平和と独立を守る防衛省

尊い犠牲の上に成り立つ現在の平和
すべての国々、すべての方々に感謝の気持ちを


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平和と独立を守り、国の安全を保つ
防衛省

東京都新宿区市ヶ谷


※防衛省設置法


  (任務)

  第三条  防衛省は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、

  これがため、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を管理し、

  及び運営し、並びにこれに関する事務を行うことを任務とする。





新宿区市ヶ谷にある防衛省。

敷地は約23ヘクタールあり、戦後の公官庁建設では最大規模だそう。

地域内に起居する自衛官を含め、約1万人の職員が勤務しているそうです。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○伝統とモダンが交差する東京へ


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防衛の中枢機関
庁舎A棟

庁舎A棟と儀仗(ぎじょう)広場 防衛省


庁舎群の中でもひときわ高い建物、庁舎A棟。



防衛大臣を補佐する内部部局、統合幕僚監部及び陸上・海上・航空幕僚監部

などの防衛の中枢機関に勤める職員が働いているといいます。


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敬意を表す儀式
儀仗



庁舎A棟前の儀仗(ぎじょう)広場。



儀仗(ぎじょう)とは、直接的には装飾的な武具・武器を指し、

来賓などを迎える際に敬意を表す儀式を意味するそうです。


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敬愛されてきた方々を慰める
自衛隊殉職者慰霊碑



昭和26年に創設された警察予備隊に始まる自衛隊。

隊員は、国民の期待と信頼に応えるべく

祖国防衛、テロ対策支援や国際平和協力など責務完遂に努めてきたそう。



その一方、隊員が職務に殉じた数は、2013(平成25)年8月末時点で

1,800人を超えるといわれます。



これらの人たちは、自衛隊にあっては良き上司部下、あるいは同僚として、

また家庭においては最愛の伴侶、心温かい親あるいは子として

敬愛されていた方々だったのでしょうね。



自衛隊殉職者慰霊碑には、歴代防衛大臣、防衛省幹部の離着任時に欠かさず、

また外国要人からも献花が行われているそうです。


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旧陸軍の中枢があった
1号館

旧1号館の象徴的な部分を移設・復元した
市ヶ谷記念館


防衛省庁舎A棟の場所にあった旧1号館(現 市ヶ谷記念館)。

A棟建設に伴い解体された1号館の象徴的な部分を移設し復元したそう。



太平洋戦争中は大本営陸軍部・陸軍省・参謀本部などが置かれた

旧陸軍の中枢だったといい、今も儀仗広場の下には地下壕が残っているそうです。


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大本営地下壕を公開=陸軍大臣執務室も―防衛省

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本土決戦 最後の拠点
松代大本営地下壕

長野県松代(まつしろ)町


真田十万石の城下町に残る松代大本営地下壕。



第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、

極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、

昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、

およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、

全工程の約8割が完成したそうです。



この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、

また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。



※松代象山地下壕のご案内 - 長野市 (部分)



○いちばん美しい夏に出会う|自然と文化の宝庫 信州


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安らかな日本を祈り最後の総攻撃を行う
硫黄島の戦い

硫黄島 日本守備隊の指揮官を務めた栗林忠道 大将
市ヶ谷記念館


旧松代藩(現長野県松代町)郷士の家に生まれたという栗林忠道。

太平洋戦争末期の硫黄島の戦いにおいて、日本軍守備隊の指揮官を務めたそうです。



※訣別(けつべつ)の電文
 栗林指揮官が昭和20年3月16日に大本営に宛てて発したとされる電文内容



  戦局遂に最後の関頭(かんとう)に直面せり

  十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち、

  皇国(みくに・こうこく)の必勝と安泰とを祈念しつ、全員壮烈なる総攻撃を敢行す



    戦局は遂に最後の重大な分かれ目に直面した。

    1945年3月17日の夜半に私自ら先陣に立ち、

    大日本帝国の必勝と安泰を祈念しつつ、全員壮烈なる総攻撃を行う




  敵来攻以来 想像に余る物量的優勢を以て

  陸海空よりする敵の攻撃に対し克(よ)く健闘を続けた事は

  小職の聊(わず)か自ら悦(よろこ)びとする所にして

  部下将兵の勇戦は真に鬼神(きしん)をも哭(な)かしむるものあり



    米軍が硫黄島の攻撃を開始(2月29日)してから、想像を超える物量的優勢の

    陸海空からの攻撃に対し、よく健闘を続けた事は

    私のわずかな悦びであり

    部下将兵の勇敢な戦いぶりはまさに超人的なものであった




  然(しか)れども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで斃(たお)れ為に

  御期待に反し、この要地を敵手に委ねるのやむなきに至れるは

  誠に恐懼(きょうく)に堪へず、幾重にも御詫び申し上ぐ



    しかし執拗なる米軍の激しい攻撃に将兵は相次いで倒れ、

    期待に反して、硫黄島を米軍に委ねざるえないに至ることは

    誠に恐れかしこみ、何度もお詫び申し上げる。




  特に本島を奪還せざる限り皇土永遠に安からざるを思ひ、

  たとひ魂魄(こんぱく)となるも誓つて皇軍の捲土重来(けんどちょうらい)

