プリマヴェーラ 春の訪れ

悲劇によって道義を知る「虞美人草」


| 虞美人草 | 暗いところに生まれる | 迷わす愛 | 愛する資格 | 心をかきまぜる | 意思と異なる言葉 |
| 精神を患いやすい環境 | 裏のあるやり取り | ダブルバインドに向き合う | 侏儒の言葉 | 当たり前にいる |
| 偉大なる悲劇 | 死に向き合う | 日常にある喜劇 | 道義を忘れる | 悲劇によって取り戻す |
| プリマヴェーラ | 春の兆し | すがたやさしく | 人生を思い起こす | 情景を素直に捉える | 蛍の光 |
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才気と美貌、傲慢で虚栄をつらぬく藤尾の悲劇
虞美人草

虞美人草(ぐびじんそう) ヒナゲシ シャーレポピー
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 (鎌倉市) 2017.05


※虞美人草 夏目漱石 新潮社 書籍案内文より


  大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。

  彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、

  古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。

  彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断わるが……。

  やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。



  東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、

  職業的作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。





当時、東京帝国大学卒業式には明治天皇が臨席し、

成績優秀な卒業生には銀時計を授与したそうです。



○個性化の過程|自分が自分になってゆく


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暗いところに生まれた
小野清三

日が届きにくい薄暗い場所に生息するギンリョウソウ(銀竜草)
別名はユウレイタケ 尾瀬 2012.07


※虞美人草 夏目漱石 四


  小野さんは色相世界(しきそうせかい)に住(じゅう)する男である。

  (※色相世界⇒肉眼で見ることの出来る世の中)

  小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児(しせいじ)だとさえ云う。

  (※私生児⇒婚姻関係にない男女の間に生まれた子供)

  筒袖(つつそで)を着て学校へ通う時から友達に苛(いじ)められていた。

  行く所で犬に吠ほえられた。父は死んだ。

  外で辛(ひど)い目に遇(あ)った小野さんは帰る家が無くなった。

  やむなく人の世話になる。

  水底(みなそこ)の藻(も)は、暗い所に漂(ただよ)うて、

  白帆(しらほ⇒白い帆を張った船が)行く岸辺に日のあたる事を知らぬ。

  右に靡(なび)こうが、左に靡びこうが嬲(なぶ)るは波である。

  ただその時々に逆わなければ済む。

  馴れては波も気にならぬ。

  波は何物ぞと考える暇(ひま)もない。

  なぜ波がつらく己(おの)れにあたるかは無論問題には上(のぼ)らぬ。

  上ったところで改良は出来ぬ。

  ただ運命が暗い所に生(は)えていろと云う。

  そこで生えている。

  ただ運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。

  ――小野さんは水底の藻であった。



○光は闇の中で輝く|世代とジェンダーを越えて発展する

○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー

○凝縮された尾瀬の季節|厳しくも豊かな自然が見せる横顔


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愛の神は今が盛り
迷わす愛

虞美人草(ぐびじんそう) ヒナゲシ シャーレポピー
ガーデンネックレス2017 里山ガーデン 2017.05


※虞美人草 夏目漱石 十二


  心臓の扉を黄金(こがね)の鎚(つち)に敲(たた)いて、

  青春の盃(さかずき)に恋の血潮を盛る。

  飲まずと口を背(そむ)けるものは片輪(かたわ)である。

  月傾いて山を慕い、人老いて妄(みだ)りに道を説く。

  若き空には星の乱れ、若き地(つち)には花吹雪、

  一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛(さかり)である。



  緑濃き黒髪を婆娑(ばさ)とさばいて春風に織る羅(うすもの)を、

  蜘蛛(くも)の囲(い)と五彩の軒に懸けて、自(みずから)と引き掛(かか)る男を待つ。

  引き掛った男は夜光の璧(たま)を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、

  魂を逆(さかしま)にして、後(のち)の世までの心を乱す。

  女はただ心地よげに見やる。



  耶蘇教(やそきょう⇒キリスト教)の牧師は救われよという。

  臨済(りんざい)、黄檗(おうばく)は悟れと云(い)う。

  この女は迷えとのみ黒い眸(ひとみ)を動かす。

  迷わぬものはすべてこの女の敵(かたき)である。



  迷うて、苦しんで、狂うて、躍(おど)る時、始めて女の御意(ぎょい⇒こころ)はめでたい。

  欄干(らんかん)に繊(ほそ)い手を出してわんと云えという。

  わんと云えばまたわんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。

  女は片頬(かたほ)に笑(え)みを含む。犬はわんと云い、

  わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。

  犬は尾を逆(さかしま)にして狂う。女はますます得意である。



  ――藤尾の解釈した愛はこれである。



○愛と結婚 最愛の人|旧約聖書 雅歌

○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪

○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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愛される資格があると信じ、
愛する資格がないことに気がつかない

