雨にも負けず、風にも負けず

新しい東北へ


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雨にも負けず、風にも負けず
新しい東北

釜石鵜住居(かまいしうのすまい)復興スタジアム|岩手県釜石市
三陸鉄道リアス線鵜住居駅より徒歩7分


岩手県釜石市の北部、鵜住居(うのすまい)地区の小学校と中学校があった

場所に整備された釜石鵜住居復興スタジアム。



2011年3月11日。東北地方沿岸部を襲った津波によって鵜住居地区は、

死者と行方不明者583人(釜石市調べ・2011年8月現在)と壊滅的な被害

を受けました。



そのような中、小・中学校にいた児童・生徒計約560人は、迅速な誘導も

あり、全員無事だったそうです。



○闘争と叡智、畏敬が宿る ラクビー


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ラグビーワールドカップ2019 フィジーvsウルグアイ
釜石鵜住居復興スタジアム / 岩手県釜石市

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すべてが浄らかな世界へ
浄土思想

金色堂が収められている建物(中尊寺)|岩手県平泉町


平安末期、平泉を拠点に陸奥(むつ)・出羽(でわ)を支配した奥州藤原氏

(おうしゅうふじわらし)。



初代の藤原清衡(ふじわらのきよひら)以降、基衡(もとひら)・秀衡(ひで

ひら)を経て四代・泰衡(やすひら)らにより、浄土思想に基づいて多様な

寺院・庭園が造られ、文治5年(1189年)に源頼朝によって滅ぼされる

までの約100年にわたり繁栄したとされます。



「中尊寺供養願文」は、天治3年(大治元・1126)の中尊寺落慶(らっけい⇒

中尊寺の完成を祝う)にあたって初代清衡(きよひら)が供養した願文ですが、

近年では鎌倉末期の偽作とする説も登場するなど、願文をめぐっては

さまざまな研究課題が残されています。



○「中尊寺建立供養文(重要文化財)」より抜粋 (口語訳)


この鐘は、あらゆる世界に響きわたり、誰にでも平等に、苦悩を去って、

安楽を与えてくれる。攻めてきた都の軍隊も、蝦夷とさげすまれ攻められ

た地の人たちも、戦いにたおれた人は昔から今まで、どれくらいあっただ

ろうか。いや、人間だけではない。動物や、鳥や、魚や、貝も、このみちのく

にあっては、生活のため、都への貢ぎもののために、数えきれない命が、

今も犠牲になっている。その魂はみな次の世界に旅立って行ったが、朽ち

た骨は今なおこの地の塵となって、うらみを残している。鐘の声が大地を響

かせ動かす毎に、心ならずも命を落とした霊魂を浄土に導いてくれますよ

うに。



※口語訳/平泉文化遺産センター館長 大矢邦宣 先生
※中尊寺建立供養願文:世界遺産平泉の総合案内 いわて平泉 世界遺産情報局
※シンポジウム「中尊寺供養願文の謎を解く」
 主催 岩手大学平泉文化研究センター
 後援 平泉町・中尊寺
 会場 岩手県平泉町 平泉文化遺産センター



○清らかな世界、それは私たちの住む穢れた世界

○150年の歴史に幕を閉じた鎌倉幕府終焉の地


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平安時代の歌遊び
曲水の宴

平安時代の歌遊び「曲水の宴(ごくすいのえん)」が催されたという
毛越寺(もうつうじ)庭園の遣水(やりみず)|岩手県平泉町


遣水(やりみず)は、庭園内に水を導き、流れを蛇行させたり、岩や石、草木

を配置し、景色が味わえるよう工夫が凝らされた流れのこと。



毛越寺(もうつうじ)庭園にある遣水(やりみず)では、平安時代に行われていた

歌遊び「曲水の宴(ごくすいのえん)」が催されていたといわれます。



「曲水の宴(ごくすいのえん)」は、遣水(やりみず)のふちに出席者が座り、

流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲ん

で次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事。



毛越寺では、例年5月第4日曜日に、曲水の宴が再現されているそうです。



○人間の幸不幸を凝視する物語文学 源氏物語

○源頼朝が建立した壮大な幻の寺 永福寺跡

○水と共に暮らす|いつまでも美しく安全に


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いたずらを許された
カッパの伝説

カッパ淵|岩手県遠野市


※「遠野物語」 柳田国男 五八


小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこふち)の辺に、新屋(しんや)の

家(うち)という家(いえ)あり。



ある日淵(ふち)へ馬を冷(ひや)しに行き、馬曳(うまひき)の子は外(ほか)

へ遊びに行きし間に、川童(カッパ)出でてその馬を引き込まんとし、かえ

りて馬に引きずられて厩(うまや)の前に来たり、馬槽(うまふね⇒馬の飼

料を入れる入れ物)に覆(おお)われてありき。



家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。

村中のもの集まりて殺さんか宥(ゆる)さんかと評議せしが、結局今後は村

中の馬に悪戯(いたずら)をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。



その川童今は村を去りて相沢(あいざわ)の滝の淵に住めりという。



○水と生命|近代水道の歩みからみる人間の営み

○子どもたちに会いにいく旅|遊びの中に未来がある こどもの国


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雨にも負けず、風にも負けず
いざ新しい東北へ

JR東京駅


※「雨ニモマケズ」 宮澤賢治 (ひらがな表記、原文はカナ表記)


