地球の未来を読み解く
南極観測


私たちが存在している自然環境の解明


| 南極大陸 | 南極観測60年 | 昭和基地 | 白瀬中尉 | 宗谷 | 宗谷に乗る運命 | 観測野帳 |
| 犬ぞり | 雪上車 | オーロラ | カール・ステルマー | オーロラ観測 | 見やすい都市 | 隕石 |
| アイスコア | オゾンホール | ラジオゾンデ | バイオロギング | クマムシ | 食事 | 新基地建設 |
| 国境のない大陸 | 美しき日本 | 参考情報 |

HOME


南極の未来は、人類の未来
南極大陸

A view of Antarctica’s ice sheet and mountains seen from a U.S. Air National
Guard LC-130 aircraft during a flight to the South Pole in December 2012.
Image Credit: NASA / Christy Hansen


日本からはるか14,000km、地球の南の果てにある南極大陸。

面積は約1,388万kuと日本の約37倍の広さがあり、

夏でも平均マイナス40℃、冬にはマイナス70℃になることもあるそうです。

氷の量は約2,540万Km3で地球上の氷の約90%を占め、

一番氷が厚いところで4,776mあるといいます。




南極大陸に人間が第一歩を踏み出してから、すでに2世紀近くの歳月が流れ、

2010年現在、28ヶ国が基地を設置して観測活動を行っているそうです。



南極には、地球の生い立ちを解明するたくさんのヒントが眠っているとされ、

南極の未来は人類の未来でもあるといいます。



※南極ってどんなところ? 南極・北極科学館
※冊子「南極観測」 国立極地研究所



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


トップに戻る



南極観測60年
未知なる極地探って



60年前、日本の観測隊が目指したのは、他国から「到達不能」と見なされていた

南極の地だった。海を厚い氷に覆われたプリンス・ハラルド海岸。

1957年1月29日、この地に昭和基地を開設し、日本の南極観測は幕を開けた。



オーロラ観測、オゾンホールの発見、気候変動を探る氷床の掘削、

世界一を誇った隕石(いんせき)の収集。

築き上げた日本の観測成果は、世界でも高く評価されている。

難所ゆえに昭和基地の周りに他国の基地はなく、貴重なデータを集められたことも大きい。

たった4棟だっつた基地の建物は68棟となり、上空500キロまでを観測する

大型のレーダー群も広がっている。



※南極観測60年 未知なる極地探って 朝日新聞(朝刊13版) 2017.1.29 中山由美



○進化するテクノロジー 人間のフロンティア

○豊かな放送文化を創造する人とメディアの未来


トップに戻る



地球の未知を読み解く拠点
昭和基地

昭和基地の模型とライブ映像 南極・北極科学館


昭和基地は日本から直線距離で約14,000km離れたリュツォ・ホルム湾東岸、

南極大陸氷縁から西に4kmの東オングル島に位置しています。

この島は南極大陸とは海氷で繋がっており、

表面の氷が解ける夏を除いて歩いて渡れます。

日本との時差は6時間あります。



43次観測隊(2001年)からは、オーストラリアまで飛行機で行き、

オーストラリア西岸のフリーマントルで南極観測船”しらせ”に乗り込んでいます。

海洋観測をしながら約3週間かけて南極・昭和基地に向かいます。



※気象庁|南極・昭和基地の紹介



○ある夏の日曜日 フォトジェニックな港街 シドニー


トップに戻る



南極の先駆者
白瀬中尉



前人未踏の南極点を目指した探検家、白瀬中尉(白瀬 矗:しらせ のぶ、1861 - 1946年)。

多くの困難を乗り越え1912(明治45)年1月に南極大陸に到達し、南極点を目指しますが、

事故に見舞われ遂に力尽きます。



1912年1月28日、未明に氷原突進を中止した白瀬探検隊は、南緯80度05分、

西経156度37分に日章旗を立て、その地を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名します。



南極点への到達は、その1ヶ月前の1911年12月14日に、

ノルウェイのロアール・アムンセン隊によって達成され、

同じ月の1912年1月17日にはイギリスのロバート・スコット隊が到達しますが、

ロバート・スコット隊は帰途に全員遭難死したそうです。



※白瀬南極探検隊記念館
※渡部誠一郎/著『よみがえる白瀬中尉』(秋田魁新報社、1982)
※白瀬京子/著『雪原へゆく 私の白瀬矗』(秋田書房、1986)


