財政健全化への取組み 失われた25年から学んだこと |
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| ワニの口 | 日本の財政 | 家計にたとえたら | 国際比較 | 財政赤字の原因 | 社会保障費の増加 | | 医療負担 | 国債残高 | マイナス金利 | 世代ごとの受益と負担 | バブル崩壊 | 元代表の転落人生 | | バブル崩壊から学んだ教訓 | ハプルの定義 | 歴史に学ぶ | 戦争からの再建 | 心配からの解放 | | 憂世から浮世へ | 朝鮮特需 | 翻弄される朝鮮半島 | 売り手市場 | 個を消して集団として支えた世代 | | 執着性格 | 優雅で甘美な時代 | バブル期 | 高度成長期を歩んだ人々 | 己を知る | | 失われた25年から学んだこと | 人間の奥底に潜むすさまじい情念 | 財政健全化への取組み | 参考情報 | |
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歳出と歳入の差が広がる ワニの口 |
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折れ線グラフで、日本の一般会計における歳出と歳入の推移をみると、 平成2年頃までは歳出に対する歳入の割合は約87%で、 歳出をほぼ歳入で賄えていたそうです。 しかし平成2年のバブル崩壊以来、両者の差は開き、 大きく開いたワニの口のようになっています。 今や国の歳出80兆円に対して、税収は40兆円しかなく、 債務残高は500兆円を超えているといいます。 ※一般会計における歳出・歳入の状況|財務省 ※国の収入のことを歳入(さいにゅう)、国の支出は歳出(さいしゅつ)と呼ばれる |
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大赤字となっている 日本の財政 |
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財務省 | |||
税金の使い道を見てみると、一般会計歳出のうち、 医療や年金、介護、生活保護などに使われる社会保障関係費が約3割を占め、 これに、国債費、地方交付税交付金等を合わせると、全体の7割を超えるそう。 一方、歳入面を見ると、私たちが納める税金は必要な予算の半分程度で、 4割を借金(公債金収入)でまかなっているそうです。 ○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張 ○国民負担の軽減につながる沖縄基地の縮小 |
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日本の財政を家計にたとえたら 既に破綻 |
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日本の財政を月収30万円の家計に例えると、収入だけでは生活が成り立たず、 毎月23万円の借金をして、なんとか暮らしている状態だといいます。 実際には、こんな状態でお金を貸してくれるところなどあるはずもなく、 他者を欺くか、夜逃げか、自己破産せざる得ない状態です。 |
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主要先進国に比べて厳しい状況にある 日本 |
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緊縮財政の反対デモ ギリシャ・アテネ 2011年3月29日 | |||
※債務残高の国際比較(対GDP比) OECD「Economic Outlook98」(2015年11月) @日本 232.4% Aギリシャ 200.0% Bイタリア 159.9% Cフランス 121.3% Dイギリス 115.5% Eアメリカ 111.4% Fカナダ 94.8% Gドイツ 75.0% 日本の総債務残高(対国内総生産(GDP)比)は、 主要先進国の中で最悪の水準にあるそうです。 ○地中海の風に誘われて宝石のような街並みへ ○周囲から影響を受け、周囲に影響を与えてきたイギリス ○America’s Passion フットボール |
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財政赤字が増加する理由 景気低迷と社会保障費の増大 |
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国の財政は、歳出が税収等を上回る財政赤字の状況が続いています。 歳出と税収等の差額を借金で埋め合わせた結果、 普通国債残高は年々増加し、 平成27(2015)年度末で807兆円程度に上る見込みです。 また、普通国債残高は、税収がピークを迎えた平成2(1990)年度 以降約24年間で約603兆円と大幅に増加しています。 これは、景気低迷による税収の減少や景気対策等の減税により 歳入は減少した一方で、公共事業をはじめとした景気対策や 高齢化等による社会保障関係費の増大等により歳出が伸び続けたことによります。 ※国の借金の現状は? 日本の財政を考える|財務省 |
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歳出の中で大きな割合を占める 社会保障費 |
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年々増加している社会保障関連費。 平成27年度(2015年度)予算における社会保障関係費は31 兆5,297 億円であり、 一般会計歳出(96 兆3,420 億円)の32.7%を占めるといいます。 前年度の当初予算と比較すると1兆30 億円(+3.3%)の増額となり、 2年連続で30兆円を超え過去最大規模なのだそう。 社会保障関係費の内訳は、年金11 兆1,116 億円(対前年度比+3.1%)、 医療9兆3,680 億円(対前年度比+2.3%)、 介護2兆6,311 億円(対前年度比+0.4%)などとなっています。 ※平成27 年度(2015 年度)社会保障関係予算 社会保障に対する信頼と制度の持続可能性 厚生労働委員会調査室 |
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高齢になると実感する 医療負担のありがたみ |
