降り積もる雪の果て

トンネルの先にある雪国


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国境の長いトンネルを抜けると
雪国であった

新潟県湯沢町


※「雪国」 川端康成 岩波文庫 緑81-3 冒頭


国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

夜の底が白くなった。

信号所に汽車が止まった。



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ

○人間の大地・人間の季節|冬の北海道


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新潟県の玄関口
湯沢

JR越後湯沢駅西口|温泉通りから見た景色


湯沢町は、新潟県の最南端、関東と新潟市のほぼ中間点に位置し、標高

365メートルの山あいの温泉地である。町の総面積中、94%は山林である。

町の大半は上信越高原国立公園に含まれ、谷川連峰や霊峰苗場山など

2,000メートル級の山々に囲まれている。そしてこれらを源とする多くの

渓流や清流、比較的冷涼な日本海型気候とあわせ、四季折々の彩り

豊かな自然景観と自然環境に恵まれている。また、日本でも有数の豪雪

地帯ならではの条件を生かしたスキー場や温泉、レクリエーション施設等、

多くの観光資源を有している。



※地域未来投資促進法に基づく新潟県湯沢町基本計画
  経済産業省 (2019年3月25日時点)より



○雪国の春|環境と生物の相互作用がもたらす風景


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越後湯沢駅を発車し、「白の世界」と同化する115系電車

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バブル期に絶頂を迎えた
スキーリゾート

神立高原スキー場|白根山ペアリフト降り口からの眺め
正面は岩原スキー場


1960 年代の高度成長期に入ると、人々の生活水準は向上し、各地の行楽地や

観光地への旅行客が増加しました。スキーも冬季のレジャーとして注目が集まり、

スキーの大衆化が始まったといわれます。



湯沢エリアでは1961年に苗場スキー場が開業し、その後、1982年には神立高原

スキー場、1990年にGARA湯沢スキー場、1992年にはNASPAスキーガーデン

などのスキー場が開業しました。



しかしスキー・スノーボード人口は、1990年代の1,800万人をピークに、その後

は減り続け、半分以下まで減少しています。



一方で、最近では国内外からスポーツツーリズムの魅力が認識されるとともに、

日本の雪質やスノーリゾートへのアクセスの良さ等が評価され、スノースポーツ

を目的としたインバウンド観光客の数も増加基調にあるといいます。



※スノーリゾート地域の活性化に向けて|国土交通省 観光庁 2019
※ポストバブル期のスキー場経営の成功要因 柴田 高 東京経済大学教授 2014


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新幹線が直結する
ガーラ湯沢

ガーラ湯沢スキー場から見た湯沢の町並み


上越新幹線の越後湯沢駅に隣接する保線基地の裏山に開業したガーラ湯沢

スキー場。保線基地は冬季のみの臨時駅「ガーラ湯沢駅」として改装し、

東京から直通列車が運行されています。



駅舎そのものがガーラ湯沢スキー場のスキーセンターとなっており、ここから

ゲレンデへはゴンドラリフトで移動します。「カワバンガ」と名付けられたスキー

センターにはレンタルショップや更衣室、コインロッカー、温泉入浴施設、売店、

飲食店、宅配便の受け渡し所などが整備され、スキーヤーは新幹線を下車

してから雪道を全く歩くことなく、着替えてゲレンデに立つことができます。



※ポストバブル期のスキー場経営の成功要因 柴田 高 東京経済大学教授 2014


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つわものどもが夢の跡
この世ははかなく移ろいやすい

苗場スキー場


※「マイナス180万円で購入します」越後湯沢リゾートマンションが「腐動産」に
 文春オンライン 牧野知弘 2019年3月26日 (部分)


80年代後半から90年代前半の空前のスキーブームの影響で越後湯沢の街

には50棟以上、戸数にして約1万5000戸ものリゾートマンションが建設、分譲

された。当時は空前のカネ余り時代。ねこも杓子もスキーに興じるのがあたり

まえだった。なかなか空室がでないホテルを予約するのは面倒だ。スキー場

近くのリゾートマンションを買えば、ゲレンデは我が物になる。誰しもがその

ように考え、その需要をアテにした多くの不動産業者が群がり、越後湯沢の

駅前から苗場スキー場にかけてリゾートマンションが林立した。



バブル崩壊から30年がたとうとする現在、当時販売された多くのマンションの

中古価格が10万円の値付けになっている。部屋の大きさとはほとんど関係なく

「ひとこえ10万円」だ。分譲当時の価格からは100分の1どころかそれ以下。

バナナのたたき売りのような状況になっているのだ。



○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと

○山形の不易流行|「変わらないもの」と「変わりゆくもの」


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山頂に苗田があることから名づけられた
苗場山

苗場山 山頂の湿原


※「現代語訳 北越雪譜」 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版 1996
  北越雪譜二編巻の四 苗場山 p312-313


苗場山は越後第一の高山である(現在では妙高山など他に高い山があることが

知られている)。登りが二里あるという。頂上に自然にできた苗田がある。それで、

昔から山の名になっている。険しい山の山頂に苗田があることも非常に珍しい。

私はその奇跡を訪ねようと毎年考えていたが、文化七(1811)年七月、ふと思い

立って友人四人と、僕(しもべ)に食べ物などを持たせ、五日未明に出立した。



…登りかかっていくと、桟道のような道にきた。岩に取り付いて竹の根につか

まり、掛け声をかけて足を進め、緊張して汗を流す。こうして苦労を重ね馬の

背というところにきた。左右は千丈もあるかと思われる谷である。道幅二、三

尺で、一歩間違えれば身を粉にするであろう。それぞれが恐る恐る歩いて

遂に頂上に到着したのであった。



同行者十二人で草に座り休んだが、すでに七つさがり(午後4時を過ぎた頃)

である。はじめに案内のいうには、二里の登りは険しい道だから、一日で行

き来はできない。登る人は山頂の小屋に必ず一泊することになっていると

いった。今その小屋を見ると、木の枝、山篠、枯れ草などを集めて、藤蔓で

束ね這って入るように作ってあり、野非人(のひにん⇒諸方を放浪した無宿

の非人)の住むところのようである。この場所を今夜の泊まりと決めたのは、

悲しいことだ、とみんなで笑った。



○アルプスの風が立つ|厳しくも美しい山岳景勝地 甲信・上野の国


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雪が家を埋め、出かけることもできず
食糧さえ手に入らなくなるような暮らし

掘除積雪之図(積った雪を掘り除く様子)
北越雪譜(ほくえつせっぷ)


江戸後期、越後国魚沼郡塩沢(現・新潟県南魚沼市)で生まれた鈴木牧之

(すずき ぼくし、1770-1842年)。1年の半分を雪が占める豪雪地帯での生活

や習慣を記した「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」は、ベストセラーになったと

いいます。



※「北越雪譜叙(ほくえつせっぷじょ)」 京山人百樹(きょうざんじんひゃくじゅ)
  漢文 & 現代語訳 (部分)


《漢文》

…積畳(せきじょう) 埋(うずめ)
屋(おくを) 行旅(こうりょう) 不 通(つうせず)

人以(ひともって)窮乏(きゅうぼうし) 柴米(さいまい)或(あるいは) 不(ざ)ルニ
一 レ

給セ、則(すなわち) (冫+亶)然寒顫(りんぜんかんせん)シ肌膚(きふ)為(こ)

之粟生(ぞくしょう)セリ矣、


《現代語訳》

…畳み込むような雪が家を埋め、旅もままならず、追いつめられて、薪や食糧

さえ手に入らなくなるような暮らしを考えると、肌に粟(あわ)が生じる(⇒鳥肌

が立つ)思いである。




《漢文》

余因(よよ)テ以謂(おもえらく)、(糸+丸)袴軽薄(がんこけいはく)子弟、

当(あたり)テ
微雪(びせつ)俄(にわか)ニ下(くだ)リ 紛々(ふんぷん)舞(まう)