トップに戻る



第1次隊〜第6次隊の輸送に使用された
初代南極観測船「宗谷」

船の科学館 2014.04


1955年(昭和30年)、日本の南極観測の参加が決定したとき、国民は熱狂的に歓迎します。

実際に観測隊を派遣するのは一年後、

そのため、氷砕船(ひょうかいせん)を新たに造る時間はなく、

海上保安庁の巡視船「宗谷」を改装して使うことになりました。



しかし、改装費が5億円(当時の国家予算は1兆円)もかかりました。

基地建設や観測機器等に必要な経費も、相当の額が見積もられました。



そのような状況の中、設営関係費は朝日新聞社の協力を得、

無線電信の料金はすべて日本電信電話公社が負担、

無線通信機器は防衛庁から、伝送写真装置は共同通信社からの借用等、

454もの団体の協力が得られることになりました。



また、国民からも1億円を越える寄付が寄せられました。

数えきれないほどの支援のもとで実行されたのが、第1次南極観測隊なのです。



※国民の支援により南極へ|昭和基地の開設と第1次隊 南極・北極科学館



○未来を創る、つながりのはじまり 臨海副都心


トップに戻る



宗谷に乗る運命
すべて他動的に決まっていた

命令に服従することを誓う「宣誓書」
南極観測60周年記念講演会 一橋大学学術総合センター 2017.01


現実の世の中は、石橋を叩いて危ないとかわかっていても、

なおかつ渡らなければならないことが多いのです。



私たちが南極に行くときに「宗谷」に乗って行ったことは、ご存じだと思います。

私は南極行きの準備をしているときに、この宗谷という船の青写真を持って

オーストラリアに行きました。メルボルンにキャプテン・ディビスという船長がおり、

この人は南極へ何べんも偉い学者を運んだ船長で、南極については最高のベテランです。



このキャプテン・ディビスに「宗谷」の青写真を見せたのです。

「宗谷」は大きな船です。私は自慢のつもりで、こうして、こうなって、

ああなっておりまして、鉄板の厚さはこれだけありまして…といって説明したら、

彼は、「こんな船はいかん」というのです。



「お前は南極へどういうふうに行くのか知らないらしい。南極へ行くのには

二つのやり方しかないのだ。ひとつは強力な砕氷船でバリバリ氷を割って、

しゃにむに南へ南へ進んでいくというやり方がある。これは金がかかるので、

ソビエトとかアメリカとかいう国しかやっていない。

ほかの国はそんな金がないから、しかたなく千トンにも満たない船に乗って行き、

氷の割れ目をチョロチョロと縫って進む。そして、これはいけないと思ったら、

すばやく沖へ出て様子を見ている。また天気がよさそうならチョロチョロ帰ってくる。

この二つのやり方がある。両極端のどちらかでないとだめなんだ。

しかるに、この「宗谷」は氷を割る力もないくせに図体ばかり大きくて、

こんなもんで行ったら、機敏な行動がとれないために氷にはさまれ、

一年間も帰れないようになってしまう」



これはえらいことになったと思って、さっそく日本へ飛んで帰って報告しました。

ところが、そんなことをいってもおそい。もう「宗谷」に乗っていくことはちゃんと決まっている。

うそだと思うなら、日本鋼管という会社でいま準備しているから見てきなさいという返事です。



見に行ったところが、フォアデッキといって、前の方のデッキを歩いているうちに、

ダッと踏み破ってしまった。見たら鉄板が腐っているのです。

「これは腐っている」といったら、「アア、そこは直します」と、ほかは直さないようないい方です。



こうなると、いくら調査してもそんなのだめだ、という答えが出ても、

「宗谷」に乗って行くということは、ほかでもう、ちゃんと決まっている。

物事というのは大体そういうものです。

つまり、現実は、すべて他動的に決められていることが多いのです。

だから、その前にやるかやらないかということをいくら調査しても、

そんなことは大した意味はないのです。

われわれは「宗谷」に乗っていくということが「運命」で決まっていたのです。



※新版 石橋を叩けば渡れない。 西堀栄三郎 生産性出版 1999
 「宗谷」に乗っていくということは、ほかでちゃんと決まっていた p40-42


トップに戻る



南極での観測のはじまり
第一次越冬隊の観測野帳

昭和32年2月29日の記録|越冬隊長 西堀栄三郎氏のサインがあります
気象庁 気象科学館


盛大な見送りを受けて、第1次隊を乗せた「宗谷」が

