こどもの国


生まれてこの方ず〜っと 情けなくて 頼りなくて 失敗ばかりで 

うぬぼれやすくって お調子者で みっともなくて…

それでも人間 それだから人間。


※スクールカウンセラーがすすめる112冊の本
 滝口俊子 田中慶江 創元社 5章:人間を考える





犬と「待て」「お手」などをして遊んだあと、

「なんで犬は人間の言葉がわかるのに、人間は犬の言葉がわからないの?」

5歳の子はこう問いかけたそうです。


※「あのね 子どものつぶやき」朝日新聞出版 2009年より



○人と自然の共生|こども自然公園

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


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人間についての懐疑をこめた総括的判断
空虚な、多様な、変動する存在

白鳥湖 こどもの国


こちらからことをしかけて怒らせてしまった相手の人びとが、

復讐の権利を手に、われわれをとりおさえてどのような処置でもとれるという場合、

その心をやわらげるもっともふつうの仕方は、服従の意をあらわし、

同情と憐憫(れんびん:あわれむ気持ち)に訴えて、彼らを動かすことだ。



しかし、思いきり勇敢な態度、毅然としたふるまいが、

これとまったく反対の手段ではあるが、同じ結果をもたらしたこともよくある。


(中略)


たしかに、人間というものは、おどろくほど空虚な、多様な、変動する存在だ。

これについて、一貫した、一体となった判断をたてることはむずかしい。



※「エセーT−人間とはなにか」 荒木昭太郎(訳) 中央公論新社 2002
 人間のありよう|様々な手段でひとは似たような結果に行き着く(第1巻第1章) p6-10



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に

○一糸乱れぬ群舞|「白鳥の湖」コール・ド・バレエの魅力


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成人に達した後も持ち続けている
子ども心

 「子供の遊戯」 1560 ピーテル・ブリューゲル ウィーン美術史美術館


日本で非常に発達したという「敬語」は、

小さな子どもに対して使う言葉づかいと非常に似ているところがあるといいます。



敬語は、自分より目上の人物を敬って使われる言葉だそうですが、

使われる側の立場からすれば、敬ったふりして遠ざけられたというよりも、

むしろ気持ちよく感じるものだそう。



目上に敬語を使わないと機嫌を損じ、結局は自分が不利になるといいますが、

子どもに対するのと同じように目上の機嫌をとらなければならないこと自体、

日本人において子ども心が成人に達した後も持続していることを示唆するものだそう。



※「甘え」の構造 土居健郎 弘文堂 1971



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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「子ども心」があることは
健康な状態

私たちの心を3つの自我状態に分け、2人の交流が
どの自我状態から行われているか分析する「やりとり分析」


1950年代にアメリカの精神科医エリック・バーン博士によって創始された

交流分析(Transactional Analysis)は、人間学的心理学の哲学を持った

人間の変化と成長のための心理療法。



基本理論の1つである「構造分析」は、私たちの心を

「ペアレント(親)⇒P」「アダルト(成人)⇒A」「チャイルド(子ども)⇒C」

の3つの「自我状態」(自分のあり方)に分けて理解します。



「ペアレント」は、規範的・養育的な親の役割からの行動・思考・感情のことで、

「アダルト」は、成人(大人)としての行動・思考・感情のこと、

「チャイルド」は、子どものように自然・素直な行動・思考・感情を指すそうです。



一般的に社会にでると

公の場では「ペアレント」「アダルト」からの振る舞いが多くなり、

「チャイルド」としての振る舞いは表に出さなくなるようですが、

非公式な場では「チャイルド」の振る舞いが表出されやすいようです。



大人になっても「チャイルド」の自我状態はとても大切であり、

3つの自我状態を持ち合わせていることが健康な状態だといわれます。



※パーソナリティの構造
 Parent(親) … 外から取り込んだ誰かを再現
 Adult(成人) … 今、ここでの現実に対応
 Child(子ども) … 子ども時代の自分を再現
 Adultは現在、ParentとChildは過去


