Dear Kitty

ずっと誰よりも大切なキティへ


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Dear Kitty
ずっと誰よりも大切なキティへ

「アンネの日記」 1942年6月12日|アンネ・フランクの直筆 (オランダ語)


※アンネの日記 増補新訂版 アンネ・フランクル 深町眞理子(訳) 文春文庫 2003


  あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、

  なにもかもお話できそうです。どうかわたしのために、大きな

  心の支えと慰めになって下さいね。




※英語

  I hope I shall be able to confide in you completely, as I have never

  been able to do in anyone before, and I hope that you will be a great

  support and comfort to me.




※オランダ語

  Ik zal hoop ik aan jou alles kunnen

  toevertrouwen, zoals ik het nog aan

   niemand gekund heb, en ik hoop dat

   je een grote steun voor me zult zijn.

  Anne Frank, 12 Juni 1942


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手紙の宛て先
キティー

A page from Anne Frank's first diary


1942年6月12日。アンネ13歳の誕生日に両親がプレゼントしてくれた手帳。

アンネは架空の親友キティーに宛てて、1942年6月12日からナチスに連行

される3日前の1944年8月1日まで日記を書き続けます。




※アンネの日記 増補新訂版 アンネ・フランク 深町眞理子(訳) 文春文庫 2003
 1942年9月28日 p14


  これまであなたにはずいぶん元気づけられてきました。同様に、いつも

  わたしの手紙の宛て先になっているキティー、彼女もやはり大きな励ま

  しになってくれます。ただ日記をつけるのより、こういう書きかたのほうが

  ずっとおもしろいと思いますし、おかげでいまでは、つづきを書くのが待

  ちきれないくらいです。

  ほんと、あなたもいっしょにここへ連れてきて、とってもよかった!



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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ドイツ系ユダヤ人の少女
アンネ・フランク

アンネ・フランク(Anne Frank, 1929年6月12日-1945年3月上旬)
Anne at the Montessori School she attended in Amsterdam
(now the Anne Frank School) until 1940,
when Jewish children were ordered to attend separate schools.


1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人家族の

二女に生まれたアンネ・フランク。1933年、ナチス・ドイツの迫害から逃れる

ため、一家は故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ移住します。



しかし、その後オランダはナチスに占領され、1942年7月、姉マルゴーの召喚

(しょうかん⇒呼び出し)を機に一家は隠れ家生活に入ります。ここでの生活

は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家でのことを日記に書き続ました。




1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、その後

ベルゲン=ベルゼンに送られ、そこでチフスにかかり15年の短い生涯を閉

じます。



隠れ家で共に生活をした8人のうち、戦後に生き残ったのはアンネの父

オットー(Otto Frank、1889-1980年)のみでした。


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恐れることなく真実を語る
人間の退廃

アムステルダム市に入るドイツ軍を歓迎するアムステルダム市民
1940年5月


※INTRODUCTION
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM


This is a remarkable book. Written by a young girl─and the young are

not afraid of telling the truth─it is one of the wisest and most moving

commentaries on war and its impact on human beings that I have ever

read.



Anne Frank's account of changes wrought upon eight people hiding out

from Nazis for two years during the occupation of Holland, living in

constant fear and isolation, imprisoned not only by the terrible outward

circumstances of war but inwardly by themselves, made me intimately

and shockingly aware of war's greatest evil─the degradation of human

spirit.



すばらしい本である「アンネの日記」。ある少女によって書かれ、その少女は

恐れることなく真実を語っている。壮絶な戦争の様子、衝撃的な人間の姿を

私はかつて読んだことがない。



ナチの占領下に置かれたオランダで隠れ家生活を2年間続けた8人の変化を

記したアンネの日記は、悲惨な戦争の外面だけでなく、絶え間ない孤独や投

獄への恐怖といった内面が綴られ、私に心の底からぞっとするような戦争へ

の憎しみ、人間の退廃を意識させる。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」


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日記を始めた理由
自分の心のうちを告白する

アンネの家族
左から、姉マルゴー ・ 父オットー ・ アンネ ・ 母エディート


※Saturday, 20 June, 1942
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p2


I wanted first of all to think about my diary. It's an odd idea for someone

like me to keep a diary, not only because I have never done before, but

because it seems to me that neither I ─ nor for that matter anyone else

─ will be interested in the unbosomings of a thirteen-years-old schoolgirl.

still, what does that matter? I want to write, but more than that, I want

to bring out all kinds of things that lie buried deep in my heart.




まず日記について考えてみましたが、私が日記をつけるなんて奇妙な思いつき

です。これまで日記を書いたことがないだけでなく、私も他の人も、13歳の女の

子が心を打ち明けることに興味をもつとは思えません。

でも、そんなのどうでもいいです。私は書きたいんです。それ以上に自分の心

のうちを明かしたいのです。


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心理的な孤独
誰にも伝えられない心のうち

アンネが通ったモンテッソーリ・スクール
(現アンネ・フランク・スクール)


※Saturday, 20 June, 1942
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」」 ANNE FRANK BANTAM p3


the reason for my starting a diary: it is that I have no such real friend.

Let me put it more clearly, since no one will believe that a girl of thirteen

feels herself quite alone in the world, nor is it so.




わたしが日記をつけはじめた理由、それは本当の友達がいないからです。

もっとはっきり言えば、13歳の女の子が、この世でまったくひとりぼっちの

ように感じていると言っても、誰も信じてくれるひとはいないでしょう。


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本当の気持ちを隠そうとする
人間

アンネの家族を含め8人が暮らしたアムステルダムの隠れ家
(現アンネ・フランクの家)


※Saturday, 22 January, 1944
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p139


I wonder whether you can tell me why it is that people always try too

hard to hide their real feelings? How is it that I always behave quite

differently from what I should in other people's company?

Why do we trust one another so little?



I know there must be a reason. but still I sometimes think it's horrible

that you find you can never really confide in people, even in those who

are nearest to you.




人間はどうして本当の気持ちを隠すのか、あなたは言えますか?

どうして私は人とつきあう時、まったく違う振る舞いをするのでしょう?

なぜ人間はこんなにも人間を信用できないのでしょう?



それには理由があるにちがいありませんが、とても身近な人でさえ、

人を信用することができないのを私は時々恐ろしく思います。


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ずっと続いてきた法則
年長者の年の功

アンネの父 オットー・フランク


※Sunday, 13 June, 1943
  「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p82


My birthday poem from Daddy is too good to keep from you.