東京の晴海埠頭を出航したのは、1956年(昭和31年)11月8日のことです。

隊員は53人、「宗谷」の乗組員は計77人でした。



1957年(昭和32年)1月29日、第1次隊永田武隊長以下全員が

そろってオルグン島に上陸し、その地に「昭和基地」を開設することを決定。

正式に上陸式が行われました。



第1次隊の当初の目的は、「日本の南極観測基地として適当な地域を決定し、

基地建設を行い、必要な観測を行って、次年度における2次隊による越冬観察

の準備」で、次年度に本観測として越冬を行う予定でした。



しかし、現地の状況が良好で、安全の見通しがたったため、

11人が越冬隊として残留することになり、

南極での1年間の観測を遂行し昭和基地が越冬できる体制を確立します。



「宗谷」は、西堀栄三郎越冬隊長(南極観測隊副隊長)をはじめとした

11人の越冬隊員を残し、帰路についたところ、出発した翌日から天候が

悪化し氷に閉じ込められて動けなくなってしまいました。



この危機は、ソ連(当時)の「オピ号」に助けられ、ことなきを得ました。



※「宗谷」の出航と昭和基地の開設|昭和基地の開設と第1次隊 南極・北極科学館


トップに戻る



南極の移動手段
犬ぞり

ジロのはく製 国立科学博物館


日本にとって未知の大陸であった南極での移動手段として、

当時の雪上車には技術的な不安がありました。

そこで、運搬量は少ないものの、危険を事前に察知できる犬が採用されたのです。

戦後、旧日本領の樺太から北海道へ人間と共に渡ってきたカラフト犬の中から、

オス20頭、メス1頭が選ばれました。



第1次越冬期間中のほとんどの調査旅行は犬ぞりでなされ、

合計1,600kmもの距離を走りました。雪上車は合計1,200kmを走りましたが、

大きな調査旅行に使われることはありませんでした。



1958年2月、2次隊を乗せた「宗谷」は海氷に阻まれて昭和基地に着けませんでした。

小型機で1次隊の11人、雄犬1頭と子犬8頭を宗谷に収容したところで天候が悪化。

雄犬15頭を基地に残したまま、帰国することになります。



翌年、再び日本の越冬隊が降り立った南極で、2頭の犬が奇跡的に生きている

のを発見します。これがタロとジロでした。残りの6頭は首輪を抜けて行方が分からず、

7頭は鎖につながれたまま死んでいました。



昭和基地に犬がいたのは17次隊(75年出発)までで、

94年4月以降は動物の持ち込みが禁じられています。



※移動手段のいまむかし|犬橇(いぬぞり)から雪上車へ 南極・北極科学館
※生き延びたタロとジロ|南極観測60年 朝日新聞(朝刊13版) 2017.01.29


トップに戻る



日本で初めて南極点到達を成し遂げた
雪上車

KD604 大型雪上車 南極・北極科学館 国立極地研究所


第9次日本南極地域観測隊の極点往復プロジェクト(1968〜1969年)で使用された雪上車。

このプロジェクトでは、KD604のほか合計4台の雪上車が使用されました。

故障で途中放棄されたKD603を除く3台は、1968年12月19日、

日本の観測史上ではじめて南極点に到達するという偉業を達成。

昭和基地〜南極点の往復5,200kmを5ヶ月間にわたる旅程を走破しました。



南極点への往復のためには、平地から4,000メートルの高地に対応できるエンジン、

-60℃に耐える耐寒性、硬い氷床に耐える耐震性、約8トンの重量を引く牽引能力、

5,000km以上の行程に耐える強度と耐久性、4人の隊員が5ヶ月間生活できる

居住性などを兼ね備えた新雪上車の設計開発が必要でした。




KD60型雪上車は、これらの南極の厳しい環境に対応すべく試作を重ね

製作されました。また、極寒の中でもできるだけ車内が温まるよう、

車体は太陽熱を吸収しやすい黒に塗られました。

極地往復プロジェクト以降も、KD60型雪上車は10年にわたって

内陸調査に活用され続けました。世界発の南極隕石の発見も、

この雪上車を使用した調査旅行で成し遂げられたのです。



※南極・北極科学館より



○持続可能なモビリティ社会を目指して|日産追浜グランドライブ


トップに戻る



極地の空に現れる華麗な光の舞い
オーロラ

Aurora australis (the "southern lights") over Amundsen-Scott
South Pole Station, Antarctica.
Photo by Chris Danals, National Science Foundation


