日本人の精神性を探る

美徳が強調されてきた社会


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美しい日本
日本人の美徳

河口湖のソメイヨシノと富士山


日本には四季があって、自然が豊かで美しい。街にはゴミがなくきれいだ。

日本人は礼儀正しく親切で、他者への思いやりがある。犯罪が少なく、

落し物は戻ってくることが多い。勤勉で時間を守り、技術力が高い。



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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花や鳥がもつ生命の歓び、自然への畏敬や讃美
花鳥風月

春夏花鳥図屏風 (はるなつ かちょうず びょうぶ) 右隻
狩野永納(1631-1687年)|サントリー美術館


花が咲けば嬉しく、散れば悲しい。月を見れば

恋しい人を思い、暁になれば逢えないことを歎く。



花鳥風月に美しさや懐かしさ、恋しさを感じる心は、人に自然と備わった

ものかのように思えます。しかし、そのじつは先人たちが守り伝えた日本

文化によって醸成されてきました。この我々の感情を作りだした文化の

一翼を担ったのが和歌です。和歌の文化は、詠む、書く、学ぶ、という行

為により生成・展開され、世々の歌人によって連綿と伝えられてきました。



※企画展「和歌万華鏡―万葉集から折口信夫まで―」
 國學院大學博物館 平成31(2019)年4月27日〜令和元(2019)年6月23日
 はじめに


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美しい話
私たち日本人の精神性

鎌倉五山 浄妙寺の庭園


※「美しい話」まへがき 岸田國士(きしだくにお) (部分)


「美しい」ものを「美しい」と感じる心は誰にでもあるはずだが、「ほんたうに

美しい」ものと「みかけだけ美しい」ものとの区別がつかなくなつてゐる人は

ずいぶん多い。それからまた、「美しい」といふことをはきちがへてゐる人、

つまり「醜(みにく)い」部類にはいるやうなものを何時(いつ)のまにか好きに

なつてゐて、それが「美しい」のだと思ひこんでゐる人が、これまたなかな

か少くないのである。



「ほんたうに美しい」ものを「美しい」と感じることができないのは、人間として

非常に不仕合せであるばかりでなく、世の中がさういふ(⇒そういう)人たち

のおかげでだんだん住み心地がわるくなり、さらに、さういふ人たちが

のさばつてゐる国は戦争に負けなくても、外国の侮(あなど)りを受け、精

神的には対等の交際ができないことになる。



「美しさ」といふものは、いろいろなものにあり、眼に見えるものばかりでなく、

耳に聞える音や声にもそれはある。「自然の美しさ」と云へば問題はないが、

「人間の美しさ」となると、肉体の美しさよりも主として精神の美しさを云ふ

のである。



さて、われわれ日本人は、これまで「人間の美しさ」についてどういふ風に

教へられて来たか? われわれ日本人の精神は、どういふ点でその「美し

さ」を誇つてゐたか?



この反省は非常に大事な反省であるが、いまこゝで直接それに触れる暇

はない。しかし、私はたゞ、これまであちこちでもてはやされた日本人好み

の「美談」なるものの性質をぎんみしてみたいと思ふ。



新聞や雑誌が争つてかゝげる「感激美談」や、国民学校の教科書が教材

としてあげてゐる「教訓美談」はいづれもといつていゝくらゐ、日本以外の

国では「美しい話」として通用しがたいものばかりである。



どうしてさういふ結果になつたかといへば、これもせんぎ(詮議⇒意見を

出し合って物事を明らかにすること)をすると長くなるから、ごく簡単に云へ

ば、
日本人は、「人間」としての自覚がまだ足りないこと、国家と社会

との関係をはつきり呑みこんでゐない
ことなどから来るのである。



人と人との関係にしても、われわれ日本人は、どちらかといへば、相手を

特別な面でしか見ない傾きがある。従つて、一人の人物をその肩書や、

用件や、利用価値を考へながら扱ふ以外に扱ひ方を知らない。自分の

態度を省みれば、知り合ひか知り合ひでないか、目上か目下か同輩か、

時としては敵か味方かといふことばかりを気にかけてゐることがすぐわ

かる。



つまり、どんな間柄でも、まづなにをおいても、「人間同士」の気持を持ち

あひ、しかも、お互にそれを自然に現(あら)はすといふことが極めて稀な

のである。人間のすがたはかうして「真の美しさ」から次第に遠ざかるの

である。



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識

○日本人の精神性を探る旅

○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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外から知る
日本の現代社会・宗教観

特別講座「留学生のための日本の現代社会」ポスター


○「留学生のための日本の現代社会」
  東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
  国際交流室 日本語教室 特別講座シリーズ

  本講義では、5つのキーワードから日本の現代社会を描き出します。複雑な
  現代社会を論じるのはもちろん容易ではありませんが、日本社会の典型的
  特徴とされるトピックを取り上げ、現代ではどのようであるかを皆さんと一緒
  に考えてみたいと思います。


  第1回 「日本社会論」−「菊と刀」を中心に
  第2回 仕事−「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を支えた日本的経営
  第3回 選抜システム−学歴社会と就活模様
  第4回 コミュニケーション−タテ社会の人間関係
  第5回 文化−心理主義化する社会と自己啓発




○「留学生のための日本の宗教」
  東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
  国際交流室 日本語教室 特別講座シリーズ

  本講義は宗教を切り口に日本について考えることを目的とします。同時に、
  日本の事例を通じて宗教に対する視野を広げることも目指します。テーマ
  には、なるべく身近なこと、話題のものを選びました。それらの成りたちや
  由来について、宗教学・宗教史学の最新の成果に基づきながら解説して
  いきます。この講義が受講者の方がたにとって、異文化に迫るヒントに
  なるとともに、自文化を見直すチャンスにもなれば何よりです。


  第1回 初詣の始まり−暦・鉄道・年中行事
  第2回 切支丹・耶蘇教・天主教−日本におけるキリスト教表象の分裂と拡散
  第3回 天皇と宗教、天皇の宗教、天皇は宗教?
  第4回 近代日本と「宗教」−信教の自由と政教分離
  第5回 近代日本における戦争死者慰霊のかたち


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秩序と階層的な上下関係を
重視する日本人

国会開会式|参議院本会議場
参議院はかつて皇族や華族などから成る貴族院だったそうです


※「菊と刀」 ベネディクト, 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008
 第3章 応分の場を占めること p78



いやしくも日本人を理解しようとするなら、それに先立って確かめておく

べきことがある。それは、日本人が「応分の場を占める」という言葉の

意味をどのように解釈しているのか、ということである。日本人は秩序

と階層的な上下関係に信を置き、一方、わたしたちアメリカ人は自由と

平等に信を置く。両者の間には天と地ほどの隔たりがある。



…日本人は階層的な上下関係に信頼を寄せており、それは人間関係

や、人と国家の関係における基本になっている。



○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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序列なしには暮らせない
日本の日常

「四時交加(しじのゆきかい)」 山東京伝. 絵:北尾重政 1798
(江戸の人々の風俗を四季に即して記した随筆)


※タテ社会の人間関係 単一社会の理論 中根千恵 講談社現代新書
 3章 「タテ」組織による序列の発達 より



序列偏重の意識が根強かったという日本。年功序列などという近代社会

に発達した制度をとりあげるまでもなく、私たちの日常生活においても

遺憾なく発揮されてきたといいます。



また「年功序列」と「能力」の関係をみた場合、日本は常に年功序列に

圧倒的な比重が置かれていたといい、能力については、「働き者」とか

「なまけ者」というように、個人の努力差には注目するが、「誰でもやれば

できるんだ」という能力平等観が非常に根強く存在していたといいます。


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秩序と序列のルーツを探る
天皇の成り立ちを語る古事記

「古事記」 真福寺本 (国宝)


日本最古の歴史書といわれる「古事記」。上中下の三巻から成り、上巻は

天地初発(てんちしょはつ⇒世界が生まれた時)から神武(じんむ)天皇(⇒

初代天皇とされる、実在したかは不明)の誕生まで、中巻は神武天皇から

応神(おうじん)天皇まで、下巻は仁徳(にんとく)天皇から推古(すいこ)天皇

までの記事が収められています。



上巻は、イザナギ・イザナミニ神による国生み、アマテラス・タカミムスヒを

主宰神(しゅさいしん)とする高天原(たかあまのはら)の成立、天孫降臨

(てんそんこうりん)などの神話が語られますが、そのような神話の目的

は、現在の世界を成り立たせている秩序の根源がどこにあるか、共同体

の起源は何なのかを明らかにすることだったとされます。



「古事記」は、日本という地域にいる天皇の歴史を明らかにし、その天皇

の正統性を訴求する側面があったといわれます。



※「古事記」と「万葉集」('15)
 講師 多田一臣 先生 放送大学客員教授・二松学舎大学特別招聘教授
 1 「古事記」の成立と歴史意識



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識


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中央集権化の一環として構築された
神社システム

松尾大社(まつのをたいしゃ) 京都市西区嵐山


平安京(794年)・平城京(710年)ができる以前、大宝元年(701年)に鎮座したとされる

松尾大社。その起源は5世紀の頃、秦の始皇帝の末裔を称する秦氏(はたし)が、

朝鮮半島から渡来してこの地に住み、松尾山の神を一族の総氏神として仰いだ

ことに遡るといわれます。



古来からあった信仰は、律令制(⇒中央集権的官僚制度、大宝律令:701年)の

導入時期になると、中央集権化の一環として「神社」の枠組みに落とし込まれて

ゆきます。全国の主要な神社は神祇官(じんぎかん⇒神事を監督する役職)に

属する官社に認定され、神祇祭祀(じんぎさいし)を利用した天皇をトップとする

制度が構築されます。松尾大社は、二十二社体制の第四位に記されます。



※二十二社体制

 祈雨(きう⇒降雨を祈る)・祈年穀(きねんこく⇒その年の豊作を祈る)をはじめ国家
 の大事に際して幣帛(へいはく⇒神に奉献する供物)を奉(たてまつ)る神社。

 伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日・大原野・大神・石上・
 大和・広瀬・龍田・住吉・丹生・貴布禰・吉田・広田・北野・梅宮・祇園・日吉


