私が私になってゆく

ハイデガー「存在と時間」


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仮想現実で生きるか、現実の世界で目覚めるか
マトリックス

映画「マトリックス(The Matrix)」のポスター
1999年 ワーナー・ブラザース (アメリカ)


1999年に公開された映画「マトリックス」。

キアヌ・リーブスが演じる主人公のトーマス・アンダーソンは、大手ソフトウェア

会社に勤めるプログラマ。その一方で、トーマスにはあらゆるコンピュータ犯罪

を起こす天才ハッカー、ネオというもう1つの顔があった。



平凡な日々を送っていたトーマスは、ここ最近、起きているのに夢を見ている

ような感覚に悩まされ「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」

という、漠然とした違和感を抱いていたが、それを裏付ける確証も得られず

毎日を過ごしていた。



ある日、トーマスは、「起きろ、ネオ(Wake up, Neo.)」「マトリックスが見ている

(The Matrix has you.)」「白ウサギについて行け(Follow the white rabbit.)」

という謎のメールを受け取る。

ほどなくしてトリニティと名乗る女性と出会ったトーマスは、トリニティの仲間

モーフィアスを紹介され「貴方が生きているこの世界は、コンピュータによって

作られた仮想現実だ」と告げられ、このまま仮想現実で生きるか、現実の世界

で目覚めるかの選択を迫られる。


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自分を見失う
気になる自分の存在



こんなことでは自分がやっていけない。自分の存在自体がやりきれない。

人は生きていて、そう思うことが少なからずあります。自分が処理しきれ

ない問題を抱え込んでいる、そこから途方もないストレスがかかってくる。

自分のやりかたが悪いのかもしれない。自分の能力が足りないのではないか。




自分の存在については、いくつも疑問があります。たとえば、自分の存在は

どうしてこうも気になるのでしょうか。自分がどう存在するか、本当に自分で

決定できるのでしょうか。なぜ、自分が生きていくことに不安を感じるのでしょうか。

自分の死という問題とどう取り組めばよいのでしょうか。

このような疑問について少しでも深く考えてみることは、私たちが生きていくうえ

で大きな助けとなります。



※ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002
 はじめに 生きてあることの理論としての「存在の哲学」 p7-8


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「存在とは何か」を問い続けた哲学者
マルティン・ハイデガー

ドイツの哲学者 マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger、1889-1976年)


ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーは、19世紀後半、目覚ましい工業発展

を遂げるドイツに生まれ、第一次世界大戦(1914-1918年)、第二次世界大戦(1939

-1945年)と、ドイツにとっては2度の敗戦を経験した激動の時代を生きました。



人類史上初の世界大戦といわれる第一次世界大戦は、戦車・飛行機・毒ガス・

通信といった新たな武器が利用され、それまでの戦争と比較にならない程の

死傷者を出したといわれます。



ハイデガーの主著「存在と時間」は、第一次世界大戦後の1927年に発表され、

そこで問題としたのは「存在とは何か」ということでした。

ハイデガーは、私たちが生きて存在しているという事実に哲学者として取り組み、

存在のさまざまな側面を分析し、存在することの普遍的な構造を取り出そうとしました。


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ハイデガーの生きた時代
工業が飛躍的に発展したドイツ

The BASF-chemical factories in Ludwigshafen, Germany, 1881
BASFは、ドイツ南西部のルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインに本社を置き、
150年の歴史を持つ世界最大の総合化学メーカー。


1770年代イギリスにおいて興った産業革命に遅れること約70年、

1840年代にドイツにおいて工業化が始まります。

ドイツは、その後1870年代から1910年代にかけて、工業化が飛躍的に発展し、

繊維工業に加え、製鉄、機械器具工業から鉄鋼業、機械工業へと発展を遂げます。



その結果、鉄鋼(てっこう)の生産では鋼鉄(こうてつ)生産でドイツが1893年にイギリス

のそれを凌駕し、銑鉄(せんてつ)生産でも1903年にイギリスを追い抜きます。



化学工業の中の新しい有機合成化学をとると、人工染料でドイツが1870年代に

世界の半分、1900年代には世界の90%を占めるまでになってゆきます。



※1870−1913年における工業化第二段階への発展過程
 大和正典 先生 帝京大学教授
 帝京国際文化 17号 2003年、帝京大学メディアライブラリーセンター


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ハイデガーの生きた時代
第一次大戦に歓喜するドイツ市民

ミュンヘン「オデオン広場」で第一次世界大戦開戦のニュースに
歓喜する市民と、その中に写る無名時代のヒトラー ○印 1914


※わが闘争 アドルフ・ヒトラーより


  私は当時の時期を、青年時代のいらだたしい気持ちからの救済であったように感じた。

  私は今日でもはばかることなくいえることであるが、嵐のような感激に圧倒され、

  崩れ折れて、神がこの時代に生きることを許す幸福を与え給うたことに

  あふれんばかり心から感謝した。





1889年、一般家庭に生まれたアドルフ・ヒトラー。

中等学校では2度の留年を経験した後に退学となり、新たに通った学校も退学。

1907年には画家を目指しウィーンにある美術学校を受験するも不合格、

翌年、再受験するも不合格となっています。



両親から相続を受けていたこともあり、特に仕事には就かず、

絵を描いたり、劇場や図書館で過ごしたといわれ、

酒・タバコ・ギャンブルはやらず、彼女もいなかったといいます。



ヒトラーは硬直的な正規教育の課程を憎んでいたようで、

そのような中、第一次大戦が勃発します。


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ハイデガーの生きた時代
第一次大戦の敗戦

Demobilization after World War I
第一次世界大戦後、祖国に復員するドイツ兵


人類史上最初の世界大戦といわれる第一次世界大戦(1914-1918年)。

工業の発展により、戦車・飛行機・毒ガス・通信といった新たな武器が

利用され、それまでの戦争と比較にならない程の死傷者を出したといわれます。



第一次世界大戦で敗戦となったドイツは、ヴェルサイユ宮殿で調印した講和条約

(1919年)によって、海外植民地をすべて失った上に、本土の10%を割譲、

連合国に対して賠償支払いを課せられ、軍備は厳しく制限されます。



大量虐殺と徹底した破壊、ハイパーインフレーション、政治的混乱。

敗戦国ドイツは戦争以前の生活のすべて、文化やそれへの自信は崩壊し、

人生の空虚さの感情、ペシミズム・ニヒリズムを引き起こし、

ナショナリズムに救いを求めるようになっていったといわれます。


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ハイデガーの生きた時代
ヒトラー内閣の誕生

ヒンデンブルク大統領と握手するヒトラー首相(1933年3月)


プロイセン王国の貴族ユンカー家の長男として生まれたパウル・フォン・ヒンデンブルク。

第一次世界大戦のタンネンベルクの戦いにおいてドイツ軍を指揮して

ロシア軍に大勝利を収め、ドイツの国民的英雄だったといいます。



1933年、ついに内閣を樹立したヒトラーと握手を交わすビンデブルク大統領。

英雄の民主化を象徴するシーンだったといいます。



※「絵葉書の戦争―第一次世界大戦と英霊崇拝の変容―」 2016.02
 講師 村上宏昭 先生(西洋史学)
 会場 筑波大学 東京キャンパス文京校舎
 平成27年度 筑波大学大学院人文社会科学研究科 公開講座2
 変革期の社会と人間V―「破壊」と「再生」の歴史・人類学―
※破壊と再生の歴史・人類学 ─自然・災害・戦争の記憶から学ぶ
 伊藤純郎・山澤学 (編著) 筑波大学出版会 2016


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ハイデガーの生きた時代
その頃の日本

1872(明治5)年、新橋-横浜間で開業した日本初の鉄道
浮世絵に描かれた開業当初の鉄道(横浜)


明治を迎え、日本には欧米の技術や制度・教育・文化が取り入れられ、

日本人の生活は大きく変わってゆきます。



イギリスから鉄道技術や車両などが輸入され、1872(明治5)年、

日本で初めての鉄道が新橋-横浜間(29km)に開業します。

それまで徒歩で10時間程かかっていたところを53分でつないだそうです。



都市では洋風建築が建ち並び、道路は舗装され、馬車や人力車が走り始めます。

ちょんまげは断髪令(だんぱつれい、1871(明治4)年)によって禁止され、

人々はザンギリ頭で欧米から入ってき洋服を着て街を歩くようになります。



江戸時代、日本人には肉を食べる習慣がなかったそうですが、明治期に入ると

牛肉・牛乳・パンなどが食生活に取り入れられ、街では牛鍋屋が人気となります。



郵便事業の開始(1871年)、電信・新聞・雑誌の普及、太陽暦の採用(1872年)など

日本人の生活は大きく変わってゆきます。



○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み

○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所

○急激な近代化を遂げてきた日本|近代化の象徴 競馬


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明治という時代の体質
坂の上の雲を見つめた楽天主義

日本海海戦(1905.5.27-28) 日露戦争(1904-1905年)
5月27日早朝、バルチック艦隊との決戦に出撃する連合艦隊(「朝日」艦上より)


※NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 2009 第1回「少年の国」 冒頭メッセージ


  まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

  「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

  産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級で

  あった旧士族しかなかった。

  明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。

  誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、

  日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。

  この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。

  社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために

  必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、軍人にも、教師にも

  成り得た。この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。



  今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の

  連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。

  財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、

  元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望で

  あった。



  この物語は,その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと

  対決し、どのように振舞ったかという物語である。

  主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、

  ともかく我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

  四国は、伊予松山に3人の男がいた。

  この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、

  勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、

  それを実施した。

  その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれる

  コルサック師団を破るという奇跡を遂げた。

  もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、

  その中興の祖となった俳人・正岡子規である。



  彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。

  上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いていると

  すれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。



※原作「坂の上の雲」 司馬遼太郎 文春文庫



○潮風に導かれ開国ロマン溢れる浦賀へ

○SO HAPPY 大連|北方の良港と呼ばれる港街

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


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汽車の見える所を
現実世界という

復元された旧新橋停車場 (汐留)


※草枕 夏目漱石 十三 1906年(明治39年)