  Tough youngest here, You are no longer small,

  But life is very hard. since one and all

  Aspire to be your teacher, thus and thus:

  "We have experience, take a tip from us,"

  "We know because we did it long ago,"

  "Elders are always better, you must know,"

  At least that's been the rule since life began!

  Our personal faults are much too small to scan,

  This makes it easier to criticize

  The faults of others, which seem double size.

  Please bear with us, your parents, for we try

  To judge you fairly and with sympathy,

  Correction sometimes take against your will,

  Though it's like swallowing a bitter pill,

  which must be done if we're to keep the peace,

  While time goes by till all this suffering cease, 

  …




わたしの誕生日にお父さんが書いてくれた詩は、とても良かったので、

あなたに紹介します。


  ここではアンネが一番若いけど、あなたはもう幼くはない、

  でも人生はつらいだろう、あれこれと教えたがる人々によって。

  「わたしたちは経験がある、わたしの言う事を聞きなさい」

  「わたしたちは知っている、むかしやったことだから」

  「年長者には年の功がある。それを知りなさい」

  すくなくともこれが、人間が始まって以来つづいてきた法則だった!

  自分の欠点は小さく見積もるものだ、

  それは他人の欠点を批判しやすくさせる、

  他人の欠点は二倍にも大きく見えるものだ。

  どうか大人たちを、両親に我慢して欲しい、

  大人はあなたを公平に、共感をもって判断しようとしている。

  欠点を直されるのは、ときにはあなたの意志に反するだろう、

  けれどもそれは苦い薬を飲むようなものだ、

  しかし平和のためには、それを受け入れなくてはいけない、

  苦しい時が過ぎるまで。

  …


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何を信じて良いかわからなくなる
若者

1934年9月、ナチス党大会
ナチス式敬礼を行うヒムラー・ヒトラー・ルッツェ


※Saturday, 15 July, 1944
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p263


Older people have formed their opinions about everything and don't

waver before they act. It's twice as hard for us young ones to hold

our ground and maintain our opinions, in a time when all ideals are

being shattered and destroyed, when people are showing their worst

side, and do not know whether to believe in truth and right and God.



年長者たちは自分の考えを長い期間をかけてつくりあげてきているので、

行動するにあたって揺るがないのです。若い人たちの理想が破壊され

粉々になった時、年長者の悪い面が現れた時、若い人たちは真実や神

を信じてよいかわからなくなり、信念を守り、考えを貫き通すのは年長者

の二倍も困難なのです。


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気力を失う
抑圧された世界

隠れ家の入口を隠すために置かれていた本棚


※Friday, 29 October, 1943
 ※「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p113


My nerves often get the better of me: it is especially on Sundays that

I feel rotten. The atmosphere is so oppressive, and sleepy and as heavy

as lead. You don't hear a single bird singing outside, and a deadly close

silence hangs everywhere, catching hold of me as if it will drag me down

deep into an underworld.



ときどき神経質になります。特に日曜日は不快です。圧迫感があり、重苦し

い眠りです。外では鳥のさえずりは聞こえず、至る所が死んだように静かです。

まるで私をとらえて深い暗黒街へ引きずり落としていくようです。




I wander from one room to another, downstairs and up again, feeling like

a songbird whose wings have been clipped and who is hurling himself in

utter darkness against the bars of his cage. "Go outside, laugh, and take

a breath of fresh air," a voice cries within me, but I don't even feel a

response any more; I go and lie on the divan and sleep, to make the time

pass more quickly, and the stillness and the terrible fear, because

there is no way of killing them.



わたしは部屋から他の部屋へ、下の階へ、再び上の階へさまよいます。

まるで鳥が羽を切られて、暗闇の鳥かごの中でぶつかっているようです。

「外に出て、笑い、新鮮な空気を吸おう」。私の心が叫びます。でもそれに

答える気力もありません。私は早く時間が過ぎるようソファに寝そべり眠り

ます。それしか時間を過ごす方法がないのです。



○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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大人への成長
真実を探る

フランク一家とともに隠れ家で生活したファン家の息子ペーター
思春期を迎えたアンネは徐々にペーターに惹かれてゆきます


※Saturday, 18 March 1944
 ※「The Diary of a Young Girl」 ANNE FRANK Level4 PENGUIN READERS p30


I've written so much about myself and feelings, so why shouldn't

I write about sex too? Parents are very strange about sex. They

should tell their sons and daughters everything at the age of

twelve. But insteaf of that, they send them out of the room when

anyone talks about sex, and the children have to try and find out

everything by themselves.



私はこれまで日記に自分自身や感じたことを書いてきました。だから

セックスについて書いても良いと思います。両親はセックスについて

とても変な態度をします。大人は自分の息子や12歳にもなる娘に全て

を話すべきです。しかし、その代わりに大人はその話が話題になると

私たちを部屋から出そうとします。なので、自分たち自身で真実を探ら

なければなりません。



Soon after I was eleven, they told me about periods. But I didn't

know where the blood came from, or what it was for. When I was

twelve and a half, one of my friends told me some more. She told

me what a man and a woman do together. Well, I had already quessed!

I was quite proud of meself? She also told me that babies don't come

out of their mother's stomachs. Where everything goes in is where

the baby comes out!



私が11歳になって直ぐに、親は生理について話してくれました。でも、

どうやって月経が起こるのか、それが何なのか私は知りませんでした。

私が12歳半ばになった頃、友達がそのことについて教えてくれました。

彼女は男と女が一緒にすることについても話してくれました。予想して

いた通りで、私ってすごくないですか? 彼女はまた赤ちゃんはお母さん

の胃から生まれるのではなく、すべては入れたところから出てくるのよ

と話ていました。



Although it's Saturday, I'm not bored! I've been up in the attic with

Peter. I sat there dreaming with my eyes closed, and it was wonderful.



今日は土曜ですが、とても退屈です。屋根裏部屋に行ってペーターと

過ごしました。目を閉じて夢を見るのは、とても素敵でした。


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愛と結婚
旧約聖書「雅歌」

「雅歌」(1893) ギュスターヴ・モロー 大原美術館
「Song of Songs (Song of Solomon・Cantique des Cantiques)」
Gustave Moreau Ohara Museum of Art


※旧約聖書 雅歌 1-2・1-2


   どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。

   ぶどう酒にもましてあなたの歌は快く。

   あなたの香油、流れるその香油のように、あなたの名はかぐわしい。

   おとめたちはあなたを慕っています。お誘いください、わたしを。



※旧約聖書 雅歌 4-16・5-1


   北風よ、目覚めよ。南風よ、吹け。

   わたしの園を吹き抜けて、香りを振りまいておくれ。

   恋しい人がこの園をわがものとして、この見事な実を食べてくださるように。



   わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。

   香り草やミルラを摘み蜜の滴るわたしの蜂の巣を吸い、

   私のぶどう酒と乳を飲もう。

   友よ食べよ、友よ飲め。愛する者よ、愛に酔え。


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遠くで聞こえる破壊の音に
恐怖で身震いする

The city of Rotterdam after the German bombing during the German
invasion of the Netherlands in May 1940.