※京都文化の源流を探る― 秦氏の造った社寺 ― 2019.03
 講師 野村朋弘 先生(京都造形芸術大学准教授)
 会場 潟Wェイアール東日本企画 恵比寿本社ビル10階
 主催 京都市・大学コンソーシアム京都
 京あるきin東京2019「京都の大学による特別講座」


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祭祀権の掌握による
人民支配

石清水八幡宮


※岡田精司「律令的祭祀形態の成立」(『古代王権の祭祀と神話』 塙書房, 1970年)


  大化(たいか⇒645-650年、最初の元号とされる)以前には、地域ごとの集団が

  それぞれの守護神を奉じており、原則的には自己の属する守護神以外を祭る

  ことはできなかったはずである。古代の人民支配は祭祀権を掌握するものに

  よって、宗教を媒介として行われたものであるから、中央・地方の豪族による

  人民支配の否定は、地方神の祭祀権をすべて最高司祭者に集中することに

  なった。律令的神祇官支配の本質と<諸神祭祀>の意義はそこにあったので

  ある。




大化前代には、氏族・地域ごとに自己の属する守護神以外を祭ることができない

原則があった。律令制以後は、地域豪族による人民支配は否定され、地方神の

祭祀権は、すべて最高司祭者としての天皇に集中したことを指摘されたが、この

理解は誤りで、天皇が直接の祭祀を執り行うことができたのは、皇祖天照大神

のみで、それ以外の神々に対しては、地域・氏族による個別祭祀権は残りつづけ、

天皇は間接的に関与するのみであった。天皇祭祀権と地域・氏族祭祀権とは、

独立した二重構造であった。



平安時代に始まる、賀茂神社・石清水八幡宮などへの神社行幸に際しても、

天皇は神社の入口近くで留まることを慣例とし、直接の神拝が叶わなかったこと

も、そこに不可侵の祭祀権の原則があったものと思われる。祭祀権が完全に

天皇のもとに帰したは、近代明治に入ってからのことであった。



※大嘗祭の史的意義、天皇祭祀権の二重構造 2019.06
 講師 岡田荘司 先生 國學院大學名誉教授
 会場 國學院大學 渋谷キャンパス
 主催 國學院大學  共催 国史学会  企画 王権研究会
 日本古代の皇位継承−即位・践祚・譲位・大嘗祭−
 令和元年度 國學院大學文化講演会

※大嘗祭(だいじょうさい)
 天皇が即位後最初に皇祖および天神地祇 (てんしんちぎ) に新穀を供え、
 これを食べる儀式。(⇒天皇が即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭)。

※平成に行われた大嘗祭(1990年)では、国から約22億5000万円が支出
 された。

※令和の大嘗祭は、2019年11月14日から15日に予定されている。政府は
 「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を
 支出する方針を決めている。これに対して、秋篠宮さまが、国費で行うべき
 ではないとの考えを宮内庁長官らに伝えたが検討されなかったことを、
 18年の誕生日を前に行った会見で明らかにしている。


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倒幕と王政復古を目指した
後醍醐天皇

後醍醐天皇御像 清浄光寺 (遊行寺) 1288-1339年


※京都ぎらい 官能編 井上章一 朝日新書 2017
 四 武者をとろけさせる女たち 男心を見すかして p154-156


後醍醐は、1318年から皇位をひきついだ。その三年後には、天皇親政という

形で、政(まつりごと⇒政治)をはじめている。また、鎌倉幕府の打倒と王政

復古も、もくろむようになる。1324年には、京都でそのための謀議(ぼうぎ)

をめぐらせた。倒幕にたちあがれそうな武士や公家をあつめ、密会をひら

いている。(中略)



…この密儀では、美濃(みの⇒現岐阜県)の土岐頼兼(ときよりかね)と多治

見国長(たじみくになが)を味方につけることが、はかられた。ともに、武勇で

聞こえた源氏の武将である。しかし、いきなり倒幕の計画を彼らにもちかけ

ることは、やはりためらわれた。そのため、後醍醐とそのとりまきは、「無礼

講」の宴会をひらいている。気のはらないパーティで、武将たちの心をひら

かせる。彼らが、ほんとうにたよれるかどうかを、見きわめる。そのために、

この宴席は用意された。(中略)



…身分の上下を問わず、酒をくみかわす。えぼしもかぶらず、髪の毛も

たばねない。僧侶は僧の位がわかる袈裟をはおらず、下着姿で列席した。

文字どおりの「無礼講」である。いや、それでけではない。この宴には、

女たちも接待係として、はべらされた。(中略)

顔形が美しく、肌もきれいな若い娘を、二十数人そろわせた。(中略)

裏地のない、裸体がすけて見えるような装いで、男たちには酒をつがせ

ていたらしい。シースルーのコンパニオンをならべた、乱痴気パーティ

であったということか。これが、武将たちの内面をさぐるためだけの催し

であったとは、思えない。半裸の女たちで、彼らをたぶらかすことも、

とうぜんねらわれていただろう。



○150年の歴史に幕を閉じた鎌倉幕府終焉の地


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誠意を身につけているように
振る舞う君主

フィレンツェ共和国の外交官
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527年)


※「君主論」 マキャヴェッリ, 河島英昭(訳) 岩波文庫 1998
  第18章 どのようにして君主は信義を守るべきか p131-133


君主が信義を守り狡猾(こうかつ)に立ちまわらずに言行一致を宗(むね)と

するならば、いかに讃(たた)えられるべきか、それぐらいのことは誰にでも

わかる。



だがしかし、経験によって私たちの世に見えてきたのは、偉業を成し遂げた

君主が、信義などほとんど考えにも入れないで、人間たちの頭脳を狡猾に

欺(あざむ)くすべを知る者たちであったことである。そして結局、彼らが誠意

を宗(むね)とした者たちに立ち優ったのであった。



…したがって、君主たちに必要なのは、先に列挙した資質(慈悲深く、信義

を守り、人間的で、誠実で、信心ぶかい)のすべてを現実に備えていること

ではなくて、それらを身につけているかのように見せかけることだ。

いや、私として敢えて言っておこう。すなわち、それらを身につけてつねに

実践するのは有害だが、身につけているようなふりをするのは有益である、と。



…君主たる者は、わけても新しい君主は、政体を保持するために、時に

応じて信義を背(そむ)き、慈悲心に背き、人間性に背き、宗教に背いて

行動することが必要なので、人間の善良な存在と呼ぶための事項を何も

かも守るわけにはゆかない。



…君主たる者は、したがって、先に記した五つの資質が身に備わっていない

ことを暴露してしまう言葉は、決して口から出さぬよう、充分に気をつけなけ

けばならない。そして外見上、聞くにつけ見るにつけ、いかにも慈悲ぶかく、

信義を守り、いかにも人間的で、いかにも誠実で、いかにも宗教心に満ちて

いるかりように、振る舞わなければならない。



○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ


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厳格なピラミッド組織
優位性を貫いた徳川幕府

江戸城跡|皇居東御苑


※「菊と刀」 ベネディクト, 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008
 第3章 応分の場を占めること p113-114


手短に言えば、徳川幕府の歴代の将軍は各藩内部の身分制度の固定化

を図り、各階層が領主に対して依存する状態を保とうとした。大名は各藩

における階層の頂点に立っており、下位の者に対して特権を行使する

ことを許されていた。



したがって、将軍が国を治めるにあたって大きな問題となったのは、いかに

して大名を統制するかである。将軍はあらゆる手立てを講じて、大名が互い

手を結んだり兵を起こしたりするのを阻んだ。



国境(くにざかい)には、関所手形や荷物を改める役人が置かれ、「入り鉄砲

と出女」を厳しく見張った。それは、大名が妻女(さいじょ⇒妻や娘)を国元に

逃がしたり、武器を密かに江戸に運び込んだりするのを防ぐためである。



いかなる大名も将軍の許しを得ずに縁組をすることはできなかった。大名

が縁組を通じて政治同盟を結ぶ恐れがあったからである。

藩と藩の間の交易も妨げられた。通行禁止になった橋もあったほどである。

幕府の隠密(おんみつ⇒スパイ)も、大名の台所事情を逐一報告してきた。

金蔵(かねぐら)が一杯になってきた大名は、将軍から費用のかさむ土木

事業を押し付けられた。その結果、その大名家の財政状態はふたたび

ほかの大名並みになった。



大名を縛る決まりの中で特に有名だったのは、参勤交代である。大名は

一年のうち半分を江戸で過ごし、国元に帰るとき、妻女は江戸に残して

おかなければならなかった。残された妻女は、将軍に預けられた人質と

いった体(てい)であった。このようにして幕府は支配を維持した。

そして、ピラミッド型の上下関係における優位性を貫き通した。


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士農工商の下に位置づけられた
身分

牛馬などの皮をはぎ加工している穢多(えた)
「江戸職人歌合」 石原正明(1759-1821)


