苦しみぬき、人のためにする天地

より偉大なる人格を懐にして


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| 高柳の先生 | 道也先生との再会 | 世の中は苦しいもの | 世間がスキャンダルを好む理由 |
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ハーヴェスト
天地の豊穣を願った二百十日

黄金に色づき、まもなく収穫を迎える稲穂


黄金に色づき、まもなく収穫を迎える稲穂。

秋は天地に豊穣を与える季節であるとともに、

台風が相次いで発生し農作物に被害を与える時期でもあります。



「二百十日」は2月初旬の立春から数えて210日目、例年9月初旬のこと。

暦(こよみ)に載せることで災害への注意を促し、天地の豊穣を願ったそうです。



○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質

○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける

○天高く馬肥ゆる秋|実をつけて燃え、生を喜ぶ季節


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台風の昔の呼称
野分

台風によって浸水する境川遊水地公園
(神奈川県横浜市・藤沢市)


野の草を吹き分ける風に由来するという「野分(のわき・のわけ)」。

野分は台風の昔の呼称だといわれ、

立春より数えて210日から220日(9月初旬)にかけて特に襲来することが多かったそうです。




○川とともに育まれてきた人々の暮らし|相模湾 江の島に注ぐ境川

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


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天と地の間にあるすべてのもの
天地

北海道北見市常呂町


「天地(てんち)」を英訳してみると以下のような意味があるそうです。


  heaven and earth (天と地)
  the universe (宇宙)
  nature (自然)
  the world (世界・世の中)
  a new land (新たな地)
  top and bottom (上と下)




万葉集に見られる天地は「あめつち」と読まれ、

新穀(⇒新たな穀物)が天地からの最上の賜物(たまもの)であると共に

天地悠久(てんちゆうきゅう⇒果てしなく長く続く)の未来を寿(ことほ)ぐ(⇒よろこぶ)

新嘗(にいなめ)の根幹に関わる観念が託されています。



※万葉集 「廿五日新嘗会肆宴応詔歌六首」(巻19-4273〜4278)より一首
 巻19-4275 文室知努真人(ふみやのちののまひと)


  天地(あめつち)と久しきまでに万代(よろずよ)に

   仕へまつらむ黒酒白酒(くろきしろき)を



  天地とともに 久しく万代まで

  黒酒・白酒を捧げてお仕えいたしましょう




この歌は、752(天平勝宝4)年11月25日、新嘗祭(にいなめさい)の後に開かれた宴で、

孝謙天皇の勅に応じて詠まれたものだといわれ、

新穀で醸造したお酒を捧げて、治世の悠久と五穀豊穣を祈った歌だそう。





大和言葉の「天地(あめつち)」は、天と地の間にあるものすべてを指し、

自然、人間、動物たち、木や花や草、風も雨、

そして、それぞれの匂いや心までも含んでいます。

人間のいのちは、古(いにしえ)から受け継がれてきた自然の一部です。

天地(あめつち)の声を聞くことは、古人(いにしえびと)の心に触れること。

歌を通して、自然や人、それに宿る目に見えない心に思いを馳せることができます。



○いにしえから今を生きる私たちへの伝言|千三百年の時空を超える「奈良」

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


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苦しみぬき、人のためにする天地
文学者である白井道也

夏目漱石 1867年(慶応3年)-1916年(大正5年)


※「野分(のわき)」 夏目漱石 一 1907年(明治40年)


白井道也(しらいどうや)は文学者である。

八年前まえ大学を卒業してから田舎(いなか)の中学を二三箇所(2、3ヵ所)

