雪国の春

環境と生物の相互作用がもたらす風景


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雪が家を埋め、出かけることもできず
食糧さえ手に入らなくなるような暮らし

冬の新潟県津南町


江戸後期、越後国魚沼郡塩沢(現・新潟県南魚沼市)で生まれた鈴木牧之

(すずき ぼくし、1770-1842年)。1年の半分を雪が占める豪雪地帯での生活

や習慣を記した著書「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」は、ベストセラーになった

といいます。



※「北越雪譜叙(ほくえつせっぷじょ)」 京山人百樹(きょうざんじんひゃくじゅ)
  現代語訳 (部分)


…畳み込むような雪が家を埋め、旅もままならず、追いつめられて、薪や食糧

さえ手に入らなくなるような暮らしを考えると、肌に粟(あわ)が生じる(⇒鳥肌

が立つ)思いである。


私は思うのだが、絹の袴(はかま)を履いて身を飾るようなうわついた若者たちが、

少しばかりの雪がちらついたと言って馬を町外れに走らせて雪見をしたり、ある

いは、豪華な料亭で雪見酒などと称して雪を楽しみとしている。こうした者たちは、

寒さによる飢えがどういうものか知らない。



もし、この書物を読ませたならば、多少なりとも雪国の苦しさを考えるだろう。

そうすれば、享楽だけがこの世にあるのではないことに気がつき、ようやく

戒(いまし)めや惧(おそ)れの気持ちが生じるのではあるまいか。…



※「現代語訳 北越雪譜」 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版
  1996 北越雪譜序 p3-5

※京山人百樹(きょうさんじんひゃくじゅ)
 江戸後期の小説家(戯作者)、山東京山(さんとう きょうざん)。1769-1858年。
 本名は岩瀬百樹。「北越雪譜」の刊行にあたり添削を行った。兄は山東京伝
 (さんとう きょうでん)。



○降り積もる雪の果て|トンネルの先にある雪国

○人間の大地・人間の季節|冬の北海道


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日本有数のスキーリゾート
志賀高原

日本有数のスキーリゾートとして開発された志賀高原
西館山からみた蓮池スキー場とジャイアントスキー場


上信越高原国立公園の中心に位置する志賀高原は、志賀山、横手山、笠ヶ岳、

岩菅山、焼額山などの山々に囲まれ、大小70あまりの湖沼や湿原、貴重な

原生林が点在する高原です。



日本有数のスキーリゾートとして開発され、エリア内には18か所のスキー場

があり、冬はスキー、春から秋にかけては、ハイキングや避暑地として多くの

人びとが訪れます。



○アルプスの風が立つ|厳しくも美しい山岳景勝地 甲信・上野の国


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人々が忘れがたい
いのち湧く豊かさ

第36回いいやま 菜の花まつり|長野県飯山市


国文学者・作詞家の高野辰之(たかの たつゆき、1876(明治9)年-1947

(昭和22)年)は、飯山市のお隣り中野市に生まれ、「朧月夜」や「春が

きた」「もみじ」といった、ふるさとの美しい風景を綴りました。



※「朧月夜(おぼろづきよ)」 作詞:高野辰之. 作曲:岡野貞一. 文部省唱歌


菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端は、霞ふかし。

春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し。


里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、

蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める 朧月夜。



○ため息を春風に変えて|自然からの贈り物 春の花言葉

○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来


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美しき飯山市の菜の花公園 2019・4K

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日本で唯一
村の名前に「温泉」がついている野沢温泉村

麻釜(おがま)|長野県野沢温泉村


麻釜は、野菜を茹でる村民の生活に深い関りをもつ天然の熱湯温泉。

かつて伐り取った麻(あさ・お)をこの湯だまりにひたし、後で皮をむい

たことからこう呼ばれるそうです。90℃近くの熱湯が毎分約500リットル

湧き出しており、温泉の湯の性質は弱アルカリ性硫黄泉。野沢菜は、

この温泉で茹でると、アクが取れておいしくなるといいます。


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豪雪地帯に春を告げるイベント
十日町きものまつり

第43回 十日町きものまつり|新潟県十日町市


十日町市は、市街地でも2m以上もの雪が降る日本有数の豪雪地帯。

そんな十日町に春を告げるイベントが「十日町きものまつり」。市街地

中心部が歩行者天国となり、色とりどりのきものを着た老若男女で溢

れます。


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北陸新幹線に乗って
雪国の春へ

JR東京駅 20番線
北陸新幹線 はくたか551号 金沢行


北陸新幹線は1997年に東京駅 - 長野駅間が「長野新幹線」として

部分開業しました。2015年3月14日に長野駅 - 金沢駅間が開業し、

新型新幹線車両「E7系」で東京駅 - 金沢駅間を最短2時間28分で

結びます。(2019年5月現在)


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雪国の小京都
寺の町 飯山

北陸新幹線開業に伴い、それまで駅のあった場所から
数百m離れた所に新設されたJR飯山駅


飯山市は、長野県内で最も低い千曲川沖積地(ちくまがわちゅうせきち⇒千曲川

の堆積作用によって形成された地形)に広がる町。かつては千曲川を利用した

舟運と越後に通じる街道を使った物流機能が発達しましたが、明治期に入り、

飯山を経由しない信越線が開通すると、物流拠点としての機能が徐々に失わ

れてゆきます。その後は農業を中心として飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸

をはじめとする地場産業により発展してきました。



しかしながら、昭和30年代後半からの高度経済成長期において、産業の立地

する条件をもたなかったこと、さらに豪雪地帯であるというハンディもあって経

済成長が停滞し、若年層を中心とした人口の流出を生じました。



市の文化・市民性としては、江戸時代から続く寺町文化・雪国らしい連帯と

協調の精神があげられ、名僧正受老人の正受庵をはじめとする寺社景観、

斑尾・戸狩などのスキー場、千曲川、北竜湖などの自然資源とあわせて、

日本のふるさとにふさわしい豊かな風土と魅力をつくりだしています。



※飯山市の概要|長野県飯山市より抜粋・加筆



○海運が支える日本の豊かな暮らし


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束縛されず自由自在
主体的な自己

臨済宗 正受庵(しょうじゅあん)|臨済宗中興の祖とされる白隠禅師の師、
恵端禅師(正受老人)が住んでいたとされます|長野県飯山市


※「無門関(むもんかん)」 第十二則 巌喚主人(がんかんしゅじん) 現代語訳


瑞巌(ずいがん)の彦和尚(げんおしょう)は、毎日自分自身に向かって

「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事をしていました。


「はっきりと目を醒ましているか」、「ハイ」。「これから先も人に騙されて

はいけないぞ」、「ハイ、ハイ」と、毎日ひとり言をいっていたというのです。



無門和尚からみれば、瑞巌和尚という方は、自分で自分を買ったり

売ったりして神々や鬼の顔を弄んでいる。どういうことか。

一つは呼びかける者、一つは応える者、一つは騙される者、一つは

騙されない者、このような様があると思うのならば、それは誤りである。

それでも瑞巖和尚の真似をするならば、それは禅に似て非なる邪禅

である。



頌詩(しょうし:功績を讃えると)にいう、修行する者が真実を知らないの

は、人から聞いたものを頼りにしているからだ。限りなく生と死を繰り返

す無常の自己のもと、愚かな者は本来の自己だと勘違いしている。



○個性化の過程|自分が自分になってゆく

○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」


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日本人の精神的支柱として機能した
国家神道

神戸の大イチョウ と 火伏せの神様「三宝荒神(さんぼうこうじん)」の鳥居
長野県飯山市


※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波新書 2010 作品紹介


戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。それはいつどのように

構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。本書では、神社だ

けでなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教と

の関りを丹念に追う。日本の精神史理解のベースを提示する意欲作。




※「国家神道と日本人」 島薗進 岩波新書 2010
 はじめに─なぜ、国家神道が問題なのか?, 国家神道の唱歌を覚えた日本人
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…1890(明治23)年に教育勅語が下された。明治天皇が教育の根本精神について