江戸時代に確立したとされる「士農工商(しのうこうしょう)」は、武士を最高位

に置き、次に農民、職人、最下位に商人を置いた身分制度だったと一般的に

いわれます。



当時、士農工商に属さない人々も存在したようで、そのような人は「穢多(えた)」

や「非人(ひにん)」などと呼ばれ、「士農工商」制度のさらに下に位置づけられ

たそうです。



「穢多(えた)」は、訓読みすれば「穢(けが)れ多い」と読むことができ、具体的には、

死んだ牛馬の処理、糞尿の処理などに携わっていたといわれます。



「非人(ひにん)」は、「人に非(あら)ず」と読むことができ、人間とみなされない獣

(けもの)の類(たぐい)のようで、乞食(こじき)などを指したとされます。非人は、

刑罰によって農民の位から落とされた人々だったといい、定められた農作地を

放棄したなどの理由が該当したそうです。



非人は農民に戻る道があったといわれますが、穢多は固定的な立場だった

そうです。



※生と死の民俗学 2016.07
 講師 板橋春夫 先生 新潟県立歴史博物館参事
 放送大学文京学習センター



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


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思想・民衆統制としての側面をもつ
檀家制度

キリスト教禁止令を出した徳川幕府2代将軍 徳川秀忠(在職:1605-23)
浄土宗 松平西福寺所蔵


1612年、2代将軍・徳川秀忠はキリスト教の信仰を禁止します。それに伴い、

民衆は必ず檀那寺(だんなでら、菩提寺とも)を持つこととされ(⇒寺請制度

・檀家制度)、キリスト教信者でないことを証明する為には寺院の証明書

(寺受け証文)が必要となりました。

また、子どもが生まれると寺院に届け出る必要があり、寺院の証明書が

なければ結婚も旅行もできず、戸籍管理としての役割を担うようになって

ゆきます。



こうして寺院と檀家の関係は固定化され、寺替(てらがえ)・宗旨替(しゅうし

がえ)は原則として認められなくなります。強い権限をもった寺院にとって

檀家制度はその経営の安定を生み出すことから維持・強化に努め、檀家

を経済的基盤として組み込んでゆきます。



このように檀家制度は、思想統制・民衆統制としての側面を持ち、明治を

迎えるまで続きます。明治4(1871)年に戸籍制度が定められたことによって

宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう、宗門人別帳とも)は廃止となりますが、

寺院の信徒把握の基本形態として現在まで継承されてきました。



○多様な視点から始まる自己への洞察


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明治政府の基本方針
宗教的権威に基づく政治

後醍醐天皇の皇子 護良(もりなが)親王が幽閉・暗殺された
場所に建つ鎌倉宮。かつてこの地にはお寺があったそうです。


※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波書店 2010
 第一章 国家神道はどのような位置にあったのか?
 2 「日本型政教分離」の実態 「神道国教化政策」で突き進む p9-10


維新政府は大政奉還の翌年、1868(慶応4)年3月13日に祭政一致(さいせい

いっち⇒宗教的権威に基づく政治)、神祇官(じんぎかん⇒神事を監督する

役職)再興の布告を行っている。



また、その翌日には、五箇条の御誓文のために「誓祭」が行われた。後者

(誓祭)は前者(祭政一致の理念)を具体化したものとみることができる。国

家的な意思の結集に際して、神道儀礼が行われるという体制の先例が

ここで作られた。さらにキリシタン禁制の確認強化(3月15日)と神仏分離

(3月17日)が公布される。



祭政一致の理念はまた、神社優遇による神道国家樹立を目指す政策に

具体化されていった。神仏分離はこれまで神社を支配下においてきた

仏教寺院の影響を排除し、神社を自立させ、その地位を仏教の上位に

高めようとするものだ。



以後、全国各地で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と呼ばれる仏教や民俗宗

教への抑圧の嵐が吹き荒れた。これまで僧侶の下位に位置づけられて

いた神職やその支持者がこれを機会に仏教施設を破壊したり、地域の

権力者が国学や儒学や文明化の思想に基づいてむりやり寺を廃止した

り、統合したりする例もあった。



○潮風に導かれ開国ロマン溢れる浦賀へ


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日本人の精神に大きな影響を及ぼした
国家神道

伊勢神宮 宇治橋


※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波書店 2010
 第二章 国家神道はどのように捉えられてきたか?
 1 国家神道の構成要素 国家神道とは何か? p57


国家神道という用語は、明治維新以降、国家と強い結びつきをもって発展

した神道の一形態を指す。それは皇室祭祀や天皇崇敬のシステムと神社

神道とが組み合わさって形作られ、日本の大多数の国民の精神生活に

大きな影響を及ぼすようになったものである。皇室祭祀や天皇崇敬のシス

テムは、伊勢神宮を頂点とする国家的な神々、とりわけ皇室の祖神と歴代

の天皇への崇敬に通じている。国家神道においては「皇祖皇宗(こうそこう

そう⇒天皇の先祖から現代に至る歴代の天皇)」への崇敬が重い意義を

もっており、神聖な皇室と国民の一体性を説く国体論と結びつく。


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天皇の代がいつまでも続きますように
君が代

参道に玉砂利(小石)が敷き詰められた明治神宮
明治天皇・昭憲皇太后が祀られています


※君が代

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで



日本の国歌である「君が代」は、明治13年11月3日の天長節(⇒明治天皇

誕生日)に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されたといわれ

ます。

歌詞は、最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう⇒天皇の命令によって

編集された和歌集)である「古今和歌集、巻七・賀歌」の「我君は千代に

八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(作者不詳)が原典だと

されます。



明治という時代を考慮して「君が代」を現代語に解釈してみれば、


 「君主である天皇の代が、いつまでも続くように。小石が集まって

 大きな岩となり、苔が生えるほど永遠に。」



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天皇の聖なる教えに導かれる場所
小学校

遷喬尋常小学校(せんきょうじんじょうしょうがっこう)
国指定重要文化財 岡山県真庭市


※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波新書 2010
 はじめに─なぜ、国家神道が問題なのか?, 国家神道の唱歌を覚えた日本人
 @-A


…1890(明治23)年に教育勅語が下された。明治天皇が教育の根本精神について

国民に授けた「聖なる教え」だ。この後、小学校は天皇の聖なる教えに導かれる

場となっていった。それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な

拝礼に親しんだ。伊勢神宮や皇居を遥拝(ようはい⇒遠く離れた所から拝む)し、

靖国神社や明治神宮に詣で、天皇の御真影(ごしんえい)と教育勅語に頭を垂

れたのだ。これは国家神道の崇敬様式にのっとったものだ。(中略)天皇と国家

を尊び国民として結束すること、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の

主軸となった神道の形態である。戦前はおおかたの日本人が国家神道の影響

下で生活し、その崇敬様式に慣れ親しんでいた。


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教育勅語
神聖な天皇の統治のために尽くせ

文部省より全国の学校に下賜(かし⇒身分の高い人から
身分の低い人へ与える)された「教育に関する勅語(ちょくご)」
「勅語」は「天子の言葉」を意味し、天皇の意思表明を指すそうです。


※教育に関する勅語 (教育勅語)
 1890年(明治23年)10月30日発布、1948年(昭和23年)6月19日廃止
 (カタカナはひらがなに変換、句読点を追加、全文ではなく部分)


  朕(ちん)惟(おも)うに我(わ)が皇祖皇宗國(こうそこうしゅうこく)を肇(はじ)むる

  こと宏遠(こうえん)に、コを樹(た)つること深厚(しんこう)なり。

  我が臣民(しんみん)克(よ)く忠(ちゅう)に克(よ)く孝(こう)に、億兆(おくちょう)

  心を一(いつ)にして世世(よよ)厥(そ)の美を濟(な)せるは、此(こ)れ我が國體

  (こくたい)の演リ(せいか)にしてヘ育の淵源(えんげん)、亦(また)實(じつ)に

  此(ここ)に存す。




教育勅語の冒頭では、天皇と臣民(しんみん)のあるべき関係が示されています。

天皇自らを指す「朕(ちん)」には、天命を受け天下を治める者という意味があり、

秦の始皇帝から用いられるようになったといわれます。臣民は、天皇に仕える

人々を指します。ここまでの部分を現代語訳すれば、



  天下を治める私が思うに、我が皇室の先祖から始まった国は広遠であり、

  現代に至る歴代の天皇が築いてきた徳は深く厚いものであった。


  天皇に仕える国民は、よく忠誠を尽くし、よく孝行し、全国民が心をひとつに

  して代々に渡りつくりあげてきた美徳は、天皇を中心とした秩序が優れて

  いるからであり、教育の根源もそこに在る。




続いて、儒教的な思想に基づいて「親子」「兄弟」「夫婦」「朋友」の道徳的な関係

が述べられますが、ここでは割愛してその次の部分を引用します。




  一旦(いったん)緩急(かんきゅう⇒差し迫った事態)あれば義勇(ぎゆう)公(こう)

  に奉(ほう)し、以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう⇒天地ともに永遠に続く)

  の皇運(こううん⇒天皇の運・勢威)を扶翼(ふよく⇒助け支える)すべし。

  是(かく)の如(ごと)きは獨(ひと)り朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民たるのみ

  ならず、又(また)以(もっ)て爾(なんじ)祖先の遺風(いふう⇒昔の人の教え・

  習慣)を顯彰(けんしょう⇒讃える)するに足らん




  万一差し迫った事態があれば、大義にもとづいて勇気をふるい一身を捧げて

  皇室の為につくせ。天照大神が天皇に授けた神の教えに従って、天地ともに

  永遠に続く天皇に仕え支えなさい。

  これらのことは、一人の人間が天皇に忠実で善良に仕えるだけではなく、

  あなたの祖先が残した教えを讃えることでもある。




教育勅語の残りの部分は、以上の教えが先祖代々受け継がれてきた天皇と臣民

の間の深い関係に基づくものであること、また、それらは普遍的な価値をもつもの

であることが述べられます。



○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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被差別部落の人たちが創立した
学校

画像は、小諸城址・懐古園(かいこえん)内にある藤村記念館


※惟善学校跡(いぜんがっこうあと)


明治5年(1872年)明治政府は学制を制定し、全国に小学校を作らせ、6歳以上の

男女を身分に関係なく修学させようとしました。誰でも行けるはずの学校でしたが、

被差別部落の子どもたちは、部落差別により就学を拒否され、あるいは費用や

家庭事情等で、学校へ行けませんでした。



荒堀地区(当時、加増村荒堀組)の人たちは、子どもたちを就学させてくれるように、

何度も頼みましたが、受け入れられませんでした。そこで、明治13年、自分たちで

独自に「惟善学校」という名前の学校を設立しました。惟善学校は、部落の頭で

あった高橋弥右衛門宅の敷地と家が提供され、弥右衛門自身も教員として子ども

たちの教育にあたりました。この学校は、地域の人から「学校場」と呼ばれ親しまれ、

就学者は増加していきました。運営は、授業料と地元住民の出資金で行われ、

惟善学校は存続しました。長野県唯一、被差別部落の人たちが創立した学校と

いわれています。



小諸市では、明治時代の厳しい部落差別の中にあっても、教育の重要性を理解し、

地域で協力し、「惟善学校」を設立及び運営したことを後世に伝えるため、平成22

年度(2011年)この学校跡地に記念広場として整備しました。



小諸市



○雪国の春|環境と生物の相互作用がもたらす風景


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民族意識の高揚
周辺民族に対する植民地支配の強化

フランスの動物学者 ジョルジュ・キュヴィエ(1769-1832)