…停車場(ステーション)に向う。

いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。

汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を

同じ箱へ詰めて轟(ごう)と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆

同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸気の恩沢

(おんたく)に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると

云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑

したものはない。



文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる

限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前(ひとりまえ)何坪

何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと

云うのが現今の文明である。



同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出ては

ならぬぞと威嚇(おどかす)のが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を

擅(ほしいまま)にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然

の勢(いきおい)である。憐むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛みついて

咆哮(ほうこう⇒獣のように吠える)している。



文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛(たけ)からしめたる後、これを檻穽

(かんせい⇒おりと落とし穴)の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。

この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨(にら)めて、寝転ん

でいると同様な平和である。檻(おり)の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃ

めちゃになる。第二の仏蘭西革命(フランスかくめい)はこの時に起るのであろう。



個人の革命は今すでに日夜に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の

起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人(ごじん)に与えた。余は汽車の

猛烈に、見界(みさかい)なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様を見るたびに、

客車のうちに閉とじ籠こめられたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意

をだに払わざるこの鉄車(てっしゃ)とを比較して、――あぶない、あぶない。

気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝(つ)かれるくらい

充満している。おさき真闇に盲動(もうどう)する汽車はあぶない標本の一つである。


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社会構造の急激な変化
故郷喪失

Berlin in 1912


ドイツでは、19世紀後半において農業から第二次産業へと経済基盤が移行する。

20世紀初頭には当時のドイツの人口の約半数が、職を求めて生まれ故郷を去り

産業の新しい中心地に移住せざるをえなかった。



この過程は当然のことながら古い社会経済構造、生活様式、自然環境を急激に

変化させていった。1959年の「放下」は、この急速な変容の過程で多くのドイツ人

が故郷を失ったと指摘する。

故郷の農村から追放されて生まれ育った村や町を離れざるをえなかった人々。

自ら故郷を捨て全てを歯車と化していき大都会の機械的繁忙のうちに入り込まざる

えなかった人々。



古くから住み慣れた故郷から疎外されているのはこれらの故郷を失った人々だけで

はない。たとえ故郷にとどまっているとしても、故郷にとどまらざる得ないことを嘆き

都会への憧れに胸を焦がす人々こそ、故郷を離れた人々以上に故郷を失っている。

これがハイデガーの認識である。平均的日常性に対するハイデガーの批判の根底

には、都市や農村の歴史的経緯に対する懐疑が伏在する。



※13 ハイデガーの存在論─現象学者ハイデガー─
 2.ハイデガー存在論における現象学的還元─志向性と関心─ (2)故郷喪失 p192
 講師 寿卓三 先生 愛媛大学教授
 ドイツ哲学の系譜('14)
 主任講師 佐藤康邦 先生 放送大学教授
        湯浅弘 先生 放送大学客員教授・河村学園女子大学教授


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どこへ行くのか分からない
大きな船

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
(1897-1898年) ポール・ゴーギャン ボストン美術館


10の不思議な夢が綴られる夏目漱石の小説「夢十夜(ゆめじゅうや,1908年)」。

第七夜には「故郷喪失」を示唆するような夢が語られています。



※「夢十夜」 夏目漱石 第七夜


  何でも大きな船に乗っている。この船が毎日毎夜すこしの絶間(たえま)なく

  黒い煙(けぶり)を吐いて浪(なみ)を切って進んで行く。凄まじい音である。

  けれどもどこへ行くんだか分らない。

  ただ波の底から焼火箸(やけひばし)のような太陽が出る。

  それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂(かか)っているかと思うと、

  いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。

  そうして、しまいには焼火箸(やけひばし)のようにじゅっといって

  また波の底に沈んで行く。そのたんびに蒼(あお)い波が遠くの向うで、

  蘇枋(すおう⇒植物、ハナズオウ、紫がかった赤色の実をつける)の色に

  沸き返る。すると船は凄すさまじい音を立ててその跡を追(おっ)かけて行く。

  けれども決して追つかない。



  ある時自分は、船の男を捕(つら)まえて聞いて見た。

  「この船は西へ行くんですか」

  船の男は怪訝(けげん)な顔をして、しばらく自分を見ていたが、

  やがて、「なぜ」と問い返した。

  「落ちて行く日を追かけるようだから」

  船の男はからからと笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。



  「西へ行く日の、果ては東か。それは本真(ほんま)か。東出る日の、

  御里(おさと)は西か。それも本真か。身は波の上。かじ枕。流せ流せ」と

  囃(はや)している。舳(へさき)へ行って見たら、水夫が大勢寄って、

  太い帆綱(ほづな)を手繰(たぐ)っていた。



  自分は大変心細くなった。いつ陸(おか)へ上がれる事か分らない。

  そうしてどこへ行くのだか知れない。ただ黒い煙けぶりを吐いて波を切って

  行く事だけはたしかである。その波はすこぶる広いものであった。際限もなく

  蒼く見える。時には紫にもなった。ただ船の動く周囲(まわり)だけはいつでも

  真白に泡を吹いていた。



  自分は大変心細かった。

  こんな船にいるよりいっそ身を投げて死んでしまおうかと思った。

  乗合はたくさんいた。たいていは異人のようであった。しかしいろいろな顔を

  していた。空が曇って船が揺れた時、一人の女が欄(てすり)に倚(よ)りかかって、

  しきりに泣いていた。眼を拭く手巾(ハンケチ)の色が白く見えた。しかし身体には

  更紗(さらさ)のような洋服を着ていた。この女を見た時に、悲しいのは自分ばかり

  ではないのだと気がついた。



  ある晩甲板(かんぱん)の上に出て、一人で星を眺めていたら、一人の異人が来て、

  天文学を知ってるかと尋ねた。

  自分はつまらないから死のうとさえ思っている。天文学などを知る必要がない。

  黙っていた。するとその異人が金牛宮(きんぎゅうきゅう⇒牡牛座、現在は牡羊座)

  の頂いただきにある七星の話をして聞かせた。そうして星も海もみんな神の作った

  ものだと云った。

  最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。自分は空を見て黙っていた。



  或時サローンに這入(はい)ったら派手はでな衣裳を着た若い女が向うむき

  になって、洋琴(ピアノ)を弾いていた。その傍(そば)に背の高い立派な男が

  立って、唱歌を唄っている。その口が大変大きく見えた。けれども二人は

  二人以外の事にはまるで頓着(とんじゃく)していない様子であった。

  船に乗っている事さえ忘れているようであった。



  自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、

  あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――

  自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が

  惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。

  自分は厭(いや)でも応でも海の中へ這入らなければならない。

  ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に

  水に着かない。しかし捕まえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて

  来る。いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。



  そのうち船は例の通り黒い煙けぶりを吐いて、通り過ぎてしまった。

  自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと

  始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と

  恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」

○海運が支える日本の豊かな暮らし


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平均化・平坦化する
私たちの存在可能性

日本丸U 横浜港・大さん橋


どこへ向かうのか不明なこの大きな船に乗っているのは、「自分」のほかには、

「船の男」や異人も含む多種多様な乗客。彼らは相互に無関心で自閉的であり

ながら、「大きな船」という彼らの存在基盤に対する絶対的な信頼を共有している。

「自分」のように「いつ陸に上がれる」のか、また「どこへ行くのだか知れない」

という存在様態を生きる多くの人々は、「適所全体性」としての「世界」に違和感

を抱き不安の中で彷徨(さまよ)っている。



概して世人(せじん:Das Man)は、常に「みんな」との関係を結び、無意識のうちに

「みんな」との「差異」に気を配っている。「出る杭は打たれる」言葉通り、優越は

抑圧される。特定の誰ということでも、合計というわけでもなく、誰もがそれである

世人は、それと確認できず目立たないことからこそ、かえってその「固有の独裁」

をふるい、わたしたちの日常の振る舞いをそのすみずみまで規定し、わたしたちの

存在可能性を平均化し平坦化する。



※13 ハイデガーの存在論─現象学者ハイデガー─
 3.ハイデガーにおける「単独化」再考 p196-198
 講師 寿卓三 先生 愛媛大学教授
 ドイツ哲学の系譜('14)
 主任講師 佐藤康邦 先生 放送大学教授
        湯浅弘 先生 放送大学客員教授・河村学園女子大学教授



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学

○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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飼い慣らされた
どこかの島

「飼い慣らされた島(日本)−愛の島」 マップオフィス 2017
「Domesticated Island(Japan)−Island of Love」 MAP Office
ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」 横浜美術館


※1Q84 村上春樹 新潮社

  「集まり」の中で暮らす大人たちは、その外にある世界のあり方を嫌っている。

  自分たちの住んでいる世界は、シホンシュギの海の中に浮かんだ美しい孤島

  であり、トリデなのだ、と彼はことあるごとに言う。




※毎日新聞 村上春樹インタビュー 2008年5月12日より


  僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による「精神的な囲い込み」

  のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐え

  られない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込み

  があって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。



  物語というのは、そういう「精神的な囲い込み」に対抗するものでなくてはいけない。

  目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。

  深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです。



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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本来的な自己を喪失しつつ
存在する人間

太宰治 (だざいおさむ、1909(明治42)年-1948(昭和23)年)


※「人間失格」 太宰治 昭和23年 「第一の手記」より


  しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、

  屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか?

  エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、

  いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、

  しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、

  わからない、



  ……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、

  自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。

  自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。

  何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。



  そこで考え出したのは、道化でした。

  それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。

  自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、

  人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。

  そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。

  おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の

  兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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本能や肉体が抑圧された時代
近代

機関車を製造したザクセン機械工場(1905年頃、ドイツ・ザクセン州ケムニッツ)


近代とは、社会や公共生活の表面から本能や生(なま)の肉体に関わるもの、

つまり暴力、性、糞尿といったものの一切が抑圧、隠蔽(いんぺい)された時

に誕生した時代です。



時期的にいえば、16世紀を分水嶺として、ヨーロッパ文化が農村型・民衆型な

方向から都市型・宮廷的なそれへと流れをかえた時に始まり、19世紀いっぱい

かかって「市民文化」の成熟とともに完成をみたといってもよいでしょう。



これは私流のいい方ですが、ホッブズが社会契約説で、N・エリアスが「文明化」

の概念で、M・ダグラスが「禁忌(きんき)」や「汚穢(おあい)」という言葉で、

M・フーコーが「狂気の歴史」や「性の歴史」で語りたかったこととも、

大した径庭(けいてい⇒へだたり)はないと思います。



ホイジンガのいう中世の秋に現れた「美しい生活への憧れ」、イタリアは

ウルビーノのF・ダ・モンテフェルトロの宮廷が抱いた清潔志向とか

そこで誕生した礼節文学が目指したのも、方向性は同じでしょう。



※シェイクスピアのロンドン−過ぎゆくもの、変わらざるもの− 2017.10
 講師 玉泉八洲男 先生 (東京工業大学名誉教授)
 司会 久保田淳 先生 (東京大学名誉教授)
 会場 日本学士院会館
 第67回日本学士院公開講座


