善すなわち美

自己内対話によって培われる無私の精神


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Do you speak English?
日本語を考える



先日、ある留学生が私のところにきて、「日本では国をあげて英語勉強をしようと

しているようですが、いったいどうしてなのですか。どうして人々は反対しないの

ですか?」といいます。



こちらが、「君はどうしてそう思うの?」と聞くと、こういう答えがかえってきました。



「日本語だけで話が通じるというのはたいへんな日本のメリットじゃないですか。

他の多くの国は色々な民族がいたり、植民地になったりしていて自国語だけじゃ

話ができないからしょうがなく他国語を学んでいるじゃないですか。

しかも、本当は、自国語しかしゃべれない人にちゃんと仕事を与えることこそが

政府の役割なんじゃないですか」



※西田幾多郎 無私の思想と日本人 佐伯啓思 新潮新書 2014
 第一章 「無の哲学」の誕生 p26



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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ネイティブと変わらない発音を身につけられるのは
中学生ぐらいまで



日本人が小学生くらいまでに英語圏に住むと、ネイティブとほぼ変わらない

発音を身に着けることができるといいます。中学生からだと、ネイティブから

すると多少違和感が残るそうです。



※英語の名詞にまつわる話 2018.01
 講師 高橋邦年 先生 放送大学客員教授・横浜国立大学名誉教授
 会場 放送大学 神奈川学習センター


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私たち日本人を知る手がかり
言葉の違い



日本人の英語力は、英語を母国語としない国々の中において低水準にあると

いわれます。


○各国のTOEFL平均点 (2016)
 (iBT 120、インターネット版テスト 満点は120点)

 ドイツ 97
 シンガポール 96
 インド 93
 イタリア 90
 ブルガリア 90
 マレーシア 90
 チェコ 89
 フィリピン 89
 フランス 87
 ロシア 87
 インドネシア 84
 韓国 82
 ベトナム 82
 中国 79
 タイ 78
 カンボジア 71
 日本 71



日本は高等教育の大衆化が進み、2017年の大学・短大・専修学校への

進学率は80%となり、幅広い層がTOEFLを受験することから受験者数も

多いといいます。



平均点に関しては、各国において受験者数が異なることや、受験している

層に違いがあることなどから一概に評価は難しいといいますが、それを

考慮しても日本人の英語力は低いのだそう。



その背景の一つとして、日本の教育は母国語(日本語)でまかなえることが

挙げられています。世界中の書物が翻訳者の努力によって日本語に翻訳

されていますが、人口が少ない国では翻訳がマーケットとして成り立たず、

原書(ほとんどが英語)を利用せざる得ないといいます。日本のように母国語

だけでまかなえる国は極めて少数だといわれます。



二つ目の背景として、言語系統の違いが挙げられています。英語やドイツ語・

オランダ語などはゲルマン語の系統にあたり、スペルや文法が類似している

といいます。



人名に着目すると、英語のマイケル(Michael)は、ドイツ語ではミハエル(Michael)、

ロシア語ではミハイル(Mikhail)、 フランス語てばミシェル(Michel)、ポルトガル語

ではミゲル(Miguel)となるそうです。



文法に着目すると、日本語は例えば「これはペンです」といった時、

「主語(Subject)⇒目的語(Object)⇒動詞(Verb)」という構成をとるのに対して、

英語では「This is a pen」となり「SVO」の構成をとります。

フランス語や中国語も「SVO」の構成となっています。



三つ目の背景として、音素・発音の違いが挙げられています。

日本語は、意味を区別する最小単位である音素が少なく(母音も子音も少ない)、

英語は音素の種類が豊富なため(母音は30音近くある、日本語はアイウエオの5音)、

日本人にとって英語を聴き取ること、発音することは難しいといわれます。



また、母音と子音の構成に着目すると、例えば日本語の「山」は「子音(Consonant)

⇒母音(Vowel)」であるのに対して、英語の「Pen」は「子音(C)⇒母音(V)⇒子音(C)」

となっています。



※次世代型の外国語教育を目指して 2017.12
 講師 壇辻正剛 先生
     京都大学 学術情報メディアセンター 語学教育システム研究分野 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第69回 知の拠点セミナー講演

※TOEFL(R)は、「Test of English as a Foreign Language」の略で、直訳すると
 「外国語としての英語のテスト」。⇒国際基準の英語能力測定試験。
※iBTはインターネット版のテストで満点は120点。


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日本人なら
日本語を教えられるという誤解

日本語を学ぶ外国人


日本国内で日本語を学ぶ外国人は、1990年には6万人だったのが、

2016年には21万人を超え、今後も伸びていくとみられている。(文化庁調査)

海外では137ヶ国・地域において、360万人を超える人々が日本語を学んで

いる。(国際交流基金2015年調査)



これだけ日本語を学ぶことに注目が集まった今でもなお、「日本人なら誰でも

教えられる」という誤解が存在する。外国語として日本語を教えるには、ふだん

空気のような存在である日本語を客観的に、分析的に捉え直すことが求められる。

また、学習者の出身国・地域に留まらず、言語的・文化的背景、学習目的、

学習スタイル、年齢…多様な要因に合わせた日本語学習が求められる。



外国の人々に日本語を教えていると、「当たり前」だと思っていることに対して

考えてもいなかった質問が投げかけられ、「なぜだろう?」と考える習慣がつく。



日本語を教えることで得る産物は大きい。一般的に人との関係性という点では、

多様な物・異質なものを認め合う気持ちが高まり、柔軟な物の考え方ができる

ようになる。また、自分自身の日本語を分析的に見る力が養われ、コミュニケー

ション力の向上につながる。



社会とのつながりでは、日本語教育を通して多面的・多角的に社会が見られる

という点が挙げられる。多様な国・地域からの学習者を教えることは、彼らの

文化・社会を理解することが基盤となり、そこには新鮮な発見がある。

技能実習制度による外国人の流れ一つとっても、日本社会の「過去・現在・未来」

と大きく関わっているのである。



※ことばを教える ―日本語教育の視点から― 2018.01
 嶋田和子 先生 (アクラス日本語教育研究所)
 シンポジウム「ことばのプロフェッショナル」
 会場 東京証券会館ホール
 主催 言語系学会連合
 共催 国立国語研究所


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文化はコミュニケーションであり
コミュニケーションは文化

仏教の影響を受けてきた神道
伊勢神宮 皇大神宮(内宮)の板垣南御門(いたがきみなみごもん)


※文化はコミュニケーションであり、コミュニケーションは文化

  「Culture is communication and communication is culture」

  (アメリカ合衆国の文化人類学者 エドワード・T・ホール(Hall. E.T, 1959))



※私たちが何を話し、どのように話すかは、私たちが暮らしてきた文化
 によって概ね決まる

 著書 Understanding Intercultural Communication 1981
 著者 Larry A. Samovar, Richard E. Porter, Nemi C. Jain
    ラリー・A・サムーバー, リチャード・E・ポーター, N・C・ジャイン



※ことばを繋ぐ ―通訳・翻訳の視点から― 2018.01
 講師 鳥飼玖美子 先生 立教大学名誉教授
 シンポジウム「ことばのプロフェッショナル」
 会場 東京証券会館ホール
 主催 言語系学会連合
 共催 国立国語研究所



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○日本人の神々を祀る伊勢神宮


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言葉の奥深さ
日本語への理解を深める

福沢諭吉 (1835-1901年)


※「学問のすすめ」 福沢諭吉 十七編 人望論 1876年(明治9年)