地球上で人間が見ることのできる自然現象の中でも神秘的で美しいオーロラ。

近代科学が始まるずっと前からオーロラは世界中の神話・伝説の対象となり、

人々に驚きと畏敬の念を教えてきたといわれます。



1570年1月12日、ボヘミアのグッテンベルクで見られたオーロラは

次のように表現されています(作者未詳)。


  黒い雲の上には、明るい光の筋。それは船のような形をし、燃えていた。

  そこには、沢山のロウソクが灯り、大きな柱も2本あった。

  街はその光に照らされていた。雲から血が滴るように降り注いだ。

  神の奇跡を人々に知らせるべく、見張りは塔から緊急事態を知らせる鐘を鳴らした。

  このような身の毛のよだつ眺めは、未だかつて見たことも聞いたこともない。

  一心に、神に祈るのみ。




神秘的な美しさは、不気味さ、恐ろしいさともつながり、北方民族の間では、

オーロラは共通して死後の世界と関連させて語り継がれてきたといい、

北欧では、オーロラという橋を通じて死者とつながっているという言い伝えがあり、

この神秘の光こそは、生と死のちょうど境にかかる存在で、この光が崩れる時は

世界の終末を暗示すると言われたそうです。



オーロラの名前はローマ神話に登場する女神オーロラ(Aurora)に由来するとされ、

女神オーロラは、地上の生物に夜明けや希望をもたらす神で、

古代の人びとは、女神オーロラが夜の闇を追い払い、この世に光を与えてくれる

と信じたといいます。


※オーロラ 宇宙の渚をさぐる 上出洋介 角川選書 2013
 第1部 美貌の夜空を見上げる|第1章 神話のなかのオーロラ p26-41



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


トップに戻る



オーロラの高さを突き止めた
ノルウェイの科学者

カール・ステルマー(左)と助手のビルケラント(右)


