多様な視点から始まる 自己への洞察 |
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| 日本の葬儀 | 葬式仏教 | 死者を送る | 読経 | 宗教への無関心 | 檀家制度 | 宗門人別帳 | | 神社 | 神宮 | 政治と宗教 | 信教の自由 | 成仏 | 流出説 | 他力本願 | われ疑う | | 自己の否定 | 悪人正機 | お坊さん | LGBT | 小さな命 | 生命体の本質 | もののあわれ | | 排除の構造 | いじめ | 階層間格差 | 個人の自由 | 新自由主義 | エゴイズム | 淋しさ | | 個人化 | 共に和をなす | 庶民 | 念仏 | 参考情報 | |
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死者と生者の共同性 大きく変化している日本の葬儀 |
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12,000体分収蔵できる「合葬式慰霊碑型納骨施設」 横浜ドリームランド(遊園地)の跡地に出来た横浜市営墓地「メモリアルグリーン」 |
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近年、葬儀の縮小化や小規模化が進展し、火葬のみで儀礼を行わない「直葬」 も増加している。また墓の無縁化がすすむとともに、「墓じまい」と称して墓の 改葬や廃止も増えている。そして従来の墓に代わって、散骨や樹木葬といった 新たな葬法も誕生している。さらに社会的に孤立して亡くなり発見が遅れる 場合や、近親者がいたとして引き取られない遺骨も増加している。 ※死者と生者の共同性−葬送墓制の再構築をめざして− 2018.12 趣旨説明 山田慎也 先生 国立民族歴史博物館 准教授 第109回歴博フォーラム 主催 国立歴史民俗博物館 共催 早稲田大学人間科学学術院 会場 早稲田大学大隈記念講堂大講堂 ○社会の転換期|視点が変わると見え方も変わる ○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む |
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葬式仏教と呼ばれる 日本の仏教 |
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※東洋大学文学部教授 竹村牧男 先生 日本仏教は、江戸時代の寺請制度(幕府による宗教統制制度)に基づき、 主として檀家(だんか)によって維持されるような教団の形態になっていて、 葬式仏教といわざる得ない面がある。 ※お茶の水女子大学大学院教授 頼住光子 先生 葬祭儀礼は日本仏教の展開の中で、大きなテーマである。伝来の当初から、 仏教では、盂蘭盆会(うらぼんえ⇒お盆)などを催し祖先の霊を慰め、葬祭を 行い、人の死を意味づけてきた。日本仏教を揶揄して(やゆして:からかって) 「葬式仏教」と呼ぶことがあるが、これは、一般に、多くの僧侶が葬祭の執行 の場面でしか信者と関わらず、仏教本来の修行や利他行(りたこう:他人に 利益を与える行い)をおろそかにしているような印象を与えがちな現代への 批判を含む言葉であろう。 確かに、仏教の発祥の地であるインドにまでさかのぼってみると、僧侶が葬儀 に関わっていたという形跡は見あたらず、釈尊(釈迦)の入滅に際しても、その 火葬などは在俗信者が行い、僧侶が関わっていなかったことは明らかである。 ※仏教と儒教−日本人の心を形成してきたもの−('13) 放送大学 1 仏教の成り立ちと広がり 4.日本仏教の特質 p24 竹村牧男 先生 東洋大学教授 8 仏教と日本文化 4.葬祭と仏教 先祖供養と仏教 p140 頼住光子 先生 お茶の水女子大学大学院教授 |
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生者が死者を送るなど 出来る訳がない |
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無縁となった8,000体の石仏|浄土宗念仏寺 西院の河原 古代より死者を葬る場所とされてきた化野(あだしの)|京都市右京区嵯峨 |
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"仏教"という言葉から日本人が連想するものは、葬式・法事といった 死者儀礼と、"お盆"・"お彼岸"の際の墓参りに代表される先祖供養 ではないかと思われるほど、現在では、死後の世界と密着した宗教 のようにみなされているのは事実なのである。 しかしながら、少なくとも浄土真宗という流れにおいては、絶対他力と しての阿弥陀仏の本願力による救済を説いているのだから、生きてい る人間が、死者をよりよい世界に送ったり、先祖を供養したり、などと いうことが出来るわけがないのである。 それどころか、宗祖親鸞聖人自身が、「それがし閉眼(へいがん)ぜば (⇒誰かが亡くなれば)、賀茂川に入れて、魚(うお)に与うべし」(改邪鈔 :がいじゃしょう)という言葉を残しているように、死者儀礼そのものさえ 不必要なのである。 しかしながら、日本人は、古来先祖を手厚く葬るのが長い間の伝統的 習慣であって、それが現代まで継続しているのも事実であるし、江戸 時代に、檀家制度が打ち立てられて以来、葬式・法事といった死者儀 礼を、徐々に僧侶が執行するようになり、やがて明治になって、神仏 分離が行われると、大部分の死者儀礼を、仏教側が受け持つように なったのも事実なのである。 ※我が家の宗教 浄土真宗 花山勝友, 坂東性純 大法輪閣 2003 第六章 仏事と先祖供養 p139-140 ○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る |
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教えの意味を理解できず 形式化している読経 |
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浄土三部経(じょうどさんぶきょう)の一つ 仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう) |
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仏前において読誦(どくじゅ⇒声に出して読む)される経典としては、…それらが あまりにも長いことから、徐々に簡略化されて、現在では、三経全部を読誦する 地方や僧侶は極めて稀になってしまったようだ。 その理由の一つは、読経を依頼する信者の側が、数時間にも及ぶ読誦に耐え られなくなってしまったからでもあるが、現実の問題として、その内容がいくら 重要であるかといっても、ただ棒読みに誦(よ)まれたところで、まったく理解する ことが出来なくなってしまったので、足のしびれを気にしながら、早く終わるのを 待っているだけでは無意味であるから、といってもよいであろう。 ※我が家の宗教 浄土真宗 花山勝友, 坂東性純 大法輪閣 2003 第二章 根本聖典 一. 浄土三部経 p23-24 |