※明治の教科書にみられる「人種」・「民族」記述 2019.05
 講師 竹沢泰子 先生 京都大学人文科学研究所教授
 人種主義・反人種主義の越境と転換
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内


現在でも言われる「白色人種」「黒色人種」「黄色人種」という分類は、フランス

の動物学者 ジョルジュ・キュヴィエ(1769-1832)が発案した分類に遡ることが

でき、「白」には善・勝利・真実、「黒」には悪・敗北・虚構、「黄色」には臆病・

反逆者といったユダヤ-キリスト教圏の伝統的価値観が深く反映されている

といいます。



日本で最初に「人種」について体系的に紹介した書物は、江戸後期、渡辺崋

山(わたなべかざん)が記した、海外情勢に疎い幕府の政策を批判した政治

書「慎機論(しんきろん、1838年)」だと考えられ、明治期に入ると福澤諭吉

の「世界國盡(せかいくにづくし、1869(明治2)年)や内田正雄による「輿地誌

略(こちしりゃく、1870(明治3)年)」が挙げられます。



「世界國盡(せかいくにづくし」は、世界各国の地理・歴史・人種をわかりやすく

説明した本で、児童にも理解できるよう配慮され、教科書代わりに用いられ

ました。その後、文部省は教科書として「萬国地誌略(ばんこくちしりゃく、

全3冊、明治7年)」を用意しています。



これらの教科書には、「白種は第一等、黄種は第二等、黒種は第三等」と

いった記載や、黄色人種中、「我が日本人及び支那人(⇒現中国人)は此

(こ)の人種中の最も進歩せるものなり」(小学萬国地誌(明治27年)・中学萬

国地誌(明治29年))といった記載が見られます。



また、小学校において教育する際の規則を定めた「小学校教則大綱(明治

24年)」第六条では、「…日本の地理及び外国地理の大要(⇒大事な点)を

(児童に)授(さず)けて、人民の生活に関する重要なる事項を理会(⇒理解)

せしめ、兼ねて愛国の精神を養うを以(もっ)て要旨とす」と書かれています。



このように、幕末・明治初期から大正時代にかて、「人種」そしてその後に登

場する「民族」や「種」という概念は、常に欧米とアジアを意識した地政学の

なかでこそ意味をもち、これらの概念は諸外国と日本人との力関係を測り、

白人と同等の文明であると刷り込むために用いられたと指摘されます。



他方、皇室や日本人の血統の言説を持ち出して国民や民族意識を高揚

させつつ、アジアの他地域や周辺少数民族に対する植民地支配を強化

していくための中心的ツールの一つであったとされます。



○あふれる力でともに未来へ|精神までも植民地化されてきたアフリカ


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右極化の道を歩む一方で行われていた
国際リゾート開発

奥志賀高原


※近代日本の国際リゾート―一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に
 砂本文彦. 青弓社 2008 作品案内


  一九三〇年代(昭和5年〜昭和14年)に「観光立国」を目指して設置された

  鉄道省国際観光局は「外国から観光客を呼び込め!」とさまざまな政策を

  推し進め、国際リゾート地を選定して国際観光ホテルを官民一体になって

  次々と建設した。上高地・雲仙・志賀高原・阿蘇・唐津・琵琶湖・富士・日光

  などでの計画から実施までの光と影を膨大な史料から描き出す。





1930年代の日本は満州事変を契機として右極化の道を歩んでゆきますが、

その一方で、国の一機関である鉄道省は、海外に向けて日本のホテル(帝

国ホテル、ホテル・ニューグランド、上高地ホテルなど全国70のホテル)のPR

活動を行っていたそうです。その背景には、ユーラシア大陸を横断してヨーロ

ッパとアジアををつなぐ鉄道構想があり、世界の富裕層が日本を訪れ、観光

消費によって対外収支を改善する狙いがあったとされます。



国際観光ホテルは、スキーや登山、ゴルフといったリゾート地の中心施設

として期待され、それまで炭焼きや割りばし用材の伐採地に過ぎなかった

志賀高原はスキーリゾートとして開発されてゆきます。



国際観光政策は政府の政策にも関わらず、施設整備自体は地方主導で

行われることが多く、志賀高原では長野電鉄が開発に乗り出したといわます。



○雪国の春|環境と生物の相互作用がもたらす風景

○アルプスの風が立つ|厳しくも美しい山岳景勝地 甲信

○未知を歩き、心を満たしてゆく 上高地


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運命を受け入れるしか術がない
無抵抗者たち

文部省主催 出陣学徒壮行会 1943年10月21日
明治神宮外苑競技場


太平洋戦争の熾烈化とともに、1943(昭和18)年10月、文科系の学生に対して

(理科系学生は免除)、それまで兵役法で認められていた徴集延期の制度が

廃止され、20歳以上の学生たちは直ちに戦場に向かうことになりました。



学徒出陣は一般兵員の補充がたてまえでしたが、彼らの多くは実質的には

特攻隊要員に、ほかなりませんでした。



抵抗するなど許されるはずもなく戦地に赴いていった文科系学生には、

理科系学生にはない特徴がありました。それは、文学から哲学と思想を

学んだ彼らには表現する能力があるということでした。彼らの残した文章

は戦争の犠牲者たちや遂行者たちについての実態を後世に残します。



※法政大学の歴史|学徒出陣
※21世紀批評理論における4つのターン 2019.03
 大橋洋一教授退職記念特別講義
 東京大学文学部法文2号館2階1番大教室(本郷キャンパス)
 現代文芸論研究室



○Dear Kitty|ずっと誰よりも大切なキティへ

○平和と独立を守る防衛省


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天才が一人いるよりも
鈍才が十人いる方が都合が良い

ドイツ語で「車輪の下敷きになる」という言い回しには、
「落ちぶれる」という意味があるそうです


※「車輪の下」 ヘッセ. 松永美穂(訳) 光文社古典新訳文庫 2007
 第4章 p154-155


…学校の先生はクラスに天才が一人いるよりも、正真正銘の鈍才が

十人いる方を喜ぶのである。それはもっともなことである。というのも、

教師の課題は極端な人間を育てることではなく、ラテン語や計算の

できるよき小市民を養成することにあるからだ。



教師と天才のどちらがより多く、重大な苦しみを相手から受けているか、

二人のうちどちらがより暴君で駄々っ子であるか、どちらがどちらの魂

や人生の一部を台無しにし汚しているか。そうしたことについては、自分

の青春を思い出し、憤慨したり恥辱を覚えたりすることなしには探求でき

ない。



しかしこれはいまの我々の主題ではないし、真の天才の場合、ほとんど

いつもそうした傷はふさがり、学校に反抗しながらもよき成果をあげる

ものであるから、我々は安心してよいのだ。



やがて彼らが死に、はるか彼方で心地よい後光に包まれるようになると、

他の世代の生徒たちに向かって学校の教師が、その天才をすばらしい

人物、高貴な例としてほめそやすようになる。そういうわけで、学校や時代

が変わっても掟と精神のあいだの闘争という茶番劇がくりかえされ、我々

は常に国家と学校が、毎年出現する何人かの価値ある深遠な精神を、

たたき殺し根元で折り取ろうと息を切らして努力している様子を目撃する

のである。



そして、後々になって我が国民の宝を豊かにしてくれるのは相も変わらず、

とりわけ学校の教師から憎まれ、しばしば罰せられ、道を踏み外し追放

された輩なのである。しかし多くの者は─どれくらいの数になるか誰が

知ろう?─静かな反抗のなかで消耗し、破滅していくのだ。



○社会の転換期|視点が変わると見え方も変わる


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この世に姿を現わしている神
架空なる観念の否定

天岩戸(あまのいわやど)神話の天照大神
春斎年昌画 明治20年(1887年)


1889(明治22)年に発布された大日本帝国憲法の第三条には、「天皇は神聖

にして侵すべからず」と記され、「神」であることが宣言されています。また、

発布に際して宮中で行われた奉告祭では、明治天皇は、天照大神や歴代

の天皇を祀る神殿(⇒皇祖皇宗の神霊)に向けて、「皇朕(わ)れ天壌無窮(て

んじょうむきゅう⇒天地ともに永遠に続く)の宏謨(こうぼ⇒広大なはかりごと)

に循(したが)い惟神(かんながら⇒神の本性)の宝祚(ほうそ⇒天子の位)を

継承し」と述べ、天皇自らが神的な権威を受け継ぐ者であることを宣言して

います。



それから約60年後、太平洋戦争が終結した翌年1946(昭和21)年1月1日に

発せられた「新日本建設に関する詔書(しょうしょ)」。このなかで昭和天皇は、

天皇を現御神(あきつきかみ⇒この世にその姿を現わしている神)とするの

は架空の観念であると述べ、自らの神性を否定しました。




※「新日本建設に関する詔書(しょうしょ)」 1946年(昭和21年)1月1日 より
 部分 (カタカナはひらがなに変換)


…朕(ちん)と爾等(なんじら)国民との間の紐帯(ちゅうたい⇒結びつき)は、終始

相互の信頼と敬愛とに依(よ)りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜる

ものに非(あら)ず。天皇を以(もっ)て現御神(あきつきかみ⇒この世にその姿を

現わしている神)とし、且(かつ)日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、

延(ひい)て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非

(あら)ず…


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日本人の心のあり方
正直できれいな心、裏表のない心根

飛騨山脈 立山


※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波書店 2010
 第五章 国家神道は解体したのか?
 4 見えにくい国家神道 正面からの天皇崇敬の主張 p214