オーロラを写真に捉える技術に長け、オーロラの高さをつきとめたという

ノルウェイの科学者カール・ステルマー(1874-1957)。



三角測量の原理を活用し、数十km離れた2ヵ所の地点から

同一のオーロラを同時に撮り続け、その写真は4万枚を超えたといわれます。

そしてついにオーロラは地上から100km、高いものでは1000kmという

驚くべき高さで光っていることを突き止めます。



ジェット機が飛んでいるのは地上から約10km(1万m)の高度。

オゾン層は20〜30km、国際宇宙ステーションは約400kmを飛行しているそうです。



※最速のオーロラを探る|サイエンスカフェ
 講師 片岡龍峰 先生 国立極地研究所 研究教育系・宙空圏研究グループ 准教授


トップに戻る



私たちが存在している自然環境の解明
オーロラ観測

オーロラ観測用カメラ 国立極地研究所


太陽から放出される熱・光からちょうど良い距離にあるという地球。

地球は、太陽から放出される太陽風と呼ばれるプラズマを受け、

地球のもつ磁場と大気に作用してオーロラはつくられるのだそう。



自分たちの棲み家である地球のこと、宇宙での地球の立場、

さらに地球のエネルギー源である太陽との関係を知ることは、

知的好奇心をもつ人類の共通の願いであり、

宇宙を含む自然環境の中で自分たちの置かれている立場を

知ることは人類の義務でもあるようです。



オーロラ観測は、

これら人類に共通する基本的な問題をさぐる有効な手段の一つだといいます。


トップに戻る



美貌の夜空を見上げる
オーロラを見やすい都市

オーロラ観測用カメラのレンズに顔を近づけると


オーロラは、磁極に近づけば近づくほど見れるという訳ではなく、

地球の磁極を取り巻く、半径数千kmのベルト状の地域で出現確率が高いといいます。



オーロラが統計的に一番よく見える場所は、地磁気緯度で65〜70度。

日本から航空路がうまくできていて、かつホテルなどの宿泊施設が整備されている

都市は、アラスカのフェアバンクス、カナダのイエローナイフ、グリーンランドの南端、

アイスランド、スカンジナビア(ノルウェイ・スウェーデン・フィンランド)、

ロシアのムネマンクスが挙げられるそうです。



○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド


トップに戻る



太陽系の成り立ちを探る情報が詰まっている
隕石

LL3コンドライト(Y-790448) 採取場所:南極 やまと山脈 国立極地研究所


隕石(いんせき)とは、地球以外の天体の破片が地上に落下したもののことだそう。

これまでに全世界で見つかっている隕石は約64,000個で、

このうち南極で見つかった隕石は約42,000個、

日本の観測隊が南極で採集した隕石の数は約17,000個と

2008年にアメリカに抜かれるまで隕石の保有数は日本が世界一だったそうです。



隕石を調べることで、その隕石がいつどこで生まれたか、

親(母天体)はどれか、どのような環境で進化したか、

いつ地球にたどり着いたかなど、太陽系の成り立ちや星の進化を

探ることができるといいます。



※南極で星のかけらを探す|サイエンスカフェ
 講師 海田博司 先生 国立極地研究所 研究教育系地圏研究グループ 助教


トップに戻る


南極の隕石探査 太陽系成り立ちの謎に迫る BBC News Japan

トップに戻る



南極の氷から昔の大気を知る
アイスコアの採取

アイスコア(氷床コア:氷の試料)を採取するパイプ 南極・北極科学館


氷床内陸部は低温のため、氷がとけることはありません。

雪は時間の経過とともに降り積もる雪の重みで押しつぶされ、

最後には隙間がなくなり氷になります。

この時、空気は氷の中に気泡として取り込まれます。

氷は深いところでは非常に大きな圧力を受けるため、気泡は消えてしまいます。



このように南極の氷の中には昔の空気が取り込まれているため、

上手に空気を取り出して分析することで、

過去の温室効果ガスの濃度などを知ることができます。



過去80万年間はおよそ10万年周期で氷期と間氷期が交互に訪れていました。

アイスコアの研究から、10万年周期の氷期−間氷期サイクルと

二酸化炭素濃度の変動はよく同期していたことがわかっています。



※南極の氷から昔の大気を知る 国立極地研究所
※南極氷床コアから見る地球環境の変動
  講師 川村賢二 先生 (国立極地研究所准教授)
  会場 一橋大学学術総合センター 一橋講堂
  南極観測60周年記念講演会 2016.01