※エリック・バーンの交流分析 イアン・スチュアート 日本交流分析学会(訳)
 実業之日本社 2015


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子どもたちに会いにいく



人間はおとなになることと引きかえに、幼年期の記憶を捨てなければならない。

ところが、この幼年期の記憶に深くとらわれて、前に進めなくなってしまった人々がいる。

その典型が芸術家である。

芸術家とは、おとなになりそこねた子供なのである。

おとなになって忘れてしまった、私達人間の生まれいずる源へと帰郷する旅。



※恐るべき子供達に会いに行く旅 ヨコハマトリエンナーレ2014





私達はなにか大切な忘れものをしてはいないだろうか。

気がつかないまま先に進んでしまったり、ホントは気がついているのに、

知らないふりをして立ち去ったり。

そういう「忘却」の領域に反応する芸術表現がある。表現者がいる。



ヨコハマトリエンナーレ2014は、人生のうっかりした忘れもの、

人類の恒常的な忘れもの、現代という時代の特殊な忘れものを思い出すための、

いわば「忘却巡り」の旅である。



さまよい、とまどい、はっと感じとり、いろいろ想像し、

そしてしばし立ち止まって考える。



いざ、「忘却の海」へ。



※ヨコハマトレエンナーレ2014 アーティスティック・ディレクター 森村泰昌



○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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映画「スダンド バイ ミー」 1986年 アメリカ
Stand By Me - Ben E. King

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ずっと心の中
赤いやねの家



※「赤いやねの家」  作詞:織田ゆり子  作曲:上柴はじめ


  電車のまどから 見える 赤いやねは

  小さいころ ぼくが 住んでいた あの家

  庭にうめた かきの種 大きくなったかな

  クレヨンの落書きは まだ かべにあるかな

  今はどんな人が 住んでいる あの家



  背のびしてみても ある日 赤いやねは

  かくれてしまったよ ビルの裏側に

  いつかいつか ぼくだって 大人になるけど

  ひみつだった 近道 原っぱはあるかな

  ずっと 心の中 赤いやねの家



○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力

○命から生まれた嘆き・希望・美しさ|世界の民族音楽


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赤いやねの家



人を傷つけたことにも気がつかぬほど無邪気なまま
世間知ラズ



自分のつまさきがいやに遠くに見える

五本の指が五人の見ず知らずの他人のように

よそよそしく寄り添っている



ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが

話したい相手はいない

我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり

世話話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった



行分けだけを頼りに書き続けて四十年

おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心

というのも妙なものだ

女を捨てたとき私は詩人だったのか

好きな焼き芋を食っている私は詩人なのか

頭が薄くなった私も詩人だろうか

そんな中年男は詩人でなくともゴマンといる



私はただかっこいい言葉の蝶々を追いかけただけの

世間知らずの子ども

その三つ児の魂は

人を傷つけたことにも気がつかぬほど無邪気なまま

百へとむかう



詩は

滑稽だ



※詩集 谷川俊太郎 思想社 2002 「世間知ラズ」 p446-447


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精神の健康
精神と身体は連続している



健康なこころとは何だろうか?