流して歩いた末、去年の春飄然(ひょうぜん⇒ふらりと)と東京へ戻って来た。



始めて赴任したのは越後(現新潟県)のどこかであった。越後は石油の名所である。

学校の在(あ)る町を四五町(⇒一町は約110m)隔てて大きな石油会社があった。

学校のある町の繁栄は三分二以上この会社の御蔭(おかげ)で維持されている。



町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方が遥かにありがたい。

会社の役員は金のある点において紳士である。

中学の教師は貧乏なところが下等に見える。

この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗は誰が眼にも明らかである。



道也はある時の演説会で、金力と品性と云(い)う題目のもとに、

両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗に会社の役員らの暴慢と、

青年子弟の何らの定見(ていけん⇒その人自身の意見)もなくして

いたずらに黄白万能主義(こうはくばんのうしゅぎ:金と銀⇒金銭)を

信奉するの弊(へい)とを戒(いま)しめた。



役員らは生意気な奴だと云った。

町の新聞は無能の教師が高慢な不平を吐(は)くと評した。

彼の同僚すら余計な事をして学校の位地を危うくするのは愚(ぐ)だと思った。

校長は町と会社との関係を説いて、漫(みだり)に平地に風波を起すのは

得策でないと説諭した。

道也の最後に望を属(しょく)していた生徒すらも、父兄の意見を聞いて、

身のほどを知らぬ馬鹿教師と云い出した。



道也は飄然(ひょうぜん)として越後を去った。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」


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己のためにする天地
白井道也の妻

明治期の女性 1868年(明治元年)
シーボルトの孫娘 楠本高子 (1852年-1938年(昭和13年))


※「野分」 夏目漱石 一


道也には妻(さい)がある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。

自(みず)からみいら(ミイラ)となるのを甘んじても妻を干乾(ひぼし)にする訳には行かぬ。

干乾にならぬよほど前から妻君はすでに不平である。





「教師をおやめなさるって、これから何をなさるおつもりですか」

「別にこれと云うつもりもないがね、まあ、そのうち、どうかなるだろう」

「その内どうかなるだろうって、それじゃまるで雲を攫(つか)むような話しじゃありませんか」

「そうさな。あんまり判然(はんぜん)としちゃいない」

「そう呑気じゃ困りますわ。あなたは男だからそれでようござんしょうが、

ちっとは私の身にもなって見て下さらなくっちゃあ……」




※「野分」 夏目漱石 三


「求めて、忙がしい思いをしていらっしゃるのだから、……」と云ったぎり、

細君(さいくん⇒妻)は、湯豆腐の鍋と鉄瓶(てつびん)とを懸(か)け換(か)える。

「そう見えるかい」と道也先生は存外平気である。

「だって、楽で御金の取れる口は断っておしまいなすって、忙がしくって、

一文にもならない事ばかりなさるんですもの、誰だって酔興(すいきょう)と思いますわ」

「思われてもしようがない。これがおれの主義なんだから」

「あなたは主義だからそれでいいでしょうさ。しかし私(わたくし)は……」

「御前は主義が嫌いだと云うのかね」

「嫌も好きもないんですけれども、せめて――人並には――なんぼ私だって……」

「食えさえすればいいじゃないか、贅沢を云や誰だって際限はない」

「どうせ、そうでしょう。私なんざどんなになっても御構いなすっちゃ下さらないのでしょう」



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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富裕な名門に生まれ、暖かい家庭に育った
中野輝一

三井八郎右衛門邸 江戸東京たてもの園


※「野分」 夏目漱石 二


中野君は富裕(ふゆう)な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、

浮世の雨風は、炬燵(こたつ)へあたって、

椽側(えんがわ)の硝子戸越(ガラスどごし)に眺(なが)めたばかりである。



友禅(ゆうぜん)の模様はわかる、金屏(きんびょう)の冴(さ)えも解せる、

銀燭(ぎんしょく:銀製の燭台)の耀(かがや)きもまばゆく思う。

生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。

親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの

木強漢(ぼっきょうかん:分からずやの男)では無論ない。



ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。

日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、

この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。

たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。

しかしさぞ暗い事だろうと身に沁しみてぞっとする事はあるまい。


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厭世家の皮肉屋といわれた男
高柳周作

「放蕩息子」 ヒエロニムス・ボス ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館
「The Pedlar」 Hieronymous Bosch