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非合理なものとして軽視・抑圧されてきた
感情

1901(明治34)年に官営製鉄所として操業を開始した
八幡製鉄所(北九州市)


気分、あるいは感情(パトス)といった現象は、近代の哲学の伝統の中では

世界の現象と同様、飛び越され軽視されあるいは無視されてきたと言える。



物(事物的存在)の世界の法則性を正確に捉え基礎づけることを主眼と

する近代の認識主観によっては、物のように数量化、対象化、客観化する

ことのできない「気分」、「感情」という、ほかならぬおのれの持つ要素は、

「単なる主観的なもの」「非合理なもの」として、あるいは軽視されあるいは

抑圧されてきたのである。



近代の主観は、単に無世界的であるだけでなく、また、少なくとも外面は

無表情であると言えるかもしれない。



※ハイデガー「存在と時間」入門 渡邉二郎(編) 講談社学術文庫 2011
 第三章 現存在の予備的な基礎的解析(その2) 寺邑昭信
 4 内存在そのもの (2)情状性としての開示性 p129-130



○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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道具としての存在からの解放
ヒューマナイズ

「モダン・タイムズ」(1936年) チャーリー・チャップリン監督・主演
「Modern Times」 Charlie Chaplin


道具を背後から動かした原動力と作業技術とが、人間の技術的身体から

離れて組織的統一の下に道具の内へ移って行った時、その時道具は手先

を離れて巨大なる機械に化身し、人間は自動機械の前に立つ作業監督と

なり、唯時折切れた糸を繋ぐ他には仕事はなくなったのである。



※「身体と精神」「表現愛」(1939) 木村素衛(きむらもとより、1895-1946年)
※表現愛―戦後日本思想の原点 木村素衛(著), 小林恭 (編) こぶし文庫 1997 p43



○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識


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科学文明は近代の人間の意欲そのもの
科学文明と倫理の問題

広島へ投下した原子爆弾 1945年8月6日


結局、科学文明は近代の人間の意欲そのものの所産であり、結果である。

この問題は究極的には人に対処し、いかに抵抗し、いかに回避するかの

過去の人間の問題とは全く性格を異にする。人間が自然にでなく、人間に

苦しみ、人間に苦しめられているのであり、いかに人間が人間自身に克つ

かが問題なのである。



今日の世界の人間が恐怖している原子爆弾もかつての人類が戦慄した

予測しがたき自然の脅威ではなく、人間自身が発明し、人為的に作った

ものであり、人間が敢えてこれを行使することさえしなければ何らの脅威

とはならないものである。原子爆弾の恐怖は自然力のそれでなく人間の

悪意のそれである。倫理の問題である。しかしその倫理の規模、やがて

その「人間」の規模が問題なのである。人間の教養を古典的文学に求めた

ヒューマニズムに対する二十世紀のヒューマニズムは科学をヒューマナイズ

することをその課題とするべきである。



※「科学文明と倫理の問題」(1952年) 下村寅太郎
 下村寅太郎著作集11 哲学的問題



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面

○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」

○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける


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核兵器のない世界へ
核軍縮と日本

人類最初の核実験「トリニティ実験」 ニューメキシコ州 1945年7月16日
爆発から16ミリ秒後の火の玉。この実験の結果、同型のプルトニウム
原子爆弾「ファットマン」が長崎に投下されました。


1945年8月6日、人類史上初めての核爆弾(ウラニウム)が広島に投下され、

その3日後の8月9日、人類史上最後の核爆弾(プルトニウム)が長崎に投下

されます。



核兵器の禁止を目指す条約交渉における日本の対応は以下のとおり。

○2015年 国連総会メキシコ提案
 賛成:138 反対:12 棄権:34、日本は棄権

○2016年 オープンエンド作業部会
 賛成:68 反対:22 棄権:13、日本は棄権、核兵器保有国は不参加

○2016年 国連総会オーストリア・メキシコ提案
 賛成:113 反対:35 棄権:13、日本は反対

○2017年 核兵器禁止条約(TPNW)交渉
 日本は初日参加したのち不参加



核軍縮は国の安全保障と密接に関係し、核兵器保有国と同盟関係にある

国は保有国に寄らざる得ない状況にあるといいます。



賛成・反対数の推移から見ると、核兵器保有国と非核兵器国との分断は

進んでいるように思えます。



※核軍縮と日本 2017.12
 講師 浅田正彦 先生 (京都大学法学部法学研究科 教授)
 会場 京都アカデミアフォーラム in 丸の内
 国際社会の中の日本─世界との関係・日本の現状─
 京都大学「東京で学ぶ 京大の知」シリーズ26


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人間にとって一番大切な
おのれ自身

渋谷スクランブル交差点


人間にとってなによりも大切なのはおのれ自身の存在である。

人間は常におのれの存在を気遣いつつ存在している。

したがって、「人間の存在」とは、「おのれの存在を気遣うこと」にほかならない。

人間はこうしたおのれの存在への気遣いを通してはじめて、

およそ、存在するということを一般をも、素朴ではあれ、了解するものである。



※ハイデガー「存在と時間」入門 渡邉二郎(編) 講談社学術文庫 2011
 第二章 現存在の予備的な基礎的解析(その1) 岡本宏正
 本章の課題と構成 p72



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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「自分への配慮」を「他者への配慮」に置き換える
高度なコミュニケーション

「A Conversation」 Vladimir Makovsky (Russia, 1846-1920)


なによりも大切なものは自分自身の存在である人間にとって、

他者から配慮されたいと考えるのは自然のなりゆきのように思えます。



言い方を変えれば、なによりも大切なものは自分自身の存在である

にも関わらず、他者への配慮が求められているとも言えそうです。



他者への配慮が免除される方法の一つはお金を支払うことであり、例えば、

運賃を支払ってバスに乗ることは「安全に運転する」という配慮から免除され

ています。バスの運転手からみれば運賃を頂く代わりに、「安全に運転する」

という配慮を乗客にしています。



このような関係が成り立つ社会環境のなか、人間は「自分への配慮」

を「他者への配慮」に置き換えるという高度なコミュニケーションを

手に入れたように思えます。



○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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自由とは自分自身に対して
オープンであること

杉原千畝(すぎはら ちうね、1900年-1986年)


私たちは自分でありながら「自分を見失い」、「自分の前」にいないことが

あるのでしょうか。



私たちは「自分自身を選ぶ、もしくは、自分自身を選び取る自由に対して

開かれた存在」であり、世間並みの自分を選ぶか、そうでない自分を選ぶか、

選択の自由にたいして開かれているのです。



自由とは、なにかが起こることに対してオープンであるということです。



※ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002
 U 「自分が存在している」という事実をどう捉えるか
 1 「自分」というのはなにか」 p54-56



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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絶対命令と人道との間で悩みぬく
究極の人間の姿

根本 博(ねもと ひろし、1891-1966年)


福島県仁井田村(現・福島県須賀川市)出身の元日本陸軍中将、根本博

(ねもとひろし、1891-1966年)。

戦時中は駐蒙(ちゅうもう)軍司令官を務め、日本の終戦を告げる玉音放送は、

内モンゴルに通じる貿易・交通の要地、張家口(ちょうかこう)で聴いたといいます。



軍にとって玉音放送は、大元帥である天皇陛下からの「武装解除命令」を意味

しますが、根本はソ連に近いこの場所で武装解除をすれば、中国大陸にいる

多くの日本人が危機に陥ると考え、命令を破り最後まで武装解除を拒否します。

ソ連との攻防で多くの犠牲を払った駐蒙軍の奮闘によって、命をつなぎ祖国に

帰還することができた日本人は少なくないといわれます。



その一方、満州にいた日本人居留民は、関東軍の武将解除受入れによって、

虐殺やレイプ、略奪などといった多くの悲劇に見舞われたことは良く知られます。



作家の門田隆将さんによると、軍人にはふたつのタイプがあるといいます。

そのひとつは、エリートになったことで驕(おご)りが生じ、過信してしまった人たちと、

もう一つは、人間の在り方というものを失わずに現実を見据えていた人たち。



根本さんは後者の人物だったといい、敵将の中国人とすら心を通わせ合うような人物

によって、多くの日本人の命が救われました。



※この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
 門田隆将 角川文庫 2013



○満州からの逃避行が綴られる「流れ星は生きている」

○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿

○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして


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命令に従っただけ
無罪を主張したホロコーストの責任者

ユダヤ人問題解決の実行責任者であったナチス・ドイツの幹部
アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann、1906-1962年)


ユダヤ人問題解決(⇒ホロコースト)の責任者であったナチス・ドイツの幹部

アドルフ・アイヒマン。



終戦後はアルゼンチンに逃亡するもイスラエルに捕らえられ、エルサレムで

裁判にかけられます。アイヒマンは、自分は祖国の法に従っただけであると

無罪を主張しますが、絞首刑の判決を受け、1962年、刑が執行されます。



○パレスチナ人を見舞った民族浄化の悲劇 ナクバ


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人間の最後の自由
起こる出来事に対する人間がとりうる態度

Leichenverbrennung durch das Sonderkommando KZ Auschwitz-Birkenau
特殊部隊による火葬|アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 1944


オーストリア・ウィーンの精神科医であったヴィクトール・エミール・フランクル。



著書である「夜と霧(強制収容所における心理学者の体験)」は、

ユダヤ人という理由でとらえられ、過酷な強制収容所生活を

余儀なくされた経験が綴られています。



過重労働、飢餓、拷問、人体実験、伝染病などがはびここる

「この世の果て」ような場所で自分を守り、生き抜いていくために、

人々は「無感動」「無感覚」「無関心」の状態になったそうです。



そのような中、人々の「生」と「死」を分けた一つは、

「未来に対して希望を持ちえているか否か」であったと言います。



そして、どんなに極限状態であったとしても、

人間の最後の自由である「起こる出来事に対する人間がとりうる態度」は、

奪いとることができないそう。



収容所では、死にゆく仲間のパンや靴を奪い取る者がいた一方、

みずからが餓死寸前の状態にありながらも、自分のパンを与え、

励ましの声をかけた人がいた中、

どちらの態度をとるかは、個人の精神的な態度によるそうです。



※夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録 V.E.フランクル, 霜山徳爾(訳)
 みすず書房 1985