国民に授けた「聖なる教え」だ。この後、小学校は天皇の聖なる教えに導かれる

場となっていった。それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な

拝礼に親しんだ。伊勢神宮や皇居を遥拝(ようはい⇒遠く離れた所から拝む)し、

靖国神社や明治神宮に詣で、天皇の御真影(ごしんえい)と教育勅語に頭を垂

れたのだ。これは国家神道の崇敬様式にのっとったものだ。(中略)天皇と国家

を尊び国民として結束すること、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の

主軸となった神道の形態である。戦前はおおかたの日本人が国家神道の影響

下で生活し、その崇敬様式に慣れ親しんでいた。



○日本人の精神性を探る|美徳が強調されてきた社会

○日本人の心を形成してきたもの


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思想と宗教と天皇
日本人の精神性

小菅神社 奥社への参道|長野県飯山市


※「破戒」 島崎藤村 第五章 (ニ)
 (飯山の学校で天長節(天皇誕生日)を祝う式典の場面)


「気をつけ。」

 と呼ぶ丑松(うしまつ)の凛(りん)とした声が起つた。式は始つたのである。

 主座教員としての丑松は反(かえ)つて校長よりも男女の少年に慕(した)

はれて居た。丑松が「最敬礼」の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものゝ

胸に伝へるのであつた。やがて、「君が代」の歌の中に、校長は御影(みえ

い⇒天皇・皇后の肖像写真)を奉開(ほうかい⇒謹んで開ける)して、それか

ら勅語(⇒教育勅語)を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷(らい)

のやうに響き渡る。



※戦前までは、天皇・皇后の写真が教育勅語とともに各学校に下賜(かし
 ⇒身分の高い人から身分の低い人へ物を与える)され、三大節(元旦・紀
 元節・天長節、のちに明治節を加えて四大節)をはじめ入学・卒業式など
 の行事が行われるとき、式にさきだって御影を収める扉を開き、校長が
 勅語を奉読するのが慣例だった。
 (※「破戒」 島崎藤村 新潮文庫 2005 注解 p422)

※起元節 … 初代天皇とされる神武天皇の即位を祝う。2月11日。
※天長節 … 天皇の誕生日を祝う。
※明治節 … 明治天皇の誕生日を祝う。11月3日。昭和2年〜昭和23年。
※元始節 … 天孫降臨(てんそんこうりん)、皇位の始原を祝う。1月3日。

※これらの皇室祭祀は、天皇崇拝を国民に広めた。



○象徴天皇制と平和主義

○松山賛歌|「坊ちゃん」に学ぶ日本人の精神性

○人間の心のあり方を理解する|日本人の精神性を探る旅


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精神の欲求を優先する
懴悔録

教会の懺悔室 (St Peters Basilica Confessional)


※「破戒」 島崎藤村 第壱章 (一)


それはすこし臭気(におい)のするやうな、粗悪な洋紙に印刷した、黄色い表紙に

「懴悔録」としてある本。貧しい人の手にも触れさせたいといふ趣意から、わざと

質素な体裁を択(えら)んだのは、是書(このほん)の性質をよく表して居る。あゝ、

多くの青年が読んで知るといふ今の世の中に、飽くことを知らない丑松のやうな

年頃で、どうして読まず知らずに居ることが出来よう。智識は一種の饑渇(ひもじ

さ)である。到頭(とうとう)四十銭を取出して、欲いと思ふ其(その)本を買求めた。

なけなしの金とはいひ乍(なが)ら、精神(こころ)の慾には替へられなかつたの

である。



○島崎藤村、晩年の棲家 大磯


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千曲川のスケッチ
山に住む人々

日本一長い川 千曲川 (信濃川)
長野県では千曲(ちくま)川、新潟県では信濃(しなの)川と呼ばれています


※「千曲川のスケッチ」 島崎藤村 その十一 山に住む人々の一
 島崎藤村集 新潮日本文学2 新潮社


私は飯山行きの話の中で、土地の人の信心深いことや、あの山間の小都会に

二十何カ所の寺院のあることや、そういう旧態の保存されているところは一寸

(ちょっと)上方(かみがた⇒京都)へでも行ったような気のする事を君に言って

置いた。この古めかしい空気は、激しく変わり行く「時」の潮流の中で、何時

(いつ)まで突き壊(くず)されずに続くものだろうか。とにかく、長い冬季を雪の

中に過すような気候や地勢と相待って、一般の人の心に宗教的なところがある

のは事実のようだ。これは千曲川の下流に行って特にそう感ぜられる。



○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み

○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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目覚めた者の内面的葛藤
破戒

島崎藤村「破戒」文学碑
浄土真宗本願寺派 真宗寺|長野県飯山市


※「破戒」 島崎藤村 新潮文庫 2005 作品紹介


明治後期、部落出身の教員瀬川丑松(せがわうしまつ)は父親から身分を

隠せと堅く戒められていたにもかかわらず、同じ宿命を持つ解放運動家、

猪子蓮太郎(いのこれんたろう)の壮烈な死に心を動かされ、ついに父の

戒(いまし)めを破ってしまう。その結果偽善にみちた社会は丑松を追放し、

彼はテキサスをさして旅立つ。激しい正義感をもって社会問題に対処し、

目ざめたものの内面的相剋(そうこく⇒矛盾する二つのものが互いに相手

に勝とうと争うこと)を描いて近代日本文学の頂点をなす傑作である。



○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張


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人の恨み妬みには
勝てない

第36回いいやま 菜の花まつり|長野県飯山市


※「破戒」 島崎藤村 第壱章 (一)


…半月程前、一人の男を供に連れて、下高井(長野県下高井郡)の地方から

出て来た大日向(おほひなた)といふ大尽(だいじん⇒お金持ち)、飯山病院へ

入院の為とあつて、暫時(しばらく)腰掛に泊つて居たことがある。入院は間も

なくであつた。もとより内証(ないしょう⇒暮らし向き)はよし、病室は第一等、

看護婦の肩に懸つて長い廊下を往つたり来たりするうちには、自然(おのづ)と

豪奢(ごうしゃ⇒贅沢で派手な振る舞い)が人の目にもついて、誰が嫉妬で噂

するともなく、「彼(あれ)は穢多(えた)だ」といふことになつた。忽(たちま)ち多く

の病室へ伝つて、患者は総立(そうだち)。「放逐(ほうちく⇒追放)して了(しま)