  の魁(さきがけ)たらんことを期す、



    特に本島を奪い返さない限り日本の安らぎはありえない。

    たとえ死んで魂となっても、敗れた者が再び勢いを盛り返すように

    日本のさきがけとなることを誓う。




  今や弾尽き水涸(か)れ戦い残れる者全員いよく最後の敢闘を

  行はんとするに方り

  熟々(つらつら)皇恩(こうおん)の忝(かたじけな)さを思ひ

  粉骨砕身(ふんこつさいしん)亦(また)悔(く)ゆる所にあらず

  茲(ここ)に将兵一同と共に謹んで聖寿(せいじゅ)の万歳を奉唱(ほうしょう)しつつ

  永(なが)へ御別(おんわか)れ申上ぐ



   今や弾が尽き果て、水はかれ、残った者全員で最後の敢闘を

   行おうとする場面となり

   これまで大日本帝国から受けた恩をありがたく思い

   力の限り努力し、また悔いることなく

   ここに将兵一同と共につつしんで聖なる寿命へ万歳を声にだして捧げ

   永遠のお別れを申し上げる




  終りに左記駄作、御笑覧(ごしょうらん)に供(きょう)す。

  国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ口惜し

  仇討たで 野辺には朽ちじ 吾は又 七度生れて 矛(ほこ)を執(と)らむぞ

  醜草(しこぐさ)の 島に蔓(はびこ)る 其の時の 皇国の行手 一途に思ふ



    最後に左記駄作、お恥ずかしい限りですが、どうぞご覧ください。

    国のため重要なつとめを果たす役割を得て、弾薬尽き果て散るのは口惜しい

    仇を討つまでは死ねず 私はまた生まれ変わって刀をとるであろう

    悪い草(≒アメリカ)がはびこったときの日本の将来を一途にあんずる




※斜字体はホームページ管理者の意訳



○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語


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硫黄島からの手紙
戦地から家族への想い

栗林忠道中将閣下 愛嬢たか子さんへ寄せられた御書簡
市ヶ谷記念館


1944年(昭和19年)6月8日、硫黄島に着任した栗林指揮官。

日本本土との連絡が途絶するまでの8ヶ月間、

家族へ愛情あふれる手紙を送り続けたそうです。



   たこちゃんへ

   たこちゃん元気ですか?

   お父さんが出発の時、お母さんと二人で御門に立って見送って

   呉れた姿がはっきり見える気がします。

   それからお父さんはお家に帰ってお母さんとたこちゃんを連れて

   町をあるいている夢を見ますが、それは中々出来ない事です。



   たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、

   お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。

   からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、

   お父さんに安心させるようにして下さい。


   戦地のお父さんより


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沖縄にとっての終戦日
6月23日

沖縄戦最後の激戦地であった摩文仁(まぶに:糸満市)に
整備された平和祈念公園


沖縄にとって終戦の日は8月15日ではなく6月23日なのだそう。



この日は、沖縄守備軍・第32軍の牛島満司令官が、

摩文仁にあった司令部の地下壕で自決をはかり、

沖縄での組織的な戦闘が終わった日とされています。



6月23日は沖縄県によって「慰霊の日」と定められ、

毎年、沖縄全戦没者追悼式が営まれています。



沖縄全戦没者追悼式は、米国施政権下の1952年に初めて開催され、

1990年の式典において海部俊樹首相が歴代首相として初めて参列したそうです。



○みんなで創る美ら島|大切にしてきた「うちなー」のアイデンティティ


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降伏文章調印が行われた
戦艦ミズーリ

ハワイ・パールハーバーに保存されているUSSミズーリ


1945年9月2日、東京湾上に停泊したUSSミズーリの甲板にて、

降伏文章の調印式が行われたそうです。



日本では8月15日が終戦記念日とされていますが、

世界では降伏文章調印式の日を終戦記念日と捉えているそうです。



○潮風が駆け抜ける楽園 ハワイ・オアフ島


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降伏文書調印式 1/2

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東京裁判の法廷となった
大講堂

市ヶ谷記念館


元々は陸軍士官学校の大講堂だったこの部屋は、

昭和21年5月から昭和23年11月にかけて、

東京裁判(極東国際軍事裁判)の法廷として使われたそうです。


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2年半に及んだ
東京裁判



ポツダム宣言に基づき、占領軍は1945年9月11日から戦争犯罪人として

東条英機元首相ら日本の軍・政治・経済の指導者の逮捕を開始し、

12月6日までに100名以上を逮捕・拘禁した。



1946年1月19日、連合国最高司令官マッカーサーは特別宣言により

極東国際軍事裁判所(International Military Tribunal for the Far East, IMTFE)