※「野分」 夏目漱石 二


高柳君は口数をきかぬ、人交(ひとまじわ)りをせぬ、

厭世家(えんせいか)の皮肉屋と云われた男である。




※「野分」 夏目漱石 四


七つの時おやじは、どこかへ行ったなり帰って来ない。

友達はそれから自分と遊ばなくなった。

母に聞くと、おとっさんは今に帰る今に帰ると云った。

母は帰らぬ父を、帰ると云ってだましたのである。

その母は今でもいる。

住み古るした家を引き払って、生れた町から三里の山奥に一人佗(わ)びしく暮らしている。

卒業をすれば立派になって、東京へでも引き取るのが子の義務である。

逃げて帰れば親子共餓(う)えて死ななければならん。



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識


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表と裏を縫い合わせる
中野と高柳

サン・ジョヴァンニ・ラテラーノ大聖堂 イタリア


※「野分」 夏目漱石 二


高柳君の眼に映ずる中野輝一は美しい、賢こい、

よく人情を解して事理を弁(わきま)えた秀才である。



彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、

同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。

同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈するほどいる。

しかしこの二人ぐらい親しいものはなかった。



この両人(ふたり)が卒然と交(まじわり)を訂(てい)してから、

傍目(はため)にも不審と思われるくらい昵懇(じっこん)な間柄(あいだがら)となった。

運命は大島(おおしま⇒鹿児島特産の着物)の表と

秩父(ちちぶ⇒埼玉特産の着物)の裏とを縫い合せる。



○そよ風に乗ってローマの街並みへ


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高柳の中学校時代の教師
白井道也先生

明治時代の東山油田 (新潟県長岡市)


※「野分」 夏目漱石 二  〜高柳と中野の会話


「僕の国の中学校に白井道也(しらいどうや)と云う英語の教師がいたんだがね」

その道也先生がね――やっぱり君、文学士だぜ。

その先生をとうとうみんなして追い出してしまった」



「どうして」

「どうしてって、ただいじめて追い出しちまったのさ。なに良(い)い先生なんだよ。

人物や何かは、子供だからまるでわからなかったが、どうも悪るい人じゃなかったらしい……」



「それで、なぜ追い出したんだい」

「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。

僕らあ煽動(せんどう)されたんだね、つまり。今でも覚えているが、

夜(よ)る十五六人で隊を組んで道也先生の家(うち)の前へ行ってワーって

吶喊(とっかん:大声で叫ぶ)して二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」



「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似をするんだい」

「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。

おそらく吾々(われわれ)の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」



「気楽だね」

「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動(せんどう)した教師ばかりだろう。

何でも生意気だからやれって云うのさ」



「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」

「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」



「それで道也先生どうしたい」

「辞職しちまった」



「可哀想に」

「実に気の毒な事をしたもんだ。

定めし転任先をさがす間活計(かっけい:生活の維持)に困ったろうと思ってね。

今度逢ったら大(おお)いに謝罪の意を表するつもりだ」


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心から頭を下げる
道也先生との再会

1880年代の銀座とされる写真


※「野分」 夏目漱石 六


「私は高柳周作(たかやなぎしゅうさく)と申すもので……」と丁寧に頭を下げた。



高柳君が丁寧に頭を下げた事は今まで何度もある。

しかしこの時のように快よく頭を下げた事はない。

教授の家を訪問しても、翻訳を頼まれる人に面会しても、

その他の先輩に対しても皆丁寧に頭をさげる。

せんだって中野のおやじに紹介された時などはいよいよもって丁寧に頭をさげた。

しかし頭を下げるうちにいつでも圧迫を感じている。

位地、年輩、服装、住居が睥睨(へいげい)して、頭を下げぬか、

下げぬかと催促されてやむを得ず頓首(とんしゅ:頭を地面にすりつけるように拝礼)

