善と悪を兼ね備える人間

善の基礎となる個人性の実現


| 強者の利益 | 利と害の中間 | 自然状態 | 魂の働き | 種の起源 | 不正を隠す | 偽善を振る舞う |
| カニバリズム | 経済的合理性 | 実利主義的な道徳意識 | 倫理ある市場経済 | 一体である善と悪 |
| 善と悪をもつ人間 | 洞窟の比喩 | 外の世界を知る | 太陽の比喩 | 太陽神 | 権力を敬う庶民 |
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正義とは
強者の利益にほかならない

戦国時代を制した豊臣秀吉 (狩野光信筆 高台寺蔵)


※「正義」に対するトラシュマコス(Thrasymachos:弁論家・ソフィスト)の考え
 「国家(上)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第一巻 十二 p55



では聞くがよい。私は主張する、<正しいこと>とは、強い者の利益にほかならないと


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正義とは
利と害の中間的な妥協

自然の中で暮らした縄文人 国立科学博物館


※「正義」に対するグラウコン(Glaucon:プラトンの兄・次男)の考え
 「国家(上)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第二巻 一 p117


人々はこう主張するのです。─自然本来のあり方からいえば、人に不正を

加えることは善(利)、自分が不正を受けることは悪(害)であるが、ただどち

らかといえば、自分が不正を受けることによってこうむる悪(害)のほうが、

人に不正を加えることによって得る善(利)よりも大きい。



そこで、人間たちがお互いに不正を加えたり受けたりし合って、その両方を

経験してみると、一方避けて他方を得るだけの力のない連中は、不正を加

えることも受けることもないように互いに契約を結んでおくのが、得策である

と考えるようになる。



このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶという

ことを始めた。そして法の命ずる事柄を「合法的」であり、「正しいこと」で

あると呼ぶようになった。



これがすなわち、<正義>なるものの起源であり、その本性である。つまり

<正義>とは、不正をはたらきながら罰を受けないという最善のことと、不

正な仕打ちを受けながら仕返しをする能力がないという最悪のこととの、

中間的な妥協なのである。


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法も国家も存在しない
自然状態

旧約聖書ヨブ記に登場する怪物「リヴァイアサン」


イギリスの哲学者トーマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679年)の

著書「リヴァイアサン(Leviathan),1651」。



ホッブズは国家(コモンウェルス)を旧約聖書に登場する怪物リヴァイア

サンに例えて、その正体を明らかにしようとします。



ホッブズは国家を考えるにあたって、法律も国家も存在しない「自然状態」

というものを想定します。そのような状態での個人の意志は、もっぱら自己

保存へと方向づけられた情念(パッシオン)に支配されたものであるとし、自分

の生存にとって都合の良いものが意欲の対象、すなわち善となり、都合の悪

いものが嫌悪の対象、すなわち悪であると指摘します。



このような自然状態では、一見全く利己的なあり方も自然から個人に平等に

与えられた権利「自然権(ナチュラル・ライト:Natural Right)」であると捉えます。



しかし、このような利己的情念が制御されない「自然状態」では、個人同士は

「万人が万人の敵である(ラテン語:bellum omnium contra omnes, 英:the war

of all against all)」といった戦争状態に置かれることになり、そこには、力と

欺瞞のみが支配し、人びとの間には正義も財産も安らぎもなく、「自然権」は

かえって損なわれることになります。



しかし、その死の恐怖のなかで、人間の理性が目覚めるといいます。

この理性の声に従って、各人は、自分の自然権の一部を断念して、契約を

交わし、法を作り、それに基づいて「国家(コモンウェルス)」をつくる決意を

したとされます。



※近代哲学の人間像
 主任講師 佐藤康邦 先生 放送大学教授
 4 近代科学の成立と哲学(3)−デカルト哲学への批判−
 1,ホッブズの哲学 p55-60



○哲学からみた人間理解|悟性を使用する勇気を持つ


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人間の魂のもっとも単純なはたらき
自己保存と憐憫の情



※「人間不平等起原論」 J.J. ルソー. 本田喜代治(訳), 平岡昇(訳) 岩波文庫 1972 序文


人間の魂の最初のもっとも単純なはたらきについて省察してみると、

私たちはそこに理性に先立って二つの原理が認められるように思う。



その一つはわれわれの安寧(あんねい)と自己保存について、

熱烈な関心をわれわれにもたらせるものであり、

もう一つはあらゆる感性的存在、主としてわれわれの同胞が滅び、

または苦しむのを見ることに、自然な嫌悪を起こさせるものである。



○最も進んでいないイノベーション 人間に関する知識


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生存競争において有利である保存について
種の起源

チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809-1882年)


進化論を説いたチャールズ・ダーウィンの著書「種の起源」(1859年)。

原題は「On the Origin of Species by Means of Natural Selection,

or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life」と記され、

直訳すると「自然選択(Natural Selection⇒自然淘汰)による種の起源

(Origin of Species)、すなわち(or)、生存競争(Struggle for Life)において

有利(Favoured Races)である保存(Preservation)について」。



自然選択を経て今日存在している種は、遡れば共通の祖先から進化し、

猿人類は約3千年前のプロコンスル(Proconsul)が祖先だと考えられています。



遺伝子からみるとヒトはゴリラよりチンパンジーに近いそうで、進化の隣人

であるチンパンジーの生態を知ることは、私たちの行動や社会の特徴と

いった人間性に気がつく手掛かりになるといいます。



ヒト科チンパンジーに属するボノボはアフリカ大陸のコンゴ共和国(旧ザイール)

にのみ生息しています。かつてピグミーチンパンジーと呼ばれていましたが、

ピグミー(Pygmy)には、背か低いといった意味や能力が劣ったという意味がある

ことからボノボに変更されています。



チンパンジーとボノボの生態を比較すると、チンパンジーはオス1頭に対して

メスは2〜3頭(一夫多妻)、ボノボはオス1頭に対してメスは1頭(一夫一妻)。

オスとメスの力関係では、チンパンジーでは圧倒的にオスが強いのに対し、

ボノボではメスが強いといわれます。



チンパンジー・ボノボともに食べ物を分け合う食物分配行動がみられますが、

チンパンジーは集団間での殺し合いや集団内での子殺しがあるのに対して、

ボノボでは見られないそうです。



ボノボのオス同士では「マウンティング」やお尻をこすり合う「尻つけ」といった

行動が見られます。「マウンティング」は一般的に相手の腰の上に手をかけ乗り、

自分の優位性を示す行動だとされますが、ボノボの場合は上下を入れ替えて

繰りかえし行われることから、対等性を認め合うものとして行われていると

考えられています。



メス同士では「性器擦り」(現地の言葉ではホカホカ)といった行動や、

オスとメスの繁殖期以外での交尾は、生殖と性が分離し、社会関係

を調整する機能があるといわれます。



※森林と草原のモザイク地帯にすむボノボ 2017.12
 講師 伊谷原一 先生 京都大学野生動物研究センター 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第89回 京都大学丸の内セミナー