※Monday, 19 July, 1943
 ※「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM


North Amsterdam was very heavily bombed on Sunday. The destruction

seems to be terrible. Whole streets lie in ruins, and it will take a long

time before all people are dug out. Up till now there are two hundred dead

and countless wounded; the hospitals are crammed. You hear of children

lost in the smoldering ruins, looking for their parents. I shudder when

I recall the dull droning rumble in the distance, which for us marked the

approaching destruction.




昨日の日曜日、北アムステルダムは激しく空襲されました。破壊はひどい

ようです。地区全体が破壊され、がれきの下から人々を掘り起こすのに時間

がかかりそうです。200人の死者、数えきれないほどの負傷者、病院は一杯

になっています。まだくすぶり続ける廃墟の中で、両親を探して迷子になっ

た子どもたちの声が聞こえます。私たちを破壊しようと近づいてくる鈍い音が

遠くで聞こえると身震いします。


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まだ信じている
人間の善

Bergen-Belsen concentration camp
アンネが送られたベルゲン・ベルゼン強制収容所
中央で立っている人物は収容所の医師であったフリッツ・クライン(後に絞首刑)


※Saturday, 15 July, 1944
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p263


after a long time, we think we've found a solution, but the solution doesn't

seem able to resist the facts which reduce it to nothing again. That's the

difficulty in these times: ideals, dreams, and cherished hopes rise within

us, only to meet the horrible truth and be shattered.



It's really a wonder that I haven't dropped all my ideals, because they

seem so absurd and impossible to carry out. Yet I keep them, because

in spite of everything I still believe that people are really good heart.




長い間、解決策を探してきましたが、それも現実の前には抵抗できず、

再び消えてしまうようです。この時代の難しさがあります。理想も夢も

大切にしてきた希望も怖ろしい現実を目の当たりにして、粉々になって

しまいます。



本当に不思議なことに、私は理想を捨て去っていません。その理想は

不合理で実現不可能に見えますが、私はいまだ持ち続けています。

私は人間は善人だと信じています。



○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神


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良くなることを願い
運を天に任せ勉強に励む

ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地にある
アンネと姉マルゴーの墓碑


※Thursday, 3 February, 1944
 「THE DIARY OF A YOUNG GIRL」 ANNE FRANK BANTAM p150


I have now reached the stage that I don't care much whether I live or die.

The world will still keep on turning without me; what is going to happen,

will happen, and anyway it's no good to trying to resist. I trust to luck

and do nothing but work, hoping that all will end well.




今では、自分が生きようが死のうが気にならない境地に達しました。

私がいなくとも地球は回っているでしょう、起こることは起き、それに

抵抗したところでどうにもなりません。全てが良くなることを願い、

私は運を天に任せ勉強します。


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時を見極める
人が苦労したところで何になろう



※旧約聖書「イザヤ書」 21章 11・12節


  見張りの者よ、夜の何どきか

  見張りの者よ、夜の何どきか

  見張りの者は答える

  朝は来る、だがまだ夜だ

  もし尋ねたければまた来て尋ねるがよい




※旧約聖書「コヘレトの言葉(伝道の書)」 3章1〜9節


  何事にも時があり

  天下の下の出来事にはすべて定められた時がある。

  生まれる時、死ぬ時

  植える時、植えたものを抜く時

  殺す時、癒す時

  破壊する時、建てる時

  泣く時、笑う時

  嘆く時、踊る時

  石を放つ時、石を集める時

  抱擁の時、抱擁を遠ざける時

  求める時、失う時

  保つ時、放つ時

  裂く時、縫う時

  黙する時、語る時

  愛する時、憎む時

  戦いの時、平和の時。



  人が苦労してみたところで何になろう。



○光は闇の中で輝く|世代とジェンダーを越えて発展する


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自らのアイデンティティを消し去って
はじめて生きることが許される

最大のユダヤ人強制居住区であったワルシャワ・ゲットー
の道端で死んでいる子ども September 19, 1941


※ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 芝健介 中央公論 2008
 あとがき 263-264


ホロコーストの犠牲者は600万人を超えるが、そのなかには100万人を

越える子どもたちが含まれている。…胸を衝(つ)かれたのは、ホロコー

ストをかろうじて逃れ、生き残った子どもたちの証言である。



両親とともに戦争が終わるまで潜伏した15歳の少女、労働収容所での

死の「選別」を免れた14歳の少年、ゲットーでの飢餓や栄養失調による

衰弱死をかろうじて免れた13歳の少年、そして、ユダヤ教徒であること

を隠し、キリスト教徒の家に預けられ助かった11歳の少女…。

なかでも8歳でキリスト教徒に預けられたヤナ・レヴィの言葉は心に残る。



  自分の本名が何であったのか、もう覚えていませんでした…忘れること

  が必要だったのです。両親がいまの私の名前を知らなかったら、私を見

  つけ出せないことはわかっていました。他の人間になりきってしまったら、

  その下に潜んでいたはずの私のことは誰一人わからないのです。



自らのアイデンティティを消し去ってはじめて、生きることが許される。ナチ

体制下のユダヤ人は、子どもでさえ、筆舌に尽くせない過酷な状況にあった。



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学

○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」


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命令に従っただけ
無罪を主張したホロコーストの責任者

ユダヤ人問題解決の実行責任者であったナチス・ドイツの幹部
アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann、1906-1962年)


ユダヤ人問題解決(⇒ホロコースト)の責任者であったナチス・ドイツの幹部

アドルフ・アイヒマン。



終戦後はアルゼンチンに逃亡するもイスラエルに捕らえられ、エルサレムで

裁判にかけられます。アイヒマンは、自分は祖国の法に従っただけであると

無罪を主張しますが、絞首刑の判決を受け、1962年、刑が執行されます。


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人間の最後の自由
起こる出来事に対する人間がとりうる態度

強制収容所に入れられたユダヤ人精神科医
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905-1997年)