書生(しょせい⇒学生)が「日本の言語は不便利にして、文章も演説もできぬゆえ、

英語を使い英文を用うる」なぞと、取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。



按(あん)ずるに(⇒考えるに)この書生は日本に生まれていまだ十分に日本語

を用いたることなき男ならん(⇒なのであろう)。



国の言葉はその国に事物の繁多(はんた)なる割合に従いて、しだいに増加し、

毫(ごう)も(⇒少しも)不自由なきはずのものなり。何はさておき今の日本人は

今の日本語を巧みに用いて弁舌(べんぜつ)の上達せんことを勉(つと)むべきなり。


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衰退したアイデンティティを取り戻す
チェコ民族復興運動

スラヴ叙事詩 原故郷のスラヴ民族 1912 Alfons Maria Mucha


神聖ローマ帝国やオーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、

ナチス・ドイツ、ソ連など、永きに亘り周辺から影響を受けてきたというチェコ。



ハプスブルク家の世襲属領となったチェコは、信仰自由の勅令が廃止され、

プロテスタント系チェコ人が去ったとともに大量のドイツ人が流入し、チェコの

ドイツ化が進んでゆきます。その結果、チェコ語とチェコ文化は急速に衰退して

ゆきます。



18世紀、ハプスブルクは、ドイツ語を公用語にしようとした為、衰退したチェコ文化

とチェコ人のアイデンティティを取り戻そうと学者、作家、芸術家、思想家などを

中心にチェコ民族復興運動が起こります。



○明日への架け橋|アール・ヌーヴォーの時代


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最後の一句に託された想い
精神作用に対する無自覚

奉行所のお白洲|東映太秦映画村 (京都市右京区)


森鴎外の小説「最後の一句(1915)」。死罪を言い渡された父親を救うため、

子どもたちは自らの命と引き換えるよう奉行所に申し立てます。

以下は奉行所と長女「いち」とのやりとり。



※「最後の一句」 森鴎外 1915年


「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆(ききとど)けになると、

お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」



「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、

何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。



佐佐(⇒大阪西町奉行・佐々又四郎)の顏には、不意打に逢つたやうな、驚愕の

色が見えたが、それはすぐに消えて、險(けわ)しくなつた目が、いちの面に注がれた。

憎惡を帶びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。



次いで佐佐は何やら取調役にささやいたが、間もなく取調役が町年寄(⇒役人)に、

「御用が濟(す)んだから、引き取れ」と言ひ渡した。

白洲(しらす⇒奉行所の法廷)を下がる子供等を見送つて、佐佐は太田と

稻垣とに向いて、「生先(おひさき)の恐ろしいものでござりますな」と云つた。

心の中には、哀な孝行娘の影も殘(のこ)らず、人に教唆(けうさ)せられた、

おろかな子供の影も殘らず、只(ただ)氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、

いちの最後の詞(ことば)の最後の一句が反響してゐるのである。



元文頃(⇒8代将軍徳川吉宗の時代。1736-1741年)の徳川家の役人は、固より

「マルチリウム(⇒martyrium:殉教)」といふ洋語も知らず、又當時(とうじ)の辭書

(じしょ)には獻身(けんしん)と云ふ譯語(やくご)もなかつたので、人間の精神に、

老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、

知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、

いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学


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言外に込められた想い
たけくらべ

明治5年(1872年)頃の吉原遊郭


樋口一葉の小説「たけくらべ」 1895年(明治28年)

吉原の廓(くるわ)に住む14歳の少女 美登利 (みどり) と僧侶の息子 藤本

信如(ふじもとのぶゆき、しんにょ) との淡い恋を中心に、子供から大人に

移り変わる少年少女の心理が描かれています。



雨の中、下駄の鼻緒が切れて困っている信如と美登利のやりとりは、

思春期の淡い想いが伝わってきます。




※「たけくらべ」 樋口一葉 1985(明治28年)


それ(⇒信如)と見るより美登利の顏は赤う成りて、何のやうの大事にでも

逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後(うしろ)の見られて、

恐る恐る門の侍(そば)へ寄れば、信如もふつと振返りて、此れも無言に脇

を流るゝ冷汗、跣足(せんそく⇒裸足)になりて逃げ出したき思ひなり。



平常(つね⇒いつも)の美登利ならば信如が難義の體(なんぎのたい⇒

困っている姿)を指さして、あれあれ彼(⇒信如)の意久地なしと笑ふて笑ふて

笑ひ拔(ぬ)いて、言ひたいまゝの惡(にく)まれ口、



よくもお祭りの夜は正太さん(美登利の仲間)に仇をするとて私たちが遊びの

邪魔をさせ、罪も無い三ちやん(美登利の仲間)を擲(たゝ)かせて、お前は

高見で采配(さいはい)を振つてお出なされたの、さあ謝罪(あやまり)なさんすか、

何とで御座んす(⇒どうしますか)、



私の事を女郎女郎(じょろう⇒遊女)と長吉(信如の仲間)づらに言はせるのも

お前の指圖(さしづ)、女郎でも宜(よろし)いでは無いか、塵一本お前さんが

世話には成らぬ、私には父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さん

もある、お前のやうな腥(なまぐさ)のお世話には能(あた)うならぬほどに

餘計(よけい)な女郎呼はり置いて(⇒止めて)貰ひましよ、

言ふ事があらば陰のくすくすならで此處(ここ)でお言ひなされ、

お相手には何時でも成つて見せまする、さあ何とで御座んす、



と袂(たもと)を捉(と)らへて捲(まく)しかくる勢ひ、さこそは當(あた)り難うもある

べきを(⇒そうするのが当たり前であるが)、物いはず(⇒何も言えず)格子のかげ

に小隱れて、さりとて立去るでも無しに唯うぢうぢ胸とゞろかすは平常の美登利

のさま(⇒様子)にては無かりき。



○「たけくらべ」の舞台となった地に建つ一葉記念館


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非言語的な表現
沈黙から見出す偉大さ

連合艦隊旗艦「三笠」の艦橋で指揮をとる東郷大将 1905年


※「東郷平八郎」 下村寅太郎 講談社学術文庫 1981年 p29-30


東郷大将の「偉大さ」は自明のように語られているが(…)

実際は自明ではない。

(…)東郷大将は軍人以外の何物でもなかった。

(…)軍人によく見られる何々宗の信者ではなく、稚拙な詩文を弄(ろう)せず、

訓語(くんご⇒教え諭す)せず、もっぱら沈黙しつねに素朴に住した。

(…)東郷大将の伝記者の任務は、なによりも大将を沈黙の裡(うち)に

置くことであって、それにおいて偉大さを見出すことであろう。



○連合艦隊旗艦を務めた「三笠」

○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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漢字から発展してきた
日本語

地獄草紙 (国宝) 鶏地獄 平安時代(12世紀) 奈良国立博物館
右側の文書は、現代に通じる漢字と仮名で書かれています


森鴎外・樋口一葉の文章は、平安時代以来、長きにわたって利用されてきた

「文語体」で書かれています。



現代のように口で話す言葉と書く言葉とを区別しないようになったのは、

明治時代以降、ここ150年ほどのことで、日本の近代文学を切り拓いた

明治の小説は、私たちが利用している「口語体」の母体を形成した時期。



日本語は中国から伝わった漢字(漢文)に始まり、漢文訓読に基づく文語体

が生まれ、平安時代、主に女性が平仮名で表現した和文体(ex.源氏物語)、

二葉亭四迷を代表とする言文一致体を経て、現在の口語体が作り出されて

きたといわれます。



時代風俗や言語感覚などを手掛かりに読み難い部分を克服しながら、

現在の文章を形成した母体を訪ねてみると、

これまでは見えなかった日本語の美しさに触れることができます。


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母語を捨て去ることはできない
日本語を通して外国語を知る

西洋化が押し寄せた明治時代、日本の伝統美術の優れた価値に着目した
岡倉天心(1863-1913年、本名は岡倉覚三)


日本人で英語の発音が苦手な人は多いといいます。

その一方で日本語の発音は簡単だと考える人は多いようですが、本当にそうでしょうか。

そもそも、私たちは日本語の音声がどういうものであるか、知っているのでしょうか。



日本人が外国語の発音を習得するにあたっては、母語である日本語を捨てる

ことはできず、母語を活用し、頭を使って考えることが大切だといわれます。



※日本語の音声と、外国語の音声と、外国につながる人の音声 2017.03
 講師 河野俊之 先生 横浜国立大学教育人間科学部教授
 会場 神奈川県立国際言語アカデミア