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フレデリック・ショパン ピアノ・ソナタ 葬送行進曲 ハ短調 作品72-2 Chopin Funeral March in C minor Op.72-2 |
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日本人が宗教に関心を示さなくなった その背景 |
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お寺に掲げられる御年忌(おねんき)一覧 | |||
江戸時代の初期に、徳川幕府によって檀家制度とよばれるものが全国に施行 されて以来の三百数十年の間、日本人はあまりにも"家の宗教"に馴らされて しまったために、自分の家がどんな宗教の何という寺院の檀家か、ということ は知っていても、それではその宗派がどんな教えを説いているのか、という ことになると、まったくといってよいほど知らない者が大部分ということになって しまったのである。 もっとも、檀家制度そのものが、個人の宗教をまったく認めない制度であり、 ある一軒の家に生まれると、好むと好まざるとに関係なく、その家が所属する 寺院のメンバーとして登録されてしまうのだから、自然に宗教そのものに対し ての関心を失い、ただ必要な時にのみ家の宗教として利用する、といった 傾向が強くなっていったのも、無理からぬことかもしれない。 このような風潮が伝統的に代々続いてきたものだから、せっかく"信教の自由" が与えられて、だれでもが自由に個人としての自分の宗教を選べるように なった現代においても、依然として"家の宗教"に頼るだけで、まったく宗教 そのものは興味を示そうとしない日本人が大部分になってしまったのである。 ※我が家の宗教 浄土真宗 花山勝友, 坂東性純 大法輪閣 2003 はじめに p3-4 ○日本人の精神性を探る旅 |
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思想・民衆統制としての側面をもつ 檀家制度 |
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キリスト教禁止令を出した徳川幕府2代将軍 徳川秀忠(在職:1605-23) 浄土宗 松平西福寺所蔵 |
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1612年、2代将軍・徳川秀忠はキリスト教の信仰を禁止します。それに伴い、 民衆は必ず檀那寺(だんなでら、菩提寺とも)を持つこととされ(⇒寺請制度 ・檀家制度)、キリスト教信者でないことを証明する為には寺院の証明書 (寺受け証文)が必要となりました。 また、子どもが生まれると寺院に届け出る必要があり、寺院の証明書が なければ結婚も旅行もできず、戸籍管理としての役割を担うようになって ゆきます。 こうして寺院と檀家の関係は固定化され、寺替(てらがえ)・宗旨替(しゅうし がえ)は原則として認められなくなります。強い権限をもった寺院にとって 檀家制度はその経営の安定を生み出すことから維持・強化に努め、檀家 を経済的基盤として組み込んでゆきます。 このように檀家制度は、思想統制・民衆統制としての側面を持ち、明治を 迎えるまで続きます。明治4(1871)年に戸籍制度が定められたことによって 宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう、宗門人別帳とも)は廃止となりますが、 寺院の信徒把握の基本形態として現在まで継承されてきました。 |
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2歳になると記名された 宗門人別帳 |
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宗門人別帳 (しゅうもんにんべつちょう) | |||
※「忘れられた子どもたち」 宮本常一(著). 田村善次郎(編) 八坂書房 2015 間引きと堕胎 子を生むは罪 p73 愛知県佐久島の宗門人別帳を見ていて気のついたことだが、子どもが 生まれても二歳になるまでは人別帳へは記名してもらわなかったもの のようで、子どもはすべて二歳になってから記名されていた。 このような例はほかのところでも見かけられて、注意をひくが、要は誕生 一年をすぎるまでは、その生命はきわめてほろびやすくあてにならない ものであったためではないかと思われる。生誕満一年目を誕生祝いとする のもそのためであっただろう。 ※宮本常一(みやもとつねいち、1907-1981年) 民俗学者。日本各地を調査し、表立って語られることのなかった庶民 の生き方を研究。武蔵野美術大学教授などを務める。著書に「民俗学 への道」「日本人を考える」「忘れられた日本人」など。 |
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中央集権化の一環として構築された 神社のシステム |
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松尾大社(まつのをたいしゃ) 京都市西区嵐山 | |||
平安京(794年)・平城京(710年)ができる以前、大宝元年(701年)に鎮座したとされる 松尾大社。その起源は5世紀の頃、秦の始皇帝の末裔を称する秦氏(はたし)が、 朝鮮半島から渡来してこの地に住み、松尾山の神を一族の総氏神として仰いだ ことに遡るといわれます。 古来からあった信仰は、律令制(⇒中央集権的官僚制度、大宝律令:701年)の 導入時期になると、中央集権化の一環として「神社」の枠組みに落とし込まれて ゆきます。全国の主要な神社は神祇官(じんぎかん⇒神事を監督する役職)に 属する官社に認定され、神祇祭祀(じんぎさいし)を利用した天皇をトップとする 制度が構築されます。松尾大社は、二十二社体制の第四位に記されます。 ※二十二社体制 祈雨(きう⇒降雨を祈る)・祈年穀(きねんこく⇒その年の豊作を祈る)をはじめ国家 の大事に際して幣帛(へいはく⇒神に奉献する供物)を奉(たてまつ)る神社。 伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日・大原野・大神・石上・ 大和・広瀬・龍田・住吉・丹生・貴布禰・吉田・広田・北野・梅宮・祇園・日吉 ※京都文化の源流を探る― 秦氏の造った社寺 ― 2019.03 講師 野村朋弘 先生(京都造形芸術大学准教授) 会場 潟Wェイアール東日本企画 恵比寿本社ビル10階 主催 京都市・大学コンソーシアム京都 京あるきin東京2019「京都の大学による特別講座」 ○今を生きる私たちへの伝言|千三百年の時空を超える「奈良」 ○日本人の神々を祀る伊勢神宮 ○ローマから続くシルクロードの中継点 西安 |
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皇室のご先祖の神と仰ぎ 私たち国民が崇め敬う神宮 |
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皇大神宮の板垣南御門 | |||