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厚生労働省が発表している「1人当たり医療費を年齢階級別」によると、 医療費は年齢とともに高くなり、 70歳代までは外来(入院外+調剤)の割合が高いが、 80歳代になると入院(入院+食事療養)の割合が高くなるそうです。 若いうちは病気にかかる可能性は低い一方、保険料負担は大きく、 歳を重ねると共に病気にかかる可能性が高まり、 収入が減っていく頃には保険料負担も小さくなるそうです。 60歳を過ぎはじめると頻繁に病院にかかるケースも増え、 そういう人たちは医療負担のありがたみを肌で感じているといいます。 ※厚生労働省「年齢階級別1人当たり医療費(平成25年度)」 ほかより ○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む |
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主要先進国に比べて低い水準にある 国民負担率 |
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国民負担率の国際比較 財務省 | |||
2013年度、日本国民の社会保障負担率は17.3%、租税負担率は22.7%であり、 合計した国民負担率は40.0%だったそうです。 これに対してアメリカの国民負担率は30.9%(2010年)、 イギリス 47.3%、ドイツ 50.5%、フランス 60.0%、スウェーデン 58.9%であり、 日本の国民負担率は、主要先進国と比べると低い水準にあるといいます。 一般に、スウェーデン(北欧三国・ヨーロッパ諸国)は高い租税・充実した福祉といわれ、 アメリカは低租税・低福祉、 日本は低租税・中福祉ということになるそうです。 ○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ |
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将来世代に大きな負担を残す 国債残高 |
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国債ポスター 財務省 | |||
社会保障関連費とともに大きな負担になっている国債費。 国債費には、国が借りたお金である国債額面の償還のほか、 利払い費、利子の支払いに必要な経費、事務取引費などから成るそうです。 日本の国際残高は年々増加の一途を辿り、 平成28年度末(2016年3月)の公債残高は838兆円にのぼると見込まれ、 これは税収の約15年分に相当するそう。 国際残高838兆円を国民1人当たりにすると約664万円。 4人家族だと約2,656万円となり、将来世代に大きな負担を残すことになるといいます。 |
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史上初の 国債マイナス金利 |
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10年国債の金利推移 国債金利情報(財務省)より デイリーのデータから毎年2月末時点を抜粋し作成 |
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日本銀行のマイナス金利政策を受け、2016年2月9日、 長期金利の代表的な指標になっている10年国債の利回りは一時、 マイナス0.035%まで低下しました。 長期金利がマイナスとなるのは国内では初めてだそうです。 これは、100万円の国債を購入すると350円の利子を支払うことになり、 国は借金をすればするほど利息を貰わざる得ない状況のようです。 |
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高齢者ほど受益が高い 世代ごとの受益と負担の構造 |
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世代ごとの生涯を通じた受益と負担 内閣府「平成17年度(2005) 年次経済財政報告」 |
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生涯を通じた公的サービスの受益と負担の関係を世代ごとにみると、 現行制度をそのまま続けた場合、少子・高齢化や負担の先送りにより、 若い世代ほど負担超過が大きくなると推計されています。 資料は、2005年(平成17年)に発表された社会保障関係などによる受益と、 税金などによる負担の差(生涯純受益)を年代別にみた資料。 60歳以上(1943年以前生まれ⇒2015年現在70歳以上)は、 負担より受益の方が上回り、生涯純受益は+4,875万円。 50歳代(1944年〜53年生まれ⇒現在60歳代)は+1,598万円。 40歳代(1954年〜63年生まれ⇒現在50歳代)は負担が上回り−28万円。 30歳代(1964年〜73年生まれ⇒現在40歳代)は−1,202万円。 20歳代(1974年〜83年生まれ⇒現在30歳代)は−1,660万円。 それ以降の将来世代(1984年生まれ〜)は−4,585万円と推計されています。 上記の「現在」は2015年、金額は記載より増加傾向にあるといわれます。 |
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私たちはどこで酔い、間違い、傷み、懲りたのか 景気低迷の始まり バブル崩壊 |
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1997年 経営破綻した山一証券の本社があったビル 東京都中央区新川 |
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1980年代後半の日本で、株価、地価など資産価格の大幅な上昇が始まった。 本来の価格はその資産を利用することで生まれてくる収益などを基に 決まるものだが、この時はそうした実力からかけ離れた異常な伸びを示した。 この時期を「バブル景気」(86年12月〜91年2月、51カ月)という。 日経平均株価は89年の大納会で3万8915円の史上最高値をつけた。 東京圏のマンションの価格はサラリーマンの世帯年収の8倍にまで高騰した。 三菱地所による米ニューヨークのロックフェラーセンター買収など、 海外の資産・企業を次々に買いあさるジャパンマネーに世界が注目した。 高級車が飛ぶように売れる「シーマ現象」。 ゴルフ、スキー場と行楽地は人であふれ、リゾート開発が進む。 若者たちは東京・麻布十番のマハラジャなど高級ディスコで夜通し遊んだ。 好景気はどこまでも続くという思い込みや、 「世界一の経済大国になった」というユーフォリア(陶酔感)が国全体を覆っていた。 だが、90年以降、年明けにまず株、その後地価も下落に転じる。 「バブル」ははじけ、しぼみ始めた。 借金をして買った土地は売れなくなり、金融機関は巨額の不良債権を抱え、 日本は「失われた20年」の長期停滞に陥っていく。 90年3月27日、大蔵省(現 財務省)が金融機関に不動産融資の総量規制を通達した。 行き過ぎた不動産取引を抑え込む狙いだったが、 これが地価バブルを崩壊させるきっかけとなり、 その後の日本に想定を超える深刻な打撃を与えることになった。 あれから25年。 私たちはどこで酔い、間違い、傷み、懲りたのか。 ※戦後70年:Since1945 第4回 「バブル経済」 - 毎日新聞 |