○国際人としての先駆的な存在 岡倉天心


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一片の独立心あらざれば
文明も我が国の用をなさず

於鹿鳴館貴婦人慈善会之図


※「文明論之概略(ぶんめいろんのがいりゃく)」 福沢諭吉 1875(明治8)年


思想浅き人は、輓近(ばんきん⇒ちかごろ)の有様の旧に異なると見て、

これを文明と名づけ、我が文明は外国交際の賜物なれば、その交際

いよいよ盛んなれば、世の文明も共に進歩すべしとて、これを喜ぶ者

なきにあらざれども、その文明と名のるものはただ外形の体裁のみ。



もとより余輩(よはい⇒われわれ)の願うところにあらず。たといあるいは

その文明をして頗(すこぶ)る高尚のものならしむるも、全国人民の間に

一片の独立心あらざれば、文明も我が国の用をなさず、これを日本の

文明と名づくべからざるなり。



○江戸から近代へ激動の時代を生きた福沢諭吉


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外面こそが何より大事
この上もない形式主義者

キリスト教圏において「虚飾」や「傲慢」の象徴とされる孔雀


※「死の家の記録」 ドストエフスキー 望月哲男(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
 第一部 第一章 死の家 p29-30 (1860年、ドストエフスキー39歳の時の著書)



…皆頑固で、やっかみ深く、恐ろしく見栄っ張りで、自慢屋で、傷つきやすく、

この上もない形式主義者ばかりだった。何事にも驚かずにいられることが、

最大の美徳だった。



いかにうわべを取り繕うかということに皆が熱中していた。だがしばしば、この上

なく不遜(ふそん)な表情が、まるで稲妻のごとき速度で、この上なく臆病な表情

に取って代わられるのだった。



何人か本当に強い人間もいて、そういう自分は率直で気取るところがなかった。

しかし不思議なことに、そのような本当の強者の中にも、とことん、ほとんど病的

なまでに見栄っ張りな者が混じっていた。



概して見栄が、外面(そとづら)こそが何より大事だったのである。



○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける


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名をあげて不死なる栄誉を手にいれる
エロス

「La Mort de Socrate」 1787 Jacques-Louis David MET
「ソクラテスの死」 ジャック=ルイ・ダヴィッド メトロポリタン美術館


※「饗宴」 プラトン 中澤務(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
 第8章 ソクラテスの話 p143


ためしに、人間の持つ名誉愛というものをよく見てみよ。

「名誉愛に取りつかれた人間の行動は」なんと不合理なのかと、びっくりする

ことになるぞ。なにしろ、人は、名をあげて<不死なる栄誉を手に入れること

を求めるエロスゆえに、ものすごい状態に陥るのだからな。



すなわち、人は子どものためよりもはるかに熱心に、名誉のためにあらゆる

危険を冒し、金を使い、あらゆる苦難に耐え、そして死をもいとわぬのだ。



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」

○世界の美術が凝縮されたメトロポリタン美術館


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日本は古来より今に至るまで
哲学無し

中江兆民(1847-1901年)


※「一年有半」 中江兆民 1901年 現代語訳


本居宣長や平田篤胤(あつたね)などの国学者は古い御陵(ごりょう⇒天皇・

皇后・皇太后・太皇太后の墓)やことばを探求する一種の考古家にすぎず、

したがって天地自然の理についてはまったく暗い。



他方、伊藤仁斎や荻生徂徠(おぎゅうそらい)などの儒学者たちは、聖人の

ことばについて新しい解釈を生み出したが、所詮はただ昔の聖人の教えを

あれこれとあげつらっているだけにすぎない。



わずかに仏教の僧侶中には、創意をもって新しい宗派を開いたものがあったが、

それとても宗教家の域を出でず、純粋の哲学とは言えない。



明治以降になると、加藤弘之や井上哲次郎などがみずから哲学家と称しているが、

実はただ西洋の学説を輸入し知識を一人じめしているだけのことに過ぎない。

哲学は誰にでもわかるようにすぐ役立つわけではないが、無用の用をなしており、

哲学を欠いた国民はなにごとにも思慮が乏しく浅薄であるのを免れない。



我々日本人は海外諸国の国民と比べてみても、極めて物分かりが良く、時の流れ

に順応して<頑固>なところがない。我が国おいて西洋諸国にみられたような<悲惨>

にして愚冥な(愚かで道理に暗い)>宗教上の争いがなかったのもそのためであるし、

明治維新がほとんど血を流さずに行われたのも、そのためである。

また、維新このかた、旧来の風習を一変して<洋風>に改め、平気でいられるのも、

そのためである。



ところが他方で、その<浮躁軽薄の大病根>も、その<薄志弱行の大病根>もまさに

そこにあり、その<独造の哲学無く、政治に於いて主義無く、党争において継続無>

い原因も、そこにある。



それは<一種小怜悧功智(いっしゅ、狭く頭が良く、巧みな智)>であって、<偉業>を

立てるには不適当である。日本人はたしかに<極めて常識に富>んでいるのだが、

<常識以上に挺出(ていしゅつ⇒他に優れ抜き出る)することは到底望む>ことができない。



※「西田幾多郎」 中村雄三郎 岩波書店 1983
 第1章 日本の<哲学> 1.日本に哲学なし p14-17



○東洋のルソーといわれた中江兆民


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唯一の日本発の哲学
西田哲学

西田幾多郎(にしだ きたろう、1870-1945年) 1943年頃
石川県西田幾多郎記念哲学館


日本を代表する哲学者、西田幾多郎 先生は、1870(明治3)年に石川県かほく市

に生まれ、第四高等学校(金沢市に設立された官立旧制高等学校)の講師、京都

帝国大学の教授を務め、1945(昭和20)年に鎌倉で75歳の生涯を閉じました。




西田哲学がほとんど唯一といってよい日本発の哲学である、ということはしばしば

いわれることで、確かに、西田の意図が、西欧哲学の成果を踏まえたうえで、それ

とは異なった日本の哲学を踏み出そうとすることだったのは事実です。

と同時にまた彼は、ことさら西欧と日本を対立させるというより、西欧哲学を突き詰

めれば、本当は日本精神(特に仏教)を踏まえた彼の哲学的立場へゆきつくだろう

と思っていたことも事実です。

それを突き詰めることで、結果として、西田哲学はほとんど唯一の「日本の哲学」

というべきものになったのです。



※西田幾多郎 無私の思想と日本人 佐伯啓思 新潮新書 2014
 第一章 「無の哲学」の誕生 p35


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自己の過信から生まれる後悔
無限の新生命に接する



西田幾多郎 先生は存命中に、姉・弟・妻、8人の子どものうち5人(長男・4人の娘)

を失ったそうです。



※「我が子の死」 西田幾多郎 1908(明治41)年


深く我心を動かしたのは、今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりして

いた者が、忽(たちま)ち消えて壺中の白骨となるというのは、如何なる訳で

あろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬ

ものはない、此処(ここ)には深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命は

かくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事

である、死の事実の前には生は泡沫の如くである、死の問題を解決し得て、

始めて真に生の意義を悟ることができる。


(中略)


いかなる人も我子の死という如(ごと)きことに対しては、種々の迷を起さぬ

ものはなかろう。あれをしたらばよかった、これをしたらよかったなど、思う

て返らぬ事ながら徒(いたず)らなる後悔の念に心を悩ますのである。

しかし何事も運命と諦めるより外はない。運命は外から働くばかりでなく

内からも働く。



我々の過失の背後には、不可思議の力が支配しているようである、後悔の

念の起るのは自己の力を信じ過ぎるからである。我々はかかる場合において、

深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依(きえ)する時、後悔の

念は転じて懺悔(ざんげ)の念となり、心は重荷を卸(おろ)した如く、自ら救い、

また死者に詫びることができる。



「歎異抄(たんにしょう⇒鎌倉時代の仏教書・浄土真宗)」に「念仏はまことに

浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、また地獄に堕(お)つべき業(ごう)にてや

はんべるらん、総じてもて存知せざるなり」(⇒仏を念ずるのは、本当に浄土

という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、

私は一切知らない)といえる尊き信念の面影をも窺(うかが)うを得て、無限の

新生命に接することができる。



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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深き自己矛盾を意識した時
自己の存在そのものが問題となる

秋冬山水図(しゅうとうさんすいず) 2幅のうち冬景図 国宝
雪舟等楊(せっしゅうとうよう) 室町時代 東京国立博物館


※「場所的論理と宗教的世界観」 西田幾多郎全集 p393 1946年


我々が我々の自己の根底に、深き自己矛盾を意識した時、我々が自己の

矛盾的存在たることを自覚した時、我々の自己の存在そのものが問題と

なるのである。

人生の悲哀、その自己矛盾と云ふことは、古来言旧された常套語である。

併(しか)し多くの人は深く此(こ)の事実を見つめて居ない。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」