第二次世界大戦後も国家神道は存続している。神社神道の関係者以外に、

堂々と国家神道的な主張を唱える学者や論客もいる。ここでは、京都大学

教授で政治学を専門とする中西輝政の発言を紹介しよう。慶応大学教授で

批評家の福田和也との対談で、中西は自らの天皇崇敬の心情を率直に語

っている。


 日本ではつねに「正直できれいな心」「裏表のない心根」という、独特な心の

 あり方が求められる。(中略)そしてこうした「日本人のこころ」のあり方を、目

 に見える形でもっともはっきりと示すもの、それが「天皇」なのである。

 (中西輝政「序章 なぜ日本に 天皇という存在が必要なのか」18-19ページ)



○空と雲に出会う場所|立山黒部アルペンルート


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日本人の描写
繰り返される「その反面」という言い回し



※「菊と刀」 ベネディクト, 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008
 第1章 研究課題─日本 p14


日本が鎖国を解いて門戸を解放してから75年。その間、日本人を描写

するために、「その反面…」という言い回しが数えきれないほど繰り返さ

れてきた。



…「礼儀をわきまえているという点で他の追従を許さない」と述べながら、

「その反面、思い上がった、態度の大きい国民である」という一節を加える。

また、「頑固さにかけては比類がない」と述べておいて、「その半面、最先

端の思想や制度に進んで順応する」と付け足す。「従順な国民である」と

評しながら、「上からの統制に素直に応じない」との説明を併記する。

「節操があって心が広い」と述べながら、「だがその反面、二心(ふたごころ

⇒裏切り)があって執念深い」と断定する。



…これらの矛盾はいずれも日本に関する書物の縦糸と横糸であって、

すべて真実である。菊も刀も、同じ日本像の一部なのである。


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諸外国を見下す雰囲気があった
日本

高度成長期の1958年に竣工した東京タワー
1961年頃の周囲


※「日本型うつ病社会」の構造 加藤諦三 PHP研究所 2010
  幸運を実力と錯覚 p65-67



  考えてみれば戦後の日本は、経済発展のために外的条件がよすぎた。

  日本の経済成長は自力の経済力ではないと私は思っている。

  第二次世界大戦後の経済成長は、1950年〜1953年に起きた

  朝鮮戦争の時の、いわゆる朝鮮特需のお陰である。



  朝鮮特需といわれるものがあったこらこそ十年間、

  平均8.5%の成長を成し遂げられたのである。

  「この調達需要は、不況下の日本産業に莫大な追加需要を

  もたらしたのみならず、不足していた燃料、資材、中間財を

  輸入するために必要な外貨を獲得することを可能にした。

  これにより使われていなかった生産能力も徐々に稼働しはじめた」

  という考え方は、一般的に誰もが認めるところではないだろうか。



  朝鮮戦争という悲劇による特需なのに、

  私たちは経済成長を自分たちの能力と錯覚したのではないだろうか。

  その思い上がりも日本人の精神の荒廃の一原因であろう。



  日本の経済成長は幸運による経済成長である。

  極端すぎるたとえかもしれないが、個人でいえば宝くじが当たった

  ようなものである。そのため、世界の中で自分の位置を間違えた。



○豊かな放送文化を創造する人とメディアの未来


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経済的価値を基準とした
人間評価

1960年頃の兜町


経済成長の中で、経済的価値を基準とした人間評価がされるようになって

いったそう。経済至上主義の価値観の中では、一戸建ての家を建てること

が男の価値の一つとなり、それが父親としても望ましいことと評価され、人

々から羨ましがられるようになっていったといいます。



こうして企業・家庭・地域社会全般の価値観が歪み、自己のアイデンティ

ティは仕事でしか得られなくなり、自分を見失ったからこそ企業戦士に

なれたといわれます。



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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大人になりきれない
大人

こどもの国 らくがき広場 横浜市青葉区


社会的な役割関係の中に自己の存在価値を見出すアイデンティティは、

高度経済成長期の日本企業では自然なものであったといいます。



有名企業に就職すれば、一人前の人間として認められ、周囲からの

尊敬を勝ちえて自我の安定を得ることができ、有名企業を通じて自分

の言動は社会的承認を得られたそう。



その一方、役割を演じることで自己に向かい合うことができず、

心理的に大人になる機会を逸した可能性が指摘されています。



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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幸福になると信じてきた
新自由主義

食品・酒類・日用品販売のほか、チケット販売、
公共サービス、銀行機能なども備えるコンビニ


イデオロギーとはこの文脈では、ある社会においてその社会の構成員の思考や

感情を制御するような、信念体系のことを意味する。近代社会以前では、そうした

信念体系の典型は、宗教であった(そして現代でも、社会によって差異はあるが、

宗教にはそうした側面がある)。



イデオロギーは、人々に世界の見方を与える。それは現代社会のような複雑性

をもった社会において、<社会のあり方>や<人の生き方>に関する明快な意味を

提示する、という機能をもつ。



…イデオロギーとしての新自由主義は、人々に一つの理想的な社会のイメージ

を与える。それは、自由市場を中心とした、消費者文化に支配された社会という

イメージであり、こうした社会が、他の社会よりも快適であり、より多くの幸福を

もたらすと人々に教える。



つまり、このイデオロギーは、物質的な財の生産と交換、消費を、人間の経験

の中心的なものとなしているという点で、経済的イデオロギーである。しかし

ながら新自由主義のイデオロギーは、人びとに不可避性(⇒他に選択がない)

の感覚を植えつけるという点で、政治的イデオロギーでもある。



※格差社会と新自由主義('11)
  2 冷戦の終わりと新自由主義 1.新自由主義とは何か p25-26
  山岡龍一 先生 放送大学教授


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飼い慣らされた
どこかの島

「飼い慣らされた島(日本)−愛の島」 マップオフィス 2017
「Domesticated Island(Japan)−Island of Love」 MAP Office
ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」 横浜美術館


※1Q84 村上春樹 新潮社

  「集まり」の中で暮らす大人たちは、その外にある世界のあり方を嫌っている。

  自分たちの住んでいる世界は、シホンシュギの海の中に浮かんだ美しい孤島

  であり、トリデなのだ、と彼はことあるごとに言う。




※毎日新聞 村上春樹インタビュー 2008年5月12日より


  僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による「精神的な囲い込み」

  のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐え

  られない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込み

  があって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。



  物語というのは、そういう「精神的な囲い込み」に対抗するものでなくてはいけない。

  目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。

  深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです。


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21世紀に入った現在も存在する
部落差別

島崎藤村「破戒」文学碑
浄土真宗本願寺派 真宗寺|長野県飯山市


※同和問題(部落差別)に関する正しい理解を深めましょう 法務省


同和問題(部落差別)とは、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた

身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の人々が長い間、経

済的、社会的、文化的に低位の状態を強いられ、日常生活の上で様々な

差別を受けるなど、我が国固有の重大な人権問題です。

残念ながら、今なお、こうした人々に対する差別発言、差別待遇等の事案

のほか、差別的な内容の文書が送付されたり、インターネット上で差別を

助長するような内容の書込みがなされるといった事案が発生しています。




※部落差別解消推進法 平成28年(2016年)
 (部落差別の解消の推進に関する法律)


(目的)

第一条 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の

進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全

ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、

部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重

要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並

びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実

等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別の

ない社会を実現することを目的とする。



※生政治的統治のグローバルな展開と被差別部落 2019.05
 講師 関口寛 先生 四国大学経営情報学部准教授
 人種主義・反人種主義の越境と転換
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内



○雪国の春|環境と生物の相互作用がもたらす風景


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悪を排除することによって達成される
完全性

「我が子を食らうサトゥルヌス」(1819-1823) フランシスコ・デ・ゴヤ プラド美術館
(日本に伝わるカニバリズム(共食い)的な物語に「飯降山(いぶりやま)」があります)


※「昔話と日本人の心」 河合隼雄 岩波現代文庫 2002
 第9章 意志する女性 4 全体性 p331、333


ユング(⇒スイスの心理学者)は完全性と全体性という対比をよく行っている。

完全性は、欠点を、悪を排除することによって達成される。これに対して全

体性は、むしろ悪をさえ受け容れることによって達成される。父権的意識は、

ともすると完全性を目指そうとする。それは鋭い切断のはたらきによって、

悪しきものを切り棄ててゆく。



ところが、女性の意識は何ものをも取り入れて、全体性を目指そうとする。

しかしながら、何ものをも取り入れる、ということ自体、完全性をも取り

いれなければならぬことになってきて、それは内部矛盾を許容しなくて

はならない。ここに全体性の難しさがある。



…父権的意識、母権的意識というのは、ある個人の獲得した不変の段階

なのではなく、状況によって変り得る状態としても見られることを示してい

る。つまり、父権的意識を獲得した個人は、常にそうだと言うのではなく、

時によって他の意識状態に変わり得るのである。



そうだとすると、われわれは何も一定不変の○○意識というものに縛られる

必要はなく、状況に応じてさまざまの意識に変化し得る方が面白いのでは

ないか。



※父権的意識(ふけんてきいしき)
 無意識から明確に分離され、無意識の影響から自由になり、それを支配
 しようとする傾向の高い状態。(⇒絶対的・能動的・好戦的)

※母権的意識(ぼけんてきいしき)
 無意識の力が強く支配的で、意識が充分な自立性を獲得していない状態。
 (⇒相対的・受動的・受容的)

※ここでいう父権的・母権的というのは、男女を問わず人間の自我(⇒意識)
 を示すものであり、たとえば男性が母権的意識をもつこともある。

※父権的意識(patriarchal consciosness)・母権的意識(matriarcha conscios
 ness)は、ユング派の心理学者エーリッヒ・ノイマンによる分類。

※河合隼雄(かわい はやお、1928(昭和3)-2007(平成19))
 臨床心理学者、京都大学名誉教授、2002年から2007年まで文化庁長官。
 アメリカ留学を経て、スイス・ユング研究所で日本人として初めて、ユング
 派分析家の資格を取得。1982年「昔話と日本人の心」で大佛次郎賞。


