香港高層ビルの光のショー
Symphony of Lights


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香港高層ビルの光のショー
Symphony of Lights



香港政府観光局が2003年から開催している毎晩午後8時からのイベント、

「シンフォニー・オブ・ライツ : 幻彩詠香江」。



ビクトリアハーバーの夜景に加えて、ショーの音楽とともに

沿岸のオフィスビルや主要建物に設置されたサーチライトで

13分間の光のショーがくりひろげられます。



オープニングでは、ビルごとに「光」での挨拶も。



ショーは5つのテーマで構成。


 第1テーマ 「目ざめ」 
 第2テーマ 「エネルギー」
 第3テーマ 「遺産」
 第4テーマ 「パートナーシップ」
 第5テーマ 「セレブレーション」



○光の美術 都市ファンタジア「東京ミレナリオ」


2008大晦日
33万人と
物凄い人でした

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ビクトリアピーク

ビクトリアピークからみた香港島



○山水画から抜け出た風景 桂林



昼間の様子
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世界最長のエスカレーター
ビルサイドエスカレーター

ヒルサイドエスカレーターの入口


香港島の中環(チュンワン)は、

香港経済を支える金融と商業の中心地で、超高層ビルが立ち並んでいます。



そんな摩天楼の中に、クインズ・ロード・セントラルから

高級住宅地ミッドレベルまでをつなぐビルサイドエスカレーター。



全長800mもの長さを23基で乗り継ぐ世界最長のエスカレーターだそうです。



○湘南の景勝地 江の島にあるエスカー


ヒルサイドエスカレター
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世界遺産 聖ポール天主堂跡
(Macau)



1999年までポルトガルの植民地だったマカオ。

2005年には世界遺産に登録されています。



人口約52万人のうち95%が華人(中国系住民)、

ポルトガル人は1.7%とほとんどいないそうです。

ちなみに日本人は約200人。



2006年のカジノ売り上げが69,5億アメリカドル(約8400億円)に達し、

これまで世界最大であったアメリカのラスベガスの推計65億ドルを超え、

世界最大のカジノ都市となっているそうです。



○日本の世界遺産 飛騨にある白川郷


聖ポール天主堂跡 聖ドミニコ教会 お祈りをする為
の膝おき
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シルク・ドゥ・ソレイユ
ZAIA



シルク・ドゥ・ソレイユ(フランス語)は直訳すると「太陽のサーカス」。

火喰い芸の大道芸人だったギー・ラリベルテが、

1984年にカナダで設立したそうです。



シルク・ドゥ・ソレイユでは複数のレジデントショー(常設公演)と

ツアーショー(巡回公演)を平行して行っています。


常設公演は2008年12月現在、ラスベガスなど4都市で9公演。


アジアでは、

マカオのザ・ベネチアン・マカオ・リゾート・ホテルでの「ZAIA(サイヤー)」と

日本ではディズニーリゾート内で2008年10月1日に開幕した「ZED」があります。



今年(2009年)はツアーショーとして

「コルテオ」が原宿ビックトップで開催されます。



○芸能の街、横浜野毛の大道芸


シルク ドゥ ソレイユ
ZAIA
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ビル建設の足場は「竹」



香港にはたくさんの高層ビルがあるけど、

日本人からみるとどうも倒れそうでいまいち不安が...



でも地震のない香港では大丈夫なんだそうです。



また、ビル建築・改装時の足場はなんと竹でできています。

こちらの人は竹にとても信頼をおいているそうです。



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ザ ペニンシュラ



香港&上海ホテルズが運営するエグゼクティブホテル「ザ・ペニンシュラ」。



ザ・ペニンシュラ香港は1928年開業で今年創業80周年を迎えます。

日本では、2007年に日比谷に「ザ・ペニンシュラ東京」がオープン。



ペニンシュラのチョコはおいしい!

ちなみにチョコはこちら。

http://peninsulaboutique.jp/



神奈川県では、

そごう横浜店B2に「ペニンシュラ・ブティック」があります。



○日比谷にあるペニンシュラホテル

○敷地内を「ボート」と「モノレール」で移動できるリゾート
  ヒルトン・ワイコロア・ビレッジ



ザ・ペニンシュラ
香港
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上  海  蟹



香港での上海蟹のシーズンは9月中旬から12月初旬。



上海蟹の食べる醍醐味は、

蟹味噌と雄蟹の「膏」と呼ばれる白い精子の部分。


12月後半にもなると、

この味噌の部分が少なく&美味しくなくなるそうです。



上海蟹を選ぶ鉄則はまず生きている蟹を探すこと。

間違っても死んでしまった蟹を食べると、それこそ食中毒の危険性があるそうです。



調理方法は湯がく方法と蒸す方法があるけど、

安心なのはやっぱり湯がく方法。



また、味噌と膏、意外の胃などは食べないよう注意が必要です。

お酒につけた酔っ払い蟹も要注意だそうです。



○北海道・小樽の「北海あぶり焼き運河倉庫」


上海蟹
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香港の歴史
【イギリス統治時代】

香港歴史博物館


香港の繁華街「チムシャツォイ」にある香港歴史博物館。



清の時代に入ってイギリス東インド会社などの船が来航するようになり、

イギリスは次第に中国茶を大量に輸入し、

貿易代金決済のためにインドからアヘンを中国へ輸出し始めたそうです。



その後、

アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスとの間で

争いが起こりました。【阿片戦争】




武力に勝るイギリスは香港島を占領し、

1842年に締結された南京条約により、香港島はイギリスに永久割譲されます。



○ベトナム戦争を語る戦争証跡博物館(ホーチミン)


歴史博物館
の入口
南京条約
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香港の歴史
【日本統治時代】



第二次世界大戦の1942年から終戦までの1945年の3年8ヶ月間、

香港は日本の統治下となったそうです。



写真左から2枚目に写っている人は、香港総監に任命された磯谷廉介中将。

総監部は当初ペニンシュラホテルに置かれました。




一番右の写真は、日本軍に捕虜にされたイギリス人が

過酷な捕虜生活の中、生きる希望をもって描いた詩集。



メルヘンの世界が描かれていました。

ちなみに捕虜になって生き延びた人は全体の1/3。



○ウォルトディズニーが信じた一人の女性「メアリーブレア」


香港入りする日本兵 香港総監
磯谷廉介中将
左の写真に写っている
総監部の看板
イギリス捕虜兵
が書いた詩集

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香港の歴史
【日本統治時代〜戦後】

降伏文章調印の様子


1945年の日本敗戦をうけ数ヵ月後、

香港統治に対する降伏文章を調印。



日本の代表は、

陸軍少将・岡田梅吉氏、海軍中将・篠田類太郎氏だったそうです。



○アメリカからの永久貸与となっている日本の戦争絵画


香港
降伏文章調印
降伏文章 戦後の
イギリス統治
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フランス革命展



○フランス革命でギロチンの刑となった、
 ルイ16世・マリーアントワネットが住んだヴェルサイユ宮殿




フランス革命展



「小さな政府」転機


○高齢化・低所得者の増加
○過酷な競争社会に疲れ
○社会保障 充実急ぐ




「アジアで最も小さな政府」を掲げる香港が転機を迎えている。

行政長官は08年の秋、最低賃金制度などの導入を発表。



政府が企業活動や市場に介入しない「レッセフェール(自由放任)」

から180度方向転換した。



少子高齢化が急速に進み、過酷な競争社会についていけない

市民が増えたことが背景にある。



【08年11月日経新聞より】


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