ガーデンネックレス 第33回 全国都市緑化よこはまフェア
里山ガーデン(横浜市旭区) 2017.05


※虞美人草 夏目漱石 十二


  石仏(せきぶつ)に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。

  愛は愛せらるる資格ありとの自信に基もとづいて起る。

  ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気のつかぬものがある。

  この両資格は多くの場合において反比例する。



  愛せらるるの資格を標榜(ひょうぼう)して憚(はば)からぬものは、

  いかなる犠牲をも相手に逼(せま)る。

  相手を愛するの資格を具(そな)えざるがためである。

  へんたる美目(へんたるびもく⇒美しい目もと)に魂を打ち込むものは必ず食われる。

  小野さんは危(あやう)い。



  倩たる巧笑(せんたるこうしょう⇒愛らしい笑顔)にわが命を托するものは必ず人を殺す。

  藤尾は丙午(ひのえうま⇒夫を殺すという迷信)である。

  藤尾は己(おの)れのためにする愛を解する。

  人のためにする愛の、存在し得るやと考えた事もない。

  詩趣はある。道義はない。



  愛の対象は玩具(おもちゃ)である。神聖なる玩具である。

  普通の玩具は弄(もてあそ)ばるるだけが能である。

  愛の玩具は互に弄ぶをもって原則とする。藤尾は男を弄ぶ。

  一毫(いちごう⇒ほんのわずか)も男から弄ばるる事を許さぬ。

  藤尾は愛の女王である。



  成立つものは原則を外(はず)れた恋でなければならぬ。

  愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、

  春風(はるかぜ)の吹き回しで、旨(あま)い潮の満干(みちひき)で、

  はたりと天地の前に行き逢った時、この変則の愛は成就する。



○悪しき交際は善き習わしをそこなう|真理を話題にする

○自然と動植物に触れ、優しさに触れる|横浜ヒルサイド

○世界一周の動物旅行|横浜ズーラシア


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人の心をかきまぜる謎の女
藤尾の母

「禅家では柳は緑 花は紅(くれない)と云う」
ペチュニア ガーデンネックレス2017 里山ガーデン 2017.05


※虞美人草 夏目漱石 十


  謎(なぞ)の女のいる所には波が山となり炭団(たどん⇒炭)が水晶と光る。

  禅家では柳は緑 花は紅(くれない)と云う。

  あるいは雀はちゅちゅで烏(からす)はかあかあとも云う。



  謎の女は烏をちゅちゅにして、雀をかあかあにせねばやまぬ。

  謎の女が生れてから、世界が急にごたくさになった。

  謎の女は近づく人を鍋の中へ入れて、

  方寸(ほうすん⇒心)の杉箸(すぎばし)に交(ま)ぜ繰り返す。

  (⇒人の心をかきまぜトラブルを起こす)



  芋をもって自(みず)からおるものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。

  謎の女は金剛石(ダイヤモンド)のようなものである。

  いやに光る。そしてその光りの出所(でどころ)が分らぬ。

  右から見ると左に光る。左から見ると右に光る。

  雑多な光を雑多な面から反射して得意である。

  神楽(かぐら)の面(めん)には二十通りほどある。

  神楽の面を発明したものは謎の女である。



○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観

○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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道徳が衰え人情が薄くなった末世
意思と異なる言葉

「ユダの木」とも言われるハナズオウ


※虞美人草 夏目漱石 十七


  「僕の母は偽物(にせもの)だよ。君らがみんな欺(あざむ)かれているんだ。

  母じゃない謎(なぞ)だ。

  澆季(ぎょうき⇒道徳が衰え人情が薄くなった末世)の文明の特産物だ」


  (中略)


  「母の家を出てくれるなと云うのは、出てくれと云う意味なんだ。

  財産を取れと云うのは寄こせと云う意味なんだ。

  世話をして貰きたいと云うのは、世話になるのが厭(いや)だと云う意味なんだ。

  ――だから僕は表向母の意志に忤(さから)って、内実は母の希望通にしてやるのさ。

  ――見たまえ、僕が家(うち)を出たあとは、母が僕がわるくって出たように云うから、

     世間もそう信じるから

  ――僕はそれだけの犠牲をあえてして、母や妹のために計ってやるんだ」



○接吻という親密な行為が最悪の裏切り手段となる|ユダの接吻

○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識|ルソー「人間不平等起源論」


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精神を患いやすい環境
対立するメッセージ

カーネーション スカーレットクイーンスーパー
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 カーネーション展 2017.03


アメリカの文化人類学者 グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980)は、

文化人類学に留まらず社会学や言語学、生態学、心理学などを横断する

足跡を残した研究者。



「ダブル・バインド(double bind theory,1956)」と呼ばれるコミュニケーション研究では、

例えば、ある人が他者に「馬鹿だねぇ」といっても、微笑みながら言っているならば、

それは親しみの言葉であったり、逆に、ある人が他者を憎んでいるのに愛情深い

態度をとり、表情は冷たいといったように、言葉と表情、あるいは言葉そのものが

反対のメッセージを伝えることがあると指摘します。



このような場合、人は対立するメッセージを同時に受け取り、どちらが本当か

分からなくなってしまいます。そのようなことが続くと、言葉とそれが別に

意味することを区別する能力を失われ、精神を患(わずら)いやすいといわれます。



精神を患った者は、相手が何かを言うとき、「隠された意味」に過度に

こだわるようになり、それにだまされないように決意する傾向があるとされ、

病気の最終的な段階は一切応答しなくなるようです。


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表・裏のある「やり取り」
実際に起こるのは裏のメッセージ

バーベナ(びじょざくら) ロングランミックス タマツヅラ科
神奈川県立花と緑のふれあいセンター 花菜ガーデン(平塚市) 2014.05


日々、私たちは様々な場面で他者との「やり取り(コミュニケーション)」を行っています。

「やり取り」では、二つのメッセージが同時に伝達されることが多いとされ、

一つは「表のメッセージ=社交レベルのメッセージ」で、

もう一つは「裏のメッセージ=心理レベルのメッセージ」。



「表のメッセージ」は言葉で示されることが多く、「裏のメッセージ」は

非言語的な手がかりを観察することでしかわからないことが多いといわれます。



表と裏のメッセージは普段は一致していますが、時に一致していない場合が見られ、

「裏があるやり取り」や「裏面交流(りめんこうりゅう)」と呼ばれています。



人が二つのレベルで会話している時、結果として実際に起こるのは

表のメッセージではなく、裏のメッセージだとされます。



※交流分析基礎テキスト 日本交流分析学会 編 2017
 V.やり取りを分析する p15-19



○「子ども心」があることは健康な状態|交流分析

○湘南に夏の訪れを告げる「湘南ひらつか七夕まつり」

○潮風が駆け抜ける海辺を楽しむ湘南スタイル


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対立するメッセージに
向き合うことから始める

つつじ


※わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か
 平田オリザ 講談社現代新書 2012
 第八章 協調性から社交性へ|わかりあえないことから p222