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ツカサグループ元代表の 転落人生 |
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ツカサのウィークリーマンションのCM 1980年代 | |||
1980年代、CMでお馴染みだったツカサグループ元代表の川又三智彦 氏。 バブル期には銀行の頭取など幹部から料亭などで接待を受け、 「お金を借りて下さい」と持ち掛けられたといい、 借りたお金で購入した9億円のマンションは、 1年半後には18億円の評価額になったそうです。 当時は、建てれば建てるほど不動産価値が高騰したため、 銀行は次々とツカサグループにお金を貸したといい、 借りた銀行はノンバンク(銀行以外の金融機関⇒住専・リース会社など) も含め55行にのぼったといいます。 銀行側はうちが支援しているのだから大丈夫だと言い、 川又氏も有頂天になっていたと振り返っています。 しかし、1990年3月27日、高騰する不動産価格を抑えるため、 大蔵省(現 財務省)が銀行に対して、 不動産会社への貸し出しを規制する総量規制を通達したことによって、 一夜にして1000億円の富豪から負債1500億円になったそうです。 これにより銀行の態度は一変。 これまでツカサグループを担当していた銀行の担当者は全ていなくなり、 代わりの担当者となった途端、「いつ返すんだ」「どうしてこんなに借りたんだ」 と攻め立てられたそうです。 その後、会社790億円、個人830億円の借金を抱えたまま裁判所に自己破産を申請。 破産管財人からは、このぐらいの規模になると逮捕もありえると言われたそうですが、 刑務所に入って借金が無くなるのならと思い、腹を決めたそうです(結果逮捕されず)。 債権者会議に集まった債権者の数は多くなく、会議は4回で終了したそうです。 それはバブル崩壊後の銀行再編によって、借りた銀行がなくなっていること、 銀行も不良債権の対策をとっていたことが挙げられるそうです。 川又氏は、結局、この破産で一番被害を被ったのは、 銀行ではなく、銀行に預金していた人々だったと述べています。 ※横浜商工会議所 青年交流会 第2回会員交流プラザ 2016.10 ・第1部講演会 しくじり先生 俺みたいになるな!! ツカサグループ元代表 川又三智彦 先生 ・第2部交流会 ゲスト お笑いタレント 長井秀和 氏 ・ 猫ひろし 氏 ・会場 横浜クルーズ・クルーズ |
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ツカサグループ元代表が バブル崩壊から学んだ教訓 |
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金融機能の再生及び健全化を行うための銀行・債権回収会社 整理回収機構(RCC)が入るビル 丸の内 |
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○過ぎ去ってから本を読みんでみれば、バブル崩壊は予想されていた ※金融恐慌が日本を襲う―いつ、何が引き金で、どんな事態が起こるか? 名東孝二(著) 主婦と生活社 1987 ○「総量規制」は事前に把握できた ○土地や建物に価値があった訳でなく、情報に価値があった ○お金を借りる相手を間違えないこと ○約20年にも及ぶつらい時期、華やかな時は一瞬であった ○塞ぎ込んでいても借金は減らない、考え方はいつもプラスに ○本を読むべし、行動すべし ○とにかく食べて、寝る ○どん底は自分を磨く最良の時期、その人の人間力が一番つく時 ○時間を見方と考える ※横浜商工会議所 青年交流会 第2回会員交流プラザ 2016.10 ・第1部講演会 しくじり先生 俺みたいになるな!! ツカサグループ元代表 川又三智彦 先生 ・第2部交流会 ゲスト お笑いタレント 長井秀和 氏 ・ 猫ひろし 氏 ・会場 横浜クルーズ・クルーズ |
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他人の成功への妬み・ギャンブルの興奮 バブルの定義 |
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「トランプ詐欺師」 カラヴァッジョ 1594年頃 キンベル美術館 右側の男は背後にカードを持って、今まさにいかさまをしようとしている場面 |
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バブル(Bubble)は、日本語では「泡沫(ほうまつ)」と訳され、水面にできる泡のこと。 文学では、泡沫(ほうまつ)は「うたかた」とも読まれ、 命や夢、恋など、はかなく消えやすいもののたとえとして用いられます。 経済における「バブル」は、 資産価格がその適正水準を超えて上昇し続ける状況を指し、 2013年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー教授は以下のように定義します。 価格上昇の正当化を試しみる所説が蔓延し、 ますます多くの投資家が、投資の真の価格に疑問を持ちつつも、 他人の成功への妬みや ギャンブルの興奮によって市場に引き寄せられていく過程の中で、 価格上昇が投資家の熱狂をさらに刺激し、 それが人から人へと伝染していく状況を指す。 ※株価バブルのメカニズム バブルの早期発見と対応策を考える 2016.11 鈴木雅貴 先生 横浜国立大学大学院 国際社会科学研究院 准教授 YNUコミュニティカレッジ YY講座 多角的リスクのマネジメント |
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ハプルの弊害に対する認識不足 真摯に歴史に学ぶ態度 |