の設置を命じ、さらに同日の一般命令第1号により裁判所の構成、管轄、

権限等を定めた極東国際軍事裁判所憲章が制定された。



4月29日、国際検察局は同裁判所に起訴状を提出。

訴追期間を1928年まで遡り、東條英機ら被告28名を「平和に対する罪」、

「殺人」及び「通例の戦争犯罪および人道に対する罪」の3グループに

概括される55の訴因で起訴した。



極東国際軍事裁判(「東京裁判」)は、1946年5月3日の開廷から

1948年11月12日に刑の宣告が行われるまで2年半の期間に及び、

公判中に死亡した2人、病気で免訴となった1人を除いた25人全員が有罪とされた。



12月23日、絞首刑判決を受けた7名に対する刑の執行が行われ、

同月29日、極東国際軍事裁判所は閉鎖された。



※極東国際軍事裁判記録|国立国会図書館より


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天地に生きる権利をもつ民族
将来相協力すべき

東条英機 (第40代 内閣総理大臣)
極東国際軍事裁判(東京裁判)


※東條英機 元首相 公的遺書(部分)


  開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。

  今回の刑死は個人的には慰(なぐさ)められておるが、

  国内的の自らの責任は死を以もって贖(あがな)えるものではない。



  しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。

  今も同感である。ただ力の前に屈服した。

  自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。

  ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、

  又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。



  天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。

  元来日本の軍隊は、陛下の仁慈(じんじ:思いやりがあって情け深いこと)

  の御志(おんこころざし)に依(よ)り行動すべきものであったが、

  一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。

  此度(このたび)の戦争に従事してたおれた人

  及び此等(これら)の人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思って居る。

  心から陳謝する。



  今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。

  もしこれが永久平和のためということであったら、

  も少し大きな態度で事に臨のぞまなければならないのではないか。

  此の裁判は結局は政治的裁判で終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。



  天皇陛下の御地位は動かすべからざるものである。

  天皇存在の形式については敢えて言わぬ。

  存在そのものが絶対必要なのである。

  それは私だけではなく多くの者は同感と思う。

  空気や地面の如(ごと)く大きな恩(めぐみ)は忘れられぬものである。



  東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相(あい)協力すべきものである。

  東亜民族も亦(また)他の民族と同様に天地に生きる権利を有(も)つべきものであって、

  その有色たるを寧(むし)ろ神の恵みとして居る。

  印度(インド)の判事には尊敬の念を禁じ得ない。

  これを以もって東亜諸民族の誇りと感じた。



  今回の戦争に因(より)て東亜民族の生存の権利が了解せられ

  始めたのであったら幸いである。

  列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以て進むべきである。



  現在日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、

  どうか日本人の米人に対する心持ちを離れしめざるよう願いたい。

  又日本人が赤化(共産主義化)しないように頼む。

  大東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされねばならぬ。

  実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、

  今回の敗戦の原因であったと考えている。



  (中略)



  辞世

   我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば

   さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき



※『祖父東條英機「一切語るなかれ」』東條由布子 著 (文藝春秋) より



○森と湖が広がる北欧の国 フィンランド|不屈の精神から新たな地平へ

○平安で平等な社会を築く意志|世界に広がるイスラーム

○明日への架け橋|新しい芸術 アール・ヌーヴォーの時代


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いつか冷静さを取り戻し
正常に復する時も来よう

近衛文麿 (第34・38・39代 内閣総理大臣)


天皇に近い平安朝以来の貴族の家に生まれた近衛文麿(このえ ふみまろ)。

1945年12月に逮捕令がだされ、巣鴨への出頭前日(12/15)の夜、

自宅である荻外荘(てきがいそう:杉並区)にて服毒自殺を図ります。



※近衛文麿 遺書


  僕は支那事変(⇒日中戦争)以来多くの政治上過誤(かご)を犯した。

  之(これ)に対して深く責任を感じて居(い)るが、いわゆる戦争犯罪人として

  米国の法廷に於(おい)て裁判を受ける事は堪え難い事である。



  殊(こと)に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、

  此(この)事変(じへん)解決を最大の使命とした。

  そして、此(この)解決の唯一の途は米国との諒解(りょうかい⇒お互いの理解)にあり

  との結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。



  その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思う。

  しかし、僕の志は知る人ぞ知る。

  僕は米国に於てさえそこに多少の知己(ちき:理解)が在することを確信する。



  戦争に伴う興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と

  敗れた者の過度の卑屈と

  故意の中傷と誤解に基ずく流言飛語(りゅうげんひご:根拠のない情報)と

  是等(これら)興論(よろん)なるものも、

  いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。



  是時(このとき)始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。


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尊い犠牲の上に現在の平和がある
すべての国々、すべての方々に、感謝の気持ちを