我々はそれぞれの人生において遠大な野心から日常の些細に至るまで目的をもち、

その実現のため計画と意欲をもって日々の生活を送っている。

その流れのなかで、生きて「行く」こと、生きて「居る」こと、

それぞれに充実、満足、達成、幸福を感じ、あるいは不全、不満、敗北感を味わう。



幸・不幸はもとより主観的・個人的なものであり、仮に不幸を感じていたとしても、

状況に反応し適応しようとしている限りこころはしなやかで健康であると言えるだろう。

自己の状況を的確に認知したり、対応しようとすることができないときに

こころは健常・健康から遠ざかっていると考えられる。



「健常」からの逸脱(症状)は、身体(肉体)的な度合いの強いものから

一見純粋に精神的なものまでさまざまなスペクトル(強度)があるが、

例えば単純な外傷や風邪だけでも気分は落ち込むし、

「精神の病」の典型である統合失調症にもさまざまな身体所見が見られる。

身体の一組織である脳が精神の座であるとすれば当然である。



こころの健康が損なわれた状態も、これら精神的症状と身体的症状の連続したもの

であると見なさねばならず、精神科的に病名が付くものだけが問題なのではなく、

日常的な気分の変動に至るまで連続した現象として捉えることが必要である。



※精神の健康|身体運動とこころの健康
 教養としての身体運動・健康科学 東京大学身体運動科学研究室 東京大学出版会 2009



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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精神的な余裕
遊びのなかで文化を生み出してきた人間

棒遊びをする犬


「遊び」は余暇や趣味と結びつき、労働や真面目さの対極にあると捉えがちで、

特に国際的にも労働時間が長いとされる日本人にとっての現代の「遊び」には、

本来の職責からの逃避、または生活に本質的には重要でない贅沢や暇つぶしと

いった感さえあるといいます。



江戸時代、「遊び」は連歌や川柳などの言葉遊びから、音楽や舞、神楽、茶道、

廓遊び、とさまざまな領域に及び、遊び上手な人は粋人(すいじん)として

評価されたそうです。



現代でも「遊びがある」とは物事やシステムにゆとりがあることを指し、

ゆとりがあって洒落が通じる「遊び心がある」人とは、物事を距離をもって

眺めることができる精神的余裕がある人のようです。



○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


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心と体の調和を図る
太極拳



護身術である太極拳は、健康・長寿にも良いと考えられ、日本でも親しむ人が

増えているそうです。その起源は古い文明における哲学まで遡ることができ、

心とからだの調和をもつとされています。



丸い地球に人々が立っていられるのは、地球の中心から引っ張る引力の影響であり、

太極拳では重力(1G)と自重のバランスをとるために、

身体内部に意識(エネルギー)のセンター(太極拳では3ヶ所、ヨガでは7ヶ所)を想定し、

身体内部でエネルギーのバランスをとりながら同時に身体外部との調和を図るそうです。



自重を支える人間の骨は、大人でおよそ210あり、そのうち手と足の骨は106と

全体の半分以上を占め、首の骨は7個、脊柱は首の付け根から仙骨・尾骨まで

26個あるそうです。各骨はその特徴から、動き方や回る方向に違いがあります。



太極拳は、重力と身体の特徴を深く理解し、長きにわたる訓練を重ねて体得する

護身術であり、そこには「体の使い方」に関するエッセンスが散りばめられています。



※伝統太極拳に学ぶ体の使い方 2017.01
 ・講師 石水極子 先生 東京大学非常勤講師・楊式太極拳師範(第七代直系正弟子)
 ・主催 放送大学神奈川学習センター



○ローマから続くシルクロードの中継点 西安


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太極拳にみる哲学思想
「支える体」と「支えられる体」

椿の森 こどもの国


「太極」という言葉は、周代(中国古代の王朝、紀元前1046年頃 - 紀元前256年)