雨にもまけず

風にもまけず

雪にも夏の暑さにもまけぬ

丈夫なからだをもち

欲はなく

決して怒らず

いつもしずかにわらっている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜をたべ

あらゆることを

じぶんをかんじょうに入れずに

よくみききしわかり

そしてわすれず

野原の松の林の蔭の

小さな萓ぶきの小屋にいて

東に病気のこどもあれば

行って看病してやり

西につかれた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北にけんかやそしょうがあれば

つまらないからやめろといい

ひでりのときはなみだをながし

さむさのなつはオロオロあるき

みんなにデクノボーとよばれ

ほめられもせず

くにもされず

そういうものに

わたしはなりたい



○行くたび、あたらしい|活彩あおもり

○足元に目を向けるゆとり 秋田美人

○山形の不易流行|「変わらないもの」と「変わりゆくもの」


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首都圏から約450km
一関

平泉や三陸方面への観光拠点となっている一関(いちのせき)
JR一ノ関駅|岩手県一関市


一関(いちのせき)市は東北地方の中央に位置し、首都圏からは約450km、

仙台と盛岡の中間地点にあります。東北新幹線「はやぶさ」を利用した

場合、東京駅から一ノ関駅まではおよそ2時間30分ほどです。



一関市は、宮城・秋田の両県に隣接し、市内には3県にまたがる栗駒山(1,626m)、

猊鼻渓(げいびけい)や厳美渓(げんびけい)の名勝地、一関温泉郷などの

観光地があり、世界遺産登録のまち「平泉」や三陸方面への観光拠点とも

なっています。(最終更新:2019年3月4日)



※一関市の紹介|一関市ホームページ、他より


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浸食によって形成された渓谷
厳美渓(げんびけい)

岩手県一関市


栗駒山(くりこまやま)に源を発し、一関(いちのせき)市内へと流れる磐井川(いわい

がわ)の浸食によって形成された渓谷、厳美渓(げんびけい)。



奇岩(きがん⇒珍しい形の岩)、怪岩(かいがん⇒変わった形の岩)、深淵(しんえん

⇒深い淵)、甌穴(おうけつ⇒くり抜かれた穴)に滝と、訪れる人々を魅了するダイナ

ミックな景観が約2キロメートルにわたって続きます。



○アルプスの風が立つ|厳しくも美しい山岳景勝地 甲信


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自らの理想を掲げた
願文

天台宗東北大本山 中尊寺|岩手県平泉町


日本天台宗の開祖・最澄(さいちょう)。767年(諸説あり)に比叡山の麓に生れ、

785年、18歳の時に東大寺にて具足戒(ぐそくかい⇒僧になる修行)を受けるも、

南都仏教界(⇒奈良時代、平城京を中心に栄えた日本仏教6宗派の総称)に

腐敗を見たのか、その年のうちに比叡山に入り、そこで独り修業を始めたと

されます。787年、満20歳の時に、自己のありようを真摯に見つめ、深い考察

のもとに自らの理想を掲げた「願文(がんもん)」を記します。



○「願文」 最澄 (部分)

 悠々(ゆうゆう)たる三界(さんがい⇒欲界・色界・無色界)は純(もっぱ)ら

 苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)は唯(ただ)

 患(うれい)にして楽(たのし)からざるなり。…(中略)


 三災の危(あやう)きに近づき五濁(ごじょく)の深きに没む。

 加以(しかのみならず)、風命(ふうみょう)保ち難(がた)く露體(ろたい)

 消え易(やす)し。…(中略)


 生ける時善を作(な)さずんば、死する日獄(ごく)の薪(たきぎ)と成らん。

 …(中略)


 因(いん)無くして果(か)を得(う)、是(こ)の處(ことわり)有(あ)ること

 無く、善(ぜん)無くして苦を免(まぬが)る、是(こ)の處(ことわり)有(あ)

 ること無し。 …(中略)




○「現代語訳」

 私たちの住むこの迷いの世界は、ただ苦しみばかりで少しも心安らかな

 ことなどない。


 三災の危険が迫り、五濁という深い底へ沈みつつある。

 それだけでなく、風のように過ぎ去る生命を保つことは難しく、露のように

 消えやすいものである。


 生きている間に善をなさなければ、死んだ日には地獄で燃える薪となろう。


 原因なくして結果を得る、このようなことわりはあり得ず、

 善なくして苦を免がる、このようなことわりはないのである。



○善と悪を兼ね備える人間|善の基礎となる個人性の実現

○善すなわち美|自己内対話によって培われる無私の精神


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他者の自己実現に資するという
純粋な想い

天台宗東北大本山 中尊寺 経蔵前|岩手県平泉町


最澄は「願文」の最後に、具体的な5つの願い「心願」をたてます。


○心願 (其の五のみ引用)


【漢 文】

 三際中間 所修功徳 独不受己身 普回施有識 悉皆令得無上菩提 其五


【読み下し文】

 三際の中間に修する所の功徳は独り己が身に受けず、あまねく有識(うしき)

 に回施(えせ)して、悉く皆無上菩提を得せしめん。其の五


【口語訳】

 過去・未来・現在どの時点であれ、修業はひとり自分のためだけでなく、むしろ

 他者のためにこそ行うことを決して忘れるまい



○苦しみぬき、人のためにする天地|より偉大なる人格を懐にして


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天台宗の思想
一隅を照らす、これ即ち国宝なり

天台宗東北大本山 中尊寺|岩手県平泉町


※山家学生式(さんげがくしょうしき)(六条式) 冒頭


  国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。

  道心ある人を名づけて国宝となす。

  故(ゆえ)に古人言わく、径寸十枚(けいすんじゅうまい)、是れ国宝にあらず、

  一隅を照す、此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと。



  国の宝とはなにか。宝とは道を修めようとする心である。

  道心ある人を名づけて国宝という。

  中国の古い人(中国天台宗の僧侶・荊渓湛然(けいけいたんねん))はいった。

  直径一寸(約3cm)の玉(宝石)、10個が国の宝ではない。

  社会の一隅を照らす、すばらしい人こそ国の宝であると。



  古哲(こてつ)また云(い)わく、

  能(よ)く言いて(⇒助動詞can、言う能力があって⇒学問があって)