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ


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消滅を考慮したところに成り立つ
厳しい問い



私たちは、「これでよいのだろうか」、「もっとよいやり方があるのではないだろうか」、

というように、よりよい可能性を求めて、今の状態を疑ってみることができます。

疑うことができる、問いかけることができるというのは人間の自由の現れでも

あります。



「これでよいのだろうか」、と問うことは、私たちの選択の自由を保障するものです。

自由の問いは、厳しい問いでもあります。問うことで、現実をもう一度根本から

問い直してみることです。もし、この問いを真剣に考えるのであれば、現状を

変える覚悟が必要となります。現状の変えるために、自分の在り方を変える

覚悟が前提となってきます。自分との対決を迫られるのです。



真の変革とは、そのこと自体の消滅を考慮したところで、「これでよいのだろうか」

と問うことです。徹底した破壊の可能性がないところでは、「これでよいのだろうか」

という問いは、真の意味で立てられているとは言えないのです。



※ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002
 T 存在にどう取り組むか 方法の問題、3 根本的な問い考える
 自分の自由から発せられる問い p35-38



○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


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自我を否定しないのは怠惰
水木しげる出征前手記

鬼太郎茶屋 深大寺の門前街 (調布市)


「ゲゲゲの鬼太郎」の著者である水木しげるさん(1922-2015年)。

1959(昭和34)年に調布に移り住んで以来、亡くなるまで住まれたそうです。



水木しげるさんは妖怪漫画家として知られる一方、戦争漫画を数多く残した

ことでも知られます。太平洋戦争時に激戦地となったラバウル(パプアニュー

ギニア)に赴き、左腕を失うも九死に一生を得た経験から、「ラバウル戦記」、

「総員玉砕せよ!」などの著作があります。



戦争に赴く前に記した原稿用紙38枚にも及ぶ「出征(しゅっせい)前手記」には、

これから戦地に送られる青年の不安や率直な思いが赤裸々につづられています。



※「戦争と読書 水木しげる出征前手記」 水木しげる 荒俣宏 角川新書 2015
  p18-19


  二日(昭和十七年十月)  (水木しげる 20歳)


    今日も恥じ多き日だった。結局人間は馬鹿だ。

    人間を去れば恥じも失せるだろう。


    深く知らなければ救われない。

    広く浅くでは駄目だ。


    自我を否定する時は今だ。

    この環境がこぞつて吾を滅ぼさんとする時、

    泣かずわめかず自我を否定して怠けざるべく努めるのは今だ。

    耐えるのは今だ。

    自分はこうした事件(召集状)にその強さを発揮する。

    平常の考へは、あとかたもなく吹き飛んでしまつて怠惰(たいだ)な、

    苛々(いらいら)した、世界が現れる。

    思ふに結局自我を否定しないのは怠惰だ。



○はてなき光景をもった絶類の美 武蔵野


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故郷喪失の時代
「開けた明るみ」の場のうちに住むことを学び直す

真実の口(伊:Bocca della Verita) Santa Maria in Cosmedin


※「ヒューマニズム書簡」 ハイデガー 1947年

  存在の投げによって、人間は存在の開けた明るみのなかに住み、

  この存在の近さが故郷であるが、近代的人間は故郷喪失の運命のなかにある。




※千葉経済大学短期大学部 こども学科学科長・教授 大沼徹 先生


  ハイデガーは、現代を「故郷喪失の時代」と特徴づけました。ここで言う故郷とは、

  生まれ故郷という意味ではなく私たちの存在の拠り所となっている故郷のことで、

  私たちの日常の行動や知的な活動の基盤となっているものです。

  私たちは、生まれて人間として成長していく中で、この故郷世界を形成しつつ

  育ち上がってきたのです。しかし、科学技術万能の現代社会の中で「確実な知識」

  (確知性)に目を奪われ、その故郷があることを忘れてしまったのです。

  これは、現代の人間的なものの喪失にも繋がっています。



○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして

○そよ風に乗ってローマの街並みへ


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現に存在しているなかで自分自身に出会う
目覚め

鏡に映った自分を見つめる人々


※存在論(オントロギー) 真実性の解釈学 ハイデガー


  現に存在しているなかで自分自身に出会うという哲学的な目覚め、

  このような目覚めは哲学的である。つまり、こういうことだ。哲学が、

  現に存在している自分に出会うための決定的な可能性とやりかたを

  つくり上げているのであり、そう考えることで、哲学についてひとつの

  根源的な自己解釈が与えられてくる。そして。目覚めが動き始める。





哲学の理論考察とは、「現に存在しているなかで自分自身に出会う」ための

手続きなのです。しかも、この自分自身との出会いは、目覚めることを意味

します。自分を変えることでも、別の自分になることでもない。そうではなく、

目覚めです。



では、目覚めとはなんでしょうか。それは、眠りから目を覚ますことです。

ハイデガーは眠りについて、「眠っているものは、独特なかたちで不在である

と同時に現にいる」と言いますが、半ば不在であると同時に半ば現にいるもの、

それだけが目を覚ますことができます。逆に言うと、目を覚ますためには、

自分が眠っている状態、つまり曖昧な宙吊りの状態にあることを知らなくては

なりません。哲学は、つまり、目覚めは、ここから始まります。



※ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002
 T 存在にどう取り組むか 方法の問題、1 「存在そのもの」について考える
 哲学とは目覚めることである p17-21


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人間へと開き示されている「存在」
現存在

「魔女たちの飛翔」 (1797-98年頃) フランシスコ・デ・ゴヤ
プラド美術館


人間はおのれの存在であるとともに、またおのれの存在を通して「存在」が

おのれ自身に開き示されているのであって、これが人間の存在に固有な

ことなのである。



そしてこの「存在が人間に開き示されている」という点を重視するハイデガーは

人間を術語的にDasein(ダーザイン、現存在)と呼称したのであるが、これはDa

とSeinとからなる言葉であって、Daとは「そこに」とか「ここに」とか「現に」という

意味であり、Seinとは「存在」のことである。



つまり、人間とは、そこに「現」Daに「存在」Seinがおのれを告知している「場」

なのであり、「存在」がそこに現におのれをあらわに示しているその「そこ」

あるいは「現」が人間にほかならないのである。



したがってこの「現存在」Daseinという表現は、人間を指すと同時に

人間へと開き示されている「存在」をも意味しているのである。



※ハイデガー「存在と時間」入門 渡邉二郎(編) 講談社学術文庫 2011
 第二章 現存在の予備的な基礎的解析(その1) 岡本宏正
 1 現存在分析論の端諸 p76-77



○画家ゴヤが見つめてきた人間の光と影


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近くにあって気づかない存在
隔たりを取り去ること



ハイデガーの主張の中で一番よく知られたものの一つは「世界内存在」

という主張です。人間は世界内存在である。世界内存在というのはしばしば

誤解されるように、例えばこの教室という空間に私たちがいるという意味では

全くありません。



そうではなく人間は─ハイデガーは現存在と言いますが、言葉はともあれ─、

不断に世界と積極的に関わることなくして存在できないという捉え方です。

人間にとって世界は異郷ではない。異邦ではない。世界とはむしろ故郷で

あって、人間はいわば世界に身を乗り出して、前のめりしか生きられない

のだということです。それがハイデガーの人間観の基軸です。



そういう観点から見ると、人間にとっての空間というものも、例えば物理的

空間とは別様の意味を持つ。物理的空間というのは、今ごく素朴にいわゆる

ユークリッド三次元空間だとすると、私たちがその中に生きている空間は

そういう形をしていない。



例えば遠さ、近さというものを考えてみます。

今、後方の壁に絵画がかかっていて、私がその絵画を眺めていとします。

私は眼鏡越しに見ているわけですが、眼鏡よりも絵画のほうが私にとって

は「近い」のですね。



あるいは、今から知人の元に出かけようとしているとします。物理的に言えば、

その都度最も近いのは、靴の裏で踏みしめている大地です。時々刻々、私は

一歩ずつ大地を踏みしめていめけれども、私にとって本当に「近い」のは、

これから訪ねて行く知人の家です。



物理的な空間として知人の家は遠い。大地は近い。しかし世界内存在として

前のめりに生きている私たちにとっては、眼鏡こそが遠く、絵画こそが近く、

大地こそが遠く、知人の家こそが近いのですね。



つまり空間的に距離、隔たりといのは、そこに近づいていく、

つまり距離を取り払っていくこでむしろ測られている。

ここからハイデガー特有の言葉の遊びが始まります。



ドイツ語で距離のことをEntfernungといいます。ごく当たり前の言葉です。

しかし、Entfernungとは実はEnt-fernungなのだ。Entは「剥奪」を示しますから、

「隔たりを取り去ること」なのだとハイデガーは言うのですね。



つまり本来存在する絵画と私との距離は、すでにもう取り払われている。

元来、物理的には数キロ先に存在する知人との距離は、足下の大地より

もはるかに近く取り去られている。それが人間にとっての空間の経験だ。

そうした「近づけること」、距離を取り去ることの傾向は、

と、しかしここでハイデガーは時代批判的なことを言い出すわけです。

「存在と時間」から引用します。



  「現存在の内にはその本質からする近さへの傾向が存している。

  速度の昴進(こうしん)は、すべて─私たちは、今日、多かれ少なかれ強いられて、

  それに参加されられている─距(へだ)たっていることの克服へと駆り立てる。」



ハイデガーが目の前にしているのは、ようやく登場した例えば初期の航空機であり、

あるいは当時ドイツの町を走り始めた車であり、あるいは営業を開始したラジオ放送です。

ハイデガーは別の著作の中で、東京で今開かれている音楽会を同時に聴くことが

できる時代の恐ろしさということを口にします。



今、私たってはあまりにも当たり前で、そこにまたインターネット等のさまざまなメディア

を付け加えることも可能ですが、考えてみれば、東京のコンサートが時間を隔てず

ドイツのラジオに流れるというのは、その当時の現場に立ち会った人間にとって、

とてつもない世界の転機だったはずなのです。



※「時空の近代、人文知の時空 あるいは、国家と資本と文化について」
 講師 熊野純彦 先生 (東京大学文学部長)
 会場 東京大学 文学部2号館 1番大教室
 第14回東京大学ホームカミングデイ文学部企画「文学部がひらく新しい知」 2015.10


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自分自身に向き合う「本来性」
自分自身から逃避する「非本来性」



<ひと>へと没入し、配慮的に気づかわれた「世界」のもとに没入することによって、

現存在がじぶん自身から─じぶん自身とは本来的に自己であるということである─

逃避するといったことがあらわになる。じぶん自身から、またその本来性から

現存在が逃避するという、この現象はしかしそれでも、以下の探求に対する現象的

な基盤として役だつ資格を、すこしもそなえていないかに見える。そうした逃避にあって

現存在はやはり、じぶんをじぶん自身のまえにもたらすことをまったくおこなわない

からである。背を向けることは、頽落(たいらく)のもっとも固有な特色に対応して、

現存在から離反させてしまう。



※時間と存在(二) ハイデガー, 熊野純彦(訳) 岩波文庫 2013
 第1部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平
      としての時間の解明
 第1篇 現存在の予備的な基礎的分析
 第6章 現存在としての気づかい
 第40節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性 p354