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銀行の看板 | |||
日本にバブルをもたらした初期要因は、日本銀行による金融緩和を背景とし、 金融機関の不動産を担保とした積極的な貸付などにあったとされ、 その後、複合的な要因が重なり合うことによって、化学反応のように、 発生・拡大していったといいます。 当時の日本は、「世界最大の債権大国」、「日本経営の成功」、「JAPAN AS 1」 などという言葉に象徴され、日本全体が自信に包まれ、 陶酔的熱狂であるユーフォリアの中にいたよう。 ある経営者は私(WEB管理者)に、 「当時は借りたお金を返さなくて良いと思っていた」と語ったことが印象的です。 しかし、バブル崩壊後の日本経済は、資産価格の大幅な下落と 消費者物価のデフレ基調が続き、長期にわたり実質経済成長は停滞。 金融機関の不良債権は累積的に増加した結果、 銀行等の破綻処理は驚くことに182件にのぼっています。 日本銀行は消費者物価指数 前年比2%増を掲げていますが、 なかなか実現せず、バブル崩壊から25年を経ても未だに脱却できないよう。 そこには、ハプルの弊害に対する認識不足があったとされ、 私たちは、真摯に歴史に学ぶ態度が大切なようです。 〜「ハプル崩壊の影響は、発生・拡大時の影響に比べ、非対称的に大きい」〜 (⇒浮かれたツケは、浮かれた以上に大きい) ※バブルと金融危機 2016.11 高橋正彦 先生 横浜国立大学大学院 国際社会科学研究院 教授・元日本銀行 YNUコミュニティカレッジ YY講座 多角的リスクのマネジメント |
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バブル崩壊に至るまでの経緯を辿る 苦しみと悲しみからの再建 |
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東京大空襲によって焼け野原となった街並み 石川光陽 撮影 |
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昭和20年(1945)8月15日、終戦を迎えた太平洋戦争。 戦争で亡くなった軍人は約230万人といわれ、 これに民間人80万人を加えると310万人になるといわれます。 道路や建物など国資産の被害は全体の25%にのぼり、 終戦時の価格で653億円の規模だったといい、 戦災で失った住居家屋は220万戸だったそう。 明治以後拡大した領土は失われ、ここに海外からの復員者・引揚者 約600万人を受け入れての再建が始まったそうです。 ※(昭和22年1月) 国内資料第三号(戦争被害調査資料1) 今次戦争による国富被害算定方法|内閣府 国富調査 ※戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争 230万人はどのように戦死したか? - 毎日新聞 ※大林組百年史 第1章 戦後の復興と新時代 ○沖縄にとっての終戦日 6月23日 |
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戦争の心配からの解放 団塊世代の誕生 |
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憧れのハワイ航路 岡晴夫・美空ひばり | |||
終戦から3年が経った1948年(昭和23年)。 岡晴夫が歌った「憧れのハワイ航路」が人気を博し、 後に岡晴夫・美空ひばりの出演で映画化されたそうです。 ハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まったのは、 この時から7年前の1941年(昭和16年)。 ハワイに対する捉え方はだいぶ変わったようです。 そんな頃に生まれた団塊の世代。 戦前・戦中は、生活の困難さや命の危険から出産を見送る傾向があったといわれ、 戦争の心配から解放された1947(昭和22)から49(昭和24)年の3年間にかけて、 毎年260万人以上の出産があったそうです。 ○潮風が駆け抜ける楽園 ハワイ・オアフ島 |
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憂世から浮世へ 現世を肯定した享楽的世間観 |
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好色一代男 巻八 井原西鶴 60歳になった世之介が女御(にょご)の島を目指して船出する最終場面 |
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「うきよ」は、中世までは苦しい世・無常の世である「憂世(うきよ)」を 意味したそうですが、江戸時代に入ると、 はかない世であるならば浮かれて暮らそうという現世を肯定した 享楽的世間観である「浮世(うきよ)」に変わっていったといいます。 浮世草子(うきよぞうし⇒享楽的世間観をテーマにした読物ジャンル) の最初といわれる井原西鶴の「好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)」は、 町人と遊女の間に生まれた世之介(よのすけ)の好色遍歴の物語。 時には巫女に手を出して処罰され、駆け落ちした人妻の死に直面し、 恨み死にした女たちの亡霊にさいなまれつつも、 懲りずに刹那的な恋を続ける世之介の生き方は滑稽に見えます。 ○風刺や失敗談など「滑稽」を表現する 狂言 ○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語 ○セクシュアリティとジェンダー 文学にみる女性観 |
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朝鮮特需に沸いた 日本 |
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朝鮮特需(Korean War Special Procurement) 米戦闘機P-51を整備する工場 |