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真摯なる人は
知識と情意との一致を求める

禅家では柳は緑 花は紅(くれない)と云う|「虞美人草」 夏目漱石 十 より


※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第2編 実存  第1章 考究の出立点



世界はこのようなもの、人生はこのようなものという哲学的世界観および人生観と、

人間はかくせねばならぬ(⇒このようにしなければならない)、かかる処に安心せね

ばならぬという道徳宗教の実践的要求とは密接の関係を持っている。



人は相容れない知識的確信と実践的要求とをもって満足することはできない。

たとえば高尚なる精神的要求を持っている人は唯物論に満足ができず、唯物論

を信じている人は、いつしか高尚なる精神的要求に疑を抱くようになる。



元来真理は一である。知識においての真理は直(ただち)に実践上の真理であり、

実践上の真理は直に知識においての真理でなければならぬ。深く考える人、

真摯なる人は必ず知識と情意との一致を求むるようになる。



我々は何を為すべきか、何処に安心すべきかの問題を論ずる前に、先ず天地

人生の真相は如何なる者であるか、真の実在とは如何なる者なるかを明(あき

らか)にせねばならぬ。



○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」


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仮定的知識の上に築かれた
世界



※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第2編 実存  第1章 考究の出立点



今もし真の実在を理解し、天地人生の真面目を知ろうと思うたならば、

疑いうるだけ疑って、凡(すべ)ての人工的仮定を去り、疑うにも

もはや疑いようのない、直接の知識を本(もと)として出立せねばならぬ。



我々の常識では意識を離れて外界に物が存在し、意識の背後には心なる

物があって色々の働をなすように考えている。またこの考が凡ての人の

行為の基礎ともなっている。しかし物心の独立的存在などということは我々

の思惟(しい⇒思考)の要求に由(よ)りて仮定したまでで、いくらも疑えば疑

いうる余地があるのである。



その外科学というような者も、何か仮定的知識の上に築き上げられた者で、

実在の最深なる説明を目的とした者ではない。またこれを目的としている

哲学の中にも充分に批判的でなく、在来の仮定を基礎として深く疑わない

者が多い。


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意識を実存とするならば
明らかに独断である

哲学の道 (京都市左京区)


※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
 第2編 実存 第2章 意識現象が唯一の実存である



もし意識現象をのみ実存とするならば、世界は凡(すべ)て自己の観念で

あるという独知論に陥るではないか。または、さなくとも、各自の意識が

互いに独立の実存であるならば、いかにしてその間の関係を説明する

ことができるかということである。

しかし意識は必ず誰かの意識でなければならぬというのは、単に意識には

必ず統一がなければならぬというの意にすぎない。もしこれ以上に所有者

がなければならぬとの考えならば、そは明(あきらか)に独断である。



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識


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個人があって経験があるではなく、経験があって個人がある
純粋経験

白神山地


※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第1編 純粋経験  第1章 純粋経験



経験するというのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。全く自己の細工を

棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている

者もその実は何らかの思想を交えているから、毫(ごう)も思慮分別を加えない、

真に経験其儘(そのまま)の状態をいうのである。



たとえば、色を見、音を聞く刹那(せつな)、未だこれが外物の作用であるとか、

我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何で

あるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と

同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識

とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる(さいじゅん⇒最もまじり

けのない)者である。



○たおやかに熟成してきた白神の時間


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すべての善の基礎となる
個人性の実現



※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第3編 善  第12章 善行為の目的(善の内容)


それで我々は先ずこの個人性の実現ということを目的とせねばならぬ。

即ちこれが最も直接なる善である。



個人において絶対の満足を与える者は自己の個人性の実現である。

即ち他人に模倣のできない自家の特色を実行の上に発揮するのである。

個人性の発揮ということはその人の天賦境遇の如何(いかん)に関せず

誰にでもできることである。いかなる人間でも皆各その顔の異なるように、

他人の模倣のできない一あって二なき特色をもっているのである。

而(しか)してこの実現は各人に無上の満足を与え、また宇宙進化の上

に欠くべからざる一員とならしむるのである。



従来世人はあまり個人的善ということに重きを置いておらぬ。しかし余は

個人の善ということは最も大切なるもので、凡て他の善の基礎となるで

あろうと思う。



真に偉人とはその事業の偉大なるが為に偉大なるのではなく、強大なる

個人性を発揮した為である。高い処に登って呼べばその声は遠い処に達

するであろうが、そは声が大きいのではない、立つ処が高いからである。

余は自己の本分を忘れ徒(いたず)らに他の為に奔走した人よりも、能く

自分の本色を発揮した人が偉大であると思う。




※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第3編 善  第12章 完全なる善行


善とは一言にていえば人格の実現である。これを内より見れば、真摯(しんし)

なる要求の満足、即ち意識統一であって、その極は自他相忘れ、主客相没する

という所に到らねばならぬ。外に現われたる事実として見れば、小は個人性の

発展より、進んで人類一般の統一的発達に到ってその頂点に達するのである。



○ありのままの自分|Here I stand and here I'll stay

○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」


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神と人との関係
宗教

瓢鮎図(ひょうねんず)(部分) 大巧如拙(たいこうじょせつ) 国宝
室町時代 京都・退蔵院(妙心寺)


※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
 第4編 宗教 第2章 宗教の本質


宗教とは神と人との関係である。神とは種々の考え方もあるであろうが、

これを宇宙の根本と見ておくのが最も適当であろうと思う、而(しか)して

人とは我々の個人的意識をさすのである。この両者の関係の考え方に

由って種々の宗教が定まってくるのである。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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「無い」とは何か
無門関 第一則

始まりもなければ終わりもない「円」


日本の禅宗には、臨済(りんざい)宗・曹洞(そうとう)宗・黄檗(おうばく)宗

の3宗があり、いずれも中国にその源流があるといわれます。



禅宗の一つ臨済宗の特徴は、公案(修行者に課せられる問題)を用いて

修行していくことにあるそうです。



公案集の一つである「無門関(むもんかん)」は、中国南宋時代の禅僧

無門慧開(むもんえかい:1183-1260年)によって1228年に成立した悟り

への入門書で、古来の公案の内から48則を厳選し、それに対して評釈

などを加えたもの。



※無門関 第一則 趙州狗子(じょうしゅうくす)


  趙州和尚(じゅうしゅうおしょう)、因(ちな)みに僧問う。

  狗子(くす⇒犬)に還って仏性有りや也(ま)た無しや。

  州云く、無。



  (現代語訳)

  修行僧は趙州和尚(じょうしゅうおしょう)に質問した。

  命あるものすべては仏性を持っているといわれますが、

  犬にも仏性はあるのでしょうか。

  趙州和尚は「無い」と答えた。




この「無い」とは何かが問題として修行者に与えられるそうです。



※第75回円覚寺夏期講座 2010.07
  無門関提唱 円覚寺派管長 横田南嶺 老師


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曹洞宗の思想
自我意識を捨てる心身脱落

鶴見のまちの大遠忌 精進料理Festa in 大本山總持寺 2015.10
峨山韶碩禅師本法要 (神奈川県横浜市鶴見区)


曹洞宗の宗祖・道元は、1200年に京都の貴族の名門に生まれたといわれ、

早くに父と母を亡くしたことから世の無常を感じて仏門を志したといいます。

14歳で比叡山にて勉学に励み、一つの疑問に出会います。



  顕密二教(けんみつにきょう)ともに談ず、本来法性、天然自性と。

  若しくかくの如きんば、即ち三世の諸仏、なにによりてか更に発心して菩提を求むるや



  顕教・密教ともに、仏教においては人間はもともと仏性を持ち、

  そのままで仏であると教えているはずだ。

  それなのに、われわれはなぜ仏になるための修行をせねばならないのか?