これまで見てきたように、日本社会には、水平方向(会社などの組織)にも、

垂直方向(教育システム全体)にも、コミュニケーションのダブルバインドが広がっている。

だが、実は私は、この「ダブルバインド」を、決して単純な悪いことだとは思っていない。

それは苦しいことだけれど、その苦役は日本人が宿命的に背負わなければならない

重荷だろう。



ただ、いまの日本社会では、漱石や鴎外が背負った十字架を、

日本人が等しく背負わなければならない。

かつては知識階級だけが味わった苦悩を、いまは多くの人々が、

苦悩だと意識さえしないままに背負わされる。

漱石ほどの天才でも、ロンドンでノイローゼになったのだ。

鴎外ほどの秀才が「「かのように生きる」と覚悟を決めなければ、

このダブルバインドを乗り越えることできなかったのだ。

ならばまず、このダブルバインドの状況をはっきりと認識し、

そこに向き合うことから始めるしかないだろう。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」

○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学

○つつじ・しゃくなげの小路


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妬んだり、欺いたりしない自然
侏儒の言葉

カンパニュラ
ガーデンネックレス2017 里山ガーデン 2017.05


※「侏儒の言葉(しゅじゅのことば)」 芥川龍之介  「自然」


  われわれの自然を愛するゆえんは、――少なくともそのゆえんの一つは、

  自然はわれわれ人間のように妬(ねた)んだり欺(あざむ)いたりしないからである。







侏儒(しゅじゅ)は、「背丈が並み外れて低い人」や「見識のない人をあざける」

という意味があり、芥川龍之介の「侏儒の言葉(しゅじゅのことば)」には、

短い文で様々な教訓(⇒箴言:しんげん)が収められています。




「侏儒の言葉」の冒頭で、芥川龍之介は以下のように述べています。


※「侏儒の言葉」の序


  「侏儒の言葉」は必(かなら)ずしもわたしの思想を伝えるものではない。

  唯(ただ)わたしの思想の変化を時々窺(うかが)わせるのに過ぎぬものである。

  一本の草よりも一すじの蔓草(つるくさ)、

  ――しかもその蔓草は幾(いく)すじも蔓を伸ばしているかも知れない。


  芥川龍之介



○自殺を図った芥川龍之介|或旧友へ送る手記


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平たく当たり前にする
あるがままの生の肯定

日本大通りのバラ
ガーデンネックレス2017 みなとガーデン 2017.05


※虞美人草 夏目漱石 十九


  「みんな私が悪いんでしょうね」と母は始めて欽吾(⇒腹違いの息子)に向った。

  腕組をしていた人(⇒欽吾)はようやく口を開く。――



  「偽(うそ)の子だとか、本当の子だとか区別しなければ好いんです。

  平たく当り前にして下されば好いんです。

  遠慮なんぞなさらなければ好いんです。

  なんでもない事をむずかしく考えなければ好いんです」



  甲野さん(⇒欽吾)は句を切った。母は下を向いて答えない。

  あるいは理解出来ないからかと思う。甲野さんは再び口を開(あ)いた。――



  「あなたは藤尾に家(うち)も財産もやりたかったのでしょう。

  だからやろうと私が云うのに、いつまでも私を疑(うたぐ)って

  信用なさらないのが悪いんです。

  あなたは私が家にいるのを面白く思っておいででなかったでしょう。

  だから私が家を出ると云うのに、面当(つらあて⇒意地悪している)