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む


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正義とは
不正を偽善の下に隠すこと

「いかさま師」(1636-38) ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館


※「正義」に対するアデイマントス(プラトンの兄、長男)の考え
 「国家(上)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第二巻 九 p136-137


われわれはただその最大の不正を、人目を欺く巧みな偽善の下にかくして所有

しさえすればよい。そうすればわれわれは、神々のもとでも人間たちのあいだ

でも、生きているあいだも死んでからのちも、気ままに暮らして行けるのだと

いうことは、一般の人々も権威ある大家たちも、口をそろえて保証するところ

ではありませんか。



…とにかく何らかの力をもつ人が<正義>を尊重する気になるなどいうことが、

はたしてありうるでしょうか? むしろそのような人は、<正義>が賞賛されるの

を聞けば、笑い出さずにはいられないのでしょうか?



○プリマヴェーラ|悲劇によって道義を知る「虞美人草」

○人間的なるものの別名|愛するあまり滅ぼし殺すような悪


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誠意を身につけているように
振る舞う人間

フィレンツェ・ルネサンスの黄金時代を築いた
ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492年) 画:ヴァザーリ


※「君主論」 マキャヴェッリ, 河島英昭(訳) 岩波文庫 1998
  第18章 どのようにして君主は信義を守るべきか p131-133


君主が信義を守り狡猾(こうかつ)に立ちまわらずに言行一致を宗(むね)と

するならば、いかに讃(たた)えられるべきか、それぐらいのことは誰にでも

わかる。



だがしかし、経験によって私たちの世に見えてきたのは、偉業を成し遂げた

君主が、信義などほとんど考えにも入れないで、人間たちの頭脳を狡猾に

欺(あざむ)くすべを知る者たちであったことである。そして結局、彼らが誠意

を宗(むね)とした者たちに立ち優ったのであった。



…したがって、君主たちに必要なのは、先に列挙した資質(慈悲深く、信義

を守り、人間的で、誠実で、信心ぶかい)のすべてを現実に備えていること

ではなくて、それらを身につけているかのように見せかけることだ。

いや、私として敢えて言っておこう。すなわち、それらを身につけてつねに

実践するのは有害だが、身につけているようなふりをするのは有益である、と。



…君主たる者は、わけても新しい君主は、政体を保持するために、時に

応じて信義を背(そむ)き、慈悲心に背き、人間性に背き、宗教に背いて

行動することが必要なので、人間の善良な存在と呼ぶための事項を何も

かも守るわけにはゆかない。



…君主たる者は、したがって、先に記した五つの資質が身に備わっていない

ことを暴露してしまう言葉は、決して口から出さぬよう、充分に気をつけなけ

けばならない。そして外見上、聞くにつけ見るにつけ、いかにも慈悲ぶかく、

信義を守り、いかにも人間的で、いかにも誠実で、いかにも宗教心に満ちて

いるかりように、振る舞わなければならない。



※マキャヴェリは「君主論」の冒頭で、この書をロレンツォに捧げると記しています



○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ


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偽善は
互いに互いを食い合うことにほかならない

ギリシア神話の怪物キマイラ(Chimaira)、(異質なものの合成)
アテネ国立考古学博物館(National Archaeological Museum of Athens)


さあそれでは、この人間にとって不正をはたらくことが有利であり、正義をなす

ことは利益にならない、と説く人に対して、われわれは、その主張の意味する

ところはまさしく次のようなことになるのだと、言って聞かせることにしようでは

ないか。



─すなわちこの人間にとっては、かの複雑怪奇な動物(※)とライオンと、ライ

オンの仲間どもに御馳走を与えてこれを強くし、他方、人間を飢えさせ弱くして、

動物たちのどちらかがつけていくままにどこへでも引っぱられていくようにして

しまうこと、そして二つの動物たちが相互の間で噛み合い闘い合って、互いに

相手を食い合うがままにさせておくこと、このようなことが利益になるのだとね。



※複雑怪奇な動物
  一つの体に複数の頭があり、そこには人間の頭、ライオンの頭、怪物の頭
  がある。人間の頭には穏やかな頭もあれば猛々しい頭もあり、それらは
  変化させたり、自分の中から生やすことができる。
※「国家(下)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第九巻 十二 p326-327



○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質


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経済的合理性による
競争の激化



フランスの歴史・人口学者のエマニュエル・トッド氏は現在先進国で起きている

共通点を以下のように指摘している。


  宗教的信仰やイデオロギーが崩壊し集団が共有する展望が欠落してきている。

  欧米は競争社会が激化し、宗教より経済的合理性が優先されるようになりつつ

  ある。しかし経済は良い生き方を定義しない。格差が拡大し中間層が没落して

  いる。「貧困は自己責任」との風潮が広がり、他者への思いやりや助け合う共同

  体の絆が崩れた。また移民の増大に対する反発等で社会が不安定化している。



  急速な高齢化による人口の歪が出てきており、無責任な高齢者によるウルトラ

  個人主義が増加してきている。若者の意見が政治に反映されなくなってきている。





アメリカでは上位10%の裕福層が富全体の48%を占め、残りの人口90%が富全体の

52%を占めている。日本では上位10%の裕福層が富全体の40%を占め、残りの人口

90%が富全体の60%を占めている。



日本の労働力人口6556万人のうち、非正規労働者は2023万人と4割弱を占めて

いる。しかも非正規労働者の7割は年収が200万円以下であり、景気回復に疎外

感を持っている人が多い。



※世界経済の潮流を読み解く 2018.04
 講師 佐藤武男 先生 元三菱東京UFJ銀行外為事務部長
 経済のグローバリゼーションの変化と今後の課題
 放送大学神奈川学習センター