の哲学書「周易」の中で、天地万物を示す箇所で見られるといいます。



この世に存在する全てのものや現象を示す「太極」の理論に基づき

体系化された太極拳は、身体を通してその哲学的思想を感じることができます。



太極拳の基礎エクササイズでは、人間には安心や危険と感じるテリトリーが

あることを学びますが、そこには自分を守りつつも相手を守るという思想が

根底にあるようです。



相手から攻撃を受けた場合、人間は反射的に抵抗(反作用)しがちで、

そのおかげでよりエスカレートしていく懸念がありますが、

太極拳では相手の力を判断し、その最初の攻撃気勢を避け、

相手の力を巧みに利用して、その力を自分に有利に転化させる動きは、

相手の気勢を削ぐ効果があることに気がつきます。



太極拳の第一式である「無極式(むきょくしき)」は、自然に真っ直ぐリラックスした

立ち方であり、いつでもいかようにも変化可能な状態を指します。



他者とペアになって背中合わせをしてみると、

一方がもう一方に寄りかかっている場合があることに気がつきますが、

自然に真っすぐリラックスした立ち方とは、一方に傾いてしまうのではなく、

重心線に沿ってお互いの背中が合わさっている状態であり、

そこには、「支える体」と「支えられる体」、「委ねる体」と「委ねられる体」

という受動・能動の関係が成り立っているようです。




私自身、身体も精神もそのような状態にありたいと願っています。



※伝統太極拳に学ぶ体の使い方 2017.01
 ・講師 石水極子 先生 東京大学非常勤講師・楊式太極拳師範(第七代直系正弟子)
 ・主催 放送大学神奈川学習センター



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○日本人の心を虜にしてきた つばき

○甘い香りに誘われて|冬に小さな花を咲かせるWinter Sweet ロウバイ


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相互の深い理解の上に成り立つ
いきいきとした社会

皇太子(現天皇陛下・平成時代の天皇)記念館 こどもの国


1959年(昭和34年)の皇太子殿下(現天皇陛下・平成時代の天皇)のご結婚を

記念して開園した「こどもの国(横浜市)」。当時、皇太子殿下は26歳だったそう。



それから57年を経た2016年には83歳を迎えられ、

その年の7月に象徴天皇としての務めについてお気持ちを述べられています。



※象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(部分) 2016.07.13


  …(略)

  即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた

  天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。

  伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、

  更に日々新たになる日本と世界の中にあって、

  日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、

  人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。


  …(略)


  私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、

  我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

  私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを

  大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、

  その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

  天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、

  天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、

  天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、

  常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。



  こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、

  私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

  皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、

  国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々の

  あることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、

  国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、

  幸せなことでした。


  …(略)



○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿

○みんなで創る美ら島|大切にしてきた「うちなー」のアイデンティティ


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参  考  情  報


○あそびのなかに未来がある|こどもの国(横浜市)

○マニア向けガイド - 弾薬庫跡|こどもの国

○雪印こどもの国牧場へようこそ!

○児童福祉法

○食育基本法

○京都大学 霊長類研究所 Primate Research Institute, Kyoto University

○芥川龍之介 或旧友へ送る手記 - 青空文庫

○芥川竜之介 - 青空文庫

○国立国語研究所

○あきた きみ - akitambo

○谷川俊太郎.com

○JPIC 一般財団法人 出版文化産業振興財団

○調理師・パティシエ・栄養士の専門学校 服部栄養専門学校ブログ

○日本交流分析学会 | Japanese Society of Transactional Analysis

○横浜トリエンナーレ

○文章で稼ぐ贅沢|織田ゆり子

○特設 天皇陛下 お気持ち表明|NHK NEWS WEB

○写真共有サイト「フォト蔵」

○生活〜namakatsu|sumomojam.exblog.jp

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○教養としての身体運動・健康科学 東京大学身体運動科学研究室
 東京大学出版会 2009

○オノマトペの魅力と不思議 2017.01
 国立国語研究所 第10回NINJALフォーラム
 ・開会挨拶 影山太郎 先生 国立国語研究所長
 ・趣旨説明 窪薗晴夫 先生 国立国語研究所副所長
 ・報告1 オノマトペはことばの発達に役立つか?
  今井むつみ 先生 (慶応義塾大学)
 ・報告2 外国語にもオノマトペはあるか?
  秋田喜美 先生 (名古屋大学)
 ・報告3 外国人は日本語のオノマトペを使えるか?
  岩崎典子 先生 (ロンドン大学)
 ・報告4 オノマトペの意味は変化するか?
  小野正弘 先生 (明治大学)
 ・報告5 「もふもふ」はどうやって生まれたか?
  坂本真樹 先生 (電気通信大学)
 ・パネルディスカッション
 ・閉会挨拶 窪薗晴夫 先生
 ・司会・コーディネーター 窪薗春夫 先生
 ・会場 一橋大学学術総合センター 一橋講堂
 ・主催 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立国語研究所(NINJAL)
 ・共催 言語系学会連合