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ヒトは
「いじめ」をやめられない

長岡まつり大花火大会|新潟県長岡市


※「ヒトは「いじめ」をやめられない」 中野信子 小学館新書 2017
 はじめに p12-13


いじめは、子どもの世界だけでなく、大人の世界にもあります。そして、時代

や国を問わずどこでも存在します。



昔から日本には凄絶な(せいぜつ⇒非常に凄まじい)「村八分」があり、クー・ク

ラックス・クラン(KKK⇒米国の白人至上主義による秘密結社)にしても、ネオ

ナチ(ナチズムを正当化する勢力)にしても、『正義』の名の下に、時には対象者

が死に至るほどの過激な制裁・排除行動が行われてきました。いじめは学校

だけでなく、企業やママ友グループ、スポーツチーム、地域コミュニティなど、

集団の中では必ず起こりうる現象です。



近年、こうした人間集団における複雑かつ不可解な行動を、科学の視点で解き

明かそうとする研究が世界中で進められています。



その中でわかってきたことは、実は社会的排除は、人間という生物種が、

生存率を高めるために、進化の過程で身につけた「機能」
なのではないか

ということです。



つまり、人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動

がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるから
、という

ことです。


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言ってはいけない
残酷すぎる真実

悟りの窓 明月院


※言ってはいけない 残酷すぎる真実 橘玲 新潮新書 2016 書籍案内より


この社会はきれいごとがあふれている。人間は平等で、努力は報われ、

見た目は大した問題ではない−だが、それらは絵空事だ。往々にして、

努力は遺伝に勝てない。知能や学歴、年収、犯罪歴も例外ではなく、

美人とブスの「美貌格差」は約3600万円だ。子育てや教育はほぼ徒労

に終わる。進化論、遺伝学、脳科学の最新知見から、人気作家が明かす

「残酷すぎる真実」。読者諸氏、口に出せない、この不愉快な現実を直視

せよ。




※言ってはいけない 残酷すぎる真実 橘玲 新潮新書 2016 冒頭より


最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わり

たいひとは読むのをやめたほうがいい。だったらなぜこんな本を書いたのか。

それは、世の中に必要だから。テレビや新聞、雑誌には耳障りのいい言葉

が溢れている。メディアに登場する政治家や学者、評論家は「いい話」と「わ

かりやすい話」しかしない。でも世の中に気分のいいことしかないのなら、

なぜこんなに怒っているひとがたくさんいるのだろうか。−インターネットの

ニュースのコメント欄には、「正義」の名を借りた呪詛(じゅそ⇒のろい)の

言葉ばかりが並んでいる。世界は本来、残酷で理不尽なものなのだ。

その理由を、いまではたった1行で説明できる。




ひとは幸福になるために生きているけれど、

幸福になるようにデザインされているわけではない。



○鎌倉・明月院の花菖蒲




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エゴイズムを善意にすり替えて
生きる人間

鳴子峡(なるこきょう)の紅葉|宮城県大崎市


※「深い河」 遠藤周作 講談社文庫 1996 p307-308


復讐や憎しみは政治の世界だけではなく、宗教の世界でさえ同じだった。

この世は集団ができると、対立が生じ、争いが作られ、相手を貶(おとし)

めるための謀略(ぼうりゃく)が生まれる。



戦争と戦後の日本のなかで生きてきた磯辺はそういう人間や集団を嫌と

いうほど見た。正義という意味も聞きあきるほど耳にした。そしていつか

心の底で、何も信じられぬという漠然とした気分がいつも残った。

だから会社のなかで彼は愛想よく誰とでもつき合ったが、その一人をも

心の底から信じていなかった。



それぞれの底にはエゴイズムがあり、そのエゴイズムを糊塗(こと:一時

しのぎにごまかす)するために、善意だの正しい方向だのと主張している

ことを実生活を通して承知していた。彼自身もそれを認めた上で波風の

たたぬ人生を送ってきたのだ。



だが、一人ぼっちになった今、磯辺は生活と人生が根本的に違うことが

やっとわかってきた。そして自分には生活のために交わった他人は多

かったが、人生のなかで本当にふれあった人間はたった二人、母親と

妻しかいなかったことを認めざるえなかった。



○山形の不易流行|「変わらないもの」と「変わりゆくもの」


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善と悪を兼ね備える
人間

夏目漱石「こころ」の中で、「先生」が毎月参った
自殺したKの墓がある雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん、東京都豊島区)


※「こころ」 夏目漱石 二十八


悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。

そんな鋳型(いがた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま

せんよ。平生(へいぜい⇒普段)はみんな善人なんです。少なくともみん

な普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るん

だから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」

○松山賛歌|「坊ちゃん」に学ぶ日本人の精神性


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人間の善だけでなく、人間の悪をも表現する
文化

被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行
柳原銀行記念資料館|京都市崇仁(すうじん)地区 (Google Mapより)


元外交官で元文化庁長官であった近藤誠一 先生。

「文化」のもつ役割には以下のようなものがあると指摘します。


  ○感動、悩み、祈り、感謝の念の表現・共有

  ○感動の持つ力、人間はロボットとは違う

  ○コミュニケーションや連帯といった社会的役割

  ○経済的効果、地域振興、観光資源

  ○個人に生きる力と幸福を与える



人間の善だけでなく、人間の悪をも表現する「文化」に触れることで、

人間は無心となり、自然体でいることができるよう。



日本再生のカギは「文化」にあるといいます。



※私にとっての日本文化−その魅力と普遍性− 2011.07
  文化庁長官 近藤 誠一 先生
  第76回 円覚寺夏期講座



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪

○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」


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欲望や妬みといった煩悩を備える私たち
悪人正機説

浄土真宗本願寺派(西本願寺)


※歎異抄(たんにしょう) 第三章 現代語訳


善人でさえ極楽浄土へ往生できるのですから、悪人ならなおさらのことです。

ところが世の人々は常々、悪人でさえ往生できるのだったら、善人はなおさら

だと言います。このことはひとまず理にかなっているようですが、阿弥陀仏の

本願他力の考え方には反しています。



その理由は、自分の力で善行をしている人は、全く他力に頼る気持ちがない

ので、阿弥陀仏の救いではないのです。しかし、自力のこころをひるがえし

て他力に頼むようになれば、本当の浄土に往生を遂げるのです。



欲望や妬みといった煩悩にまみれた私たちは、どんな行いをしたとしても、

迷いの世界から離れることはできないのを憐れまれて願いを立てた本当の

意味は、悪人が成仏するためであり、他力に頼る悪人こそが往生する人な

のです。そのような訳で、善人でさえ往生できるのですから、悪人ならなお

さらのことだと、仰せになったのです。



○清らかな世界、それは私たちの住む穢れた世界


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半分は隠蔽されて黙殺される
悪魔をうちに含む神の必要性

シヴァ神の三面胸像
世界遺産 エレファンタ石窟群 (Elephanta Cave)|ムンバイ


※「デーミアン」 ヘッセ. 酒寄進一(訳) 光文社古典新訳文庫 2017
  第3章 悪人 p95-96


旧約と新約に登場する神はすばらしいけど、それは本来あるべき姿じゃない。

神は善なる者で、気高く、父のような存在、美しくかつ崇高、感情に訴える

もの─たしかにそのとおりだ。でも世界は別のものからも成りたっている。

そっちはなにもかも悪魔のせいにされている。そして世界のこっち側では、

その半分は隠蔽(いんぺい)されて、黙殺される。



…讃えるのなら、この世界まるごとを讃えるべきだ。すべてを神聖なものと

見なさなくちゃ。意図的に一部を切り離して、公に認められた半分しか崇め

ないなんておかしいよ。神だけでなく悪魔も崇拝しなくちゃ。そうすべきだと

思う。さもなければ、悪魔をうちに含む神を創りださなくちゃ。そういう神の

前なら、この世のごくあたりまえのことに目をつぶらなくてもすむようになる。


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一つのものである
美と醜、正と不正、善と悪

Acropolis of Athens


※「国家(上)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第五巻 二十 p458


<美>と<醜>とは、互いに反対のものである以上、それらは二つのものである。

…二つのものである以上、それぞれは一つのものである、ということにもなる

のではないか。



…そして、<正>と<不正>、<善>と<悪>、およびすべての実相(エイドス)についても、

同じことが言える。すなわち、それぞれは、それ自体としては一つのものである

けれども、いろいろの行為と結びつき、相互に結びつき合って、いたるところに

その姿を現すために、それぞれが多として現れるのだ。



○善と悪を兼ね備える人間|善の基礎となる個人性の実現


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モダンで家庭的に映し出される
天皇家

一般参賀


※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波書店 2010
 第五章 国家神道は解体したのか?
 1 「国家神道の解体」の実態 日常的季節的皇室祭祀 p191-192


…大祭では天皇が祭祀を主宰する。大祭は1月3日の元始祭、1月7日の

昭和天皇祭、春分の日の春季皇霊祭、4月3日の神武天皇祭、秋分の日

の秋季皇霊祭、10月17日の神嘗祭(かんなめさい)、11月23日の新嘗祭

(にいなめさい)である。



これらの行事は、天皇家の私的神事であるという建前である。しかし、大祭

のうちいくつかは内閣総理大臣、国務大臣、国会議員、最高裁判事、宮内

庁職員らに案内状が出されており、これら国政の責任者や高級官僚らは

出席すると天皇とともに拝礼を行う。明らかに国家的な行事として神道行事

が行われているが、「内廷(ないてい⇒宮廷内部)のこと」、すなわち天皇家

の私事として処理され、国民には報道されない。報道されるのは誕生日等

の非宗教的な行事であり、天皇家はモダンな家庭的情景のもとに映し出さ

れる。



しかし、「昭和、平成の天皇のほうが明治、大正天皇に比べれば、祭祀に

ついては厳しかった」(橋絋「平成の天皇と皇室 135ページ)とされる

(原武史「昭和天皇」参照)。おおっぴらにはされないが、天皇および天皇

家が神道祭祀を厳重に行っていることは、天皇に敬愛の念や強い関心

を抱く国民はよく知っているのである。



○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿


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女性蔑視を核として組み込んだ社会
家父長制

柳原愛子(やなぎわら なるこ)|明治天皇の側室(5人のうちの1人)・大正天皇の母
皇室に迎えられることはなく、系図には表れないそう


※女ぎらい ニッポンのミソジニー 上野千鶴子 紀伊国屋書店 2010
 6 皇室のミソジニー 男児誕生 p93-95
 (※ミソジニー:misogyny … 女性嫌悪、女性蔑視)