へ、今直ぐ、それが出来ないとあらば吾儕挙(われわれこぞ)って御免を蒙

(こうむ)る」と腕捲(うでまくり)して院長を脅(おびやか)すといふ騒動。いかに

金尽(かねず)くでも、この人種の偏執(へんしゅう)には勝たれない。



○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」


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世に出て身をたてる唯一の秘訣
身の素性を隠す

凍結している三角池|志賀高原


※「破戒」 島崎藤村 第壱章 (三)


はじめて丑松が親の膝下(ひざもと)を離れる時、父は一人息子の前途を

深く案じるといふ風で、さまざま物語をして聞かせたのであつた。其時だ―

一族の祖先のことも言ひ聞かせたのは。東海道の沿岸に住む多くの穢多

の種族のやうに、朝鮮人、支那人、露西亜(ロシア)人、または名も知らない

島々から漂着したり帰化したりした異邦人の末とは違ひ、その血統は古

(むかし)の武士の落人(おちうど)から伝つたはつたもの、貧苦こそすれ、

罪悪の為に穢れたやうな家族ではないと言ひ聞かせた。父はまた添付

(つけた)して、世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――唯一つの希望

(のぞみ)、唯一つの方法(てだて)、それは身の素性を隠すより外に無い、

『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)はうと決して其

とは自白(うちあける)な、一旦の憤怒(いかり)悲哀(かなしみ)に是(この)戒

(いましめ)を忘れたら、其時(そのとき)こそ社会(よのなか)から捨てられた

ものと思へ。』斯(こ)う父は教へたのである。


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偽りが多い世の中で
真実の情に触れるうれしさ

田ノ原湿原付近|志賀高原


※「破戒」 島崎藤村 第七章 (二)


病のある身ほど、人の情の真(まこと)と偽(いつわり)とを烈(はげ)しく感ずる

ものは無い。心にも無いことを言つて慰めて呉れる健康(たっしゃ)な幸福者

(しあわせもの)の多い中に、斯(こ)ういふ人々ばかりで取囲とりまかれる蓮

太郎の嬉(うれ)しさ。殊に丑松の同情(おもひやり)は言葉の節々にも表れて、

それがまた蓮太郎の身に取つては、奈何(どんな)にか胸に徹(こた)へると

いふ様子であつた。



○より偉大なる人格を懐にして


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行け、戦え、身を立てよ
功名を夢みる心

横手山・渋峠スキー場|志賀高原


※「破戒」 島崎藤村 第七章 (六)


父は斯(こ)の烏帽子ヶ嶽(えぼしがだけ、長野県東御市と上田市の境にある山)

の麓に隠れたが、功名を夢見る心は一生火のやうに燃えた人であつた。そこ

は無欲な叔父と大(おおい)に違ふところで、その制(おさ)へきれないやうな烈

(はげ)しい性質の為に、世に立つて働くことが出来ないやうな身分なら、寧(い

っ)そ山奥へ高踏(ひっこ)め、といふ憤慨の絶える時が無かつた。自分で思ふ

やうに成らない、だから、せめて子孫は思ふやうにしてやりたい。自分が夢見

ることは、何卒(どうか)子孫に行はせたい。よしや日は西から出て東へ入る時

があらうとも、斯(こ)の志ばかりは堅く執(と)って変るな。行け、戦へ、身を立て

よ――父の精神はそこに在つた。


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自然は慰め励ましてくれるが
何も教えてくれない

横手山トライブインからの景色


※「破戒」 島崎藤村 第拾壱章 (三)


何故(なぜ)人の真情は斯(こ)う思ふやうに言ひ表すことの出来ないものであ

らう。(中略)


独り精神(こころ)の苦闘(たたかい)を続けたのは丑松で、蓮太郎が残して行

つた新しい刺激は書いたものを読むにも勝る懊悩(おうのう)を与へたのである。



時として丑松は、自分の一生のことを考へる積りで、小県(ちひさがた⇒現・長

野県東御市)の傾斜を彷徨(さまよ)つて見た。根津の丘、姫子沢の谷、鳥が啼

(な)く田圃側(たんぼわき)なぞに霜枯れた雑草を蹈(ふ)み乍(なが)ら、十一月

上旬の野辺に満ちた光を眺めて佇立(たたず)んだ時は、今更のやうに胸を流

れる活きた血潮の若々しさを感ずる。



確実(たしか)に、自分には力がある。斯(こう)丑松は考へるのであつた。しかし

其(その)力は内部(なか)へ内部へと閉塞(とぢふさが)つて了つて、衝(つ)いて

出て行く道が解らない。丑松はたゞ同じことを同じやうに繰返し乍ら、山の上を

歩き廻つた。



あゝ、自然は慰めて呉れ、励ましては呉れる。しかし右へ行けとも、左へ行けとも、

そこまでは人に教へなかつた。丑松が尋ねるやうな問には、野も、丘も、谷も答

へなかつたのである。



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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「清浄・完成」を意味する
鐘の音



※「破戒」 島崎藤村 第拾七章 (五)


宵の勤行(おつとめ)の鉦(かね)の音は一種異様な響を丑松の耳に伝へるやう

に成つた。それは最早(もう)世離れた精舎(しょうじゃ⇒お寺)の声のやうにも

聞えなかつた。今は梵音(ぼんおん)の難有味(ありがたさ)も消えて、唯(ただ)

同じ人間世界の情慾(じょうよく)の声、といふ感想(かんじ)しか耳の底に残ら

ない。




※鉦の音、梵音(かねのおと、ぼんおん)について


寺院にある釣鐘(つりがね)は「梵鐘(ぼんしょう)」と呼ばれます。梵鐘は、もともと

仏教教団内での生活を規律するためのもだったとされ、後に、時を知らせたり、

儀式の合図として打ち鳴らすようになり、一般大衆と仏教のつながりを保持し、

寺の存在を示す役割を持つようになったといわれます。

梵鐘の「梵」は、古代インドの言語「梵語(ぼんご、サンスクリット語)」に由来し、

「梵」は「清浄、洗練、完成」を意味する Brahman(ブラフマン)の音訳だとされ

ます。

今日、私たち一般大衆が耳にするお経のルーツは、梵語で語られたものが、

中国において音読みで漢字に変換され、それが日本に渡ってきたといわれ

ます。



○多様な視点から始まる自己への洞察


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破戒
自分を偽ることからの解放

冬の岩菅山(いわすげやま)


※「破戒」 島崎藤村 第弐拾壱章(第21章) (六)
 (早瀬丑松先生が生徒たちに自分の身分を告白する場面)