  行うこと能(あた)わざる(⇒can't、行うことができない人)は国の師なり。

  能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり、

  能く行い能く言うは国の宝なり。

  三品(さんぼん)の内(うち)、唯(ただ)言うこと能わず、

  行うこと能わざるを国の賊(ぞく)と為(な)す。



  中国の古い人はまた言た、

  学問のみに優れた者は地方の国師に、

  実践のみに優れた者は国の働きをなす者として用い、

  実践にも学問にも優れた者は国の宝である(最澄が育てようとした人物像)。

  三種のうち、学問も実践もしないものは国の賊であると。



  乃(すなわ)ち道心あるの仏子(ぶっし)、西には菩薩(ぼさつ)と称し、

  東には君子(くんし)と号す。

  悪事(おじ)を己に向え、好事を他に与え、

  己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。



  実践にも学問にも優れた道心ある人をインドでは菩薩と称し、

  中国では君子という。

  嫌なことは自分でひきうけ、良いことは他人に与える。

  自分を忘れて他の人のためになるのは、本当の慈悲である。





「山家学生式(さんげがくしょうしき)」とは、天台宗(山家)の学行をなす者の規則だそうで、

818年に嵯峨天皇に上奏した「天台法華宗年分学生式(六条式)」、

「勧奨天台宗年分学生式(八条式)」、

819年に上奏した「天台法華宗年分度者回小向大式(四条式)」

の三つを総称したものだといいます。



天台宗の開祖・最澄(さいちょう)が天皇に上奏した最大の目的は、

大乗戒壇(大乗仏教専門の道場)の独立にあったそう。



当時、僧侶になるには具足戒(ぐそくかい:小乗仏教の戒律)を受ける必要があり、

戒律を受ける戒檀(≒学校)は全国に三ヶ所(奈良東大寺、下野⇒栃木県下野市の薬師寺、

筑紫⇒福岡県の観世音寺)しかなく、最澄は「六条式」の中で、新たに比叡山に戒檀を設け、

そこで天台宗の年分度者(各宗派割当ての国家給費学生僧)を大乗の戒律で

受戒できるよう求めたといいます。



○日本人の心を形成してきたもの|これからを生きる指針となるものを探る


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人間の習性や本質を「笑い」にかえる喜劇
狂言

中尊寺 白山神社 能舞台|岩手県平泉町


○狂言「昆布売(こぶうり)」|第42回 中尊寺 薪能


 共を連れずに出かけた大名が、通りかかった若狭の小浜(おばま⇒

現福井県小浜市)の召し(献上)の昆布を売る男に声をかけ、脅してむり

やり太刀を持たせる。



しぶしぶ従っていた昆布売りだが、やがて我慢も限界に達し、隙を見て

太刀を抜くと逆に昆布を売れと大名を脅す。売りかたの下手な大名に、

昆布売りはさまざまな節に乗って売るよう注文をつけるが…。



昆布売りが太刀を抜くことで強いはずの大名より優位に立つという、下剋上

の世相を反映した立場の逆転が笑いを誘う狂言です。また昆布の売り声

には、浄瑠璃節や踊り節など中世の流行歌謡が取り入れられています。



※第42回 中尊寺 薪能
 ・演目/シテ
  仕舞 「養老」 佐々木宗生
  仕舞 「枕慈童クセ」 塩津哲生
  狂言 「昆布売」 野村万作 野村萬斎
  能 「紅葉狩」 佐々木多門
 ・会場 中尊寺白山神社能舞台(岩手県平泉町)
 ・日付 2019年08月14日(水)



○日本の伝統演劇|舞台芸術の根源的な魅力

○日本人の音楽的アイデンティティ|新たな響きが奏でる未来


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農民の生活向上を願った
宮沢賢治

宮沢賢治(1896-1933年)|岩手県花巻市出身の童話作家


1896年(明治29年)、現・岩手県花巻市にて質・古着商を営む家に長男として

生まれた宮沢賢治。



農業学校を卒業後に花巻農学校の教諭となりました。そこで、岩手県農民の

現実を知り、農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義する私塾、

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)を設立します。



農民の生活向上をめざし粉骨砕身しますが、理想かなわぬまま過労で

肺結核が悪化。最後の5年は病床で作品の創作や改稿を行いました。

1933年(昭和8年)、37歳の短い生涯を閉じます。



代表作は「銀河鉄道の夜」、「注文の多い料理店」、「セロ弾きのゴーシュ」、

「よだかの星」など。


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宮崎賢治 RAILWAY TO THE STARS
SL銀河

花巻駅から釜石駅(JR釜石線)をつなぐ
C58形蒸気機関車「SL銀河」


1940年(昭和15年)6月に製造され、岩手県内を中心に活躍した

蒸気機関車C58型239号機。



引退後は盛岡市の県営運動公園内の交通公園に保存されていましたが、

2014年よりSL銀河として復元され、運行しています。



外観・内部は、釜石線(当時は岩手軽便鉄道)を舞台に描かれた宮沢賢治

の「銀河鉄道の夜」を代表的なテーマとしてプロデュースし、宮沢賢治の

世界観を感じることができます。


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銀河鉄道スリーナイン The Galaxy Express999 ゴダイゴ

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孤独・死の世界・他者への理解
「本当の幸せ」を探して

JR釜石線 柏木平駅


※「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治 七、北十字とプリオシン海岸 より


「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」

 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、

急(せ)きこんで云(い)いました。

 ジョバンニは、

(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙

(だいだいいろ)の三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考え

ているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでも

する。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なん

だろう。」

カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえている

ようでした。


「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニは

びっくりして叫(さけ)びました。

「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いち

ばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」

カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。



○人類から遠く離れた孤独の中に住む 世界の本質

○生きたまま彼岸を旅する|ダンテ神曲


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胸がいっぱいでなんにも云えなくなった
ジョバンニ

JR釜石線を走る普通電車


※「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治 九、ジョバンニの切符 より


ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘(おか)の草の中につかれてねむって

いたのでした。胸は何だかおかしく熱(ほて)り頬(ほほ)にはつめたい涙が

ながれていました。

 ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに

下でたくさんの灯を綴(つづ)ってはいましたがその光はなんだかさっきより

は熱したという風でした。そしてたったいま夢であるいた天の川もやっぱり

さっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊(こと)に

けむったようになってその右には蠍座(さそりざ)の赤い星がうつくしくきらめき、

そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。

 ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで

待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。


(中略)


 ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えず(中略)

早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思う

ともう一目散に河原を街の方へ走りました。



○こぼれるばかりに散りばめられた空の円天上、魂全体が歓喜に震える


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The Mountains of Tono
山々に囲まれた遠野

JR釜石線 遠野駅


遠野市は、北上高地の中央に位置し、盛岡へは約70km、仙台へは約180km、

東京へは530kmの距離に位置しています。



市域は標高1917mの早池峰山(はやちねさん)を最高峰に、標高300m〜700

mの高原群に囲まれ、その中心にある遠野盆地に市街地が形成されています。

土地の多くは山林となっており、田畑は8.3%、宅地は1.2%となっています。



遠野は岩手県内でも寒冷地帯に属し、厳冬期には零下17度を記録する

こともあります。冷涼な気候と豊かな自然環境を生かした農林業を基幹

産業とし、米を中心に、野菜、ホップや葉たばこなどの工芸作物、家畜

が複数経営されており、乗馬用生産地として知られています。



※2019遠野姿勢要覧【統計編】 遠野市の要覧 p3|岩手県遠野市


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冷涼な気候が栽培に適している
ホップ

「ビールの里」 遠野産ホップ


ホップはヨーロッパ原産のクワ科に属する宿根性の蔓植物で、ビール醸造に

不可欠な原料です。冷涼な気候を好む作物で、日本には明治になってから

北海道に導入されました。現在は東北と北海道で栽培され、ビール会社との

契約栽培により生産されています。



「ビールの里」遠野は56年以上にわたり、日本随一のホップ生産地(栽培面積

全国1位)として、日本産ホップの栽培を続けています。ホップは「ビールの魂」

とも呼ばれ、遠野産ホップはビールに華やかで豊かな香りをもたらします。

しかし、近年の生産量はピーク時の5分の1にまで落ち込んでいます。遠野の

誇りであるホップを次の世代にしっかり受け継ぎ、新たな価値を創造するため

に、官民あげての取組みが始まっています。



※ホップ栽培について:東北農政局 - 農林水産省
※遠野ホップ収穫祭



○食・農・里の新時代を迎えて

○人間の大地・人間の季節|冬の北海道


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A yamabito(mountain man) is
someone who lives deep in the mountains

遠野盆地から望む早池峰山(はやちねさん,標高1917m)


