輸出入品や外国人が乗った馬車が通行した

横浜・馬車道


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港と市街地を結ぶ往来として発展した
馬車道

早朝、人がまばらな馬車道


馬車道は、関内駅を出た本町4丁目の交差点から吉田橋までの500mほどの通り。

歌謡曲でも歌われヨコハマを代表する道路の一つだそうです。



馬車道は、幕末横浜開港とともに生まれ、港と市街地を結ぶ往来として発展し、

輸出入の品々を運んだ荷馬車や外国人などが乗った馬車が通行していた

ことから「馬車道」とよばれるようになったそう。



通りは多くの人たちが往来し、さまざまな商店が建ち並ぶ一方、

貿易会社や金融機関が軒を並べる通りでもあったそうです。



○まるごと横浜 港ヨコハマのブルーに染まって

○Bon Voyage 地球一周の旅へ


馬車道のロゴ 車止めも馬の形
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恋人も濡れる街角 1984 live version -中村雅俊

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明治時代の馬車道

資料:県立神奈川博物館


明治時代の馬車道。

貿易の安定を担ったというネオ・バロック様式の建物、

横浜正金銀行(現:神奈川県立歴史博物館)が見えます。



通りを歩く人たちの姿はまだ和服のようです。



○明治時代の別荘地 風光明媚な横浜・金沢八景


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空襲で焼け野原になった
馬車道

資料:県立神奈川博物館 写真提供:アメリカ国立公文書館


昭和20年の馬車道。

空襲により建物はほとんどなくなっています。



○降伏文章の調印式が行われた戦艦ミズーリ


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今はなき東宝会館
(現リッチモンドホテル前)

資料:県立神奈川博物館 写真提供:神奈川新聞社


東京オリンピックが開催される5年前、昭和34年の馬車道。

シネコンの草分け的存在であったという東宝会館が見えます。



横浜東宝会館は1956年に開館し、庶民に愛されてきたそう。

2001年、45年に亘る長い歴史に幕を閉じたそうです。



○横浜の変わりゆくこと 変わらないこと


リッチモンドホテル
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オート三輪が走る
馬車道

資料:県立神奈川博物館 写真提供:神奈川新聞社


昭和35年の馬車道。

今ではすっかり見ることができなくなったオート三輪が走っています。



○東京オリンピックのバレーボール会場であった横浜文化体育館

○東京オリンピックのサッカー会場であった三ツ沢競技場


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アイスクリーム発祥の記念像
太陽の母子



明治2年6月、

この地で氷水店をしていた町田房三が始めてアイスクリームを販売したそう。

当時は、アイスクリームではなく「あいすくりん」と呼んだそうです。



太陽の母子像は、昭和51年(1976年)日本アイスクリーム協会より、

アイスクリーム発祥の地を記念して寄贈されたものだそうです。



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日本写真の開祖



写真術は横浜が発祥だそうです。



1848年、オランダから長崎へダゲレイオタイプ一式という写真技術が渡来。

銀板写真に出会った狩野派の青年絵師・下岡蓮杖(しもおか れんじょう)は、

絵筆を捨て写真術習得の道へ歩み、横浜に写真館を開業。



日本に写真師という職業を確立したそうです。



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車を引いた馬が水を飲んだという
水飲馬牛



車を引いていた馬の水飲み場を再現したという「水飲馬牛」。



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旧横浜正金銀行本店



本格的なネオ・バロック様式の建造物だという旧横浜正金銀行本店。

国の重要文化財に指定されているそうです。



横浜正金銀行は、当時、

外国商人との取引の不便さや紙幣と正貨の差価に悩まされたことから、

正金(現金)による堅実な金融と取引の円滑化、貿易の増進を促すため、

福沢諭吉と大隅重信大蔵卿の力添えにより、

横浜正金銀行は国立銀行条例に準拠し、開業したそうです。



○日本唯一のネオ・バロック様式 迎賓館赤坂離宮

○本格的なドイツ・ネオバロック様式の建物 法務省旧本館

○北海道の金融を担った旧日本銀行 小樽支店


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神奈川の歴史を伝える
県立歴史博物館



旧横浜正金銀行の建物にある神奈川県立歴史博物館。



中世鎌倉、戦国後北条、開国と文明開化など、

日本の歴史の主要な舞台となった神奈川の歴史を古代から現代まで五つに分け、

わかりやすく展示されています。



○いにしえの相模の国へ

○東京400年の歴史と文化を展示する江戸東京博物館


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関内ホール



横浜市市民文化会館関内ホール。

かつてこの地には横浜宝塚劇場があったそうです。



落語などの寄席、ミュージカル、演劇が上演されています。



○芸能の町、横浜野毛


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広東料理がベースの中華料理店
生香園



周富輝オーナーシェフの中華料理店、生香園。

広東料理をベースにしたあっさり味の独自の中華を頂けます。



○日本最大の中華街 横浜中華街


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旧富士銀行横浜支店



ルスティカ積みの外壁に、ドリス式オーダーの付柱と

半円形窓が組み合わされて配されている旧富士銀行横浜支店。



当初は安田銀行横浜支店として建てられたそうで、

安田銀行は大正末から昭和初期にかけて、

ほぼ同じスタイルで各地に支店を建てているそうですが、

その中でも最大規模かつ、希少な現存例だそうです。




2013年現在、このビルには東京藝術大学の横浜キャンパスとして

大学院 映像研究科があるそうです。



○芸術文化の発展について指導的役割を果たすことを目指す東京藝術大学


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みなとみらい線
馬車道駅



横浜駅から元町・中華街駅をつなぐ「みらとみらい線」。

東急東横線と直通運転されているので渋谷から一本で来ることができます。



また、馬車道の最寄駅には、

JR根岸線(京浜東北線)関内駅、横浜市営地下鉄関内駅があります。


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以前は生糸検査場であった
横浜第二合同庁舎



馬車道から万国橋通りに入ると見える横浜第二合同庁舎。



横浜市歴史建造物に認定されている建物は、元々、

1926年(大正15年)に再建された横浜生糸検査所だったそうです。



○日本の近代化に貢献した生糸


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万国橋会議センター



万国橋の側にある万国橋会議センター。

会議室やトレーニングルーム、東京藝術大学などがあるセンターは、

海の上に建てられています。


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横浜コミュニティサイクル
baybike



横浜コミュニティサイクル baybikeは、

従来のレンタルサイクルとは異なり、

街の中に複数のサイクルポート(貸出・返却拠点)を設置して、

どこのサイクルポートでも自転車の貸し出し返却が自由に行えるシステムだそう。



○富山市の自転車市民共同利用システム アヴィレ

○パリの自転車共同利用システム「ベリブ」


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参  考  情  報


○馬車道商店街

○横浜の歴史 タイムスリップよこはま

○日本アイスクリーム協会

○神奈川県立歴史博物館

○横浜東宝会館

○横浜開港150周年 みんなでつくる 横濱写真アルバム

○横浜関内ホール 公式ホームページ

○横浜都市発展記念館

○周富輝【生香園】オフィシャルサイト

○(社)横浜港湾福利厚生協会

○横浜高速鉄道株式会社|みなとみらい線

○横浜コミュニティサイクル baybike


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