空之際ニ
、彫鞍宝勒(ちょうあんほうろく)飛シ 玉塵(ぎょくじん)ヲ於郊

(土+炯)(こうけい)ニ
或(あるいは)ハ氈帽(せんぼう)棕鞋(そうあい)蹈(ふ)ミ

瓊瑤(けいよう)ヲ於街衢(がいく)ニ 或(あるいは)画舸載(がかき)セ

妓ヲ 或(あるいは)高楼(こうろう)呼(よ)ビ
酒(さけ)ヲ直(ただち)ニ以為

(もってな)シ
勝遊(しょうゆう)楽事(らくじ)ト 、曾(かつて) 不

飢寒(きかん)為ルヲ
何物


《現代語訳》

私は思うのだが、絹の袴(はかま)を履いて身を飾るようなうわついた若者たちが、

少しばかりの雪がちらついたと言って馬を町外れに走らせて雪見をしたり、ある

いは、豪華な料亭で雪見酒などと称して雪を楽しみとしている。こうした者たちは、

寒さによる飢えがどういうものか知らない。




《漢文》

若(も)シ 令(れ)バ
三 レ 其人(そのひと)ヲ読マ  此書(このしょ)ヲ 

依(より)テ以(もって)想(おもわ)ン
其(その)種々凍餒(しゅじゅとうたい)

之(の)苦状(くじょう)ヲ
乎、然(しかれば)則安(いずく)ンカ知ン  不ル

コト
有下能省 悟(せいご)シテ非(あらざ)ルコトヲ 宴安之(えんあん

の)公共ニ
、而戚々焉(せきせきえん)生(しょう)ズル 戒懼(かいく)

之(の)心(こころ)ヲ
者哉、…


《現代語訳》

もし、この書物を読ませたならば、多少なりとも雪国の苦しさを考えるだろう。

そうすれば、享楽だけがこの世にあるのではないことに気がつき、ようやく

戒(いまし)めや惧(おそ)れの気持ちが生じるのではあるまいか。…





※「北越雪譜」 鈴木牧之(編撰), 京山人百樹(刪定). 岡田武松(監修)
  岩波文庫 黄 226-1 1936 北越雪譜序 p11

※「現代語訳 北越雪譜」 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版
  1996 北越雪譜序 p3-5

※京山人百樹(きょうさんじんひゃくじゅ)
 江戸後期の小説家(戯作者)、山東京山(さんとう きょうざん)。1769-1858年。
 本名は岩瀬百樹。「北越雪譜」の刊行にあたり添削を行った。兄は山東京伝
 (さんとう きょうでん)。



○人間の大地・人間の季節|冬の北海道


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初雪の後の洪水
水揚がり

信濃川に注ぐ魚野川(うおのがわ)


※「現代語訳 北越雪譜」 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版 1996
  北越雪譜初編巻の上 雪中の洪水 p26-27


大小の河川に近い村々では、初雪の後で洪水の災害を受けることがある。

洪水を里の言葉で「水揚がり」という。

私はある年、隣の宿場の関というところに住んでいる親戚の油屋に泊まって

いた。十月の初めで雪が八、九尺(⇒1尺は30.3cm。約2m40cm〜2m70cm)

も積もったときであったが、夜中になって近所の人たちが大声で叫んだり立

ち騒いでいる声に目覚め、何事かと心が騒いで寝ていた部屋から大急ぎで

出てみた。すると、家の主人が両手に物を下げて「水揚がりですよ、早く裏

の堀揚げへ立ち退いてください」と大急ぎでいって、持っているものを二階

へ運んでいった。お勝手の方へ行ってみると、家の男も女も気違いのよう

になって走りまわり、家財を水に流されないように、手当たり次第に取り

片付けている。水は低い方へと流れて、潮のように押し寄せてくる。早くも

畳は水浸しになり、庭は一面の水である。もう何回か雪が降ったため、

どこを見ても雪が積もっていて、その雪の明かりで水の流れが見えるが、

その怖ろしいことといったらいうべき言葉がない。



○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に

○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み


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雪国生活の苦労の一つ
吹雪きの葬式

 新潟県十日町市小白倉地区


※「現代語訳 北越雪譜」 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版 1996
  北越雪譜二編巻の二 雪中の葬式 p218


越後の吹雪は、猛烈な風が急に吹きはじめ、高山や平原の雪を吹き散らし、

風が四方をめぐり、刺すような雪が百方に矢を飛ばして吹きすさぶ。まして、

往来する人は身内に雪を吹き入れられ、またたく間に半身雪に埋もれ、凍

死する。このことは前にも述べた。この吹雪は晴天でもいきなりやってきて、

二日も三日も雪荒れになり、吹雪くことがある。人の往来もこのために止ま

ることは毎年である。この吹雪で荒れているときに死亡する者もいるが、雪

荒れが止むのを待つことも程度しだいであるから、仕方なく雪の中で出棺

することもある。喪主はどのようにしても我慢するであろうが、参列の人たち

の困りようは見るのも気の毒である。これも、雪国の苦しみの一つである。



私が江戸で逗留していたころ、宿の近くの人が死亡して、葬式の日は大嵐

になった。宿の主人も葬式に行くのに厳重に雨具を着込んでいたが、「今日

の仏はどんな因果か、こんな嵐の日に遇って人に難儀をかけるほどだから、

とても極楽には行けまい」などとつぶやきながら出て行ったが、越後の吹雪

に比べればどんなに楽かと思ったものである。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○多様な視点から始まる自己への洞察


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厳しい雪国の風土が育んだ織物
ちぢみ

八海山 新潟県南魚沼市


※「北越雪譜」 鈴木牧之(編撰), 京山人百樹(刪定). 岡田武松(監修)
  岩波文庫 黄 226-1 1936 縮の種類 p72、 縷綸(いとによる) p74


…縮(ちぢみ)は右村里(新潟県魚沼郡の村々)の婦女らが雪中に籠り

居る手業也(てわざなり)。およそは来年売るべきちぢみをことしの十月

より糸をうみはじめて次の年二月なかばに晒(さら)しをはる。白縮(しろ

ちぢみ)はうち見たる所はおりやすきやうなれば、ただ人は文(あや:模

様)あるものほどにはおもわざれども、手練(しゅれん⇒熟練した技)は

よく見ゆるもの也。村々の婦女たちがちぢみに丹精を尽くす事なかなか

小冊(しょうさつ)には尽くしがたし。(中略)



…雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す。雪ありて縮あり、

されば越後縮は雪と人の気力相半(あいなか)ばして名産の名あり。

魚沼郡の雪は縮の親といふべし。


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【4K】越後上布の雪さらし(南魚沼市塩沢地区)