山がほとんどの面積を占めている遠野では、多くの人々が、木挽(こび)き、炭焼き、

鉄砲打ち(⇒狩りをする人)、金山稼ぎ(かなやまかせぎ⇒金山での発掘)などの山

仕事に深い関りを持って生きてきました。

人々は、山を恵みをもたらす場と考える一方で、山の神や山人、獣の住む異郷で

あると信じ、恐れ、敬いました。



※遠野市立博物館|常設展示より



○雪国の春|環境と生物の相互作用がもたらす風景


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馬に荷物を背負わせ各地へ運ぶ仕事
駄賃付(だちんづ)け

遠野市立博物館


遠野は海岸と内陸とを結ぶ交通の要衝(ようしょう⇒交通の要)であり、

日詰(ひづめ、紫波町)・花巻・岩谷堂(いわやどう、奥州市)・大槌(おおつち)・

釜石・陸前高田・盛(さかり、大船渡市)の七ヶ所から荷馬一日の行程とされ、

各地の物資とともに情報や文化が、駄賃付けによって遠野に運ばれてきま

した。



駄賃付けには、魚や雑穀などを仲買し馴染みの店に卸す人もありましたが、

多くは店に所属していました。三陸方面からの荷は生魚が多かったので、

日に当てないよう夕方に出発し夜中に峠を越え、店には午前中に到着する

行程でした。その後、飼葉(かいば⇒エサ)を馬に与えて休息し、帰りの荷を

つけて戻りました。



道中の茶屋や宿場では、各地で見聞きした話に花が咲き、膨大な情報が

駄賃付けによってもたらされました。駄賃付けは遠野の物資流通の主役

であり、話の運搬者でもあったのです。



※遠野市立博物館|常設展示より



○海運が支える日本の豊かな暮らし


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山の人生
山に埋もれたる人生あること

遠野市街を馬車で巡る「まちなか馬車」


柳田国男の著作の一つ「山の人生」では、山で暮らす人々に起こった悲劇や

不条理、山の神の嫁入りや神隠しなどの怪奇談、天狗や山男にまつわる人々

の宗教生活など山間に埋もれた人生の記録や伝承の起源などを、実地をも

って精細に例証し、透徹した視点でつづられており、名作「遠野物語」と対を

なす代表作とされています。



※「山の人生」 柳田国男 (大正十五年十月)
  一 山に埋もれたる人生あること


 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、

世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかり

の男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。



 女房はとくに(⇒既に)死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。

そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山

の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしま

った。何としても(⇒どうやっても)炭は売れず、何度里(さと)へ降りても、い

つも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて⇒手ぶら)で

戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋

の奥へ入って昼寝をしてしまった。



 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事で

あったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)り

に何かしているので、傍(かたわら)へ行って見たら一生懸命に仕事に使う

大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれ

といったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向(あお

むけ)に寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人

の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕

えられて牢ろうに入れられた。



 この親爺(おやじ)がもう六十近くなってから、特赦(とくしゃ)を受けて世の中

へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなっ

てしまった。私は仔細(しさい⇒理由)あってただ一度、この一件書類を読んで

見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持

(ながもち⇒箱)の底で蝕(む)しばみ朽(く)ちつつあるであろう。



○私たちの生涯|生と死の狭間にある「時」を歩む

○他者を喰って生きる人間の姿|ダンテ神曲 ウゴリーノ伯


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「遠野物語」の伝説が語り伝える
リアルな人々

鍋倉(なべくら)公園から望む遠野市街


柳田国男著『遠野物語』は、岩手県遠野の村にまつわるカッパなど

の言い伝えを聞きとってまとめたもの。素朴で清らかな文体の、哀し

いような不思議な伝説の数々・・・それは、直接語られない当時の政策

や飢饉を背景とした、リアルな日常でした。



遠野は、江戸時代に飢饉の被害がとくに深刻だった土地。人は子孫を

残すため、強い者だけを生かす選択しかなかったのです。最初に命を

落とすのは、小さい子供や高齢者。一説には、カッパは間引きされて

「川にお返しした」子の化身ともいわれています(たしかに特徴がなんと

なく子供っぽいような)。老人は『デンデラ野』という姥捨てエリアに追わ

れて、自活しながら死を待ちました。



残酷に思われる慣習から、人としてのギリギリの知恵や愛情の存在が

ひしひしと伝わってきます。死んでいる者の方が自由に動き回れて、

生きている者たちに手を出せるはず。そう考えるくらい、この世で肉体を

もって生きることが不自由で過酷でもあったのです。



地域外の情報が得にくかった昔、日常から人が「消えて」しまうことは今

よりずっと多かったようです。家族がふらっと山にでかけたまま帰ってこ

なかったり、子どもが忽然といなくなる「神隠し」・・・どこまでが本人の意

志か定かでないとはいえ、家族としては、たとえ見ず知らずの別の土地

でも、たとえ人間とは別の世界でも(妖怪としてでも)、生きて存在してい

て欲しいと願ったのですね。



※カッパの捕獲OKの村「遠野」にまつわる伝説をご存じですか
 うさぎだ りすえ 2015年08月15日
 https://tenki.jp/suppl/usagida/2015/08/15/5801.html



○日本人の精神性|美徳が強調されてきた社会


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鉄と魚とラグビーの街
釜石

日本製鉄 釜石製鉄所


岩手県の南東部、三陸復興国立公園のほぼ中央に位置する釜石。日本で初めて

鉄鉱石を原料とした洋式高炉での出銑に成功して以来、東北地方有数の重工業

都市として発展し、また、重要な漁業基地として栄えてきました。



東日本大震災では当市の約4千世帯が被災し、千人を超える市民が犠牲となり、

未なお仮設住宅等でお住まいの世帯の方がいらっしゃいます。



○よこすか はじめて物語|近代化の礎を築いた横須賀製鉄所


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津波に押し流される街の惨状を見守った
釜石港を見渡す高台

釜石港|岩手県釜石市


釜石港を見渡す高台から撮った写真。震災が起きた日、高台には多くの人びと

が避難し、津波に押し流される街の惨状をなすすべなく見守ったといいます。



当時、完成を目前に控えていた魚市場も被災しましたが、その後、新築復旧

を進め、2017年5月に稼働を開始。



また2019年には、港のにぎわい拠点となる「魚河岸テラス」がオープン。

朝市の開催や料理勉強会、企業向けレクリエーションなどの催しを展開

していくそうです。



○生命の跳躍|海洋を統合的に理解する


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釜石市役所付近に押し寄せる津波 【視聴者提供映像】

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スキューバダイビングを通して知り合った
釜石のKさん

釜石市天神町の仮設住宅


スキューバダイビングを通して知り合った釜石市在住のKさん。

東日本大震災では大きな被害を受け、仮設住宅生活を余儀

なくされました。



○太古からの生命が息づく奄美大島


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街のにぎわいを創る
イオンタウン釜石

岩手県釜石市


震災からの復興事業の一環として誘致したというイオンタウン釜石。

ショッピングセンター、飲食店のほか、近隣には釜石情報交流館や

ミッフィーカフェかまいしといった施設があり、街のにぎわいを創り

だしています。



ショッピングセンターは津波対策として、1階を店舗駐車場 (ピロティ

⇒2階以上を部屋とし1階を吹き抜けにした、その1階部分)にして、

2階、3階を店舗にし、屋上が避難所になっているそうです。


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子どもたちの命を救った道
三陸沿岸道路

震災祈念碑「あなたも逃げて」|釜石鵜住居復興スタジアム


2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生。東北地方を

中心に北海道・関東地方も含む太平洋沿岸に巨大津波が押し寄せた。津波

による浸水区域は全体で約535haにも及び、各地に壊滅的な被害をもたらし、

2万人を超える死者・行方不明者が生じた。



岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区も大きな被害を受けた。鵜住居地区は

大槌(おおづち)湾に面しており、大槌湾に流れ込む鵜住居川下流の低地に

地区の中心街が形成されていたが、15.1mの津波が防波堤を約500mにわた

って破戒し、中心街の奥深くまで押し寄せた。このため、鵜住居地区の死者・

行方不明者は、釜石市の半数を超える580人にのぼり、地区全体の住戸の

約7割にあたる1,653戸が全壊した。



鵜住居小学校・釜石東中学校両校とも大槌湾か津波により被災した。児童・

生徒ら約560人は地震発生後直ちに避難を開始。学校で定めた避難場所へ

たどり着いたが、避難場所の裏の崖が崩れている事などからこの場所にとど

まるのが危険と判断し、より高大の介護福祉施設に隣接した避難場所へ

避難した。



さらに、施設から巨大な津波が迫ってくるのが見えたので、保育園児たちを

助けながら震災のわずか6日前に開通したばかりの三陸沿岸道路 釜石山田

道路などへ避難した。震災前から取り組んでいた防災教育と「命の道」釜石

山田道路が共に機能した結果であった。



その後、この児童・生徒たちは、釜石山田道路を走るトラック運転手らにより、

当時避難場所として利用されていた旧釜石第一中学校へ送り届けられた。

この釜石山田道路は避難場所として使われただけでなく、道路流出などに

より通行不能となっていた国道45号線の迂回として人や物資の移動に利用

され、地域の孤立を回避した。


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釜石市 鵜住居地区の津波被害

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2019年に全線開通するも
台風19号の被害により再び分断された三陸鉄道