道元はこの疑問を比叡山の学僧たちにぶつけますが、

誰も満足な答えを与えてくれません。

そこで彼は比叡山を下りて、諸方の寺々に師を訪ねて歩きます。

それでも求める答えが得られないので、ついに彼は宋に渡ります。

道元が24歳のときでした。



けれども、宋においても、なかなかこれといった師に出会えかった。

道元は諦めかけて日本に帰ろうとしますが、そのとき、

天童山に新たに如浄(にじょう)禅師が人住されたことを聞き、天童山を再訪します。



1225年のある日、大勢の憎が早暁坐禅をしているとき、

1人の雲水が居眠りをしていたのを如浄が叱り警策(けいさく)を加えます。



  参禅はすべからく身心脱落なるべし。

  只管(しかん)に打睡していん恁麼(なに)を為すに堪えんや



  何のために坐禅をするかといえは、身心脱落のためだ。

  それを、おまえはひたすら居眠り(只管)ばかりしている。

  そういうことで、どうなるというのだ。



道元は、その瞬間に悟りが開けたといわれます。



では、「身心脱落」とは、どういうことでしょうか……?

われわれはみんな、〈俺が、俺が……〉といった意識を持っています。

〈わたしは立派な人間だ〉〈わたしは品行方正である〉と思うのが自我意識です。

一方で、〈わたしなんて、つまらない人間です〉というのだって自我意識。

自我意識があるから、自分と他人をくらべて優越感を抱いたり、

劣等感にさいなまれたりします。



そういう自我意識を全部捨ててしまえ!というのが「身心脱落」です。



※「心身脱落」「只管打座」 〜 道元のたどりついた悟りとは
  ひろ ちさや 先生|PHPオンライン 衆知|PHP研究所
※[新訳]正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある
 道元, ひろ さちや (訳) PHP 2013年


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最高の知恵への到達
般若心経

三蔵法師が翻訳に取り組んだといわれる慈恩寺大雁塔 (西安)


日本人にとっては馴染み深いお経「般若心経(はんにゃしんぎょう)」。

正式名称は「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう」というそうです。

「般若」には「知恵」、「波羅蜜多」には「完成や到達」という意味があり、262文字

の短いお経には奥深い知恵が込められています。



フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596-1650年)の有名な言葉、「我思う、ゆえに

我あり」(ラテン語:Cogito ergo sum、コギト・エルゴ・スム)では、「我」という主体

が存在しますが、仏教では「我」などはないといいます。

「我」は仮の姿(⇒場)であって、それを構成しているのは、色(身体・物質)・受(感受)・

想(想像)・行(意志)・識(認識)の五蘊(ごうん)だとされます。



般若心経の中でも良く知られる「「色即是空(しきそくぜくう⇒色即(すなわ)ち是(こ)れ

空)、空即是色(くうそくぜしき⇒空即ち是れ色)」では、身体を含むこの世を作って

いる物質の全てに実態はなく、実態のないものが即ち物質だと指摘します。



○シルクロードの中継点 西安

○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ


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向こう岸に渡った者よ 悟りよ幸あれ
The Heart Sutra

262文字から成る「般若心経」


※「般若心経 (部分)」 & 「The Heart Sutra (般若心経 英訳)」


○色即是空 空即是色

Body is nothing more than emptiness, emptiness is nothing more than body.



○是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

All things are empty. Nothing is born, nothing dies,

nothing is pure, nothing is stained, nothing increases and nothing decreases.



○無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

There are no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind.

There is no seeing, no hearing, no smelling, no tasting, no touching, no imagining.



○故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦


The Perfection of Wisdom is the greatest mantra.

It is the clearest mantra,

the highest mantra,

the mantra that removes all suffering.



○真実不虚

 This is truth that cannot be doubted.


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Imagine - John Lennon and The Plastic Ono Band (with the Flux Fiddlers)

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真理は一つ
有は即ち是れ無、無は即ち是れ有

禅宗の初祖・達磨(だるま)と二祖・慧可(えか)
「慧可断臂図(えかだんぴず)」 雪舟 室町時代(1496) 国宝 斎年寺
信心銘(しんじんめい)は、三祖の「僧サン(そうさん)」の著書だそうです


※信心銘(しんじんめい) より部分


有即是無 無即是有 若不如是 必不須守

一即一切 一切即一 但能如是 何慮不畢

信心不二 不二信心 言語道斷 非去來今



有(う)は即(すなわ)ち是(こ)れ無(む)、無(む)即(すなわ)ち是(こ)れ有(う)。

若(も)し是(か)くの如(ごと)くならずんば、必ず守ることを須(もち)いざれ。

一即一切(いっそくいっさい)、一切即一(いっさいそくいつ)。

但能(ただよ)く是くの如くならば、何(なん)ぞ不筆(ふひつ)を慮(おもんばか)らん。

信心不二(しんじんふに)、不二信心(ふにしんじん)。

言語道断(ごんごどうだん)、去来今(こらいこん)に非(あら)ず。


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個性の最高にして究極の発達
我を無にする

「至聖三者(しせいさんしゃ)」(三位一体)のイコン 15世紀
アンドレイ・ルブリョフ トレチャコフ美術館(モスクワ)


※ドストエフスキーの手記 1864年4月16日 (妻マリア夫人が亡くなった翌日)


キリスト教の教えに従って己を愛するように人を愛することは不可能だ。

この地上では個の法則に縛られ、《我》に阻まれるからだ。キリストのみが

それをなし得たのだ。しかしキリストは永遠の理想であり、人間はキリスト

を目指しており、また自然法則によって目指さなればならない。



キリストが人間にとっての現実の肉体をもった理想として現れて以来、個性

の最高にして究極の発達は、(中略) 人間が《我》を無にして、それを完全に

没我的にすべての人々、あらゆる人に委ねるところまで到達しなければなら

ないことは、火を見るよりも明らかになった。そしてこれこそが、最大の幸福

なのである。



このようにして、《我》の法則はヒューマニズムの法則と溶け合い、この融合の

うちに両者が、つまり《我》も《皆》もが(両者は一見対立するものであるのだが)、

互いが互いのために無になり、と同時にそれぞれが己が個性的発達の最高の

目的を達成していくのである。これがキリストの楽園である。



※地下室の手記 ドストエフスキー 安岡治子(訳) 光文社古典新訳文庫 2007
 解説 安岡治子 p272-273


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世は定めなきこそ
いみじけれ

古くから京都にある墓地 嵯峨野の化野(あだしの)
化野念仏寺(京都市左京区)


※徒然草 第7段 兼好法師


あだし野の露きゆる時なく、

鳥部山(とりべやま)の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、

いかにもののあはれもなからん。

世はさだめなきこそいみじけれ。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


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月日は百代の過客にして
行かふ年もまた旅人なり

芭蕉行脚図(ばしょうあんぎゃず) 1693 森川許六(きょりく) 天理大学付属天理図書館
松尾芭蕉(1644-1694)と河合曾良(かわいそら)とされる肖像


※「奥の細道」 松尾芭蕉 序文 1702年


月日は百代(はくだい)の過客(かきゃく⇒旅人)にして、行かふ年も又旅人也。

舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、

旅を栖(すみか)とす。

古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、

漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣を

はらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物

につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、

もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心

にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も住み替はる

代ぞ雛の家 表八句を庵の柱に掛け置く。


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ゆく川の流れは絶えずして
もとの水にあらず

湿原を流れる釧路川 (北海道釧路市)


※「方丈記」 鴨長明(かものちょうめい) 1212年


行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉(たま)しきの都の中に棟(むね)をならべいらかをあらそへる、

たかきいやしき人のすまひは、代々を經(へ)て盡(つ)きせぬものなれど、

これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

或はこぞ破れて今年は造り、あるは大家ほろびて小家となる。

住む人もこれにおなじ。



(現代語訳)

  行く川の流れは絶えることがなくて、なおその上に、もとの水と同じでない。

  流れが滞っている所に浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では生じて、

  長い間、同じであり続ける例はない。

  世の中に存在する人というとは、また、このようなものである。

  玉を敷いたように美しい都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、

  身分の高い人、低い人の住居は、長い年月を経過してもなくならないものであるが、

  これを真実かと調べると、昔あったままの家はめったにないものである。

  あるものは、去年焼けて今年建てた。あるものは、大きな家が滅んで、

  小さな家となる。

  住む人も、これに同じ。



○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み

○鶴の舞|釧路川キャンプ & カヌーツーリング


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一期の月傾きて
余算の山の端に近し

鴨長明の方丈(ほうじょう) 復元 河合神社(京都)