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豪雪がもたらす豊富な雪解け水
魚沼産コシヒカリ

日本有数の米どころ 南魚沼市


ブランド米として知られる魚沼産コシヒカリは、豪雪がもたらす豊富な

雪解け水と寒暖の差が激しい山間地の気候から生まれるといいます。



2017年、日本全国のお米の生産量は782.4万トン。都道府県別では、

新潟が61.17万トンで1位(7.8%)、次いで北海道の58.18万トン(7.4%)、

秋田県の49.88万トン(6.4%)の順だそうです。



お米は日本人にとって主食であり、食文化の基礎となっていますが、

1人当たりの年間消費量は、昭和37年度をピークに一貫して減少

傾向にあるといいます。具体的には、昭和37年度には118sの米を

消費していたのが、平成28年度には、その半分程度の54sにまで

減少しています。



※平成29年 産水陸稲(すいりくとう)の収穫量|農林水産省
※米をめぐる関係資料 農林水産省 平成30年7月



○食・農・里の新時代を迎えて


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シベリアから潟に飛来する
渡り鳥

水鳥の生息地として重要な湿地となっている佐潟公園
新潟市西区赤塚


※「北越雪譜」 鈴木牧之(編撰), 京山人百樹(刪定). 岡田武松(監修)
  岩波文庫 黄 226-1 1936 天の網(あみ) p112


およそ人悪をなして天罰に漏れざる事、魚の網にもれざるごとくなるゆゑ、

これをたとへて天の網といふめり。新潟より三里上りて赤塚村(現新潟市

西区)といふあり、山のところどころに凹(くぼみ)をなしたるあり、こゝに杭

(くい)をたてゝ細糸の網をはれて鳥をとる、これを里言(里の言葉)に赤塚

の天の網といふ。此村に潟(かた⇒砂丘などによって外海から隔てられた

湖)あるゆゑ、水鳥潟を慕ひてきたり、山の凹を飛びきたり、かならず天の

網にかゝる。大抵は(あぢ)という(⇒大抵はあじと呼んでいる)鴨に似たる

鳥也、美味なるゆゑ赤塚の冬至(とうじ)鳥(とり)とて遠く称美(しょうび)す。

(あぢがも)といふべきを省けるならん(⇒あじがもと呼ぶべきところを省略

して読んでいるのだろう)、あぢがもとは古哥(こか⇒古歌)にもあまたあり。



○雄大な空の旅をする渡り鳥

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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カワセミのやつ
羨ましそうに見ているぞ



※「川釣り」 井伏鱒二 岩波文庫 1990 渓流 p7


今日はさっぱり釣れない。

おとりの鮎も

一ぴき曳(ひ)きころし

一ぴきは逃がした。


でも釣りたい。

糸のさきに

石ころをむすびつけ

こうして釣る真似をする。


ごつごつ ごろごろ

まさに手応えがある。

カワセミのやつ

羨(うら)ましそうに見ているぞ。


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自分をじれったい立場におく
川釣り



※「川釣り」 井伏鱒二 岩波文庫 1990 釣魚記(ちょうぎょき) p9


東京には、釣天狗の人が三十万人もいるということだが、釣りの好きな人は

案外せっかちで好色だということである。しかし、そういう濡れぎぬを着せられ

ても私は釣りがきらいだとはいいきれない。但し、私が釣りを始めたのは昨年

からである。べつにせっかちな性分になったとも何とも思わないが、釣りに出

かけ河原で糸をつないだり魚を釣り落としたりしたときには相当じれったい気

持ちになる。せっかちな性分に充ち足りるような刺戟(しげき)を与えるには、

自分をじれったい立場に置くのが手近かな方法である。せっかちな人間は

自分のせっかちな気持ちを刺戟して、その刺戟感をたのしんでいるかもわか

らない。


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金づちで岩を叩いてつかまえる
冬の魚とり

魚野川と信濃川の合流地点
新潟県長岡市東川口


※「川釣り」 井伏鱒二 岩波文庫 1990 鮠(はや)釣り p80-81

私は三年あまりにわたる疎開生活をきりあげて東京に帰ってきたが、田舎では

存分に魚つりをしてきたはずなのにまだ物足りない気持ちである。田舎では毎朝、

谷川の音で目をさまし、先ず廊下から伸びあがるようにして川の水の調子を見る。

そのとき、もし水の色がすこしでも薄にごれしているようなら、そうしてはいけない

と思いながら弁当を持って鮠(はや)釣りに行く。しかし、これは春から秋にかけて

の話である。



冬は谷川の水がかれ、鮠は石垣の穴に身をひそめている。それで私は釣竿の

代わりに大きな玄翁(げんのう⇒金づち)を持って川におりて行き、鮠の身の

ひそめている岩を渾身の力をこめ玄翁でたたくのである。カーンというたくましい

音がして、きなくさいにおいがする。同時に、岩の下から鮠がバネ仕掛けの作用

によったように出現し、水のなかに停止する。玄翁で岩を打つ音は、鮠にとって

は晴天のへきれきである。煩(わずら)わしいなどと思う間もないだろう。すなわち

鮠は、きょとんとしているのである。そこを私は落着きはらって網ですくいとる。


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野生動物の増減に
大きな影響を及ぼす人間

 ツキノワグマ


世界中で野生動物が減り、その多くは絶滅の危機に瀕していると言われています。

日本でもカワウソやオオカミは絶滅してしまいました。トキのように絶滅寸前まで数

が減り、人が懸命に増やそうとしている動物もいます。一方で、シカやサルやイノシ

シのように、最近、畑や住宅地に出るようになって困っているという話も耳にします。

日本の野生動物は、減っているのでしょうか?それとも増えているのでしょうか?



1949(昭和24)年と現在を比較した場合、シカは増加傾向にあり、サルも増加、キツ

ネは資料がない(研究者がいない)ため、不明となっています。一方、コウノトリは

1970年代に野生では絶滅しましたが、人工繁殖を経て100羽ほどに増加。ハヤブ

サは絶滅の危険が高いといわれます。



ニホンオオカミは、19世紀までは東北地方から九州まで各地に分布していましたが、

1905年に奈良県で捕獲された若いオスを最後に、現在まで確実な生息情報がなく、

絶滅したと考えられています。ニホンカワウソは1979年に高知県で目撃されたのが

最後で、絶滅した可能性が高いとされます。



このように増えた動物もいれば、減った動物もいますが、その大きな原因は私たち

人間にあり、私たちと自然の関わり方の変化が、野生動物に対しても大きな影響を

与えているといいます。



日本の人口は江戸時代に入り急激に増加します。生活のために田畑を開墾し、

建材や燃料、肥料は山から調達しました。野生動物による農業被害は食糧生産

上の重要な課題となっていたので、駆除としての狩猟が行われました。特にシカ

については、肉の食用にとどまらず、皮、角、骨がさまざまな生活用具の材料と

して活用されました。



カワウソは川の中流域から下流に生息していましたが、人間活動の拡大ととも

に生活圏が奪われてゆきます。また、赤ちゃんを運んでくるという逸話がある

コウノトリですが、かつては作物へ被害をもたらす害鳥とみなされていました。



林業は明治時代に本格化し、都市化や薪・炭利用の需要増加によって森林は

伐採され、さらに第二次大戦下には戦中の必要物資を確保するため、また戦後

は戦災からの復興の資材を得るために、大規模な森林伐採が行われました。

これにより、荒廃した国土を緑化するために荒廃地を中心にスギ・ヒノキ・カラマ

ツ等の針葉樹の植林が進められました。



食糧不足であった戦中・戦後は、多くの野生動物が捕獲され、食用になったと

いわれます。



高度成長期以降、木材は海外からの輸入が増加し、日本の林業は急速に

縮小しました。また、農作物も海外からの輸入が増え、日本の農地は年々

減少傾向にあるといいます。



※日本の野生動物は減っている?増えている? 2019.04
 講師 杉浦秀樹 先生 京都大学野生動物研究センター准教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第105回京都大学丸の内セミナー