釜石駅を出発する三陸鉄道リアス線の電車


岩手県久慈市の久慈駅から大船渡市の盛駅まで163kmをつなぐ

三陸鉄道リアス線。



震災で不通となっていたJR山田線の宮古駅 - 釜石駅間の復旧が

進められ、2019年3月23日に同区間は三陸鉄道に移管され、久慈

大船渡までがひとつにつながりました。



しかし、2019年10月に日本に猛威をふるった台風19号の被害を受け、

一部区間で運転を見合わせ、バスによる代行輸送が行われています。

再び全線開通までにはかなり時間がかかるといいます。


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震災の被害を受けバス輸送となった
大船渡線・気仙沼線

かつて鉄道が走っていた面影を残す盛駅(大船渡線)
岩手県大船渡市


岩手県大船渡市の盛(さかり)駅から陸前高田市、気仙沼市を経由して

一ノ関駅を結ぶ大船渡線。また、気仙沼駅から石巻市の前谷地駅を結

ぶ気仙沼線は、東日本大震災の影響から沿岸部では広範囲にわたり

深刻な被害を受けました。



復旧には課題も多く相当の時間がかかることが想定されたことから、

「BRT(Bus Rapid Transit、バス・ラピッド・トランジット」と呼ばれる方法を

採用し、できるだけスピーディに安全で便利な高速輸送サービスが開始

されています。



これまで線路が敷かれていたところを舗装してバスが通れるよう整備。

専用レーンをバスが通行することで渋滞や信号待ちが少なく、より安定

した運行が実現されています。


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約7万本の高田松原と
奇跡の一本松



 白砂青松の高田松原は、市民はもとより県内外の来訪者から四季を通して

愛される場所でした。約350年前から先人たちが植林を行い、市民の手で守り

育ててきた高田松原。その美しさを多くの詩人が詠み、昭和15年には国の名

勝に、昭和39年には陸中海岸国立公園に指定されました。夏には海水浴客で

にぎわい、松に囲まれた遊歩道は市民の憩いの場所でした。また、多くの動物

や希少植物が存在し、多様な生態系が育まれていました。高田松原は、まさ

に陸前高田市の象徴とも言える存在でした。



 平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲いました。死者、行方不明

者は2,000人近くにのぼり、市街地や海沿いの集落は壊滅しました。過去の度重

なる津波から高田のまちを守ってきた、約7万本と言われる高田松原もほとんど

が流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。



津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け、

平成24年5月に枯死が確認されました。しかし、震災直後から、市民のみならず

全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に

受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして保存整備することと

いたしました。それが「奇跡の一本松保存プロジェクト」です。



※陸前高田市より


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震災の記憶と教訓を伝える
目に見える証

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館|宮城県気仙沼市


東日本大震災によって気仙沼市では、死者1,152人、行方不明者214人に上る

大きな悲劇がもたらされました。



宮城県気仙沼向洋高校は、津波で4階までが浸水し、校舎内には津波で流れ

込んだ自動車や樹木などが残されています。



震災から8年を経た2019年3月10日。将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、

警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として、気仙沼市東日本大震災遺構・伝

承館として公開が開始されました。


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あらゆるものを表現できる無限の可能性を秘めた
萬画

仮面ライダーやサイボーグ009などで知られるマンガ家
石ノ森章太郎のマンガミュージアム「石ノ森萬画館」|宮城県石巻市


北上川の河口に位置する石巻市は、豊かな海を背景に交易、漁業の街として

発展しました。昭和に入ってからは新産業都市の指定を受け石巻工業港が

開港するなど、工業都市としても発展を遂げてきました。



 しかし、震災により襲来した巨大津波は、本来市民を守るべき防潮堤を破壊し、

多くの人命を奪い、私たちの住まいや働く場、道路や港湾、漁港など多くの財産

が失われました。



北上川河口に浮かぶ中瀬に建つ石ノ森萬画館も大きな被害を受けたといいます。



○大小260もの松島が点在する美しい景色|日本三景 松島海岸


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東北を本拠地とした
楽天イーグルス



2004年に創設された東北楽天ゴールデンイーグルス。東北を本拠地とした

初めてのプロ野球チームだそうです。それから15年。すっかり仙台の地に

馴染んでいるようです。



○競技スポーツと生涯スポーツの融合を目指す|スポーツクラブ・マネジメント


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避難指示が一部解除された
浪江町

原発事故以来、不通となっているJR常磐線 浪江駅
2020年3月の再開を目指しているそうです


福島県の沿岸部、浜通り位置する福島県浪江町(なみえまち)。大堀相馬焼や

なみえ焼そばといった名産品が知られています。



平成23年3月11日の東日本大震災。福島県では、東京電力福島第一原子力

発電所の事故のため浪江町21,000人の町民は避難を余儀なくされ、全国に

散り散りになりました。その後、浪江町内の避難指示が継続する中、除染や

インフラ復旧、生活基盤の再生を進められました。



平成29年3月31日には、一部地域の避難指示が解除され、一部地域での居住

ができるようになるなど、復興に向けた取り組みを推進しています。一方、現在

も多くの町民が福島県内外での避難生活を余儀なくされています。



※【初めての方へ】すぐわかる浪江町(なみえまち)の現況
  掲載日:2019年12月20日|福島県浪江町



○循環型社会の基盤にあるもの|強さばかりでなく、弱さに目を向ける


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卑しい職業と見なされてきた
原発労働者

福島第一原子力発電所の入口を知らせる看板


エネルギー源の一つである原子力発電。福島原発事故以前から原発労働者

は特殊な職業であり、賤(いや)しい職業とみなされてきました。原発の作業は、

被爆する危険性のある作業であり、特殊な労働者が必要でした。私たちの暮

らしは、こうした人たちに支えられてきましたが、作業員は自らの身体を危険

に晒しながらも、社会的に認知されることもなく、感謝もされず、逆に嫌われる

存在でした。



※21世紀批評理論における4つのターン 2019.03
  大橋洋一教授退職記念特別講義
  東京大学文学部法文2号館2階1番大教室(本郷キャンパス)
  東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 現代文芸論研究室

