![]() |
二人の文人が再会した場所 カイドウが美しい妙本寺 |
![]() |
二人の文人が再会した場所 | |||
静かな妙本寺 | |||
奇妙な三角関係から、 二人の文人が「妙本寺」で再会した。 |
|||
○「本居宣長」などの著書を残した文芸評論家、小林秀雄氏> ○「ランボオ詩集」などの著書を残した詩人、中原中也氏 ○中原中也氏、小林秀雄氏と同棲した日本の女優、長谷川泰子氏 奇妙な三角関係から、 悪縁だった二人の文人が「妙本寺」で再会します。 小林秀雄さんは以下のように書き残しています。 大学時代、初めて中原と会った当時、 私は何もかも予感していたようなきがしてならぬ。 尤(もっと)も、誰も、青年期の心に堪えた経験は、 後になってからそんな風に思い出したがるものだ。 中原と会って間もなく、私は彼の人情に惚れ、 三人の協力の下に(人間は憎しみ合う事によっても協力する)、 奇怪な三角関係が出来上がり、やがて彼女と私は同棲した。 この忌まわしい出来事が、私と中原との間を目茶々々にした。 そして絶交した後しばらくして 中原が鎌倉に移ってきたことで八年ぶりの再会となる。 二人が会った場所は、比企ヶ谷の妙本寺の境内。 折から名木の海棠(カイドウ)が花盛りだった。 ○バラがきれいな鎌倉文学館 ○我が家に咲く「アサガオ」 |
|||
![]() |
![]() |
||
法華堂 | カイドウ |
源頼朝の重臣・比企家(ひきけ) | |||
カ イ ド ウ | |||
この寺一帯の谷を比企ヶ谷(ひきがやつ)といい、 源頼朝の重臣・比企能員(ひきよしかず)らの屋敷がありました。 比企一族は二代将軍・源頼家(みなもとよりいえ)の後継者争いの際、 北条氏を中心とした軍勢に、この地で滅ぼされています。(比企の乱) その後、「比企の乱」から逃れていた比企能員(ひきよしかず)の末子、 能本(よしもと)が日蓮聖人に帰依し、 一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てました。 これが妙本寺の始まりといわれています。 緑豊かな静かな境内には、四月から八月にかけて、 桜・カイドウ、シャガ、ノウゼンカズラなどか鮮やかに彩ります。 ○キリスト教の十字紋があるお寺 鎌倉・光照寺(こうしょうじ) |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
参 考 情 報 | |||
○「PRESIDENT」2008.9.29号 ○鎌倉観光文化検定 公式テキスト ○鎌倉の観光ポータルサイト「鎌倉ぶらぶら」 ○鎌倉Today ○鎌倉文学館 ○神奈川近代文学館 ○フリー百科事典「Wikipedia」 |
|||
Copyright (C) 2010 MOON WATER All rights reserved