するのである。



道也先生に対しては全く趣(おもむき)が違う。

先生の服装は中野君の説明したごとく、自分と伯仲(はくちゅう)の間にある。

先生の書斎は座敷をかねる点において自分の室(へや)と同様である。

先生の机は白木なるの点において、丸裸なるの点において、

またもっとも無趣味に四角張ったる点において自分の机と同様である。

先生の顔は蒼(あお)い点において瘠(や)せた点において自分と同様である。

すべてこれらの諸点において、先生と弟(てい)たりがたく兄(けい)たりがたき

間柄(あいだがら)にありながら、しかも丁寧に頭を下げるのは、

逼(せ)まられて仕方なしに下げるのではない。

仕方あるにもかかわらず、こっちの好意をもって下げるのである。

同類に対する愛憐(あいれん)の念より生ずる真正の御辞儀(おじぎ)である。

世間に対する御辞儀はこの野郎がと心中に思いながらも、

公然には反比例に丁寧を極きわめたる虚偽(きょぎ)の御辞儀でありますと

断わりたいくらいに思って、高柳君は頭を下げた。



○イノベーションは内生的・自発的に生まれる|健全な経営を目指す会社

○日本を代表する繁華街 銀座ストリート


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何かしようと思えば独りぼっちになる
世の中は苦しいもの

ダンテの追放


※「野分」 夏目漱石 六


「昔から何かしようと思えば大概は一人坊っちになるものです。

そんな一人の友達をたよりにするようじゃ何も出来ません。

ことによると親類とも仲違(なかたがい)になる事が出来て来ます。

妻(さい)にまで馬鹿にされる事があります。しまいに下女までからかいます」



「私はそんなになったら、不愉快で生きていられないだろうと思います」

「それじゃ、文学者にはなれないです」

高柳君はだまって下を向いた。



「わたしも、あなたぐらいの時には、ここまでとは考えていなかった。

しかし世の中の事実は実際ここまでやって来るんです。うそじゃない。

苦しんだのは耶蘇(ヤソ⇒キリスト教)や孔子(こうし⇒儒教)ばかりで、

吾々(われわれ)文学者はその苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、

自分だけは呑気に暮して行けばいいのだなどと考えてるのは偽文学者ですよ。

そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです」



高柳君は今こそ苦しいが、もう少し立てば喬木(きょうぼく⇒高い木)にうつる

時節があるだろうと、苦しいうちに絹糸ほどな細い望みを繋(つな)いでいた。

その絹糸が半分ばかり切れて、暗い谷から上へ出るたよりは、

生きているうちは容易に来そうに思われなくなった。



「高柳さん」

「はい」

「世の中は苦しいものですよ」

「苦しいです」

「知ってますか」と道也先生は淋(さび)し気に笑った。



○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー

○肉体は滅んでも霊魂の救済を信じて|ベアタ・ベアトリクス


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公衆がスキャンダルを好む理由
隠れた自己の醜さを見せてくれるから

「Le Verrou」(1780) Jean Honore Fragonard
「閂(かんぬき)」 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館


※「侏儒の言葉」 芥川龍之介  「醜聞」


公衆は醜聞(しゅうぶん⇒スキャンダル)を愛するものである。

白蓮事件(びゃくれんじけん)、有島事件、武者小路事件――

公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。

ではなぜ公衆は醜聞を――

殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう?

グルモンはこれに答えている。――



「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。」



グルモンの答は中(あた)っている。が、必ずしもそればかりではない。

醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に

彼等の怯懦(きょうだ⇒臆病でいくじのないこと)を弁解する

好個(こうこ⇒適当な)の武器を見出すのである。

同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。



「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」

「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」

「わたしは武者小路氏ほど……」――



公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。


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最もわがままなる善人
愛は天地万有を吸収して生命を与える

ミロのヴィーナス (Venus de Milo) ルーヴル美術館


※「野分」 夏目漱石 七


白き蝶の、白き花に、
小ちさき蝶の、小き花に、
     みだるるよ、みだるるよ。

長き憂うれいは、長き髪に、
暗き憂は、暗き髪に、
     みだるるよ、みだるるよ。

いたずらに、吹くは野分(のわき)の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
     みだるるよ、みだるるよ。


