勝利に導く戦いの女神


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戦いの女神
アレッツォのミネルウァ



『アレッツォのミネルウァ』は、

ルネサンス時代にフィレンツェの南東約30キロにあるアレッツォで見つかり、

メディチ家のトスカーナ大公コジモ1世が所有していたといわれる

古代ギリシアの青銅像。



戦いの女神アテナはイタリア語でミネルウァと呼ぶそうです。



○Art of PARIS


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戦いの女神
サモトラケのニケ



「サモトラケのニケ」は、

1863年にエーゲ海北東部のサモトラケ島で発見されたそうです。



ニケは戦いの勝利を祝福する女神。

造られたのは紀元前190年頃といわれています。



○Art of PARIS



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メディチ家のトスカーナ大公
コジモ1世



『アレッツォのミネルウァ』を所有していたといわれる

メディチ家のトスカーナ大公コジモ1世。


下の絵画、

 左側は、ブロンズィーノ作の「甲冑姿のコジモ一世像」

 右側は、ブロンズィーノ作の「エレオノーラ・ダ・トレドと子息ジョヴァンニ」。



○約650年という長きに渡ってヨーロッパに君臨したハプスブルク家


甲冑姿の
コジモ一世像
エレオノーラ・ダ・トレド
と子息ジョヴァンニ
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悲劇の街ポンペイ



西暦79年、 ウェスウィウス火山が噴火し、

一瞬にして5メートル以上降り積もった火山灰の下に

埋没したといわれる悲劇の街、ポンペイ。



それから1700年あまりを経た18世紀になり、発掘が行われたそうです。




そこには、

銀の食器や大理石の水盤、、照明器具に暖房器具、

規格化された水道など豊かな生活があったそうです。



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参  考  情  報


○国立西洋美術館オフィシャルサイト

○古代ポンペイの日常生活 木村凌二 講談社学術文庫


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