オーストリア・ウィーンの精神科医であったヴィクトール・エミール・フランクル。



著書である「夜と霧(強制収容所における心理学者の体験)」は、

ユダヤ人という理由でとらえられ、過酷な強制収容所生活を

余儀なくされた経験が綴られています。



過重労働、飢餓、拷問、人体実験、伝染病などがはびここる

「この世の果て」ような場所で自分を守り、生き抜いていくために、

人々は「無感動」「無感覚」「無関心」の状態になったそうです。



そのような中、人々の「生」と「死」を分けた一つは、

「未来に対して希望を持ちえているか否か」であったと言います。



そして、どんなに極限状態であったとしても、

人間の最後の自由である「起こる出来事に対する人間がとりうる態度」は、

奪いとることができないそう。



収容所では、死にゆく仲間のパンや靴を奪い取る者がいた一方、

みずからが餓死寸前の状態にありながらも、自分のパンを与え、

励ましの声をかけた人がいた中、

どちらの態度をとるかは、個人の精神的な態度によるそうです。


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ナチス以前からある
反ユダヤ主義の伝統

「ユダの接吻」(1305年頃) ジョット・ディ・ボンドーネ
スクロヴェーニ礼拝堂


※ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 芝健介 中央公論 2008
 序章 反ユダヤ主義の背景─宗教から「人種」へ|反ユダヤ主義の「伝統」 p4


キリスト教は、周知のようにユダヤ教に起源を持つ。ヘブライ語聖書を神聖な

書として受け入れ、「旧約聖書」と呼んだ。だが、キリスト教がユダヤ教と分離

すると、自らの普遍性を強調しつつ、イエス・キリストを救世主と認めなかった

ユダヤ人を侮蔑(ぶべつ)し、イエスの十字架の刑をユダヤ人のせいにした。



四世紀以降、ヨーロッパではキリスト教が公認され広まっていったが、さまざま

な異教がキリスト教の前に衰退していくなかで、ユダヤ教は唯一活気のある

宗教であった。そのため信者は断続的に虐待を受けることになる。



ユダヤ教は儀式のためにキリスト教徒の子どもの血を必要とする、十字架刑

を行いキリスト教を冒涜(ぼうとく)している、人肉食が行われている…。

こうした風聞(ふうぶん⇒うわさ)は無根拠ながら俗耳(ぞくじ⇒世間の耳)

に入りやすく、しはしば反ユダヤ人暴動や迫害の引き金になっていた。


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職業選択の幅が狭まり
金融業を担ったユダヤ人

ロスチャイルド家の礎(いしづえ)を築いたマイアー・アムシェル・ロートシルト
(独: Mayer Amschel Rothschild、1744-1812年)


※ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 芝健介 中央公論 2008
 序章 反ユダヤ主義の背景─宗教から「人種」へ|反ユダヤ主義の「伝統」 p4


11世紀以降、商人や職人のギルドが成長しユダヤ人が排除されると、

彼らが就ける職種は狭くなっていく。キリスト教徒が高利貸への就業

を厳しく制限するなか、ユダヤ人がこうした職を選ばさせる得なくなる。




※「全体主義の起源」 ハンナ・アーレント(ドイツ系ユダヤ人哲学者) 1951


五人の兄弟が分かれて5つの国の国籍を持ち、にもかかわらず緊密に協力し

ながら…金融業を営み、しかも彼らの団結は、これらの国々のあいだに存在

する確執や相反する利害によって一瞬たりとも乱されないという家族─

もしユダヤ人の世界支配という荒唐無稽な観念を実証したければ、この家族

の像に現れたもの以上に恰好の証拠がありえただろうか。


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何もかも
キリスト教徒とそっくり同じではないか

ヴェネツィア・ゲットー (Ghetto di Venezia)
Campo di Ghetto Nuovo


※「ヴェニスの商人」 シェイクスピア 安西徹雄(訳) 光文社古典新訳文庫 2007
 13 (三幕一場) p100-101 (ユダヤ人の金融業 シャイロックの台詞)


やつめ、わしにさんざ恥をかかせやがった。大枚の儲けを邪魔しやがって、

わしが損をしたといっては嘲(あざ)笑い、得をしたといっては嘲(あざけ)り、

われらユダヤの民を嘲弄(ちょうろう)し、わしの商売を妨げ、わしの友情には

水を差し、仇(かたき)の憎しみは煽(あお)り立て─何のためだ?

ただ、わたしがユダヤ人だからという、ただそれだけのため。



ユダヤ人には、目がないのか。ユダヤ人には、手がないのか。胃も腸も、

肝臓も腎臓もないというのか。四肢五体も、感覚も、感情も、激情もないと

いうのか。同じ物を食い、同じ刃物で傷つき、同じ病(やまい)で苦しみ、同じ

手当で治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでもいうのか。

何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。針で突けば、わしら

だって血が出るぞ。くすぐられれば、笑いもする。毒を盛られれば、死ぬ

ではないか。



それならば屈辱を加えられれば、どうして復讐しないでいられる。何で

あろうと、わしらがあんたたちと同じであるなら、復讐することだって違い

はない。もしユダヤ人がキリスト教徒に辱(はずかし)めを加えたらキリ

スト教徒は何をする? 右の頬を打たれたら、黙って左の頬を出したり

するか? いいや、復讐だ。



もし、キリスト教徒がユダヤ人に辱めを与えたら、ユダヤ人は何をする?

キリスト教徒の忍従の倣(なら)って、ただ黙って耐え忍ぶのか?