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朝鮮戦争に伴い、在朝鮮アメリカ軍や在日アメリカ軍などから 日本には多くの物資・サービスの発注があったといいます。 ※「日本型うつ病社会」の構造 加藤諦三 PHP研究所 幸運を実力と錯覚 p65-67より引用 考えてみれば戦後の日本は、経済発展のために外的条件がよすぎた。 日本の経済成長は自力の経済力ではないと私は思っている。 第二次世界大戦後の経済成長は、1950年〜1953年に起きた 朝鮮戦争の時の、いわゆる朝鮮特需のお陰である。 朝鮮特需といわれるものがあったこらこそ十年間、 平均8.5%の成長を成し遂げられたのである。 「この調達需要は、不況下の日本産業に莫大な追加需要を もたらしたのみならず、不足していた燃料、資材、中間財を 輸入するために必要な外貨を獲得することを可能にした。 これにより使われていなかった生産能力も徐々に稼働しはじめた」 という考え方は、一般的に誰もが認めるところではないだろうか。 朝鮮戦争という悲劇による特需なのに、 私たちは経済成長を自分たちの能力と錯覚したのではないだろうか。 その思い上がりも日本人の精神の荒廃の一原因であろう。 日本の経済成長は幸運による経済成長である。 極端すぎるたとえかもしれないが、個人でいえば宝くじが当たった ようなものである。そのため、世界の中で自分の位置を間違えた。 ○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて |
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周囲に翻弄される 朝鮮半島 |
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戦車の横を歩く少女と弟 1951年 朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦) |
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1910年から1945年までの35年間にわたって朝鮮半島を統治した日本。 1945年8月15日、朝鮮は日本の植民地支配から解放されます。 1945年から50年までは解放期といわれ、朝鮮の人々は日本からの解放に 諸手をあげて喜ぶよりも、今後、どうなるともわからぬ不安を抱えていたといいます。 その後、38度線を境に社会主義・ソ連が支援する北朝鮮と 自由主義・アメリカが支援する韓国とに分割され、朝鮮戦争が勃発します。 崔仁勲(チェ・インフン)の長編「広場(1960)」は、 解放直後から朝鮮戦争時代を背景とした文学。 主人公の李明俊(イ・ミョンジュン)は戦争捕虜となりますが、 送還先として北(北朝鮮)も南(韓国)も選択することができず、 第三国に移送中の船上から大海に身を投げて自殺します。 それは、自らの運命を自ら決定する自由を手に入れる戦いでもあったようです。 ○朝鮮戦争からつくられた渡り鳥の楽園 非武装地帯(DMZ) ○朝鮮王朝の王都 韓国ソウル |
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売り手市場だった 高度経済成長期の就職活動 |
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集団就職の様子 | |||
昭和30年代(1955〜1965年)におけるわが国経済の高度成長期を通じて、 製造業においては巨額の設備投資が行なわれ、技術革新の進展とあいまって、 大量生産体制の進展、生産性の飛躍的向上が実現された。 ※昭和41年中小企業白書 中小企業庁 第2部 中小企業の動向 第2節 中小商業における構造変動の進展 都市部では労働力不足が深刻となり、 農村の中学卒業者は「金の卵」と呼ばれ集団就職が盛んに行われたそう。 関西学院大学副学長である神余隆博 先生(昭和25・1950年生)のお話では、 1968年に日本は当時の西ドイツを追い越し世界第2位の経済規模となり、 就職は売り手市場で会社廻りをして挨拶するだけで採用は決まったといい、 勉強をする気がなくなる時代でもあったと述べています。 ※これからの日本の進路とグローバル人材 2013.09.24 神余隆博 先生 (関西学院大学副学長・元日本政府国連代表部大使・前駐ドイツ大使) 神奈川県立産業技術短期大学校 |
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「個」を消して 集団として日本を支えた世代 |
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京浜工業地帯の夜景 川崎区水江町 2014.12 撮影 | |||
大規模化してゆく企業に組み入れられ専門特化していった世代は、 「個」を消して集団に貢献する一方、所得が伸びるとともに消費構造に変化が現れ、 消費の洋風化、高級化、大量生産品への需要が高まっていったそうです。 ○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来 ○未来に夢をのせて|持続可能な最幸のまち かわさき ○元気な日本を知ろう|京浜工業地帯をつなぐ鶴見線 |
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うつ病の病前性格といわれる 執着性格 |
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二宮金次郎 報徳二宮神社 小田原市 | |||
うつ病(気分障害)の病前性格の一つといわれる「執着性格」は、 一度生じた感情が長く持続することが特徴といわれます。 責任感が強い・仕事熱心・凝り性・几帳面など、 周囲からは模範的な人に見られ評価は高い一方、 義務感・焦燥感が募り始めると、疲労感・絶望感に陥りやすいそう。 戦後の経済成長は、外的条件が良かったことの他に、 「戦前の失われた経済を取り戻す」という日本人の勤勉な 執着性格的職業倫理のお陰もあり、成し遂げられたといいます。 ○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて ○城下町・宿場町として栄えた小田原 |
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優雅で甘美な時代の到来 ロココ |
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「ジェルサンの看板」 アントワーヌ・ヴァトー シャルロッテンブルク宮 「L'Enseigne de Gersaint」 1720年 Antoine Watteau |