「皆さんも御存じでせう(⇒ご存じでしょう)。」と丑松は噛んで含めるやうに言つた。

「是(その)山国に住む人々を分けて見ると、大凡(おおよそ)五通りに別れて居ます。

それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶(ぼうさん)と、それからまだ外に

穢多(えた)といふ階級があります。



御存じでせう(⇒ご存じでしょう)、其(この)穢多は今でも町はづれに一団(ひとかたま

り)に成つて居て、皆さんの履(は)く麻裏(あさうら⇒麻で編んだぞうり)を造つくつたり、

靴や太鼓や三味線等を製(こしら)へたり、あるものは又お百姓して生活(くらし)を立

てゝ居るといふことを。



御存じでせう(⇒ご存じでしょう)、其(その)穢多は御出入(おでいり)と言つて、稲を一

束づゝ持つて、皆さんの父親(おとっさん)や祖父(おじいさん)のところへ一年に一度

は必ず御機嫌伺ひに行きましたことを。



御存じでせう(⇒ご存じでしょう)、其(その)穢多が皆さんの御家へ行きますと、土間

のところへ手を突いて、特別の茶椀で食物(くいもの)なぞを頂戴して、決して敷居

から内部(なか)へは一歩(ひとあし)も入られなかつたことを。



皆さんの方から又、用事でもあつて穢多の部落へ御出(おいで)になりますと、煙草

は燐寸(マッチ)で喫(の)んで頂いて、御茶は有(あり)ましても決して差上げないのが

昔からの習慣です。まあ、穢多といふものは、其程(それほど)卑賤(いやしい)階級

としてあるのです。もし其穢多が斯(こ)の教室へやつて来て、皆さんに国語や地理

を教へるとしましたら、其時皆さんは奈何(どう)思ひますか、皆さんの父親(おとっ

さん)や母親(おっかさん)は奈何(どう)思ひませうか



――実は、私は其(その)卑賤(いやしい)穢多の一人です。」



○困難を伴う自我の開放|森鴎外「舞姫」にみる生の哲学

○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ


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被差別部落の人たちが創立した学校
惟善学校

画像は、小諸城址・懐古園(かいこえん)内にある藤村記念館


※惟善学校跡(いぜんがっこうあと)


明治5年(1872年)明治政府は学制を制定し、全国に小学校を作らせ、6歳以上の

男女を身分に関係なく修学させようとしました。誰でも行けるはずの学校でしたが、

被差別部落の子どもたちは、部落差別により就学を拒否され、あるいは費用や

家庭事情等で、学校へ行けませんでした。



荒堀地区(当時、加増村荒堀組)の人たちは、子どもたちを就学させてくれるように、

何度も頼みましたが、受け入れられませんでした。そこで、明治13年、自分たちで

独自に「惟善学校」という名前の学校を設立しました。惟善学校は、部落の頭で

あった高橋弥右衛門宅の敷地と家が提供され、弥右衛門自身も教員として子ども

たちの教育にあたりました。この学校は、地域の人から「学校場」と呼ばれ親しまれ、

就学者は増加していきました。運営は、授業料と地元住民の出資金で行われ、

惟善学校は存続しました。長野県唯一、被差別部落の人たちが創立した学校と

いわれています。



小諸市では、明治時代の厳しい部落差別の中にあっても、教育の重要性を理解し、

地域で協力し、「惟善学校」を設立及び運営したことを後世に伝えるため、平成22

年度(2011年)この学校跡地に記念広場として整備しました。



小諸市


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21世紀に入った現在もなお存在する
部落差別

浅間山|上信越高原国立公園


※同和問題(部落差別)に関する正しい理解を深めましょう 法務省


同和問題(部落差別)とは、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた

身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の人々が長い間、経

済的、社会的、文化的に低位の状態を強いられ、日常生活の上で様々な

差別を受けるなど、我が国固有の重大な人権問題です。

残念ながら、今なお、こうした人々に対する差別発言、差別待遇等の事案

のほか、差別的な内容の文書が送付されたり、インターネット上で差別を

助長するような内容の書込みがなされるといった事案が発生しています。




※部落差別解消推進法 平成28年(2016年)
 (部落差別の解消の推進に関する法律)


(目的)

第一条 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の

進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全

ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、

部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重

要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並

びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実

等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別の

ない社会を実現することを目的とする。



※生政治的統治のグローバルな展開と被差別部落 2019.05
 講師 関口寛 先生 四国大学経営情報学部准教授
 人種主義・反人種主義の越境と転換
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内


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外貨獲得のためにはじまった
近代日本の国際リゾート開発

熊の湯スキー場


※近代日本の国際リゾート―一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に
 砂本文彦. 青弓社 2008 作品案内


  一九三〇年代(昭和5年〜昭和14年)に「観光立国」を目指して設置された

  鉄道省国際観光局は「外国から観光客を呼び込め!」とさまざまな政策を

  推し進め、国際リゾート地を選定して国際観光ホテルを官民一体になって

  次々と建設した。上高地・雲仙・志賀高原・阿蘇・唐津・琵琶湖・富士・日光

  などでの計画から実施までの光と影を膨大な史料から描き出す。





1930年代の日本は満州事変を契機として右極化の道を歩んでゆきますが、

その一方で、国の一機関である鉄道省は、海外に向けて日本のホテル(帝

国ホテル、ホテル・ニューグランド、上高地ホテルなど全国70のホテル)のPR

活動を行っていたそうです。その背景には、ユーラシア大陸を横断してヨーロ

ッパとアジアををつなぐ鉄道構想があり、世界の富裕層が日本を訪れ、観光

消費によって対外収支を改善する狙いがあったとされます。



国際観光ホテルは、スキーや登山、ゴルフといったリゾート地の中心施設

として期待され、それまで炭焼きや割りばし用材の伐採地に過ぎなかった

志賀高原はスキーリゾートとして開発されてゆきます。



国際観光政策は政府の政策にも関わらず、施設整備自体は地方主導で

行われることが多く、志賀高原では長野電鉄が開発に乗り出したといわます。



○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと

○未知を歩き、心を満たしてゆく上高地


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人間活動によるニホンザルへの
影響

志賀草津高原ルート(国道292号線)


※一サル研究者から見た志賀高原自然保護の問題点
 和田一雄 東京農工大学農学部野生動物保護学研究室
 霊長類研究 Primate Res. 11: 67-81, 1995
 1)ニホンザルの生態と保護に関する状況 (部分)


…1970年代の高度経済成長期にはいると観光客は年間250万人に達し、

特に冬場のスキー客が急増して、奥志賀スキー場までのバス道が確保

された。そして1985年には焼額山のスキー場が完成した。これらによって

野生のサルが直接影響を受けた点は三つある。



第一点は、1966年にC群の冬の遊動域が車道によって分断され、車との

出合いが格段に増えたことである。これだけならそれほど深刻な影響は

なかったのであるが、問題は車からニホンザルの餌が飛び出してくること

であった。つまり車道沿いで起こった、不特定多数の人々による無差別な

餌付けである。また、地元の人々が、餌のない時期に大量のリンゴを与え

たり、地獄谷野猿公苑の成功(?)にヒントを得て、さらに別の群れをも餌付

けをしようとしたりした。このような人間の側の動きは、C群の生態を著しく

ゆがめた。



第二の問題点は、奥志賀高原のスキー客急増である。それまでニホンザル

の遊動域は雑魚川上流域にまで及んでいたが、奥志賀スキー場利用客の

増加により車の交通量が著しく増加し、またリフトの騒音増から奥志賀を避

けてより下流域に限定されるようになった。



第三点は, 国土計画株式会社によるスキー場とプリンスホテルの完成である。

以前は横湯川流域のB群分裂によって、母群が雑魚川流域へ移動するなど、

両地域個体群間での交流がみられたが、スキー場およびホテルの建設によ

ってそれは完全に不可能となった。


(中略)



ここまでに述べた人間活動によるニホンザルへの悪影響は, 生息環境の分断

や劣悪化と、餌付けのもたらす波及効果とい う二つの点で誰の目にも明白で

ある。



○ヒトに不都合が生じない限りにおいて成り立つヒトと動物の共生


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野生動物の増減に
大きな影響を及ぼす人間

上信越国立公園に生息するホンドオコジョ


世界中で野生動物が減り、その多くは絶滅の危機に瀕していると言われています。

日本でもカワウソやオオカミは絶滅してしまいました。トキのように絶滅寸前まで数

が減り、人が懸命に増やそうとしている動物もいます。一方で、シカやサルやイノシ

シのように、最近、畑や住宅地に出るようになって困っているという話も耳にします。

日本の野生動物は、減っているのでしょうか?それとも増えているのでしょうか?