○イノベーションは内生的・自発的に生まれる|健全な経営を目指す会社

○魔力を秘め、夢と現実が交錯するニューヨーク


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「善」ではなく相手の気に入る「快」を目指す
実利主義的な道徳意識



古代ギリシアにおいて名声を得て高い身分につくためには、弁論術を身に

つけることが重要だったといいます。



プラトンの著書「ゴルギアス」のタイトルになっている弁論家ゴルギアスは、

当時、弁論術の教師として高い名声と広い尊敬を受けていた老紳士。



ソクラテスはゴルギアスとポロス(ゴルギアスの弟子)、カルリクレス(弁論術

に長けた政治家)の3人に対して「弁論(⇒演説・説明・プレゼン・指導・教育

etc)とは何か」を問いかけ、実利主義的な道徳意識を明らかにしてゆきます。



弁論術は、その対象の本性についての知識を有していない上に、知識を有し

ていない大衆に対してどうしたら気にいってもらえるかという「快」を狙うだけで

あって、そうすることが果たしてその対象にとって本当に善いことになるかどう

かには全く無関心である。



一方、本来的な弁論は、その対象の本性について知識を有し、知識を有し

ていない大衆が気に入るかどうかという「快」を狙わず、その対象に対して

本当に善いこととなる「善」を目指して対処することだと指摘します。



※「ゴルギアス」 プラトン 加来彰俊(訳) 岩波文庫 1967


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資本主義と倫理ある
市場経済へ



エコノミストの水野和夫氏によれば、1870年から2001年までの130年間で、

地球上の全人口のうち約15%が豊かな生活を享受することができたという。

資本主義は誕生以来少数の人間が利益を独占するシステムだった。

豊かになれる人口は15%程度であり、残りの85%から安い輸入や低賃金

労働によってその利益を享受してきた。



逆に言えば資本主義は世界のすべての人びとを豊かにできる仕組みでは

ないことを認識して対処する必要がある。自由な企業活動を促進しつつ、

公平な分配や弱者へのセーフティ・ネットなどを織り込む必要はある。

資本主義はいずれ0成長か低成長に進み、安く仕入れまたは安く生産して

高く売るといった高成長モデルや資本のあくなき増殖モデルは変化せざる

得ない。



※世界経済の潮流を読み解く 2018.04
 講師 佐藤武男 先生 元三菱東京UFJ銀行外為事務部長
 経済のグローバリゼーションの変化と今後の課題
 放送大学神奈川学習センター



○大井埋立地にみる森里海のつながり

○日本の伝統文化を受け継ぐ街 秋葉原


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一体のものである
善(美・正)と悪(醜・不正)

ギリシア神話に登場する正義の女神テミス
(ローマ神話ではユースティティア)


…<美>と<醜>とは、互いに反対のものである以上、それらは二つのものである。

…二つのものである以上、それぞれは一つのものである、ということにもなる

のではないか。



…そして、<正>と<不正>、<善>と<悪>、およびすべての実相(エイドス)についても、

同じことが言える。すなわち、それぞれは、それ自体としては一つのものである

けれども、いろいろの行為と結びつき、相互に結びつき合って、いたるところに

その姿を現すために、それぞれが多として現れるのだ。



※「国家(上)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第五巻 二十 p458


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善と悪を兼ね備える
人間

夏目漱石「こころ」の中で、「先生」が毎月参った
自殺したKの墓がある雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん、東京都豊島区)


※「こころ」 夏目漱石 上 先生と私 二十八


悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているのですか。

そんな鋳型(いがた)に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。

平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。

それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。

だから油断ができないのです。



○創造的生命力を生み出す愛|夏目漱石「吾輩は猫である

○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして


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影と真実
洞窟の比喩

クロマニヨン人が住んでいたといわれる
ネルハの洞窟(Cueva de Nerja) スペイン


プラトン「国家」の中でソクラテスが語る「洞窟の比喩(第七巻)」は、情報への

アクセスが容易となった現代においても当てはまるように思えます。



  暗い洞窟の中に住む囚人たちは、手足・首を縛られ、視線は洞窟の奥にある

  壁を向いています。囚人の背後では松明が灯り、人形が操られています。

  その人形の影は囚人が向いている壁に写し出され、囚人たちは自分たちが

  見ているものは影だとは気づかずにいます。



  ある時、囚人の一人が拘束を解かれ、自分の背後にある松明の灯りと人形

  の姿を目の当たりにします。しかし、今まで見ていた影を真実だと思い込ん

  でいるので事態を理解することができません。さらに彼は洞窟の外へ連れて

  ゆかれ、太陽の光によって世界が成り立っている自然の姿を理解します。



  彼は洞窟に戻り、真実を伝えようとしますが、囚人たちは彼を信用せず、

  殺そうとします。


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The Cave: An Adaptation of Plato's Allegory in Clay
プラトン「国家」 洞窟の比喩

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驚きに満ちた外の世界を知る冒険
The Croods

「クルードさんちのはじめての冒険(The Croods)」 2013
ドリームワークス・アニメーション、20世紀フォックス


2013年公開の映画「クルードさんちのはじめての冒険(The Croods)」は、

洞窟に住む原始人家族の物語。



危険と隣り合わせに暮らす自然本来の世界において、家長であるパパ

の家訓は「新しいことは悪いこと、怖れを知れ」でした。



しかし、世界が変わる事態が迫ります。外の世界を知らない家族は、

新しい家探しに出発。驚きに満ちた冒険がはじまります。


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「クルードさんちのはじめての冒険」2013.11.20リリース

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暗闇では見えないものが
陽光によって照らされる

ギリシア神話の太陽神ヘリオス(Helios) イリオン(トロイア)