「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれる伊勢神宮は、正式には「神宮」と いいます。 神宮には、皇室の御祖先の神と仰ぎ、私たち国民の大御祖神(おおみおやがみ) として崇敬を集める天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする内宮(ない くう)、皇大神宮:こうたいじんぐう)と、衣食住を始め産業の守り神である豊受大 御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする外宮(げくう、豊受大神宮:とようけだい じんぐう)を始め、14所の別宮(べつぐう)、43所の摂社(せっしゃ)、24所の末社 (まっしゃ)、42所の所管社(しょかんしゃ)があります。これら125の宮社全てを ふくめて神宮といいます。 ※伊勢神宮ホームページ 神宮について |
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政治に密接に関わってきた 宗教 |
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東本願寺 浄土真宗大谷派本山 真宗本廟(しんしゅうほんびょう) |
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親鸞を宗祖とする浄土真宗には10の宗派がありますが、その中でも よく知られる西本願寺(本願寺派)と東本覚寺(大谷派)の二つのお寺 は元々一つの本願寺でした。 浄土真宗は、中興の祖といわれる本願寺8代・蓮如(れんにょ)によって 繁栄してゆきますが、京都山科にあった本願寺は他宗派の焼き討ち によって焼失します。そこで大阪にあった石山本願寺(現大阪城公園) に拠点を移します。 1568年、全国統一を目指していた織田信長は石山本願寺の明け渡し を要求しますが、本願寺11代・顕如(けんにょ)はこれを拒否。1570年 から11年にわたり石山合戦が起こります。 1580年、時の天皇(正親町天皇:おおぎまちてんのう)の仲裁で両者は 和解し、顕如(けんにょ)は石山を退去することになります。しかし、 顕如の長男・教如(きょうにょ)はこれに反対し石山に籠り、父親から 破門にされます。 教如は後に石山を明け渡し、父・顕如が亡くなると本願寺12代となりま すが、豊臣秀吉の命により、弟・准如(じゅんにょ)に跡を譲り引退します。 しかしながら1602年、教如は徳川家康の援助によって現在の東本願寺 を建立。こうして西本願寺(本願寺派)と東本願寺(大谷派)が両立し、 現在に至っています。 ※二つの本願寺の謎−東本願寺と西本願寺− 2018.03 講師 草野顕之 先生 大谷大学文学部教授 会場 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス 京都の大学による特別講座 |
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日本国憲法に定められる 信教の自由 |
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日本国憲法の上諭(じょうゆ⇒冒頭にある天皇の裁可を示す文章) 国立公文書館 |
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※信教の自由 日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、 国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 |
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仏教の目的 仏に成ることを目指す |
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鎌倉の大仏 (国宝 銅造阿弥陀如来坐像) 浄土宗 大異山高徳院清浄泉寺 |
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仏教の目的は、言うまでもなく、"成仏(じょうぶつ⇒仏に成る)"にあるわけで、 すべての仏教徒は、開祖である釈尊(しゃくそん⇒お釈迦様)が説いた教え や戒律を実践することによって、釈尊と同じように、仏に成るべく努力して いるのである。 ※我が家の宗教 浄土真宗 花山勝友, 坂東性純 大法輪閣 2003 第四章 浄土真宗教義の特質 一, 自力から他力、さらに絶対他力へ p112 ○晩秋の鎌倉|北鎌倉から大仏ハイキングコースを抜けて長谷へ |
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世界の根源に返りゆくことを願う プロティノスの流出説 |
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新プラトン主義を代表する哲学者 プロティノス (3世紀) | |||
プラトンの伝統に立脚する「新プラトン主義」によれば、この世界は、最高位 にある無制約的存在者から流出したものであり、この一者(いっしゃ、トヘン: to hen)からの距離に従って階層秩序があると捉えています。 最高位には「一者(トヘン⇒神)」、次に「理性(ヌース⇒天使)」、さらに「魂(プ シュケー⇒人間の心)」と続き、この「魂」が物体的なものである「質料(ヒュレ ー⇒肉体)」と結合して「有機体身体(⇒人間)」が構成され、最下位の所には 「質料(ヒュレー)」のみがあり、それは暗黒の世界だとされます。 流出してきたものは、自らの源泉である「一者(トヘン)」のもとへ立ち返ること を願い、叡智(えいち)的なものへの激しい愛にかられた魂は、物体的なもの との混合物である肉体を自らにとっての牢獄と感じるに至るといいます。 ○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ |
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自力の限界に対する反省 他力本願 |
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…浄土宗があらわれるまでは、戒・定・慧(かい・じょう・え⇒三学)とよばれる、 仏教における三種類の実践行は、仏教徒にとっては不可欠の要素であった。 すなわち、日常生活においてはさまざまな戒律と呼ばれる規則を守り、何 ごとを行うにも精神統一によって行い、そして、仏の智慧の言葉が書かれ ている経典を読んで理解した上で実践する、といったことが、どうしても 必要であった。 …それでは、そのような実践をすることが不可能であり、しかも、釈尊の教え すら充分理解することが出来ないよう一般の人びとは、成仏することが出来 ないのであろうか、という疑問が起こってきた。 これは、決して自力の否定ではなく、自力の限界に対する反省であった。 そこに他力思想が生じてきた理由が存在する。 ※我が家の宗教 浄土真宗 花山勝友, 坂東性純 大法輪閣 2003 第四章 浄土真宗教義の特質 一, 自力から他力、さらに絶対他力へ p112-114 ○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神 ○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」 |