1949(昭和24)年と現在を比較した場合、シカは増加傾向にあり、サルも増加、キツ

ネは資料がない(研究者がいない)ため、不明となっています。一方、コウノトリは

1970年代に野生では絶滅しましたが、人工繁殖を経て100羽ほどに増加。ハヤブ

サは絶滅の危険が高いといわれます。



ニホンオオカミは、19世紀までは東北地方から九州まで各地に分布していましたが、

1905年に奈良県で捕獲された若いオスを最後に、現在まで確実な生息情報がなく、

絶滅したと考えられています。ニホンカワウソは1979年に高知県で目撃されたのが

最後で、絶滅した可能性が高いとされます。



このように増えた動物もいれば、減った動物もいますが、その大きな原因は私たち

人間にあり、私たちと自然の関わり方の変化が、野生動物に対しても大きな影響を

与えているといいます。



日本の人口は江戸時代に入り急激に増加します。生活のために田畑を開墾し、

建材や燃料、肥料は山から調達しました。野生動物による農業被害は食糧生産

上の重要な課題となっていたので、駆除としての狩猟が行われました。特にシカ

については、肉の食用にとどまらず、皮、角、骨がさまざまな生活用具の材料と

して活用されました。



カワウソは川の中流域から下流に生息していましたが、人間活動の拡大ととも

に生活圏が奪われてゆきます。また、赤ちゃんを運んでくるという逸話がある

コウノトリですが、かつては作物へ被害をもたらす害鳥とみなされていました。



林業は明治時代に本格化し、都市化や薪・炭利用の需要増加によって森林は

伐採され、さらに第二次大戦下には戦中の必要物資を確保するため、また戦後

は戦災からの復興の資材を得るために、大規模な森林伐採が行われました。

これにより、荒廃した国土を緑化するために荒廃地を中心にスギ・ヒノキ・カラマ

ツ等の針葉樹の植林が進められました。



食糧不足であった戦中・戦後は、多くの野生動物が捕獲され、食用になったと

いわれます。



高度成長期以降、木材は海外からの輸入が増加し、日本の林業は急速に

縮小しました。また、農作物も海外からの輸入が増え、日本の農地は年々

減少傾向にあるといいます。



※日本の野生動物は減っている?増えている? 2019.04
 講師 杉浦秀樹 先生 京都大学野生動物研究センター准教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第105回京都大学丸の内セミナー

※人口から読む日本の歴史 鬼頭宏 講談社学術文庫 2000

※林における鳥獣被害対策のためのガイド
 −森林管理技術者のためのシカ対策の手引き(平成24年3月版)
 林野庁 森林保護対策室

※農地面積等の推移|耕地及び作付面積統計 農林水産省 平成27(2015)年


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「サル化」する人間社会
個人の利益と効率を優先するサル的序列社会

地獄谷野猿公苑|長野県山ノ内町


※「サル化」する人間社会 山極寿一 集英社インターナショナル 2014
 第七章 「サル化」する人間社会


サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、

「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。

サルは群れの中で序列を作り、全員でルールに従うことで、個体の

利益を最大化しています。自分より強いサルの前では決して食べ物

に手を出さないのは、食べ物をめぐるトラブルを未然に防ぐためです。

あらかじめ勝ち負けを決めておき、勝ったほうが食べ物を独占するのです。

(※サルは所属する集団に愛着を持たない p157-158)




家族も共同体もなくなってしまったら、人間は帰属意識を失います。人間

は、互いに協力する必要性も、共感する必要性すら見出せなくなっていく

でしょう。



個人の利益さえ獲得すればいいなら、何かを誰かと分かち合う必要もあり

ません。他人を思いやる必要もありません。遠くで誰かが苦しんでいる

事実よりも、手近な享楽を選ぶでしょう。どこかの国の紛争なんて、他人事。

自分に関係ないから共感なんてする必要もない。これはまさにサルの社会

にほかなりません。



サルの社会に近づくということは、人間が自分の利益のために集団を作る

ということです。そうなれば、個人の生活は今よりも効率的で自由になります。

しかし、他人と気持ちを通じ合わせることはできなくなってしまいます。



もしも本当に人間社会がサル社会のようになってしまったら、どうなるの

でしょうか。サル社会は序列で成り立つピラミッド型の社会です。人を負かし

自分は勝とうとする社会とも言い換えられます。そんな社会では、人間の

平等意識は崩壊するでしょう。

(※個人の利益と効率を優先するサル的序列社会 p164)