目というものは…君も知っているように、もはやこれを、白昼の表面の色どり

いっぱいに広がっているような事物には向けずに、夜の薄明かりに蔽われて

いる事物に向けるときには、ぼんやりとにぶって、盲目に使いような状態となり、

純粋の視力を内にもっていないかのようにみえるものだ。



…思うに、陽光に明るく照らされている事物であれば、はっきりと見えて、

同じその目のうちに純粋に視力が宿っていることが明らかになるのだ。



…それでは、同様にして魂の場合についても、次のことを心に留めてくれ

たまえ。─魂が、<真>と<有>が照らしているものへと向けられてそこに落着く

ときには、知が目覚めてそのものを認識し、その魂は知性をもっているとみら

れる。けれども、暗闇と入り混じったたもの、すなわち、生成し消滅するもの

へと向けられるときには、魂は思わくするばかりで、さまざまの思わくを上へ

下へと転変させるなかで、ばんやりとしかわからず、こんどは知性をもって

いないのと同じようなことになる。



※「国家(下)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第六巻 一 p92-93


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皇室の御先祖
太陽神 天照大御神

太陽神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
春斎年昌画 1887


伊勢神宮・内宮の中心となるお宮、皇大神宮(こうたいじんぐう)は皇室の御祖先

であり、私たち日本人から総氏神のように崇められる天照大御神が祀られて

います。



○象徴天皇制と平和主義|国事に関する行為が行われる宮殿


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権力を尊く敬い、
礼儀を失わないよう控えめに振る舞う庶民

Japanese civilians listening to the surrender broadcast


※中江兆民 「東洋自由新聞」 明治14年4月


古(いにしえ)より民の乱を作(な)すは、

其(その)初め必ずしも乱を作(な)すことを欲するに非(あら)ざるなり。

蓋(けだ)し民なる者はその最も暴悍(ぼうかん)なるものといへども

自ら好みて乱を作すに非ず。

独(ひと)り乱を作すことを好まざるに非ずして乱を作すことを畏るるなり。

彼れその初め乱をなすことを畏れて、而(しか)して遂に乱を作すに至る者は何ぞや、

勢然(しか)らしむるなり。

勢なる者は人心の自然に発するといへども、

そもそも在上(ざいじょう)の人の力その多きに居る。

在上の人自らその勢を激して民をして乱をなすに至らしむるときは、

これ其(その)罪(つみ)民に在(あ)らずして在上の人に在るなり。




<ホームページ管理者による現代語訳>


  昔から庶民が反乱を起こすのは、

  その初めから必ずしも反乱すること求めているからではない。

  確かに庶民は最も荒々しいものといえるが、

  自ら好んで反乱を起こすのではない。

  単独で反乱するのを恐れているのではなく、権力を尊く敬い畏れているのである。

  反乱を起こすことを畏れているにも関わらず、遂に反乱を起こすのはどうしてか、

  勢いがそうさせるのである。

  勢いは人の心に自然に発生するといえるが、

  そもそも上にいる人の力が大きな原因となっている。

  上にいる人が自らその勢いを激しくさせ、庶民が反乱に至る時には、

  その罪は庶民にあるのではなく上にいる人にあるといえる。



○日本の権力を表象してきた建造物|日本人の自我主張

○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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日本は古来より今に至るまで
哲学無し

東洋のルソーといわれる中江兆民(1847-1901年)


※「一年有半」 中江兆民 1901年 現代語訳


本居宣長や平田篤胤(あつたね)などの国学者は古い御陵(ごりょう⇒天皇・

皇后・皇太后・太皇太后の墓)やことばを探求する一種の考古家にすぎず、

したがって天地自然の理についてはまったく暗い。



他方、伊藤仁斎や荻生徂徠(おぎゅうそらい)などの儒学者たちは、聖人の

ことばについて新しい解釈を生み出したが、所詮はただ昔の聖人の教えを

あれこれとあげつらっているだけにすぎない。



わずかに仏教の僧侶中には、創意をもって新しい宗派を開いたものがあったが、

それとても宗教家の域を出でず、純粋の哲学とは言えない。



明治以降になると、加藤弘之や井上哲次郎などがみずから哲学家と称しているが、

実はただ西洋の学説を輸入し知識を一人じめしているだけのことに過ぎない。

哲学は誰にでもわかるようにすぐ役立つわけではないが、無用の用をなしており、

哲学を欠いた国民はなにごとにも思慮が乏しく浅薄であるのを免れない。



我々日本人は海外諸国の国民と比べてみても、極めて物分かりが良く、時の流れ

に順応して<頑固>なところがない。我が国おいて西洋諸国にみられたような<悲惨>

にして愚冥な(愚かで道理に暗い)>宗教上の争いがなかったのもそのためであるし、

明治維新がほとんど血を流さずに行われたのも、そのためである。

また、維新このかた、旧来の風習を一変して<洋風>に改め、平気でいられるのも、

そのためである。



ところが他方で、その<浮躁軽薄の大病根>も、その<薄志弱行の大病根>もまさに

そこにあり、その<独造の哲学無く、政治に於いて主義無く、党争において継続無>

い原因も、そこにある。



それは<一種小怜悧功智(いっしゅ、狭く頭が良く、巧みな智)>であって、<偉業>を

立てるには不適当である。日本人はたしかに<極めて常識に富>んでいるのだが、

<常識以上に挺出(ていしゅつ⇒他に優れ抜き出る)することは到底望む>ことができない。



※「西田幾多郎」 中村雄三郎 岩波書店 1983
 第1章 日本の<哲学> 1.日本に哲学なし p14-17



○唯一の日本発の哲学|西田哲学


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魂によって魂を支配する
裁判官

最高裁判所 (東京都千代田区)


しかしながら、裁判官の場合は、君、魂によって魂を支配するのが仕事

なのであって、だから彼の魂には、若いときから邪悪な魂のあいだで育て

られてこれと親しくつき合い、みずからあらゆる不正事を犯す経験をつみ、

その結果他人の不正事を、ちょうど身体の場合に病気を診断するような

具合に、自分自身のことにもとづいて鋭く推察できるようになる、というよう

なことは許されないのだ。



逆に、裁判官の魂は、やがて美しくすぐれた魂となって、正義を健全に

判定すべきであるならば、若いときは悪い品性には無経験で、それに

染まらないようにしなければならない。



だからこそまた、立派な人物たちは、若いときにはお人好しで、不正な

人々にすぐだまされやすい人間のように見えるのだ。なにぶんにも自分

自身の内に、邪悪な人々と同性質の範型をもっていないのだから。



※「国家(上)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第三巻 十六 p262



○法をもっと身近に|縁遠いようでとても身近な法律に触れて


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ルールがあって欲しいと願う日本人
無いものをつくる創造の心がけ