原爆ドームを見るジョン・ケリーとフランク=ヴァルター・シュタインマイアー
2016年G7広島外相会合


※2015年8月14日 内閣総理大臣談話


  終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、

  二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、

  その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。



  百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、

  広がっていました。

  圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、

  アジアにも押し寄せました。



  その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。

  アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。

  日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を

  勇気づけました。



  世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、

  それまでの植民地化にブレーキがかかりました。

  この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。

  人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。

  戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。



  当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、

  欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、

  日本経済は大きな打撃を受けました。

  その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、

  力の行使によって解決しようと試みました。

  国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。

  こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。



  満州事変、そして国際連盟からの脱退。

  日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした

  「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。

  進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。



  そして七十年前。日本は、敗戦しました。

  戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、

  深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。



  先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。

  祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。

  終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、

  飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。

  広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、

  沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、

  無残にも犠牲となりました。



  戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。

  中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、

  戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。

  戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、

  忘れてはなりません。



  何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。

  歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

  一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。

  この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、

  断腸の念を禁じ得ません。



  これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。

  これが、戦後日本の原点であります。

  二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。



  事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、

  国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。

  植民地支配から永遠に訣別し、

  すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。



  先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。

  自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、

  ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。

  七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、

  静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。



  我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、

  痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。

  その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ

  東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの

  人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、

  その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。



  こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

  ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、

  戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、

  これからも、決して癒えることはないでしょう。



  ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

  戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、

  日本再建の原動力となった事実を。

  中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、

  再び祖国の土を踏むことができた事実を。

  米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、

  日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。



  戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、

  日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、

  それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、

  いかほどの努力が必要であったか。

  そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。



  寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。

  戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、

  すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。



  日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。

  あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、

  そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

  しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、

  過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。

  謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。



  私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、

  命をつなぐことができた。

  そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。

  それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、

  米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、

  恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。



  そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。

  歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、

  そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。



  私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、

  この胸に刻み続けます。

  だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、

  力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。

  この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。

  唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、

  国際社会でその責任を果たしてまいります。



  私たちは、二十世紀において、戦時下、

  多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。

  だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。

  二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、

  世界をリードしてまいります。



  私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。

  だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、

  自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、

  世界の更なる繁栄を牽引してまいります。



  繁栄こそ、平和の礎です。

  暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、

  医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。



  私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。

  だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を

  揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、

  「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に

  貢献してまいります。



  終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、

  国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。



平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  安倍 晋三



○人々の幸せを願う広島


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永久平和を願って
平和の碑

巣鴨留置所跡にある東池袋中央公園


サンシャイン60に隣接する東池袋中央公園。

この地にはかつて巣鴨拘置所があり、極東国際軍事裁判により死刑判決

を受けた東條英機ら7名の死刑執行は、この地で行われたといいます。



「永久平和を願って」と刻まれた平和の碑の裏側には、

以下のように刻まれています。


   第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が

   課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、

   この地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないため、

   この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。  昭和55年6月



○都営荒川線に乗って|偏見を取りはらい理性を自立させる


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旧陸軍大臣室に展示される
1号館模型

市ヶ谷記念館


「車寄せ」の上部にあるバルコニーに窓が面する部屋は、

昭和16年以降は陸軍大臣室として使用されていたそうです。



その後、陸上自衛隊東部方面総監の執務室として使われ、

1970年11月25日、この部屋で三島事件が起こります。


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愛と死、エロスと大儀
小説「憂国」

一号館のバルコニーで演説をする三島由紀夫
1970年11月25日


1961年(昭和36年)に発表された三島由紀夫の短編小説「憂国(ゆうこく)」は、

二・二六事件をモデルにした作品。のちに映画化されたそう。



※あらすじ


  ニ・ニ六事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって

  討たざるをえない状況に立たされた武山信二中尉は、

  懊悩の末、自死を選ぶことを新婚の妻・麗子に伝える。

  すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、

  共に死を選ぶことを決意する。

  そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。

  そして、二人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹に立会い、

  自らも咽喉を切り、後を追う。




三島由紀夫は「憂国」に特別のこだわりがあったといわれます。



  「憂国」は、物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、

  ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、

  私がこの人生に期待する唯一の至福であると云つてよい。

  しかし、悲しいことに、このやうな至福は、つひに書物の紙の上にしか

  実現されえないのかもしれない。



  かつて私は、「もし忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、

  三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのやうな小説を

  読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらへばよい」と書いたことがあるが、

  この気持には今も変りはない。



(「『花ざかりの森・憂国』」解説」1968(昭和43)年9月)



○三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島


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【1970年11月25日】
作家の三島由紀夫が自決 陸自駐屯地に乱入、決起呼びかける