○人類の未来を切り開く 地球深部探査船「ちきゅう」


トップに戻る



南極上空のオゾン量が極端に少なくなる現象
オゾンホールの発見



日本は南極観測を通じて地球規模の環境変化の解明において

重要な役割を担ってきたといいます。

その一つは、1982年、第23次南極地域観測(1982年)隊員であった

気象庁の研究官によって発見されたオゾンホールが挙げられています。



オゾンホールは、南極上空のオゾン量が極端に少なくなる現象で、

オゾン層に穴の空いたような状態であることからその名が付けられたそう。



昭和基地では、気球にゾンデと呼ばれる計測器をつけて、

各高度の大気を観測しているそうです。


トップに戻る



高層気象観測
ラジオゾンデ

気象庁 気象科学館


気象庁では、日本全国16ヵ所のほか南極において、

毎日2回、気球に観測装置を吊り下げて飛揚させ、

大気中の気圧、気温、湿度、風、高度を観測しているそうです。



ラジオゾンデは、気象要素を測定するセンサと

測定した情報を送信するための無線送信機を備えた気象観測器。



高層気象観測は世界各国の約800ヵ所で行われ、

世界中の全ての場所で同時刻(日本時間の9時と21時)に観測しているといい、

得られた上空の気象データは、関係機関に提供されており、また、

スーパーコンピューターで計算して、数値予測資料として出力され、

天気予報や防災情報などに使われているそうです。



※気象庁 気象科学館より


トップに戻る



バイオロギングで探る
海の動物の暮らし

Penguin in Antarctica jumping out of the water
水から飛び出るコウテイペンギン 南極


南極は氷に覆われ水温が低く、人による水中での生物観察は困難を伴うことから、

生物に小型の記録計をとりつけ、その行動を調べるバイオロギング

(バイオ⇒生物、ロギング⇒記録をとる)という方法が採用されているそうです。



バイオロギングでは潜水深度や時間、行動範囲、鳴き声、何を食べているか、

体温、心拍数などの情報を知ることができるといい、これまでの調査の結果、

アデリーペンギンの最大潜水深度は175m、最大潜水時間は5分、

エンペラーペンギンは564m、20分、ウエッデルアザラシは741m、80分、

ミナミゾウアザラシは2133m、120分、が観測されているそうです。



※バイオロギングで探る海の動物の暮らし|サイエンスカフェ
 講師 高橋晃周 先生 国立極地研究所 研究教育系生物圏研究グループ 准教授



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ

○人間の弱さと限界、そこからの可能性 パスカル「パンセ」


トップに戻る



30年を超える凍結保存から目ざめ繁殖に成功
南極のクマムシ

南極のコケ 南極・北極科学館 


国立極地研究所の辻本恵特任研究員を中心とする研究グループは、

南極昭和基地中編で1983年11月に分類学研究用として採取され、

30年と半年の間-20℃で凍結保存されていたコケ試料からクマムシを取り出し、

その蘇生の回復と繁殖の様子を記録することに成功したそうです。



クリプトピオシス能力(隠れた生命⇒蘇生可能な無代謝状態)で知られる

動物の長期生存記録の中で、30年以上の保存からの蘇生をしただけでなく、

蘇生直後の回復状態やその後の繁殖までを詳細に報告したのは

この研究が初めてだといいます。



※南極のクマムシ、30年を超える凍結保存から目ざめ、繁殖に成功
 国立極地研究所 生物圏研究グループ


トップに戻る



南極観測越冬隊の
食事

第57次南極観測に出発前の「しらせ」 2015.11
海上自衛隊 横須賀地方総監部 逸見岸壁


第13次(1971-73年)と第21次(1980-81年)南極観測隊において

コックを務めた五味貞介 先生(2016年現在77歳)。

当時は「宗谷」につぐ二代目南極観測船「ふじ」の時代だったそう。



観測隊では、日本に住んでいる分には考えられないトラブルに遭遇したり、

食事は隊員たちの命をつなぐもので、南極生活に潤いをもたらす

大切な楽しみであるとの認識から様々な工夫をしたといいます。



食材を船に積み込み南極に向かった際には、

ポリタンクに詰めた醤油が赤道付近で破裂し、

冷凍庫にびっしり積み込んだ食材は、奥の方まで冷凍されておらず、

昭和基地に着いた時には使いものにならなかったそうです。



また、滞在中は駅弁に着想を得て人数分の弁当箱を自作して、

ご当地弁当シリーズをやったところ、隊員たちからは好評だったそう。



観測隊として過ごした頃を振り返ってみると、当時は、

テレビもなく、新聞もなく、とても素晴らしい環境だったといいます。



現在では、様々なインフラが整備され、家族の誕生日には

南極からプレゼントを注文することもできるそうです。



※南極観測越冬隊の食事60年 2016.09
 ・講師
  五味貞介 先生(13次冬、21次冬) ふじの時代
  篠原洋一 先生(33次冬、50次冬) しらせの時代
  竪谷博 先生(55次冬) 新しらせの時代
 ・会場 日本大学理工学部
 ・主催 南極OB会



○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質

○平和と独立を守る防衛省|すべての国々、すべての方々に感謝の気持ちを

○潮風に導かれ開国ロマン溢れる浦賀へ|多様性と異質性を受け入れる


トップに戻る


【南極地域観測協力行動】  第56次南極地域観測協力行動
「しらせ氷海を行く」 〜海上自衛隊〜

トップに戻る



南極に新基地建設へ
95年以来、5ヵ所目 内陸の氷床解析

噴煙を上げるエレバス山 南極


南極観測の新たに拠点となる基地の建設に向けて、日本が今年末から動き出す。

1995年に開設されたドームふじ基地以来で、5ヵ所となる。

南極大陸の内陸で氷床を解析し、地球の過去の気候変動を探るのが目的だ。

57年1月29日に昭和基地を開設してから60周年となる日本の南極観測が、

新たな試みを始める。



新基地を計画しているのは、南極大陸の沿岸から約千キロ内陸に入った地域で、

氷床の厚さが2千〜3千メートルほどある。

ここを掘削して、100万年前の氷を手に入れることを目指す。

今年11月に日本を出発する59次観測隊が場所の選定を始め、

5年後の基地完成と氷床の掘削開始を想定している。

ただ、現地は平均気温が零下50〜60度で空気も薄く、資材を運んだり

建設したりするのに多くの時間や労力がかかる。

このため、簡易に組み立てられ、移動もできる「ポータブル基地」を考えている。

日本が南極でつくった基地は、昭和、みずほ(開設は70年、閉鎖)、

あすか(同85年、同)、ドームふじ。

2003〜07年にドームふじで深さ3035メートルまで堀り、

約72万年前の氷を手にしている。新基地はこの近くに計画している。



※南極に新基地建設へ 朝日新聞(朝刊1面) 2017.01.29


トップに戻る



国境のない大陸
南極

コンドワナ大陸|2億年前、南極は他の大陸とつながっていたと考えられているそう
(Afrika⇒アフリカ、Sudamerika⇒南アメリカ、indien⇒インド、
Antarktika⇒南極、Australien⇒オーストラリア)