  のためだとか、何とか悪く考えるのがいけないです。

  あなたは小野さんを藤尾の養子にしたかったんでしょう。

  私が不承知(⇒承知しない)を云うだろうと思って、私を京都へ遊びにやって、

  その留守中に小野と藤尾の関係を一日一日と深くしてしまったのでしょう。

  そう云う策略がいけないです。

  私を京都へ遊びにやるんでも私の病気を癒(なお)すためにやったんだと、

  私にも人にもおっしゃるでしょう。そう云う嘘が悪いんです。



  ――そう云うところさえ考え直して下されば別に家を出る必要はないのです。

  いつまでも御世話をしても好いのです」



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay

○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ

○開放的で自由な街に、心地よい風が吹きぬける|OPEN YOKOHAMA


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罪深いことに気がつく
偉大なる悲劇

バラ園
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 (鎌倉市) 2017.05


※※虞美人草 夏目漱石 十九


  悲劇はついに来た。来たるべき悲劇はとうから預想(よそう)していた。

  預想した悲劇を、なすがままの発展に任せて、

  隻手(せきしゅ⇒禅の言葉、思慮分別を超えた領域に導く)をだに下さぬは、

  業深き(ごうふかき⇒罪深き)人の所為(しょい⇒振る舞い)に対して、

  隻手の無能なる(⇒指摘されても聞き入れられない)を知るが故(ゆえ)である。

  悲劇の偉大なるを知るが故である。

  悲劇の偉大なる勢力を味わわしめて、

  三世(さんぜ)に跨またがる業(ごう)を根柢から洗わんがためである。

  不親切なためではない。



  隻手(せきしゅ)を挙ぐれば隻手を失い、

  一目(いちもく)を揺(うご)かせば一目を眇(びょう)す。

  手と目とを害(そこの)うて、しかも第二者の業(ごう)は依然として変らぬ。

  のみか時々に刻々に深くなる。手を袖(そで)に、眼を閉ずるは恐るるのではない。

  手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、

  石火の一拶(いっさつ)に本来の面目に逢着(ほうちゃく)せしむるの微意にほかならぬ。



○アリストテレスの芸術哲学|悲劇は優れた人を再現する

○悲劇の誕生と生の肯定|悲劇観賞によって生じる強い歓喜

○バラが美しい鎌倉文学館


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悲劇が偉大な理由
忘れている死に向き合う

NHK「趣味の園芸」公開収録 「東西カリスマ直伝!極上の鉢バラ講座」
フラワードリーム2017 東京ビックサイト 2017.04


※虞美人草 夏目漱石 十九


  悲劇は喜劇より偉大である。

  これを説明して死は万障を封ずるが故(ゆえ)に偉大だと云うものがある。

  取り返しがつかぬ運命の底に陥(おちい)って、出て来ぬから偉大だと云うのは、

  流るる水が逝(ゆ)いて帰らぬ故に偉大だと云うと一般である。

  運命は単に最終結を告ぐるがためにのみ偉大にはならぬ。



  忽然(こつぜん)として生を変じて死となすが故に偉大なのである。

  忘れたる死を不用意の際に点出(てんしゅつ⇒目立つように)するから偉大なのである。

  ふざけたるものが急に襟(えり)を正すから偉大なのである。

  襟を正して道義の必要を今更のごとく感ずるから偉大なのである。

  人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏(のうり)に樹立する

  が故(ゆえ)に偉大なのである。

  道義の運行は悲劇に際会して始めて渋滞(じゅうたい)せざるが故に偉大なのである。



  道義の実践はこれを人に望む事切(せつ)なるにもかかわらず、

  われのもっとも難(かた)しとするところである。

  悲劇は個人をしてこの実践をあえてせしむるがために偉大である。

  道義の実践は他人にもっとも便宜(べんぎ)にして、自己にもっとも不利益である。

  人々(にんにん)力をここに致すとき、一般の幸福を促うながして、

  社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○私たちの社会と世界|一方の利益は他方の損

○ルソーの人間観|「自己保存」と「憐憫の情」


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目先の日常にある喜劇
死を忘れる

池坊 中野幽山
フラワードリーム2017 東京ビッグサイト 2017.04


※虞美人草 夏目漱石 十九


  問題は無数にある。

  粟(あわ)か米か、これは喜劇である。

  工か商か、これも喜劇である。

  あの女かこの女か、これも喜劇である。

  綴織(つづれおり⇒織物の一種)か繻珍(しゅちん⇒織物の一種)か、これも喜劇である。

  英語か独乙語(ドイツご)か、これも喜劇である。

  すべてが喜劇である。

  最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。



  十年は三千六百日である。

  普通の人が朝から晩に至って身心を労する問題は皆喜劇である。

  三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる。

  いかにして生を解釈せんかの問題に煩悶(はんもん)して、

  死の一字を念頭に置かなくなる。

  この生とあの生との取捨に忙がしきが故に生と死との最大問題を閑却する。



○風刺や失敗談など「滑稽」を表現する 狂言

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力

○イノベーションは内生的・自発的に生まれる|健全な経営を目指す会社


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死を背いて生に向かい
道義を忘れる

開港広場のチューリップ
ガーデンネックレス2017 みなとガーデン 2017.04


※虞美人草 夏目漱石 十九


  死を忘るるものは贅沢(ぜいたく)になる。

  一浮(いっぷ)も生中である。一沈(いっちん)も生中である。

  一挙手も一投足もことごとく生中にあるが故に、いかに踊るも、いかに狂うも、

  いかにふざけるも、大丈夫生中を出ずる気遣(きづかい)なしと思う。



  贅沢は高(こう)じて大胆となる。

  大胆は道義を蹂躙(じゅうりん⇒ふみにじる)して

  大自在(だいじざい)に跳梁(ちょうりょう⇒はびこる)する。

  万人はことごとく生死の大問題より出立する。

  この問題を解決して死を捨てると云う。生を好むと云う。



  ここにおいて万人は生に向って進んだ。

  ただ死を捨てると云うにおいて、万人は一致するが故に、

  死を捨てるべき必要の条件たる道義を、相互に守るべく黙契した。

  されども、万人は日に日に生に向って進むが故に、

  日に日に死に背(そむ)いて遠ざかるが故に、

  大自在に跳梁して毫(ごう)も生中を脱するの虞おそれなしと自信するが故に、

  ――道義は不必要となる。



○生を貪り、利を求めてやむ時なし|吉田兼好「徒然草」

○チューリップが彩る春の庭

○潮風に導かれ開国ロマン溢れる浦賀へ


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喜劇ばかりが流行る
悲劇によって道義を知る

撫子(ナデシコ)
ガーデンネックレス2017 里山ガーデン 2017.05


※虞美人草 夏目漱石 十九


  道義に重きを置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。

  ふざける。騒ぐ。欺(あざ)むく。嘲弄(ちょうろう)する。馬鹿にする。踏む。蹴る。

  ――ことごとく万人が喜劇より受くる快楽である。



  この快楽は生に向って進むに従って分化発展するが故に

  ――この快楽は道義を犠牲にして始めて享受し得るが故に

  ――喜劇の進歩は底止(ていし)するところを知らずして、道義の観念は日を追うて下る。

  道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、

  悲劇は突然として起る。



  ここにおいて万人の眼はことごとく自己の出立点に向う。

  始めて生の隣に死が住む事を知る。

  妄(みだ)りに踊り狂うとき、人をして生の境を踏み外はずして、

  死の圜内(けんない)に入らしむる事を知る。

  人もわれももっとも忌(い)み嫌える死は、ついに忘るべからざる

  永劫(えいごう⇒永遠)の陥穽(かんせい⇒落とし穴、策略)なる事を知る。

  陥穽の周囲に朽(く)ちかかる道義の縄は妄(みだ)りに飛び超(こ)ゆべからざるを知る。

  縄は新たに張らねばならぬを知る。

  第二義以下の活動の無意味なる事を知る。

  しかして始めて悲劇の偉大なるを悟る。……



○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識|ルソー「人間不平等起源論」

○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ

○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来


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素晴らしい地上世界
プリマヴェーラ

「プリマヴェーラ(春)」 1482年頃 サンドロ・ボッティチェッリ
ウフィッツィ美術館、フィレンツェ


ルネサンス期を代表する画家サンドロ・ボッティチェリの「プリマヴェーラ(Primavera)」。



右端から風を吹きかけているのは西風の神ゼピュロス。

風を吹きかけられた森の妖精クロリス(右から二番目)は、

口から草花が芽生え、花と春と豊穣を司るフローラに変身しようとしています。

その隣り(右から三番目)には、草花が描かれた衣服をまとうフローラが描かれ、

クロリスとフローラは同一存在であるよう。

実際にボッティチェリが過ごしたフィレンツェは、春になると西風が吹くそうです。



中心には衣服を着たヴィーナス(Vebus Vulgaris)が世界を見渡しています。

ヴィーナスの足元には、フィレンツェで見ることができる40種類ほどの花々

が描かれているといわれます。



ヴィーナスの頭上には目隠しをしたキューピット(クピド、エロス)。

目隠しは、肉体の眼によって世界を見るのではなく精神の眼で見ているとされます。



ヴィーナスの左側には三美神が描かれ、右から「美」「貞節」「愛」の女神。

キューピッドの矢は真ん中の「貞節の女神」に向けられ、

貞節は美をかえして愛に帰着すると考えられています。



左端で背を向ける男性神は人間の理性を司るメルクリウス。

人間の理性は地上世界に留まらざるを得ないにも関わらず、

地上世界が生み出すものに満足できず、素晴らしい地上世界

に背を向けて、天を見上げ上昇しようとしているようです。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質