現存在の「本来性」とは、現存在がおのれ自身の存在─それがどれほど苦悩と

悲嘆に満ちていようとも─を引きうけつつ存在することであり、気ばらしや日常的

営為への自己忘却からおのれ固有の存在へと呼び戻されている在り方のこと

であり、おのれ自身へと委ね渡されて在ることなのである。



これに反して、現存在の「非本来性」とは、現存在がそのつどおのれのもので

あるべき存在を真におのれのものとはしていない存在の仕方のことであって、

たとえばおのれの死をまともに見据えることをせず、おのれの死から目をそむけ、

それだけ一層、いわばわれを忘れて仕事に没頭したり、娯楽に耽ったり、あるいは

世の中のひと全般の生き方に調子を合わせて、長いものには巻かれろ式に生き

たりする在り方のことを指している。



しかし、この「非本来性」は低下した存在を意味するものではなく、むしろ現存在

をその多忙、活気、利害、享楽力といった彼のもっとも具体面において規定する

積極的な存在様態なのである。



※ハイデガー「存在と時間」入門 渡邉二郎(編) 講談社学術文庫 2011
 第二章 現存在の予備的な基礎的解析(その1) 岡本宏正
 1 現存在分析論の端諸 「かかわる存在」と可能的存在 p81-82


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人間の最大の悲惨
「気晴らし」なしではいられないこと



彼らが気晴らしをしているものを取り除いてみたまえ。

彼らは退屈のあまり身をすり減らしてしまうだろう。

そこで彼らは、そうとは気がつかないまでも、自分の虚無を感じるだろう。

自分というものを眺めるほかなく、そこから気晴らしをすることができなくなるや、

堪えがたい悲しみに陥ることこそ、まさに不幸であるからである。



※人間の気晴らし 「パンセ」 ブレーズ・パスカル



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」

○春の訪れを告げるカーニバル|祭りに託した人間の願い


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存在そのものが具体的に切実な問題となる場面
死への直面

死の島(独:Die Toteninsel, 1880) アルノルト・ベックリン
バーゼル市立美術館


「存在そのもの」が、非常に具体的で切実な問題となる場面があります。

それは、自分自身の存在や、自分にとってかけがえのない存在が失われ

ようとするときです。たとえば、自分が深刻な病にかかった場合や、身近

に死を体験した場合などです。



そのようなときは、ハイデガーが言うように、どう存在しているかといった

問題はほどとん意味を持ちません。端的に「存在そのもの」が問題となるのです。

端的に「いるかいないか」が大事なのです。哲学では、死や戦争や人権の剥奪など、

私たちが遭遇するぎりぎりの状況を「限界状況」と呼びますが、そうした限界状況

にあってこそ、存在論、つまり「存在とはなにか」という問いは真の意味を持つように

思われます。



※ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002
 T 存在にどう取り組むか 方法の問題、1 「存在そのもの」について考える
 哲学と人生論はどう結びつくか p14



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


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死にゆく人たちとの
出会い

終末期研究の先駆者 エリザベス・キューブラー=ロス
(Elisabeth Kbler Ross 1926年-2004年)


※死にゆく者からの言葉 鈴木秀子 文春文庫


  ターミナルケアの医療関係者の学会で、私は話はじめました。

  「私は医学的知識は皆無です。私が実感していることは、

  当たり前ですが、人は必ず死ぬということです。

  ここにお集まりのお一人おひとりもいつか死んでいきます。

  それも医学の専門家としてではなく、一人の人間として死んでいくでしょう。

  そして病気が重くなるにつれて、誰よりも医学の限界を身をもって感じられる

  のではないでしょうか」



  私はこの時、大きな会場の空気が一瞬にして変わったのを感じ取りました。

  会場中の人たちが、医師や看護の専門家から一人の人間に変わったのが

  はっきりわかりました。



  肩書きや役割を脱ぎ捨てて、一人の生身の人間の素顔をあらわしてくれたのです。

  私は胸が熱くなりました。

  親しい友人とわかちあうように、私は、これまで体験した何人かの

  「死にゆく人たち」との出会いと別れを話しました。


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これまでの自分が死に
新たな自分が生まれる

「007 スカイフォール」のポスター 2012年 コロンビア映画 (イギリス)


007シリーズ23作目の「SKYFALL」。



映画の終盤、M(英国諜報部MI6のボス)を護衛しつつ車で連れ去った

ジェームズ・ボンドは、スコットランド・グレンコウの荒野にある今は住む

者のないボンドの生家「スカイフォール」へ向かいます。



そこで再会したボンド家の猟場管理人であるキンケイドは、

Mにボンドの小さい頃のことを話します。



  「見せたいものがある。」

  「隠し扉!?」

  「ああ、宗教改革の頃のな。地下道は狩場まで続いている。」

  「危なくなったらここに逃げ込むんだ。」



  「ジェームズに親の死を伝えた時、あいつはここから2日でてこなかった。」

  「出てきたときには、もう子どもじゃなかった。」


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古代によって現代を照らし
古代によって目を覚ます現代

「Frammento del Trionfo della Morte」 Orcagna Basilica di Santa Croce
「死の勝利」の断片 オルカーニャ サンタ・クローチェ聖堂(フィレンツェ)


14世紀のイタリアに始まったルネサンス(Renaissance)は、ラテン語に由来し、

「Re : 再び + naissance : 誕生」を意味する言葉で、古代ギリシア・ローマ

文明にはあった「精神の自由や人間の尊厳」を再生することを目指した文化運動

だったといわれます。




※「世界史的考察」 ヤーコプ ブルクハルト, 新井靖一(訳) ちくま学芸文庫 2009
 (バーゼル大学でのブルクハルトの講義、1868-1872年) p16


  歴史的哲学者たちは過去の事柄を、発展をとげた存在としてのわれわれと

  相対するもの、われわれの前段階とみなす。

  (それに対して)─われわれは反復して起こるもの、恒常的なもの、類型的な

  ものをわれわれは心の中で共鳴し、かつ理解しうるものと考える。



  われわれが出発点とするところは、唯一の、永続的で、また、われわれに

  とって実現可能な中心がそれである。すなわちそれは、現在もそうであり、

  過去においてもつねにそうであった、そして未来においても変わることのない

  であろう人間の絶え忍び、先を目指し、そして行動する姿である。


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過去から
「人間」を教えてもらう営み

国宝 源氏物語絵巻 第38帖「鈴虫」 12世紀 五島美術館蔵


和歌・連歌などで見られる「本歌取(ほんかど)り」は、古歌(本歌)の一部を

取って新たな歌を詠み、本歌を連想させて歌にふくらみをもたせる技法。



本歌取りには、古歌の語句を引用したものから、引用せずとも趣向を取り

入れたものまであることから、研究者からすると定義は難しいといいます。



新たな歌の創造は、全く何も無いところから生み出すのは難しく、

既成にある歌を組み合わせ、読み替えてきた営みでもありました。



今日に至るまで多くの文化人は、「源氏物語」を自分の生きる時代に

合わせて読み替え、新しい文化を切り開いてきたといいます。



「時代は繰り返される」といいますが、文化に関わる本質的な部分は

既に完成されていて、現代を生きる人々が過去から「人間」を教えて

もらう営みのように思えてきます。



※「源氏物語」と歌の心・歌のことば 2017.12
 講師 久保田淳 先生 東京大学名誉教授・日本学士院会員
 会場 東京大学本郷キャンパス文学部法文2号館1番大教室
 紫式部学会 平成29年度 公開講演会

※日本の物語文学('13)
 講師 島内裕子 先生 放送大学教授

※著作権法

(目的)第一条
 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利
 及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、
 著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

(引用)第三十二条
 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、
 公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上
 正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。



○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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私たち人間を知る手がかり
チンパンジーの観察

コンゴ共和国にのみ生息するボノボ(ヒト科チンパンジー属)


進化論を説いたチャールズ・ダーウィンの著書「種の起源」(1859年)。

原題は「On the Origin of Species by Means of Natural Selection,

or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life」と記され、

直訳すると「自然選択(Natural Selection⇒自然淘汰)による種の起源

(Origin of Species)、すなわち(or)、生存競争(Struggle for Life)において

有利(Favoured Races)である保存(Preservation)について」。



自然選択を経て今日存在している種は、遡れば共通の祖先から進化し、

猿人類は約3千年前のプロコンスル(Proconsul)が祖先だと考えられています。



遺伝子からみるとヒトはゴリラよりチンパンジーに近いそうで、進化の隣人

であるチンパンジーの生態を知ることは、私たちの行動や社会の特徴と

いった人間性に気がつく手掛かりになるといいます。



ヒト科チンパンジーに属するボノボはアフリカ大陸のコンゴ共和国(旧ザイール)

にのみ生息しています。かつてピグミーチンパンジーと呼ばれていましたが、

ピグミー(Pygmy)には、背か低いといった意味や能力が劣ったという意味がある

ことからボノボに変更されています。



チンパンジーとボノボの生態を比較すると、チンパンジーはオス1頭に対して

メスは2〜3頭(一夫多妻)、ボノボはオス1頭に対してメスは1頭(一夫一妻)。

オスとメスの力関係では、チンパンジーでは圧倒的にオスが強いのに対し、

ボノボではメスが強いといわれます。



チンパンジー・ボノボともに食べ物を分け合う食物分配行動がみられますが、

チンパンジーは集団間での殺し合いや集団内での子殺しがあるのに対して、

ボノボでは見られないそうです。



ボノボのオス同士では「マウンティング」やお尻をこすり合う「尻つけ」といった

行動が見られます。「マウンティング」は一般的に相手の腰の上に手をかけ乗り、

自分の優位性を示す行動だとされますが、ボノボの場合は上下を入れ替えて

繰りかえし行われることから、対等性を認め合うものとして行われていると

考えられています。



メス同士では「性器擦り」(現地の言葉ではホカホカ)といった行動や、

オスとメスの繁殖期以外での交尾は、生殖と性が分離し、社会関係

を調整する機能があるといわれます。



※森林と草原のモザイク地帯にすむボノボ 2017.12
 講師 伊谷原一 先生 京都大学野生動物研究センター 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第89回 京都大学丸の内セミナー