※原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録 堀江邦夫 現代書館 2011


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帰宅困難が続く福島第一原発の地元
大熊町

帰宅困難区域に設置された侵入防止のバリケード(国道6号線)
福島県大熊町


福島県大熊町は、平成23年3月11日の東日本大震災に伴う東京電力福島第一

原発事故により全町域に避難指示が出されました。震災当時の町民の多くが

今も、県内外で避難生活を送っています。



震災以降、大熊町は再び町に生活を取り戻すための取り組みを続けています。

町役場や駅などを含む町中心部は厳しく立ち入りが制限される「帰還困難区域」

にあるため、町内の放射線量が低い地域で、元々田畑だったところを整備し、

新しく役場庁舎や町民の住居などが集まる「小さなまち」をつくろうとしています。

そこを拠点に、少しずつ生活の場を広げていく方針です。



平成31年4月10日に「居住制限区域」の大川原地区、「避難指示解除準備区域」

の中屋敷地区の避難指示が解除され、一部地域ではありますが、8年ぶりに町内

への帰還が叶いました。今回解除された場所を足がかりに、町のすべてを取り戻

す歩みをさらに進めます。



※大熊町復興通信 - 大熊町公式ホームページ 2020.01.04現在掲載記事


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原子力発電・廃炉作業の拠点となった
Jヴィレッジ

福島県楢葉町


1997年に日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンターとしてオープン

したJヴィレッジ。



施設面積は、東京ドーム10個分となる49haにも及び、観客席付スタジアムを

含め天然芝ピッチ8面、人工芝ピッチ2面、全天候型サッカー練習場、雨天練

習場、ホテル(総客室数200)、フィットネスジム、アリーナ、プール、約730台

収容駐車場を備えた一大トレーニングセンターです。



東日本大震災以降は福島第一原子力発電所の廃炉作業の拠点となっていま

したが、平成30年7月28日に再始動しました。



○Discover Tomorrow|新たなスポーツ文化の確立


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岡倉覚三(天心)が愛した
五浦(いずら)の絶景と六角堂

五浦岬公園からみた五浦海岸と六角堂|茨城県北茨城市


岡倉天心(1863−1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という

時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動

家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。その活動には、日本

画改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館中国・

日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。また、天心は自筆の英

文著作『The Book of Tea(茶の本)』などを通して、東洋や日本の美術・文化

を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動しました。



  また、天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む人里離れた茨城県

五浦(現在の北茨城市五浦)に居を構える一方、横山大観ら五浦の作家達を

指導し新しい日本画の創造をめざしました。以後、天心は亡くなるまで五浦を

本拠地として生活することになります。



※岡倉天心について|茨城県天心記念五浦美術館
※YNU国際シンポジウム2013
 「現代に生きる岡倉天心」−グローバル人材としての再評価−
 日付 2013年1月25日
 会場 はまぎんホールヴィアマーレ
 主催 横浜国立大学 国際戦略推進室
 共催 茨城大学
 後援 神奈川新聞社



○多様な視点から始まる自己への洞察

○新たな絆から夢が膨らむグローバル人材


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本質的に不完全なものの崇拝
茶の本

岡倉覚三(天心)の墓|茨城県北茨城市
都立染井霊園(豊島区駒込)から五浦の地に分骨したそうです


○「THE BOOK OF TEA」 OKAKURA-KAKUZO 1906
 CHAPTER T THE CUP OF HUMANITY

 TEA began as a medicine and grew into a beverage. In China, in the eighth
century it entered the realm of poetry as one of the polite amusements. The
fifteenth century saw Japan ennoble it into a religion of aestheticism--Teaism.
Teaism is a cult founded on the adoration of the beautiful among the sordid
facts of everyday existence. It inculcates purity and harmony, the mystery of
mutual charity, the romanticism of the social order. It is essentially a worship
of the Imperfect, as it is a tender attempt to accomplish something possible
in this impossible thing we know as life.



○「茶の本」 岡倉覚三 1906
 第一章 人情の碗

 茶は薬用として始まり、のちに飲料となる。中国では8世紀になって、茶は洗練
された娯楽一つとして詩歌の域に達した。15世紀になると、日本はこれを高めて
一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで高められた。茶道は日常生活の俗事
の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調
和、相互愛の神秘、社会秩序のロマン主義を丁寧に教えるものである。茶道の
本質は「不完全なもの」を崇拝であり、いわゆる人生というこの不可解なものの
うちに、何か可能なものを成就しようとする繊細な企てである。



○素の魂に触れるとき|本当の悲しみから逃避してきた日本人


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世界をバイクで旅する
フランス人ご夫婦

フランス人バイク旅行家と一緒に|宮城県仙台市


世界をバイクで旅しているフランス人ご夫婦。

(画像右側の人物が奥様、夫は写っていません)



フランス・パリを出発して、ドイツ、チェコ、ポーランド、ウクライナ、ロシア、

カザフスタン、ウズベキスタン、モンゴル、といったユーラシア大陸を走り

ぬき、日本に来たそうです。



日本には、ロシアから船で松江(島根県)に入り、大阪から秋田を巡り、

仙台に来たとの事。この後はまた西に向かい、九州から韓国を経て、

アメリカ、カナダを走りパリに戻る計画だそうです。



○フランス人ご夫婦のブログ|ET ON A DIT Banco


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新しい世界
A Whole New World

おおふなぽーと(大船渡市防災観光交流センター)のピロティ
(2階以上を部屋とし1階を吹き抜けにした、その1階部分)でピアノを弾く女性


「A Whole New World」 (Aladdin, Disney)
 Music by Alan Menken and lyrics by Tim Rice


I can show you the world

Shining, Shimmering, Splendid

Tell me, princess, now when did

You last let your heart decide?