○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質


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聞けばせかるる胸の思い
春の兆し

ニリンソウ ギンポウゲ科
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 2017.03


※早春賦(そうしゅんふ) 作詞:吉丸一昌、作曲:中田章、1913年(大正2年)


  春は名のみの 風の寒さや

  谷の鶯 歌は思えど

  時にあらずと 声も立てず

  時にあらずと 声も立てず



  氷解け去り 葦は角ぐむ

  さては時ぞと 思うあやにく

  今日も昨日も 雪の空

  今日も昨日も 雪の空



  春と聞かねば 知らでありしを

  聞けば急かるる 胸の思いを

  いかにせよとの この頃か

  いかにせよとの この頃か



○ため息を春風に変えて|自然からの贈り物 春の花言葉

○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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早春賦

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すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよとささやきながら

春めき(サクラ)に留まるメジロ
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 2017.03


※春の小川 作詞:高野辰之 文部省唱歌 1912 (歌詞は1947年版)


  春の小川は、さらさら行くよ。

  岸のすみれや、れんげの花に、

  すがたやさしく、色うつくしく

  咲けよ咲けよと、ささやきながら。



  春の小川は、さらさら行くよ。

  えびやめだかや、小鮒の群れに、

  今日も一日ひなたでおよぎ、

  遊べ遊べと、ささやきながら。



○新たな息吹に包まれる桜舞う頃|移ろいゆく時の狭間に咲く瞬間の華

○花に囲まれる季節|シーズンを通して豊富な花に囲まれる春

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


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春の小川

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自分自身の人生を
思い起こす

吾妻山の菜の花 (神奈川県二宮町)


※「朧月夜(おぼろづきよ)」 作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一 文部省唱歌


  菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端(は)、霞ふかし。

  春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し。


  里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、

  蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める 朧月夜。





※「故郷(ふるさと)」 作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一 文部省唱歌


  兎(うさぎ)追(お)ひし彼(か)の山 小鮒(こぶな)釣りし彼(か)の川

  夢は今も巡りて 忘れ難(がた)き故郷


  如何(いか)にいます父母(ちちはは) 恙無(つつがな)しや友がき

  雨に風につけても 思ひ出(い)づる故郷


  志(こころざし)を果たして いつの日にか歸(かえ)らん

  山は青き故郷ふるさと 水は清き故郷






「春の小川」「朧月夜」「故郷」などの唱歌を残した国文学者の高野辰之先生は、

長野県の北東に位置する中野市出身。「朧月夜」を歌ってみると、志賀高原や

上高地、安曇野といった厳しくも豊かな信州の自然を連想させます。



信州の冬場は雪深く、少年期の高野先生は蓮華寺というお寺に下宿しながら

高等小学校に通ったとの事。そこで出会ったお寺の娘さんを見初め、

娘の母から「将来、人力車に乗って山門から入って来る男になるなら

娘を嫁がせても良い」と言われたそうです。



26歳にして上京した後に作られたという「故郷」の詩は、懐かしい故郷に想いを馳せつつ、

なんとしても志を果たして故郷に帰ろうとする作者の決意を感じます。



故郷の山門を人力車に乗って凱旋した時はうれしかったのでしょうね。



○未知を歩き、心を満たしてゆく 上高地

○いちばん美しい夏に出会う|自然と文化の宝庫 信州

○相模湾を見渡す高台に咲く菜花


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目にした情景を素直に捉え
感じたことを詩に託す



日本には「月」をテーマにした歌が少なくないようです。


  ○「朧月夜(おぼろづきよ)」 (作詞:高野辰之・作曲:岡野貞一・文部省唱歌)
  ○「四季の月」 (未詳)
  ○「月の砂漠」 (作詞:加藤まさを・作曲:佐々木すぐる)
  ○「ツキ」 (未詳、文部省唱歌)
  ○「おつきさま」 (作詞:石原和三郎・作曲:納所弁次郎)
  ○「荒城の月」 (作詞:土井晩翠・作曲:瀧廉太郎)
  ○「秋の月」 (作詞・作曲:滝廉太郎)
  ○「十五夜お月さん」 (作詞:野口雨情・作曲:本居長世)
  ○「証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬきばやし)」 (作詞:野口雨情・作曲:中山晋平)
  ○「お月さんと坊や」 (作詞:サトウハチロー・作曲:中田喜直)