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅

○人と人・人と自然との共存から未来を紡ぐ|Life is a Journey


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私たち人間を知る手がかり
みえない人種主義



「人種(じんしゅ:Race)とは、一般にヒトを「皮膚の色」や「髪の色」などの身体的

特徴によって分類することを指すそうです。その起源は17世紀にフランス人医師が、

地域によって分類していたヒトを、皮膚の色で分類したことに遡るといいます。



18世紀には「人類学の父」と呼ばれるドイツの生理学者ヨハン・フリードリヒ・

ブルーメンバッハが、頭蓋骨の比較研究を基礎にヒトを、赤・黄・茶・黒・白

という5つに分類します。



日本における「人種」の概念は、江戸時代に宣教師や蘭学者によってもたらされ

たと考えられ、明治期には福沢諭吉の著書「掌中万国一覧(しょうちゅうばんこく

いちらん)」の中にみられます。



国連の人種差別撤廃委員会の報告では、日本の在日韓国・朝鮮人に対する

差別をはじめ、アイヌ、沖縄の人々、被差別部落出身者、外国からの移住労働

者などに対する差別が、日本の人種差別問題として取り上げられています。



その背景の一つとして、日本は自国の成り立ちを考えるにあたって、日本列島

の中だけで考え、その中で科学的な手法を用いて差異を見い出そうとしてきた

ことから、「中央」と「周辺(アイヌ・沖縄・被差別部落、etc)」といった分類が

生まれやすかったとされます。



ヒトを構成するDNAの数は約30億あるとされ、そのうち個人差を作り出している

のは全体の0.1%にあたる約3百万のDNAだといわれます。

ヒトの顔は一人一人異なっていることからも多様性があるのは事実であり、

その中である基準を見い出し優劣をつけるから差別が起きるように思えます。



現代科学では人種は生物学的実体をもたないことが明らかになっていますが、

人種差別は、科学によって解決されてきた訳ではなく、科学と政治の結びつき

が大きく関与してきたと指摘されます。



フランスの哲学者ミシェル・フーコーの講義録「社会は防衛しなければならない」

によれば、より良い統治のために「分類」は必要だと考えられますが、その一方で、

差別につながりやすい特徴をもっているようです。



その根底には、人間は関心のあるものしか見ない特徴があるように思えます。



※座談会「人類集団の分類とカテゴリーをめぐって」 2017.12
 太田博樹 先生 北里大学医学部 准教授
 篠田謙一 先生 国立科学博物館 人類研究部人類史研究グループ長
 田辺明生 先生 東京大学大学院 総合文化研究科 教授
 徳永勝士 先生 東京大学大学院 医学系研究科 教授
 坂野徹 先生 日本大学経済学部 教授
 竹沢泰子 先生 京都大学人文科学研究所 教授
 瀬田典子 先生 九州大学大学院 比較社会文化研究院 准教授
・京都アカデミアフォーラム in 丸の内
・「人種神話を解体する─科学と社会の知」 出版記念 連続セミナー@東京


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私たち日本人を知る手がかり
言語の違い

英語・ドイツ語・オランダ語などのルーツである
ゲルマン語派の分布


日本人の英語力は、英語を母国語としない国々の中において低水準にあると

いわれます。


○各国のTOEFL平均点 (2016)
 (iBT 120、インターネット版テスト 満点は120点)

 ドイツ 97
 シンガポール 96
 インド 93
 イタリア 90
 ブルガリア 90
 マレーシア 90
 チェコ 89
 フィリピン 89
 フランス 87
 ロシア 87
 インドネシア 84
 韓国 82
 ベトナム 82
 中国 79
 タイ 78
 カンボジア 71
 日本 71



日本は高等教育の大衆化が進み、2017年の大学・短大・専修学校への

進学率は80%となり、幅広い層がTOEFLを受験することから受験者数も

多いといいます。



平均点に関しては、各国において受験者数が異なることや、受験している

層に違いがあることなどから一概に評価は難しいといいますが、それを

考慮しても日本人の英語力は低いのだそう。



その背景の一つとして、日本の教育は母国語(日本語)でまかなえることが

挙げられています。世界中の書物が翻訳者の努力によって日本語に翻訳

されていますが、人口が少ない国では翻訳がマーケットとして成り立たず、

原書(ほとんどが英語)を利用せざる得ないといいます。日本のように母国語

だけでまかなえる国は極めて少数だといわれます。



二つ目の背景として、言語系統の違いが挙げられています。英語やドイツ語・

オランダ語などはゲルマン語の系統にあたり、スペルや文法が類似している

といいます。



人名に着目すると、英語のマイケル(Michael)は、ドイツ語ではミハエル(Michael)、

ロシア語ではミハイル(Mikhail)、 フランス語てばミシェル(Michel)、ポルトガル語

ではミゲル(Miguel)となるそうです。



文法に着目すると、日本語は例えば「これはペンです」といった時、

「主語(Subject)⇒目的語(Object)⇒動詞(Verb)」という構成をとるのに対して、

英語では「This is a pen」となり「SVO」の構成をとります。

フランス語や中国語も「SVO」の構成となっています。



三つ目の背景として、音素・発音の違いが挙げられています。

日本語は、意味を区別する最小単位である音素が少なく(母音も子音も少ない)、

英語は音素の種類が豊富なため(母音は30音近くある、日本語はアイウエオの5音)、

日本人にとって英語を聴き取ること、発音することは難しいといわれます。



また、母音と子音の構成に着目すると、例えば日本語の「山」は「子音(Consonant)

⇒母音(Vowel)」であるのに対して、英語の「Pen」は「子音(C)⇒母音(V)⇒子音(C)」

となっています。



※次世代型の外国語教育を目指して 2017.12
 講師 壇辻正剛 先生
     京都大学 学術情報メディアセンター 語学教育システム研究分野 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第69回 知の拠点セミナー講演

※TOEFL(R)は、「Test of English as a Foreign Language」の略で、直訳すると
 「外国語としての英語のテスト」。⇒国際基準の英語能力測定試験。
※iBTはインターネット版のテストで満点は120点。


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私たちの住む地球を知る手がかり
金星探査



地球のすぐ内側を回る惑星、金星は、地球とほぼ同じ大きさ・密度をもち、

同時期に類似の過程を経て誕生した双子星だと考えられていますが、

現在の惑星環境は大きく異なっています。



金星には非常に厚い大気があり、そのほとんどが二酸化炭素です。

そのため二酸化炭素の強い温室効果がはたらき、金星の表面の温度

は昼も夜も摂氏460度と、太陽により近い水星よりも高くなっています。

大気中には硫酸の粒でできた雲が何kmもの厚さで広がっており、

その雲にさえぎられて太陽からの光が直接地表に届くことはありません。

雲からは硫酸の雨も降りますが、地表があまりにも高温なため、

地表に達する前に蒸発してしまいます。金星の大気の上層では、

秒速100mもの風が吹いていて、金星をたったの100時間弱で1周してしまいます。

この強風を「スーパーローテーション」と呼びますが、自転周期が非常に

遅いのにもかかわらず、なぜこのような強風が吹いているのかは明らかに

なっていません。



金星を探査する理由、それは私たちが住む地球をより深く理解するためです。

金星の環境の成り立ちが分かれば、地球が金星のようにならずに、温暖で

湿潤な生命に溢れる星となった理由が分かるはずです。また金星大気の流れ

を説明する金星の気象学ができれば、地球の気象学と合わせてより普遍的な

惑星気象学ができると期待されます。惑星気象学の視点で地球の気象を考える

ことで、地球の大気がなぜ今私たちが知るような姿をしているのか、また将来

どうなっていくのかについてより深く知ることができるでしょう。



※JAXA 金星大気の謎に挑む|金星探査機「あかつき」



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面

○地球の未来を読み解く 南極観測|私たちが存在している自然環境の解明

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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ヨーロッパの20世紀
世界の多様性

儀式の家 ヨゼフォフ プラハ チェコ共和国
Zeremonienhalle Josefov Prague


※エウロペアナ 20世紀史概説 パトリク・オウジェドニーク(チェコ、1957-)
 阿部賢一・篠原琢(訳) 白水社 2014年 p15-16


  20世紀の終わり、人びとは新千年紀の始まりを2000年に祝うべきか、

  あるいは2001年に祝うべきかよくわからずにいた。世界の終焉を待って

  いた人びとにとって、それは重要な問題だった。

  けれども、大多数の人は世界の終焉など信じておらず、そんなことは

  どうでもよいと思っていた。

  また、ある人たちは世界の終焉を待ちかまえていたが、それは何の変哲

  もない普通の一日に起こるにちがいないと信じていた。

  キリスト教徒のなかには、後世に伝えられた年よりも4年早くキリストは

  誕生しているのだから、実際には2004年なのだと主張するものもいた。

  またユダヤ歴ではすでに5760年になっているが、イスラム歴では1419年

  であり、ユリウス暦はグレゴリオ暦よりも短いので1917年の10月革命が

  勃発したのは11月だと言うものもいた。

  仏教徒にしてみれば、それはどうでもよいことだった。仏暦では2452年に

  なっており、それよりも、来世で何に生まれ変わるのか、カエルになるのか、

  それともオナガザルになるのか、という点に大きな関心を寄せていた。



※ヨーロッパの文学 2017.12
 講師 阿部賢一 先生 (文学部准教授、中東欧文学)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社 高度教養寄付講座 第12回
 会場 東京大学本郷キャンパス 国際学術総合研究棟1階3番大教室



○明日への架け橋|新しい芸術 アール・ヌーヴォーの時代


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謙虚さによって自身を抑制し
変化しなければならない時代

チェコの劇作家、元チェコ共和国大統領
ヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011年)


プラハを首都とするチェコ共和国の人口はおよそ1千万人(2016)、面積は日本の

1/5程度だそうです。チェコの歴史を紐解くと、オーストリア・ハンガリー帝国による

植民地化、ナチス・ドイツによるチェコスロバキアの解体、ソ連による共産主義化

といったように周囲から大きな影響を受けてきました。



チェコの劇作家で、元チェコ大統領であったヴァーツラフ・ハヴェル氏は、

1999年、フランスの元老院で以下のような演説を行ったそうです。



  ヨーロッパが世界に対して教えを説き、養育してきた時代は、完全に終わった

  のです。正しい、最良の唯一の文化でるとして、その文化を世界に強制する

  時代は終わったのです。

  ですが、私は確信しております。かつて、ヨーロッパが精神的な紋章として

  たずさえていた謙虚さ(pokora)によって、徹底的にそして文明的に自身に

  手を加え、自身を抑制し、変化しなければならない時代が到来したのだと。

  模範となって他の人びとに影響を与え、変化をもたらすとしたら、それは

  とても素晴らしいことであります。ですが、そのような影響は事前に計算する

  ことはできません。まずは、始めてみることです。



※ヨーロッパの文学 2017.12
 講師 阿部賢一 先生 (文学部准教授、中東欧文学)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社 高度教養寄付講座 第12回