2006年9月6日、この国にとくべつの子どもが生まれた。出生届も出されず、

戸籍も持たないのだから、この子どもは「日本人」の人口統計のなかに含

まれるのだろうか。生まれながらに「お子さま」と敬称をつけて呼ばれるこの

子どもの誕生を、かねて予定どおりの出産であったにもかかわらず、新聞

は「号外」で報じた。(中略)



…現在の皇室典範のもとで皇位継承第三位にあたる子ども「秋篠宮悠仁

(ひさひと)親王」の誕生である。この子どもはこれ以降、一挙手一投足を

監視下におかれ、プライバシーのない一生を送ることになるだろう。



「男児誕生」─すべてのメディアはそう報じた。この日ほど、日本列島を

それと名指しされないミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)が走ったことは

ない。「おめでとうございます」と喜色満面で祝いのことばを述べる政治

家や市民たちは、もしこれが女児だったら、いったいどんな反応をした

のだろうか。(中略)



…こういうミソジニーを核として組みこんだ社会を、家父長制と呼ぶ。

家父長制の社会では、一般に男児選好があると言われる。


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皇室を家族のモデルにしているあいだ
日本社会は自由ではない



※女ぎらい ニッポンのミソジニー 上野千鶴子 紀伊国屋書店 2010
 6 皇室のミソジニー 皇族と人権 p105-106


皇族の女はパンピー(一般ピープル)と結婚すれば皇籍を離脱するが、皇族

の男はそうではない。だから皇太子の弟は3LDK出身のパンピー女性と結婚

しても皇籍を剥奪されない。長い間日本の国籍法は、日本の男が外国の女

と結婚すると子どもに日本国籍を認めるが、日本の女が外国の男と結婚す

ると、その子どもの日本国籍を認めてこなかった。この法律の片面性は、

1985年になってようやく改められたが、皇室典範はそうではない。この法律

が女性差別を禁止する国際条約違反であり、男女平等をうたう日本国憲法

違反であることははっきりしているのに、それを問題とする者はほとんどい

ない。法の下に皇族の人権を守ろうとする者はいないようだ。



日本の国はこうして皇族の女と、そして皇族の男をも、犠牲にして成り立って

いる。もしかしたら天皇主義者たちは、天皇制を守るためにはヘイカにもギセ

イになってもらわなればなりませぬ、などと思っているのかもしれない。だか

らこそ、ヘイカのワガママは許しませぬ、とも。



天皇主義者たちは、自分たちのがその実、皇室という名の看板を背負った

ファミリーに属する人々の、人権を蹂躙(じゅうりん)していることを自覚して

いるのだろうか。そして皇室を「ロイヤル・ファミリー」と呼んで家族のモデル

にしているあいだは、皇室に深く埋め込まれたミソジニーから、日本社会は

自由ではない。


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秩序の正統性を再確認する場面
天皇即位儀礼

即位礼正殿の儀|皇居宮殿・正殿松の間


天皇即位儀(てんのうそくいぎ⇒即位礼)は、古代国家の秩序全体を可視化

して新帝の前に展開し、臣下も相まってこの秩序の正統性を再確認する

儀礼であった。



やがて、この秩序は現実の国家・社会運営のシステムとしては成り立たなく

なり、大儀礼を行うには、新たな秩序で指揮監督、運営がなされなければ

ならなくなる。王権の構造自体も変化して、母后(ぼこう)や摂関の位置づけ

が新たになされるが、王権を支えるシステムの変化も儀礼やその周辺の

中に現れていた。



極度に縮小されたとはいえ、不変の正統性の演出を核に据えながら、それ

を支える運営は、時代時代の国家・社会のシステムにあっさりと置き換え

られ続ける。



「古代からの不変の正統性」をアイデンティティの核に据えつつ、その実

いかなる伝統社会にもないような変わり身の早さを見せる日本の特質の

一端がここにないだろうか。



※即位儀礼の変遷−正統性の不変と変化− 2019.06
 おわりに 平安時代の「天皇即位儀」の変化のまとめ
 講師 藤森健太郎 先生 群馬大学教育学部教授
 会場 國學院大學 渋谷キャンパス
 主催 國學院大學  共催 国史学会  企画 王権研究会
 日本古代の皇位継承−即位・践祚・譲位・大嘗祭−
 令和元年度 國學院大學文化講演会


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身近なところで普通に見られる光景
第三者の権威を利用する

「神武天皇東征之図」 1891(明治24年) 安達吟光
最初の天皇とされる神武天皇|史実で実在が確認できるのは崇神天皇から


かつて某公共施設を利用する際に、職員による冒頭の説明で、当施設は天皇

陛下が利用する施設ですので、大切に利用するようにといった趣旨の説明が

ありました。その施設自体は、天皇陛下が普段利用するような所ではないの

ですが、こう説明することによって秩序を保とうとしているのだと感じました。



政治家からしばしば「天皇を政治利用するのか」といった発言を聞くことが

あります。見方を変えてみれば、天皇を利用することは都合の良い側面が

あると示唆しているようにもとれます。



そもそも天皇の正統性自体が第三者である神からの付与に支えられていま

す。記紀(きき⇒古事記・日本書紀)では、皇室というファミリーの起源は、天

孫降臨神話に始まり、ハツクニシラススメラミコトは神武天皇ということにな

っています。



このような第三者の権威を利用する場面は、天皇に限らず私たちの身近な

ところで普通に見られます。例えば、自分の権威を高めるために知名度の

ある人と知り合いであることをアピールしたりする場面。また、相手に不都合

なことを告げる場面では、自身がそう言っているのではなく、権威のある人が

そう言っているのだと伝えた方が都合が良さそうです。


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現代社会の暗部
都合の良い所ばかり強調し、不都合は隠蔽する

哲学の道|京都市左京区


○日本人の美徳を強調すればするほど、けがれた側面を闇に押しやる


日本には四季があって、自然が豊かで美しい。街にはゴミがなくきれいだ。

日本人は礼儀正しく親切で、他者への思いやりがある。犯罪が少なく、

落し物は戻ってくることが多い。勤勉で時間を守り、技術力が高い。



よく言われる日本の美しい側面であり、私自身、実際にそうだと感じます。

しかし、美しい側面を強調するればするほど、けがれた側面は闇に押し

やられ、意識されなく、また意識したくなくなり、嫌悪の対象として表だって

話題にすることは避けられてきたように思えます。



○地域間偏見
 歴史があり、権威があり、山の手に住んでいる。それに比べてお前は…


京都では、平安京内であった洛中(らくちゅう)と、その外である洛外(らくがい)

とでは、現在でも地域間偏見の意識があるといいます(※1)。



私の住む横浜は「オープン・ヨコハマ」を標榜していますが、市内において

地域間偏見の意識が内心にあると感じる場面に少なからず出会いました。

それでも、横浜は開港から150年ほどと都市の歴史が浅く(関内はかつて

寒村だった)、都市の発展と共に多くの人々が流入してきたことなどから、

地域間偏見の意識は比較的薄いように感じます。



○社会を支えているにも関わらず、感謝されず、忌み嫌われる

職業に目を向けてみると、食肉処理業は、食肉を供給するうえで欠くことので

きない大切な仕事ですが、この仕事に対する差別や偏見がいまだに根強く残

っているといいます(※2)。かつて食肉処理や汚物処理は穢多(えた)・非人(ひ

にん)と呼ばれる人々が担い、「穢(けが)れ多い」・「人に非(あら)ず」という

名称からも読みとれるように、忌み嫌われる存在だったようです(※3)。



エネルギー源の一つである原子力発電。福島原発事故以前から原発労働者

は特殊な職業であり、賤(いや)しい職業とみなされてきました。原発の作業は、

被爆する危険性のある作業であり、特殊な労働者が必要でした。私たちの暮

らしは、こうした人たちに支えられてきましたが、作業員は自らの身体を危険

に晒しながらも、社会的に認知されることもなく、感謝もされず、逆に嫌われる

存在でした(※4)。



○序列意識が次世代を犠牲にする

日本は秩序と階層的な上下関係を重視してきといわれます(※5)。序列の一

つである「年功序列」と「能力」の関係をみた場合、日本は常に年功序列に

圧倒的な比重が置かれ、能力については、「働き者」とか「なまけ者」という

ように、個人の努力差には注目しますが、「誰でもやればできるんだ」という

能力平等観が非常に根強く存在していたとされます(※6)。



私たちの社会システムは、年長者ほど能力も見識も高く、地位も報酬も高い、

という前提の上に成り立っています(※7)。人口が増加傾向にあり、ピラミッド

型の人口構成ならば有効なシステムだと思えますが、今日の日本において、

「年長者ほど能力も見識も高い」という前提は、成り立たなくなっているように

思えます。



年功序列的意識は、見方を変えれば次世代に犠牲を強いることでもあり、

その結果が、少子化の一要因となっているのではないでしょうか。



※1 京都ぎらい 井上章一 朝日新書 2015
※2 東京都中央卸売市場 偏見・差別について
※3 生と死の民俗学 2016.07
    板橋春夫 先生 新潟県立歴史博物館参事
    放送大学文京学習センター
※4 21世紀批評理論における4つのターン 2019.03
    大橋洋一教授退職記念特別講義
    東京大学文学部法文2号館2階1番大教室(本郷キャンパス)
    東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 現代文芸論研究室
※4 原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録 堀江邦夫 現代書館 2011
※4 映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」 1985 森崎東監督
※5 菊と刀 ルース ベネディクト. 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008
※6 タテ社会の人間関係 中根千枝 講談社現代新書 1967
※7 劣化するオッサン社会の処方箋 なせ一流は三流に牛耳られるのか
    山口周 光文社新書 2018



○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神

○降り積もる雪の果て|トンネルの先にある雪国

○人間の大地・人間の季節|冬の北海道


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人類から遠く離れた孤独の中に住む
世界の本質

釧路川


The only true wisdom lives far from mankind, out in the great loneliness,

and can be reached only through suffering.