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国内最大規模の実弾射撃演習
富士総合火力演習



※産経ニュース 2015.08.23


  陸上自衛隊による国内最大規模の実弾射撃演習「富士総合火力演習」が

  23日、静岡県の東富士演習場であった。

  敵勢力に占拠された離島を奪回するための、

  陸、海、空3自衛隊の統合作戦の様子を観客約2万6千人に公開した。



  終了後には、同演習場などで離着陸訓練中の米軍普天間飛行場

  (沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機MV22オスプレイ1機が会場上空を飛行し、

  性能をアピールした。

  陸自は平成30年度までにオスプレイ17機の導入を予定している。



  22日に行われた予行演習では、戦車が発射した砲弾の破片が見学者2人に当たり、

  軽傷を負う事故が発生。

  23日の演習で、90式、10式戦車いずれも問題の砲弾を使用しなかった。



  演習では実弾約36トン(約3億9千万円相当)を使用。

  空自のF2戦闘機が洋上の敵を攻撃するため飛来し、

  上陸した敵の状況をヘリコプター部隊などが偵察した後、

  装甲戦闘車などが次々と射撃した。


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最新の国産主力戦車
10式戦車

10式戦車 陸上自衛隊武山駐屯地(横須賀市)
東部方面混成団 創立3周年記念行事 2014.05


2012年に量産第一号が誕生したという、陸上自衛隊の最新

国産主力戦車、10式戦車。通称は「ヒトマル」だそう。



最大の特徴はC4I(指揮・統制・通信・コンピューター・情報)機能だそうで、

陸自ネットワークに組み込まれ、戦車同士が情報を共有できるほか、

普通科の野外コンピューターネットワーク「基幹連隊指揮統制システム」

とも連携し、普通科部隊と一体化した作戦行動が可能なのだそう。



○国内・地域、そして世界の平和と繁栄を願う自衛隊

○進化するテクノロジー 人間のフロンティア


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海上自衛隊 最大の艦艇
護衛艦「いずも」

護衛艦「いずも」特別公開 2015.04
海上自衛隊 横須賀地方総監部 逸見岸壁


全長248m、最大幅38m、基準排水量1万9500t。



海上自衛隊最大の艦艇(2015年現在)という護衛艦「いずも」は、

艦首から艦尾まで貫く甲板を備え、ヘリコプター5機が同時発着できるほか、

陸上自衛隊が導入する新型輸送機MV22オスプレイも搭載可能だそうです。



○よこすかスプリングフェスタ & 護衛艦いずも特別公開


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海上自衛隊が運航する
砕氷艦しらせ

第57次南極観測に出発前の「しらせ」 2015.11
海上自衛隊 横須賀地方総監部 逸見岸壁


南極観測のために文部省(現・文部科学省)が建造したという「しらせ」は、

海上自衛隊が運航し、母港は横須賀基地になるそうです。



文部科学省では「しらせ」を「南極観測船」と呼んでいますが、

防衛省では「砕氷艦」と呼んでいるそうです。



○人類の未来を切り開く地球深部探査船「ちきゅう」


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日本の安全を維持する
哨戒機P-3C

厚木基地 日米親善スプリングフェスタ 2015.05


日本の領域を守っている哨戒機P-3C。



水上艦や潜水艦に対する警戒監視、大規模災害における物資輸送、

海氷観測や海底火山調査など気象庁への協力、

アフリカ東部ソマリア沖・アデン湾で海賊対処活動も行っているそうです。



中でも、日本周辺海域を航行する潜水艦の警戒・監視が

主要な任務だといいます。



P-3Cには、捜索用レーダー、熱源を探知する赤外線暗視装置、

鉄の塊である潜水艦が航行することで生じる磁場の乱れをつかむ磁気探知機(MAD)、

敵が発する電波を手がかりに位置を特定する電波探知装置(ESM)、

そして海中に投下し潜水艦のスクリュー音をとらえる音響探知機(ソノブイ)

などの装備がされているそう。



○厚木基地 日米親善春祭り 2015


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海上自衛隊航空部隊の総司令部がある
厚木基地



厚木航空基地には、

海上自衛隊航空部隊の総司令部である航空集団司令部をはじめ、

海上航空部隊にとって非常に重要な部隊が集中しているそうです。



密集地にある航空基地 首都圏に近い厚木航空基地は、

周辺人口の増加と米海軍のジェット戦闘機が飛行する基地であることから、

騒音問題を抱えているとの事。



海上自衛隊では、任務と訓練に必要不可欠なものを除き

不必要な騒音を出さない配慮と、

基地周辺に対する各種協力等を積極的に実施し、

国民と基地との共存に努力しているそうです。


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大空に「夢・感動」を描くアクロバットチーム
ブルーインパルス