国際宇宙ステーション NASA


個人が一様に多忙な、画一化された、余裕のない生活を強いられる時代。



これまで日本は、物事に取り組む際にルール遵守を求めてきたことから、

日本人はルールから逸脱することに苦手となり、

ルールを尊び、ルールがあって欲しいと願う傾向があるといいます。



イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で星空を観測したのは15世紀前半。

地動説を唱えたガリレオは宗教裁判にかけられ、

「それでも地球は動いている」とつぶやいたとされる逸話は有名です。



ローマ教皇がガリレオの宗教裁判の誤りを認めたのは、それから数世紀を経た

1983年。地動説を公式に認めたのは、さらに25年後の2008年のことでした。



日本の裁判制度に目を向けてみると、最高裁判所の判事は司法試験を受けなくとも

務めることができ、それは、法律が社会科学による創造の上に成り立っていることに

由来するといいます。



地球環境に視野を広げてみると、122℃でも増殖可能な超好熱菌や、

pH(ペーハー)が高い火山酸性の水中で増殖する好酸菌も知られ、

かつての常識では考えられなかったことが明らかにされてきています。



どうやら人間の考え方をあらかじめ規定することは合理的ではないようです。

無いものをつくる創造の心がけ。

高い塔を建ててみなければ新たな水平線は見えてこなさそうです。



※太陽系大航海時代。社会と人間ドラマ 2017.08
 講師 川口淳一郎 先生 宇宙飛翔工学研究系教授
 会場 東京国立近代美術館フィルムセンター
 JAXA相模原キャンパス特別公開



○UNIVERSE|自然科学と精神科学の両側面

○豊かな放送文化を創造する人とメディアの未来


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地球深部で見つかった
常識外れな微生物

蛇紋岩(じゃもんがん)


地球の内部は、表層部は「地殻(ちかく)」、中層部は「マントル」、そして

中心部は「核(かく)」と呼ばれています。中層部のマントルはさらに上部

マントルと下部マントルに分けられ、上部マントルはランカン岩と呼ばれる

岩で構成されています。



ランカン岩は水に反応すると蛇紋岩(じゃもんがん)に変質することがあり、

そのような反応は「蛇紋岩化反応」と呼ばれ、地球上の様々な場所でみら

れます。



アメリカ・カリフォルニア州ソノマ郡の山あいにあるザ・シダーズは、蛇紋岩化

反応が見られる場所の一つ。ここから湧き出る泉は、強アルカリ性(〜ph12)

であり、生物が利用するエネルギー物質(炭素や窒素、リンなど)の産生が

困難な上に、生物の呼吸に必要な酸素を含んでいない環境なのだそう。



そのような環境下で微生物が発見され、解析した結果、呼吸をつかさどる

遺伝子をもっていないことが判明したそうです。



この微生物の生き方はまだまだ謎に包まれ、現時点では、人間の知識では

特定不能の未知代謝系を駆使して生きる「常識外れな微生物」を発見した

に過ぎないといいます。



超極限環境に住む微生物への理解は、時空間を超え、生命の起源、地球外

生命といった重要な課題にも示唆を与える可能性を秘めています。



※地球深部で見つかった常識外れな微生物 2018.04
 鈴木志野 先生 高知コア研究所 特任主任研究員
 海洋研究開発機構 研究報告会 JAMSTEC2018
 会場 虎ノ門ヒルズ



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する

○人類の未来を切り開く地球深部探査船「ちきゅう」


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啓蒙とは何か
自分の理性を使う勇気をもつ

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724-1804年)


※「啓蒙とは何か」という問いに答える カント 1784年


ほとんどの人間は、自然においてはすでに青年に達していて(自然による青年)、

他人の指導を求める年齢ではなくなっているというのに、死ぬまで他人の指示

を仰ぎたいと思っているのである。



また他方ではあつかましくも他人の後見人と僭称(せんしょう⇒自分の身分を

超えた地位を名乗ること)したがる人々も跡を絶たない。その原因は人間の怠

惰と臆病にある。というのも、未成年の状態にとどまっているのは、なんとも

楽なことだからだ。



わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わり

に牧師に頼り、自分で食事を節制する代わりに医者に食餌(しょくじ)療法を処

方してもらう。そうすれば自分であれこれ考える必要はなくなるというものだ。

お金さえ払えば、考える必要などない。考えるという面倒な仕事は、他人が

ひきうけてくれるからだ。



そしてすべての女性を含む多くの人々は、未成年の状態から抜け出すための

一歩を踏みだすことは困難で、きわめて危険なことだと考えるようになっている。



しかしそれは後見人を気取る人々、なんともご親切なことに他人を監督する

という仕事をひきうけた人々がまさに目指していることなのだ。

後見人とやらは、飼っている家畜たちを愚かな者にする。そして家畜たちを

歩行器のうちにとじこめておき、この穏やかな家畜たちが外にでることなど

考えもしないように、細心に注意しておく。そして家畜がひとりで外にでよう

としたら、とても危険なことになると脅かしておくのだ。



※永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 カント 中山元(訳) 
 光文社古典新訳文庫 2006 p10-11



○大人になりきれない大人

○暗く覆いかぶさっているものを光で照らす|啓蒙主義

○セクシュアリティとジェンダー 文学にみる女性観


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精神の風が粘土の上を吹き渡るとき
初めて人間は創造される

人間の創造|最後の審判(部分) ミケランジェロ システィーナ礼拝堂


ヨーロッパには、自分のすることに意味を見出せずにいる人、徒刑場(とけいば)