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われ疑う、ゆえに神あり 完全ではない自己の認識 |
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フランスの哲学者 ルネ・デカルト(1596-1650年)の肖像 フランス・ハルス (1649年) |
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※「吾(われ)疑う、故(ゆえ)に神(かみ)在(あ)り」 ―デカルトを読むジルソン デカルトの「方法序説」に記される「吾(われ)思う、故(ゆえ)に吾(われ)在(あ)り」。 デカルトを研究したフランスの哲学者ジルソン(1884-1978)は、 デカルトの思想について以下のように述べています。 「私は考える、それゆえ私は存在する」というこの真理はかくも堅固で 確実であることを(中略)みとめて、私はこの真理を躊躇なく、探しもとめて いた哲学の第一原理として受け入れることができると判断したのである。 それから私は「私が疑っている」ということ、したがって ――疑うより認識することのほうが完全性にあって大であると明晰に見て とったので、 ――「私の存在はまったく完全ではない」ことを反省してみて… 自分自身を疑うということは、完全ではない自分を認識することのよう。 こう認識した時、完全な存在である神が人の心に宿り、 神を畏(おそ)れ敬うことで人は謙虚になることができるようです。 深い真実への扉は、この世界を、 多様で多層で様々な色をもった世界と捉え直した時に開かれるようです。 ※降りつもる時の涯て−教養教育における人文学の意味 2017.06 講師 熊野純彦 先生 東京大学文学部教授 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 集英社高度教育寄付講座 第9回講演会「高度教養教育の現状と課題」 ○哲学からみた人間理解|自分自身の悟性を使用する勇気を持つ |
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自我を否定しないのは怠惰 水木しげる出征前手記 |
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深大寺の門前街にある鬼太郎茶屋 (東京都調布市) | |||
「ゲゲゲの鬼太郎」の著者である水木しげるさん(1922-2015年)。 1959(昭和34)年に調布に移り住んで以来、亡くなるまで住まれたそうです。 水木しげるさんは妖怪漫画家として知られる一方、戦争漫画を数多く残した ことでも知られます。太平洋戦争時に激戦地となったラバウル(パプアニュー ギニア)に赴き、左腕を失うも九死に一生を得た経験から、「ラバウル戦記」、 「総員玉砕せよ!」などの著作があります。 戦争に赴く前に記した原稿用紙38枚にも及ぶ「出征(しゅっせい)前手記」には、 これから戦地に送られる青年の不安や率直な思いが赤裸々につづられています。 ※「戦争と読書 水木しげる出征前手記」 水木しげる 荒俣宏 角川新書 2015 p18-19 二日(昭和十七年十月) (水木しげる 20歳) 今日も恥じ多き日だった。結局人間は馬鹿だ。 人間を去れば恥じも失せるだろう。 深く知らなければ救われない。 広く浅くでは駄目だ。 自我を否定する時は今だ。 この環境がこぞつて吾を滅ぼさんとする時、 泣かずわめかず自我を否定して怠けざるべく努めるのは今だ。 耐えるのは今だ。 自分はこうした事件(召集状)にその強さを発揮する。 平常の考へは、あとかたもなく吹き飛んでしまつて怠惰(たいだ)な、 苛々(いらいら)した、世界が現れる。 思ふに結局自我を否定しないのは怠惰だ。 ○はてなき光景をもった絶類の美 武蔵野 ○持続可能な循環型社会の基盤にあるもの |
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欲望や妬みといった煩悩を備える私たち 悪人正機説 |
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能面 「武悪(ぶあく)」 | |||
※歎異抄(たんにしょう) 第三章 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、 悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。 この条一旦そのいはれあるに似 たれども、本願他力の意趣にそむけり。 善人でさえ極楽浄土へ往生できるのですから、悪人ならなおさらのことです。 ところが世の人々は常々、悪人でさえ往生できるのだったら、善人はなおさら だと言います。このことはひとまず理にかなっているようですが、阿弥陀仏の 本願他力の考え方には反しています。 そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、 弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみ たてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。 その理由は、自分の力で善行をしている人は、全く他力に頼る気持ちがない ので、阿弥陀仏の救いではないのです。しかし、自力のこころをひるがえし て他力に頼むようになれば、本当の浄土に往生を遂げるのです。 煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、 あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、 悪人成仏のためなれば、他力を たのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、 まして悪人はと、仰せ候ひき。 欲望や妬みといった煩悩にまみれた私たちは、どんな行いをしたとしても、 迷いの世界から離れることはできないのを憐れまれて願いを立てた本当の 意味は、悪人が成仏するためであり、他力に頼る悪人こそが往生する人な のです。そのような訳で、善人でさえ往生できるのですから、悪人ならなお さらのことだと、仰せになったのです。 ○善と悪を兼ね備える人間|善の基礎となる個人性の実現 ○愛するあまり滅ぼし殺すような悪 |
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お坊さんと舞子さん 姫・坊主・姫・坊主 |
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祇園 | |||