いいや、復讐だ。悪いか? だが、この悪いことを教えてくれたなぁ、ほか

ならぬ、あんたらじゃねえか。わしはただ、その教えを実行するだけ。

見ておるがいい。必ず、教えられた以上に、立派にやってのけてやるからな。



○Carnevale di Venezia|新たに甦る有翼の獅子


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現代世界に生きる人間の普遍的な悲劇
ナクバ

2014年夏、パレスチナのガザ地区は51日間にわたり
イスラエルによる攻撃に見舞われ2,000人以上の命が奪われたといいます


ナチス・ドイツによってヨーロッパのユダヤ人は大量虐殺に見舞われました。

「ホロコースト」の名で知られるその出来事は、現代世界に生きる人間の

普遍的な悲劇と見なされています。



しかし、皮肉にも、そのヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに自分たちの国家

を持つことによって、その地に住んでいた70万〜100万ものパレスチナ人が

祖国を失い、故郷を追われ難民となりました。



「パレスチナ問題」と呼ばれるこの問題の起源には、1948年、イスラエル建国

に伴いパレスチナ人を見舞った民族浄化の悲劇があり、この悲劇はアラビア

語で「ナクバ」と呼ばれています。



ホロコースト生還者を両親にもつユダヤ系アメリカ人のサラ・ロイはイスラエル

の占領についてこう述べます。


  パレスチナ人に対するイスラエルの占領は、ナチによるユダヤ人の

  <ジェノサイド>と道徳的に等価であるわけではありません。

  でも、等価である必要などないのです。

  たしかにこれは大量虐殺ではありません。

  でも、これは抑圧であり残虐なものです。

  占領とはひとつの民族が他の民族によって支配され、奪われるということです。

  財産が破壊され、魂が破壊されるということなのです。

  占領がその核心において目指すのは、

  パレスチナ人が自分たちの存在を決定する権利、

  自分自身の家で日常生活を送る権利を否定することで、

  彼らの人間性をも否定し去ることです。占領とは辱めです。絶望です。



※サラ・ロイ 「ホロコーストとともに生きる ホロコースト・サヴァイヴァーの
 子供の旅路」 「みすず」2005年3月号



○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」


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魂の破壊に抗して
アーミナの婚礼

パレスチナの女性


ヨルダン在住のパレスチナ人作家、イブラーヒーム・ナスラッラー(1954年〜)

の小説「アーミナの婚礼」は、イスラエルによる軍事攻撃で絶え間なく人間が

殺されてゆく死に満ちたガザ地区を舞台に、魂の破壊に抗して生きる人間の

姿を描いた作品。



ある朝、愛情深い女性である主人公のアーミナは、隣の家の娘ランダに、

自分の息子サーレフとランダの双子の姉ラミースとの縁談を持ち掛けます。



  あなたたちのお父さまがイスラエルの刑務所にいるのに結婚だなんて、

  というひとも中にはいるでしょう。でも、今だからこそ結婚しなくてはならないの。

  状況がよくなって、占領がなくなって、パレスチナが解放されて、

  この占領の前に占領された土地が解放されて戻ってくるのを

  待っていなくちゃならないとしたら、その方がずっと悲劇ではなくて?

  そんなことをしたら、私たちの誰ひとり結婚なんてできやしないし、

  子どもだって生めやしないじゃないの。





結婚は、いずれの文化でも慶事だと思われますが、ナクバの苦難を生き続ける

パレスチナ人にとっては、一族が増えることは最大の喜びのよう。



しかし、アミーナの夫、息子、ランダの姉ラミースは殺され、

愛する者たちの死によって精神に変調をきたしたアーミナもまた

爆撃によって肉片と化します。


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人生と闘う
一箱のマッチに似ている人生



※「侏儒(しゅじゅ)の言葉」 芥川龍之介 人生―石黒定一君に―


もし游泳(ゆうえい)を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も

無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないものに駈(か)けろと命

ずるものがあれば、やはり理不尽だと思わざるを得まい。

しかし我我(われわれ)は生まれた時から、こう云う莫迦(ばか)げた命令を

負わされているのも同じことである。



我我は母の胎内にいた時、人生に処する道を学んだであろうか?

しかも胎内を離れるが早いか、兎(と)に角(かく)大きい競技場に似た人生

の中に踏み入るのである。勿論(もちろん)游泳を学ばないものは満足に

泳げる理窟(りくつ)はない。同様にランニングを学ばないものは大抵人後

(じんご)に落ちそうである(⇒人にひけをとりそうである)。

すると我我も創痍(そうい⇒傷)を負わずに人生の競技場を出られる筈は

ない。



成程(なるほど)世人は云うかも知れない。「前人の跡を見るが好い。あそこ

に君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、

忽(たちま)ち游泳を覚えたり、ランニングに通じたりするものではない。

のみならずその游泳者は悉(ことごと)く水を飲んでおり、その又ランナアは

一人残らず競技場の土にまみれている。見給(みたま)え、世界の名選手さ

へ大抵は得意の微笑のかげに渋面を隠しているではないか?



人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生

と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦莫迦

(ばかばか)しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外(らちがい)に歩み去る

が好い。自殺も亦(また)確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止

まりたいと思うものは創痍(そうい⇒傷)を恐れずに闘わなければならぬ。



人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱

わなければ危険である。



人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に

角一部を成している。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


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完全に自己を告白することは
できない

芥川龍之介 1892年(明治25年)-1927年(昭和2年)


※「侏儒(しゅじゅ)の言葉」 芥川龍之介 告白


完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。

同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。



ルッソオ(⇒ルソー:フランスの哲学者)は告白を好んだ人である。

しかし赤裸々の彼自身は懺悔録(ざんげろく)の中にも発見出来ない。

メリメ(⇒フランスの作家)は告白を嫌った人である。しかし「コロンバ」

(復讐の執念が描かれるメリメの小説)は隠約(いんやく⇒言葉の奥)

の間に彼自身を語ってはいないであろうか?

所詮(しょせん)告白文学とその他の文学との境界線は見かけほど

はっきりはしていないのである。



○ルソー「人間不平等起源論」


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氷山の一角に過ぎない私たちの意識
深層心理

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961年)


ユング心理学(分析心理学)を創始したスイスの精神科医・心理学者

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961年)。



ユング心理学では、人間の心というものは「意識」と「無意識」という二つの世界

によって構成されると考えています。ユング心理学はもともと「深層心理学」と

表現されていました。「深層」つまり、人間の心の奥深くには「無意識」という

「深層」が潜んでおり、ユングによれば、人間の意識などというものは、この無

意識という深層に比較すれば、まるで、海面上に浮き出た氷山の一角にすぎ

ないといいます。



「無意識」はさらに「個人的無意識」と「集合的無意識(普遍的無意識)」に分けられ、

前者は個々の人間に固有の無意識を指し、後者はそれよりも深く、人類に共通

した無意識だと捉えられています。



一方で、意識には個人の意識と「集合的意識」があり、「集合的意識」とは、個人

に対して、絶えず外部から働きかけられる社会的伝統・習慣・風習・習わし・世間・

規範といったものの総体を指します。



社会的規範や世間の目の中で「個人」としてどのように生きてゆくのかという課題

は、伝統的に多くの日本人に負わされた心理的課題の一つだと考えられます。



※精神分析とユング心理学('11)
 大場登 先生 放送大学教授
 森ちさこ 先生 放送大学客員准教授・慶応義塾大学准教授
 9.ユング心理学:コンプレックスと元型
 10.ペルソナ(面・顔)とゼーレ・ソウル(心・たましい)