と女はうたい了(おわ)る。銀椀(ぎんわん)に珠(たま)を盛りて、

白魚(しらうお)の指に揺うごかしたらば、こんな声がでようと、男は聴きとれていた。





愛は迷(まよい)である。また悟(さと)りである。

愛は天地万有(てんちばんゆう:この世に存在する全て)をその中(うち)に吸収して

刻下(こっか⇒正に今)に異様の生命を与える。故(ゆえ)に迷である。

愛の眼(まなこ)を放つとき、大千世界(だいせんせかい)はことごとく黄金である。

愛の心に映る宇宙は深き情(なさ)けの宇宙である。故に愛は悟りである。

しかして愛の空気を呼吸するものは迷とも悟とも知らぬ。

ただおのずから人を引きまた人に引かるる。

自然は真空を忌(い)み愛は孤立(こりつ)を嫌う。



「わたし、本当に御気の毒だと思いますわ。

わたしが、そんなになったら、どうしようと思うと」



愛は己(おのれ)に対して深刻なる同情を有している。

ただあまりに深刻なるが故に、享楽の満足ある場合に限りて、

自己を貫(つらぬ)き出でて、人の身の上にもまた普通以上の同情を寄せる事ができる。

あまりに深刻なるが故に失恋の場合において、自己を貫き出でて、

人の身の上にもまた普通以上の怨恨(えんこん)を寄せる事が出来る。



愛に成功するものは必ず自己を善人と思う。

愛に失敗するものもまた必ず自己を善人と思う。

成敗(せいばい)に論なく、愛は一直線である。ただ愛の尺度をもって万事を律する。



成功せる愛は同情を乗せて走る馬車馬である。

失敗せる愛は怨恨を乗せて走る馬車馬である。

愛はもっともわがままなるものである。

もっともわがままなる善人が二人、美くしく飾りたる室(しつ)に、深刻なる遊戯を演じている。

室外の天下は蕭寥(しょうりょう⇒ひっそりとしてもの寂しい)たる秋である。



天下の秋は幾多の道也(どうや)先生を苦しめつつある。

幾多の高柳君を淋しがらせつつある。

しかして二人はあくまでも善人である。



○プリマヴェーラ 春の訪れ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」

○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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人のためにする天地 ・ 己れのためにする天地
道也先生と高柳の違い

「晩鐘」(1857-1859) ジャン=フランソワ・ミレー オルセー美術館


※「野分」 夏目漱石 八


秋は次第に行く。虫の音(ね)はようやく細(ほそ)る。

筆硯(ひっけん⇒ふでとすずり⇒文章を書くこと)に命を籠(こ)むる道也先生は、

ただ人生の一大事因縁に着(ちゃく)して、他(た)を顧(かえり)みるの暇(いとま)