○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて

○社会の転換期|視点が変わると見え方も変わる


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すべてが混乱と闘争のなかにある
棍棒と牙の掟

志賀高原のニホンカモシカ


※「野生の呼び声」 ロンドン. 深町眞理子(訳) 光文社古典新訳文庫 2007
 第一章 原初の地へ p8, 第二章 棍棒と牙の掟 p32-33



放浪への原始の渇望が湧き上がり、

 習慣の鎖にいらだつ。

その冬の眠りよりいまふたたび、

 野生の血筋がめざめる。




ダイエイ海岸でのバック(⇒犬)の生涯の第一日めは、悪夢そのものだった。一

分一秒がショックと驚愕との連続だった。なにしろ、いきなり文明そのものの中

心からひきずりだされ、原初なるものの中心へとほうりだされたのだ。ここには、

陽光を一身に浴びての怠惰な生活、日がな一日ぶらぶらして、退屈に暮らす

というだけの生活は存在しなかった。平和もなく、安らぎもなく、それどころか、

一瞬の安全すらもない。すべてが混乱と闘争のさなかにあり、命も、身の安全

も、時々刻々におびやかされている。つねに警戒を怠らずにいること、これが

生きるのには喫緊(きっきん)の要事なのだ。なぜならここでは犬たちも人間ど

もも、街の犬や人間とは別種の生き物なのだから。そろいもそろって野蛮で、

残忍で、棍棒と牙の掟以外に、掟というものを知らぬ連中。



○最も進んでいないイノベーション|人間に関する知識


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生きたいという悲痛な訴え
生存することへの苦しみ



※「野生の呼び声」 ロンドン. 深町眞理子(訳) 光文社古典新訳文庫 2007
 第三章 太古の野獣の血が支配する p72


北極光(オーロラ)が頭上で冷たく燃え、星々が凍てつく空に踊り、そして大地は

雪のとばりの下で、かじかみ、凍える、そんななかで歌われるエスキモー犬たち

のこの歌は、あるいは果敢な生への挑戦であったかもしれない。しかしそれが

短調で、長く尾をひく哀切な叫びと、なかばすすり泣きに似た調子で歌われると、

むしろ、生きたいという悲痛な訴えとして、生存することの苦しみを表現したもの

として、聞くものに訴えかけてくる。



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面

○南極観測|私たちが存在している自然環境の解明


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環境と生物の相互作用の結果
植物の多様性

ワタスゲ


日本はユーラシア大陸の東縁辺に位置し、面積は約38万ku、南北約3,000km

に及ぶ島嶼(とうしょ⇒大小さまざまな島々)群であり、亜熱帯のマングローブ

林から標高3,000mを超える高山の花畑まで、多種多様な自然環境が存在して

います。



世界で最も新しい変動帯の一つである日本列島は、種々の地学的現象が活発

です。起伏に富み、火山地・丘陵(きゅうりょう)を含む山地の面積は国土の約4分

の3を占め、山地は一般に急傾斜で谷によって細かく刻まれています。山地と平

野の間には丘陵地が各地に分布し、平野・盆地の多くは小規模で、河川の堆積

作用によって形成されたものが多く、山地の間及び海岸沿いに点在しています。



気候は湿潤(しつじゅん)で、季節風の影響が顕著で四季の別がはっきりしてい

ます。夏と秋の雨や冬の豪雪は、世界の平均を上回る降水量をもたらしています。

本州では脊梁山脈(せきりょうさんみゃく⇒背骨に相当する山脈)を境に気象の違

いがはっきりしており、冬期には太平洋側は比較的乾燥しているのに対し、日本海

側は多雪地帯となります。南北で差の大きい気候と、起伏に富んだ険しい地形は、

日本列島に多様な環境を生み出しています。



植生はこの多様な自然環境に対応して地域ごとにさまざまな様相を示していま

すが、これらの多様性は、植生の存在する地域の地史・気象・地質・地形、さら

には人間を含む他の生物との相互作用等に基づく植物の進化及び適応の結果

です。


※人と自然との共生をめざして 日本の自然環境, 日本列島の概観
  環境省自然環境局
※植生自然度調査-自然環境保全基礎調査
  環境省自然環境局 生物多様性センター 調査の目的
※多様な植物群落とその生育環境 2019.05
 講師 持田幸良 先生 放送大学客員教授・横浜国立大学名誉教授
 放送大学神奈川学習センター



○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける

○大井埋立地にみる森里海のつながり

○自然と人間のつながり|日本一の「おんせん県」 大分


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志賀高原・田ノ原湿原のワタスゲ2014・4K撮影

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理性を正しく導き、
学問において真理を追究するための方法序説

笠ヶ岳


※「方法序説」 デカルト. 谷川多佳子(訳) 岩波文庫 1997
 第一部 p8


良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、

だれも良識なら十分身に具わっていると思っているので、他のことでは何

でも気難しい人たちでさえ、良識については、自分がいま持っている以上を

望まないのが普通だからだ。この点でみんなが思い違いをしているとは思

えない。むしろそれが立証しているのは、正しく判断し、真と偽を区別する

能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう

能力がすべての人に生まれつき平等に備わっていることだ。



※「方法序説」は、1637年、デカルト41歳の時に出版された本。全体で500頁
 を超える最初の78頁が「方法序説」。正確なタイトルは、「理性を正しく導き、
 学問において真理を追求するための方法序説。加えて、その方法の試しみ
 である屈折光学、気象学、幾何学」。


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通行が再開された
草津白根山

渋峠(長野と群馬の県境)で
「草津白根山周辺通行規制のお知らせ」を配布する草津町スタッフ


通行ができなかった滋賀草津高原ルート(国道292号線)の殺生河原駐車場(草津町)

〜万座三差路(嬬恋村)の区間について、2019年4月19日から、噴火警戒レベル2

であっても例外的に通行できるようになりました。



※「草津白根山周辺通行規制のお知らせ」 群馬県草津町 2019.05


  草津白根山(湯釜付近)は、噴火警戒レベルが2です。このため、国道292号

  (志賀草津高原ルート)では、山頂の湯釜を中心とした半径1km圏内におい

  て次の規制が行われています。


  区域:国道292号 本宮〜万座三差路 間(約2.5km)

  ・歩行者通行禁止
  ・自転車、オートバイ、オープンカーは、噴火時に危険なため、通行ができ
   ません。
  ・規制区域内は、駐停車禁止です。
  ・規制区域内にいる係員の指示に従ってください。
  ・通行可能時間は、8時〜17時
  (17時〜翌朝8時の間は、殺生〜万座三差路間は通行止めとなります。)


 ※草津白根山は、噴火の可能性がある山です。万が一の噴火の際には、
  国道292号沿いにある避難壕(アーチカルバート)又は白根レストハウス
  へ避難してください。
 ※火山活動の状態又は天候により、急に通行止めとなることもあります。



○豊富な湯量と高温で強酸性の名湯|草津温泉


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小さな村が輝き続けるために
いつまでも野沢温泉村

毛無山(1,650m)の麓に広がる野沢温泉村


野沢温泉村は、長野県の北部に位置し、南側は毛無山の尾根を境に

木島平村(きじまだいらむら)に接し、西側は千曲川を隔てて飯山市と

境をなしています。



気候は、典型的な日本海側気候で、冬場の最深積雪は330p、全国

でも屈指の豪雪地帯といわれます。



野沢温泉村は昭和のはじめまでは農業が主体であり、農作業のない

冬期は村外へ出稼ぎというのが一般的でした。しかしスキー産業の

発展に伴い、冬期就労の場が確保でき、また、増加する観光客数に

対応するため、民宿を中心とした宿泊業が盛んとなり、下水道などの

インフラも急速に整備されました。



昭和25年の国勢調査人口6,716人をピークに、スキー産業に支えられ

ながらも緩やかに人口流出が続き、昭和 50 年には5千人前後まで

減少し、その後平成7年頃まで5千人弱の人口で推移してきました。

しかしバブル経済崩壊、少子高齢化の進展による人口構造の変化や

冬期間のレジャーの多様化により、スキー来場者数がピーク時の3分

の1までに減少し、これにより人口流出に拍車がかかり、平成22年の

国勢調査人口は 3,853 人となり、高齢化率も 33.1%と約3人に1人が

65歳以上となっております。



※野沢温泉村過疎地域自立促進計画(平成28年度〜32年度)
 1 基本的な事項より


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インバウンドが増加するスキー場
世界に誇れるスノーリゾートを目指して

野沢温泉スキー場 長坂ゴンドラ・ステーション
この日(2019.05 GW)、やまびこ・上ノ平・パラダイスゲレンデは滑走可


毛無山(1,650m)の斜面に広がる野沢温泉スキー場。山頂エリアから「やまびこ

ゲレンデ(1,300m)」⇒「上ノ平ゲレンデ(2,000m)」⇒「パラダイスゲレンデ(1,200m)」

⇒「林間コース(5,000m)」とつなぐと、最長距離は約10kmになり、その標高差は

1,085mあるそうです。



日本のスキー場は世界の代表的なスキーリゾートと比較して、標高が低く、

最大滑走距離が短く、規模においても劣っているといわれますが、国内に

おいて野沢温泉スキー場は滑走距離が比較的長いスキー場だといいます。





※世界の代表的なスノーリゾート地域であるスイスのツェルマット、フランス
 のシャモニー・モンブランは、4,000m級の山のふもとにあり、標高が高く、
 コース総滑走距離も長い。