から逃げ出して本当の人間になりたいと思っている人が二億人いる。現代の

産業が農家に代々伝わる伝統的な言葉遣いから人々を切り離し、黒い貨車が

ずらりと並ぶ操車場にも似た巨大ゲットーの中に閉じ込められてしまったのだ。

労働者街のどん底で、彼らはこのまま眠りこまされてしまうのではないかと怯

(おび)えている。



また、あらゆる職業を連結させる歯車装置の中に組み入れられ、先駆者の喜

びも、信仰の喜びも、学究(がっきゅう)の喜びも味わえずにいる人たちもいる。

立派な人間をつくるには、服を着せ、食事を与え、生活に必要なものを一そろい

提供してやればいいと思い込んでいる連中がいて、その連中が彼らを少しずつ

クルトリーヌ(劇作家)の劇に出てくる小市民、村の政治家、精神生活とは無縁

の技術屋につくり変えたのだ。



彼らはしっかり教育を受けてはいる。ただし、本当の意味での教養は授けられて

いない。その結果、教養についてみじめな考えを抱く者も現れて、公式を暗記する

ことと教養とが同一視されてしまう。特別数学クラスの出来の悪い生徒でも自然

や万物の法則についてデカルトやパスカルよりも詳しかったりするが、では、その

生徒に、デカルトやパスカルと同じように知性を働かせることが可能だろうか。



すべての人が、程度の差こそあれ、漠然とでも本当の人間になりたいと望んでいる。

ただし、気をつけなければいけないのは、その解決法の中には人を欺くものもある

ということだ。



たしかに軍服を着せることによって、人びとに生気を取り戻させることはできるだろう。

皆、戦争賛歌を歌い、戦友とパンを分かち合うにちがいない。一つの目的を仲間と

共有する喜びを味わって、探しものを見つけ出した気にもなるだろう。だが、結局、

人びとはパンを与えられる代わりに命を奪われるのだ。



※人間の大地 サン=テグジュペリ 渋谷豊(訳) 光文社古典新訳文庫 2015
 Z 人間たち p278-280



○すべてのユダヤ人は一緒に住まうこと|ユダヤ人強制居住区ゲットー

○人間の弱さと限界、そこからの可能性|パスカル「パンセ」


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精神的自由を放棄することによって
物質的自由になる

フィレンツェ大聖堂内のフレスコ画(部分) Federico Zuccari


「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー
 プロとコントラ(肯定と否定), 大審問官 (イワンの叙事詩)


  人間は良心の自由などという重荷に耐えられる存在ではない。

  彼らはたえず自分の自由とひきかえにパンを与えてくれる相手を探し求め、

  その前にひれ伏すことを望んでいるのだ。だからこそ、われわれは彼らを

  自由の重荷から解放し、パンを与えてやった。今や人々は自己の自由を

  放棄することによって自由になり、奇蹟(きせき)と神秘と権威という三つの力

  の上に地上の大国を築いたのだ。




※「作者の日記」 ドストエフスキー


  やがて人々は、土の中から信じられぬくらいの収穫をひきだし、化学に

  よって有機体を造りだし、わがロシアの社会主義者たちが夢みているように、

  牛肉が一人一キロずつ行きわたるようになるかもしれぬ。

  一口に言って、さあ飲め、食え、楽しめというわけだ。

  「さあ」すべての博愛主義者たちは絶叫するに違いない。



  今こそ人間は生活を保障された。今こそはじめて人間は本領を発揮することだろう!

  もはや物質的窮乏(きゅうぼう)はないし、すべての悪徳の原因だった、人間を

  蝕(むしば)む《環境》ももはやない、今こそ人間は美しい正しいものになるだろう!…



  …だが、はたしてそうした歓喜が、人間の一世代もつかどうか疑わしい!

  人々は突然、自分たちにはもはや生命はない、精神の自由はない、意志も個性もない。

  だれかが何もかも一遍に盗んでしまったのだ、ということに気づくことだろう…



○精神自由の再生|ルネサンス都市フィレンツェ

○財政健全化への取組み|失われた25年から学んだこと


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善人の苦難
旧約聖書ヨブ記

旧約聖書ヨブ記に登場する怪物 リヴァイアサン
ポール・ギュスターヴ・ドレ


旧約聖書ヨブ記は、善人に数々の悪い事が課せられ、苦しまなければならない

という「善人の苦難」をテーマとした物語。



ある日、主(⇒神・ヤハウェ)はサタンに、「ヨブは敬虔で正しく、悪から遠ざかる

者」として褒め讃えますが、サタンはヨブの善行は物質的繁栄の上に成り立

っているとし、それを取り除いたら善人でいられないはずだと主張します。



主はヨブに対して苦難を与えることを認め、ヨブは財産・家族・健康を奪われる

壮絶な苦しみを受けますが、主を呪うことはありませんでした。



ヨブの災いを聞いて、3人の友が慰めにやって来てます。ヨブは自分の正しさ

と不当な苦しみを訴えますが、友はヨブ自らの罪によって苦しめられている

のだと指摘します。



受け入れることができないヨブですが、自分は無知であると信じていながら、

全知であるという驕(おご)りに捉われていることに気がつかされます。


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財産・家族・健康を奪われる
壮絶な苦しみ

ヨブに襲い掛かるサタン (ウィリアム・ブレイク)


※「ヨブ記(口語) 旧約聖書」 30章 日本聖書協会 1955年


恐ろしい事はわたし(⇒ヨブ)に臨み、わたしの誉は風のように吹き払われ、

わたしの繁栄は雲のように消えうせた。(15)



今は、わたしの魂はわたしの内にとけて流れ、悩みの日はわたしを捕えた。

夜はわたしの骨を激しく悩まし、わたしをかむ苦しみは、やむことがない。

それは暴力をもって、わたしの着物を捕え、はだ着のえりのように、わたし

をしめつける。神がわたしを泥の中に投げ入れられたので、わたしはちり

灰のようになった。(16-19)



○絶望から美しさを見い出す|太宰治「人間失格」

○苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー


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自分は無知であると信じていながら
全知の驕りに捉われる

こどもの国 らくがき広場


※「ヨブ記(口語) 旧約聖書」 31章 日本聖書協会 1955年


もし、わたし(⇒ヨブ)がうそと共に歩み、わたしの足が偽りにむかって

急いだことがあるなら、正しいはかりをもってわたしを量れ、そうすれば

神はわたしの潔白を知られるであろう。(5-6)



もしわたしの歩みが、道をはなれ、わたしの心がわたしの目にしたがって

歩み、わたしの手に汚れがついていたなら、わたしのまいたのを他の人が

食べ、わたしのために成長するものが、抜き取られてもかまわない。(7-8)



もし、わたしの心が、女に迷ったことがあるか、またわたしが隣り人の門で

待ち伏せしたことがあるなら、わたしの妻が他の人のためにうすをひき、

他の人が彼女の上に寝てもかまわない。これは重い罪であって、さばき

びとに罰せられるべき悪事だからである。これは滅びに至るまでも焼きつ

くす火であって、わたしのすべての産業を根こそぎ焼くであろう。(9-12)


(中略)


もしわたしを助ける者が門におるのを見て、みなしごにむかってわたしの

手を振り上げたことがあるなら、わたしの肩骨が、肩から落ち、わたしの腕

が、つけ根から折れてもかまわない。(21-22)


(中略)


もしわたしが金を払わないでその産物を食べ、その持ち主を死なせたこと

があるなら、小麦の代りに、いばらがはえ、大麦の代りに雑草がはえても

かまわない。



ヨブの言葉は終った。(39-40)



○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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快と苦の間にある
魂の静止状態

「快楽の園」 ヒエロニムス・ボス プラド美術館


苦痛は快楽の反対であると、われわれは言うのではないかね。

…ではまた、楽しみも苦しみもないという状態があることも、認めるだろうね。

…それは快と苦の両者の中間にあって、快苦に関しては魂は静止状態

というべきものではないかね。



…ところで君は…病人たちの言葉を思い出さないだろうか─彼らが病気に

悩んでいるときに口にする言葉を?