1957〜58年、世界66カ国が参加して「国際地球観測年」というプロジェクトが

展開されました。日本もこれに参加する形で南極観測をスタートさせました。



この国際的なキャンペーンで南極の重要を再認識した各国は、南極を人類共通

の財産とし、南極での領土権の主張や軍事目的の利用を禁じた「南極条約」を締結。

日本は、原署各国12カ国のひとつとして南極条約を締結して以来、南極での

科学活動や国際協力、環境保護を推進するうえで中心的な役割を果たしてきました。



南極には、2010年現在で28カ国が基地を設置して環境活動を展開していますが、

世界各国の研究者同士がお互いの基地を自由に訪問したり、共同研究をしたり、

といった交流がごく普通に行われています。

南極の観測される地球環境のデータは、ある特定の国だけに影響を及ぼすわけではなく、

世界中の国、つまり人類全体にかかわってきます。



南極は、日本からは遠くはなれた氷の大陸ですが、

そこでの観測は私たちの生活と深く関わっているのです。



※冊子「南極観測」 国立極地研究所より



○人と人・人と自然との共存から未来を紡ぐ|Life is a Journey

○循環型社会の基盤にあるもの


トップに戻る



美しき日本
大気に国境はない

白神山地(青森県・秋田県) 世界遺産


私たちが住む日本は、四季がはっきりとし、かつ、美しい自然に恵まれた国です。

しかし、時に自然は豪雨や大地震をもたらすなど、容赦なく私たちに襲いかかります。

南米沖で発生した津波が太平洋を渡って日本を襲うこともあります。

また、近年では人類の産業活動によって発生した温室効果ガスによる

地球温暖化の問題も深刻になっています。



※気象庁より



○たおやかに熟成してきた白神の時間

○いのち集まる流域 小網代の森|私たちが生きる地球の持続可能性

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


トップに戻る



参  考  情  報


○国立極地研究所 南極観測のホームページ

○国立極地研究所

○気象庁 | 気象科学館

○一般社団法人日本気象予報士会ホームページ

○南極OB会

○白瀬南極探検隊記念館 / 秋田県にかほ市

○NPO法人白瀬南極探検100周年記念会公式ホームページ

○国立国語研究所

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○昭和基地開設60周年記念 南極まつり 2017.01
 ・コンテンツ
  ・ドラえもんと昭和基地の60周年をお祝いしよう!(南極中継あり)
  ・各研究グループなどによる展示・体験ブース
  ・サイエンスカフェ
   ・最速のオーロラを探る 宙空圏研究グループ 片岡龍峰 先生
   ・最古のオーロラを探る 宙空圏研究グループ 片岡龍峰 先生
   ・グリーンランドの氷のはなし 気水圏研究グループ 東久美子 先生
   ・南極で星のかけらを探す 地圏研究グループ 海田博司 先生
   ・地球温暖化で南極の氷は融けるのか?
    極限フィールドワークから探る南極氷床の安定性
    地圏研究グループ 菅沼悠介 先生
   ・バイオロギングで探る海の動物の暮らし 生物圏研究グループ 高橋晃周 先生
 ・南極・北極科学館
 ・会場 国立極地研究所
 ・主催 情報・システム研究機構 国立極地研究所
 ・協力 朝日新聞社