なきが故(ゆえ)に、暮るる秋の寒きを知らず、虫の音の細るを知らず、

世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢(あか)のたまるを知らず、

蛸寺(たこでら)の柿の落ちた事は無論知らぬ。



動くべき社会をわが力にて動かすが道也先生の天職である。

高く、偉(おお)いなる、公(おおやけ)なる、あるものの方(かた)に

一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生はその他を知らぬ。



高柳君はそうは行ゆかぬ。道也先生の何事をも知らざるに反して、彼は何事をも知る。

往来の人の眼つきも知る。肌寒(はださむ)く吹く風の鋭どきも知る。

かすれて渡る雁(かり)の数も知る。美くしき女も知る。黄金の貴(たっと)きも知る。

木屑(きくず)のごとく取り扱わるる吾身(わがみ)のはかなくて、

浮世の苦しみの骨に食い入る夕々(ゆうべゆうべ)を知る。

下宿の菜(さい⇒食事・おかず)の憐れにして芋(いも)ばかりなるはもとより知る。



知り過ぎたるが君の癖にして、この癖を増長せしめたるが君の病である。

天下に、人間は殺しても殺し切れぬほどある。

しかしこの病を癒なおしてくれるものは一人もない。

この病を癒してくれぬ以上は何千万人いるも、おらぬと同様である。

彼は一人坊(ひとりぼ)っちになった。

己に足りて人に待つ事なき呑気(のんき)な一人坊っちではない。

同情に餓え、人間に渇(かつ)してやるせなき一人坊っちである。

中野君は病気と云う、われも病気と思う。

しかし自分を一人坊っちの病気にしたものは世間である。

自分を一人坊っちの病気にした世間は危篤(きとく)なる病人を眼前に

控えて嘯(うそぶ)いている。世間は自分を病気にしたばかりでは満足せぬ。

半死の病人を殺さねばやまぬ。高柳君は世間を呪(のろ)わざるを得ぬ。



道也先生から見た天地は人のためにする天地である。

高柳君から見た天地は己れのためにする天地である。

人のためにする天地であるから、世話をしてくれ手がなくても恨みとは思わぬ。

己れのためにする天地であるから、己れをかまってくれぬ世を残酷と思う。

世話をするために生れた人と、世話をされに生れた人とはこれほど違う。

人を指導するものと、人にたよるものとはこれほど違う。

同じく一人坊っちでありながらこれほど違う。



高柳君にはこの違いがわからぬ。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む|世界の本質


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弱い者には耐えられない
自由



※「侏儒の言葉」 芥川龍之介 「自由」


誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。

実は誰も肚(はら)の底では少しも自由を求めていない。

その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇(ちゅうちょ)しない

無頼漢(ぶらいかん⇒ならず者)さえ、

金甌無欠(きんおうむけつ⇒完全で欠点がない)の国家の為に

某某(なにがし)を殺したと言っているではないか?

しかし自由とは我我(われわれ)の行為に何の拘束もないことであり、

即ち神だの道徳だの或は又社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである。



  又

自由は山巓(さんてん⇒山の頂上)の空気に似ている。

どちらも弱い者には堪えることは出来ない。


  又

まことに自由を眺めることは直ちに神々の顔を見ることである。


  又

自由主義、自由恋愛、自由貿易、――

どの「自由」も生憎(あいにく)杯の中に多量の水を混じている。しかも大抵はたまり水を。



○自由・平等・博愛の象徴 マリアンヌ


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道也先生の演説
多様な世界

「The Great Dictator」 1940 Charles Chaplin
チャールズ・チャップリンの映画「独裁者」 演説シーン


※「野分」 夏目漱石 十一


「社会上の地位は何できまると云えば――いろいろある。

第一カルチュアーできまる場合もある。

第二門閥(もんばつ)できまる場合もある。

第三には芸能できまる場合もある。

最後に金できまる場合もある。しかしてこれはもっとも多い。



かようにいろいろの標準があるのを混同して、金で相場がきまった男を

学問で相場がきまった男と相互に通用し得るように考えている。

ほとんど盲目(めくら)同然である」


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肺病を患った高柳
世の中を不愉快にする人間

「Christ's Descent into Hell」 Hieronymus Bosch MET


※「野分」 夏目漱石 十二


高柳君は演説を聞いて帰ってから、とうとう喀血(かっけつ)してしまった。



中野君は大島紬(おおしまつむぎ)の袂(たもと)から魯西亜皮(ロシアがわ)