※人口から読む日本の歴史 鬼頭宏 講談社学術文庫 2000

※林における鳥獣被害対策のためのガイド
 −森林管理技術者のためのシカ対策の手引き(平成24年3月版)
 林野庁 森林保護対策室

※農地面積等の推移|耕地及び作付面積統計 農林水産省 平成27(2015)年


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はげ山が多くみられた日本
戦後に形成された森林



江戸時代、幕府は各藩に対して国絵図(⇒地図)と郷帳(ごうちょう:年貢の

基準となった村高(むらだか)を記載する帳簿)に山の状態を記載するよう

指示したといいます。



それらの歴史資料によると、当時の日本列島には広大な草地が広がって

いました。その理由として、肥料や家畜の飼料(秣:まぐさ)として草木を

大量に得るために広大な草地が必要だったことが挙げられています。



戦国の時代が終わり太平の世を迎えた江戸時代は人口が急増したため、

食料増産の必要があり、新田開発には多くの肥料が必要とされました。



明治から大正時代にかけては、金肥(きんぴ⇒自給自足の肥料に対して、

商品として販売された肥料。干鰯(ほしか)や油粕(あぶらかす)など)や

化学肥料が導入されるようになり、草地は土砂災害防止の観点から

森林への転換が図られてゆきます。



その一方で、森林は建築・燃料・鉄道の枕木などのために伐採され、

過剰に利用されます。



天皇皇后両陛下がご臨席され、国土緑化運動の中心的行事である

全国植樹祭が最初に行われたのは、昭和25年(山梨県)のことでした。



※歴史資料から知る過去の林野利用 2017.10
 講師 岡本透 先生 森林研究・整備機構 関西支所 チーム長
 会場 ヤクルトホール
 国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所
 平成29年度公開講演会「木を使って守る生物多様性」


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ヒトに不都合が生じない限りにおいて成り立つ
ヒトと動物の共生

トキ|国立科学博物館


「野生絶滅(飼育下では生息)」に分類されているトキは、かつて日本中の里山

に生息していたといわれます。ヒトが里山を開いていくのに伴い、ヒトとトキの

住環境は重なるようになり、トキは害鳥とみなされるようになってゆきます。



明治時代になるとトキは羽毛をとるために乱獲され、昭和以降は、森林の伐

採による繁殖地の減少、農薬の多用による餌動物の減少、山間部の水田の

消失などが要因となり、昭和25(1950)年には野生のトキは35羽に減少。

1981年に野生のトキは5羽となり、2003年に最後のトキが亡くなりました。




北海道に飛来する渡り鳥タンチョウは、かつて多く見られたそうですが、明治期

の乱獲・開発によって激減したといわれます。1952(昭和27)年に国の特別天然

記念物に指定。給餌を行ってきた結果、現在では1000羽以上となり、農作物被

害の拡大が心配されるようになっています。




古くから神の使い「神鹿(しんろく)」として保護されてきたという奈良のシカ。

戦後の食糧難の際には捕獲され激減してしまったそうです。1957(昭和32)

年には文化財保護法に基づき天然記念物に指定され、それ以来、手厚く

保護されてきました。

しかし、近年になって奈良のシカによる農作物被害が深刻化していること

から、2017年、奈良県は文化庁から許可を得て、捕獲・処分を行いました。


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私を離さないで
実験動物 チンパンジーのトム

Collection: Chimp Portraits. Time: 2002. Date of birth: 196-.
Frank Noelker (an American Fine Art Photographer)


Tom was born in Africa. Taken from his family, he spent his first 30 years in

the laboratory. Tom arrived at LEMSIP on August 13, 1982 from the Buckshire

Corporation at about 15 years old. In his subsequent 15 years at LEMSIP,

"Ch-411" was knocked down over 369 times.



Tom was inoculated with HIV in 1984 and for the rest of his time at the lab he

was used mostly for vaccine research. Completely uncooperative in the lab,

he was even knocked down for cage changes.



After enduring some 56 punch liver biopsies, 1 open liver wedge biopsy, 3 lymph

node and 3 bone marrow biopsies, Tom gave up. Plagued constantly by intestinal

parasites, he often had diarrhea and no appetite. When he had some strength,

he banged constantly on his cage.




《ホームページ管理者による意訳》


アフリカで生まれたチンパンジーのトムは、家族から離され、最初の30年は実験室

で過ごしました。15歳くらいだったトムがBuckshire Corporation(実験動物を扱う

会社?)からLEMSIP(大学にある実験室?)に到着したのは1982年8月13日でした。

その後、LEMSIPの15年間で"Ch-411"(トムの識別番号のよう)は、369回以上も

knocked downされました(麻酔をかけられ意識を失った?)。



トムは1984年にHIV(エイズの原因となるウイルス)を接種され、研究室での残り

の時間は主にワクチン研究のために利用されました。トムは研究に協力的では

なかったため、檻(おり)からの出入りでさえ麻酔をかけられました。



56回のpunch liver biopsies(肝臓組織の一部を採取して顕微鏡で調べる検査)、

1回のopen liver wedge biopsy(肝臓を開いて行う検査?)、3回のリンパ節検査

および3回の骨髄検査に耐えた後、トムは力尽きました。 いつも腸内寄生虫に

悩まされ、しばしば下痢をし、食欲はありませんでした。 まだ体力があった頃、

トムは絶えず檻を叩いていました。



※liver(リバー) … 肝臓
※biopsy(バイオプシー) … 生体組織の一部を採取して顕微鏡で調べる検査


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心の安らぎや生き甲斐を
ペットに求める

チワワ|日本で最も多く飼われている犬
平成30年全国犬猫飼育実態調査(ペットフード協会)


近年、家庭で飼育されている犬・猫の増加は著しく、犬は892万頭、猫は953万

頭にのぼり(2017年10月現在、ペットフード協会調査)、単純計算で6.9人に1人、

2.9世帯に1世帯が犬や猫を飼っていることになるそうです。



その背景には、私たちの生活の中で犬や猫を飼う余裕ができたこと、核家族

化や少子化が進み、個人の愛情を向ける対象としてペットの存在が大きくな

っていることが挙げられています。



ペットの愛らしい姿や家に帰ってくると尻尾を振って迎えてくれるといった仕草は、

人に心の安らぎと癒しを与えてくれます。また、ペットを子どもに見立て、自らを

パパ・ママと名乗ったり、他の飼い主のことを○○ちゃん(ペットの名前)のパパ・

ママと呼ぶことも普通に見られるようになりました。



犬や猫といったペットは、コンパニオン・アニマルとして家族同様に扱われるよう

になり、食事や睡眠を一緒に過ごす人々も多くみられるようになっています。



※人と動物の共通感染症を知る 2018.12
 講師 丸山総一 先生 日本大学生物資源科学部教授
 放送大学神奈川学習センター


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愛玩動物を好む日本人
そこに潜む人間のエゴ

動物愛護センター


人類は、地球生態系の一員として他の生物と共存しており、また、生物を食糧、

医療、科学等に幅広く利用しています。近年では野生生物の種の絶滅は年間

3万〜4万種にもおよび、過去にない速度で進行しているといわれます。



日本人は生き物をペットとして飼いたい想いが強いといわれます。

犬や猫に限らず、クワガタといった昆虫類、ヘビやカエル、イグアナといった

爬虫類、アロワナといった魚類など幅広く飼われています。



東京都と神奈川県の境を流れる多摩川では、年間200種以上の外来種が

確認され、ニシキヘビも見つかっています。その結果、日本固有種が絶滅

の危機に晒されているそうです。



今日、日本で飼われているクワガタ類の多くは外国産のものが少なくなく、

東南アジアといった産地では、外貨獲得のためクワガタの乱獲が進み、

クワガタを採るために木々を削ってまで採取が行われているといいます。

農林業より収益性が高いクワガタ採取は、農林業を放棄させ、森の衰退

につながっています。



そのような状況の背景には、人間のエゴが潜んでいるようです。



地球の生命、その中には、ヒトも含まれれば、犬やクワガタもおり、イネや

コムギ、大腸菌、さまざまなバクテリアまで、多様な姿の生物が含まれて

います。これらの生きものはどれを取ってみても、自分一人、ただ一種

だけで生きていくことはできません。多くの生命は他のたくさんの生物と

直接かかわり、初めて生きていくことができるのです。



※森が育む日本の生物多様性と私たちの生活 2017.10
 講師 五箇公一 先生 国立環境研究所 生物・生態系環境研究センター室長
 会場 ヤクルトホール
 国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所
 平成29年度公開講演会「木を使って守る生物多様性」