○南極観測60周年記念講演会 2017.01
 ・オープニング
  ・挨拶 国分征 先生 (南極OB会会長、東京大学・名古屋大学名誉教授)
  ・南極観測60周年(再開50周年)記念事業
   渡辺興亜 先生 (南極OB会事業委員長、国立極地研究所名誉教授)
 ・第1部「日本南極観測を築きあげた人々」
  南極観測60年間の足跡、及びインタビュー
  神田啓史 先生 (国立極地研究所名誉教授)
 ・第2部「日本南極観測と国際交流」
  ・日豪外国共同観測
   ハービー・マーチャント 先生 (オーストラリア国立大学客員教授)
  ・日韓外国共同観測 ジン・ヨングム 先生 (韓国極地研究所)
 ・第3部「南極観測のこれから」
  南極氷床コアから見る地球環境の変動
  川村賢二 先生 (国立極地研究所准教授)
 ・会場 一橋大学学術総合センター 一橋講堂
 ・共催
  南極OB会(南極観測60周年記念事業委員会)
  国立極地研究所、(公財)日本極地振興会
 ・後援 朝日新聞社、共同通信社、毎日新聞社、読売新聞社、テレビ朝日

○南極観測越冬隊の食事60年 2016.09
 ・講師
  五味貞介 先生(13次冬、21次冬) ふじの時代
  篠原洋一 先生(33次冬、50次冬) しらせの時代
  竪谷博 先生(55次冬) 新しらせの時代
 ・会場 日本大学理工学部
 ・主催 南極OB会

○北極研究と日本−我々はなぜ北極を研究するのか− 2017.03
 2016年度北極域研究推進プロジェクト公開講演会
 ・北極研究と日本の外交 角南篤 先生 (政策研究大学院大学 副学長)
 ・ArCS の目的とここまでの取り組み
  榎本浩之 先生 サブプロジェクトリーダー・国立極地研究所教授
 ・日本の気象気候の変化と北極の温暖化
  浮田甚郎 先生 新潟大学自然科学系・理学部 教授
 ・北極の雪氷を汚すブラックカーボン粒子と北極温暖化
  小池真 先生 国立極地研究所客員准教授・東京大学理学系研究科准教授
 ・気象・海氷予測の高精度化に必要な観測網をデザインする
  猪上淳 先生 国立極地研究所准教授
 ・パネルディスカッション ArCSの果たす役割
 ・総合司会 室山哲也 先生 日本放送協会 解説委員
 ・会場 星稜会館
 ・主催
  情報・システム研究機構国立極地研究所
  海洋研究開発機構
  北海道大学

○ジュニアサイエンス 南極から地球環境を考える1
 南極観測のひみつ Q&A 国立極地研究所(監修) 丸善出版 2014

○極―白瀬中尉南極探検記 綱淵謙錠 新潮文庫 1990

○南極越冬記 西堀栄三郎 岩波新書 2002

○石橋を叩けば渡れない 西堀栄三郎 生産性出版 1999

○南極越冬隊 タロジロの真実 北村泰一 小学館文庫 2007

○南極観測隊のしごと―観測隊員の選考から暮らしまで
 国立極地研究所南極観測センター(編集) 極地研ライブラリー 2014

○バイオロギング−「ペンギン目線」の動物行動学−
 内藤靖彦, 佐藤克文, 高橋晃周, 渡辺佑基 極地研ライブラリー 2012

○南極海に生きる動物プランクトン―地球環境の変動を探る
 福地光男, 高橋邦夫, 谷村篤 極地研ライブラリー 2014

○オーロラ 宇宙の渚をさぐる 上出洋介 角川選書 2013

○オーロラ! 片岡龍峰 岩波科学ライブラリー 2015

○南極で隕石をさがす 小島秀康 極地研ライブラリー 2011

○アイスコア―地球環境のタイムカプセル 藤井理行,本山秀明
 極地研ライブラリー 2011

○南極で宇宙をみつけた! 生命の起源を探す旅 中山由美 草思社 2010

○考えよう地球環境(1) 気象の本 住明正, 村松照男 ポプラ社 2004

○現代天気予報学―現象から観測・予報・法制度まで
 古川武彦, 室井ちあし 朝倉書店 2012

○街路樹を楽しむ15の謎 渡辺一夫 築地書館 2013

○すごい空の見つけかた 武田康男 草思社 2008

○空わたる季(とき)―風・雲・光の四季だより 倉嶋厚 丸善株式会社 1995

○雨のことば辞典 倉嶋厚, 原田稔 講談社学術文庫 2014

○人工知能AIとIoT新時代 新たなビジネスモデルとは 2017.02
 インダストリー4.0で繋がる産業 第4次産業革命がビジネスを大きく変える
 講師 尾木蔵人 先生 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 国際営業部副部長
 会場 ロイヤルホールヨコハマ
 主催 横浜商工会議所 機械・金属工業部会 講演会


トップに戻る

Copyright (C) 2017 MOON WATER All rights reserved