詩の内容に着目してみると、文部省唱歌の「ツキ」では雲に見え隠れする月が、

原和三郎先生の「おつきさま」では月の満ち欠けとその偉大さが、

深尾須磨子先生の「お月さま」では月への憧れとその優しさが描写され、

目にした情景を素直に捉えて感じたことを詩に託しているように思えます。



また「荒城の月」「秋の月」「十五夜おつきさん」では、時の移り変わり、

過ぎ去った時へのなつかしさが表現され、自分自身の人生を思い起こさせます。



○美しい日本の私|我にともなう冬の月

○大きくひび割れた存在 傷ついた女神|月に帰るかぐや姫


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時の移り変わり
開けてぞ今朝は別れ行く 蛍の光

御衣黄(ぎょいこう)
花弁が萌黄色(もえぎいろ)から単黄白色を経てピンクへと変化する桜
老人福祉センター 横浜市 翠風荘(すいふうそう) 栄区 2017.05


※「蛍の光」  詞:稲垣千頴、曲:スコットランド民謡 「オールド・ラング・サイン」


  蛍の光 窓の雪

  書(ふみ)読むつき日 重ねつつ

  何時(いつ)しか年も すぎの戸を

  開けてぞ今朝は 別れ行く



  止まるも行くも 限りとて

  互(かた)みに思う 千万(ちよろず)の

  心の端を 一言に

  幸(さき)くと許(ばか)り 歌うなり



○薄緑の神秘的な桜 御衣黄


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中国・唐の書にみる
蛍の光、窓の雪

「蒙求(もうぎゅう)」 李瀚(りかん) 朋友書店
「孫康(そんこう) 雪に映(えい)し、車胤(しゃいん) 蛍を聚(あつ)む」


卒業式に歌われる「蛍の光」は、中国・唐の時代(746年)、

李瀚(りかん)によって記された「蒙求(もうぎゅう)」に見られます。




※「蒙求(もうぎゅう)」 李瀚(りかん) 「孫康映雪、車胤聚蛍」 口訳
 鑑賞−中国の古典 第15巻 蒙求 今鷹真 角川文庫 1989 p137-139


  孫子世録(そんしせろく)にいう。康(こう⇒人物)は家が貧しくて油がなかったので、

  いつも雪明りに照らして書物を読んだ。若いころより清潔で、だれとでも

  つきあうということはしなかった。のちに御史大夫(ぎょしたいふ⇒役職)にまでなった。



  晋(しん)の車胤(しゃいん⇒人物)は、字(あざな)は武子といい、

  南平郡(なんぺいぐん⇒地名)の人である。

  謙虚に努力しておこたることがなく、あらゆる書物を読み多くのことに通じていた。

  家が貧しくいつも油が手に入るというわけにはいかなかった。

  夏であれば練り絹の袋に数十匹の蛍を入れて書物を照らし、

  夜を日に継いで読んだ。



  桓温(かんおん)は荊州(けいしゅう)に在任中、召し出して従事としたが、

  物事の道筋を見きわめ認識していたので、深く尊重した。

  しだいに昇進して征西長史(せいせいちょうし)となり、

  かくて朝廷で認められるようになった。

  当時、彼と呉隠之(ごいんし)とは清貧と博学によって、世に名を知られた。

  また、彼は士人の談論飲酒の会での応対が上手で、

  当時大きな宴があって武士がいない時は、いつも皆が

  「車公(しゃこう)がいないと、楽しくない。」と言った。

  吏部尚書(りぶしょうしょ)の官で亡くなった。



○夏目漱石の名前の由来になった蒙求「孫楚漱石(そんそそうせき)」

○初夏に奏でる愛のささやき|ホタルの発光

○ローマから続くシルクロードの中継点 西安


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知・道理を求めるための書
蒙求

さんしゅゆ ミズキ科 2017.03
中国・朝鮮原産で日本へは江戸時代に薬用植物として渡来したそうです


「蒙求もうぎゅう」は、746年、唐の李瀚(りかん)が編纂した故事集で、

偉業を成した人のエピソードとその教訓などが短編物語の形式で

596句おさめられています。



「蒙求(もうぎゅう)」の「蒙(もう)」には「くらい・おおう」という意味があり、

「蒙求」は、無知・道理に暗い者が、知・道理を求めるための書であり、

初心者向けの教科書として平安時代初期に日本に広まったといわれます。



「蒙求」は時代を越えて多くの日本人に読まれ、「枕草子」「源氏物語」から

江戸時代の小説に至るまで、ありとあらゆる文学作品に大きな影響を与えました。



今日では「蛍の光窓の雪」で知られる「孫康映雪 車胤聚蛍」、

夏目漱石の名前の由来となった「孫楚漱石」などにその影響を知ることができます。



○暗く覆いかぶさっているものを光で照らす 啓蒙主義

○冬に小さな花を咲かせるWinter Sweet|ロウバイ

○日本人に古くから愛されてきた梅


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教育にとって大切な役割を果たす
環境

芍薬(しゃくやく)|ピオニー 金雲(きんうん) 大船系
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 2015.05


「蒙求(もうぎゅう)」にみられる「孟母三遷(もうぼさんせん)」。



孟子(もうし)の母は、はじめ墓場のそばに住んでいましたが、

孟子が葬式のまねばかりしているので、

ここは子どもを住ませる環境ではないと思い市場近くに転居します。

ところが今度は孟子が商人の駆け引きをまねるので今度は学校のそばに転居します。

すると礼儀作法をまねるようになったので、

これこそ教育に最適の場所だとして定住したという故事。



環境が教育には大切ということを教えてくれます。



※鑑賞−中国の古典 第15巻 蒙求 今鷹真 角川文庫 1989
 「陵母伏剣 軻親断機( りょうぼふくけん かしんだんき)」
 「陵母(りょうぼ)剣(けん)に伏(ふ)し 軻親機(かしんき)を断(た)つ」 p104-108、他より



○日本の教育改革|できる者を限りなく伸ばす教育

○内面の美が備わった花 芍薬

○花びらが幾重にも重なる魅力的な花 ラナンキュラス


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教育こそがただ一つの解決策
Education First

大木に巻きつき、紫の花を咲かせる藤(ふじ)
豊かな自然が残されている「池子(いけご)の森自然公園」(池子弾薬庫跡地)


2007年、パキスタンは、

TPP(武装勢力パキスタン・ターリバーン運動)によって統治権を奪われます。



TPPは女性の教育・就労権を認めず、多くの女子学校を爆破したといい、

当時11歳(2009年)だったマララは、英BBC放送のブログにタリバーンの

強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」を投稿。



その影響からTPPに狙われる立場になったマララは、2012年、

スクールバスで下校途中、武装集団に銃撃されます。



  I had really two options.

  One was not to speak and wait to be killed.

  And the second one was to speak up and then be killed.