※WWFジャパン 生物多様性って?|生物多様性〜地球上に息づく生命の世界


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相手を慰めるだけでなく
自らの後ろめたさも慰める

動物慰霊碑
「Animals in War Memorial」 Hyde Park, London


※「京都ぎらい」 井上章一 朝日新書 2015
  五 平安京の副都心 天龍寺と法隆寺 p193-194


たたかいの勝者が、勝利に安住しきれないことは、今でもよくある。

敗者が自分にいだくであろううらみを、心やすらかにうけとめられる人

は、あまりいない。勝った側も、どこかで、申し訳なく、またうしろめ

たく感じるものである。とりわけ、だましうちや、うらぎりで勝利をおさ

めた勝者は、その不安をふくらませやすい。



現代人ならば、そういうさいにおこる胸さわぎを、心理的な反応として

うけとめよう。勝利をやましく感じてしまう自分に、もっと強くなれと、

言い聞かせるのかもしれない。あるいは、カウンセラーにすがったり

するのだろうか。



だが、以前は脳裏にうかぶそういった心配事を、怨霊のせいにした。

自分の心にわだかまりがあるせいで、不吉なことを想いえがいて

しまうとは、考えない。うらみをすてられない敗者の霊こそが、勝者

をさいなむのだと思い込む時代もあった。当人じしんの心理ではなく、

他人の霊が、自分を不安にさせているのだ、と。(中略)



怨霊の力がきわだつとみなされたおりには、その神格化がはかられた

りもした。政治闘争の敗者は、しばしば勝者たちの手で、神へとまつり

あげられていったのである。



もう、俺たちにはいろいろなわざわいを、およぼしてくれるな。これからは、

お前のことを神としてうやまいつづけるから、おとなしくしていてほしい。

そんな想いをこめて、勝者およびその末裔は、敗者を神にしたてていった。

現実世界を牛耳るものが、仮象世界での栄光だけは、仇敵(きゅうてき)に

ゆずったのである。


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人為的淘汰
地球に生息する多様な生物

ニホンカモシカ


地球上に生息する種のうちで、正式な学名がついているものの数は、およそ

175万だといわれる(環境省:2008)。昆虫が約95万種で最も多く、次いで多い

のが維管束植物(種子植物とシダ植物の総称)、哺乳類は約6000種が記載

されている。これらに加えて、まだ見つかっていない種が相当な数あると考え

られている。記載済みの種を含めた地球上の生物の総種数には諸説あるが、

おおよそ500万から3000万種とされる。




なぜそのように多様な生物が地球上に存在するのだろうか。この問いに対す

る答えの一つは、地球上にはいろいろな環境条件の場所がある、という事実

である。今日の地球上で見られる生物については、過去の自然選択(自然淘

汰)の過程を経て、それぞれが生息する場所の環境条件に適したものが、よ

り多くの子孫を残すことで進化して生き続てきたと考えられる。



※初歩からの生物学('18)
 二河成男 先生 放送大学教授
 加藤和弘 先生 放送大学教授
 3 多様な生物の世界 1.地球に生息する多様な生物 p40
 4 地球環境の多様性と生物 1.生物の多様性がもたらすもの p60


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普遍的な真理
生存闘争

シベリアジュリン


※「種の起源(上)」 ダーウィン 渡辺正隆(訳) 光文社古典新訳文庫 2009
 第3章 生存闘争. 広義の生存闘争 p121


一見すると、自然は歓(よろこ)びで輝き、この世には食物があふれている

ように見える。しかしそう見えるのは、のんきに囀(さえず)っている小鳥の

ほとんどは虫や種子を食べて生きており、常に殺生をしているという事実

に目を向けていないか忘れているからである。あるいは、その小鳥たち、

卵、雛たちもまた、猛禽や肉食獣の餌食になっているという事実を忘れて

いるからなのだ。たとえ今は食物が豊富でも、年がら年中そうであるとは

限らないことも忘れられがちである。


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個体数の増加は生存闘争を生み
やがて減少する



※「種の起源(上)」 ダーウィン 渡辺正隆(訳) 光文社古典新訳文庫 2009
 第3章 生存闘争, 指数関数的な増加 p122-124、競争はあまねく存在する p129


生存闘争が生じるのは、あらゆる生物の増加率がきわめて高いことによる

必然的な結果である。すべての生物は、寿命をまっとうする間にそれぞれ

卵なり種子なりを生産するわけだが、際限なく増え続けるわけにはいかな

い。一生のある時期、ある季節、ある年などに個体数を減らすということが

なければ、指数関数的な増加を続けることで、たちまちどんな土地でも養

えないほどの数に増大してしまうからである。このように生存可能な数以

上の個体が生産されるため、同種の個体間、多種との個体間、生息する

物理環境とのあいだで必ず生存闘争が生じることになるのだ。



…すへての生物は、もし個体数の増加がどこかで抑えられないとしたら、

一組の親の子孫が地球上を覆い尽くすほどの高率で増加する傾向が

あり、この規則に例外はない。繁殖の遅い人間でさえ、この四半世紀で

人口が倍増した。この割合でいけば、地球はこの先数千年にして人間

で立錐(りっすい)の余地もないほどになりかねない。




…この世に存在するすべての生物は、個体数をせいいっぱい増加させる

ための闘争をしているという言い方ができるということ。個々の生物は、

一生のうちのある時期に闘争することで生き抜いているということ。若い

個体や老いた個体には、世代ごとあるいは一定の間隔こどに大幅な個

体数の減少が降りかかってきるということを、決して忘れてはならないのだ。


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研究が進んでいる
生殖と性行動の同期をもたらす脳内のしくみ



多くの動物にとって、生殖と性行動のタイミングをうまく合わせることは、受精を

成功させるために極めて重要です。長日繁殖動物では、春に日長が長くなり、

気温も上昇し始めると、雌の卵巣、雄の精巣のそれぞれで配偶子形成が進む

と同時に生殖巣の成熟が進み、卵巣からはエストロジェン(E)、精巣からはアン

ドロジェンと呼ばれる性ステロイドホルモンの分泌が盛んになります。これに

同調して、繁殖期固有の性行動が見られるようになります。このようにして、

季節により変動する環境要因が、動物の生殖と性行動を巧みに同調される

ことにより動物の生殖は成功に導かれ、種が保存されていくことになります。



このような生殖と性行動の同期をもたらす脳内のメカニズムとして、視床下部

にあるGnRHと呼ばれるペプチド(複数のアミノ酸からなる分子)をつくるニュー

ロン(脳を構成する神経細胞)が重要な鍵を握っていると考えられ、研究が進

んでいます。



※生殖と性行動の同期をもたらす中枢メカニズム 2019.04
 岡義隆 先生 東京大学大学院理学系研究科教授
 第19回 生命科学シンポジウム
 広がろう生命科学の輪 つながろう分野を超えて
 会場 伊藤国際学術研究センター・伊藤謝恩ホール
 主催 東京大学生命科学ネットワーク