− Caribou Eskimo, Shaman −




唯一の正しい智恵は、人類から遥か遠く離れた大いなる孤独の中に住んでおり、

人は苦しみを通じてのみそこに辿り着くことができる。

− カリブエスキモー、シャーマン −



※森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 世界文化社 1996年
 消えゆくトーテムポールの森で p26





「唯一の正しい智恵」を他に言い換えるならば、世界(世の中)の本質、

真理、真実、実体、道理、理念、概念、普遍、超自然、神、森羅万象、

古代ギリシアの哲学者プラトンのいうイデア、

新プラトン主義でいう最高位の存在、一者(トヘン)、

臨済宗がいう「仏が語られた言葉のその奥にある心」、

真言密教がいう「秘密荘厳心 (ひみつしょうごんしん)」などが思い浮かび、

形式や事象では表せない目に見えない存在であって、

善と悪、光と影、喜びと苦しみ、そして孤独を通して、

魂の目によってみることができるもののようです。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング

○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み


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強がらず、自分の弱さを認める
知を生み出す知

八甲田山


※平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 平成31年4月12日
  認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長 上野千鶴子 先生 (部分)


…これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差

値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別

が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。

東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。



…あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、

冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会が

あなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思える

ことそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘

れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるの

は、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を

持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中

には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんば

りすぎて心と体をこわしたひと.たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえ

なんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。



あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、

そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを

認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性

運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が

強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで

尊重されることを求める思想です。



あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測

不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に

多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、

異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。

東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポート

する仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも

生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、

どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を

身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることで

はなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、

わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識

を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。


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僕が僕であるために
自己を持ち続ける難しさ



※「僕が僕であるために」 作詞・作曲・歌 尾崎豊 1983 (部分)


心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしていた

だけどこの目に映るこの街で 僕はずっと生きてゆかなければ

人を傷つける事に目を伏せるけど

優しさを口にすれば 人は皆傷ついてゆく

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて 少し心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学

○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」


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参  考  情  報


○國學院大學博物館

○京都大学人文科学研究所

○国立国会図書館デジタルコレクション

○柳原銀行記念資料館(崇仁地区のまちづくり)

○岸田國士 - 青空文庫

○島薗進(@Shimazono)さん | Twitter

○Wikipedia

○菊と刀 ベネディクト, 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008

○タテ社会の人間関係 単一社会の理論 中根千恵 講談社現代新書

○権力の館を考える('16)
 講師 御厨貴 先生 放送大学教授

○「古事記」と「万葉集」('15)
 講師 多田一臣 先生 放送大学客員教授・二松学舎大学特別招聘教授

○京都文化の源流を探る― 秦氏の造った社寺 ― 2019.03
 講師 野村朋弘 先生(京都造形芸術大学准教授)
 会場 潟Wェイアール東日本企画 恵比寿本社ビル10階
 主催 京都市・大学コンソーシアム京都
 京あるきin東京2019「京都の大学による特別講座」

○御室仁和寺から天皇と仏教の関係を考える
 ― 9世紀の天皇と平安京周辺寺院 ― 2019.03
 講師 駒井匠 先生 大谷大学文学部歴史学科 任期制助教
 京あるきin東京2019「京都の大学による特別講座」

○『鴨川』を発掘する 2018.03
 講師 畑中英二 先生 京都市立芸術大学 美術学部 准教授
 会場 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス
 京都の大学による特別講座

○私にとっての日本文化−その魅力と普遍性− 2011.07
  文化庁長官(当時) 近藤 誠一 先生
  第76回 円覚寺夏期講座

○シンポジウム 日本文化の展望〜文化庁移転を機に考える〜 2017.11
 会場 イイノホール
 主催 京都府・京都市・京都商工会議所

○京都ぎらい 官能篇 井上章一 朝日新書 2017

○京都ぎらい 井上章一 朝日新書 2015

○君主論 マキャヴェッリ, 河島英昭(訳) 岩波文庫 1998

○生と死の民俗学 2016.07
 講師 板橋春夫 先生 新潟県立歴史博物館参事
 放送大学文京学習センター

○国家神道と日本人 島薗進 岩波書店 2010

○平成の天皇と皇室 高橋紘 文春新書 2003

○皇室の本義 日本文明の核心とは何か 中西輝政. 福田和也 PHP研究所 2005

○特別展 御即位30年記念
 両陛下と文化交流―日本美を伝える― 東京国立博物館 2019.03

○天皇と天皇制を考える〜近代史の視点から〜 2018.06
 講師 加藤陽子 先生
 会場 東京大学本郷キャンパス 法文2号館1番大教室
 主催 東京大学(人文社会系研究科・文学部 第9回文学部公開講座

○日本古代の皇位継承−即位・践祚・譲位・大嘗祭− 2019.06
 令和元年度 國學院大學文化講演会
 会場 國學院大學 渋谷キャンパス
 主催 國學院大學
 共催 国史学会
 企画 王権研究会

○大嘗祭と古代の祭祀 岡田莊司 吉川弘文館 2019

○明治天皇の践祚と即位式 2017.11
 講師 所功 先生 京都産業大学名誉教授
 会場 明治神宮参集殿

○明治の宮廷装束と衣紋道 2017.10
 講師 鈴木眞弓 先生
   宮内庁書陵部図書課元職員・國學院大學兼任講師

○車輪の下 ヘッセ. 松永美穂(訳) 光文社古典新訳文庫 2007

○デーミアン ヘッセ. 酒寄進一(訳) 光文社古典新訳文庫 2017

○「日本型うつ病社会」の構造 加藤諦三 PHP研究所 2010

○昔話と日本人の心 河合隼雄 岩波現代文庫 2002

○近代日本の国際リゾート―一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に
 砂本文彦 青弓社 2008

○明治の教科書にみられる「人種」・「民族」記述 2019.05
 講師 竹沢泰子 先生 京都大学人文科学研究所教授
 人種主義・反人種主義の越境と転換
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内

○生政治的統治のグローバルな展開と被差別部落 2019.05
 講師 関口寛 先生 四国大学経営情報学部准教授
 人種主義・反人種主義の越境と転換
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内

○国家(上) プラトン. 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979

○破戒 島崎藤村 新潮文庫 2005

○家(上下) 島崎藤村 岩波文庫 1969

○21世紀批評理論における4つのターン 2019.03
 大橋洋一教授退職記念特別講義
 東京大学文学部法文2号館2階1番大教室(本郷キャンパス)
 現代文芸論研究室

○東京都中央卸売市場 偏見・差別について

○生と死の民俗学 2016.07
 講師 板橋春夫 先生 新潟県立歴史博物館参事
 放送大学文京学習センター

○21世紀批評理論における4つのターン 2019.03
 大橋洋一教授退職記念特別講義<br>
 東京大学文学部法文2号館2階1番大教室(本郷キャンパス)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 現代文芸論研究室

○言ってはいけない 残酷すぎる真実 橘玲 新潮新書 2016

○ヒトは「いじめ」をやめられない 中野信子 小学館新書 2017

○原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録 堀江邦夫
  現代書館 2011

○映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」 1985 森崎東監督

○劣化するオッサン社会の処方箋 なせ一流は三流に牛耳られるのか
 山口周 光文社新書 2018

○人種主義・反人種主義の越境と転換 2019.05
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内

○日本哲学小史 - 近代100年の20篇 熊野純彦(編著) 中公新書 2009

○西田幾多郎 中村雄三郎 岩波書店 1983

○一年有半 中江兆民. 鶴ヶ谷真一(訳) 光文社古典新訳文庫 2016

○中江兆民『民約訳解』の歴史的意義について
 ━「近代東アジア文明圈」形成史:思想篇>
 狹間直樹 京都大学名誉教授

○深い河 遠藤周作 講談社文庫 1996

○森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 世界文化社 1996

○日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち 雨宮紫苑 新潮新書 2018

○悪と日本人 山折哲雄 東京書籍 2009

○東洋大学の創立者・井上円了の哲学・思想 2019.05〜
 講師 竹村牧男 先生 東洋大学学長
 会場 東洋大学白山キャンパス
 第1回 井上円了の生涯と、その生涯における仏教や哲学との関係

○国際シンポジウム 初期禅宗史研究の最前線 2019.05
 会場 東洋大学白山キャンパス
 共催 国際禅研究プロジェクト・東洋大学東洋研究所

○女ぎらい─ニッポンのミソニジー 上野千鶴子 紀伊国屋書店 2010

○柴山文科相、教育勅語「アレンジし道徳に使える分野も」
 2018年10月3日 朝日新聞デジタル 矢島大輔

○森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 世界文化社 1996

○「僕が僕であるために」 作詞・作曲・歌 尾崎豊 1983
  アルバム「17歳の地図」

○日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から 2019.06
 講師 アンドルー・ゴードン 先生 ハーバード大学教授
 鼎談(ていだん⇒三人が向かい合って話をすること)
  アンドルー・ゴードン 先生 ハーバード大学教授
  チョルヒ・パク 先生 ソウル大学教授
  吉見俊哉 先生 東京大学教授
 会場 東京大学・鉄門記念講堂
 TOKYO COLLEGE

○自民党の元幹事長・武部勤氏「日本は天皇の国」
 /北海道自民候補応援で共産批判 2019.07.14 共同通信社

○日本は天皇を中心とした神の国 森喜朗首相(2000年当時)


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