※「方丈記」 鴨長明(かものちょうめい) 1212年


そもそも一期の月影傾ぶきて餘算山のはに近し。

忽(いるかせ)に三途の闇にむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。

佛(ほとけ)の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。

今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。

いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。



しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、

世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。

然るを汝が姿は聖(ひじり)に似て、心はにごりにしめり。

すみかは則ち淨名居士(じょうみょうこじ)のあとをけがせりといへども、

たもつ所はわづかに周梨槃特(しゅりはんどく)が行にだも及ばず。

もしこれ貧賤の報のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりてくるはせるか、

その時こゝろ更に答ふることなし。

たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。

時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤(さうもんのれんいん)、

外山(とやま)の庵(いおり)にしてこれをしるす。



「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。





(現代語訳)

  さて、一生の月が傾いて、余命は月が沈む山の端に近い。

  瞬く間に死に向かおうとしている。何の行いについて不平を言おうか。

  仏が教えになる御趣意は、何事についても執着する心を持ってはならない

  ということである。

  今、草庵を愛することも罪となる。ひっそりとした静けさに執着することも、

  さしさわりとなるであろう。

  どうして、不要な楽しみを記述して、せっかくの時間を過ごそうか。



  静かな明け方、この道理を想い続けて、自分から心に問うて言うには、

  世間を遁(のが)れて、山林にまぎれこむのは、心を修養して、仏道を

  就業しようとするためである。それなのに、お前は、姿は僧であって、

  心は煩悩に染まっている。

  家は浄名居士(じょうみょうこじ:インドの商人、釈迦の在家弟子⇒維摩居士)

  の住居跡をまねているといっても、保っているところは、わずかに周梨槃特

  (しゅりはんどく:愚鈍であった釈迦の弟子)の修行にさえ及ばない。

  もしかすると、これは、貧乏で身分が低いことの報いが自分自身を悩ませるのか。

  それともまた、迷った心が窮(きわ)まって、自分自身を狂わせているのか。

  その時、心は全く答えることがなかった。

  ただ、ついでなしたを使って、いやいやながらな南無阿弥陀仏と二、三回申して、

  やめてしまった。

  時に、建暦二年三月末ごろ、桑門蓮胤(さうもんのれんいん:鴨長明の法名)が、

  外山(とやま:山の端)の庵にてこれを記す。



○古都・京都を巡って


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日本文化の特色
自己が物の中に没する

八百万の神々が集まって会議をしたといわれる天安河原(あまのやすがわら)
宮崎県高千穂


私は日本文化の特色と云うのは…何処までも自己自身を否定して物となる、

物となって見、物となって行うと云うことにあるのではないかと思う。己を空う

して物を見る、自己が物の中に没する、無心とか自然法爾(じねんほうに⇒

人々の主体性からではなく、阿弥陀仏の誓願の力によって生じる)とか云う

ことが、我々日本人の強い憧憬の境地であると思う。



※「日本文化の問題」 西田幾多郎
※「働くものから見るものへ」 西田幾多郎
※「西田幾多郎 無私の思想と日本人」 佐伯啓思 新潮社 2014
 第4章 「死」と「生」について p88-89
 第8章 「日本文化」とは何か p172



○天の岩屋戸伝説|秩序が崩壊する夜の世界


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物が自然の本性を発揮する
善とはすなわち美

「David」 Michelangelo Buonarroti  Galleria dell'Accademia, Firenze
「タビデ象」 ミケランジェロ アカデミア美術館, フィレンツェ


※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第3編 善 第9章 善(活動説)


ここにおいて善の概念は美の概念と近接してくる。美とは物が理想の如くに

実現する場合に感ぜられるのである。理想の如く実現するというのは物が

自然の本性を発揮する謂(いい⇒意味)である。



それで花が本性を現(げん)じたる時最も美しくなるが如く、人間が人間の

本性を現じた時は美は頂上に達するのである。善は即ち美である。


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あるものが生じたかと思えば
あるものは消えてゆく

「Vanitas-Still Life」 1668 Maria van Oosterwijck 
Kunsthistorisches Museum(ウィーン美術史美術館)


※「饗宴」 プラトン 中澤務(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
 第8章 ソクラテスの話 p141



人間以外の動物もまた、できる限り永遠で不死であることを求めるよう

生まれついているのだといえる。ところが、動物は子どもを生むという

手段を通してしか、それを実現することができぬのだ。なぜなら、それ

によって、古いものを新しいものに、常に置き換え続けることができる

のだからな。



このような現象は、生き物のそれぞれの個体が生きて同一性を保って

いると言われるような場面ですら起こっている。たとえば、人は子ども

のころから老年に至るまで、同一の人物だと言われる。その人は、同

一の人物と言われながらも、その構成要素は決して同じものではなく、

たえず新しいものになり、また、ある部分は失われていくのだ。毛髪も

肉も骨も血も、体全体がな。



このような現象は、体ばかりでなく、心においても起こっている。習慣、

性格、思考、快楽、苦痛、不安─このようなものはいずれも、それぞれ

の人の中で同一の状態が存続することは決してなく、あるものが生じた

かとおもえば、あるものは消えていくのだ。


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知恵と愚かさの間にいる
エロス

 プラトンとアリストテレス|「アテナイの学堂」 部分
「Scuola di Atene」 1509-1510 Raffaello Santi Palazzi Apostolici」


※「饗宴」 プラトン, 中澤務(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
 第8章 ソクラテスの話 p128-129


エロスは知恵と愚かさの間にいる。それは、こんな事情による。神々は誰

一人として、知恵を愛し求めもしなければ、知恵ある者になりたいとも思わぬ。

すでに知恵があるのだからな。神でなくとも、知恵ある者なら、知恵を愛し

求めぬことはないのだ。



ところが、愚か者もまた、知恵を愛し求めもしなければ、知恵ある者になり

たいとも思わぬのだ。なにしろ、愚かさというものはなんとも始末に負えぬ

しろもので、美しくもよくもなく、賢くもないくせに、自分はそれで十分だと

思いこむのだからな。



自分にはなにかが欠けているとは夢にも思わぬような輩が、自分には必要

ないと思っているものを欲しがることなどあるまい。


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純粋で、清らかで、混じりけのない
エロス

弓を作るエロス パルミジャニーノ (Parmigianino)


※「饗宴」 プラトン 中澤務(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
 第8章 ソクラテスの話 p151


エロスの道を正しく進むとか、誰かによって導かれるというのは、このような

ことを指す。すなわち、さまざまな美しいものから出発し、かの美を目指して、

たゆまぬ上昇をしていくということなのだ。その姿は、さながら梯子を使って

登る者のようだ。



すなわち、一つの美しい体から二つの美しい体へ、二つの美しい体から

すべての美しい体へと進んでいき、次いで美しい体から美しいふるまいへ、

そしてふるまいからさまざまな美しい知へ、そしてついには、さまざまな知

からかの知へと到達するのだ。そりはまさにかの美そのものの知であり、

彼はついに美それ自体を知るに至るのである。


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徳について
正しい考えと知識の関係

Ancient Agora of Athens


※メノン─徳(アレテー)について プラトン 渡辺邦夫(訳) 光文社古典新訳文庫
 2012 第5章 メノンとの対話の結論 p145-146


つまり正しい考え(⇒ドクサ)もまた、或る程度の時間留まっていてくれる

場合には、立派であり、あらゆる優れたよいことを成し遂げてもくれる。



しかしそうした考えは、長期間留まってはくれないで人間の魂から逃げ

出してしまうので、したがって人がこれらの考えを[事柄のそもそもの

原因にさかのぼって、その原因から考えて]原因の推論によって縛り

つけてしまうまでは、たいした価値はないのだ。



そしてこれが、親愛なるメノン、以前われわれが同意したところでは、

想起(⇒人から教わるのではなく、自分が自分の中から知識を再び獲得する)

なのである。だが、いったん縛られたならば、それらの考えは初めて知識

(⇒エピステーメー)になり、しかるのち、安定的に持続するものになる。



そして、この理由から知識は、正しい考えよりも価値が高く、また、知識が

正しい考えと異なるのは、「縛られている」という点によるのである。



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同一の精神作用である
知と愛

アカデメイアのモザイク画


※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
 第5章 知と愛


知と愛とは普通には全然相異なった精神作用であると考えられている。

しかし余はこの二つの精神作用は決して別種の者ではなく、本来同一

の精神作用であると考える。然らば如何なる精神作用であるか、一言に

ていえば主客合一の作用である。我が物に一致する作用である。何故に

知は主客合一であるか。我々が物の真相を知るというのは、自己の妄想

(もうそう)臆断(おくだん)即ちいわゆる主観的の者を消磨し尽して物の

真相に一致した時、即ち純客観に一致した時始めてこれを能(よ)くする

のである。


(中略)