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識


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無意識に壁を作り
近くにありながら遠ざけている人間の姿

盧溝橋|中国・北京


※「風の歌を聴け」(1979) 村上春樹


  「ジェイ」は中国人だが、僕よりずっとうまい日本語を話す。



※「羊をめぐる冒険」(1982) 村角春樹


  ジェイの本名は長たらしくて発音しにくい中国名だった。ジェイというのは彼が

  戦後米軍基地で働いている時にアメリカ兵たちがつけた名前だった。そして

  そのうちに本名が忘れ去られてしまった。



※「1973年のピンボール」(1980) 村上春樹

  「よかったら一緒に飲まないか?」 鼠(ねずみ)はそう訊ねてみた。

  ジェイは少し困ったように微笑んだ。「ありがとう。でも一滴も飲めないんだよ。」

  「知らなかったな。」

  「生まれつき体がそうできているんだね。受けつけないのさ。」

  鼠は何度か肯(うなず)き、黙ってビールを飲んだ。

  そして自分がこの中国人のバーテンについて殆んど何も知らなかったことに

  驚いた。




村上春樹 先生の青春三部作と呼ばれる作品には「ジェイ」と呼ばれる中国人が

登場します。祖国を離れ日本で暮らすジェイは、本名も母国語も失ってしまった

ようにみえます。ある時ジェイを誘った鼠(ねずみ)は、身近に存在しているにも

関わらず、ジェイついて何も知らないことに気がつかされます。



そこには、日本と中国、そしてアメリカとの関係に翻弄されてきた個人の姿、

無意識に壁を作り、近くにありながら遠ざけている人間の姿が託されている

ように思えます。



※村上春樹に見る中国と日中戦争 2018.05
 講師 宮脇俊文 先生 成蹊大学経済学部教授
 成蹊大学2018年度 前期公開講座「中国」



○SO HAPPY 大連|北方の良港と呼ばれる港街

○中国最大の経済圏 上海


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人間の本質的な性質の一つ
無意識な自己防衛

ゾウアザラシの死闘


人間は、自分にとって不都合だと無意識に捉えると、相手が意図していない

場合であっても、自己防衛が働くようです。



○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪

○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


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明治150周年
日本の近代がどのような時代であったか学ぶ機会



明治に改元した1968年(慶応4年)から150年を経た2018年。鹿児島県主催

の「明治150年記念式典(2018/5/25)」に秋篠宮ご夫妻が臨席されました。

秋篠宮さまは、近代化の歩みや戦争の経験など「さまざまな明暗があった」

とした上で「明治150年を一つの契機として、日本の近代がどのような時代

であったのかを学ぶ機会にすることも大切でありましょう」と述べ、以下の

ように挨拶されました。



※第2連(第2段落)

 今から150年前、新政府は、身分制の廃止、公論の重視などの改革に着手

 しましたが、このような改革が実行可能であったのは、250年を超える平和

 な江戸時代に培われた、多様な学問と文化の力が、我が国の社会のすみ

 ずみまで豊かに蓄積されていたからだと言えましょう。爾来(じらい⇒それ

 以来)、国民の弛(たゆ)みない努力により、今日の繁栄が築き上げられました。



※天皇と天皇制を考える〜近代史の視点から〜 2018.06
 講師 加藤陽子 先生 東京大学大学院 人文社会系研究科 教授
 東京大学文学部公開講座 第9回



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」


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自分の事とする意識が芽生えた
近代

ペリー提督の久里浜(くりはま:神奈川県横須賀市)上陸の図 ハイネ


吉野作造(1878-1933・政治学者)にとって
「近代」とは政治を我が事とする

意識が人々に芽生えた時代
であり、丸山眞男(まるやま まさお、政治学者、

1914-1996)が荻生徂徠(おぎゅうそらい・江戸中期の儒学者)に「近代」的思惟

を見たのは、
道徳とは別に政治の世界には固有の論理があると喝破(かっぱ

⇒物事の本質を明言)したゆえんであり、尾藤正英(びとう まさひで、日本史

学者、1923-2013)が同じ徂徠(そらい)に「近代」の祖型(⇒元型)を見たのは、

祭政一致(さいせいいっち⇒神や祖先を敬い祀ることによって権力を保持する

思想)など
政治における非合理的要素への着目であった。



江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)は、政治と民衆の心を一致させる

には祭祀(さいし⇒神や祖先を祀る儀式)が必要だとする祭政一致を説きました。

徳川幕府が天皇を崇めた背景には、幕府の権威を高める狙いがあったとされ、

結果として上下関係が逆転するような状況が起きます。このような捉え方は、

政治の世界では重要な事であったといいます。



しかし、その後のマシュー・ペリー率いる黒船来航は幕府に衝撃を与えます。

武士身分の廃止という大きな社会的変革が、あまり大きな抵抗もなく、短期間

に急速に遂行されたのは、これまで公儀(こうぎ⇒中央政府)であった幕府の権

威が、開国の交渉過程において役に立たないとの認識が広がったからだといわ

れます。

国家の対外的な独立と国内の平和とを維持する責任を意識した武士にとって、

幕府は自分の利益を考える「私心」あるものとして排斥されるべきものに

変わってゆきました。



※天皇と天皇制を考える〜近代史の視点から〜 2018.06
 講師 加藤陽子 先生 東京大学大学院 人文社会系研究科 教授
 東京大学文学部公開講座 第9回



○潮風に導かれ開国ロマン溢れる浦賀へ

○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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儀式によって示す
権威

ヴェルサイユ宮殿 (Palais et parc de Versailles)


ブルボン王朝の宮殿、ヴェルサイユ。1661年にルイ14世が建設を開始し、

1682年に宮廷と政府が置かれます。



ヴェルサイユ宮殿での生活は、エチケットと呼ばれる礼儀作法で全てが

厳しく決められていました。フランス語であるエチケットの語源は「張り付

ける」という意味があり、元々は厳しく決められていた席順を守るため、

各席に張られた名札に由来するといいます。



エチケットは王・王妃も例外ではなく、トイレ・出産に至るまで公開し、

儀式化・公開化することによって権威を示す意図がありました。



日本にあてはめてみると、儀式化によって権威を示すそうとすることは今日

でも身近に見られますが、公開するというよりは、隠すことによって権威を

示そうとしてきたように思えます。



※文化遺産を通して知るフランス 2018.05
 講師 山崎ゆき子 先生 神奈川県立国際言語文化アカデミア教授
 放送大学神奈川学習センター



○権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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日本国家の形成に伴う国民形成の場
近代教育