※「京都ぎらい」 井上章一 朝日新書 2015 二 お坊さんと舞子さん 姫・坊主・姫・坊主 p74-76 祇園の料理屋ででくわしたのが最初だと思うが、(中略) その席には、僧侶が すわっていた。(中略) いや、僧侶だけではない。そこには、着かざった芸子 たちも、腰をおろしていた。しかも、僧、芸子、僧、芸子…と、かわりばんこに 座っていたのである。(中略) 扉口でその光景をとらえた私は、すぐに百人一首の坊主めくりを、思い出して いる。姫、坊主、姫、坊主…と絵札のならぶ様子が、脳裏に去来した。(中略) 袈裟(けさ)をはおった僧侶が、人前で芸子とじゃれあうことも、京都ではよく ある。私じしん、その後も何度か、そういう場面を目撃した。数少ないお茶屋 あそびのおりにも、芸子たちから証言をもらっている。僧侶は、いいお客さん である、と。(中略) 名はふせるが、三井寺のある僧侶に、こう告げられたこともある。「祇園も 先斗(ぽんと)町も、わしらでもっているようなもんや。わしらがあそびに いかへんかったら、芸子や舞子のおるとこは、つぶれてしまうやないか」 ※井上章一(いのうえ・しょういち) 1955年京都府生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程 修了。国際日本文化研究センター教授、同副所長。専門の建築史・意匠 論のほか、美人論、関西文化論など日本文化について広い分野にわた る発言で知られる。著書に「霊柩車の誕生」「つくられた桂離宮神話」 「美人論」「阪神タイガースの正体」「現代の建築家」など多数。 |
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「Lesbian」 「Gay」 「Bisexual」 「Transgender」 LGBT |
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※「京都ぎらい」 井上章一 朝日新書 2015 二 お坊さんと舞子さん 男をわすれた僧侶たち p84 すこし歴史をさかのぼってみてほしい。比叡山には、男でありながら男を 愛した僧が、おおぜいいた。天台座主(てんだいざす)を擁した比叡山は、 男色の総本山とでもいうべき場所である。多数の学僧、名僧たちが、 稚児愛をくりひろげてきたアカデミアに、ほかならない。当代最高の知性 と評されてきた男たちも、男どおしで愛しあってきた。 |
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他の命を奪わなければ生きていけない矛盾 生きようとする小さな命 |
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宇宙を視野に入れた壮大なスケールで人間存在の神秘や生と死の矛盾を問い、 現代社会に生きる人間を描いた日本画家・山辰雄(1912-2007)。自然と人間 の深いつながりや、そこに横たわる生命の尊厳について思慮し、それを自身の 精神的な土壌として制作を重ねた作家です。 高山辰雄は大分に生まれ、後に世田谷に拠点を移し創作を続けたそうです。 2018年は大分県立美術館と世田谷美術館で「人間・山辰雄展――森羅 万象への道」が開催されていました。 大分県立美術館に所蔵される作品の一つ「食べる」(1973年)には、身を乗り 出して何かを一心に食べている幼い子どもが描かれています。 ○高山辰雄の言葉 僕は子どもが何か食べているのを見ると、何だかたまらなくなるんです。 食べない訳にはいかない。無我夢中で食べている。そこに僕は人間の 必然性のようなものを感じるのだと思う。それがたまらなく悲しくなるの です。 他の命を奪わなければ生きていけない矛盾を背負い、それでもひたむき に生きようとする小さな命の姿。これから先の見えない困難な道を歩んで いかなければならず、生きることの厳しさや悲しみから逃れることのでき ない命の姿が託されているように思えます。 ※人間・山辰雄展――森羅万象への道 世田谷美術館 2018年4月14日〜6月17日 大分県立美術館 2018年7月7日 - 8月19日 ※日曜美術館 宇宙に触れたかったひと〜日本画家・山辰雄〜 2007年12月23日 NHK Eテレ ○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国 ○自然と人間のつながり|日本一の「おんせん県」 大分 ○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面 |
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生命体の本質 他者を殺して食べること |
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イヌイットにとって重要な食糧となっているクジラ | |||
※旅をする木 星野道夫 文春文庫 1999 私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびる のかという終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を 殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では、見えにくいその約束 を最もストレートに受け止めなければならないのが狩猟民である。 約束とは、言い換えれば、血の匂いであり、悲しみという言葉に置き換え てもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが、古代からの神話 なのだろう。 つまり、この世の掟であるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすます ことができなければ、たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え 続けても、人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのでは ないだろうか。人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の 中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。そしてその行為 をやめたとき、人の心はその自然から本質的に離れてゆくのかもしれない。 ※旅をする木 星野道夫 文春文庫 1999 ○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質 ○食・農・里の新時代を迎えて |
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自然を超越する宇宙の力 もののあわれ |
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※「俳句への道」 高浜虚子 もののあわれ 二 人は戦争をする。悲しいことだ。しかし蟻(あり)も戦争をする。蜂(はち)もする。 蟇(がま⇒ヒキガエル)もする。その外(ほか)よく見ると獣も魚も虫も皆互いに 相食(あいは)む。草木の類(たぐい)も互に相侵(あいおか)す。これも悲しいことだ。 何だか宇宙の力が自然にそうさすのではなかろうか。そこにももののあわれが 感じられる。 ※高浜虚子(たかはま きょし、1874年〈明治7年〉-1959年〈昭和34年〉) 愛媛県出身の俳人。家は旧松山藩士。正岡子規に師事し「ホトトギス」 を主宰。花鳥諷詠を提唱した。明治43年に一家で鎌倉に移住。昭和34 年鎌倉で没する。 ○苦しみに満ちている人間の生からの救済 ショーペンハウアー |