※ドイツのインターネットマーケティング企業が運営する世界のスノーリゾー
 トを紹介するポータルサイト「Skiresort.info」では、3,000 件以上のスキー場
 が評価される中で、日本のスキー場については、500 位以内に13 カ所の
 スノーリゾートが含まれるものの、上位が苗場(160 位)、志賀高原(246 位)、
 ルスツ、野沢温泉、ニセコユナイテッド(289 位)、白馬八方尾根、安比高原
 (322位)と 100 位以内に入っているスキー場がないのが現状である。

※「スノーリゾート地域の活性化に向けた検討会」最終報告
 〜世界に誇れるスノーリゾートを目指して〜 平成29年4月28日
 スノーリゾート地域の活性化に向けた検討会, 国土交通省 観光庁


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さわやかな朝の風物詩
野沢温泉朝市

大湯通り


5月〜10月の毎週日曜日、朝6時から7時半まで大湯通りに立つ朝市。

日曜日以外も連休などには連続開催されています。野沢菜漬けや

つる細工製品、採れたて野菜、山菜・きのこなど地元特産品が並び

ます。


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野沢温泉に13ヵ所
外湯めぐり

麻釜(あさがま)の湯 野沢温泉


温泉街に点在している13の外湯は、村の人たちの共有財産。 江戸時代から

湯仲間という制度によって守られてきた外湯は天然温泉100%かけ流しです。

管理がきちんとなされ、温泉はいつも清潔。毎日使う村人達も、訪れたゲスト

の人たちも気持ちよく使えます。


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千曲川から信濃川に沿って
渓谷を走る飯山線

JR飯山線


北しなの線・豊野駅(長野県長野市)と上越線・越後川口駅(新潟県長岡市)を

結ぶJR飯山線。電車は「しなの鉄道・北しなの線(旧JR信越線)」を経由して

長野駅から発着しています。山間を縫うように千曲川から信濃川に沿って

渓谷を走り、豪雪地帯を通る路線としても知られます。



飯山線は第二次大戦中の昭和19年に国鉄になったそうですが、その背景

には戦争遂行のために沿線のブナ林を軍が必要としたことによるそうです。


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JR飯山線 雪景色

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新潟を走る、お酒を楽しむリゾート列車
越乃Shu*Kura

JR飯山線 魚沼中条駅


地酒王国・新潟が誇る「酒」をコンセプトとした列車「越乃Shu*Kura」。

越後の酒蔵と豊かな自然をイメージして命名されたそうです。

(越乃=越後、Shu=酒、Kura=蔵、*=米・雪・花)



厳選した新潟県内の地酒の利き酒や地元の食材にこだわったおつまみを

頂きながら、ジャズやクラシックミュージシャンによる生演奏などを楽しむ

ことができます。


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煩悩即菩提
愛欲の煩悩がそのまま悟りにつながる

北越霊場 曹洞宗 駒形山妙高寺|新潟県小千谷市


新潟県小千谷市にある曹洞宗のお寺、妙高寺。ご本尊の愛染明王(あいぜん

みょうおう)は、三つの目と六本の腕を持ち(⇒三面六臂、さんめんろっぴ)、赤

色の肌、炎のように逆立った髪(⇒焔髪、えんぱつ)、眉を吊り上げ睨みつける

目、牙をみせて開く口は、怒りの姿をしているといいます。



愛染明王は、仏と人間との間にいるとされ、人間がもっている愛欲をむさぼる心

(⇒愛欲貪染、あいよくとんぜん)を悟りの境地(⇒浄菩提心とする三昧)まで高

めた姿だといわれます。



○善と悪を兼ね備える人間|善の基礎となる個人性の実現

○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神


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飯山線のターミナル駅
越後川口

JR越後川口駅|新潟県長岡市東川口


飯山線と上越線が乗り入れる越後川口駅。この付近で信濃川は、

群馬側から流れてきた魚野川と合流して新潟市に向かい日本海

に注ぎます。


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経済・文化的交流を促進した
上越線

JR上越線 塩沢駅 上り 水上(みなかみ)行


群馬(高崎)と新潟(宮内)を結ぶ上越線。難所とされた三国山脈を貫く清水トンネル

の建設は、大正11年に着工、昭和4年12月に貫通し、昭和6年(1931)9月1日に、

東京と新潟を最短距離で結ぶ路線が全線開通しました。



これにより、それまで上野駅-新潟駅間は信越線経由で11時間かかっていたのが、

新設された上越線では98km短縮し、7時間程で結び、所要時間は4時間近く短縮。

大幅なスピードアップが実現しました。



昭和42年(1967)には、新清水トンネルが開通し、清水トンネルは上り線、新清水トン

ネルは下り線となり、複線化が実現されています。



2019年現在、東京-新潟間は上越新幹線が最短約1時間30分でつないでいます。


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私たちの住む社会
合意・一致・臆病な心

芝桜


春になると一面芝生のように赤・ピンク・白・紫の花を咲かせる芝桜。花言葉は、

「合意」「一致」「臆病な心」だそうで、小さな花が群がって咲いていることに由来

するといわれます。



新潟県立奥只見(おくただみ)レクリエーション都市公園は、新潟県南魚沼市・

魚沼市にある6ヵ所の公園の総称。その一つ、「根小屋 花と緑と雪の里」では、

春になると1ヘクタールの敷地に植えられた約20万株の芝桜が花を咲かせ

ます。



○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」

○清らかな世界、それは私たちの住む穢れた世界

○新たな息吹に包まれる桜舞う頃


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川を下る魚をとらえる漁法
やな場

魚野川 堀之内やな場|新潟県魚沼市


やな漁は、川のなかに木や竹で「すのこ台」をつくり、上流から泳いできた魚を

つかまえる漁法。



魚沼市にある堀之内やな場は、やなで採れた魚を料理して出してくれる観光

レストラン。越後三山とやな場を眺めながら、一年を通してその季節にあった

川魚の料理堪能することができます。


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関東と新潟を結んだ三国街道
塩沢宿

三国街道塩沢宿「牧之(ぼくし)通り」


三国街道塩沢宿「牧之通り(ぼくしどおり)」は、全国有数の豪雪地である

南魚沼市塩沢地区にある美しいまちなみの通りです。「牧之通り」は、雪

深い越後の生活を記した江戸時代の名著「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」

の著者・鈴木牧之(すずきぼくし 1770〜1842年)生誕の地であり、その名

にちなんで名付けられました。



塩沢は、国の重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産として知られる伝

統的工芸品「越後上布(えちごじょうふ)」・「塩沢紬(しおざわつむぎ)」など

織物の産地であり、関東と越後を結ぶ三国街道の宿場町として、かつて

はにぎわいをみせていました。

しかし、近年、商店主の高齢化や定住人口の減少さらには郊外型大型

店舗の隆盛によって、空き店舗が増え、地域の活性化が大きな課題と

なっていました。


街路事業(道路改良)を機に、伝統的な雪国建築を生かしたまちなみ形成

をめざし、建築物の外観・意匠の統一、色彩制限、さらには2メートルの

セットバック空間に雁木(がんぎ⇒雪除けのアーケード)を設置するなど、

独自の建築協定を設け、雪国特有のまちなみとその魅力を復元しました。



三国街道塩沢宿「牧之通り」は、こうして官民が一体的に雪国の歴史と

文化を活かすまちづくりを行い、築き上げたものです。現在は、地元の

女性で組織された「射干(しゃが)の会」が主体となって多彩なイベント

活動が展開され、最盛期に勝るとも劣らないにぎわいと交流活動が行

われています。



※三国街道塩沢宿「牧之通り」/南魚沼市ウェブサイトより (部分)