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フランス・ロココを代表する画家、アントワーヌ・ヴァトー (Antoine Watteau, 1684年-1721年)の代表作、「ジェルサンの看板」。 左側で女性が木箱にしまっている絵画に描かれているのは、 ブルボン王朝の最盛期を築いた太陽王ルイ14世の肖像画。 ルイ14世が推し進めた戦争と圧制に苦しんだ民衆は、 太陽王が崩御した際には歓喜をあげたといいます。 後継者である曾孫ルイ15世(当時5歳)の摂政となったフィリップ(太陽王の甥)は、 規則づくめで重苦しい太陽王の時代に嫌気がさし、 軽薄で気軽で享楽的な新時代を招き入れるのに何の躊躇もなかったそう。 こうして、優雅で甘美な時代ロココが幕開けしますが、 後にルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンにかけられ、 ブルボン王朝は終焉を迎えることになります。 ※名画で読み解く ブルボン王朝12の物語 中野京子 光文社新書 2010 第6章 ヴァトー「ジェルサンの看板」 ○ロココ時代を歩んだポンパドゥール夫人 ○無知と貧困・愛と信念・誇りと尊厳 レ・ミゼラブル |
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実態とかけ離れ酔いしれた バブル期 |
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日産の高級車シーマ バブル期は飛ぶように売れたといいます |
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実態とかけ離れ好景気に酔いしれたバブル期。 1988年にデビューした日産の高級車シーマは、 高価格にも関わらず最初の1年間で4万台近くを販売し、 3ナンバーの高級車としては異例のヒット作になったといいます。 シーマを買った理由を購入者にアンケートしたところ、 「値段が高かったから」という答えが1番多かったそう。 ※バブル時代の伝説! シーマ現象って何? | GAZOO.com 私が先人者からお聴きしたバブル時代は、 「就職して親から車を買ってもらった」話や 「タクシーチケットは鷲掴み状態だった」話、 「社内接待として部門に月100万円の予算があった」話など、 驚いた記憶があります。 昨今、中国人が日本に来て爆買いをするといいますが、 当時は日本人が海外に出かけ、ブランド品を爆買いしていたといいます。 ○持続可能なモビリティ社会を目指して|日産追浜グランドライブ体験試乗 ○中国最大の経済圏 上海|開港ともに国外の影響を受けて発展してきた街 |
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高度成長期を歩み 高齢に至った人々 |
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2015年、団塊の世代は60代後半に | |||
1948年(昭和23年)に生まれた団塊の世代を基準として、 歩んだ人生と社会情勢を辿ってみます。 生まれた1948年は戦後なので、直接的には戦争の影響を受けることなく、 朝鮮特需に沸いた1950年前半に幼少期を過ごします。 物心もつく8歳となった1956年(昭和31年)は、 急速な成長をとげて戦争の傷跡は癒え、 経済白書では「もはや戦後ではない」と宣言された頃。 その後、1950年代後半から1973年まで、 日本の経済成長率は年平均8.5%といわれる高度成長期を迎え、 就職期となる13歳(中卒)から23歳(大卒)まではその真っただ中にありました。 「金の卵」として中卒・高卒の就職希望者がもてはやされ、 流行語となったのは1964年(昭和39年)の事。 バブル景気を迎えた1980年代後半から1990年代初頭は、 40歳前半にあたり、役職に就き多くの部下をもった時代。 バブル崩壊後は、一気に制度が変わった訳ではなく、 これまでの状態を維持しようと努めます。 外資企業であるコダックが1992年に日本で解雇を行った際、 周囲は批判を浴びせ、 日本企業は採用抑制と自然減(定年退職)で乗り切ろうとした結果、 若い世代は就職難に陥ります。 山一証券が破綻した1997年は49歳。 この頃から「リストラクチャリング(再構築)」という言葉が現実味を帯びてきます。 日本を象徴する企業の一つである日本航空(JAL)が経営破綻した際に、 再生タスクフォースを務めた冨山和彦 先生のお話では、 再構築を進めるにあたって、身内でのかばい合いが顕著であったと述べています。 (※冨山和彦×殿村真一 K.I.T.特別講演 2012.08 金沢工業大学 虎ノ門大学院) 2006年、58歳。 厚生年金の支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられることに伴い、 高年齢者雇用安定法が改正。 企業は65歳義務化に向けた継続雇用制度を導入します。 2008年、アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズが 破綻した時は60歳となり、定年退職の時期。 2015年、68歳を迎えられています。 ○1948年(昭和23年)生まれ、団塊世代が歩んだ人生と社会情勢 ・誕生 1948年(昭和23年) ・2〜7歳(幼少期) 1950年前半(昭和25〜30年) 朝鮮特需 ・8歳 1956年(昭和31年) 経済白書「もはや戦後ではない」 ・16〜23歳(就職期) 1964〜1971年(昭和39〜46年) 高度経済成長の真っただ中 ・40歳前半(成熟期) 1988〜1992年(昭和62〜平成3年) バブル期 ・49歳 1997年(平成9年) 山一証券 破綻 ・58歳 2006年(平成18年) 高年齢者雇用安定法改正 継続雇用制度の導入 ・60歳(退職期) 2008年(平成20年) リーマン・ブラザーズ 破綻 ・68歳 2015年(平成27年) |
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自己認識から始まる 生き方の探求 |
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徒然草絵巻 海北友雪 二十巻のうち巻一(部分) 江戸時代 17世紀後半 サントリー美術館 |