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排除の構造をもつ 人間存在 |
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人間は、自己の生存の可能性を追い求めるかぎり、生存のための場(空間)を 確保しなればならない。生存のための場を確保することは、その場から他者 を排除することを意味する。人間存在は、本質的に排除の構造に貫かれて いるというべきだろう。 ※親鸞─悪の思想 伊藤益 集英社新書 2001 結章 悪の比較論 宗教的実存 p194 ○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」 |
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ヒトは 「いじめ」をやめられない |
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「Pollice Verso」 (1872) ジャン=レオン・ジェローム Phoenix Art Museum |
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※「ヒトは「いじめ」をやめられない」 中野信子 小学館新書 2017 はじめに p12-13 いじめは、子どもの世界だけでなく、大人の世界にもあります。そして、時代 や国を問わずどこでも存在します。 昔から日本には凄絶な(せいぜつ⇒非常に凄まじい)「村八分」があり、クー・ク ラックス・クラン(KKK⇒米国の白人至上主義による秘密結社)にしても、ネオ ナチ(ナチズムを正当化する勢力)にしても、『正義』の名の下に、時には対象者 が死に至るほどの過激な制裁・排除行動が行われてきました。いじめは学校 だけでなく、企業やママ友グループ、スポーツチーム、地域コミュニティなど、 集団の中では必ず起こりうる現象です。 近年、こうした人間集団における複雑かつ不可解な行動を、科学の視点で解き 明かそうとする研究が世界中で進められています。 その中でわかってきたことは、実は社会的排除は、人間という生物種が、 生存率を高めるために、進化の過程で身につけた「機能」なのではないか ということです。 つまり、人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動 がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるから、という ことです。 ○春の訪れを告げるカーニバル|祭りに託した人間の願い |
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階層間格差の拡大 階層固定化の進展 |
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日本社会は、戦後数十年間にわたり、一貫して平等化を進展させてきた 世界でもまれな存在であった。ジニ係数や流動性指数などの諸指標は、 1980年代初め頃まで継続して平等化が進展してきたことを示している。 しかし、80年代半ばを境に、そのベクトルは逆転する。階層(⇒社会的 地位、身分)間格差の拡大と世代間の階層固定化が進み始めたのである。 ※格差社会と新自由主義('11) 6 階層間格差の拡大 p96 岩永雅也 先生 放送大学教授 |
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個人の自由と他者への介入 自由主義 |
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フランスから寄贈された「自由の女神」 ニューヨーク | |||
自由主義とは、「個人の自由」を尊重するという人間の原理的な主張であり、 個人が他者や自然・社会環境から自律して、独立した意思決定を行うこと ができる、という考え方である。 …問題は、このような「個人の自由」を守ること自体の中に、実は「個人の 自由」を守ることと矛盾することが含まれ、重要な要素として内在している 点である。 …多くの場合に、「個人の自由」は、その生のままで取り出せることはなく、 他者の「個人の自由」に接触する可能性がかなり高いという現実である。 …一人の人の「個人の自由」を守ることと、その「個人の自由」に抵触する 形で発展してきた、もう一人の他者の「個人の自由」とどちらを優先すべき か、という問題が直ちに生ずることになる。 ※格差社会と新自由主義('11) 3 新自由主義の台頭 3.「個人の自由」と「他者への介入」 p48-49 坂井素思 先生 放送大学教授 ○魔力を秘め、夢と現実が交錯する ニューヨーク |
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幸福になると信じてきた 新自由主義 |
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イデオロギーとはこの文脈では、ある社会においてその社会の構成員の思考や 感情を制御するような、信念体系のことを意味する。近代社会以前では、そうした 信念体系の典型は、宗教であった(そして現代でも、社会によって差異はあるが、 宗教にはそうした側面がある)。 イデオロギーは、人々に世界の見方を与える。それは現代社会のような複雑性 をもった社会において、<社会のあり方>や<人の生き方>に関する明快な意味を 提示する、という機能をもつ。 …イデオロギーとしての新自由主義は、人々に一つの理想的な社会のイメージ を与える。それは、自由市場を中心とした、消費者文化に支配された社会という イメージであり、こうした社会が、他の社会よりも快適であり、より多くの幸福を もたらすと人々に教える。 つまり、このイデオロギーは、物質的な財の生産と交換、消費を、人間の経験 の中心的なものとなしているという点で、経済的イデオロギーである。しかし ながら新自由主義のイデオロギーは、人びとに不可避性(⇒他に選択がない) の感覚を植えつけるという点で、政治的イデオロギーでもある。 ※格差社会と新自由主義('11) 2 冷戦の終わりと新自由主義 1.新自由主義とは何か p25-26 山岡龍一 先生 放送大学教授 ○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識 |
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エゴイズムを善意にすり替えて 生きる人間 |
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弟子たちと食事をとりながら裏切り者がいることを告げる場面 「最後の晩餐」 レオナルド・ダ・ヴィンチ |