我々が物を愛するというのは、自己をすてて他に一致するの謂(いい)である。

自他合一、その間一点の間隙なくして始めて真の愛情が起るのである。

我々が花を愛するのは自分が花と一致するのである。月を愛するのは

月に一致するのである。親が子となり子が親となりここに始めて親子の

愛情が起るのである。親が子となるが故に子の一利一害は己(おのれ)の

利害のように感ぜられ、子が親となるが故に親の一喜一憂は己の一喜一憂

の如くに感ぜられるのである。我々が自己の私を棄てて純客観的即ち無私と

なればなる程愛は大きくなり深くなる。親子夫妻の愛より朋友の愛に進み、

朋友の愛より人類の愛にすすむ。仏陀の愛は禽獣(きんじゅう)草木にまで

も及んだのである。


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孤独のおける自己内対話によって培われる
無私の精神

シンポシオン(饗宴)


今日、様々な場所で開催されている「シンポジウム(symposium⇒討論会)」は、

ギリシヤ語の「シンポシオン(symposion)」が語源といわれ、「syn(一緒に) +

posis(飲む)」という意味があり、プラトンの対話編「饗宴」に見られます。



西洋の哲学が、人々との対話によって行われてきたのに対して、日本を代表

する思索家、例えば、吉田兼好や松尾芭蕉、鴨長明や西行といった人たちは、

旅人であったり、隠遁者(いんとんしゃ⇒交わりを絶って俗世間からのがれて

暮らす人)であったりと、他者との対話をするというより、孤独の中で自己内対話

をした人たちだったように思えます。



※「西田幾多郎 無私の思想と日本人」 佐伯啓思 新潮社 2014
 序章 西田幾多郎の「道」 p13


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一人になれる自由
自己内対話を促す孤独



※「死の家の記録」 ドストエフスキー 望月哲男(訳) 光文社古典新訳文庫 2013
  第一部 第二章 最初の印象 p52


自由の剥奪と労働の強制のほか、監獄生活には他の何ものをも上回るほどの、

もうひとつの苦しみがある。それは、強制的な共同生活である。

共同生活というものはもちろん他の場所にもあるが、監獄に入ってくる人間は、

誰もが一緒に暮らしたい相手ではない。きっと囚人は皆この苦しみを感じて

いたに違いない。ただしもちろん、大概は無意識にだが。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む|世界の本質


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世を離れ 人を忘れて 我はただ
己がこころの 奥底に住む

鎌倉市稲村が崎の海岸線に建つ西田幾多郎の碑
碑の左側は江の島、右側には富士山


西田幾多郎 先生は京都帝国大学を退官したのち、1933(昭和8)年から

亡くなるまで(1945(昭和20年)の12年間、主に夏と冬は鎌倉で過ごした

そうです。



※西田先生が残された詩


  「世を離れ 人を忘れて 我はただ 己がこころの 奥底に住む」


  「わが心深き底あり 喜も 憂の波も とどかじと思ふ」


  「天地の分かれし時ゆよどみなくゆらぐ海原見れどあかぬかも 寸心」


  「大海原たつ小波もくしきかな常世の国に通ふとおもへば 寸心」


  「七里ヶ浜夕陽漂う波の上に伊豆の山々果てし知らずも」


  「私は海を愛する、何か無限なものが動いているように思うのである。」



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する

○江ノ電に乗って古都鎌倉・湘南へ

○湘南の景勝地 江の島


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我死なば 故郷の山に 埋もれて
昔語りし 友を夢みむ

外日角(そとひすみ)海岸の夕陽 (石川県かほく市)


※「或時の感想」 西田幾多郎


私の故郷は決して好ましいところではない。よい景色もにぎやかなところもない。

深い雪に閉ざされ、荒れ狂う木枯らしの音だけが聞こえ、秋の日も鉛の雲が

立ち込め、地平線に入り日の光は赤暗く、まるで「死の国の入口」のようにも

思われる。しかし、私はこの故郷をこの上なくなつかしく思う。


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森は考える
人間的なものを超えた人類学

日本三霊山の一つ立山


人間だけでなく非人間を視野に入れることができる分析枠組みを創造すること…。

社会科学のもっとも偉大な貢献─社会的に構築された現実という分離された

領域を認め、境界を設けること─は最大の災いであるという基本的な信念を、

私はこれらのアプローチと共有している。



加えて、この問題を超えて進む道を見つけることが、今日の批判的思考が直面

するもっとも重要な挑戦のひとつであると感じてもいる。なかでも、他なるたぐい

の生きものたちとの日常的な関与の周りに、理解することと関わりあうことの

新たな可能性を開く何かがあるという、ダナ・ハラウェイ(アメリカの学者、1944-)

の信念にとりわけ揺り動かされたのである。



※森は考える─人間的なものを超えた人類学 エドゥアルド・コーン
 奥野克己・近藤宏 監修、近藤址秋・二文字屋脩 共訳 亜紀書房 2016 p17-18

※犬と人が出会うとき─異種協働のポリティクス ダナ・ハラウェイ
 高橋さきの(訳) 青土社 2013



○空と雲に出会い光を浴びて天上につながる場所|黒部立山

○大井埋立地にみる森里海のつながり

○食・農・里の新時代を迎えて|新たな潮流の本質


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人工的世界の外にある
生命

ドイツ出身のユダヤ人哲学者
ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906-1975年)


※「人間の条件」(1958) ハンナ・アレント, 志水速雄(訳) ちくま学芸文庫 1994年 p11-12


地球は人間の条件の本体そのものであり、おそらく、人間が努力もせず、

人工的装置もなしに動き、呼吸のできる住家であるという点で、宇宙で

ただ一つのものであろう。



たしかに人間存在を単なる動物的環境から区別しているのは人間の工作物

である。しかし生命そのものはこの人工的世界の外にあり、生命を通じて

人間は他のすべての生きた有機体と依然として結びついている。



ところが、ここのところずっと、科学は、生命をも「人工的」なものにし、人間

を自然の子供としてその仲間に結びつけている最後の絆をも断ち切るため

に大いに努力しているのである。



今日、人間は地上の有機的生命をすべて破壊することができるように、私

たちの能力をもってすればこのような交換も可能であろう。問題は、ただ、

私たちが自分の新しい科学的・技術的知識を、この方向に用いることを

望むかどうかということであるが、これは科学的手段によって解決できない。

それは第一級の政治的問題であり、したがって職業的科学者や職業的

政治家の決定に委ねることはできない。



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面


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価値と価値の争いは
最終的には神々の争い

ドイツの社会学者 マックス・ウェーバー(Max Weber、1864-1920年), 1894年


マックス・ウェーバーは前世紀最大の社会科学者ですが、大雑把に言うと、

科学に可能なことは三点あると言います。

一つは、目的が与えられているならば、その目的のために複数の手段を

提示することができる。その複数の手段について、それぞれの目的に対する

適合性を吟味できる。

第二には、手段だけでなく目的を設定すること自体が、歴史的な事情・背景

に即して状況にかなっているいるか。これを吟味することができる。

第三に、目的のために手段を選んだとして、それに伴ってどういう結果が

生まれるか。意図した結果ばかりでなく意図せざる結果として何が生まれるか。

これを提示することもできる。



ウェーバーによると、目的が達成されれば必ずある価値が実現されます。

実現された価値はしかし、同時に他の価値を毀損します。それがどういう価値

を傷つけるか、科学はそれを示すこともできる。ウェーバー的に言うと、これら

はすべて技術的な批判であって、学問、科学が可能とする批判なのですね。

こうした議論の背後には、価値と価値の争いは最終的には「神々の争い」で

あって、調停不能だという、ウェーバー独特のペシミズムがあります。



一応ウェーバーの言葉を引いておきますと

「どの価値を選択するかを決定するのは、科学がなしうることではない。それは

意欲する人間の課題である」。「科学は、誰に対しても何をなすべきかを教える

ことはできない」。「何をなしうるか、また事情によっては何を意欲しうるのか。

それを教えることができるだけなのだ。」



※「時空の近代、人文知の時空 あるいは、国家と資本と文化について」
 講師 熊野純彦 先生 (東京大学文学部長)
 会場 東京大学 文学部2号館 1番大教室
 第14回東京大学ホームカミングデイ文学部企画「文学部がひらく新しい知」 2015.10