の巻莨入(まきたばこいれ)を出しかけたが、

「うん、煙草を飲んじゃ、わるかったね」とまた袂のなかへ落す。

「なに構わない。どうせ煙草ぐらいで癒(なお)りゃしないんだから」と憮然(ぶぜん)としている。



「そうでないよ。初(はじめ)が肝心だ。今のうち養生しないといけない。

昨日医者へ行って聞いて見たが、なに心配するほどの事もない。来たかい医者は」

「今朝来た。暖(あった)かにしていろと云った」

「うん。暖かにしているがいい。この室(へや)は少し寒いねえ」と

中野君は侘(わ)びし気に四方(あたり)を見廻した。

「あの障子なんか、宿の下女にでも張らしたらよかろう。風が這入(はい)って寒いだろう」

「障子だけ張ったって……」

「転地でもしたらどうだい」

「医者もそう云うんだが」

「それじゃ、行くがいい。今朝そう云ったのかね」

「うん」

「それから君は何と答えた」

「何と答えるったって、別に答えようもないから……」

「行けばいいじゃないか」

「行けばいいだろうが、ただはいかれない」




「それは心配する事はない。僕がどうかする」

高柳君は潤(うるおい)のない眼を膝から移して、中野君の幸福な顔を見た。

この顔しだいで返答はきまる。

「僕がどうかするよ。何だって、そんな眼をして見るんだ」

高柳君は自分の心が自分の両眼(りょうがん)から、

外を覗(のぞ)いていたのだなと急に気がついた。

「君に金を借りるのか」

「借りないでもいいさ……」

「貰うのか」

「どうでもいいさ。そんな事を気に掛ける必要はない」

「借りるのはいやだ」

「じゃ借りなくってもいいさ」

「しかし貰う訳には行かない」

「六(む)ずかしい男だね。何だってそんなにやかましくいうのだい。

病気の時に友達が世話をするのは、誰から云ったっておかしくはないはずだ」

「そりゃ世話をする方から云えばそうだろう」

「じゃ君は何か僕に対して不平な事でもあるのかい」

「不平はないさありがたいと思ってるくらいだ」

「それじゃ心快(こころよ)く僕の云う事を聞いてくれてもよかろう。

自分で不愉快の眼鏡を掛けて世の中を見て、

見られる僕らまでを不愉快にする必要はないじゃないか」



高柳君はしばらく返事をしない。

なるほど自分は世の中を不愉快にするために生きてるのかも知れない。

どこへ出ても好かれた事がない。

どうせ死ぬのだから、なまじい人の情(なさけ)を恩に着るのはかえって心苦しい。

世の中を不愉快にするくらいな人間ならば、中野一人を愉快にしてやったって五十歩百歩だ。

世の中を不愉快にするくらいな人間なら、また一日も早く死ぬ方がましである。



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」

○世界の美術が凝縮されたメトロポリタン美術館


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高く、おおいなる、あるものの方へ
一歩なりとも動かす

逗子海岸からみた相模湾の眺望(富士山と江の島)


※「野分」 夏目漱石 十二


「あの小説か。君の一代の傑作か。いよいよ完成するつもりなのかい」

「病気になると、なおやりたくなる。

今まではひまになったらと思っていたが、もうそれまで待っちゃいられない。

死ぬ前に是非書き上げないと気が済まない」

「死ぬ前は過激な言葉だ。書くのは賛成だが、あまり凝るとかえって身体がわるくなる」

「わるくなっても書けりゃいいが、書けないから残念でたまらない。

昨夜(ゆうべ)は続きを三十枚かいた夢を見た」

「よっぽど書きたいのだと見えるね」

「書きたいさ。これでも書かなくっちゃ何のために生れて来たのかわからない。

それが書けないときまった以上は穀潰(ごくつぶ)し同然ださ。

だから君の厄介にまでなって、転地するがものはないんだ」

「それで転地するのがいやなのか」

「まあ、そうさ」



「そうか、それじゃ分った。うん、そう云うつもりなのか」

と中野君はしばらく考えていたが、やがて

「それじゃ、君は無意味に人の世話になるのが厭(いや)なんだろうから、

そこのところを有意味にしようじゃないか」と云う。

「どうするんだ」

「君の目下の目的は、かねて腹案のある述作を完成しようと云うのだろう。

だからそれを条件にして僕が転地の費用を担任しようじゃないか。

逗子でも鎌倉でも、熱海でも君の好すきな所へ往いって、呑気に養生する。

ただ人の金を使って呑気に養生するだけでは心が済まない。

だから療養かたがた気が向いた時に続きをかくさ。

そうして身体からだがよくなって、作(さく)が出来上ったら帰ってくる。

僕は費用を担任した代り君に一大傑作を世間へ出して貰う。

どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望のぞみも叶かなう。一挙両得じゃないか」



高柳君は膝頭(ひざがしら)を見詰めて考えていた。

「僕が君の所へ、僕の作を持って行けば、僕の君に対する責任は済む訳なんだね」

「そうさ。同時に君が天下に対する責任の一分(いちぶ)が済むようになるのさ」

「じゃ、金を貰おう。貰いっ放しに死んでしまうかも知れないが――

いいや、まあ、死ぬまで書いて見よう――死ぬまで書いたら書けない事もなかろう」



「死ぬまでかいちゃ大変だ。暖かい相州辺へ行って気を楽にして、

時々一頁二頁ずつ書く――僕の条件に期限はないんだぜ、君」

「うん、よしきっと書いて持って行く。君の金を使って茫然としていちゃ済まない」



「そんな済むの済まないのと考えてちゃいけない」

「うん、よし分った。ともかくも転地しよう。明日から行こう」

「だいぶ早いな。早い方がいいだろう。いくら早くっても構わない。

用意はちゃんと出来てるんだから」と懐中から七子(ななこ)の

三折(みつおれ)の紙入を出して、中から一束の紙幣をつかみ出す。

「ここに百円ある。あとはまた送る。これだけあったら当分はいいだろう」

「そんなにいるものか」

「なにこれだけ持って行くがいい。実はこれは妻(さい)の発議(ほつぎ)だよ。

妻の好意だと思って持って行ってくれたまえ」



○ひらり舞う蝶を追いかけ白い帆を揚げて|生きる上での自然の営み 「夢」

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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人のためにする天地
より偉大なる人格を懐にして