一人の教師が複数の生徒に対して教える西洋式教育


日本人の識字力と学びの歴史を紐解いてみると、江戸時代までの伝統的

社会での教育は、生徒の身分別にゆくゆく就くことになる職業の能力形成

の場でした。教育スタイルは一人の教師が一人一人の生徒に対してレベル

毎に課題を与えていたといわれます。



一方で明治期に入ってからの教育は、個人のすべての可能性を求める一般

的な場となり、一人の教師は複数の生徒に対して、組織的かつ計画的(カリ

キュラム)に行う西洋式教育に代わってゆきます。



江戸時代までの身分別職業別の能力形成から、自己の未来像を自己決定

するための準備期間への変化は、表向きは一人の人間としての形成を意味

しましたが、裏向きには日本国家の形成に伴う国民の形成であり、徴兵制

とも関連づけられていました。



国家を中心とした枠組みの中で、近代にはあった共同体の役割は徐々に

衰退してゆき、高度経済成長期の社会的変動はそれを決定的とします。



学校教育では、試験と競争に勝つことのみが将来への保障になるとの

思い込みが広がる一方で、かつて共同体が持っていた役割は学校に

代替され、近年では「生きる力」の形成まで学校教育で担っています。



※識字と学びの歴史−日本の諸相− 2018.05
 講師 大戸安弘 先生 放送大学客員教授・筑波大学名誉教授
 近代社会における識字力形成への展開
 放送大学神奈川学習センター


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飼い慣らされた
どこかの島

「飼い慣らされた島(日本)−愛の島」 マップオフィス 2017
「Domesticated Island(Japan)−Island of Love」 MAP Office
ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」 横浜美術館


※1Q84 村上春樹 新潮社

  「集まり」の中で暮らす大人たちは、その外にある世界のあり方を嫌っている。

  自分たちの住んでいる世界は、シホンシュギの海の中に浮かんだ美しい孤島

  であり、トリデなのだ、と彼はことあるごとに言う。




※毎日新聞 村上春樹インタビュー 2008年5月12日より


  僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による「精神的な囲い込み」

  のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐え

  られない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込み

  があって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。



  物語というのは、そういう「精神的な囲い込み」に対抗するものでなくてはいけない。

  目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。

  深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです。



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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多様な思想との調和
綜芸種智院

空海が開設した学校 綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)跡


真言宗の開祖・空海(弘法大師)は、讃岐(香川県)に生まれ、幼少期の名前

は「佐伯眞魚(さえきのまお)」。京都で儒教を学び、奈良で南都仏教を学ん

だ後は唐へ渡り密教を修め、儒教・仏教・芸術・文学・土木技術・教育・語学

といった多面的な能力を持った人物だったといわれます。



帰国してからは、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん、828-845年)と呼ばれる

私立学校を創設します。平安時代の学校は律令国家が運営する「大学寮

(だいがくりょう)」のほか、藤原氏といった氏族が運営する私塾がありました

が、入学できるのは貴族のみだったとされます。大学寮での教育は儒学が

中心で、教育は押し込み型・スパルタ型だったようです。



それとは対照的に、空海が開設した綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は

庶民も入学することがでました。教科は多岐にわたり仏教のほか中国の

学問、インドの学問といったように多様な思想を学ぶことができました。



※識字と学びの歴史−日本の諸相− 2018.05
 講師 大戸安弘 先生 放送大学客員教授・筑波大学名誉教授
 古代社会における識字力形成と学び
 放送大学神奈川学習センター



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る

○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面


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お母さん、お父さん、僕は大きくなりました
もう一度、人間に戻って!

雁の群れ


川端康成 先生 以来の日本人2人目となるノーベル文学賞を受賞した

大江健三郎 先生。不幸な大戦のさなかにあった幼少期に読んだ

「ニルス・ホーゲルソンの不思議な旅」は心底魅惑された本の一つ

だったといいます。



※1994年12月7日、ストックホルム、ノーベル賞受賞記念講演
 (c)The Nobel Foundation 1994
 「あいまいな日本の私」 大江健三郎 岩波新書 1995 p1-2


  ニルスはなによりもスウェーデンを横切る旅によって、また友人である

  雁たちと協調し、かれらのために戦うことをつうじて、いたずら坊主の

  性格を改造し、無垢(むく)な、しかも自信にみちた謙虚さをかちえて

  ゆきます。



  ついに帰郷したニルスは、懐かしい家のなかの両親に呼びかけます。

  その言葉にこそ最上の喜びがあったということができるかも知れません。

  自分もまたニルスとともにその声を発しているという、

  浄(きよ)められ高められる感情をあじわいえたのですから。



  仏訳から引用すれば、それはこういう呼びかけでした。

  "Maman, Papa! Je suis grand, je suis de nouveau un homme!"

  つまり、かれは叫んだ

  −お母さん、お父さん、僕は大きくなりました。もう一度、人間に戻って!

  私がとくに魅きつけられたのは "je suis de nouveau un homme!"

  というフレーズによってでした。



  しかもその後、私自身が、様ざまなあり方での苦難との闘いを、

  家庭内の規模に始まり、日本の社会との関わりにおいて、

  また二十世紀後半のこの世界に生きること自体において、

  ひとつの連続性において経験しながら

  −それは当の経験を小説に書きつつ生き伸びることであったのですが−、

  私はしばしば嘆息(たんそく:嘆いたため息)するように、

  この叫びを繰りかえしてきたと思います。



  "je suis de nouveau un homme!" (もう一度、人間に戻って!)



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ

○雄大な空の旅をする渡り鳥|各国にて大切にされている国際親善大使


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お前はこの世のどこにいるのか?
自己の正義を超えた領域へ

オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者・社会学者
マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878-1965)


ユダヤ教の基本となる考え方であるハシディズム(Hasidism)は、

「敬虔(けいけん)なる者」に由来するとされ、18世紀ポーランド、

バール・シェム・トブ(Baal Shem Tov⇒実在した人物かは不明)

によって始まったとされます。



「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓(ひら)けていく「対話の哲学」

を展開したユダヤ系宗教哲学者・社会学者マルティン・ブーバーの著書

「Tales of the Hasidim(ハシディズムの物語)」には以下のような記述が

あります。



※「ハシディズムの物語」 マルティン・ブーバ 1947
 日本語訳は原文通りではなくホームページ管理者の意訳


  ペテルブルクの牢獄に囚われているユダヤの指導者シュノー・ザルマン。

  憲兵隊の隊長はザルマンを試そうと彼の牢獄を訪れキリスト教の聖書に

  ついて尋ねます。

  「全てを知っているはずの神がアダムに「汝はどこにいるのか?」

  と言ったのをお前は信じられるか?」



  ユダヤの指導者は答えます。「キリスト教の聖書は、あらゆる時代、

  あらゆる世代、あらゆる人にあてはまるのではないか。」



  「そう信じるよ。」と、隊長は言った。



  「それならば」と、ユダヤの指導者は言った。

  「あらゆる時代、神はあらゆる人に問いかけるだろう。

  お前は与えられた多くの時間を費やし、どこまで辿り着いたのか?