…いわく、「健康であることぼと快いものはない。だが病気になる前には、

それが最も快いものだということに、自分が気づかずにいた」と。



…また、何かひどい苦痛に悩まされている人たちが、「苦痛の止むこと

ほど快いことはない」と言うのを君は聞いたことがないだろうか?



…そして、思うに、ほかにもこれと似た多くの状態に人々が置かれることに、

君は気づいているだろう。そのような場合、人びとが苦しんでいるときに、

最も快いこととして讃えるのは、苦しみがないこと、その種の苦しみの止

んだ静止状態なのであって、積極的な快楽ではけっしてないのだ。



…そうするとまた…快楽が病んだときにも、快楽の止んだその静止状態

は、苦しいものであることになるだろう。だとすれば、いまさっきわれわれが

両方の中間にあると言っていたもの─静止状態─が、ときによって両方─

快と苦─になるということになるだろう。



…してみるとそれは、実際にそうであるのではなく、ただそのように見えるだけ

なのだ。…すなわち、静止状態がそのときどきによって、苦と並べて対比され

ると苦しいことに見えるというだけであって、こうした見かけのうちには、快楽

の真実性という観点からみて何ら健全なものではなく、一種のまやかしに

すぎぬということになる。



※「国家(下)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第九巻 九 p307-310


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すべての善の基礎となる
個人性の実現



※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第3編 善  第12章 善行為の目的(善の内容)


それで我々は先ずこの個人性の実現ということを目的とせねばならぬ。

即ちこれが最も直接なる善である。



個人において絶対の満足を与える者は自己の個人性の実現である。

即ち他人に模倣のできない自家の特色を実行の上に発揮するのである。

個人性の発揮ということはその人の天賦境遇の如何(いかん)に関せず

誰にでもできることである。いかなる人間でも皆各その顔の異なるように、

他人の模倣のできない一あって二なき特色をもっているのである。

而(しか)してこの実現は各人に無上の満足を与え、また宇宙進化の上

に欠くべからざる一員とならしむるのである。



従来世人はあまり個人的善ということに重きを置いておらぬ。しかし余は

個人の善ということは最も大切なるもので、凡て他の善の基礎となるで

あろうと思う。



真に偉人とはその事業の偉大なるが為に偉大なるのではなく、強大なる

個人性を発揮した為である。高い処に登って呼べばその声は遠い処に達

するであろうが、そは声が大きいのではない、立つ処が高いからである。

余は自己の本分を忘れ徒(いたず)らに他の為に奔走した人よりも、能く

自分の本色を発揮した人が偉大であると思う。




※「善の研究」 西田幾多郎 1911年(明治44年)
  第3編 善  第12章 完全なる善行


善とは一言にていえば人格の実現である。これを内より見れば、真摯(しんし)

なる要求の満足、即ち意識統一であって、その極は自他相忘れ、主客相没する

という所に到らねばならぬ。外に現われたる事実として見れば、小は個人性の

発展より、進んで人類一般の統一的発達に到ってその頂点に達するのである。



○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神


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生命の尊さ、やさしさ
私が私になってゆく

スノードロップ|神奈川県立フラワーセンター大船植物園


冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって

ひとつの花が 咲くように 悲しみも 苦しみもあって 私が私になってゆく



※星野富弘「星野富弘全詩集 U 空に」 学研




「私が私になってゆく」をハイデガーの言葉(日本語訳者の言葉)を借りて

言い換えてみると、「非本来的な私が、本来的な私になってゆく」になる

ように思えます。



さらに補ってみるならば…



「世界に道具的に適合し、人々へ配慮的に気遣うことによって平均的日常性

に頽落(たいらく)した非本来的な私(世人:せじん Das Man)が、死との関りを

通して「なにもない」という良心の呼び声によって、自分が既に存在している

ことに覚まされ、本来的な私になってゆく」



○私が私になってゆく|ハイデガー「存在と時間」

○個性化の過程|自分が自分になってゆく


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意識という名の奇跡
人間の大地

雄物川(秋田県)