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進化の隣人
チンパンジーに近い人間



進化論を説いたチャールズ・ダーウィンの著書「種の起源」(1859年)。

原題は「On the Origin of Species by Means of Natural Selection,

or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life」と記され、

直訳すると「自然選択(Natural Selection⇒自然淘汰)による種の起源

(Origin of Species)、すなわち(or)、生存競争(Struggle for Life)において

有利(Favoured Races)である保存(Preservation)について」。



自然選択を経て今日存在している種は、遡れば共通の祖先から進化し、

猿人類は約3千年前のプロコンスル(Proconsul)が祖先だと考えられています。



遺伝子からみるとヒトはゴリラよりチンパンジーに近いそうで、進化の隣人

であるチンパンジーの生態を知ることは、私たちの行動や社会の特徴と

いった人間性に気がつく手掛かりになるといいます。



ヒト科チンパンジーに属するボノボはアフリカ大陸のコンゴ共和国(旧ザイール)

にのみ生息しています。かつてピグミーチンパンジーと呼ばれていましたが、

ピグミー(Pygmy)には、背か低いといった意味や能力が劣ったという意味がある

ことからボノボに変更されています。



チンパンジーとボノボの生態を比較すると、チンパンジーはオス1頭に対して

メスは2〜3頭(一夫多妻)、ボノボはオス1頭に対してメスは1頭(一夫一妻)。

オスとメスの力関係では、チンパンジーでは圧倒的にオスが強いのに対し、

ボノボではメスが強いといわれます。



チンパンジー・ボノボともに食べ物を分け合う食物分配行動がみられますが、

チンパンジーは集団間での殺し合いや集団内での子殺しがあるのに対して、

ボノボでは見られないそうです。



ボノボのオス同士では「マウンティング」やお尻をこすり合う「尻つけ」といった

行動が見られます。「マウンティング」は一般的に相手の腰の上に手をかけ乗り、

自分の優位性を示す行動だとされますが、ボノボの場合は上下を入れ替えて

繰りかえし行われることから、対等性を認め合うものとして行われていると

考えられています。



メス同士では「性器擦り」(現地の言葉ではホカホカ)といった行動や、

オスとメスの繁殖期以外での交尾は、生殖と性が分離し、社会関係

を調整する機能があるといわれます。



※森林と草原のモザイク地帯にすむボノボ 2017.12
 講師 伊谷原一 先生 京都大学野生動物研究センター 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第89回 京都大学丸の内セミナー



○あふれる力でともに未来へ|植民地化されてきたアフリカ


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「サル化」する人間社会
個人の利益と効率を優先するサル的序列社会

地獄谷野猿公苑|長野県山ノ内町


※「サル化」する人間社会 山極寿一 集英社インターナショナル 2014
 第七章 「サル化」する人間社会


サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、

「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。

サルは群れの中で序列を作り、全員でルールに従うことで、個体の

利益を最大化しています。自分より強いサルの前では決して食べ物

に手を出さないのは、食べ物をめぐるトラブルを未然に防ぐためです。

あらかじめ勝ち負けを決めておき、勝ったほうが食べ物を独占するのです。

(※サルは所属する集団に愛着を持たない p157-158)




家族も共同体もなくなってしまったら、人間は帰属意識を失います。人間

は、互いに協力する必要性も、共感する必要性すら見出せなくなっていく

でしょう。



個人の利益さえ獲得すればいいなら、何かを誰かと分かち合う必要もあり

ません。他人を思いやる必要もありません。遠くで誰かが苦しんでいる

事実よりも、手近な享楽を選ぶでしょう。どこかの国の紛争なんて、他人事。

自分に関係ないから共感なんてする必要もない。これはまさにサルの社会

にほかなりません。



サルの社会に近づくということは、人間が自分の利益のために集団を作る

ということです。そうなれば、個人の生活は今よりも効率的で自由になります。

しかし、他人と気持ちを通じ合わせることはできなくなってしまいます。



もしも本当に人間社会がサル社会のようになってしまったら、どうなるの

でしょうか。サル社会は序列で成り立つピラミッド型の社会です。人を負かし

自分は勝とうとする社会とも言い換えられます。そんな社会では、人間の

平等意識は崩壊するでしょう。

(※個人の利益と効率を優先するサル的序列社会 p164)



○野生のニホンザルを展示する高崎山自然動物園

○温泉につかるニホンザル|函館市熱帯植物園


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人間は
どこかの猿よりもっと猿だ

赤城山麓|群馬県昭和村


※「ツァラトゥストラ」 フリードリヒ ニーチェ. 丘沢静也(訳) 光文社古典新訳文庫 2010


君たちは、虫から人間への道を歩いてきた。おまけに、君たちのなかにある

多くのことは、まだ虫のままだ。昔、君たちは猿だった。いまでもまだ人間

は、どこかの猿より、もっと猿だ。



○あるがままの生の肯定|フリードリヒ・ニーチェ


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自分を解き明かすことができるのは
他人ではなく自分だけ

ニホンアマガエル


※「デーミアン」 ヘッセ. 酒寄進一(訳) 光文社古典新訳文庫 2017
 はしがき p11-12


どんな人間の一生も、つまりは己へと向かう道だ。試行錯誤の道、かろうじて

見える小道。だけど自分自身になれた者なんていまだかつていたためしがな

い。それなのに百人が百人とも、自分自身になろうと努力する。ある者はたど

たどしく、またある者は颯爽(さっそう)と、それぞれのやり方で。ぼくらはみな、

生まれたときの滓(かす)を、太古から伝わる粘膜や卵殻を、身に帯びて最後

まで生き続ける。人間にならずじまいで終わる者も少なくない。蛙(かえる)ど

まり、蜥蜴(とかげ)どまり、蟻(あり)どまり。上半身が人間で、下半身は魚と

いう者もいる。そうした者たちも、人間をうみだすべく造物主がつくったもので

あることに変わりわない。


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ヒトは他の動物に優越しているという
思い込み

人類の祖先、320万年前の猿人女性「ルーシー(Lucy)」
骨格からの復元模型 国立科学博物館


ヒトは「動物」の一種であって、そこには、「ヒト」は他の「動物」に優越している

という思い込みがあるといいます。ヒトは確かに奇妙な動物なのだそう。他の

すべての霊長類には被毛があるのに、ヒトに残されているのは頭部のほか、

匂いを蓄えて発散させるための腋下部(えきかぶ:わきのした)と陰部、および

男性のヒゲだけといいます。



他のすべての霊長類は、日常、四足歩行をしますが、ヒトだけは直立二足歩行

をし、やたら声を出してコミュニケーションし、近代では家やビルと呼ばれる巨大

な巣を作り、コンピュータなどの複雑な道具を作って宇宙にまで足を運びます。



ついには、ボタン1つで都市はおろか一国までを破壊する兵器を作り、地球規模

の破壊活動をするのもヒトの特徴だそうです。



しかし文明が発生し、産業革命が起こり、教育が充実した近代以降のヒトと

他の動物を比較するのはアンフェアであり、生物学的視点を失うことになるそう。



ヒトを考えるに当たっては、文明発生前のヒトを思い浮かべるべきで、

その視点にたったとき、「ヒトはただの風変りなサルの一種」のようです。



※比較行動学('11) ─ヒト観の再構築─
 主任講師 藤田和生 先生 放送大学客員教授・京都大学大学院教授
 15 討論─ヒトとは何か p233-234


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日本人の良心のよりどころは
なにか

「Anatomy Lesson of Dr. Willem van der Meer」 1617
Michiel van Mierevelt (1566-1641)


※新装版「海と毒薬」 遠藤周作 講談社文庫 2011 (1971) 作品紹介


生きたままの人間を解剖する ─ 戦争末期、九州大学附属病院で実際に起こった

米軍捕虜に対する残虐行為に参加したのは、医学部助手の小心な青年だった。

彼に人間としての良心はなかったのか? 神をもたない日本人にとっての<罪の

意識><倫理>とはなにかを根源的に問いかる不朽の長編。




※九州大学百年史 第5巻 : 部局史編 U 九州大学百年史編集委員会
  第11編 医学系学府・医学部・医学研究院
  第2章 九州帝国大学医学部時代(1919年4月〜1947年9月)
  第3節 終戦、民主化・刷新運動(1945 年8月〜1947年9月)
  生体解剖事件 (部分)