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ただよう魂
分別を解放して、執着を取り払う

「Ophelia」(1851-1852年) John Everett Millais Tate Britain


※「草枕」 夏目漱石 「七」 1906年(明治39年)


  寒い。手拭(てぬぐい)を下げて、湯壺へ下る。三畳へ着物を脱いで、段々を、

  四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、

  下は御影(みかげ)で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、

  豆腐屋ほどな湯槽(ゆぶね)を据すえる。槽ふねとは云うもののやはり石で

  畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、

  色が純透明だから、入はいり心地(ごこち)がよい。


  (中略)


  余は湯槽のふちに仰向(あおむけ)の頭を支ささえて、透き徹る湯のなかの

  軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわり

  と魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。

  分別の錠前を開けて、執着の栓張(しんばり)をはずす。どうともせよと、

  湯泉(ゆ)のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。

  流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督(キリスト)の御弟子となったより

  ありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。



○英国500年の美術に触れる|テート・ブリテン


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幽玄と露骨(あからさま)
満は損を招く

「The Copulation」 Leonardo da Vinci
「性交」 レオナルド・ダ・ヴィンチ


※「草枕」 夏目漱石 「七」 1906年(明治39年)



  三味(しゃみ)の音(ね)が思わぬパノラマを余の眼前に展開するにつけ、

  余は床しい過去の面(ま)のあたりに立って、二十年の昔に住む、

  頑是(がんぜ)なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開いた。



  (中略)



  何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在る事を

  覚った。



  (中略)



  古代希臘(ギリシャ)の彫刻はいざ知らず、今世仏国(きんせいふっこく)の

  画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨(あからさま)な肉の美を、

  極端まで描がき尽そうとする痕迹(こんせき)が、ありありと見えるので、

  どことなく気韻(きいん)に乏しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。

  しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、

  解らぬ故、吾知らず、答えを得るに煩悶(はんもん)して今日に至ったのだろう。



  肉を蔽(おお)えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑(いや)しくなる。

  今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留めておらぬ。

  衣(ころも)を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、

  飽くまでも裸体(はだか)を、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、

  人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。

  十分で事足るべきを、十二分にも、十五分にも、どこまでも進んで、

  ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出(びょうしゅつ)しようとする。

  技巧がこの極端に達したる時、人はその観者を強(し)うるを陋(ろう)とする。



  うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦るとき、うつくしきものは

  かえってその度を減ずるが例である。

  人事についても満は損を招くとの諺(ことわざ)はこれがためである。



  (中略)



  輪廓(りんかく)は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの

  嫦娥(じょうが⇒中国の神話に登場する月の女神)が、あわれ、俗界に堕落

  するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとくに風を起して、

  莽(ぼう)と靡(なび)いた。渦捲(うずまく)煙りを劈(つんざ)いて、白い姿は階段を

  飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場

  を次第に向へ遠退(とおの)く。

  余はがぶりと湯を呑んだまま槽(ふね)の中に突立(つった)つ。

  驚いた波が、胸へあたる。縁(ふち)を越す湯泉(ゆ)の音がさあさあと鳴る。


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物事の趣が奥深く、高尚で優美なさま
幽玄

鎌倉時代前期の歌人・随筆家 鴨長明(かものちょうめい、1155-1216年)
画:菊池容斎


鴨長明の歌論書「無名抄(むみょうしょう)」のなかで、

「幽玄(ゆうげん)」とはどのようなものか、以下のように語られています。



※鴨長明 無名抄 近代の歌体

  問ひていはく、「ことの趣きおろおろ(不十分ながら)心得侍(はべ)りにいたり。

  その幽玄とかいふらむ体に至りてこそ、いかなるべしとも心得がたく侍れ。

  そのやうをうけたまはらむ」といふ。

  答えていはく、「すべて歌姿は心得にくきことにこそ。古き口伝(くでん)・

  髄脳(ずいなう)などにも、難(かた)きことどもをば手に取りて教ふばかりに

  釈したれど、姿に至りては確かに見えたることなし。


  (中略)


  また、霧の絶え間より空きの山をながむれば、見ゆるところはほのかなれど、

  おくゆかしく、いかばかりもみぢわたりておもしめむからむと(一面に紅葉して

  感興をそそろことであろうと)、限りなく推し量らるる面影は、ほとほと(ほとんど)

  定かに見むにもすぐれたるべし。




「幽玄」には、「物事の趣が奥深くはかりしれないこと」や、「高尚で優美なこと」

といった意味があり、その反意語は「露骨」があてはまるようです。



近代は「露骨」の道を歩んできたようにも思えます。



※「源氏物語」と歌の心・歌のことば 2017.12
 講師 久保田淳 先生 東京大学名誉教授・日本学士院会員
 会場 東京大学本郷キャンパス文学部法文2号館1番大教室
 紫式部学会 平成29年度 公開講演会
※無名抄 現代語訳付き 久保田淳(訳注) 角川ソフィア文庫 2013


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機が熟すまで
循環の中に留まり続ける

「Dancing maenad」  British Museum
恍惚とした狂乱状態に陥ったデュオニソス(バッカス)の女性信奉者マイナス


※杣径(そまみち⇒険しい山道) ハイデガー

  私たちは円環の道を行かなくてはならない。それは非常手段でもなければ

  欠陥でもない。この道に足を踏み入れることは強みであり、この道にとどまり

  つづけることは思考の祝祭である。




私たちが原理的で本質的な事柄を考えるときには、思考は、かならず、循環論法

的な構造、つまりぐるぐる回って最初の出発点に戻ってしまう構造をしていると言い

ます。大事なのは、この円環を抜け出ることではない。この無駄とも思える思考の

運動のなかにあえて飛び込んでいき、この道にとどまりつづけることである。

それこそ、「思考の祝祭」だ、というのです。



思考の祝祭とは、デュオニソスの祭りのように、狂ったように歌い踊るうちに、

次第に陶酔が起こり、この陶酔のなかで新たな知恵が開けるような状態をいいます。

「存在とはなにか」─この本質的な事柄に関わる以上、私たちも「思考」の円環の

なかに飛び込む覚悟が必要となります。



人生の難問にぶつかって、ひたすら問を発することしかできない時があります。

そのようなときに、私たちは、機が熟すのを待つようにしか生きることができません。

いわば、答えの方が私たちに姿を見せてくれるまで、問いの円環のなかで待ち

続けるわけですが、ちょうどそのように、ハイデガーは、問うことの円環のなかに

とどまり続けます。



※ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002
 T 存在にどう取り組むか 方法の問題、2 「意味」の解明を試しみる
 「円環の運動」のなかに飛び込むこと p31-35



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ

○人類の智の宝庫 大英博物館


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人間の心が変容し続けるプロセス
個性化の過程



へその緒を通して母親から栄養や酸素を得ている胎児。

母親から分化したとはいえ、まだまだ一体の存在のようです。



生まれてからの赤ちゃんは、しばらくの間は一日中寝ていることが多く、

自分と母親の境界は曖昧で、意識というものはほとんど確立されておらず、

言わば、混沌とした無意識の状態にあるようです。



ここから長い時間をかけて、分化・分離のプロセスが進行し、

少しずつ、「自分はどのような人間であるのか」、「どのような特性を持ち、

どのような集団に所属し、どのような目的を持ち、どのような人生を歩もうとしているのか」

といったことを意識した存在へと成長してゆくことになります。

それは意識が確立されてゆくプロセスでもあるよう。



一方で、確立されてゆく意識は、ともすると、

自ら相容れないものに対しては排他的な姿勢をとりがちであり、

それどころか、無意識との境界にも「壁」を建設して「交流」を禁止することがあり、

言い換えれば、意識という「力」の圧政ともとれます。



分析心理学(ユング心理学)の創始者カール・グスタフ・ユングによれば、

このような状態の時、無意識の側からは様々な関係の試みが発生し、

孤立化・偏狭化しかけた意識が、無意識との関わりを通して、

時には心身の調子を崩しながら再び新たな意識が構築されてゆくとします。



誕生から死に至るまでのこのような「無意識と意識の絶えざる相互交渉」を通して、

人間の心が変容を続けるプロセスを、ユングは「個性化の過程」と呼んでいます。



※心理カウンセリング序説 主任講師 大場登 先生 放送大学教授 13.力・権力・権威
※ユング A・ストー 河合隼雄(訳) 岩波書店 1990 X 個性化の過程 p111-131



○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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太陽のわずかな光、しんとした深い森、ひっそり湧きでた泉
人生を愛し、人生を大事にする

シベリアの都市 オムスク(Omsk, Russia)
ロシアの文豪ドストエフイキーはオムスクにある要塞監獄に収監されたそう


※罪と罰3 ドストエフスキー 亀山郁夫(訳) 光文社古典新訳文庫 2009
 エピローグ p448-449


  ラスコーリニコフは、苦しみながらこの問題を解こうとしていた。

  だがどうしてもわからなかったのは、川辺に立ったあのとき、ことによると、

  自分自身と自分の信念に、深い偽(いつわ)りを予感していたかもしれない、

  ということだった。



  彼にはわからなかった。この予感が、自分の人生の来るべき大きな変化の

  前ぶれ、来るべき甦(よみがえ)りの、新しい人生観の先ぶれであるかもしれ

  ないということが。



  彼がそこに認めたのは、本能という、ずっしりとした重さだけだった。その重さ

  を断ちきることなどできはしないし、それをふみ越えていく力もないと思って

  いた(自分が弱虫でつまらない人間だからだ)。



  監獄の仲間たちを見て、彼は驚きに目をみはった。彼らもやはり、どれだけ

  人生を愛していたことだろう、どれほど人生を大事にしていたことだろう!

  とくに彼には、監獄にいる仲間たちが、外の自由な世界にいたころよりも

  はるかに生活を愛し、大切にしている、はるかに尊重しているように見えて

  ならなかった。彼らのうちのある者、たとえば浮浪者たちは、どれほど怖ろしい

  苦しみや責め苦にたえてきたことだろう!