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※「深い河」 遠藤周作 講談社文庫 1996 p307-308 復讐や憎しみは政治の世界だけではなく、宗教の世界でさえ同じだった。 この世は集団ができると、対立が生じ、争いが作られ、相手を貶(おとし) めるための謀略(ぼうりゃく)が生まれる。 戦争と戦後の日本のなかで生きてきた磯辺はそういう人間や集団を嫌と いうほど見た。正義という意味も聞きあきるほど耳にした。そしていつか 心の底で、何も信じられぬという漠然とした気分がいつも残った。 だから会社のなかで彼は愛想よく誰とでもつき合ったが、その一人をも 心の底から信じていなかった。 それぞれの底にはエゴイズムがあり、そのエゴイズムを糊塗(こと:一時 しのぎにごまかす)するために、善意だの正しい方向だのと主張している ことを実生活を通して承知していた。彼自身もそれを認めた上で波風の たたぬ人生を送ってきたのだ。 だが、一人ぼっちになった今、磯辺は生活と人生が根本的に違うことが やっとわかってきた。そして自分には生活のために交わった他人は多 かったが、人生のなかで本当にふれあった人間はたった二人、母親と 妻しかいなかったことを認めざるえなかった。 ○エゴイズムへの絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」 ○地中海の風に誘われて 宝石のような街並みへ |
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自由と己とに充ちた現代 その犠牲として淋しみを味わう |
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夏目漱石「こころ」の中で、「先生」が毎月参った 自殺したKの墓がある雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん、東京都豊島区) |
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※「こころ」 夏目漱石 十四 自由と独立と己(おのれ)とに充みちた現代に生れた我々は、 その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。 ○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である」 ○松山賛歌|「坊ちゃん」に学ぶ日本人の精神性 |
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つながりが失われ個人化する 日本人 |
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お焼香 | |||
※「民間伝承」 柳田國男 1948 社会科教育と民間伝承 家といふ群がもし本とうに崩れてしまふものならば、其(その)代りとなって再び 出現するものは、どんな群であらうか。 日本の葬儀は一般的に通夜と告別式が行われています。通夜は元々、夜を通して 死者と最後の時間を過ごす意味あいがありましたが、今日の通夜は、夜の時間帯 に一般の弔問客を迎え、読経を行い、お焼香をするといった儀式となっています。 その結果、通夜と告別式は類似化し、通夜を行わない一日葬が増えているととも に、宗教儀式を行わない「直葬」は東京では2〜3割にのぼるといいます。 また、近年注目される散骨や樹木葬といった葬法には、後継者を必要としない という特徴があります。 このように大きく変化している日本の葬儀ですが、その背景には地域とのつながり 中にあった「家」の消滅に起因すると指摘されます。 工業化の進展に伴い企業規模が大きくなると、人びとはこれまでの「家」を離れ 会社に属し、核家族や単身世帯が増加します。地域と「家」とのつながりの中 にあった旧来の葬儀は、高度経済成長に支えられた会社と「核家族化した家」 のつながりに代替されてゆきます。葬儀には多くの会社関係者が出席し、また、 会社関係者の両親や祖父母の葬儀に出席することによって、つながりは維持 されてきたように思えます。 しかし、90年代のバブル崩壊とともに会社と「核家族化した家」とのつながりは 断絶を迎え、景気の低迷に多くの人々が苦しむことになります。賃金低下、 希望退職や雇止め、共働き化と男性の家事・育児への参加、待機児童問題、 うつ病や自殺、少子化問題、自己責任論…… タテとヨコのつながりを失い個人化した結果、プライベートな死生観が重視され、 他人を煩わせないような死に方が潮流となっているように思えます。 ※死者と生者の共同性−葬送墓制の再構築をめざして− 2018.12 第109回歴博フォーラム 主催 国立歴史民俗博物館 共催 早稲田大学人間科学学術院 会場 早稲田大学大隈記念講堂大講堂 ○破壊と再生|日本型うつ病社会に別れを告げて |
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共に和をなして生きる イエローベスト運動 |
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フランス・パリ | |||
※日本の報道への違和感 筆者は20年来のフランス在住者として、日本メディア、特にテレビによる 今回のデモ報道に、強い違和感を禁じ得ない。過激な破壊シーンばかり がクローズアップされ、デモの実態や政界の対応などの核心が、適切 に伝えられていないと感じる。 さらに言えば、社会における「デモ」の意味や重要性が誤解されている ことが、とても歯がゆい。 日本においてデモとは、あたかも「一部の過激集団による迷惑行為」の ような扱いをされている。しかしフランスのそれは違う。 市民の声を集めて政治に届ける、激しくも有効なコミュニケーション手段 の一つだ。それはフランスの国家制度である「共和制」、出自も生活レベル も異なる様々な市民が「共に和をなして生きる」ことを目指す制度の、根幹 をなす権利でもある。 ※フランス全土が怒りに震える「黄色ベストデモ」という“階級闘争” これは国民からの正当な異議申し立てだ 崎順子 現代ビジネス 講談社 2018.12.8 (部分) ○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと |
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社会階級の集団 庶民 |
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1789年7月14日、フランス革命の発端となった バスティーユ襲撃 |