大学の刷新が進行していた1946(昭和21)年7月、荒川文六元総長、石山福二郎

医学部教授ら5名が捕虜虐殺の容疑で逮捕された。これは、戦争末期の1945年

5月から6月にかけて、医学部の解剖学教室で、久留米・大刀洗飛行場爆撃の帰途、

日本軍の戦闘機の攻撃で墜落して捕虜となった米軍 B29搭乗員8名に対し、西部

軍の監視のもとに手術と称して軍事医学上の実験を行い、全員を死亡させた事件

である。この事件は、執刀した第一外科の石山教授が、戦犯容疑者として捕らえ

られた直後に、「一切は軍の命令、責任は余にあり」との遺書を残して福岡刑務所

で縊死(いし⇒首つり)を遂げており、細部にわたっては窺うことができない。



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学


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人間は良心の自由などという重荷に
耐えられる存在ではない

教会の懺悔室 (Confessional)


※「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー
 プロとコントラ(肯定と否定), 大審問官 (イワンの叙事詩)


  人間は良心の自由などという重荷に耐えられる存在ではない。

  彼らはたえず自分の自由とひきかえにパンを与えてくれる相手を探し求め、

  その前にひれ伏すことを望んでいるのだ。だからこそ、われわれは彼らを

  自由の重荷から解放し、パンを与えてやった。今や人々は自己の自由を

  放棄することによって自由になり、奇蹟(きせき)と神秘と権威という三つの

  力の上に地上の大国を築いたのだ。




※「作者の日記」 ドストエフスキー


  やがて人々は、土の中から信じられぬくらいの収穫をひきだし、化学に

  よって有機体を造りだし、わがロシアの社会主義者たちが夢みているように、

  牛肉が一人一キロずつ行きわたるようになるかもしれぬ。

  一口に言って、さあ飲め、食え、楽しめというわけだ。

  「さあ」すべての博愛主義者たちは絶叫するに違いない。



  今こそ人間は生活を保障された。今こそはじめて人間は本領を発揮する

  ことだろう! もはや物質的窮乏(きゅうぼう)はないし、すべての悪徳の原

  因だった、人間を蝕(むしば)む《環境》ももはやない、今こそ人間は美しい

  正しいものになるだろう!…



  …だが、はたしてそうした歓喜が、人間の一世代もつかどうか疑わしい!

  人々は突然、自分たちにはもはや生命はない、精神の自由はない、意志も

  個性もない。だれかが何もかも一遍に盗んでしまったのだ、ということに気

  づくことだろう…



○善と悪を兼ね備える人間|善の基礎となる個人性の実現


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告白する習慣のない
恥の文化

越後一宮 彌彦神社


※「菊と刀」 ベネディクト, 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008
 第10章 徳目と徳目の板ばさみ p353


異なるさまざまな文化を対象とする人類学の研究においては、二種類の

文化を区別することが重要である。一方は、恥を強力な支えとしている

文化(⇒日本)。他方は、罪を強力な支えとしている文化(⇒アメリカなど)

である。



…わたしたちは、告白が安らぎをもたらすということを心得ている。ところが、

恥が主たる拘束力となっている場においては、おのれの過ちを打ち明けて

も心は休まらない。たとえ、告白の相手が懺悔聴聞司祭であったとしても。

逆に、不行跡(ふぎょうせき⇒悪い行い)が「世間の知るところ」とならない

限り、心を悩ます必要はない。告白などしようものなら、また一つ余計に

厄介なことが増えるだけのような気持ちに駆られる。というわけで、たとえ

相手が神であろうと、恥の文化には告白する習慣はない。あるのは、贖罪

の儀式よりも、幸運を願う儀式である。



良いおこないを引き出そうとするとき、純然たる恥の文化は外部の強制力

を頼る。内面化された罪の意識を頼ることはない。その点で、純然たる罪

の文化とは異なっている。



恥は周囲の人々の批判に対する反応であり、人前で嘲笑されたり拒絶

されたりするか、そうでなれば、嘲笑されたと思い込むことが恥の原因と

なる。



○清らかな世界、それは私たちの住む穢れた世界

○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて


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森が動く
幻想が生み出す破滅的な道

銀山平・石抱橋から見た越後駒ヶ岳 2003m


※「マクベス」 シェイクスピア 安西徹雄(訳) 光文社古典新訳文庫 2008
 第五幕五場 マクベスの台詞


…あの悪霊め、二枚舌を使いおって。真実めかして偽りをほざきおったな。

「恐れることはない、バーナムの森がダンシネインに押し寄せてくるまでは」

だと? だが今、現にバーナムの森がダンシネインに押し寄せているでは

ないか。武器を取れ、武器を! 出撃だ!



もしこいつの言うことが真実となれば、ここから逃げようと踏みとどまろうと、

同じことだ。無駄なことだ。ああ、陽の光などもう見たくもない。この世の

整然たる秩序もなにも、崩れ去ってしまうがいい。警鐘を打ち鳴らせ!

風よ吹け! 破滅よ来い! 死ぬときは、せめて鎧を着たまま死んでやる。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む|世界の本質

○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける


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もののけ姫 予告篇

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強がらず、自分の弱さを認める
知を生み出す知

新潟県の草花|雪割草(ゆきわりそう)


※平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 平成31年4月12日
  認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長 上野千鶴子 先生 (部分)


…これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差

値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別

が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。

東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。



…あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、

冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会が

あなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思える

ことそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘

れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるの

は、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を

持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中

には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんば

りすぎて心と体をこわしたひと.たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえ

なんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。



あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、

そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを

認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性

運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が

強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで

尊重されることを求める思想です。



あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測

不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に

多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、

異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。

東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポート

する仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも

生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、

どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を

身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることで

はなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、

わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識

を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。



○社会の転換期|視点が変わると見え方も変わる

○日本人の精神性を探る旅


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私はここにいますという囁き
三味線が奏でる勧進帳

下湯沢共同浴場 「駒子の湯」 湯沢町


※「雪国」 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p74


「この秋、譜(ふ⇒楽譜)で稽古したのね。」勧進帳であった。忽(たちま)ち

島村は頬から鳥肌立ちそうに涼しくなって、腹まで澄み渡って来た。たわ

いもなく空(から)にされた頭のなかいっぱいに、三味線の音が鳴り渡った。

全く彼は驚いてしまったと言うよりも叩きのめされてしまったのである。

敬虔(けいけん)の念に打たれた、悔恨(かいこん)の思いに洗われた。

自分はただもう無力であって、駒子の力に思いのまま押し流されるのを

快いと身を捨てて浮かぶよりしかたがなかった。



○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力


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自分の小さい影が映し出される
あざやかな天の河の大きさ



※「雪国」 川端康成 岩波文庫 緑81-3 p173


ああ、天の河と、島村も振り仰いだとたんに、天の河のなかへ体がふうと

浮き上がってゆくようだった。天の河の明るさが島村を掬(すく)い上げそう

に近かった。旅の芭蕉が荒海の上に見たのは、このようにあざやかな天

の河の大きさであったか。裸の天の河は夜の大地を素肌で巻こうとして、

直ぐにそこに降りて来ている。恐ろしい艶(なま)めかしさだ。

島村は自分の小さい影が地上から逆に天の川へ写っていそうに感じた。

天の河にいっぱいの星が一つ一つ見えるばかりでなく、ところとごろ光雲

の銀砂子(ぎんすなご)も一粒一粒見えるほど澄み渡り、しかも天の河の

底なしの深さが視線を吸い込んで行った。



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面


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お母さん、お父さん、僕は大きくなりました
もう一度、人間に戻って!