○オノマトペの謎 窪薗晴夫(編) 岩波書店 2017

○数字とことばの不思議な話 窪薗晴夫 岩波ジュニア新書 2011

○学びとは何か−<探究人>になるために− 今井むつみ 岩波新書 2016

○ことばと思考 今井むつみ 岩波新書 2010

○音とことばの不思議な世界−メイド声から英語の達人まで−

○たかが発音されど発音の音声学 2014.10
 ・講師 吉田昌平 先生 横浜国立大学教授
 ・シラバス
  ・口腔断面図
  ・子音のつくられる場所(調音点)
  ・母音のつくられかた
  ・産出とディクテーション
  ・日本語の音声学 ほか
 ・放送大学神奈川学習センター

○日本語の音声と、外国語の音声と、外国につながる人の音声 2017.03
 ・講師 河野俊之 先生 横浜国立大学教育人間科学部教授
 ・ 日本語の発音は簡単だと考える人は多いようですが、本当でしょうか。
  そもそも、私たちは日本語の音声がどういうものであるか、知っているのでしょうか。
 ・シラバス
  ・発音をよくするためのシャドーイングとその問題点
  ・発音を習ったか・教えたか・習うべきか・教えるべきか
   「習わなかったからできない」は、実はたくさんある
   (⇒Induced Error:強化された誤り)
  ・自己モニタを活用した音声教育
   母語(日本語)を捨てることはできない。母語を有効に活用する。
   そのためには頭を使って考えることが大切。
 ・主催 神奈川県立国際言語アカデミア

○JPIC「辞書を読む」プロジェクト
 金田一先生が語る言葉の力がつく子どもの学習法 2017.03
 講師 金田一秀穂 先生 日本語学者・杏林大学教授
 会場 東京国際フォーラム
 主催 一般財団法人出版文化産業振興財団
 協力 学研プラス、こどもゆめ基金助成活動

○日本のことばの教育 2013.12
 ・講師 府川源一郎 先生 横浜国立大学教授
 ・シラバス
  ・日本語の教育では、何を教えるのか
  ・近代日本の国語教育の歴史
  ・子どもの発達と読み書きの教育
  ・説明的文章の組み立てと論理
  ・二つの文章を比べて考える
  ・群読体験とその発表会
  ・文章を紡ぎ出す「文体」への着目・作文
 ・放送大学神奈川学習センター

○日本の食育の現状と和食の役割 2017.01
 講師 服部幸應 先生 学校法人服部学園理事長
 会場 ローズホテル横浜
 主催 横浜商工会議所 青年交流会 第3回会員交流プラザ並びに新年交流会

○「エセーT−人間とはなにか」 荒木昭太郎(訳) 中央公論新社 2002

○TA TODAY 最新・交流分析入門 イワン・スチュアート, ヴァン・ジョインズ
 深沢道子(監訳) 実務教育出版 1991

○エリック・バーンの交流分析 イアン・スチュアート 日本交流分析学会(訳)
 実業之日本社 2015

○誤解されてきた「自我状態」と「構造分析」
 〜カウンセリングでの「エゴグラム」の本当の用い方〜
 第44回日本交流分析学会 中央研修会 2016 春
 日本大学文理学部 百周年記念館