I can open your eyes

Take you wonder by wonder

Over, sideways and under

On a magic carpet ride


A whole new world

A new fantastic point of view

No one to tell us no

Or where to go

Or say we're only dreaming



○社会の転換期|視点が変わると見え方も変わる


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A whole new world (English)

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ことばの危機
「読解力がない」の実態



※「読解力がない!」の実態
  阿部公彦 先生 東京大学文学部教授・英語英米文学



【 書き手 】

○工夫が足らず、誤解が生じている

○特定の文章表現に内在する「胡散臭さ」への拒絶反応のために読めない。

○内容が難解である。読み手にとってレベルが高すぎる。



【 読み手 】

○基本語彙や文法知識が足りず、読む人が言葉の仕組みを理解できていない。

○誤解や曲解を行っていたり、あるいはイデオロギー的に受け付けず特殊な読
  み方をしてしまうために、内容の理解がずれる。

○文脈をとりちがえ、ニュアンスを読み損ねたり、意味の方向を読み取れていない。
  どこまで「裏」を読むかで判断を誤り、過剰に意図を読んだり、逆に、全然意図
  が読めていなかったりする。

○読み手の周囲にいる人が、自分の読みとずれる「他者の読み」を許容していない。
  「どうして私と同じように理解できいのだ!」とイライラする。自分の読解の
  「正しさ」への過剰な信頼を持っている。「他者とは異なる読みをするもの」
  という視点が欠如している。

○別の読み手の「読み」に引きずられすぎて、自分の主体的な「読み」ができなく
  なっている。



※ことばの危機―入試改革・教育政策を問う―
 第18回 東京大学ホームカミングデイ文学部企画
 日付 令和元年10月19日(土)
 場所 東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室


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参  考  情  報


○復興庁 | 「新しい東北」

○いわての旅:岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」

○釜石鵜住居復興スタジアム|Kamaishi Unosumai Memorial Stadium

○釜石シーウェイブスRFC公式ホームページ

○【いち旅】一関市公式観光サイト いちのせき観光NAVI

○ひらいずみナビ

○世界遺産平泉の総合案内 いわて平泉 世界遺産情報局

○【公式】関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]

○天台宗 別格本山 毛越寺

○天台宗

○宮沢賢治トップページ|花巻市

○3つのポイントをつかめ!銀河鉄道の夜のあらすじと解説まとめ | まなぶンゴー

○遠野時間|遠野市観光協会

○遠野市立博物館 | 遠野文化研究センター

○【公式】遠野ホップ収穫祭│レッツホッピング│ビールの里・遠野│岩手県

○環境省_三陸復興国立公園

○三陸鉄道

○大船渡市防災観光交流センター おおふなぽーと

○東日本大震災津波伝承館|いわてTSUNAMIメモリアル

○石ノ森萬画館

○気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

○浪江町ホームページ トップページ

○大熊町復興通信 - 大熊町公式ホームページ

○ナショナルトレーニングセンター Jヴィレッジ

○茨城県天心記念五浦美術館

○観光いばらき | 【茨城県公式】観光情報ポータルサイト

○Hiroyuki Matsuda's Home Page

○宮沢賢治 - 青空文庫

○柳田国男 - 青空文庫

○岡倉天心 - 青空文庫

○Wikipedia

○リスクと生きる:環境リスク学入門 2019.08
 ・講師 松田裕之先生 横浜国立大学 教授
 ・テーマ
  風力発電と鳥への影響・風力発電と環境影響評価
  気候変動と共有地の悲劇
  知床世界遺産地域と札幌市のクマと人の共存
  ミナミマグロ絶滅リスク評価・漁業法改正とクロマグロの資源管理
  レポート作成・討論
 ・会場 横浜国立大学教育学部8-203教室
 ・2019年度 横浜国立大学公開講座

○仏教と儒教−日本人の心を形成してきたもの−('13)
 竹村牧男 先生 放送大学客員教授・東洋大学教授
 高島元洋 先生 放送大学客員教授・お茶の水女子大学大学院教授

○東洋大学の創立者・井上円了の哲学・思想
 講師 竹村牧男 先生 東洋大学学長
 会場 東洋大学白山キャンパス1号館1階1102教室
 日程 2019年5月25日(土)〜2020年 1月25日(土)

○ことばの危機―入試改革・教育政策を問う―
 第18回 東京大学ホームカミングデイ文学部企画
 阿部公彦 先生 (文学部教授・英語英米文学)
 沼野充義 先生 (文学部教授・現代文芸論)
 納富信留 先生 (文学部教授・哲学)
 大西克也 先生 (文学部長・中国語中国文学)
 安藤宏 先生  (文学部教授・日本語日本文学(国文学))
 ・日付 令和元年10月19日(土)
 ・場所 東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室

○YNU国際シンポジウム2013
 「現代に生きる岡倉天心」−グローバル人材としての再評価−
・第T部
 ・基調講演
  木下長宏 先生(元横浜国立大学教授)
 ・パネルディスカッション
  室井尚 先生 (横浜国立大学教授)
  小泉晋弥 先生(茨城大学教授)
  山下裕二 先生(明治学院大学教授)
  村井則子 先生(上智大学助教)
  木下長宏 先生(元横浜国立大学教授)
・第U部  
 ・基調講演
  タノン・ビダヤ 先生(元タイ王国商務相・財務相)
 ・パネルディスカッション
  荒木一郎 先生(横浜国立大学教授)
  池田幸雄 先生(茨城大学長)
  斎木尚子 先生(外務省副報道官)
  梅原一剛 先生(元東急ホテルズ代表取締役社長)
  千葉信行 先生(元神奈川新聞社専務取締役)    
・日付 2013年1月25日
・会場 はまぎんホール ヴィアマーレ
・主催 横浜国立大学 国際戦略推進室
・共催 茨城大学  
・後援 神奈川新聞社

○英文収録 茶の本 岡倉天心. 桶谷秀昭(訳) 講談社学術文庫 1994

○遠野物語と神々〜家の神・里の神・山の神〜
 遠野市立博物館 令和元年度夏季特別展 2019.7.19〜9.23


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