※「野分」 夏目漱石 十二


利子だけ取って元金は春まで猶予(ゆうよ)してくれませんか」

「利子は今まででも滞(とどこお)りなくちょうだいしておりますから、

利子さえ取れれば好(い)い金なら、いつまででも御用立てて置きたいのですが……」

「そうはいかんでしょうか」

「せっかくの御頼(おたのみ)だから、出来れば、そうしたいのですが……」

「いけませんか」

「どうもまことに御気の毒で……」

「どうしても、いかんですか」

「どうあっても百円だけ拵(こしら)えていただかなくっちゃならんので」

「今夜中にですか」

「ええ、まあ、そうですな。昨日が期限でしたね」



(中略)



「先生」

「何ですか」

「この原稿を百円で私に譲って下さい」

「その原稿?……」

「安過ぎるでしょう。何万円だって安過ぎるのは知っています。

しかし私は先生の弟子だから百円に負けて譲って下さい」

道也先生は茫然(ぼうぜん)として青年の顔を見守っている。

「是非譲って下さい。――金はあるんです。――ちゃんとここに持っています。

――百円ちゃんとあります」

高柳君は懐(ふところ)から受取ったままの金包を取り出して、二人の間に置いた。

「君、そんな金を僕が君から……」と道也先生は押し返そうとする。

「いいえ、いいんです。好(い)いから取って下さい。

――いや間違ったんです。是非この原稿を譲って下さい。

――先生私はあなたの、弟子です。

――越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です。

――だから譲って下さい」




愕然(がくぜん)たる道也先生を残して、高柳君は暗き夜の中に紛(まぎ)れ去った。

彼は自己を代表すべき作物(さくぶつ)を転地先よりもたらし帰る代りに、

より偉大なる人格論を懐(ふところ)にして、これをわが友中野君に致(いた)し、

中野君とその細君の好意に酬(むく)いんとするのである。



○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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参  考  情  報


○夏目漱石 野分 - 青空文庫

○夏目漱石 二百十日 - 青空文庫

○夏目漱石 思い出す事など - 青空文庫
 明治43年の盛夏、漱石は保養先の修善寺で胃潰瘍の悪化から血を吐いて
 人事不省(じんじふせい⇒昏睡状態)に陥った。辛くも生還しえた悦びをかみ
 しめつつこの大患前後の体験と思索を記録した作。

○芥川龍之介 侏儒の言葉 - 青空文庫

○芥川龍之介 歯車 - 青空文庫

○國學院大學デジタル・ミュージアム

○新宮市立佐藤春夫記念館|和歌山県新宮市

○江戸東京たてもの園

○三井広報委員会

○山手線が渡る橋・くぐる橋

○NHK みんなのうた

○無料の写真 - Pixabay

○フリー百科辞典Wikipedia

○二百十日・野分 夏目漱石 新潮文庫 2004

○思い出す事など 私の個人主義 硝子戸の中 夏目漱石 講談社文芸文庫 2016

○下谷万年町物語 唐十郎 中公文庫 1983

○戯曲「民衆の敵(En Folkefiende)」 ヘンリック・イプセン 1882年

○存在と時間 ハイデガー, 熊野純彦(訳) 岩波文庫 2013

○ハイデガー「存在と時間」入門 渡邊二郎, 岡本宏正, 寺邑昭信,
 三冨明, 細川亮一 講談社学術文庫 2011

○ハイデガー哲学入門−「存在と時間」を読む 仲正昌樹 講談社現代新書 2015

○和歌・短歌を楽しむ 2017.07
 講演者 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授・日本学士院会員)
 聞き手 渡部泰明 先生 (東京大学文学部教授・国文学)
 司 会 古井戸秀夫 先生 (東京大学文学部特任教授)
○会場 東京大学本郷キャンパス 文学部法文2号館2階 1番大教室
○集英社高度教養寄付講座 第10回講演会


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