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※徒然草 第2段 兼好法師 いにしへの聖(ひじり)の御代(みよ)の政(まつりごと)をも忘れ、 民の愁(うれ)へ、国のそこなはるるをも知らず、 よろづにきよらを尽くしていみじくと思ひ、 所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。 「衣冠(いかん)」より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用いよ。 美麗(びれい)を求むることなかれとぞ、 九条殿の遺誡(ゆいかい)にも侍る。 順徳院の、禁中のことども書かせ給へるにも、 「おぼやけの奉りものは、うろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。 昔の聖代(せいだい:優れた天子の治める世)の善政を忘れて、 民衆が愁歎し(しゅうたん:なげき悲しみ)、国力が疲弊することも知らないで、 万事華美(ばんじかび:あらゆることが華やか)の限りを尽くして立派だと思い、 財宝をぎっしり溜め込んだ様子でいる人は、何ともひどく思慮に欠けると思われる。 「衣冠(いかん:宮中での勤務服)をはじめ乗馬や牛車にいたるまで、ありあわせのものを使え。 華美(かび)なものを求めてはならぬ」と、九条殿の遺誡(ゆいかい)にもあります。 順徳院(じゅんとくいん:鎌倉時代の天皇)が、 禁中(きんちゅう⇒天子が住む宮中)のしきたりを書かれた著作にも、 粗略なものをもって最上とする」とあります。 ※新版 現代語訳付き 徒然草 兼好法師 小川剛生 角川ソフィア文庫 2015 ○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張 ○競技スポーツと生涯スポーツの融合|スポーツクラブ・マネジメント ○Discover Tomorrow|新たなスポーツ文化の確立 |
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失われた25年(四半世紀) バブル崩壊から学んだこと |
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John Stuart Mill 1806年 - 1873年 | |||
※ジョン・スチュアート・ミル 経済学原理より 私は、資本および富の停止状態を、(中略) あらわな嫌悪の情をもって、見ることをえないものである。 (見るようなものではないと考える) 私はむしろ、今日(19世紀)のわれわれの(発展した)状態よりも 非常に大きな進歩となるであろう、と信じたいくらいである。 自らの地位を改善しようと苦闘している状態こそ人間の正常的状態である。 今日(19世紀)の社会生活の様式となっているものは、 互いにひとを踏みつけ、押し倒し、押し退け、追いせまることであるが、(中略) 正直にいって私は魅惑を感じないものである。 資本および人口の停止状態なるものが、 必ずしも人間的進歩の停止状態を意味するものでないことは、 ほとんど改めて言う必要はないだろう。 停止状態においても、あらゆる種類の精神的文化や 道徳的社会進歩のための余地があることは従来と変わることがなく、 また「人間的技術」を改善する余地も従来と変わることがないであろう。 ○光は闇の中で輝く|世代とジェンダーを越えて発展する ○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ |
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人間の奥底に潜むすさまじい情念 執着 |
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雨月物語 上田秋成 東京大学総合研究博物館 | |||
井原西鶴に始まる浮世草子の系譜をひく上田秋成の「雨月物語」。 9編の怪談・奇談から成り、話形や登場人物の設定はバラバラですが、 全編を通して貫かれているテーマは、 人間の奥底に潜むすさまじい情念、「執着」にあるといいます。 雨月物語は非現実的な世界を描きながら、「執着」を通して明らかになる、 現実に生きる人間の人間性と倫理が問われているよう。 ○都営荒川線に乗って|偏見を取りはらい理性を自立させる |
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飾りやおごりを捨てる姿勢 わび茶 |
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茶室の入口にあたる「にじり口」 | |||
抹茶は、日本臨済宗の開祖である栄西によって伝えられたそう。 伝来当初、禅の修行の際に眠気を覚ます薬などとして用いられ、 その後に茶会が流行すると、作法の中に他者との精神的交流や 自己の精神修行が盛り込まれていったといわれます。 茶室の入口にあたる「にじり口」は、人ひとりが頭を下げてにじって ようやく出入りできる高さと幅に定められいるそうで、 武士は刀をはずして中に入ったといいます。 わび茶の「わび」は、 飾りやおごりを捨てた、欲望にとらわれない、静かで落ち着いた姿であり、 執着を断ち切り絶対的自由を求める姿勢が込められているそうです。 ○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る ○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅 ○日系カナダ移民の歴史と日本人の精神性 |
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財政健全化への取組み 持続可能な財政と社会保障の構築 |
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※経済財政運営と改革の基本方針2014(抜粋) 第3章 経済再生と財政健全化の好循環 平成26年6月24日 閣議決定 1.経済再生と財政健全化の両立に向けた基本的考え方 (略) 少子高齢化の急速な進行、団塊の世代の更なる高齢化、 家計貯蓄率の低下や経常収支黒字の縮小が想定される中で、 持続可能な財政と社会保障の構築は必要不可欠である。 経済再生、財政健全化と持続可能な社会保障の同時達成を目指していく。 (当面の財政健全化目標に向けて) (略) 2020年度の基礎的財政収支の黒字化に向けては、2015年度予算編成等 を踏まえ、具体的な道筋を早期に明らかにできるよう検討を進める。 経済再生の進展を確かなものとしつつ、収支改善が可能なときには できる限りの改善を図る。 また、人口高齢化等を背景として増大する社会保障については、 中期的に受益と負担の均衡を目指しながら、 持続可能な制度の確立に向けて着実に取組を進める。 社会保障以外の支出については一層の重点化・効率化を進め、できる限り抑制する。 ○いのち集まる流域 小網代の森|私たちが生きる地球の持続可能性 ○絆よ再び|高齢化率38%を超える大型団地が示唆するもの |