川端康成 先生 以来の日本人2人目となるノーベル文学賞を受賞した大江

健三郎 先生。不幸な大戦のさなかにあった幼少期に読んだ「ニルス・ホー

ゲルソンの不思議な旅」は心底魅惑された本の一つだったといいます。



※1994年12月7日、ストックホルム、ノーベル賞受賞記念講演
 (c)The Nobel Foundation 1994
 「あいまいな日本の私」 大江健三郎 岩波新書 1995 p1-2


ニルスはなによりもスウェーデンを横切る旅によって、また友人である雁

たちと協調し、かれらのために戦うことをつうじて、いたずら坊主の性格

を改造し、無垢(むく)な、しかも自信にみちた謙虚さをかちえてゆきます。



ついに帰郷したニルスは、懐かしい家のなかの両親に呼びかけます。

その言葉にこそ最上の喜びがあったということができるかも知れません。

自分もまたニルスとともにその声を発しているという、浄(きよ)められ高

められる感情をあじわいえたのですから。



仏訳から引用すれば、それはこういう呼びかけでした。

"Maman, Papa! Je suis grand, je suis de nouveau un homme!"

つまり、かれは叫んだ

−お母さん、お父さん、僕は大きくなりました。もう一度、人間に戻って!

私がとくに魅きつけられたのは "je suis de nouveau un homme!"

というフレーズによってでした。



しかもその後、私自身が、様ざまなあり方での苦難との闘いを、

家庭内の規模に始まり、日本の社会との関わりにおいて、

また二十世紀後半のこの世界に生きること自体において、

ひとつの連続性において経験しながら

−それは当の経験を小説に書きつつ生き伸びることであったのですが−、

私はしばしば嘆息(たんそく:嘆いたため息)するように、

この叫びを繰りかえしてきたと思います。



"je suis de nouveau un homme!" (もう一度、人間に戻って!)



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国

○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」


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参  考  情  報


○新潟県ホームページ

○湯沢町公式ホームページ

○湯沢町歴史民俗資料館 雪国館

○新潟・越後湯沢温泉 外湯めぐり|湯沢町の立ち寄り湯・共同浴場

○鈴木牧之記念館

○北越雪譜 - 青空文庫

○国営越後丘陵公園|新潟県長岡市の国営公園

○地獄谷野猿公苑|ようこそ、ニホンザルの世界へ

○越後一宮 彌彦神社

○Frank Noelker

○Wikipedia

○雪国 川端康成 岩波文庫 緑81-3 1952 (2003改訂)

○北越雪譜 鈴木牧之(編撰), 京山人百樹(刪定). 岡田武松(監修)
 岩波文庫 黄 226-1 1936

○現代語訳 北越雪譜 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版 1996

○川釣り 井伏鱒二 岩波文庫 1990

○「マイナス180万円で購入します」越後湯沢リゾートマンションが「腐動産」に
 文春オンライン 牧野知弘 2019年3月26日

○1戸1万円!? 越後湯沢発、リゾートマンション価格暴落という大問題
 文春オンライン 松浦新 2018年6月2日

○日本の野生動物は減っている?増えている? 2019.04
 講師 杉浦秀樹 先生 京都大学野生動物研究センター准教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第105回京都大学丸の内セミナー

○森林と草原のモザイク地帯にすむボノボ 2017.12
 講師 伊谷原一 先生 京都大学野生動物研究センター 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第89回京都大学丸の内セミナー

○人口から読む日本の歴史 鬼頭宏 講談社学術文庫 2000

○「サル化」する人間社会 山極寿一 集英社インターナショナル 2014

○人と動物の共通感染症を知る 2018.12
 講師 丸山総一 先生 日本大学生物資源科学部教授
 放送大学神奈川学習センター

○第7回 自然環境保全基礎調査
 生物多様性調査 種の多様性調査 (新潟県)報告書
 平成19(2007)年3月 環境省自然環境局 生物多様性センター

○森林における鳥獣被害対策のためのガイド
 −森林管理技術者のためのシカ対策の手引き(平成24年3月版)
 林野庁 森林保護対策室

○国立研究開発法人 森林研究・整備機構
 森林総合研究所 平成29年度公開講演会
 木を使って守る生物多様性 2017.10
 ・司会 田中浩 先生 理事
 ・開会挨拶 沢田治雄 先生 理事長
 ・招待講演
  森が育む日本の生物多様性と私たちの生活
  五箇公一 先生 国立環境研究所 生物・生態系環境研究センター室長
 ・基材を使うことと、生物多様性を守ることの両立をめざす森林管理
  尾崎研一 先生 研究ディレクター
 ・歴史資料から知る過去の林野利用
  岡本透 先生 関西支所 チーム長
 ・ポスター発表
 ・生物多様性の鍵となる渓畔林の役割と管理
  吉村真由美 先生 研究評価科 研究評価室長
 ・生物多様性に配慮した人工林施業を考える
  佐藤保 先生 森林植生研究領域 領域長
 ・生物多様性の保全に向けて−今後の展望−
  岡部貴美子 先生 生物多様性研究拠点 拠点長
 ・閉会挨拶 桂川裕樹 先生 理事
 ・会場 ヤクルトホール
 ・後援 土木学会・日本建築学会・日本森林学会・日本生態系学会・日本木材学会

○日本の草地面積の変遷 - 京都精華大学 小椋純一 先生
 「京都精華大学紀要」第30号 2006年刊行

○菊と刀 ベネディクト, 角田安正(訳) 光文社古典新訳文庫 2008

○種の起源(上・下) ダーウィン 渡辺政隆(訳) 光文社古典新訳文庫 2009

○初歩からの生物学('18)
 二河成男 先生 放送大学教授
 加藤和弘 先生 放送大学教授

○第19回 東京大学 生命科学シンポジウム 2019.04
 広がろう生命科学の話 つながろう分野を超えて
 会場 伊藤国際学術研究センター・伊藤謝恩ホール
 主催 東京大学生命科学ネットワーク

※比較行動学('11) ─ヒト観の再構築─
 主任講師 藤田和生 先生 (放送大学客員教授・京都大学大学院教授)

○21世紀批評理論における4つのターン 2019.03
 大橋洋一教授退職記念特別講義
 東京大学文学部法文2号館2階1番大教室(本郷キャンパス)
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 現代文芸論研究室

○マクベス シェイクスピア 安西徹雄(訳) 光文社古典新訳文庫 2008

○蜘蛛巣城 東宝 1957(昭和32)年 黒澤明監督 三船敏郎主演

○もののけ姫 スタジオジブリ制作 宮崎駿監督 1997(平成9)年

○失われた世界 アーサー・コナン・ドイル. 伏見威蕃(訳) 光文社古典新訳文庫
 2016

○海と毒薬 遠藤周作 講談社文庫 2011 (1971)

○ツァラトゥストラ〈上・下〉 フリードリヒ ニーチェ. 丘沢静也(訳)
 光文社古典新訳文庫 2010

○デーミアン ヘッセ. 酒寄進一(訳) 光文社古典新訳文庫 2017

○JRはなぜ変われたか 山之内秀一郎 毎日新聞社 2008

○ひとりが、いちばん! 橋田壽賀子 大和書房 2008

○こんな夜更けにバナナかよ 筋スジ・鹿野靖明とボランティアたち
 渡辺一史 北海道新聞社 2003

○新版 アフォーダンス 佐々木正人 岩波科学ライブラリー234 2015

○文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死
 2019.4.10 朝日新聞デジタル

○平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 平成31年4月12日
 認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長 上野千鶴子


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