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雪国での暮らしや習慣を記した
北越雪譜

鈴木牧之記念館|新潟県南魚沼市


江戸後期、越後国魚沼郡塩沢(現・新潟県南魚沼市)で生まれた鈴木牧之

(すずき ぼくし、1770-1842年)。生家は代々越後縮(えちごちぢみ)の仲買

と質屋を家業とし、父の影響を受け幼い頃から学問や文芸の道に励んだ

といわれます。



1年の半分を雪が占める豪雪地帯での生活や習慣を記した著書「北越雪譜

(ほくえつせっぷ)」は、ベストセラーになったといいます。


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厳しい雪国の風土が育んだ織物
ちぢみ

塩沢つむぎ記念館|新潟県南魚沼市塩沢


※「北越雪譜」 鈴木牧之(編撰), 京山人百樹(刪定). 岡田武松(監修)
  岩波文庫 黄 226-1 1936 縮の種類 p72、 縷綸(いとによる) p74


…縮(ちぢみ)は右村里(新潟県魚沼郡の村々)の婦女らが雪中に籠り

居る手業也(てわざなり)。およそは来年売るべきちぢみをことしの十月

より糸をうみはじめて次の年二月なかばに晒(さら)しをはる。白縮(しろ

ちぢみ)はうち見たる所はおりやすきやうなれば、ただ人は文(あや:模

様)あるものほどにはおもわざれども、手練(しゅれん⇒熟練した技)は

よく見ゆるもの也。村々の婦女たちがちぢみに丹精を尽くす事なかなか

小冊(しょうさつ)には尽くしがたし。(中略)



…雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す。雪ありて縮あり、

されば越後縮は雪と人の気力相半(あいなか)ばして名産の名あり。

魚沼郡の雪は縮の親といふべし。


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東京から約2時間のスノーリゾート
越後湯沢

MAXたにがわ|越後湯沢駅


湯沢町は、新潟県の最南端、関東と新潟市のほぼ中間点に位置し、標高

365メートルの山あいの温泉地である。町の総面積中、94%は山林である。

町の大半は上信越高原国立公園に含まれ、谷川連峰や霊峰苗場山など

2,000メートル級の山々に囲まれている。そしてこれらを源とする多くの

渓流や清流、比較的冷涼な日本海型気候とあわせ、四季折々の彩り

豊かな自然景観と自然環境に恵まれている。また、日本でも有数の豪雪

地帯ならではの条件を生かしたスキー場や温泉、レクリエーション施設等、

多くの観光資源を有している。



※地域未来投資促進法に基づく新潟県湯沢町基本計画
  経済産業省 (2019年3月25日時点)より



○降り積もる雪の果て|トンネルの先にある雪国


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参  考  情  報


○環境省_上信越高原国立公園

○志賀高原ユネスコエコパーク | 山ノ内町公式サイト

○志賀高原観光協会 | ようこそ志賀高原へ

○信州いいやま観光局|長野県飯山市

○飯山線沿線四季浪漫

○小菅神社 【公式サイト】

○地獄谷野猿公苑|ようこそ、ニホンザルの世界へ

○北信州野沢温泉 観光協会オフィシャルウェブサイト

○野沢温泉スキー場

○高野辰之記念館

○高野辰之記念 おぼろ月夜の館斑山文庫 野沢温泉

○十日町市観光協会 どきどき十日町 | 棚田・美人林・清津峡

○駒形山妙高寺

○奥只見レクリェーション都市公園

○新潟観光レストラン やな漁体験 堀之内やな場

○鈴木牧之記念館

○三国街道塩沢宿「牧之通り」/南魚沼市ウェブサイト

○塩沢つむぎ記念館公式ページ|塩沢織物の伝統技術の体験型文化施設

○島崎藤村 破戒 - 青空文庫

○国土交通省 観光庁

○法務省:同和問題(部落差別)に関する正しい理解を深めましょう

○生物多様性センター(環境省 自然環境局)

○J-STAGE Home

○Skiresort.info | The largest ski resort test portal in the world

○Wikipedia

○北越雪譜 鈴木牧之(編撰), 京山人百樹(刪定). 岡田武松(監修)
 岩波文庫 黄 226-1 1936

○現代語訳 北越雪譜 鈴木牧之 高橋実(監修), 荒木常能(訳) 野島出版 1996

○いいやま物語 平成27年度飯山ふるさと検定 公式ガイドブック
 飯山市教育委員会

○THE SHIGA KOGEN Vol,2 2019 GREEN|志賀高原観光協会

○野沢温泉 からんころん|野沢温泉観光協会

○国家神道と日本人 島薗進 岩波新書 2010

○破戒 島崎藤村 新潮文庫 2005

○一サル研究者から見た志賀高原自然保護の問題点
 和田一雄 東京農工大学農学部野生動物保護学研究室
 霊長類研究 Primate Res. 11: 67-81, 1995

○「サル化」する人間社会 山極寿一 集英社インターナショナル 2014

○近代日本の国際リゾート―一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に
 砂本文彦 青弓社 2008

○日本の野生動物は減っている?増えている? 2019.04
 講師 杉浦秀樹 先生 京都大学野生動物研究センター准教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第105回京都大学丸の内セミナー

○多様な植物群落とその生育環境 2019.05
 講師 持田幸良 先生 放送大学客員教授・横浜国立大学名誉教授
 放送大学神奈川学習センター

○野生の呼び声 ロンドン. 深町眞理子(訳) 光文社古典新訳文庫 2007

○人種主義・反人種主義の越境と転換 2019.05
 京都大学人文科学研究所 国際シンポジウム
 フランス国立社会科学高等研究院 × 京都大学・人文科学研究所
 京都アカデミアフォーラム in 丸の内

○東洋大学の創立者・井上円了の哲学・思想 2019.05〜
 講師 竹村牧男 先生 東洋大学学長
 第1回 井上円了の生涯と、その生涯における仏教や哲学との関係

○方法序説 デカルト. 谷川多佳子(訳) 岩波文庫 1997

○南極&北極の魅力 講演会 南極越冬隊の料理 2019.05
 ・南極で得たエコ生活を暮らしに生かす  渡貫淳子 先生
 ・国内と南極〜食事の提供の仕方の違い  内村光尚 先生
 会場 鞄本印刷会館
 主催 (公財)日本極地研究振興会
 後援 潟Nルーズライフ


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