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参 考 情 報 | |||
○財務省 ○日本の財政を考える|財務省 ○財務省関東財務局 ○資金循環 :日本銀行 Bank of Japan ○統計局ホームページ/家計調査 ○中小企業庁:中小企業白書 ○DATA GO JP ○日本ニュース 戦後編 第243号「はね上る “特需景氣” 東京」 NHK 戦後史証言アーカイブス ○NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 ニッポンのポ ○全国法人会総連合 ○納税協会 ○シルバー民主主義に泣く若者|WEDGE Infinity(ウェッジ) ○戦後70年 - 毎日新聞 ○大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 ○無料の写真 - Pixabay ○無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや ○フリー百科辞典Wikipedia ○さかい学 財務副大臣との意見交換会 2016.06 ・訪問先 ・財務省 さかい学副大臣室 ・衆議院第二議院会館 ・国会議事堂 ・衆議院議場 ・衆議院議長応接室 ・衆議院第一委員会室 ・議員食堂 ・主催 (公社)戸塚法人会青年部・6月移動例会・ビジネス研修会 ○社会保障と税の一体改革に向けて 2016.03 ・講師 川瀬透 先生 財務省 関東財務局総務部長 ・会場 神奈川県民センター ・主催 神奈川県政モニターOB会 ○地域企業の活性化に向けて〜金融行政の展開〜 2016.04 ・講師 川瀬透 先生 財務省 関東財務局 総務部長 ・会場 横浜シンポジア ・横浜商工会議所 青年交流会 通常総会・ビジネスセミナー・交流会 ○これからの日本のために財政を考える 財務省 平成28年2月 ○横浜商工会議所 青年交流会 第2回会員交流プラザ 2016.10 ・第1部講演会 しくじり先生 俺みたいになるな!! ツカサグループ元代表 川又三智彦 先生 ・第2部交流会 ゲスト お笑いタレント 長井秀和 氏 ・ 猫ひろし 氏 ・会場 横浜クルーズ・クルーズ ○多角的リスクのマネジメント 2016.11 ・株価バブルのメカニズム:バブルの早期発見と対応策を考える 鈴木雅貴 先生 大学院国際社会科学研究院 准教授 ・バブルと金融危機 高橋正彦 先生 大学院国際社会科学研究院 教授 主催:横浜国立大学 公開講座委員会 共催:読売新聞横浜支局 ○第124回(平成28年秋季)東京大学公開講座「仮想と現実」 2016.11 ・『現実』になった仮想通貨 宮尾龍蔵 先生 経済学研究科 教授 ○激動する世界経済と日本のゆくえ 2014.04 ・講師 蟹瀬誠一 先生 国際ジャーナリスト・キャスター・明治大学国際日本学部教授 ・会場 横浜シンポジア ・主催 横浜商工会議所 機械・金属工業部会 ○もし横浜の社長がドラッカーの「イノベーションと企業家精神」を読んだら 2014.04 ・講師 岩崎夏海 先生 作家 ・場所 横浜シンポジア ・主催 横浜商工会議所 小売部会 ○この国の政治・経済の行方 2016.02 ・講師 伊藤惇夫 先生 テレビコメンテーター ・会場 横浜シンポジア ・主催 横浜商工会議所 不動産・リース事業部会 ○2016年のわが国経済展望〜投資活動主導による緩やかな回復局面へ〜 2016.02 ・講師 八木正幸理事 株式会社浜銀総合研究所 ・会場 横浜シンポジア ・主催 横浜商工会議所 建設部会 ○横浜市議との懇親会 Part4 2016.01 人口減少から波及する地域の問題 ・講師 輿石且子 先生 横浜市議会議員 ・会場 神奈川県民センター ・主催 神奈川県政モニターOB会 ○世界の構造変化と日本の進路−日本産業の次なる展開に向けて− 2015.02 ・講師 一般社団法人日本総合研究所 寺島実郎 先生 ・会場 ロイヤルホールヨコハマ ・主催 横浜商工会議所 建設部会講演会 ○ICT化で学んだこと 2016.02 ・講師 小巻則仁 先生 戸塚税務署副署長 ・主催 戸塚法人会青年部会 ○〜税務人生を振り返って〜 2015.02 ・講師 豊島一郎 先生 戸塚税務署長 ・主催 戸塚法人会青年部会 ○青年部会連絡協議会セミナー 特別講演「東京オリンピックに向けて」 2015.03 ・講師 ・田中理恵 先生 東京オリンピック・パラリンビック・競技大会組織委員会 理事 日本体育大学児童スポーツ教育学部助教 ・芳賀章 先生 一般社団法人二子玉川アスリート倶楽部 代表理事 ・会場 箱根湯本吉池旅館 ・主催 一般社団法人神奈川県法人会連合会 ○これからの日本の進路とグローバル人材 2013.09 神余隆博 先生 関西学院大副長・元日本政府国連代表部使 前駐ドイツ大使 神奈川県立産業技術短期大学校 ※冨山和彦×殿村真一 K.I.T.特別講演 2012.08 ・テーマ ビジネス/キャリアにおける戦略 今後の経営現場に必要な人材とは これからの時代のキャリアをどう考えるべきか ・講師 富山和彦 先生 褐o営共創基盤 代表取締役CEO 殿村真一 先生 ジェンパクト・アジアパシフィック 副会長 ・主催 金沢工業大学 虎ノ門大学院 ○財政危機の深層―増税・年金・赤字国債を問う 小黒一正 NHK出版新書 2014 ○名画で読み解く ブルボン王朝12の物語 中野京子 光文社新書 2010 ○アントワーヌ・ヴァトーの「ジェルサンの看板」について 京都精華大学 島本浣 先生 CiNii ○民族の罪人 蔡萬植(チェ・マンシク) 布袋敏博・熊木勉(訳) 平凡社 2009 ○広場 崔仁勲(チェ・インフン) 田中明(訳) 奏流社 1978 ○上田秋成の文学('16) 主任講師 長島弘明 先生 放送大学客員教授・東京大学教授 ○世界文学への招待('16) 主任講師 宮下志朗 先生 放送大学教授・東京大学名誉教授 小野正嗣 先生 放送大学客員准教授・立教大学准教授 ○新版 現代語訳付き 徒然草 兼好法師 小川剛生(訳注) 角川ソフィア文庫 2015 ○徒然草 ―美術で楽しむ古典文学 サントリー美術館 2014年6月11日〜7月21日 ○自由論 ジョン・スチュアート・ミル, 山田洋一(訳) 日経BPクラシックス 2011 |
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