○「やりとり分析」:本当の使い方
 〜ターニングポイントで何が起きているのか?〜
・開会挨拶
 青木絢子 先生 第46回中央研修会 実行委員長・
 杏林大学病院総合周産期母子医療センター 吉祥寺通り花岡クリニック
・理論編「やりとり分析」の本当の用い方
 江花昭一 先生 神奈川大学保険管理センター
・実践編 ケースで学ぶ「やりとり分析」の本当の用い方
 花岡啓子 先生 吉祥寺通り花岡クリニック
・講評・ディスカッション
 司会 細谷紀江 先生 学習院大学学生相談室
 杉田峰康 先生 福岡県立大学名誉教授
 江花昭一 先生 神奈川大学保健管理センター
 花岡啓子 先生 吉祥寺通り花岡クリニック
 フロア参加者
・総合司会 細谷紀江 先生 学習院大学学生相談室
・第46回 日本交流分析学会 中央研修会 2017 春
・主催 日本交流分析学会・教育研修委員会
・会場 日本大学 文理学部 百周年記念館

○TA101 2012.06
 講師 繁田智恵 先生 国際TA協会教授会員・TA心理研究所所長
 主催 セスク カウンセリング教育サポートセンター

○伝統太極拳に学ぶ体の使い方 2017.01
 ・講師 石水極子 先生 
     東京大学非常勤講師・楊式太極拳師範(第七代直系正弟子)
 ・内容
  ・伝統太極拳の概要について、講義と体験
  ・からだの気づきとほぐし
   1)「骨盤」、太極拳第一
   2)「脊柱」、太極拳第二
   3)「股関節」、太極拳第三
   4)「重力からの解放イメージ」、太極拳第四
   5)「重心の上下左右の操作」、太極拳第五
   まとめ、太極拳の復習
  ・太極拳表演会、ディスカッション
 ・主催 放送大学神奈川学習センター

○伝統太極拳補習授業 2017.03
 講師 石水極子 先生
     東京大学非常勤講師・楊式太極拳師範(第七代直系正弟子))
 内容
  前回学んだことの復習
  手揮琵琶(ショウ フォイ ピー パー)
 会場 放送大学神奈川学習センター

○詩集 谷川俊太郎 思想社 2002

○こどもの国50年史 こどもの国協会

○子ども安全セミナー講師養成講座 2014.02〜2014.03
 講師 NPO法人日本ガーディアン・エンジェルス
     理事長 小田啓二 先生
     理事 大和田尚子 先生
     神奈川県警察本部 他
 主催 かながわコミュニティカレッジ(神奈川県)
 会場 かながわ県民センター

○神奈川県警察年頭視閲式 2017.01
 ・式次第
  ・開式
  ・国旗掲揚
  ・部隊巡閲
  ・分列行進
  ・訓示
  ・祝辞
  ・神奈川県警察歌斉唱
  ・国旗降納
 ・音楽隊の演奏に乗せた第一交通機動隊によるテクニカル走行
 ・会場 神奈川県警察第一機動隊

○神奈川県警察本部庁舎見学 2014.06
 ・広報センター
 ・交通管制センター
 ・通信指令室
 ・展望ロビー

○写真で追う"争う鳥" 2017.03
 講師 渡邊愼介 先生 関東学院常務理事
 主催 神奈川サークル協議会
 春のフェスタ・ヨコハマ 放送大学神奈川学習センター

○ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」
 2017年8月4日(金)〜11月5日(日)
 主会場 横浜美術館/横浜赤レンガ倉庫1号館
 「島」「星座」「ガラパゴス」は、孤立や接続性、想像力や指標(道しるべ)、
 独自性や多様性など、色々な捉え方のできるキーワード。
 先行きの見えない複雑な時代に、人間の想像力・創造力をもって、
 未来への知恵を多くの人々と共に考えていきます。

○テーマに沿って日本の歌を歌う 2017.05
 講師 新井ゆう子 先生 放送大学非常勤講師
 ・風景(情景)の歌を歌う
 ・生活の歌を歌う
 ・太陽、月、星などの歌を歌う
 ・天気の歌を歌う
 ・植物・動物の歌を歌う
 ・食べ物の歌を歌う
 ・人間の歌を歌う(1)
 ・人間の歌を歌う(2)
 放送大学神奈川学習センター


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