  だが、太陽のわずかな光、しんとした深い森、いずことも知れぬ茂みにひっそり

  と湧きでた泉が、彼らには信じがたいほどの価値をもっているのだ。浮浪者たち

  は、そうした泉にもう二年も前から目をつけておき、その泉にめぐりあう日を、

  まるで恋人との逢瀬(おうせ)のように空想していた。



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これまでの自分が死に
新たな自分が生まれる

「The Raising of Lazarus」(1310-11) 「ラザロの復活」
Duccio di Buoninsegna Italian (active 1278-1318) Kimbell Art Museum


※ヨハネによる福音書 第11章 ラザロの復活
 「口語 新約聖書」 日本聖書協会 1954



するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。

そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。

それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう」。

(14-15節)


さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれて

いた。(17節)



イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。

マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる

者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも

死なない。あなたはこれを信じるか」。

マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、

神の御子であると信じております」。(23-27節)



イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石が

はめてあった。イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。

死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたって

いますから」。(38-39節)



人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたし

の願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞き

いれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている

人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。

こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。

すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。

イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。(41-44節)


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生命の尊さ、やさしさ
私が私になってゆく

スノードロップ|神奈川県立フラワーセンター大船植物園


冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって

ひとつの花が 咲くように 悲しみも 苦しみもあって 私が私になってゆく



※星野富弘「星野富弘全詩集 U 空に」 学研




「私が私になってゆく」をハイデガーの言葉(日本語訳者の言葉)を借りて

言い換えてみると、「非本来的な私が、本来的な私になってゆく」になる

ように思えます。



さらに補ってみるならば…



「世界に道具的に適合し、人々へ配慮的に気遣うことによって平均的日常性

に頽落(たいらく)した非本来的な私(世人:せじん Das Man)が、死との関りを

通して「なにもない」という良心の呼び声によって、自分が既に存在している

ことに覚まされ、本来的な私になってゆく」



○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○ため息を春風に変えて|自然からの贈り物 春の花言葉


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参  考  情  報


○ハイデガー研究会 Heidegger Association of Tokyo

○紫式部学会

○夏目漱石 夢十夜 - 青空文庫

○夏目漱石 草枕 - 青空文庫

○九鬼周造 「いき」の構造 - 青空文庫

○軍縮会議日本政府代表部

○金星探査機「あかつき」特設サイト(ISAS)

○NHK for School

○世界史の窓

○フォーカシング 講義篇|森川研究室
 九州産業大学国際文化学部准教授 森川友子のホームページ

○Kimbell Art Museum

○無料の写真 - Pixabay

○パブリックドメインの写真 - フリー写真素材

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○ハイデガー「存在と時間」を読む 2017.11
 講師 杉田正樹 先生 関東学院大学教授
 放送大学神奈川学習センター

○存在と時間(全4巻) マルティン・ハイデガー, 熊野純彦(訳) 岩波文庫 2013

○存在と時間(全3巻) マルティン・ハイデガー, 原佑(訳), 渡邉二郎(訳)
 中公クラシックス 2003

○「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡
 マルティン・ハイデガー, 渡邉二郎(訳) ちくま学芸文庫 1997

○自己を見つめる 渡邊二郎 放送大学叢書 2009

○ハイデガー「存在と時間」入門 渡邉二郎(編) 講談社学術文庫 2011

○ハイデガー入門 細川亮一 ちくま新書 2001

○ハイデガー 存在の謎について考える 北川東子 NHK出版 2002

○ハイデッガー全集 第61巻「アリストテレスの現象学的解釈・
 現象学的研究入門」 門脇俊介(訳), コンラート バルドゥリアン (訳) 創文社

○ドイツ哲学の系譜('14)
 主任講師 佐藤康邦 先生 放送大学教授
        湯浅弘 先生 放送大学客員教授・河村学園女子大学教授
 12. フッサール現象学−事象そのものへ−
 13. ハイデガーの存在論−現象学者ハイデガー−
 14. ハイデガーの思索と現代
 講師 寿卓三 先生 愛媛大学教授

○第14回東京大学ホームカミングデイ文学部企画
 「文学部がひらく新しい知」 2015.10
・基調講演
 「時空の近代、人文知の時空 あるいは、国家と資本と文化について」
 講師 熊野純彦 先生 (東京大学文学部長)
・ディスカッション
 司会 野崎歓 先生 (言語文化学科教授・フランス文学)
 橋場弦 先生 (歴史文化学科教授・西洋史学)
 齋藤希史 先生 (言語文化学科教授・中国文学)
 唐沢かおり 先生 (行動文化学科教授・社会心理学)
 熊野純彦 先生 (思想文化学科教授・倫理学)
・会場 東京大学法文2号館1番大教室

○1870-1913年における工業化第二段階への発展過程
 大和正典 先生 帝京大学教授
 帝京国際文化 17号 2003年、帝京大学メディアライブラリーセンター

○紫式部学会 平成29年度 公開講演会 2017.12
 ・開会の辞 藤原克己 先生 紫式部学会会長
 ・「伊勢物語」の成立と歴史的背景
  内田美由紀 先生 帝塚山大学非常勤講師
 ・「源氏物語」と歌の心・歌のことば
  久保田淳 先生 東京大学名誉教授
 ・閉会の辞 高木和子 先生 紫式部学会理事
 ・会場 東京大学本郷キャンパス 文学部法文2号館1番大教室

○無名抄 現代語訳付き 鴨長明, 久保田淳(訳注) 角川ソフィア文庫 2013

○源氏物語再考─長編化の方法と物語の深化─ 高木和子 岩波書店

○ヨーロッパの文学 2017.12
 ・司会 柴田元幸 先生 (文学部特任教授)
 ・逸身喜一郎 先生 (名誉教授、西洋古典)
 ・大宮勘一郎 先生 (文学部教授、ドイツ文学)
 ・阿部賢一 先生 (文学部准教授、中東欧文学)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
 集英社 高度教養寄付講座 第12回
 会場 東京大学本郷キャンパス 国際学術総合研究棟1階3番大教室

○下村寅太郎の哲学 2017.11
 講師 榑沼範久 先生 横浜国立大学教授
 内容
  ・精神史
  ・レオナルド研究
  ・ルネサンス・バロック研究
  ・ブルクハルト研究
  ・アッシジのフランス研究
  ・西田哲学と日本の思想
  ・ライプニッツ研究
  ・科学史の哲学
 放送大学神奈川学習センター

○「世界史的考察」 ヤーコプ ブルクハルト, 新井靖一(訳)
 ちくま学芸文庫 2009

○イタリア・ルネサンスの文化 ヤーコプ ブルクハルト, 新井靖一(訳)
 筑摩書房 2007

○フランス革命史(上・下) ジュール ミシュレ.
 (訳) 桑原武夫, 樋口謹一, 多田道太郎 中公文庫 2006

○死の歴史学―ミシュレ『フランス史』を読む 真野倫平
 南山大学学術叢書 2008

○核軍縮と日本 2017.12
 講師 浅田正彦 先生 (京都大学法学部法学研究科 教授)
 会場 京都アカデミアフォーラム in 丸の内
 国際社会の中の日本─世界との関係・日本の現状─
 京都大学「東京で学ぶ 京大の知」シリーズ26

○森林と草原のモザイク地帯にすむボノボ 2017.12
 講師 伊谷原一 先生 京都大学野生動物研究センター 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第89回 京都大学丸の内セミナー

○次世代型の外国語教育を目指して 2017.12
 講師 壇辻正剛 先生 京都大学 学術情報メディアセンター
     語学教育システム研究分野 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第69回 知の拠点セミナー講演

○種の起源(上・下) チャールズ ダーウィン, 渡辺政隆(訳)
 光文社古典新訳文庫 2009

○「人種神話を解体する―科学と社会の知」出版記念 連続セミナー@東京
<第一回 人種研究と日本の人文科学>
 坂野徹 先生 (日本大学経済学部 教授)
 ―日本の考古学と人種研究
 関口寛 先生 (四国大学経営情報学部 准教授)
 ―日本近代の民衆統治と科学的人種主義
<第二回 ヒトの多様性に関する最新の成果から>
 太田博樹 先生 (北里大学医学部 准教授)
 ―人類集団遺伝学にとって“集団”とは何か?
 瀬口典子 先生 (九州大学大学院比較社会文化研究院 准教授)
 ―「人種」優劣と植民地主義に繋がった自然人類学
<第三回 人類研究とマイノリティ>
 石井美保 先生 (京都大学人文科学研究所 准教授)
 ―身体の贈与と共同体の生成―インドの事例から
 日下渉 先生 (名古屋大学大学院国際開発研究科 准教授)
 ―ハンセン病者のアナキズム―フィリピンでアメリカの植民地秩序を変える
<座談会「人類集団の分類とカテゴリーをめぐって」>
 太田博樹 先生 北里大学医学部 准教授
 篠田謙一 先生 国立科学博物館 人類研究部人類史研究グループ長
 田辺明生 先生 東京大学大学院 総合文化研究科 教授
 徳永勝士 先生 東京大学大学院 医学系研究科 教授
 坂野徹 先生 日本大学経済学部 教授
 竹沢泰子 先生 京都大学人文科学研究所 教授
 瀬田典子 先生 九州大学大学院 比較社会文化研究院 准教授
・ 京都アカデミアフォーラム in 丸の内大会議室

○人種神話を解体する─科学と社会の知
 坂野徹・竹沢泰子(編) 東京大学出版会 2016

○エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 (新版)
 ハンナ・アーレント, 大久保和郎(訳) みすず書房 2017

○夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録 V.E.フランクル, 霜山徳爾(訳)
 みすず書房 1985

○服従の心理―アイヒマン実験― ミルグラムS. 岸田秀(訳)
 改訂版新装 河出書房新社 1995

○ミシェル・フーコー講義集成〈6〉 社会は防衛しなければならない
 コレージュ・ド・フランス講義1975-76 (訳) 石田英敬, 小野正嗣 筑摩書房

○罪と罰(1-3) ドストエフスキー 亀山郁夫(訳) 光文社古典新訳文庫 2009

○この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
 門田隆将 角川文庫 2013

○人を<嫌う>ということ 中島義道 角川文庫 2003

○シンポジウム 日本文化の展望〜文化庁移転を機に考える〜 2017.11
 ・オープニング 津軽三味線 吉田健一 先生
 ・挨拶 山田啓二 先生 (京都府知事)
 ・パネルディスカッション
  エバレット・ブラウン 先生 写真作家・会所プロジェクト理事
  長谷川祐子 先生 東京都現代美術館参事・
    東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授
  松尾依里佳 先生 ヴァイオリニスト
  村田吉弘 先生 株式会社菊の井代表取締役・
    特定非営利活動法人日本料理アカデミー理事長
  コーディネーター 近藤誠一 先生
   近藤文化・外交研究所代表・京都市芸術文化協会理事長・元文化庁長官
 ・会場 イイノホール
 ・主催 京都府・京都市・京都商工会議所


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