航空自衛隊 ブルーインパルス T-2 チェンジオーバー・ターン


ブルーインパルスは、航空自衛隊の存在を多くの人々に知ってもらうために、

航空自衛隊の航空祭や国民的な大きな行事などで、

華麗なアクロバット飛行(これを展示飛行と呼びます)を披露する専門チームだそう。



正式名称は、宮城県松島基地の第4航空団に所属する「第11飛行隊」。

青と白にカラーリングされた6機の機体が、

大空で展開する一糸乱れぬフォーメーション、そしてダイナミックなソロ演技、

次から次へ繰り広げられる驚異のパフォーマンスは、

初めて観る人にとっては驚きの連続で、地上は大きな感動と歓喜の声に包まれます。



その美しく雄大、華麗にして精密なフライトは、内外から高い評価を得てきたそう。

ブルーインパルスは、「創造への挑戦」を合言葉に、

より多くの人に「夢・感動」を感じていただける展示飛行を求め続けていくそうです。


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【航空自衛隊】 ブルーインパルス PV 最強版 Blue impulse

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航空自衛隊発祥の地
浜松基地

全国唯一の航空自衛隊広報館「エアーパーク」


静岡県西部に所在する浜松基地は、航空自衛隊で初めて航空団が置かれるなど、

航空自衛隊発祥の地としての歴史を持っているそうです。



基地設立の頃から、パイロットや航空自衛隊の主要装備品の整備員などを

教育する部隊等が置かれたことから、

現在でも航空自衛隊における教育の中心地としての役割を担っているそうです。



○自然豊かなリゾート地 浜名湖


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国賓等の輸送に使用される
特別輸送機

羽田空港 JAL格納庫


一般的に政府専用機と呼ばれている機体は正式名称を「特別輸送機」といい、

北海道の新千歳空港に隣接する航空自衛隊の千歳基地に2機が配備されて

いるそうです。



主な任務は皇族や内閣総理大臣といった国家の要人を輸送する任務のほか、

国外で有事があった際などの在外邦人の緊急輸送や

自衛隊の海外派遣時における自衛官の輸送任務を担っているといいます。



運航は「特別航空輸送隊 第701飛行隊」が行っており、

パイロットや整備員、運行管理要員の他に「空中輸送要員」と呼ばれる

キャビンアテンダントにあたる役割の自衛官が所属しているそうです。



○大空高く舞い上がる|日本の空の歴史 JAL SKY MUSEUM

○FLY TO THE WORLD 羽田空港


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人命・財産を保護する
災害派遣

東日本大震災による津波で水没した石巻市内に展開する自衛隊


※自衛隊法


(災害派遣) 第八十三条

  都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、

  人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、

  部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。




(自衛隊の任務) 第三条

  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、

  直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、

  必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。



2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、

  同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、

  武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、

  次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が

  実施することとされるものを行うことを任務とする。


  一  我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える

     事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動

  二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の

     推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動


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ソマリア沖・アデン湾における
海賊対処

南はアフリカ大陸・ソマリア半島、北はアラビア半島に挟まれた
アデン湾


スエズ運河につながるアデン湾(Gulf of Aden)は、

ヨーロッパとアジアを結ぶ重要な海上交通路にあたり、

船舶通航量・年間17,000隻のうち、約1,700隻が日本関係船舶だといいます。



1990年代以降、アデン湾において海賊が急増し、発生件数は年間200件を超え、

その背景には、内戦が続いたソマリア国内の貧困と行政能力不足にあるのだそう。



自衛隊では、2009年から護衛艦2隻とP-3C哨戒機2機による

アデン湾の警戒監視活動を開始し、2013年からは各国海軍と協調し、

割り当てられたエリアを巡回するエリア・パトロール方式にて

船舶の安全・海賊の取り締まりを行っているそうです。



その結果、2012年からは海賊発生件数は激減しているとの事。



※第20回海洋教育フォーラム私たちの海「海をまもる」 2016.03
 ・海の海賊に気をつけろ!
  杉原耕二 先生 三菱重工竃h衛・宇宙ドメイン艦艇事業部顧問、
  元海上自衛隊、インド洋派遣部隊指揮官
 ・会場 記念艦「三笠」講堂
 ・主催 (交社)日本船舶海洋工学会 海洋教育推進委員会



○海運が支える日本の豊かな暮らし


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防衛費、初の5兆円突破
中国念頭に島嶼防衛を強化

オスプレイ
ヘリコプター部隊を中心に約70機が配備される普天間飛行場


※産経ニュース 2015.12.24


平成28年度予算案の防衛費は、

前年度比1.5%増の5兆541億円(在日米軍再編経費などを含む)となり、

初めて5兆円を超えた。



防衛費の増額は第2次安倍晋三政権が発足して以降、4年連続。

中国の海洋進出を念頭に周辺海空域の警戒監視能力などを強化する。



南西諸島など島嶼(とうしょ:大小の島々)防衛の強化では、

垂直離着陸輸送機V22オスプレイ4機(447億円)や

水陸両用車「AAV7」11両(78億円)、

機動戦闘車36両(252億円)などを導入。



鹿児島・奄美大島と沖縄・宮古島への部隊配備費(195億円)も計上した。



中国に対し航空優勢を確保するため、

最新鋭ステルス戦闘機「F35」6機(1084億円)や、

新型輸送機「C2」の取得費を盛り込んだ。



安全保障関連法の成立に伴い米軍機への給油が可能になることから

戦闘機の滞空可能時間を延ばす空中給油機「KC46A」1機(231億円)も調達する。

東シナ海での警戒監視強化のため無人偵察機「グローバルホーク」(146億円)や

新型早期警戒機「E2D」1機(260億円)を調達。

最新鋭のイージス艦1隻(1734億円)と「そうりゅう」型潜水艦1隻(636億円)