  And I chose the second one,



  私には二つの選択肢がありました。

  一つは黙って殺されるのを待つこと。

  二つ目は声を上げ、そして殺されることです。

  私は後者を選びました。声を上げようと決めたのです。



※マララ・ユスフザイ ノーベル平和賞授賞式 スピーチ 2014年12月10日 より





  One child, one teacher, one pen and one book can change the world.

  Education is the only solution.

  Education First.


  1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。

  教育こそがただ一つの解決策です。

  エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。



※マララ・ユスフザイ 国連本部スピーチ 2013年7月12日 より



○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム

○よこすかスプリングフェスタ & 護衛艦いずも特別公開

○明治天皇の名のもとに立てられた教育方針|教育勅語


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自然に向き合う
Facing Nature

返還に向けて2014年より米・日本の共同利用が開始された
池子弾薬庫跡地(池子の森自然公園、神奈川県逗子市)


人は古代より「自然」に手を加えて「文明」を築いてきましたが、

一方で「自然」の一部として共生してきました。

西洋では果物や花など、日常生活の中に見られる自然を描き、

フランス語で「死せる自然(ナチュール・モルト)、英語で「静かな命

(スティル・ライフ)」と呼ばれる「静物画」のジャンルが確立されました。



また、「風景画」においても、19世紀になって自然主義が主流になると、

野外で直接、眼前の自然を観察して描くことが重視され、

自然は人の目線に忠実に捉えられるようになってゆきます。



※横浜美術館コレクション展 自然を映す 2017年3月25日−6月25日



○初夏を告げる逗子海岸花火大会|夜空のキャンパスに映しだされる一瞬の華

○絶好な眺望が楽しめる葉山

○人と自然の共生|野外活動に触れ、生きる力を研ぎ澄ます


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花はなぜ春がわかるのか?
数日前の天気さえ忘れている私

植物研究にとってモデル植物となっているシロイヌナズナ属
(多年草で約3万の遺伝子から成り立っているそうです)


植物が花を咲かせるのは1年(52週)のうちで約2週間。

交配する植物の間で開花するタイミングがずれてしまうと、

受粉することができず、繁殖の成否に大きな影響を与えるといわれます。



このような季節的に同調する生物の反応や行動は「フェノロジー」と呼ばれ、

植物に限らず、鳥の渡り、動物の繁殖に見られるそうです。



季節的な温度変化は開花の時期を決めている主要な要因として知られていますが、

温度の季節的な変化は、数ヶ月にわたる長期的な変化傾向であり、

実際の気温は刻々と変化して、大きな昼夜変動や日間変動を示します。

では、植物はいったいどのようにして、刻々と変化する気温をもとに

長期的な季節変化を読み取るのでしょうか?



京都大学生態学研究センター・工藤洋 教授の研究室では、この疑問に答えるために、

フェノロジー調節における遺伝子転写調節の役割を明らかにしようとしてます。



研究の結果、FLC(FLOWERING LOCUS C)と呼ばれる遺伝子は、

約6週間の気温を参照していることが解ってきたそうです。



数日前の天気さえ忘れている私からすると、

植物に約6週間もの気温を記憶している遺伝子があることに驚きます。



※花はなぜ春がわかるのか? 〜季節を測る分子メカニズム〜 2017.06
 講師 工藤洋 先生(京都大学生態学研究センター教授)
 第83回 京都大学丸の内セミナー


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多様で多層で、
様々な色をもった世界

デルフィニューム


※震災伝承館|国土交通省 東北地方整備局より


  東北地方は過去に幾度となく地震や津波の被害を受けています。

  その被害は甚大で、1896年の明治三陸地震津波では死者が2万人以上にのぼりました。



  2011年3月11日14時46分。

  東日本大震災は、多くの人命、資産を奪い、我々に大きな爪痕を残しました。

  過去から繰り返す津波の悲劇と、その都度建てられた津波石。

  先祖の代から続く熱い願い。


  「二度と繰り返してはならぬ」


  東日本大震災は、日本の甚大な津波災害を画像・映像等で

  克明に記録した初めての災害と言われています。


  我々東北地方整備局も津波石を残した先祖達のように、

  同じ悲劇を繰り返さないことを願い、

  この被災経験・教訓を活かすための記録を作成しました。





※「吾(われ)疑う、故(ゆえ)に神(かみ)在(あ)り」 ―デカルトを読むジルソン


  デカルトの「方法序説」に記される「吾(われ)思う、故(ゆえ)に吾(われ)在(あ)り」。

  デカルトを研究したフランスの哲学者ジルソン(1884-1978)は、

  デカルトの思想について以下のように述べています。



    「私は考える、それゆえ私は存在する」というこの真理はかくも堅固で

    確実であることを(中略)みとめて、私はこの真理を躊躇なく、探しもとめていた

    哲学の第一原理として受け入れることができると判断したのである。


    それから私は「私が疑っている」ということ、したがって

    ――疑うより認識することのほうが完全性にあって大であると明晰に見てとったので、

    ――「私の存在はまったく完全ではない」ことを反省してみて…






数日前の天気さえ忘れている私。

花に対して、生きる世界に対して認識のない私。



「吾疑う、故に神在り」



自分自身を疑うということは、完全ではない自分を認識することのよう。

こう認識した時、完全な存在である神が人の心に宿り、

神を畏(おそ)れ敬うことで人は謙虚になることができるようです。



私たちは「交換」の世界に生きています。

東北の先人者が建てた津波石は、「交換」の世界ではなく、

「無償の贈与」の世界にあると感じます。



深い真実への扉は、この世界を、

多様で多層で様々な色をもった世界と捉え直した時に開かれるようです。



※高度教養教育の現状と課題 2017.06
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社高度教育寄付講座 第9回講演会
 ・ハーヴァード大学における人文学と教養教育
  ユキオ・リピット 先生 (ハーヴァード大学教授)
 ・降りつもる時の涯て−教養教育における人文学の意味
  熊野純彦 先生 (東京大学文学部教授)
 ・フランスにおける古典教育の諸相−ラテン語を学んで何ができるか
  マリアンヌ・シモン=及川 先生  (東京大学文学部准教授)
 ・日本の伝統芸能−学校教育と社会教育
  古井戸秀夫 先生 (東京大学文学部特任教授)