※「人間の大地」 サン=テグジュペリ 渋谷豊(訳) 光文社古典新訳文庫 2015
 p13-14


大地は僕ら自身について万巻(ばんかん)の書よりも多くを教えてくれる。

なぜなら大地は僕らに抗(あらが)うからだ。人間は障害に挑むときにこそ

自分自身を発見するものなのだ。



ただし、障害にぶつかるには道具が要る。犂(すき)や鍬(くわ)が要る。

農夫は土を耕しながら、自然の神秘を少しずつ暴いていく。そうやって手

にする真実は、普遍的な真実だ。それと同じように、定期航空路線の道具、

つまり飛行機も、古くから存在するありとあらゆる問題に人間を直面させる。



アルゼンチンでの最初の夜間飛行中に見た光景が、今でも僕の目に浮かぶ。

暗い夜の中に、平原に散らばる数少ない灯火(とうか)の光だけが星のように

煌(きら)めいていた。



闇の大海原に瞬く光の一つ一つが、今、そこに人間の意識という名の奇跡

が存在していることを教えていた。あの家では、誰かが本を読んだり、瞑想

したり、打ち明け話を続けていたりしていた。別の家では、ふだん誰かが

宇宙空間を測定しようとして、アンドロメダ星雲にかんする計算に神経を

すり減らしていた。詩人、小学校教師、大工の家の灯と思(おぼ)しき、この

上もなく慎ましい灯もあって、平原にぼつほつ点(とも)るそんな光の一つ

一つが、それぞれの生きる糧(かて)を求めているように見えた。



だが、そうした生きた星々の傍(かたわ)らで、どけだけ多くの窓が閉ざされ

ていたことだろう。どけだり多くの星が光を失い、どれだけ多くの人間が

眠り込んでいたことだろう。



絆を取り戻そうとしなければならない。平原のそこここに燃える灯のいくつ

かと、心を通わせるようにしなければならない。



○足元に目を向けるゆとり 秋田美人

○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み

○多様な文化が交差する南米|ペルー・アルゼンチン・ブラジル


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善を突き詰めたら
それを他者と分かち合うこと



われわれ新国家を建設しようとする者のすべきことは、次のことだ…

まず、最もすぐれた資質をもつ者たちをして、ぜひとも、われわれが

先に最大の学問と呼んだところのものまで到達せしめるように、つまり、

…上昇の道を上りつめて<善>を見るように、強制を課すということ。



そしてつぎに、彼らがそのようにして上昇して<善>をじゅうぶんに見た

のちには、…(そのまま上方に留まること)をけっして許さないということ。



そして、もう一度前の囚人仲間のところへ降りて来ようとせず、彼らと

ともにその苦労と名誉を─それがつまらぬものであれ、ましなものであれ─

分かち合おうとしないということをだ。



※「国家(下)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第七巻 四 p118-119



○美しい日本に生まれた私|天地自然に身をまかせ


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真剣に努力して生きる限り
けっして悪くない生涯が残されている

つつじ


じじつまた、あの世からの報告者(⇒エル※)の伝えたところによれば、その

とき先の神官は次のように言ったという。



「最後に選びにやって来る者でも、よく心して選ぶならば、彼が真剣に努力

して生きるかぎり、満足のできる、けっして悪くない生涯が残されている。

最初に選ぶ者も、おろそかに選んではならぬ。最後に選ぶ者も、気を落と

してはならぬ」


※エル
 戦争で命を落としたエルは、死の世界で魂が裁判を受ける体験をする。
 そして死後12日目に生き返る。
※「国家(下)」 プラトン(著) 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979 第十巻 十五 p412



○ため息を春風に変えて|自然からの贈り物 春の花言葉


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参  考  情  報


○西洋哲学史と倫理学のキホン |QLOCOZY[クロコージー]

○20世紀フォックス オフィシャルサイト

○ヨブ物語|荒川教会ホームページ

○日本聖書協会ホームページ

○松岡正剛の千夜千冊

○魅力的なフリー画像・Pixabay

○Imagebase: 100% Free Stock Photos

○Wikipedia

○国家(上・下) プラトン 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1979

○ゴルギアス プラトン 加来彰俊(訳) 岩波文庫 1967

○プロタゴラス ソフィストたち プラトン 藤沢令夫(訳) 岩波文庫 1988

○クルードさんちのはじめての冒険(The Croods) 2013

○シュメル―人類最古の文明 小林登志子 中公新書 2005

○ホメーロスのイーリアス物語 バーバラ・レオニ・ピカード, 高杉一郎(訳)
 岩波少年文庫 2013

○永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 カント 中山元(訳)
 光文社古典新訳文庫 2006

○旧約聖書 ヨブ記 関根正雄(訳) 岩波文庫 1971

○君主論 マキャヴェッリ, 河島英昭(訳) 岩波文庫 1998

○善の研究 西田幾多郎

○人間の大地 サン=テグジュペリ 渋谷豊(訳) 光文社古典新訳文庫 2015

○コサック 1852年のコーカサス物語 トルストイ 乗松亭平(訳)
 光文社古典新訳文庫 2012

○それから 夏目漱石

○こころ 夏目漱石

○あらゆる小説は模倣である。 清水良典 幻冬舎新書 2012

○近代哲学の人間像
 主任講師 佐藤康邦 先生 放送大学教授

○世界経済の潮流を読み解く 2018.04
 ・講師 佐藤武男 先生 元三菱東京UFJ銀行外為事務部長
 ・テーマ
  経済のグローバリゼーションの変化と今後の課題
  トランプ政権の経済運営と米国経済の現状と課題
  ヨーロッパのEU経済の歩みと欧州債務危機への反省
  英国のEU離脱交渉と英国経済の行方
  EU・日本との経済連携協定(EPA)と欧州経済(独・仏)の状況
  中国経済の最近の動きと今後の動向
  インド、ベトナム経済と今後のアセアンの動向
  地球環境問題、人口、食糧、エネルギー問題と世界経済への影響
 ・放送大学神奈川学習センター

○森林と草原のモザイク地帯にすむボノボ 2017.12
 講師 伊谷原一 先生 京都大学野生動物研究センター 教授
 会場 京都大学東京オフィス
 第89回 京都大学丸の内セミナー

○海洋研究開発機構 研究報告会 JAMSTEC2018
 ・開会挨拶 平朝彦 理事長
 ・来賓挨拶
 【第1部】平成29年度の研究活動報告
  ・平成29年度の研究活動報告 阪口秀 先生 研究担当理事
  ・地球深部で見つかった常識外れな微生物
   鈴木志野 先生 高知コア研究所 特任主任研究員
  ・光のWi-Fiで水中でもSNSができる? 〜水中可視光無線通信について〜
   澤隆雄 先生 海洋工学センター 主任技術研究員
  ・黒潮大蛇行の予測に成功 - 海流予測情報の発信 -
   美山透 先生 アプリケーションラボ 主任研究員
  ・熱帯大気の2つの脈動を理解する
  ーYMC集中観測と全球雲解像数値シミュレーションー
  那須野智江 先生 シームレス環境予測研究分野 分野長代理
  ・人工知能を活用した掘削状態把握および異常検知に向けて
   井上朝哉 先生 地球深部探査センター グループリーダー代理
 【第2部】パネルディスカッション 「地球をはかる」
 ・モデレータ:関口通江 先生
  (国立大学法人電気通信大学 研究戦略統括室 特任助教(URA))
 ・パネリスト:
  牛久保孝行 先生(高知コア研究所 技術研究員)
  野牧秀隆 先生(生物地球化学研究分野 主任研究員)
  村島崇 先生(海洋工学センター 次長)
  木村俊則 先生(地震津波海域観測研究開発センター 技術研究員)
  多田訓子 先生(地球深部ダイナミクス研究分野 技術研究員)
  小林秀樹 先生(地球環境観測研究開発センター 主任研究員)
 ・閉会挨拶 東垣 開発担当理事
 ・会場 虎ノ門ヒルズ

○人口減少社会の未来学 内田樹(編) 文藝春秋 2018.04


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