の建造費も盛り込んだ。



米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を含む

在日米軍再編事業に1766億円、

辺野古周辺地区への直接補助金7800万円を積んだ。

在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)として1920億円を措置した。



○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと

○みんなで創る美ら島|大切にしてきた「うちなー」のアイデンティティ


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人の心に大きな影響を与える
音楽

スマートでさわやかな音楽隊 「海上自衛隊 横須賀音楽隊」


「隊員の士気高揚のための演奏」、「儀式、式典における演奏」、

「部内外に対する広報演奏」を主な任務にしているという、

海上自衛隊横須賀音楽隊。



自衛隊と国民の懸け橋となり、皆に愛される

「スマートでさわやかな音楽隊」をモットーに、演奏活動を行っているそうです。



○新たな響きが奏でる未来|日本人の音楽的アイデンティティ

○「生きる力」を奏でるクラシック


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愛と死、エロスと大儀
防衛を考える

国民とともに防衛を考える情報誌MAMOR(マモル)
これまで各号とも女性が表紙を飾っています


MAMOR(マモル:扶桑社)は、防衛省が編集協力をしている唯一の情報誌だそう。

防衛省の政策や自衛隊の活動を分かりやすく紹介し、

国民とともに防衛を考える情報誌を目指しているそうです。



○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅

○セクシュアリティとジェンダー|文学にみる女性観


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静寂を取り戻した
猿島

神奈川県横須賀市


東京湾に浮かぶ無人島、猿島の歴史は古く、

縄文・弥生時代の石器・土器が発見されているといいます。



しばらくは静かに時を過ごした猿島でしたが、

幕末に江戸湾防備のため台場としての役割を担い、

明治時代になると、洋式砲台として整備され、東京湾の守りについたそう。




第二次世界大戦が終わり、猿島は再び静寂を取り戻したようです。

潤いのある生活が成り立つ「静寂」が、いつまでも続くことを祈ります。



○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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参  考  情  報


○防衛省・自衛隊

○防衛白書|防衛省・自衛隊

○防衛省動画チャンネル(Ministry of Defense Official Channel) - YouTube

○防衛省(Japan Ministry of Defense) - Facebook

○海上自衛隊ミニ講座|自衛隊鹿児島地方協力本部

○法令データ提供システム|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ

○歴史問題Q&A | 外務省

○アジア歴史資料センター

○防衛省市ヶ谷台ツアーは無料で見どころ満載!穴場のおススメ観光スポットです

○市ヶ谷の旧参謀本部について|硫黄島探訪

○東條英機の孫、東條由布子公式サイトです。

○海上自衛隊:ギャラリー:砕氷艦(艦艇):しらせ型 (AGB"SHIRASE"Class)

○南極サイエンス基地|国立極地研究所

○ブルーインパルス|広報|[JASDF] 航空自衛隊

○エアーパーク // 航空自衛隊浜松広報館

○特別航空輸送隊 -SPECIAL AIRLIFT GROUP- | [JASDF]航空自衛隊

○United States Department of Defense

○戦艦ミズーリ記念館公式サイト

○フリー百科辞典Wikipedia

○防衛省 市ヶ谷ツアー 2016.04

○防衛省 市ヶ谷ツアー 2015.11

○横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念事業
 日米親善ベース歴史ツアー 米海軍横須賀基地 2015.05

○横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念 講演会・演奏会 2015.11
 ・オープニング
  横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念映像
  「近代日本のルーツ 横須賀製鉄所」上映
 ・横須賀市・富岡市友好年提携締結式
 ・講演会
  横須賀製鉄所からはじまる日仏交流
  講師 外交評論家 磯村尚徳 先生
 ・演奏会
  ・神奈川ファルハーモニー管弦楽団による弦楽アンサンブル
 ・来賓 高円宮妃久子さま
 ・会場 よこすか芸術劇場