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※デモは「共和国」の根幹 デモの声を無視することは、フランスの政治家には許されない。そして その理由は、非常に分かりやすい。それはフランスが「共和国」である、 ということに尽きる。 共和国とは、1789年のフランス革命で市民が絶対王政を倒した後、作り 上げた国家体制である。出自も生活レベルも様々な市民が「法の前に 平等である」と認め合い、「共に和をなす」社会を目指すものだ。 不条理な支配体制を強いる絶対王政との闘いの末、流血沙汰の反動と 改革を100年近く繰り返しながら、もぎ取った勝利だ。その後も権力者に よる搾取の悪夢を忘れず、独裁の恐れがある政治家は容赦無く潰して きた結果、今ではどの政権も殊更に「共和国」であることを強調する。 大統領が演説の最後を必ず「フランス万歳、共和国万歳」で締めくくる 作法は、その象徴とも言えるだろう。 ※フランス全土が怒りに震える「黄色ベストデモ」という“階級闘争” これは国民からの正当な異議申し立てだ 崎順子 現代ビジネス 講談社 2018.12.8 (部分) ○私たちの身近に寄り添う「愛と人間性」の芸術 ミュージカル |
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Do you hear the people sing? - Les Miserables - High res, w/ lyrics | |||
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自然に口からほとばしる 念仏申さんと思い立つ心の起きるとき |
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浄土真宗の宗祖 親鸞 「安城の御影(あんじょうのみえい)」 西本願寺 |
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※歎異抄(たんにしょう) 第一章 (部分) 弥陀(みだ)の誓願(せいがん)不思議(ふしぎ)にたすけられまひらせて、 往生(おうじょう)をばとぐる(遂げる)なりと信じて念仏申さんとおもひたつ こころのおこるとき、すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益にあづけ しめたまふなり。 ※現代語訳 阿弥陀仏(⇒弥陀)によって立てられた人知を超えた(⇒不思議)誓い(⇒ 誓願)に助けられて、往生(おうじょう⇒極楽浄土に生まれる)を遂げると 信じて念仏をとなえようという気持ち(⇒こころ)が起きたとき、救い摂った ら決して捨てることのない恩恵(⇒利益)を阿弥陀仏は与えるのです。 ○個性化の過程|自分が自分になってゆく ○光は闇の中で輝く|世代とジェンダーを越えて発展する |
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参 考 情 報 | |||
○浄土宗総本山 知恩院 ○浄土真宗本願寺派 西本願寺 ○浄土真宗大谷派 東本願寺 ○時宗総本山 遊行寺 ○浄土宗 松平西福寺 ○あだし野 念仏寺 ○歎異抄講読 ○松尾大社 - MATSUNOO TAISHA ○京まなび2019 京あるき2019 ○魅力的なフリー画像 ・ Pixabay ○Imagebase - Absolutely free images ○Wikipedia ○死者と生者の共同性−葬送墓制の再構築をめざして− 2018.12 第109回歴博フォーラム 主催 国立歴史民俗博物館 共催 早稲田大学人間科学学術院 会場 早稲田大学大隈記念講堂大講堂 ○新版 法然と親鸞の信仰 倉田百三 講談社学術文庫 2018 ○梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍 梅原猛 PHP文庫 2014 ○親鸞と歎異鈔 今井雅晴 吉川弘文館 2015 ○親鸞…悪の思想 伊藤益 集英社新書 2001 ○我が家の宗教 浄土真宗 花山勝友, 坂東性純 大法輪閣 2003 ○親鸞 いまを生きる 姜尚中, 田口ランディ, 本多弘之 朝日新書 2011 ○仏教と儒教−日本人の心を形成してきたもの− 竹村牧男 先生 放送大学客員教授・東洋大学教授 高島元洋 先生 放送大学客員教授・お茶の水女子大学教授 ○二つの本願寺の謎−東本願寺と西本願寺− 2018.03 講師 草野顕之 先生 大谷大学文学部教授 会場 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス 京都の大学による特別講座 ○京あるきin東京2019「京都の大学による特別講座」 2019.03 ・祇園祭最後の復興曳山「鷹山」 村上忠喜 先生(京都産業大学文化学部京都文化学科 教授) ・京都の「空間/景」 新井清一 先生(京都精華大学デザイン学部建築学科 教授) ・天下人はどのくらい京都にいたのか 尾下成敏 先生(京都橘大学文学部歴史学科 准教授) ・平安貴族の男性ファッション― 即位の年を迎えて ― 鳥居本幸代 先生(京都ノートルダム女子大学名誉教授) ・最澄と空海:平安京の仏教のはじまり 師茂樹 先生(花園大学文学部文化遺産学科 教授) ・京都の御土居 岩ア奈緒子 先生(京都大学総合博物館・館長、教授) ・西陣界隈 ― 生活と祭事をたずねて 渡辺信一郎 先生(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター 所長) ・平安京の流行歌 ― 今様の世界 ― 植木朝子 先生 (同志社大学副学長、教育支援機構長、文学部国文学科 教授) ・京都文化の源流を探る― 秦氏の造った社寺 ― 野村朋弘 先生(京都造形芸術大学准教授) ・御室仁和寺から天皇と仏教の関係を考える ― 9世紀の天皇と平安京周辺寺院 ― 駒井匠 先生(大谷大学文学部歴史学科 任期制助教) ・魅惑の京都建築 ― 近代京都の再発見 川島智生 先生(京都華頂大学教授) ・会場 株式会社ジェイアール東日本企画 恵比寿本社ビル10階 ・主催 京都市・大学コンソーシアム京都 ○京都ぎらい 井上章一 朝日新書 2015 ○忘れられた子どもたち 宮本常一(著). 田村善次郎(編) 八坂書房 2015 ○法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌 特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」 東京国立博物館 平成館 特別展示室 2011年10月25日〜2011年12月4日 ○特別展「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」 東京国立博物館 平成館 2018年1月16日〜3月11日 ○プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 マックス・ウェーバー 中山 元(訳) 日経BPクラシックス 2010 ○「誕生 日本国憲法」 国立公文書館 平成29年春の特別展 2017年4月8日〜5月7日 ○フランス全土が怒りに震える「黄色ベストデモ」という“階級闘争” これは国民からの正当な異議申し立てだ 崎順子 現代ビジネス 講談社 2018.12.8 ○フランスデモ、怒りの根底にある「庶民軽視・緊縮財政」の現代史 小田中直樹 現代ビジネス 講談社 2018.12.14 ○新自由主義に抗戦するフランス国民、沈黙する日本国民<菊池英博氏> ハーバービジネスオンライン 2018.12.20 ○寺持たず車中泊 僧侶の生き方 2年以上くるま暮らし“車中泊僧侶”になったわけ 2019/2/20(水) MBSニュース |
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