○真実・実体である 考える私

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質

○Dolphin Memory|イルカとともに過ごした時間


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季節と秩序を司る時の神ホーラが出迎える
ヴィーナスの誕生

「ヴィーナスの誕生」 1483年頃 サンドロ・ボッティチェッリ
ウフィッツィ美術館、フィレンツェ


天の神ウーラノスの男性性器が海に投げ込まれたときに、その精液が海に滴り、

そこから生まれたという天上のヴィーナス(Venus Caelestis)。

そのため母親はいないとされ、ヴィーナスと同一視される

ギリシヤ神話のアプロディーテのアプロスは「泡」のこと。



左には西風の神ゼピュロスと森の妖精クロノス。

ゼピュロスの吹く風によって、ヴィーナスの乗る貝は陸に辿り着こうとしています。

右には季節と秩序を司る時の神ホーラが出迎え、布をかけようとしています。



貝の上のヴィーナスは、腰からつま先に向けて左側に傾斜しており、

重力(物質・地上・人間の住む世界)とは無関係の存在として描かれているよう。



「プリマヴェーラ」に描かけるヴィーナスは、衣服を着ているのに対して、

「ヴィーナスの誕生」に描かれるヴィーナスは裸体であり、西洋美学に

おいては着衣より裸体の方が高尚・神聖な存在とみなされています。



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国

○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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参  考  情  報


○夏目漱石:青空文庫

○森鴎外 かのように - 青空文庫

○芥川龍之介 侏儒の言葉:青空文庫

○神奈川県立フラワーセンター大船植物園 - 神奈川県ホームページ

○第33回 全国都市緑化よこはまフェア

○趣味の園芸 - NHK

○日本いけばな芸術協会

○京都大学生態学研究センター・工藤洋研究室

○横浜市翠風荘

○蒙求 - 京都大学電子図書館

○古典籍総合データベース

○Web漢文大系 - 漢詩・漢文訓読サイト

○漢典 zdic.net

○世界の民謡・童謡 WORLDFOLKSONG.COM

○横浜美術館

○震災伝承館|国土交通省 東北地方整備局

○青年団公式ホームページ

○フリー百科辞典Wikipedia

○虞美人草 夏目漱石 新潮文庫 な-1-10 1951

○羅生門 杜子春 芥川龍之介 作 岩波少年文庫 2000

○鑑賞−中国の古典 第15巻 蒙求(もうぎゅう) 今鷹真 角川書店 1989

○蒙求 李瀚 朋友書店

○中国古典文学1 蒙求 2017.05
 講師 新谷雅樹 先生 神奈川県立国際言語文化アカデミア教授
 主催 放送大学神奈川学習センター

○テーマに沿って日本の歌を歌う 2017.05
 テーマ
  ・風景(情景)の歌
  ・生活の歌
  ・太陽、月、星などの歌
  ・天気の歌
  ・植物・動物の歌
  ・食べ物の歌
  ・人間の歌
 講師 新井ゆう子 先生 放送大学非常勤講師
 主催 放送大学神奈川学習センター

○フラワードリーム2017
 主催 一般社団法人JFTD
 共催 花キューピット協同組合、花キューピット(株)
 会場 東京ビックサイト

○NHK「趣味の園芸」公開収録 「東西カリスマ直伝!極上の鉢バラ講座」
 フラワードリーム2017

○花はなぜ春がわかるのか? 〜季節を測る分子メカニズム〜 2017.06
 講師 工藤洋 先生(京都大学生態学研究センター教授)
 第83回 京都大学丸の内セミナー

○西洋芸術の歴史と理論
 講師 青山昌文 先生 放送大学教授
 7.イタリア・ルネサンス美術 −ルネサンスの新プラトン主義−

○高度教養教育の現状と課題 2017.06
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社高度教育寄付講座 第9回講演会
 ・ハーヴァード大学における人文学と教養教育
  ユキオ・リピット 先生 (ハーヴァード大学教授)
 ・降りつもる時の涯て−教養教育における人文学の意味
  熊野純彦 先生 (東京大学文学部教授)
 ・フランスにおける古典教育の諸相−ラテン語を学んで何ができるか
  マリアンヌ・シモン=及川 先生  (東京大学文学部准教授)
 ・日本の伝統芸能−学校教育と社会教育
  古井戸秀夫 先生 (東京大学文学部特任教授)

○Great Books

○共に生きるアーツ
 −障がいのある子供たちと芸術家によるコンサートと展示会− 2017.03
 公演プログラム
  ・展示 (社会福祉法人愛育会・東京藝術大学)
  ・書道のパフォーマンス (金澤翔子)
  ・対談 障がい者アーティストとの対談
  ・コンサートプログラム
   ・ヨハン・シュトラウス:ラディツキー行進曲
   ・ヨハン・シュトラウス:春の声
   ・マスネ:タイスの瞑想 (独奏 川畠成道)
   ・春の小川
   ・ふるさと
   ・ベートーヴェン:交響曲 第9番 第4楽章の抜粋
    (合唱 東京都八王子特別支援学校生徒)
   ・松下功:幻想曲「通りゃんせ」
 主催 文化庁
 共催 一派社団法人日本作曲家協議会
 協力 東京藝術大学
 会場 文部科学省3階講堂

○逗子 市制60周年記念誌 笑顔…かがやく未来のまち ずし

○精神の生態学 グレゴリー ベイトソン, 佐藤良明(訳) 新思索社 2000

○わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か
 平田オリザ 講談社 2012

○発想の泉を掘り起こそう 2017.07
 講師 秋山仁 先生 東京理科大学教授
 会場  川崎市産業振興会館
 挨拶 福田紀彦 先生 川崎市長
     藤嶋昭 先生 東京理科大学学長
 第34回かわさき科学技術サロン

○交流分析基礎テキスト 交流分析学会 編 2017


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