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参  考  情  報


○石川県西田幾多郎記念哲学館

○西田幾多郎 作品リスト - 青空文庫

○学校法人 学習院 | 施設 | 校外施設 | 西田幾多郎博士記念館(寸心荘)

○親鸞仏教センター

○純粋経験Bと日本の哲学|河原道三 神秘体験

○石川県かほく市公式サイト

○般若心経講義 高神覚昇 - 青空文庫

○福沢諭吉 作品リスト - 青空文庫

○鴨長明 方丈記 - 青空文庫

○学ぶ・教える.COM

○言語系学会連合

○禅と森田療法

○「わたしのちょっと面白い話コンテスト」公式サイト - Speech data

○時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
 埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室)

○無料の写真 - Pixabay

○パブリックドメインの写真 - フリー写真素材

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○フリー百科辞典Wikipedia

○善の研究 西田幾多郎 ワイド版 岩波文庫 改訂第二版 2015

○日本文化の問題 西田幾多郎 岩波新書 1982

○西田幾多郎 無私の思想と日本人 佐伯啓思 新潮新書 2014

○西田幾多郎 中村雄二郎 岩波書店 1983 20世紀思想家文庫 8

○一年有半 中江兆民, 鶴ヶ谷真一(訳) 光文社古典新訳文庫 2016

○三酔人経綸問答 中江兆民, 鶴ヶ谷真一(訳) 光文社古典新訳文庫 2014

○二十世紀の怪物 帝国主義 幸徳秋水, 山田博雄(訳)
 光文社古典新訳文庫 2015

○現代語訳 文明論之概略 福澤諭吉, 齋藤孝(訳) ちくま文庫 2013

○自死の日本史 モーリス・パンゲ, 竹内信夫(訳) 講談社学術文庫 2011

○現代語訳 般若心経 玄侑宗久 ちくま新書 2006

○[新訳]正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある
 道元, ひろ さちや (訳) PHP 2013年

○西田幾多郎―人と思想 下村寅太郎 東海大学出版会 1977

○東郷平八郎 下村寅太郎 講談社学術文庫 1981

○下村寅太郎の哲学 2017.11
 講師 榑沼範久 先生 横浜国立大学教授
 内容
  ・精神史
  ・レオナルド研究
  ・ルネサンス・バロック研究
  ・ブルクハルト研究
  ・アッシジのフランス研究
  ・西田哲学と日本の思想
  ・ライプニッツ研究
  ・科学史の哲学
 放送大学神奈川学習センター

○西田幾多郎が愛した鎌倉 2017.09
 ・講演会+レクチャー (鎌倉女子大学 二階堂学舎)
  竹内整一 先生 鎌倉女子大学教授・東京大学名誉教授
  岡野浩 先生 学習院大学講師
 ・学習院西田幾多郎博士記念館(寸心荘) 見学会
 ・主催 石川県西田幾多郎記念哲学館(かほく市)
 ・共催 鎌倉女子大学、学習院
 ・後援 鎌倉市教育委員会
 ・協力 寸心荘読書会

○饗宴 プラトン. 中澤務(訳) 光文社古典新訳文庫 2013

○プロタゴラス―あるソフィストとの対話 プラトン. 中澤務(訳)
  光文社古典新訳文庫 2010

○ソクラテスの弁明 プラトン. 納富信留(訳) 光文社古典新訳文庫 2012

○メノン―徳(アレテー)について プラトン. 渡辺邦夫(訳)
 光文社古典新訳文庫 2012

○ニコマコス倫理学(上下) アリストテレス. 渡辺邦夫(訳). 立花幸司(訳
 光文社古典新訳文庫 2015-16

○人間の条件 ハンナ・アレント, 志水速雄(訳) ちくま学芸文庫 1994

○森は考える─人間的なものを超えた人類学 エドゥアルド・コーン
 奥野克己・近藤宏 監修、近藤址秋・二文字屋脩 共訳 亜紀書房 2016

○犬と人が出会うとき─異種協働のポリティクス ダナ・ハラウェイ
 高橋さきの(訳) 青土社 2013

○留学 遠藤周作 新潮文庫 1968

○英語の名詞にまつわる話 2018.01
 講師 高橋邦年 先生 放送大学客員教授・横浜国立大学名誉教授
 会場 放送大学 神奈川学習センター

○次世代型の外国語教育を目指して 2017.12
 講師 壇辻正剛 先生
     京都大学 学術情報メディアセンター 語学教育システム研究分野 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第69回 知の拠点セミナー講演

○日本語の音声と、外国語の音声と、外国につながる人の音声 2017.03
 講師 河野俊之 先生 横浜国立大学教育人間科学部教授
 会場 神奈川県立国際言語アカデミア

○シンポジウム「ことばのプロフェッショナル」 2018.01
 ・開会あいさつ 仁田義雄 先生 (言語系学会連合 運営委員長)
 ・ことばを見つける ―日本語研究の視点から―
  塩田雄大 先生 (NHK放送文化研究所)
 ・ことばを使う―航空機客室サービスの視点から―
  小森裕子 先生 (日本航空)
 ・ことばを繋ぐ ―通訳・翻訳の視点から―
  鳥飼玖美子 先生 (立教大学)
 ・ことばを教える ―日本語教育の視点から―
  嶋田和子 先生 (アクラス日本語教育研究所)
 ・ディスカッション
  司会 : 野田尚史 先生 国立国語研究所
 ・閉会あいさつ 田窪行則 先生 (国立国語研究所 所長)
・会場 東京証券会館ホール
・主催 言語系学会連合
・共催 国立国語研究所

○第12回 「ことばの多様性とコミュニケーション」 2018.02
 ・司会 野田尚史 先生 (国立国語研究所 研究主幹)
 ・開会挨拶 田窪行則 先生 (国立国語研究所 所長)
 ・第1部
  PARTT 地理的バリエーション
  ・方言はどこまで通じるか?
   田窪行則 先生 (国立国語研究所)
  ・方言の生まれるところ
   大西拓一郎 先生 (国立国語研究所)
  PARTU 社会的・機能的バリエーション
  ・ポップカルチャーと役割語
   金水敏 先生 (大阪大学)
  ・ことばとキャラ
   定延利之 先生 (京都大学)
  PARTV 外国語との係わりにおけるバリエーション
  ・日本語学習者のお国柄
   石黒圭 先生 (国立国語研究所)
  ・ていねいさは世界共通か?
   宇佐美まゆみ 先生 (国立国語研究所)
 ・第2部 : パネルディスカッション
  どうなる?これからの日本語
  コーディネーター 野田尚史 先生
 ・閉会挨拶
  窪薗晴夫 先生 (国立国語研究所 副所長)
 ・会場 東京証券会館ホール
 ・主催 国立国語研究所

○日本語教育からの音声研究 (シリーズ言語学と言語教育)
  土岐哲 ひつじ書房 2010

○ポライトネス 言語使用における、ある普遍現象
 Politeness:Some Universals in Language Usage
 ペネロピ・ブラウン, スティーヴン・C・レヴィンソン, (監修・訳) 田中典子
 (訳) 斉藤早智子. 津留崎毅. 鶴田庸子. 日野壽憲. 山下早代子 研究社 2011

○第14回東京大学ホームカミングデイ文学部企画
 「文学部がひらく新しい知」 2015.10
・基調講演
 「時空の近代、人文知の時空 あるいは、国家と資本と文化について」
 講師 熊野純彦 先生 (東京大学文学部長)
・ディスカッション
 司会 野崎歓 先生 (言語文化学科教授・フランス文学)
 橋場弦 先生 (歴史文化学科教授・西洋史学)
 齋藤希史 先生 (言語文化学科教授・中国文学)
 唐沢かおり 先生 (行動文化学科教授・社会心理学)
 熊野純彦 先生 (思想文化学科教授・倫理学)
・会場 東京大学法文2号館1番大教室

○ミュシャ展 国立新美術館 2017年3月8日〜6月5日
 「スラヴ叙事詩」 全20点公開


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