  神はこのように言うだろう。

  お前は46年の時を費やした。お前はどこまで進んでいるのか?」



  憲兵隊の隊長は、自分の年齢を言い当てたのを聞いてはっと気づかされ、

  ユダヤの指導者の肩に手を置いて「すばらしい!」と叫んだ。

  しかし彼の心は震えていた。




※「Tales of the Hasidim」 M Buber, 1947


Rabbi Shneur Zalman, the rav of Northern White Russia, was put in jail

in Petersburg, because the mitnagdim had denounced his principles and

his way of living to the government.



He was awaiting trial when the chief of the gendarmes entered his cell.

The majestic and quiet face of the rav, who was so deep in meditation

that he did not at first notice his visitor, suggested to the chief,

a thoughtful person, what manner of man he had before him.

He began to converse with his prisoner and brought up a number of

questions which had occurred to him in reading the Scriptures.



Finally he asked: “How are we to understand that God,

the all-knowing, said to Adam: ‘Where art thou?’ ” “Do you believe,”

answered the rav, “that the Scriptures are eternal and that every era,

every generation and every man is included in them?”

“I believe this,” said the other.



“Well then,” said the zaddik, “in every era, God calls to every man:

‘Where are you in your world?

So many years and days of those allotted to you have passed,

and how far have you gotten in your world?’

God says something like this: ‘You have lived forty-six years.

How far along are you?’ ”



When the chief of the gendarmes heard his age mentioned, he pulled

himself together, laid his hand on the rav’s shoulder, and cried, “Bravo!”

But his heart trembled.



○善と悪を兼ね備える人間|善の基礎となる個人性の実現

○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ


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参  考  情  報


○名著36 「アンネの日記」:100分 de 名著

○Anne Frank Museum Amsterdam - the official Anne Frank House website

○Anne Frank Guide - Unique online source bank for students

○Het Achterhuis (Anne Frank) - Bibliowiki

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○NYPL Digital Collections

○Wikipedia

○THE DIARY OF A YOUNG GIRL ANNE FRANK BANTAM

○The Diary of a Young Girl ANNE FRANK Level4 PENGUIN READERS

○アンネの日記 増補新訂版 アンネ・フランク 深町眞理子(訳) 文藝春秋 2003

○「アンネの日記」を英語で読む 2018.05
 ・講師 飯田深雪 先生 神奈川県立国際言語文化アカデミア准教授
 ・テーマ
  歴史的背景と導入
  ゲシュタポの迫害
  隠れ家の生活の始まり
  隠れ家の生活−一人になりたい
  お父さんとお母さん
  ペーター
  暗い影のさす闇夜のような日々
  まとめ
 ・放送大学神奈川学習センター

○ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 芝健介 中央公論 2008

○夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録 V.E.フランクル. 霜山徳爾(訳)
  みすず書房 1985

○ヴェニスの商人 シェイクスピア 安西徹雄(訳) 光文社古典新訳文庫 2007

○人間の条件 ハンナ・アレント. 志水速雄(訳) ちくま学芸文庫 1994

○映画「戦場のピアニスト」 2002年

○旧約聖書の現代的意義――出エジプト伝承を中心に 2018.06
 講師 月本昭男 先生 上智大学特任教授
 会場 東京大学YMCA寮礼拝堂
 東京大学YMCA春季公開講演会

○Walking with Writers('16)-A Literary Journey around England-
 主任講師
  井口篤 先生 (慶應義塾大学准教授)
  ステュウット・ヴァーナム-アットキン 先生 (ナレーター・役者・作家)

○成蹊大学2018年度前期公開講座「中国」 2018.05-07
 ・村上春樹に見る中国と日中戦争
  講師 宮脇俊文 先生 成蹊大学経済学部教授
 ・中国における環境・エネルギー問題の現状と対策技術
  講師 酒井祐司 先生 工学院大学 先進工学部環境科学科准教授
 ・中国からみたモンゴルとモンゴルからみた中国
  講師 フフバートル 先生
  昭和女子大学 人間社会学部現代教養学科教授
 ・「盧溝橋」への道
  講師 光田剛 先生 成蹊大学法学部教授
 ・会場 成蹊大学6号館401教室

○文化遺産を通して知るフランス 2018.05
 講師 山崎ゆき子 先生 神奈川県立国際言語文化アカデミア教授
 放送大学神奈川学習センター

○日米の歴史から見る異文化との出会いと受容 2017.02
 ・日本人は西欧文明とどう向き合ってきたか-国際化と開発協力の過程から
  池田龍彦 先生 放送大学神奈川学習センター所長
 ・多文化国家アメリカの断面
  -ユダヤ系移民はいかにアメリカ社会に溶け込んだか
  三國隆志 先生 国際言語文化アカデミア所長
 ・会場 神奈川県立国際言語文化アカデミア

○識字と学びの歴史−日本の諸相− 2018.05
 講師 大戸安弘 先生 放送大学客員教授・筑波大学名誉教授
 放送大学神奈川学習センター

○天皇と天皇制を考える〜近代史の視点から〜 2018.06
 講師 加藤陽子 先生 人文社会系研究科教授(日本史学)
 会場 東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
 第9回東京大学文学部公開講座

○戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗 加藤陽子 朝日新聞社 2016

○天皇の歴史1〜8 講談社学術文庫

○不幸しか招かない、日本人の体質
 上下関係で成り立つような忠誠心は危険だ
 日本人の「ハチ公体質」は、不幸しか招かない
 レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員
 東洋経済オンライン 2018年06月03日

○真面目な組織人ほど「うそ」や「不正」に走りやすい理由
 ITmedia ビジネスオンライン 2018年04月10日

○ボーッと生きている「ぼんやり日本人」の末路
 ・「空気を読む」は形を変えて「忖度」に
 ・急速にサラリーマン化している日本社会
 文春オンライン 2018年6月19日

○仮面の告白 三島由紀夫 新潮文庫 2003

○人生の目的 五木寛之 幻冬舎文庫 2000

○あいまいな日本の私 大江健三郎 岩波新書 1995


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