○護衛艦「いずも」特別公開 海上自衛隊 2015.04
 横須賀地方総監部

○日米親善よこすかスプリングフェスタ 2015.03
 米海軍横須賀基地

○東部方面混成団 創立3周年記念行事 2014.05
 陸上自衛隊武山駐屯地

○第2回護衛艦カレー1グランプリinよこすか 2014.04
 海上自衛隊横須賀地方総監部

○第20回海洋教育フォーラム私たちの海「海をまもる」 2016.03
 ・内容
  ・開会挨拶 海洋教育推進委員会委員長 小林正典 先生
  ・海の海賊に気をつけろ! 杉原耕二 先生 
   元海上自衛隊、インド洋派遣部隊指揮官
  ・海の生き物たちをまもれ! 保科正樹 先生 水産庁増殖推進部長
  ・海の中をのぞいてみよう 浦環 先生 東京大学名誉教授
  ・講師との交流トーク
  ・閉会挨拶 海洋教育推進委員会東京支部主査 北澤大輔 先生
 ・司会 木原一 先生 防衛大学教授
 ・ビデオ上映「語り継ぐ想い」
 ・会場 記念艦「三笠」講堂
 ・主催 (交社)日本船舶海洋工学会、海洋教育推進委員会
 ・協力 (交財)三笠保存会、よこすか市民会議(YCC)
 ・後援 横須賀市教育委員会、教育新聞社

○陸上自衛隊 第1師団 第1音楽隊 第40回定期演奏会 2016.02
 ・吹奏楽の力
  交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」 アントニン・ドヴォルザーク
 ・勇気と希望を音楽にのせて
  サンチェスの子どもたち
  おひさま〜大切なあなたへ
  時代
  ふるさとのうた 富士山〜茶摘み〜赤い靴〜砂山〜
  お江戸日本橋〜八木節
  第1音楽隊委嘱作品・本邦初演 2つのマーチ
  大地へ
  ヴィヴァ!アスリート
 ・会場 東京文化会館
 ・主催 陸上自衛隊第1師団
 ・後援 台東区・第1音楽隊講演会

○第50回定期演奏会 海上自衛隊横須賀音楽隊 2016.02
 ・和楽懐音〜日本の響き〜
  ファンファーレ "S-E-A" 鈴木英史 作曲
  梁塵秘抄(RYOJINHISHO) 福島弘和 作曲
  落葉松 小林秀雄 作曲
  生業  宮川彬良 作曲
  T 上昇思考 U 発明の母 V 易業
 ・THE SMITHTIC WORLD  C.T.スミス
  フライト
  モレスカ:シンフォニック・パントマイム
  グリーン・スリーヴス
  華麗なる舞曲
 ・アンコール
  初恋  詩 石川啄木
  行進曲「軍艦」
 ・会場 みなとみらいホール
 ・主催 海上自衛隊横須賀地方総監部


○第36回神奈川自衛隊音楽まつり 2015.04
 会場 神奈川県民ホール

○海上自衛隊横須賀音楽隊 第49回定期演奏会 2015.02
 ・曲目
  アルヴァーマ序曲 J. .バーンズ
  アリオーソ J. パーンズ
  交響的序曲 J. バーンズ
  星条旗よ永遠なれ
  イタリア奇想曲 P. I. チャイコフスキー
  アヴェ・マリア G. カッチーニ
  交響詩「ローマの祭り」 O, レスピーギ
  ふるさと
  軍艦行進曲
 ・会場 みなとみらいホール
 ・主催 海上自衛隊横須賀地方総監部

○川崎ふれあいコンサート 海上自衛隊横須賀音楽隊 2014.10
 ・曲目
  カルメン幻想曲 F.ボルヌ
  クラリネット協奏曲 P.スパーク
  Jupiter G.ホルスト 坂本昌之(編曲)
  TIME MACHINE 〜Past and future〜清水大輔
  パントマイム P.スパーク
  トランペット協奏曲 A.アルチュニアン
  ボレロ M.ラベル
 ・会場 ミューザ川崎シンフォニーホール
 ・主催 海上自衛隊横須賀地方総監部

○海上自衛隊 横須賀音楽隊 第48回定期演奏会 2014.02
 ・演目
  アメリカ&イギリスの吹奏楽
  A.リード アルメニアンダンス パート1
  P.スパーク ドラゴンの年 他
 ・会場 みなとみらいホール

○権力の館を考える('16)
 主任講師 御厨貴 先生 放送大学客員教授

○栗林忠道 硫黄島からの手紙 栗林忠道(著), 半藤一利 文春文庫

○映画「硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)」 2006年

○映画「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」 2006年

○万歳(ばんざい) 広辞苑
 @長い年月。よろずよ。
 Aいつまでも生きること。いつまでも栄えること
 Bめでたいこと。祝うべきこと。
 C貴人の死を忌んでいう語。
 D祝福の意を表すため両手をあげて唱えること。
 E転じて、お手上げの状態、すなわち物事に失敗したり、
  どうにもならない状態になったりすることを  言う語。

○南極観測越冬隊の食事60年 2016.09
 講師
  五味貞介 先生(13次冬、21次冬) ふじの時代
  篠原洋一 先生(33次冬、50次冬) しらせの時代
  竪谷博 先生(55次冬) 新しらせの時代
 会場 日本大学理工学部
 主催 南極OB会


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